南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

南京で日本兵は何を見たのか (13)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/20 08:12 投稿番号: [26074 / 41162]
「南京アトロシティーズ」(南京残虐行為)と世界から呼ばれる事件は
日本政府自身も   「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、
多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」
(外務省ホームページ)として、その事実を公式に認めている。
現在では、事件の存在そのものを否定するのは   狂信的な馬鹿ウヨか、
または   確信犯的な政治勢力しか残っていない、というのが   現状だ。

そこで   苦し紛れに登場してきたのは、事件そのものは認めざるを得ないが
犠牲者の数は少ないのだから   「大虐殺」ではない、という   少数説だ。
この少数説には、故意に   いくつもの事実を曲げた前提がある。
まず第1に、犠牲者数をなるべく少なくするために、南京攻略戦の期間と
範囲を   なるべく狭く   限定していることにある。

たとえば   藤岡信勝「『南京大虐殺三十万』のウソ」などでは
期間を   12月13日の南京占領と   その直後だけに限定し、
範囲を   南京城内だけに限定して論じている。
実際の中国側の南京防衛線は、城内をはるかに超えた広域だった。
事実、第一段の防衛線として   太湖東方の福山、呉県の線、
第二段の防衛線として太湖につらなる江陰、無錫の線に布陣されており、
さらに南京の直接防衛線として   栖霞山、淳化鎮、秣陵関の線が外郭陣地、
紫金山、雨花台の線に複郭陣地が構築され、これが南京攻防戦の範囲だ。

期間については   12月1日大本営の南京攻略命令発出の際の
太湖西方の線から南京攻略にいたる戦闘であり、
12月13日よりも   はるかに以前からを捉えなければならない。
南京戦の範囲も、もちろん   南京城内に限定されるものではない。
中国の行政区は   市の下に県があり、
行政区としての南京市は、市部と近郊6県を含んでいる。
南京戦が始まる前の   南京の城市部の人口は   100万人をこえ、
さらに   近郊県部の人口は   130万以上だった。

少数説を唱える者のなかには、南京の人口は約20万であった、
だから30万人虐殺などあり得ない、逆に南京戦直後には人口が増えた、
などと大マヌケな主張をくり返すものもあるが、これは事実の歪曲だ。
戦闘前の南京城内の人口が20万であっても、
南京市全体の人口は、それを遥かに上回るものであったし、
包囲作戦をとった日本軍に追われて   周辺部の住民が城内に逃げ込み、
結果、一時的に   城内の人口が膨れ上がった   というのが実情だった。

さらに、少数説には、南京防衛軍の兵力が   たった5万人に過ぎなかった
などという主張もあるが、これは何の根拠もない話だ。
最近の研究では、防衛軍の兵力は   ほぼ15万人と考えられている
(笠原十九司「南京防衛戦と中国軍」など参考)のであり、
5万という数字は、城内に逃げ込んだ敗残兵の推定人数に過ぎない。

実際の虐殺は、周辺農村部も含め南京市内全域で行なわれたものであり、
その犠牲者数が   膨大なものであったことは   否定できない。
ところが   南京虐殺否定派は、期間と範囲を   ことさらに狭くし、
そのうえで南京市の人口や防衛軍の兵力を極力小さく見積もることで、
犠牲者は少数だから大虐殺ではない、と見苦しく言い訳しているのだ。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)