南京事件の背景(3)軍の素質の低下
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 14:06 投稿番号: [26097 / 41162]
上海で苦戦し、南京で虐殺事件を引き起こした日本軍は、
山東出兵や満州事変のときのような 現役兵を中心とし、訓練も行き届いて
厳正な軍紀をたもった軍隊とは、すっかり異質なものにかわっていた。
日中戦争が思いもよらぬ大規模な全面戦争に拡大したこと、
しかも 一方で対ソ戦に備えなければならないという状況のもとで、
陸軍は それまでに経験したことのない規模の戦時動員を行なった。
ところが 日本の戦時動員計画は、第一次大戦を画期としてはじまった
総力戦段階に適合するものには なっていなかったのだ。
双方ともに千万人単位の大軍を動員した第一次大戦は、それまでの
常備軍中心の戦争とは まったく異なる性質の戦争となっていた。
戦後の先進各国とも、その経験にもとづいて、
戦時には膨大な大衆軍を編成できるような準備を すすめていた。
常備軍の性格は、戦時に編成する大衆軍の基幹部分を整備しておくものに
変わっていた。
それは 戦時にさいして、一般国民を大量に招集して軍隊を編成しても、
十分に有効であるという、国民にたいする信頼が前提になっていたからだ。
しかし 日本の軍部は、一般国民を有能な軍人として信頼できなかった。
というより、戦時に大衆軍を創出するという 総力戦の構想を、
十分に理解してはいなかった。
だから 第一次大戦後の戦時動員計画も、依然として日清・日露戦争の
時代と同じように、常備軍を主体とする考え方に立っていた。
大量動員の場合も、あくまで既教育兵を中心とするように計画してあった。
このため 動員部隊は、年齢の高い予後備兵が 主力を占めるものと
ならざるを得なかった。
また 陸軍は、日中戦争が拡大しても、対ソ戦第一主義を変えず、
ソ連戦に備えて 満州と朝鮮北部の常設師団はそのままにしておいた。
そのため中国戦線へは、近衛師団と北海道の第七師団をのぞく
すべての内地の常設師団を 動員のうえで派遣することになった。
ところが、華北の戦線の拡大、上海での苦戦など、
予想外の事態が進展したために、つぎつぎと 特設師団まで動員して、
これを第一線に投入せざるを得なくなったのだ。
開戦後1年を経た38年8月、陸軍省は動員部隊の
兵の役種区分調査をおこなっている。
その報告のうち、中国戦場にある常設5個師団、特設5個師団の分が、
陸軍省陸支密大日記に残されている。
(出典:昭和13年8月1日陸支密第2836号 動員部隊ニ属スル兵ノ
役種区分調査ノ件 『陸支密大日記』 防衛研究所図書館所蔵文書)
これによると、損耗の程度、補充の回数や その他の理由によって、
各師団が かならずしも同一ではない。
だが 大雑把にいえば、常設師団では現役兵3割、予備兵4割、
後備兵と補充兵をあわせて3割、つまり 予備兵がもっとも多く、
現役兵と予備兵とが おもな割合となっている。
これに対して 特設師団の場合は、後備兵が5〜6割と圧倒的に多く、
これに予備兵と補充兵がくわわっている。
山東出兵や満州事変のときのような 現役兵を中心とし、訓練も行き届いて
厳正な軍紀をたもった軍隊とは、すっかり異質なものにかわっていた。
日中戦争が思いもよらぬ大規模な全面戦争に拡大したこと、
しかも 一方で対ソ戦に備えなければならないという状況のもとで、
陸軍は それまでに経験したことのない規模の戦時動員を行なった。
ところが 日本の戦時動員計画は、第一次大戦を画期としてはじまった
総力戦段階に適合するものには なっていなかったのだ。
双方ともに千万人単位の大軍を動員した第一次大戦は、それまでの
常備軍中心の戦争とは まったく異なる性質の戦争となっていた。
戦後の先進各国とも、その経験にもとづいて、
戦時には膨大な大衆軍を編成できるような準備を すすめていた。
常備軍の性格は、戦時に編成する大衆軍の基幹部分を整備しておくものに
変わっていた。
それは 戦時にさいして、一般国民を大量に招集して軍隊を編成しても、
十分に有効であるという、国民にたいする信頼が前提になっていたからだ。
しかし 日本の軍部は、一般国民を有能な軍人として信頼できなかった。
というより、戦時に大衆軍を創出するという 総力戦の構想を、
十分に理解してはいなかった。
だから 第一次大戦後の戦時動員計画も、依然として日清・日露戦争の
時代と同じように、常備軍を主体とする考え方に立っていた。
大量動員の場合も、あくまで既教育兵を中心とするように計画してあった。
このため 動員部隊は、年齢の高い予後備兵が 主力を占めるものと
ならざるを得なかった。
また 陸軍は、日中戦争が拡大しても、対ソ戦第一主義を変えず、
ソ連戦に備えて 満州と朝鮮北部の常設師団はそのままにしておいた。
そのため中国戦線へは、近衛師団と北海道の第七師団をのぞく
すべての内地の常設師団を 動員のうえで派遣することになった。
ところが、華北の戦線の拡大、上海での苦戦など、
予想外の事態が進展したために、つぎつぎと 特設師団まで動員して、
これを第一線に投入せざるを得なくなったのだ。
開戦後1年を経た38年8月、陸軍省は動員部隊の
兵の役種区分調査をおこなっている。
その報告のうち、中国戦場にある常設5個師団、特設5個師団の分が、
陸軍省陸支密大日記に残されている。
(出典:昭和13年8月1日陸支密第2836号 動員部隊ニ属スル兵ノ
役種区分調査ノ件 『陸支密大日記』 防衛研究所図書館所蔵文書)
これによると、損耗の程度、補充の回数や その他の理由によって、
各師団が かならずしも同一ではない。
だが 大雑把にいえば、常設師団では現役兵3割、予備兵4割、
後備兵と補充兵をあわせて3割、つまり 予備兵がもっとも多く、
現役兵と予備兵とが おもな割合となっている。
これに対して 特設師団の場合は、後備兵が5〜6割と圧倒的に多く、
これに予備兵と補充兵がくわわっている。
これは メッセージ 26084 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.