南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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南京事件の背景(4)軍の素質の低下②

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 14:07 投稿番号: [26098 / 41162]
前述した1938年8月の陸軍省調査の対象となった10個師団の
総計を出してみると、
現役兵   41,198人、16.9%、
予備兵   69,857人、28.3%、
後備兵102,508人、41.5%、
補充兵   33,486人、13.5%   となっている。
当初の中国戦線の兵の大多数は   予後備兵、とりわけ年齢の高い
後備兵であったことを、この調査は示している。

なぜ中国へ送られた兵の主力が後備兵となったのか。
それは   当時の日本の兵役制度のあり方と、動員計画の考え方による
ものであり、また、対中国戦争が   思いもよらぬ規模に拡大したため、
急遽大兵力を必要とすることになった結果だった。
1927年4月に公布された兵役法は、それまでの徴兵令を大改正し、
満年齢17年から40年までの「帝国臣民タル男子」に兵役義務を課した。
当時の日本軍の兵役は、常備兵役(現役および予備役)のほかに、
後備兵役、補充兵役、国民兵役に分かれる。

成人した男子は、徴兵検査での体格や健康状態による合格分類で、
現役、第一・第二の補充兵役、第二国民兵役に振り分けられた。
現役として徴集された者は、2年間の現役としての在営が終ると、
さらに5年4月の予備役、その後   10年の後備役に服さねばならない。
また   補充兵役は、第一・第二とも12年4月で、後備役を終えた者、
第一補充役を終えた者の中で教育を受けた者は、さらに   その後に
40歳まで第一国民兵役に、その他の者は第二国民兵役に編入された。
なお、この兵役法は   39年と41年、さらに43年にも改正され、
そのたびに   兵役の期間や年齢上限などが延長されている。

常備兵力として平時に設置されている師団は、現役兵で構成されている。
戦時に   この常設師団に動員令がくだると、予備兵を召集して
平時編成の2.5倍ないし3倍の戦時定員を充足し、平時編成から
戦時編成に移行することになっていた。
さらに   動員計画では、この常設師団のほかに、後備兵を召集して
もうひとつ   別の師団を編成することが   計画されていた。
それが   特設師団だ。

開戦前の1936年の動員計画でみると、常設17個師団に対し、
特設13個師団、合計30個師団、総兵力148万人となっていた。
1920年代前半の軍縮により、現役兵の徴集数は減って、
毎年10万人程度であったから、これが   ぎりぎりの動員数だった。
満州事変直前の1930年をとってみると、
この年の適齢壮丁数は   631,883人だが猶予や忌避などがあり、
徴兵検査の受験者数は、595,505人だった。

この年   現役として徴集されたのは   100,771人、
補充兵は168,675人であるから、約60万人の適齢人口の中の
10万人、約6分の1、16.7%の現役徴集者だけが、
現役、予備役、後備役   あわせて17年4月間という
とりわけ重い負担を背負う制度であったといえるだろう。
(参考:陸軍省大日記昭和六年甲輯第二類「昭和五年度徴集兵員数」)

そのうえ常設師団も特設師団も、この現役体験者、つまり同年齢の
6分の1の既教育兵だけに依存する   という動員計画では、
戦時の大兵力動員が不可能なのは   当然だった。
それは   日本軍が、国民全体にたいする信頼感をもつことができず、
現役兵としてきびしい訓練を経た者にしか期待できないという
日本の特殊な条件でもあったのだ。

 
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