南京で日本兵は何を見たのか (9)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/17 19:31 投稿番号: [26056 / 41162]
武装を解除したうえで
一旦は収容した捕虜を、
裁判にもかけず、大量に 次々と殺害した行為は、
人道的にも 国際法上からも、許されざる犯罪にほかならない。
そのうえに多発した 一般市民への残虐行為、掠奪や強姦等は、
日本軍自身も 頭を悩ませるほどに 頻発、拡大していた。
ごく少数の憲兵だけで、各地で多発する犯罪の取り締まりは
ほとんど不可能に近かったと思われるが、
それでも目にあまるものは 軍法会議にかけられた。
もちろん それは、「九牛の一毛」に過ぎないが、
「第十軍法務部陣中日誌」には、次の数字が あげられている。
1938年2月18日調べの第十軍の被告事件一覧表では、
既決事件102人中 強姦22人、殺人27人、強盗殺人2人、
傷害致死2人など、未決16人中 強姦2人、殺人1人 となっている。
(出典:『続現代史資料・軍事警察』みすず書房 1982年、218頁)
これら摘発された犯罪行為が 氷山の一角であることは、
次に引用する通牒によって、容易に うかがい知ることができる。
これは、第十軍が南京攻略後に、杭州攻略に向かう際、同軍参謀長が
12月20日付で麾下諸部隊に発したものだ。
掠奪婦女暴行放火等ノ厳禁ニ関シテハ屢次訓示セラレタル所ナルモ、
本次南京攻略ノ実績ニ徴スルニ婦女暴行ノミニテモ 百余件ニ上ル
忌ムベキ事態ヲ発生セルヲ以テ、重複ヲモ顧ミズ注意スル所アラントス
つまり、何度も注意を繰り返しているのに、同軍だけで、
しかも 婦女暴行だけに限っても、100件以上も 発生した、
と述べているのだ。
じつは、松井方面軍司令官自身も、その「戦陣日記」に
掠奪、強姦について 次のように 記述している。
12月20日の項には
「一時我将兵ニヨリ少数の掠奪行為(主トシテ家具類ナリ)
強姦等モ アリシ如ク、多少ハ 已ムナキ実情ナリ」
とあり、さらに 12月26日の項には
「南京、杭州附近又掠奪、強姦ノ声ヲ聞ク」とある。
(出典:偕行社編『南京戦史資料集』、偕行社1989年、22・24頁)
最高司令官みずからが、多少の掠奪、強姦は 「やむをえない」という
認識だったのであるから、将兵が人権意識に欠けるのは当然だろう。
もちろん、「多少の」件数であっても、掠奪や強姦は 犯罪行為であるし、
しかも、松井司令官の耳に入った犯罪件数の 何十倍、何百倍もの
発生があった、というのが 実態だったのだ。
南京攻略の翌38年8月に、武漢攻略戦のために 第十一軍司令官として
赴任した 岡村寧次中将は、その回想録に 次のように書いている。
(出典:『岡村寧次大将資料・上』原書房 1970年、291頁)
上海に上陸して1、2日の間、先遣の宮崎参謀、中支那派遣軍特務部長
原田少将、杭州特務機関長荻原少佐等から聴取したところを総合すれば
次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは
事実である。
一、第一線部隊は給養を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
裁判にもかけず、大量に 次々と殺害した行為は、
人道的にも 国際法上からも、許されざる犯罪にほかならない。
そのうえに多発した 一般市民への残虐行為、掠奪や強姦等は、
日本軍自身も 頭を悩ませるほどに 頻発、拡大していた。
ごく少数の憲兵だけで、各地で多発する犯罪の取り締まりは
ほとんど不可能に近かったと思われるが、
それでも目にあまるものは 軍法会議にかけられた。
もちろん それは、「九牛の一毛」に過ぎないが、
「第十軍法務部陣中日誌」には、次の数字が あげられている。
1938年2月18日調べの第十軍の被告事件一覧表では、
既決事件102人中 強姦22人、殺人27人、強盗殺人2人、
傷害致死2人など、未決16人中 強姦2人、殺人1人 となっている。
(出典:『続現代史資料・軍事警察』みすず書房 1982年、218頁)
これら摘発された犯罪行為が 氷山の一角であることは、
次に引用する通牒によって、容易に うかがい知ることができる。
これは、第十軍が南京攻略後に、杭州攻略に向かう際、同軍参謀長が
12月20日付で麾下諸部隊に発したものだ。
掠奪婦女暴行放火等ノ厳禁ニ関シテハ屢次訓示セラレタル所ナルモ、
本次南京攻略ノ実績ニ徴スルニ婦女暴行ノミニテモ 百余件ニ上ル
忌ムベキ事態ヲ発生セルヲ以テ、重複ヲモ顧ミズ注意スル所アラントス
つまり、何度も注意を繰り返しているのに、同軍だけで、
しかも 婦女暴行だけに限っても、100件以上も 発生した、
と述べているのだ。
じつは、松井方面軍司令官自身も、その「戦陣日記」に
掠奪、強姦について 次のように 記述している。
12月20日の項には
「一時我将兵ニヨリ少数の掠奪行為(主トシテ家具類ナリ)
強姦等モ アリシ如ク、多少ハ 已ムナキ実情ナリ」
とあり、さらに 12月26日の項には
「南京、杭州附近又掠奪、強姦ノ声ヲ聞ク」とある。
(出典:偕行社編『南京戦史資料集』、偕行社1989年、22・24頁)
最高司令官みずからが、多少の掠奪、強姦は 「やむをえない」という
認識だったのであるから、将兵が人権意識に欠けるのは当然だろう。
もちろん、「多少の」件数であっても、掠奪や強姦は 犯罪行為であるし、
しかも、松井司令官の耳に入った犯罪件数の 何十倍、何百倍もの
発生があった、というのが 実態だったのだ。
南京攻略の翌38年8月に、武漢攻略戦のために 第十一軍司令官として
赴任した 岡村寧次中将は、その回想録に 次のように書いている。
(出典:『岡村寧次大将資料・上』原書房 1970年、291頁)
上海に上陸して1、2日の間、先遣の宮崎参謀、中支那派遣軍特務部長
原田少将、杭州特務機関長荻原少佐等から聴取したところを総合すれば
次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは
事実である。
一、第一線部隊は給養を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
これは メッセージ 26043 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.