南京事件の背景(6)指揮官と幕僚の変質
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/21 15:31 投稿番号: [26100 / 41162]
南京大虐殺の中でも、捕虜の集団殺害と便衣兵の「処刑」は、
軍や師団の命令によっておこなわれたものだった。
そして 国際法を無視して、捕虜の殺害を命令したり、
裁判にもかけずに「便衣兵」の処刑を指示したことについて、
高級指揮官と その幕僚が 責任を負わなければならない。
そもそも南京攻略戦そのものが、兵站や補給を無視し、敵国の首都への
一番乗りを争った猪突猛進主義の 無謀な作戦だった。
糧食はすべて徴発によるという この作戦が、掠奪暴行の原因になった。
兵站、補給を軽視して戦力を失わせるという日本軍の悪弊は、この後も
東南アジアや太平洋での戦闘でも 改まることはなく、戦死者数よりも
餓死者や病死者のほうが多いという、とても近代軍とは思えないような
類例のない惨状を 生み出すことになってしまう。
大量の捕虜が発生したとき、給養の面で行き詰ったのは 当然だった。
予想以上の捕虜をかかえ お手上げ状態となり、短絡的に「処分」に
走ったことも問題がある。そのとき、日本軍の指揮官や幕僚には、
国際法や人道という観念は、まったく 失っていたのだ。
積極果断をむねとし、合理的配慮を欠いた実行力をたっとび、
国際法や人道を無視する戦闘第一主義におちいった指揮官や幕僚が
なぜ生み出されたのだろうか、それは 日本陸軍における幹部補充制度と
その教育内容によるところが大きい。
前述したとおり、陸軍現役将校の補充は、基本的には 陸軍士官学校の
卒業生によったが、その数は大正中期から減少し、人事配置の面では
きわめてアンバランスな状態におちいっていた。
それに加えて、注目すべきは、陸軍幼年学校の存在だ。
幼年学校という名称は、明治維新直後から存在し、士官学校の予備教育
として語学教育を行なうことから始まったが、その後 将校養成教育として
軍のエリートを育てるための機関となり、実際、その出身者は
参謀や高級幹部にすすむことが 多くなっていった。
この幼年学校出身者は、少年時代から特殊なエリート教育の結果、
偏狭、独断で自尊心が強く、積極果断な実行力を信条とし、
それが軍を誤らせた・・・・ということを、
自身も幼年学校出身であった 松下芳男が「幼年学校の功罪」として
論じている。(『明治軍制史論 下巻』有斐閣 1956年、455頁)
また、「陸軍の反省」を著した加登川幸太郎も この説に賛成しており、
日本軍の精神主義が 「陸軍のエリート将校たちの、唯我独尊、無軌道、
戦場での硬直した考え方の原動力」だった としている。
日本軍の幕僚層の性格や国際感覚の実情を示すものとしては、
第十軍司令部が作成した意見書などがある。
これは、防衛研究所図書館に所蔵されている
昭和十三年陸支密受5267号「陸支密大日記」に含まれる丁集団参謀部
『南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得サル場合ノ攻略案』だが、そこでは
「本攻撃ニ於テハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要」と述べ、
毒ガスのイペリット弾を空爆に用いることを促しているのだ。
当時、すでに 毒ガスを含む化学兵器は、非人道的殺戮兵器として
国際的に使用が禁じられていたにも関わらず、それを市街地への攻撃に
使用する計画まで立てていたことになる。
こうした 日本軍幹部の 国際法にも人道にも無関心な態度が、
大虐殺の背景に存在していたといえるだろう。
軍や師団の命令によっておこなわれたものだった。
そして 国際法を無視して、捕虜の殺害を命令したり、
裁判にもかけずに「便衣兵」の処刑を指示したことについて、
高級指揮官と その幕僚が 責任を負わなければならない。
そもそも南京攻略戦そのものが、兵站や補給を無視し、敵国の首都への
一番乗りを争った猪突猛進主義の 無謀な作戦だった。
糧食はすべて徴発によるという この作戦が、掠奪暴行の原因になった。
兵站、補給を軽視して戦力を失わせるという日本軍の悪弊は、この後も
東南アジアや太平洋での戦闘でも 改まることはなく、戦死者数よりも
餓死者や病死者のほうが多いという、とても近代軍とは思えないような
類例のない惨状を 生み出すことになってしまう。
大量の捕虜が発生したとき、給養の面で行き詰ったのは 当然だった。
予想以上の捕虜をかかえ お手上げ状態となり、短絡的に「処分」に
走ったことも問題がある。そのとき、日本軍の指揮官や幕僚には、
国際法や人道という観念は、まったく 失っていたのだ。
積極果断をむねとし、合理的配慮を欠いた実行力をたっとび、
国際法や人道を無視する戦闘第一主義におちいった指揮官や幕僚が
なぜ生み出されたのだろうか、それは 日本陸軍における幹部補充制度と
その教育内容によるところが大きい。
前述したとおり、陸軍現役将校の補充は、基本的には 陸軍士官学校の
卒業生によったが、その数は大正中期から減少し、人事配置の面では
きわめてアンバランスな状態におちいっていた。
それに加えて、注目すべきは、陸軍幼年学校の存在だ。
幼年学校という名称は、明治維新直後から存在し、士官学校の予備教育
として語学教育を行なうことから始まったが、その後 将校養成教育として
軍のエリートを育てるための機関となり、実際、その出身者は
参謀や高級幹部にすすむことが 多くなっていった。
この幼年学校出身者は、少年時代から特殊なエリート教育の結果、
偏狭、独断で自尊心が強く、積極果断な実行力を信条とし、
それが軍を誤らせた・・・・ということを、
自身も幼年学校出身であった 松下芳男が「幼年学校の功罪」として
論じている。(『明治軍制史論 下巻』有斐閣 1956年、455頁)
また、「陸軍の反省」を著した加登川幸太郎も この説に賛成しており、
日本軍の精神主義が 「陸軍のエリート将校たちの、唯我独尊、無軌道、
戦場での硬直した考え方の原動力」だった としている。
日本軍の幕僚層の性格や国際感覚の実情を示すものとしては、
第十軍司令部が作成した意見書などがある。
これは、防衛研究所図書館に所蔵されている
昭和十三年陸支密受5267号「陸支密大日記」に含まれる丁集団参謀部
『南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得サル場合ノ攻略案』だが、そこでは
「本攻撃ニ於テハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要」と述べ、
毒ガスのイペリット弾を空爆に用いることを促しているのだ。
当時、すでに 毒ガスを含む化学兵器は、非人道的殺戮兵器として
国際的に使用が禁じられていたにも関わらず、それを市街地への攻撃に
使用する計画まで立てていたことになる。
こうした 日本軍幹部の 国際法にも人道にも無関心な態度が、
大虐殺の背景に存在していたといえるだろう。
これは メッセージ 26099 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.