南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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南京事件の背景(2)非合理的な精神主義

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 01:58 投稿番号: [26084 / 41162]
第二の日本軍隊の特徴は、非合理的な精神主義の強調にあった。
鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争では   農民を主体とした長州軍が、
古色蒼然たる武士の軍団を、各地で撃破し、壊滅に追い込んでいった。
「命を惜しむな名を惜しめ」という武士道にたいし、
危ないときはさっさと逃げよ、と命ずる   村医者出身の指揮官が率いる
近代軍が、完全勝利したのだ。
その指揮官こそ、合理主義が着物をきて歩くような人物、大村益次郎だ。

しかし、彼は   維新後まもなく   旧守派の「武士」によって暗殺される。
その後の日本の軍隊には、彼が叩き潰したはずの武士道が、受け継がれた。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という死生観、死の覚悟に徹する
という武士道精神が   日本帝国軍人には   求められた。
兵士の生命は   鴻毛よりも軽いものだとの自覚が強要された。
“天皇の軍隊”という位置づけが   強まるにしたがって、
精神力がいっそう強調され、天皇のために死ぬことが、国民として、
軍人として、最高の美徳とされるようになっていった。

このことは、軍隊教育だけでなく、国民教育としても強調された。
こうした精神主義のいきつくところは、日本軍人は死ぬまでたたかうべきだ
として、捕虜となることは   最大の恥辱だとする思想を生みだした。
大村が   蔑み、排除したはずの、無意味な、というよりも   軍略上有害な
人命軽視の特攻精神、自己犠牲を崇高と讃える靖国精神の   発現となる。
この傾向は、昭和期になって   いっそう顕著になっていく。

それは   大正後半期以降の自由主義的風潮や社会運動の昂揚にともなって
兵士の「思想悪化」が懸念されるようになったこと、
中国の民族運動が高まり、日清・日露戦争で日本が獲得した大陸における
権益にたいする回収運動が高まったこと、国内からも軍縮の声が出たり、
一方では軍備の近代化が   はかばかしく進まないこと   などによって、
軍内部に危機意識が強くなったことにも   よるものだった。

そうした危機感から、精神主義は   ますます強調され、
天皇のために死ぬことが軍人の本分だということが、
神がかり的に   叫ばれるようになった。
「皇軍」「皇道」という言葉が   さかんに使われるようになるのも
この頃からだった。
死ぬことが立派で栄誉ならば、逆に   捕虜になって生きて還ることは
恥ずかしいこと、屈辱であり「おめおめと生き残った卑怯者」になる。

1932年   第一次上海事変で、重傷を負ったため中国側に収容された、
歩兵第七聯隊の少佐が、停戦後に送還された後に自殺した事件は、
捕虜になった将校は   必ず自決すべきという前例となった。
1939年のノモンハン事件で、捕虜交換で戻ってきた者も、
将校は自決を強要され、下士官以下は軍法会議にかけられたのだ。
精神主義と捕虜の否定は、太平洋戦争期になって   いっそう極端になった。
くり返された玉砕(=全滅)の悲劇は、その行き着いた先である。
また   自軍の捕虜を認めないぐらいだから、相手国の捕虜を侮蔑し、
処遇が苛酷なものとなったことは、必然だったと言えるだろう。
 
 
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