紫陽花亭日乗

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提婆達多 ②

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/13 20:24 投稿番号: [79 / 735]
臥榻に身を横たえ、七転八倒しながら、
シッタルタへの復讐の念を燃やす提婆達多。

シッタルタをいたぶり殺して、自分も死ぬか ?
いや、そんなことをして何になる。

この屈辱に対する唯一の最もふさわしい報復手段は、
勝ち誇って有頂天になっているシッタルタから、女を奪いとることだ。

提婆達多はヤショダラに対し、性の相違から来る牽引のほか、
何の魅力も感じるところはなかったにもかかわらず。

今、提婆達多は、ほかのものに食わせまいとしては、
己の吐いた物を食いもどす犬であった。


シッタルタとヤショダラの婚礼がとり行われ、国中が喜びに沸いた。

提婆達多は、あれほど好きだった狩猟も武術もやめた。
そしてそれらを磨く目的であった女漁りさえもふつりとやめた。
ひたすら形而上学の研鑽に没頭した。シッタルタの家出を指嗾するために。

そして今や、シッタルタの無二の親友となり、常に行動をともにした。
本心をおしかくし、驚くべき隠忍自重をもって新婚のシッタルタの
よき話し相手となった。

そのようななかで、提婆達多の復讐の決心は石のごとくに堅牢になった。
彼の嫉妬は、交尾している仲間を嗅ぎ出した獣の醜悪な残忍な嫉妬だった。

シッタルタが新妻の愛によって、夢のような楽しい新婚生活をおくったのも
つかのまのこと、再び例の如くの憂鬱と思索の毎日にもどった。

そんなシッタルタの唯一無二の理解者・同情者・助長者・伴侶は、
提婆達多だった。
提婆達多とシッタルタは、手と手を取り合い、
常に昼も夜も行動をともにし、言葉をかわした。

ヤショダラはさみしかった。

提婆達多は、己の遠大なる姦計の次第に成就するを見てとり、
ひそかに舌を吐いた。

かくのごとくにして、提婆達多にとっては苦しい試練の、冒険の、
シッタルタにとっては光明の探求の10年が過ぎた。


ヤショダラが妊娠した。
提婆達多にとっては、新たなる痛撃であった。



つづく

2345

提婆達多 ①

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/13 20:18 投稿番号: [78 / 735]
釈迦族の王・首図駄那王が統治するカピラバストゥーで、
今しもある一大イベントが行われようとしていた。

同じ釈迦族の一支流である拘利(コーリ)族のスプラブッドハ王が、
目に入れてもいたくないほど可愛がっている王女ヤショダラを伴って、
このカピラバストゥーに乗りこんで来たのだ。

それは、愛娘ヤショダラの婿選びのためだとは、
当然、上下を問わず誰しもが想像しうることだった。


はじめ、提婆達多はヤショダラを見て「鴎」のようであるとして落胆した。
彼は勝手に孔雀のような乙女を想像していたのだ。

嘗て提婆達多の手に落ちない娘はいなかった。
ヤショダラは彼の食指を動かすに足る娘ではなかった。


ヤショダラの配偶者の座をかけた競技は剣の試合でっあった。
これにはスットーダナ王の皇太子である悉達多(シッタルタ)はもとより、
釈迦一族の高貴な王子たちがみな参加した。
シッタルタと提婆達多は従兄弟の関係にあたる。
シッタルタは後の仏陀である。

その勝抜き戦に、提婆達多は難なく勝利した。
シッタルタはからくも勝抜いて漸く最後の二人に残ることができた。
ヤショダラという賭物を得んと戦うは、シッタルタと提婆達多と。

決勝戦において、シッタルタは提婆達多の敵ではなかった。
シュットーダナ王もシッタルタに期待をかけなかった。

提婆達多はわざとシッタルタに先取点を与えた。
それは提婆達多が自身の勝利を信じて豪も疑わない余裕から出た行動であった。
次は提婆達多が難なく勝った。
決勝の一点。提婆達多の心に雑念が湧いた、
その一瞬の隙に乗じたシッタルタの剣が提婆達多の肺部をずずんと突いた。
提婆達多はたじたじと後退し、もちこたえられなくなって後ろにどうと倒れた。


数々の戦において敵の心胆を寒からしめたシャカ族の重宝である強弓が、
勝利者に与えられた。

ヤショダラの乗って来た美々しく飾りたてられた白象が、勝利者に与えられた。

白象に乗って退場しかけたシッタルタは、茫然自失の提婆達多に、
これみよがしに勝ち誇って声をかけた。

「提婆達多」

提婆達多はさっと顔色を変えた。
彼の血は燃え上がった。
もともと提婆達多は、この陰気臭い、瞑想好きな、痩せて長大な、
男らしさのないシッタルタを好きではなかった。

提婆達多は、このまぐれあたりで自分に勝利した弱敵に対し、
消し難い鬱憤と憎悪を抱いた。


「シッタルタ、誇るなら誇れ、弓や象は貴様にやった。
だが女だけはこっちのものだぞ」


つづく

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中勘助  『提婆達多』

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/13 20:06 投稿番号: [77 / 735]
さて、中勘助の名が出てきました。

中勘助の『銀の匙』『提婆達多』はわたしの愛読書です。
時間をおいては忘れたころにまた読み返します。


提婆達多


提婆達多と書いて「ダイバダッタ」、
或いは経典などでは「調達・チョウダツ」。

中勘助の小説の題名は「提婆達多」と書いて
「でーばだった」とルビがふってあります。
おそらくは、これが一番もとのインドの発音に近いものと思われます。

何度か読むうちに、最初読んだときの衝撃と感動は薄れてきますが、
しかし自分自身も年齢を重ねていますので、また違った感慨が得られます。


少しこのお話がしてみたくなりました。


以下、中勘助『提婆達多』のあらすじを追っていきますが、
固有名詞については中勘助のルビの忠実な再現がしてありません。
その理由は、読みにくいからです。

たとえば、

「首図駄那王」は、この作品では、「しゆつとほーだな王」となって
いますが、わたしは「シュットーダナ王」としています。


ということで、次回よりしばらく中勘助『提婆達多』の
ダイジェスト版をUPいたします。

2341

           .

ひらがなに想像をめぐらす感性

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/13 20:01 投稿番号: [76 / 735]
7月12日付   編集手帳

  作家の中勘助は子供のころ、「を」の字が好きだった。
どこかしら女性が座った形に似ているからだという。
紙に幾つもいくつも「を」の字を書いたと、
自伝的小説『銀の匙(さじ)』で回想している

◆勘助少年に限らず、ひらがなに想像をめぐらす感性が子供には備わっている
のかも知れない。国語学者の笹原宏之さんが、きのうの本紙夕刊(東京管内)
『変幻字在』と題するコラムで「あ」の字について書いていた

◆「あじさい」と「紫陽花」から受ける印象の違いに触れた文章で、
ひらがなの花には「カタツムリがいそう」と感じる人が多いとか。
「あ」の字がカタツムリの形に見えるから
――ある小学1年生はそう話したという

◆東北北部は平年より17日早く、南部は14日早い梅雨明けである。
東北の「あ」の字たちも今年は、雨の似合うその花をおちおち楽しむ暇が
なかっただろう

◆蒸し風呂のような避難所の生活に耐えている人を思えば泣き言は
いえないが、街を歩くのにも気合を要する炎暑がつづく。
勘助少年が夢想したのとは似ても似つかぬ無粋な尻ながら、
涼しい木陰で「を」の字になりたいときもある。

(2011年7月12日01時11分 読売新聞)

================================== -

★ハ行音は、やわらかい印象なのだそうです。

やわらか

やはらか

「やはらか」と表記したほうが、ずっとやわらかい感じがします。

くれなゐの二尺のびたるばらの芽の針やはらかに春雨の降る     子規

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獄中口占     汪兆銘(精衛)

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/13 00:19 投稿番号: [75 / 735]
獄中口占        汪兆銘(精衛)(1883〜1944)

http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/photo/jiumeng02.htm

慷慨歌燕市       慷慨(こうがい)して   燕市に歌い
從容作楚囚       從容(しょうよう)として   楚囚と作(な)る
引刀成一快       刀を引き   一たび快を成せば
不負少年頭       負(そむ)かず   少年の頭に

燕の市で歌っていた荊軻のように 意気高らかに歌い
かの楚の囚人のように   うろたえず悠々として囚われの身となろう
刀を引き寄せて   すばやく引き抜けば
若い時代に心に誓った「壮遊」の精神に悖(もと)ることはない


★楚囚
晉侯(景公)が、たまたま楚の捕虜・鐘儀を見かけ、縄を解かせ、音楽の演奏をさせると
南方の楽を演奏した。それから「汝の国君はどんな方か」と質問すると、
「小人(わたくし)などの存じ上げることではありません」と答えた。
再三問い詰めると
「大子〔ママ〕であられた頃には、師傳の教え通りに、朝には嬰斉(令尹子重)のもとへ、
夕には側(司馬子反)のもとへ訪問にお出かけでした。その他のことは存じません」と答えた。
公がこの話を范文子にすると、文子は言った。

「楚の俘虜は君子ですね。答えに祖先の職務を挙げたのは、自己の出自を大切にするもの。
自国の楽を奏したのは、以前のことを忘れぬもの。大子時代のことを語ったのは、
(国君にへつらう)私心なき証拠。(嬰斉・側と)二人の卿を名でよんだのは、晉君を尊ぶ礼に合するもの。
出自を大切にするのは仁、以前のことを忘れぬのは信、私心なきは忠(忠実)、
(他国の)君を尊ぶのは敏(配慮)。仁によって事に対処し、信によって守り、忠実さで成就し、
配慮しつつ実行して行けば、たとえいかなる大事でも、必ず成功するものです。
どうか楚の俘虜の帰国を許し、晉・楚の和議をとりまとめさせていただきたい」

公はこれに従い、鐘儀に厚く礼を加え、帰国して和議に努力させた。


★小倉芳彦訳『春秋左氏伝』中「成公九年(582.B.C.)岩波文庫より。
だいたい原文通りですが、一部要約してあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

タイトル不明       汪兆銘(精衛)(1883〜1944)

梅花有素心       梅花   素心有り
雪月同一色       雪と月と同じく一色
照徹長夜中       照らし徹(とお)す長夜の中(うち)
遂令天下白       遂に天下をして白からしむ

梅花には汚れなき心がある     雪と月光と   同じ色
夜に咲き開けば          世界がまっ白になる


★坂田新『東海漢詩紀行』より

http://www2u.biglobe.ne.jp/~shinithi/ume/yuuki.html

====================================

★日本と中国のあいだに横たわっている大海・東支那海。

王精衛も、女<女圭>(じょあ)の化身であるという伝説の鳥・精衛のように、
木石や小石もてせいいっぱい、この海を埋めてしまおうと
努力したのかもしれません。

あざなは本名に関連づけてつけるというけれど、
なぜ彼のあざなが精衛なのか・・・

彼は名古屋で亡くなりましたが、遺体は南京郊外の梅花山に葬られました。
中国には古代より、伍子胥の故事にみられるように鞭屍文化があります。
妻は墓を暴かれることをおそれ、頑丈なコンクリートで墓を覆いましたが、
蒋介石によりダイナマイトで爆破され、死体は火葬され骨は打ち棄てられて
しまいました。
当時の支那人の考え方としては、あの世はこの世の地続きにあり、
あの世もまたこの世と同じような世界で、死体がなければ
あの世での生活はできませんから、あの世にいくことすら許さない、
完全抹殺という究極の憎悪の念があったと思われます。

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鵬  /  雲雨巫山

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/12 23:37 投稿番号: [74 / 735]
漢詩「セントレア」に

>天際展鵬翼       天の際(はて)に鵬(おお)きな翼を展(ひろ)げて<

とありました。

「鵬」は、発音も意味も「鳳」と同じです。
『莊子』の冒頭に出てくる巨大な想像上の鳥で、
この「鳳」は孔雀の姿をかたどった象形文字です。

この字の外側部分は「風」を表現しています。
風は、鳥の姿をして、四方の神の意思を伝えるためにやってくる使者
なのだそうで、そのなかでも最も神聖なのが「鳳」だそうです。

この鳳が飛ぶためには、その巨大なからだをささえるだけの厚い空気の層が
必要で、九万里も上昇するとあります。
いま、飛行機のような巨大で重い金属のかたまりがなぜ空を飛ぶのかと
不思議に思うとき、すでに古代の人がそのことにきづいていたことに
思いをはせ、驚かずにはいられません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、神農には三人の娘があった。そのうちのひとり、瑤姫の物語です。

楚の懐王とその子襄王の父子二代には、
瑤姫とのあいだに有名なロマンスがあります。
俗に「巫山の夢」「雲雨巫山」といわれている故事がそれです。
宋玉の「高唐賦」「神女賦」にうたわれています。


瑤姫もまた女<女圭>(じょあ)とおなじように美しく情熱的な少女で
あったが、年ごろになって、しかもまだ異性に愛されることの歓びを
味わわずに処女(おとめ)のままで亡くなってしまった。

ほど経て姑●山という山の中腹に、可憐な黄色い花を咲かせて実をむすんだ
一株の瑤草こそは、かの女の化身だったのである。

だからこの草の実をとって食べたものは、
誰でもきっと異性から愛されるようになるという。

ところで、若い蕾のままで散った瑤姫の運命をあわれんだ天帝は、
やがてかの女を四川省にある巫山につかわして雲雨の神に封じた。

それからというもの、かの女は朝(あした)には一片の美麗な朝雲と化して
山嶺峡谷のほとりをさまよい、暮(ゆうべ)には瀟瀟たる暮雨に変じて
山谷の間にふりそそぎ、胸中のやるせない情熱を鎮めたのである。

はるか後の世になつて――戦国時代の末に、
楚の懐王が雲夢沢(うんぼうたく・湖北省にある沢名)に遊んで、
高唐の台(うてな)に憩ったときの昼寝の夢に、
幻のようにたち現れたかの女は、燃えるような情熱で懐王と契りを結んだ。

夢さめてのち、かの女が巫山の女神であることを知った懐王は、
いとおしさにたえかねて、高唐の近くに“朝雲廟”を建て、
かの女の霊をなぐさめてやった。

不思議はそればかりではない。

のち懐王の子の襄王もまたこの地に遊んで高唐に泊ったが、
その夕(ゆうべ)、夢のなかにかの女は再びその妙なる姿を現したという。

そして父子二代にわたる妖しくも美しいこのロマンチックな情事の顛末は、
襄王のおそばにはべる宮廷詩人宋玉によって、
“高唐賦”“神女賦”二篇の賦中に書きしるされ世に伝えられた。
(いまその二賦は『文選・もんぜん』に収められる)

男女の秘めごとを、巫山の夢・巫山の雲雨とよびならわすことの
起こりがこれである。

●「瑤」の、「王へん」が「女」。姑●山(こようざん)


★駒田信二・常石茂『新十八史略』一, 河出書房新社   より

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

宋玉「高唐賦」(『文選』巻十九他)の序文に見えるのは、次のようである。

昔、楚の襄王は宋玉と雲夢の臺に遊び、そこから高唐の觀を眺めた。

觀上に横たわる雲氣を見て、宋玉は、それは「朝雲」であるといい、
来歴を次のように明かした。

昔、先王が高唐に遊び、晝寢の夢の中に現れた女と枕席を共にした。

女は「妾(わたし)は巫山の南、高丘の險阻な所に居り、
朝には朝雲となり、暮には行雨となります」と言って去った。
果たしてその通りだったので、そこに廟を立てて朝雲と號した、と。


★中鉢雅量『中國の祭祀と文學』創文社   より


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^

>可憐な黄色い花を咲かせて実をむすんだ一株の瑤草こそは、
かの女の化身だったのである。<


上記はまた『紅楼夢』のはじめのほうに出てくる「絳珠草」を連想します。
『紅楼夢』のヒロイン・林黛玉は、この絳珠草の化身です。

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精衛     顧炎武

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/12 22:55 投稿番号: [73 / 735]
神農の娘、女<女圭>(じょあ)についての伝説をご紹介しようと思います。

なお、「神農」というのは「農神」のことです。
中国では、古代、下の語が上の語を修飾する用法がありました。
たぶん、ベトナム語にその用法があると思います。
例 : 中谷・・・谷の中     越南・・・南越     人美・・・美人

========================================

精衛           顧炎武(明・1613〜1682)


精衛・・・東海に溺れ死んだ炎帝神農の娘の魂が化した伝説の鳥。
東海を埋めようとして西方崑崙山から木石を嘴にくわえて
運びつづけているという。


萬事有不平            よろずの事は平らならざる有るに
爾何空自苦            なんじは何ぞ空しくみずから苦しむ
長將一寸身            とこしえに一寸の身をもって
銜木到終古            木をふくんで終古に到るとは

我願平東海            我は東海を平らにせんと願い
身沈心不改            身は沈むとも心は改まらず
大海無平期            大海   平らなるとき無くも
我心無絶時            我が心   絶ゆる時無し

嗚呼                ああ
君不見西山銜木衆鳥多     君見ずや西山に木をふくむ衆鳥の多きを
鵲来燕去自成巣         鵲は来たり燕はゆきてみずから巣を成す


★「巣」の原字は「アナカンムリ   +   果」です。
  UPされないので変えてあります。


この世のすべてのことで平坦でないものはないのに
おまえはどうして自分から空しく苦闘しているのであろうか
いつまでもいつまでも、わずか一寸ほどの身をもって
木片を嘴に銜えては運びつづけている


わたしは、東海が平らかであることを願い
自分の身はこの東海に沈みはいたしましたが、
心が変わることはありませんでした
わたしがこれだけ努力しても、大海は何も変わってはおりませんが
わたしは、それでも自分に課したこの仕事をやりとげようと思っております


ああ
西山には、精衛のほかにも無数の鳥が木をくわえて飛んでいる
だが、カササギもツバメもみな、ただ自分の巣をつくっているだけなのだ



★「山海経(せんがいきょう)・北山経」に以下のような記述があります。

又北ニ百里曰發鳩之山其上多柘水。
有鳥焉其状如烏文首白啄赤足名曰精衛其鳴自<言交>。
是炎帝之少女名曰女<女圭>女<女圭>游于東海溺而不返故爲精衛。
常銜西山之木石以埋于東海。


又、北にニ百里。
發鳩(はっきゅう)の山という。その山にはヤマグワが多い。
鳥がいる。その容は烏に似ている。首に模様があり、嘴は白く足は赤い。
名を精衛という。その鳴き声は大きい。
これはもと炎帝の娘で名を女<女圭>といった。
東海で遊泳中に溺れかえらぬ人となった。
それで精衛(鳥の名)となった。いつも西山の木片や石ころをくわえて運び、
それで(自分を溺死させた)東海を埋めてしまおうとしている。


★目的を達成できないことがわかっていて、それでも、あくまでもやる、
という不撓不屈の精神を、
「精衛填海」「精衛銜石」「精衛銜木」などといいます。

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セントレア     坂田梔軒(しけん)

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/12 22:34 投稿番号: [72 / 735]
セントレア        坂田梔軒(しけん)(1949〜)


蒼溟成碧島       蒼き溟(うみ)は碧(みど)りの島と成る
精衛豈徒労       精衛   豈に徒労ならんや
天際展鵬翼       天の際(はて)に鵬(おお)きな翼を展(ひろ)げて
掉揺東海濤       掉揺(ふりはら)う   東海の濤(なみ)


蒼茫たる大海は、埋め立てられ、いま緑豊かな島となった。

炎帝神農の娘・女娃(じょあ)の化身である精衛が、
自分を溺死させた東海に復讐しようと、
かよわい小鳥の身で西方の崑崙山から木石を銜えては運び、
海を埋めてしまおうと投げ入れたという。
その精衛の志は、今ここに達成された。
精衛のしたことがどうして徒労であったといえるだろうか。

天高く大空の涯めがけて、巨大な翼をひろげ、飛行機が飛びたった。

その翼は、空と海の交わる一髪の水平線に、
東海の濤をふりはらうかのように飛んで行く。


★坂田新『東海漢詩紀行』

★解釈はあじさいです。

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セントレア

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/12 22:30 投稿番号: [71 / 735]
日本にB787が飛来して一週間、
昨日は急遽決定したセントレアに飛来しました!
http://blogs.yahoo.co.jp/kix_boeing787/26348593.html


部品の35%が日本製、そしてその工場は東海地区に集中しており、
セントレアはB787のふるさとです。
今回の飛来は里帰りですね。
工場関係者への機内展示も予定されていました。

一週間前、セントレアでは駐機スポットの目の前にある南側臨時駐車場が
特別開放されるということで、撮影に行きたいなと思いつつも、
すでに関空・伊丹で撮っているのでいいかなとも思ってました。

しかし!
なんと、ドリームリフターとのコラボが実現するというではないですか。
これで一気に遠征を決断しました!

ということで、昨日は駐車場のフェンスをクリアするための高い
脚立とともに、車でセントレアに向かいました。
到着は07:30だったので、大阪から向かう僕は早朝に出発しなければ
ならないためパスしました。
LCFとのコラボと、出発狙いです。
出発は18:00ですから、ゆったりとセントレアに向かいました。

途中、最近オープンした「鉄道・リニア館」に寄り道。
開館と同時の10:00に到着したのに、チケット売り場は長蛇の列!
すごい人気ですね・・

初めてリニアの実物車両を見ましたが、かっこよすぎてシビレました。(^_^
他にも新幹線車両の実車がたくさん。
新幹線は顔つきが飛行機に似ているので好きです。
この時ばかりは鉄ちゃんに変身しましたね。笑

ところで、博物館に来ていた人で、
セントレアもはしごする人はどれくらいいたんでしょうか?
みなさん考えることは同じですから、相当数いたのかな??

そして、3時ごろにセントレアに到着です。
南臨時駐車場に向かうと・・
見えてきました!B787とB747LCFが並んでいます!
早速撮影です!

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八田技師の「烏山頭ダム」世界遺産に

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/12 22:11 投稿番号: [70 / 735]
八田技師の「烏山頭ダム」世界遺産に   台湾登録求め署名7万8千人
2011.7.9 22:17     産経ニュース

  日本統治下の台湾で、日本人技師の八田與一(はった・よいち)氏
(1886〜1942年)が建設した「烏山頭(うさんとう)ダム」と
1万6千キロに及ぶ用水路「嘉南大●(=土へんに川)(たいしゅう)」
を、世界遺産に登録しようという動きが現地で広がり、約7万8千人の署名
が集まった。
しかし、台湾は国連教育科学文化機関(ユネスコ)に加盟が認められていない。
「人類の貴重な遺産なのに政治的な理由で登録できないのは残念だ」。
専門家からは、登録に向けた日本の協力を求める声もあがっている。(西見由章)

  八田氏が設計した烏山頭ダムと嘉南大●(=土へんに川)は1930年、
台湾南部に完成。干魃(かんばつ)や塩害で不毛の地だった嘉南平野を
台湾最大の穀倉地帯に変え、八田氏は「台湾農業の恩人」とされる。

  烏山頭ダムは貯水量約1億5千万トンで、当時としてはアジア最大級。
台湾大学の甘(かん)俊二名誉教授(農業土木)は「粘土と少量の
コンクリートを併用したため、生態系への影響が少ないのに頑丈」と
工法の独創性を評価。
「川をせき止めず渓流からトンネルで水を引く設計で、
土砂が堆積しにくく、半永久的に使えるダムだ」と価値を強調する。

  さらに八田氏は、貴重な水資源を生かすために灌漑(かんがい)地を
3つに分け、米とサトウキビ、雑穀の栽培をローテーションする
「3年輪作制」を確立。
台湾では戦後、八田氏らの技術をもとに灌漑技術などを発展させた。

  甘教授は今後、日本の研究者グループと協力してこうした台湾農業の
ノウハウをまとめ、国連食糧農業機関(FAO)を通じて東南アジア諸国
などに提供する方針という。
甘教授は「日本と台湾の農業技術が世界に貢献する象徴として、
ダムの世界遺産登録を進めたい」と強調する。

  ダムの登録運動は台湾の学者グループや実業家らが2009年に始め、
これまでに約7万8千人の署名が集まった。
また台湾行政院文化建設委員会が選定した世界遺産の
推薦候補地18カ所にも含まれている。

  だが、登録実現までには紆余曲折(うよきょくせつ)がありそうだ。
台湾はユネスコに未加盟のため、世界遺産は現在1カ所も登録されていない。
甘教授は「烏山頭ダムは日本がつくった遺産で、
当時の文献も日本のものだ」と話し、日本と世界遺産登録に向けた
協力作業を進めることに期待を寄せている。

  【八田與一】
石川県出身。東京帝国大を卒業後、台湾総督府内務局土木課に就職した。
2年間の調査を経て1920年、烏山頭ダムの建設を開始し、10年後に
完成した。42年に五島列島付近で乗船が米軍潜水艦に撃沈され死亡。
外代樹(とよき)夫人は敗戦後の45年9月、烏山頭ダムに身を投げて
後を追った。八田氏は台湾で中学の歴史教科書に登場し、
今年5月には功績をたたえる記念公園がダム付近に完成した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★台湾のかたがたがいつまでも忘れないでいてくださることに感謝感激です。

一昨年くらいでしたか、映画「バッテンライ」を見ました。
アニメですがなかなかよくできていました。
こういう映画こそを、夏休みなどに上映して子どもに見せたいものだと
思いました。
映画のパンフレットは、台湾の友人にお送りし、喜ばれました。

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「釣りバカ日誌」 台湾編誕生へ

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/12 22:03 投稿番号: [69 / 735]
「釣りバカ日誌」 台湾編誕生へ
7月12日 5時16分
東日本大震災を受けて、日本円で170億円余りの義援金が寄せられている
台湾の人たちへの感謝の気持ちを表そうと、人気漫画の「釣りバカ日誌」が
台湾を舞台に描かれることになり、原作者らが現地を取材に訪れました。

台湾を訪れたのは、漫画「釣りバカ日誌」の原作者のやまさき十三さんと、
漫画家の北見けんいちさんで、11日午後、台北の空港に到着しました。
2人は、鉄道で南部の高雄に移動した後、フェリーに乗って海辺の町に入り、
地元でどんな魚が取れるかを取材して写真に収めたり、
地元の若者たちと会話を交わしたりしました。

台湾では東日本大震災の後、日本円で170億円余りの義援金が寄せられて
いて、やまさきさんや北見さんらがこうした支援に対する感謝の気持ちを
表そうと、「釣りバカ日誌」を台湾を舞台に描くことになったということです。

2人は今月14日まで台湾各地を訪れて取材を行い「台湾編」のストーリー
などの構想を練るということで、ことし9月ごろからおよそ3か月にわたって
漫画雑誌に掲載する予定だということです。

北見さんは「日本は震災や原発事故によって全体的に活気がなくなっているので、
生活を楽しんでいる台湾の人たちの元気が日本に伝わるような漫画にしたい」
と話していました。

NHK

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Re: 世界各国の皆さん義援金ありがとうっ!

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/12 22:02 投稿番号: [68 / 735]
こんばんわ。

おほめにあずかり光栄ですが、

勧学院の雀は蒙求を囀る

とか申しまして(笑)。


ま、恥をかいても、掲示板の恥はかきすて

ということで、気を強くもっていきたいと思っております。


何かとご教示のほど、お願い申し上げます。

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Re: 世界各国の皆さん義援金ありがとうっ!

投稿者: nagai538jp 投稿日時: 2011/07/12 07:54 投稿番号: [67 / 735]
紫陽花さんの文章は<針針見血>、博識に最敬礼。

世界各国の皆さん義援金ありがとうっ!

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/12 00:35 投稿番号: [66 / 735]
世界各国の皆さん義援金ありがとうっ! 2011/ 7/10 22:26 [ No.68786
投稿者 :
ahoruda333

世界中に展開しているセブンイレブン店舗で、
大震災への義援金が集計されました。
世界の皆さん、どうもありがとうございました。


   国       店舗数N   募金総額M/万円   M/N/円
---------------------------------------------- -
台湾         4753     30368      63892
アメリカ・カナダ   6636     6534       9846
タイ         5962     1600       2684
香港         949     1188      12518
シンガポール     550     1127      20491
マレーシア      1235      528       4275
ハワイ         54      418      77407
メキシコ       1240      387       3121
インドネシア      27      293      108519
シモチョン      3404      74       217
フィリピン      577      30       520

http://gdash.jp/wp-content/uploads/2011/06/kihu.jpg

総額では、台湾国が他を圧倒していました。
台湾と日本の精神的な絆の深さを再確認できました。

私が意外だったのは、シモチョンが総額でなんと台湾国の約1/400、
店舗当たりではダントツの最下位の217円(台湾国の1/300)もの
大金を支援を下さったことです。
朝鮮テロ眠酒政権も、台湾国には一切お礼をしてませんでしたが、
台湾国の0.数%もの大支援をしたシモチョンの皆さんに
お礼のメッセージをしたことも納得できました。


チョンに対して支援のお礼をするということは、こういうことです。

日本人ならこれをイヤミと捉えるのですが、お礼しているヤツらが
チョンなんで、チョンはイヤミと受け取らないのでしょう。

まともな日本人ならば、チョンに対して支援のお礼をするのは、
相手に失礼だということです。

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香川照之は、どういうつもりなのだろうか

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/12 00:33 投稿番号: [65 / 735]
香川照之は、中国のプロパガンダ映画「ジョン・ラーベ」に出演した。
演じた役柄は実在の皇族である朝香宮鳩彦王。
伏見宮家出身の宮様だったが、明治天皇の8女と結婚していたため、
昭和天皇の義叔父にあたった。

この映画によると、日本軍は包囲戦で南京の降伏を促すつもりだったが、
「昭和天皇の叔父」である朝香宮殿下(中将)の命令で、捕虜を認めない
皆殺し作戦に変更された。

ところがARATAが演じる架空の少佐が捕虜を何千人も収容したところ、
朝香宮殿下(中将)は皆殺しを命じた。
松井石根大将はARATA少佐の作戦に大激怒したところ、
ARTA少佐は朝香宮中将の命令だったとカミングアウト(告げ口)する。
このあとの発言がこの映画のキモだ。

「私の甥である天皇陛下は、迅速な勝利を望んでおられます。
現代的な戦争、大日本帝国の優位を反映させます。
明日の夜明けに南京を攻撃します」

この映画は昭和天皇の叔父の発言を通じ、30万人におよぶ南京における
大虐殺は昭和天皇の意思・命令だったと暗に主張している。
日本と中国は交戦中であり、人が一人も死なないはずはない。
しかし南京入城時、大規模な虐殺があったかどうかは、きわめて疑問が多い。

少なくとも朝香宮殿下が中心になって大虐殺を行ったなどという事実は、
どんな資料にも見当たらない。
とんでもない濡れ衣である。冤罪である。
香川照之は冤罪に加担した。加担どころの話じゃない。
香川照之は冤罪の首謀者だ。

香川照之はこの映画の「功績」が認められ、2009年4月28日、
中国の北京で第1回ジョン・ラーベ賞を受賞した。
授賞式はドイツではなく、なぜか北京だった。
香川はこの映画の出演で、さぞや莫大な財産を築いたのだろう。
http://www.john-rabe.de/german/News/Kagawa_Award.pdf

香川照之は「日本国」「日本民族」「天皇家」「日本国民」「日本の歴史」
に対する反逆者だ。逆賊だ。
フィルムは永久に残り、香川照之は逆賊としての汚名を永久に払拭できない。

香川照之は日本人に何の恨みがあるのだろう?
朝香宮殿下に何の恨みがあるのだろう?

実在の人物を演じる場合、役者はその人物の墓前で墓参りするというが、
香川照之は朝香宮殿下の墓前にいったのだろうか?


http://www.youtube.com/watch?v=IyWZcNqZyYM&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=PS6CGo7W_y0&feature=related


■元警視庁通訳捜査官、坂東忠信の公式ブログ
http://taiyou.bandoutadanobu.com/?eid=1202681

さて、1949年に毛沢東が南京市の雨花台に立てた
「雨花台烈士稜園」には、南京虐殺の記念碑があります。

これには、毛沢東の揮毫で、む「死難烈士万歳(死せる烈士万歳)」
の文字とともに、
「国民党政府在雨花台曽経屠殺了三十万共産党烈士」
と書かれているのです。

これは翻訳すると、
「国民党政府は雨花台において、かつて30万人の共産党烈士を虐殺した」
という意味です。

南京虐殺はとんでもない歴史の捏造です。
人類史上これほどでかいウソはそうざらにはありません。
しかしそんな行き当たりばったりのウソにだまされる私たちも、
人類史上未曾有の大間抜け民族。

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現職僅差でリード 台湾民意調査

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/12 00:16 投稿番号: [64 / 735]
現職僅差でリード   台湾民意調査
2011.7.11 19:11     産経ニュース

  来年1月の台湾総統選で再選を目指す与党・中国国民党主席の馬英九総統
(60)が、政権奪還を目指す野党・民主進歩党の候補者、
蔡英文主席(54)を支持率で数ポイントリードしていることが11日、
各種世論調査で明らかになった。

  すでに与野党間では、馬政権が推進した中国との関係改善による経済効果など
をめぐり舌戦が展開されているが、都市部や財界、農村などによって反応は多様。
民進党は、副総統候補の選定に難航するなど、出遅れもあり、
今後の動向が注目されている。

  一方、蔡主席の支持を表明する李登輝元総統(88)が、外交機密費を
流用したとして起訴されたことに関する一部調査では、「野党に有利」が
「与党に有利」を上回ったものの、大多数は「影響なし」とみている。
(台北   吉村剛史)

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日本統治時代の集落セット一般公開台湾

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/11 21:40 投稿番号: [63 / 735]
日本統治時代の集落セットを一般公開へ   台湾
2011.7.8 18:09     産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110708/chn11070818120003-n1.htm
クリックして拡大する(写真をご覧ください)

映画撮影用に再現された日本統治時代の霧社の町並み。
一般公開へ向けて準備がはじまった(吉村剛史撮影)

  日本統治時代の1930年、台湾中部で発生した先住民の武装蜂起
「霧社事件」が台湾で映画化された。9月上旬の封切りに合わせて、台北郊外
に再現された日本人集落のオープンセットも一般公開されることになった。

  映画は日台の絆を描きヒットした「海角七号」の魏徳聖監督の最新作
「賽紱克・巴莱」(セデック・バレ)。
先住民のタイヤル(セデック)族が不当な扱いに反発し、警察や学校などを
襲撃して日本人130人以上を殺害、日本軍の武力鎮圧で千人以上が
自殺するなどした事件が題材となっている。
タイヤル族の血をひく台湾人女優、ビビアン・スーさんらも出演しており、
日台の衝突の描き方が注目されている。

  約110メートルに及ぶ街道には舞台となった警察分室や公学校をはじめ、
郵便局や旅館、商店、武徳殿などが、細部にわたり当時の雰囲気で再現
されている。セットを整備中の新北市では
「話題作だけに多くの観光客の来場に期待しています」と話している。
(台北   吉村剛史)

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Re: 台湾歌謡 「緑島小夜曲」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/11 00:20 投稿番号: [62 / 735]
★同じ曲ですが、こちらはたぶんビン南語じゃないかと思います。
(ビンは、門のなかに虫)
歌詞がコメント欄にありましたので、ざっと訳をつけてみました。
間違えていたらごめんなさい。


荷花千朶水裡開     洗劍麗
http://www.youtube.com/watch?v=ce47U8Fll4E&feature=related


荷花千朶水裹開       千朶万朶の蓮の花   水のなかで咲いた
風過池塘搖呀搖       風吹いて   池の水がゆらゆらゆらめく
落葉呀擺動舞腰       落ち葉がゆらゆらフラダンス
笑迎人在飄呀飄       人に向かってにこやかにひらひらゆらゆら
飄飄盪盪晩風吹       くすぐったいような宵の風
風吹送月呀宵        吹く風が月をおくりだしたよ   今宵
青春的採花小姑娘      花を摘むういういしい娘さん
池中驟●相輕笑       池のなか櫂をすすめてほほえむ
花一般樣貌         花のかんばせ
長得愈來愈嬌        いよよあでやか
幾多少年競逐        どれほどの若者がきそいあったことか
春之火正在燃燒       青春の炎   いままさに燃えさかる
醉心熱戀          心酔わせる恋のまっただなか
牽起了一片浪潮       ひきおこすひと波乱
小姑娘           娘さんよ
有青春有姿色        若いうちがはななのよ
卻不輕抛一笑        でも   ほほえみの安売りはしないでね


●   「將」の字の下に「木」    ショウ

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台湾歌謡 「緑島小夜曲」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/10 23:51 投稿番号: [61 / 735]
䖝島小夜曲         作詞:潘英傑   作曲:周藍萍
緑の島のセレナーデ

這䖝島像一隻船
在月夜裡搖<ロ阿>搖
姑娘<ロ約>   イ尓也在我的心海裡飄呀飄
讓我的歌聲隨那微風
吹開了イ尓的窗簾
讓我的衷情隨那流水
不斷的向イ尓傾訴
椰子樹的長影
掩不住我的情意
明媚的月光
更照亮了我的心
這䖝島的夜   已經這樣沈靜
姑娘<ロ約>   イ尓為什麼還是默默無語

     
緑の島は舟のよう
月の光にゆらゆら揺れる
恋人よ   君も僕の心の中でゆらゆら揺れる
僕の歌声   そよ風に運ばせて
君の窓辺のカーテンを開けさせるのさ
僕の真心   流れる水に運ばせて
想いのたけを語らせるのさ
椰子の木の長い影だって
僕の胸のうちはかくせない
明るい月の光なら
なおさらに   僕の心を照らし出す
今宵この緑の島はすでにひそやか
恋人よ   君はどうして黙ったままなのさ


訳はあじさい。(以下リフレイン)

椰子樹的長影    掩不住我的情意
明媚的月光     更照亮了我的心
這䖝島的夜     已經這樣沈靜
姑娘<ロ約>     イ尓為什麼還是默默無語


台灣夜色和䖝島小夜曲
http://www.youtube.com/watch?v=Fh-KhSDuLsg&feature=related


★緑島は、さつまいもみたいな台湾島の太平洋側のまんなかあたりに
浮かんでいる小さな島です。昔、流刑地だったそうですね。

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Re: 台湾旅行記 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/10 23:27 投稿番号: [60 / 735]
こんばんは。はじめまして。
ロムしてくださいまして、有難うございます。

以前から文学トピに投稿していたものが、
もう今では何がどこにあるかわからなくなってぐちゃぐちゃの状態ですので、
新しくトピを作って整理してみたいと思いました。
自分のノートを公開して、興味のあるかたにロムしていただけたらと思いまして。

わたしがうら若き女性だったのはすでに遠いあの日、あのころ、
今ではまぎれもない中年のおばさんとなりはてました。

一昨年、もう咲き終わりのしおれた紫陽花が半額になっていたのを見つけ、
来年咲いてくれればいいわ、と思って購入しました。
たしか300円だったか400円だったか、そのくらいのお値段。
日本の紫陽花を、花びらに見えるのが実はガクだというので、ガクアジサイと
いうそうですが、これぞまさしくハンガクアジサイ(笑)。

で昨年、期待もしていませんでしたが、なんとなんと子どもの頭よりもっと
大きなみごとな大輪の花が五つ六つ、きゃっ、これで300円 ? お得 !

で今年、昨年よりは少し花は小さめでしたが、それでも幼児の頭くらいのが
30個以上、次から次へと咲きました。現在咲き終わった状態です。

というわけで「紫陽花亭日乗」は、このハンガクアジサイがお届けいたします。

こちらのカテに来て、「台湾・台北の旧地名の場所」というトピを少し拝見
いたしました。それで長井さまのことは存じておりました。


>私も漢詩をたまにつくります<


すばらしいですね。わたしは作詩のほうはまったくだめです。
漢詩を作るというのは、かなり困難な作業です。
漢字を並べればいいというものではありませんから。
よろしかったら、ぜひここにも投稿してくださいませ。

こちらこそ、よろしくお願いいたします。
またいろいろご教授くださいませ。

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Re: 台湾旅行記 

投稿者: nagai538jp 投稿日時: 2011/07/10 08:07 投稿番号: [59 / 735]
紫陽花さん、
   台湾旅行記、拝見致しました、昨年私も雪山トンネルを通って、宜蘭へいきました。
   紫陽花亭日乗、漢詩の解説、てっきり<老頭子>と勘違いしましたが、ハンドバックを買い求める件を見て、うら若き女性と勝手に想像しています.
   私も漢詩をたまにつくります、これから<請教>、よろしく〜〜〜。

Re: 台湾旅行記 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/09 23:35 投稿番号: [58 / 735]
★最終日は、予定していた用事をすませて、エバ・リッチ(免税店)へ行き、
蓮の実、干し牛肉、からすみ、お茶などをどっさり買いこみました。

COACH のお店で、アジアバージョン、アジア限定というバッグとお揃いの
財布を買う。

そして空港で、フェンディの新作バッグも。

香港とか台湾に行くと、ついついたくさんの買い物をしてしまいます。
はずみがついて、よけいなものまで、ついつい買いこんでしまう。

でも中国だと、ほとんどあまりお金を使いません。
中国へ行ってきたお土産だといってあげても、口には出さないけれど、
みんなかえって迷惑に思って喜んでくれない。
あげたお土産は、ないしょで捨てられているかもしれない。

いろんな事件があって、食品はもちろん、雑貨や衣料品にまで不信感があるからです。

大きな国だから、中には不心得者もいるでしょう。
それは、日本だって、一連の食品偽装をみても同じです。

でも、日本では命を落とすほどの危険な食品はまずありません。

中国のものは恐い。ニセモノだ。モノが悪い。
何やっているかわかったもんじゃない。そういう印象です。

もう少し前は、そんなことはなかった。
デザインはダサイけれど、きちんと丈夫に縫ってあったテーブルセンターや
枕カバーなど。しっかりしていて信頼感があり、値段も信じられないくらい安かった。

今はそういう信用が、一部の不心得者のために地に落ちてしまった。
それがどれほど、国や国民に迷惑をかけているか、損害を与えているか。
よく考えたほうがいい。


戦後、日本からの輸出品にもそういうことがあったそうです。

日本は、日本人は、誠実であってほしいと思います。


★台湾旅行の話はこれで終ります。

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Re: 台湾旅行記 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/09 23:34 投稿番号: [57 / 735]
★キュウフンへ行く途中、岬で休憩しました。

台湾人の観光客とおぼしき女性たち、地元の人らしい男女も、
三々五々、石でできた突堤の上に坐って、海を見ながらおしゃべりしている。

トラックの荷台に、瓜みたいな模様のかぼちゃを山ほど積んで、
荷台の横で丸椅子に坐って、売っているおじさんがいる。
ラグビーボールみたいな形のかぼちゃ。あまり大きくない。

「ここは何というところですか」とたずねてみた。
「ビートウ」という返事。
「ビートウねえ?」   ちょっとピンと来ない。するとおじさんは、
自分の鼻を指さして「ビートウ」と言った。
「ああ、なるほど。鼻頭ね」

「わたしは日本人です。日本の○○から来ました。○○を知っていますか? 」
とたずねると、「知っている」と答えてくれた。

「これは瓜ですか ? 」と聞く人がいたので、
「これはかぼちゃでしょう」と聞いたら、「そうだ」と。

年配の台湾人だと、日本語かビン南語しかわからない人もけっこういるけれど、
この人には北京語が通じた。もしかしたら見かけより若いのかも。

「ビン」は、モンガマエの中に「虫」。
余談ですが、中国は中国以外の国は野蛮人の国だとみなしていましたので、
呼称に虫ヘンやケモノヘンがつくのです。つまり、「人」てはないのです。


★さて、観光バスはうねうねと山道を登っていく。
観光バスで直接キュウフンの目的地へ行くことはできない。
片道一車線だけの、くねくねとした細い山道だから。
途中の観光バスの駐車場で降車して、定期バスに乗り換えて行く。
そんなに時間はかからない。駐車場から割合に近い。

いくつか写真を見てください。

http://www.tabitabi-taipei.com/youyou/200611/map/index.html

この地図の桟道みたいなところ、豎崎路というところが目的地。
汽車路のバス停でバスを降りて、階段を降りて地下のようなところに降りて行きます。
たぶん、山と山の切れ目みたいなところなんだと思う。
大人三人が並ぶのがやっとの狭くて暗い路地。押し合いへし合いのものすごい人出。
アーケードになっているけれど、左右の屋根は完全にくつついておらず、
中央の切れ目から、ポツンポツンと雨が落ちて来る。

左右両側に、食べ物屋さん、雑貨屋さん、履物屋さん、おもちゃ屋さん、
洋服屋さん、化粧品屋さん、アクセサリーを売る店など、ありとあらゆる
狭いお店がひしめいている。

芋氷もあるし、芋饅頭も羊羹もあるし、佃煮みたいなのもあるし、
金網の上で小さな蛸をまるごと焼いていたりする。
ワケワカランけど、おいしそうなものがやまほどある。
履物屋さんの中には、靴の他に、驚いたことに日本の下駄、和服のときに
履く草履まで、何でも売っている。

面白い。とても魅力的な町並みがえんえんとどこまでも続く。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%BB%BD

http://www.woodensoldier.info/cj/taiwan/jiufeng.htm

赤い中国提燈にご注目ください。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E3%81%A8%E5%8D%83%E5%B0%8B%E3%81%AE%E7%A5%9E%E9%9A%A0%E3%81%97

ここは実は、映画「千と千尋の神隠し」で、「千」こと「千尋」が
異国情緒たっぷりで妖しい雰囲気の町並みを駆け抜けていくシーンの
モデルになった街だといわれています。

けっこう長い道で、出口まで行かず、途中に曲がり角があるのですが
そのあたりまで行ってひきかえしてきました。

ああ、もっとゆっくり見たかったなあ。何か買いたかったなあ。
いろんなもん、買い食いしたかったなあ・・・。

夕食の予約の時間に遅れるといけないので、結局何も買えず、
来たとおりの方法でまた帰路についたのでした。

すっごい心残り。絶対にもう一度行く。今度はゆっくり時間をかけて。


つづく

Re: 台湾旅行記 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/09 23:09 投稿番号: [56 / 735]
★雪山トンネル

説明はこちらで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%B1%B1%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

http://www.sankeikids.com/doc_view.php?view_id=268

通り抜けるのに 12 分かかりました。

台北からこのトンネルを通って宜蘭に行きました。
台北から東に向かい、雪山トンネルを出て、太平洋に面した海岸線を南下します。
途中、亀山島という島がはっきりと見えます。

畑には小麦が青々と収穫を待つばかりに実っている。
小麦の収穫が終ると、稲を植えるそうです。二期作ですね。


★宜蘭の、國立傳統藝術中心というところに行きました。
「中心」は「センター」です。

午前11 時からショウがあります。
長崎のお祭りに出てくる龍か蛇のようなのを棒で高く低く持ちあげて
踊る人、蛙や、輿に乗ったお姫さまに扮した人など。

どうもお姫さまのお嫁入りの踊りのようです。
色鮮やかな薄いやわらかそうな衣装が風にひらひらと舞い、美しい。
踊りの足の上げ方の角度が独特です。

伝統的な印璽みたいなものから、ペーパークラフト、洋服、バッグ、
雑貨等、洗練されたさまざまな商品を商う商店が軒を連ねています。

この中の一軒のお店でチャイナ服の上着を買いました。


「芋氷」と描かれた旗を靡かせて、屋台でおいしそうなソフトクリームを
売っている。きっとタロイモかなんかがまぜてあるのでしょう。
食べたかったけど、おなかをこわすといけないのであきらめ。でも未練。


★昼食は宜蘭にあるホテルでフランス料理を食べました。
ムラサキタロイモというのがあるのかどうか、知りませんが、
紫色のマッシュポテトが山型に盛られて出てきました。
これがまためちゃくちゃ美味しかった。
そして、おいしいぜんざいも出てきました。すてきなお食事でした。


★それから、今度は海岸線ほ北上して九<イ分>(キュウフン)に向かいます。
映画「非情城市」の舞台となったところです。


景色は日本とまったく同じ。右手に太平洋、左手に山が連なり迫っている。
ところどころの海水浴場では、もう海水浴をしている。
ところどころ、山肌にはお墓が林立している。
中国江南のお墓とはまた違って、馬蹄形の石かコンクリで脇と背後を
ぐるりと低く半円に囲んだ中に、石のお墓が立っています。

村々のあちらこちらに、極彩色にいろどられたハデハデの廟があります。
橙色、緑色、赤、青、黄色・・・。中国の廟とはまた異なり、南方アジアのものです。
屋根は、屋根のカドが、絲か何かで上から引っ張ったように、
ピンピンに跳ね上がっている。
こういうデザインは、上海豫園で見た覚え。


しょっちゅう「檳榔」(ビンロウ)という旗や看板を目にします。
一種の麻薬のような作用のある嗜好品で、老人が好んで噛むみたいです。
噛むと口が真っ赤になるそうです。


http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/birou.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%B3%E6%A6%94


つづく

Re: 台湾旅行記 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/09 22:53 投稿番号: [55 / 735]
★まだ中国旅行記です。
ここで中国のトイレについて書いたついでに、台湾のトイレについても
少し触れました。その部分です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★台北に鼎泰豊という有名な包子のお店があります。
以前行ったときは本店で、今回は支店に行きました。
以前のときは感動的なおいしさでしたが、今回はこころなしか今いち。

で、ここでびっくりしたのは、このお店のトイレ。
専従の衛生衣を着た女性がひとり、真っ白な雑巾と消毒薬の入ったスプレー
を持って、人の入った後のトイレを必ず消毒し、それから次の客を入れる。

客はその人の指示に従わなければいけない、勝手に入ってはいけないのです。
並び方も厳しい。こっちがあいたからといって勝手にはいってはいけない。
そこまでやるか、って感じでした。


★台北は衛生的な大都会ですね。

わたしが行った外国で、温水便座を見たのは台湾だけです。
鼎泰豊ではありませんが。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ここからがやっと、台湾旅行記です。


★桃園神社

http://www.tabitabi-taipei.com/more/2007/0521/

日本の植民地時代の社務所なんかもそのまま残っています。
たぶん、黒い杉の焼き板で作ってある。昔の学校みたいに。

犬のフンは各自責任持って始末しろ、って立て札があった。どこも一緒ですね。


★圓山地蔵尊というところにも行ったけど、検索しても映像がないみたい。

なんでもない碑とか墓石に「明治××年、・・・・」と彫ってあったりします。


★台北に「林田桶店」という有名なお店がある。
日本統治時代からの古いお店。もちろん、今は経営者は台湾人です。
ヒノキの風呂桶を売っているみたい。そのお店の前を通りました。


★台北では、どこへ行っても日本語が通じる、といってもよい。
日本語を高校の正課に取り入れているんだと思う。


★中国が自転車なら、台北はバイクのまち。
信号で右折待ちをしているとき、前方から来るバイクを数えたら、
50〜60台はしょっちゅう。バイクというよりスクーター。
何人乗りでも自由です。


★また、五分間に何台のバイクが前方から来るか数えたら、126台でした。
だいたい日本の九州くらいの大きさ、人口2,300万人の台湾で、
バイクの保有台数は 1000万台だそうです。


★犬や猫が放し飼いで、誰もいじめたりじやまにしたりしない。
のんびりと安心して暮らしている。台湾の犬猫はしあわせです。


★台湾は親日国家です。政府と国民は分けて考えたほうがいい。
なんせ今の台湾総統は台湾人じゃなく、中国人ですからね。

しばらく日本も厳しい時代が続きます。

日本もこれまで、そんな台湾の人たちの気持ちに充分こたえてこなかった。
裏切った。だから嫌われたって、何か言える立場にないんですよ。

台湾は、シーレーンで日本の生殺与奪の権を握っています。
これが中国に押さえられたら、日本はたいへんなことになりますよ。

つづく

Re: 台湾旅行記 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/09 22:36 投稿番号: [54 / 735]
★先日、盧溝橋について記述しましたので、台湾旅行とは関係ありません
が、盧溝橋についての記述ももUPしておきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★盧溝橋の欄干にある石獅子の数も、人民解放軍の兵士までかりだして
数えてみても、数えるたびに数が違うのだそうです。

http://www.geocities.jp/adiospekin/bjot/lgqsz.html


実際に見ましたけれど、なかなか面白いものです。
この永定河、盧溝橋、石獅子を歌った面白く楽しい民謡もあります。

1937 年に起きた盧溝橋事件のときには、永定河には水が満々と湛えられていました。
先回、わたしが行ったときには既に一滴の水もなく、濛々たる砂塵が舞っているだけ。

「蒙塵・モウジン」という言葉がありますね。

変事に際し、天子が居住している宮殿から逃亡して落ちのびることをいいます。
通常の行幸であれば、天子のお通りになられる道は、
前々からよく水をまいて固めて、塵埃がたたないようにする。

けれども急なことでは、そんなことはしてないから、
天子といえども濛々たる埃をかぶることになる。
それでこのように言います。
『左傳』に出ている言葉です。言い得て妙。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★五月だと、飛行機の中も、安陽も、バスの中もけっこう足もとが冷えました。
特に朝の出発時。
ソックスではなくハイソックスをはいてくればよかった、と後悔しました。

あと、五月の中国でも、六月の台湾でも、長袖の上着は必需品。
旅行だと荷物はできるだけ少ないほうがいいので、
TPO に合せてそろえるというわけにはいきません。
わたしは雨を通さない生地の薄地で、濃い赤紫色のハーフ・コートを
持っていきました。折り畳み傘もお忘れなく。


★食事の楽しみは、夜のご馳走よりむしろ、ホテルでの朝食バイキングです。

非常にバラエティに富んでいて美味しい。
白人も中国人も、馬か象が食べるのかと訝るほど、盛大に食べる。

わたしは、必ずおかゆ、お漬物やピーナッツをトッピング。

台湾ではお味噌汁があるホテルもありました。
で、面白いのは、お味噌汁の具、お豆腐やネギなんかは、
お汁に入れないで別々に切ってお皿に盛って出してあるんです。
そういえば冷奴もありました。

で、わたしの朝食のパターンは、おかゆ、お皿に少しだけおかず、
オレンジジュースまたはリンゴジュース、ヨーグルト、
フルーツ(スイカと、フルーツカンヅメ)くらい。

包子とかマントウとかパンもおいしそう。でも中国や台湾に行ったなら、
おかゆがいいですね。おなかにやさしい。
食い意地を張って食べ過ぎるようなことのないようにしています。


★中国旅行最後の日の朝、ぜんざいとおぼしきものがあったので、
お碗に一杯とりました。

一匙、二匙すくって食べてみると、色や形は確かにぜんざいで、
小豆もやわらかく煮えているのに、小豆の味しかしません。

どうしたものだろうか。
そこで卓上にあった、コーヒー・紅茶用のグニュー糖を一袋入れてみました。
これで正解でした。たちまち、おいしいぜんざいになりました。

★台湾のホテルにもぜんざいがありました。こちらはみかけだおしでは
なく、ちゃんと甘い甘い、日本と同じおいしいおぜんざいでした。


つづく

Re: 台湾旅行記 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/09 22:19 投稿番号: [53 / 735]
★中国傀儡馬総統「我々の領海だ」と煽る


国民党の馬は、敵失があって政権奪取に成功しました。

しかし陳水遍の身内による汚職も、中国側からの陰謀の噂があります。
陳さんの奥さんは身体障害者で、汚職などできるわけがないと、
事情通はみております。
また、陳一族の汚職も、そのもとをたどっていけば、
最期には陳以前の国民党に行きつくのです。
台湾国民の多くは、日本の無知・日和見国民と同じで、
陰謀に騙されているのです。

ある台湾人が言っていました。
中国は共産主義国家だ。国民に言論の自由はない。
誰がそんな国と一緒になりたいと思うだろうか。
それを望み、画策しているのは、巷間言われているように 30% ではなく、
真実は台湾人の10% にも満たないと。

また、その人はこうも断言した。
歴史的にみても、尖閣諸島はまぎれもなく日本の領土である、と。



馬はやりすぎると、早晩失脚する。台湾国民が許さない。
中国と異なり、すでに台湾は民主化している。

今回の台湾の漁船と日本の巡視船の衝突について、
一般の台湾国民は冷静に見ており判断している。
あれは漁船ではなく、中国の意を受けた工作船であり、
わざと日本の巡視船を挑発したのだということを知っている。
漁船には GPS が搭載されており、それによって日本の巡視船が
蛇行運転していると誤解したらしい。

台湾の新聞の過激報道も、
すでに台湾マスコミに中国資本が多く入っており、介入されているから
ああいう報道になるが、やたらに騒いでいるのは中国の工作員だけだと。

産経新聞に、日本人観光客や在住日本人に対する警告の記事が掲載されて
いたが、実際はまったく一般台湾人に、日本人に対して危害を加えよう
などという気持ちなどみじんもない。
もし、そういう事件があったらそれは中国のスパイのしわざだ。

台湾政府も日本と同じに、中国からの観光客を大量に受け入れようとしている。
ところが、台湾の観光業界そのものが、それを快く思っていない。
日本人観光客なら大歓迎なのに。

現在、馬のやっている政策は、
台湾国民の意思と大きくかけ離れたことばかりである。

現在はある程度、中国による日台の離間工作が成功しつつある状況だといえよう。

日本人も冷静になって、
台湾政府と台湾国民の気持ちとを分けて考えたほうがいい。

国民党内部にもまだ親日政治家は多くいる。

李登輝さんは、日本に対し、
すみやかな憲法九条の改正と教育基本法の改正を望んでいる。
アジアの国々で、中国に対抗し、リーダーとなっていけるのは、
やはり日本しかないと考えている。
そして、今の日本の政治家にすぐれた人材がいないことを憂えている。

横田めぐみさんはじめ拉致された人々に対する
日本政府の対応の体たらくに呆れておられる。
拉致事件が判明したときに、李登輝さんは、拉致に対する制裁のために、
北朝鮮とのある取引の契約を白紙に戻してくださった。

それなのに日本政府は何をしたか。
今また制裁解除などとたわけたことをほざいている。
一刻も早く、売国奴福田をひきずりおろし、
今の内閣の利権にたかる妖怪・金蝿たちを一掃しなければならない。

日本人が台湾観光を自粛したらどうなるか。
台湾経済に打撃を与え、ひいては政府の支持率にも大きく影響してくるだろう。
しかしまた、それは観光で食べている、親日の善良な方々をも苦しめることになる。

具体的にどうしたらいいのか、わからない。
しかし、決して現在の台湾政府と、台湾一般国民の思いは同じではない
ことを、日本人に知っていてもらいたいと思う。

親日の台湾国民の気持ちさえ、日本から離れるような愚かな言動は
さけなければならない。
これまでにも日本は、
台湾の方々の気持ちに十分にこたえてくることができなかった。

台湾は、中華人民共和国でもなく、中華民国でもなく、
台湾国でありたいと望み、その方向性で動いてきた。
今、馬によって、それがまた覆されようとしている。

台湾人民の選択は間違っていた。

いずれにせよ、日本は中国の陰謀にしてやられるようなことがあってはならないのだ。


つづく


★漁船衝突事件のときでした。
このときの台湾メディアの報道はものすごかったです。
今すぐにでも、日本と戦争でもおっぱじめようとしているかのようでした。

Re: 台湾旅行記 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/09 22:09 投稿番号: [52 / 735]
中国旅行記の続きのなかで、台湾に対する記述のある頁は、
台湾についての記述のみ、そのままコピーしてUP します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
中国ではどこでも、一日着て歩いた服は真っ黒に薄汚れて、まず翌日
もう一度着るということはできません。百万円くれると言ったら着ますけど。
その点、台湾では一日観光しても、ブラウスの襟首だってほとんど汚れていません。
ただこの季節、台湾は雨季で、午前中晴れていても午後は必ずスコール。
だからホコリがたたないのかも。
台湾では五月が梅雨で、六月は雨季なのだそうです。どう違うんや???

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
かつて日中戦争のとき、日本軍に迫られて蒋介石は、このあたり、
花園口というところの黄河の土手を切って洪水を起こし、日本軍の追撃を防いだ。
それで日本軍は来れなくなったけれど、多くの黄河沿いの土地の中国人が、
家も土地も流され亡くなった。日本軍は必死で中国人民の救済にあたった。
死者は百万人とも、一千万人以上ともいわれる。

日本軍による南京の悲劇の真相は、せいぜい二万人から多くても七万人だ。
それも軍人や便衣がほとんどだ。
わずかに巻き添えになった一般人もいたかもしれないが。

中国史上、中国人大虐殺をおこなったのは、いつの時代でも中国人自身である。
毛沢東はついこのあいだ、大躍進と文化大革命で六千万人以上もの自国民を
虐殺した。真に中国人民の恨むべき、憎むべき敵は日本人ではない。


つづく

台湾旅行記 

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/09 21:59 投稿番号: [51 / 735]
2008年6月に台湾に行きました。
その直前に中国に行き、そのおみやげ話を書いていてまだ終らないうちに
黙って台湾に行ったものですから、トピにきてくださるかたがたに
留守中「ドーシタ、ドーシタ」と言われていました。

この台湾旅行はある目的があって行ったものですが、
掲示板では普通の観光旅行のところだけご紹介しました。

台湾には、これ以前にも行っています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^

中国旅行から一ヶ月、まだそのご報告のお話も全部終っていないうちに、
またまた今度は台湾に行ってきました。

さっき帰宅したところです。

去年も台湾に行こうとしていて果たせませんでした。
去年は観光目的だったのですが、今年はもちろん観光もしましたが、
他に大きな目的があり、無事目的を遂げることができ、
今心の中は感動の嵐です。

是非みなさんにお話したい、聞いていただきたいと思うのですが、
それをやるとプライバシーに関わってくるので、
今すぐは申し上げることはできません。
とても残念なのですが。普通ではまずできない体験をしてきたのです。

でも、さしさわりのないおみやげ話はさせていただくつもりです。
今回の日本の巡視船と台湾漁民の漁船衝突について、
台湾人はどう考えているか、コトの真実はどうなのか、とか。


お礼を申し上げるのが後先になりましたが、
留守中の書き込み、有難うございました。


つづく

紫陽花詩     白楽天

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/09 20:25 投稿番号: [50 / 735]
紫陽花詩       白楽天(中唐・772〜846)(1682)

日本の紫陽花の花とは違うのですが・・・・・。
白楽天の紫陽花は、ライラックのようです。



前書き

招賢寺有山花一樹無人知名色紫気香芳麗可愛頗類仙物因以紫陽花名之

招賢寺に山花一樹有り。名を知る人無し。色 紫にして気は香る。
芳麗にして愛すべし。頗る仙物に類す。因って紫陽花を以て之を名づく。


何年植向仙壇上       何れの年にか植えて 仙壇の上に向かう
早晩移栽倒梵家       早晩 移栽して梵家に到る
雖在人間人不識       人間に在ると雖も人識らず
與君名作紫陽花       君に與ふるに名づけて紫陽花となさん

いつのころからか、仙壇に植えられていた
いつのまにか、移しかえられて寺に植えられた
この人の世には在るけれど、人はその名を知らない
この花に名を与えて紫陽花と呼ぼう


http://www8.plala.or.jp/kazenobon/hanagoyomi2.html

http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E7%B4%AB%E9%99%BD%E8%8A%B1


ライラック
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E8%8A%B1&aq=0&oq=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF&ei=UTF-8

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Re: 中国歌謡 「大海<ロ阿>故郷」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/09 19:55 投稿番号: [49 / 735]
こんばんは。

おほめにあずかり恐縮です。

nipponndaisuki003 さんは台湾のかたですか。
台湾も日本も海に囲まれた国ですね。
「海」は、「生み」「産み」に通じるかしら、日本語では?

「大海<ロ阿>故郷」、のびのびとしたいい歌です。

日本にも似たような歌があります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

われは海の子
http://www.youtube.com/watch?v=7HFFNNWE0eg

うみ(唱歌、海は広いな)
http://www.youtube.com/watch?v=OxlPYQdr02Y

海(唱歌、松原遠く)
http://www.youtube.com/watch?v=1bUSjIWjKfA


============================

先の投稿、
「現代語訳」は「日本語訳」のあやまりです。

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Re: 中国歌謡 「大海<ロ阿>故郷」

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2011/07/08 22:56 投稿番号: [48 / 735]
筆耕勤奮、脱帽敬礼。

中国歌謡 「大海<ロ阿>故郷」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/08 21:20 投稿番号: [47 / 735]
大海<ロ阿>故郷
海はふるさと


小時候媽媽対我講       子供のころ   かあさんが言ってた
大海就是我故郷        海は僕のふるさとだって
海辺出生海里成長       海辺で生まれ   海で育った
大海<ロ阿>   大海       海よ   海よ
是我生活的地方        海は僕の生きるところ
海風吹   海浪涌        潮風吹いて   浪は涌き
随我漂流四方         僕をつれて四方に漂う
大海<ロ阿>   大海       海よ   海よ
就象媽媽一様         海は僕のかあさんだ
走遍天涯海角         天のはて   海のはてまで行こうとも
総在我的身傍         いつだって   僕のそばにいる
大海<ロ阿>   故郷      海よ   ふるさとよ
大海<ロ阿>   故郷      海よ   ふるさとよ
我的故郷           僕のふるさと
我的故郷           僕のふるさと


http://www.youtube.com/watch?v=eKKva8nIyPY

http://www.youtube.com/watch?v=xHl8PLpIC-w&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=61tezLu0g6I&feature=related


★現代語訳はあじさいです。

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五月初二日苦熱     楊萬里

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/08 21:00 投稿番号: [46 / 735]
五月初二日苦熱       楊萬里(南宋・1127〜1206)
五月初二日   熱に苦しむ

人言長江無六月       人は言う   長江   六月無しと
我言六月無長江       我は言う   六月   長江無しと
只今五月已如許       只今五月   已に許(かく)の如し
六月更來何可當       六月更に來たれば   何ぞ當たるべけん
船倉周囲各五尺       船倉の周囲   各おの五尺
且道此中底寛窄       且つ道(い)う   此の中(うち)底(なん)ぞ寛窄(カンサク)なる
上下東西與南北       上下   東西と南北と
一面是水五面日       一面は来れ水   五面は日
日光煮水復成湯       日光   水を煮て復た湯と成る
此外何處能清涼       此の外   何れの處か   能く清涼ならん
掀篷更無風半点       篷を掀(あ)げて更に風の半点なく
揮扇只有汗如漿       扇を揮って   只だ汗の漿の如き有り
吾曹避暑自無處       吾が曹   暑を避くるにおのずから處(ところ)無きに
飛蠅投吾求避暑       飛蠅(ヒヨウ)   吾に投じて暑を避くるを求む
吾不解飛且此生       吾   飛ぶを解せず   且(しばら)く此に生くるに
飛蠅解飛不飛去       飛蠅   飛ぶを解するも飛び去らず

人は「長江に六月がない」という
自分は「六月に長江もない」という
現在、五月であるのに、すでにこのように暑い
六月がきたならば、どうなることか
船倉の周囲の長さは一辺が五尺
しかも船室の中は何と狭いのだろう
上から下から、東西、南北と
一面は水   五面は日
日光は水を煮て湯となっている
ここの外にどこで涼しくなることができるのだろうか
篷(とま)をあげても風が少しも吹きこまず
扇であおいでも、ただ汗が水のように流れるだけだ
自分たちは避暑に行く所がないのに
飛ぶ蠅は、自分に飛んできて避暑をする
自分は、飛べないのでここに生きているのに
蠅は、飛べるのに飛び去らないのだ


★石川忠久『夏の日100選』NHK 出版,


★いうまでもないことですが、昔と現在とでは暦が異なります。昔は、
春・・・一月・二月・三月
夏・・・四月・五月・六月
秋・・・七月・八月・九月
冬・・・十月・十一月・十二月
でした。
昔の六月は現在の七月なかばころになるでしょうか。

これに、それぞれ、「初・孟」「中・仲・盛」「季・晩」の字がつきます。
すなわち、「初春」「孟冬」「盛夏」「中秋・仲秋」「晩春」など。
「中秋の明月」といったら、八月のことです。

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Re: 耳そぎのルーツ / 馘首・馘耳

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/08 20:48 投稿番号: [45 / 735]
それから従騎を皆馬から下ろし歩行させ刀や剣での接戦となった。
項羽ひとりで殺した漢の兵は数百人。
項王自身もまた身に十箇所余りの傷を負った。

ふりかえって漢の騎司馬呂馬童を見て言った。

「おまえはわたしの旧知の者ではないか」

馬童は、項羽の顔を直視することができず、顔をそむけ、
王翳に指さして言った。

「これは項王です」

項王は言った。

「わたしは、漢がわたしの首に千金と一万戸の邑の報奨金をかけていると
聞いている。わたしはおまえに良いことをしてやろう」

そこで項羽は自刎して死んだ。

王翳は項羽の頭を取った。
ほかの騎兵たちはお互いに揉み合い踏みあいして、
項王の体を争って奪い合い、同士討ちをして数十人が死んだ。

一番最後に郎中騎・楊喜、騎司馬・呂馬童、郎中・呂勝、楊武が
それぞれ項羽の死体の一部を手に入れた。
五人がみな手に入れた体の部分をあわせてみると
それは皆間違いなく項羽のものであった。


★短兵・・・短い武器のことです。刀、剣など。
「短兵急」というのは、短い武器で敵と接近戦をやることをいいます。
対し、「長兵」は鎗や薙刀などのことです。

★創・・・刀で切り開く、キズをつけることをいいます。
「絆創膏」の「創」です。

★馬童面之     馬童これに面す。
「えっ? まじまじと見つめたんじゃないの ? 」
と疑問を抱かれたかたもいらっしゃるかと思いますが、
これはトピ主の間違いではありません。

呂馬童がまじまじと項羽を見つめた。
呂馬童は顔をそむけた。

どちらも成立します。
『史記會注考證』も『史記注譯』三秦出版社も両論併記です。

「面」には「対面」の意味のほかに「そむく」「うしろむきになる」
という意味もあります。
このようにひとつのことばに相反する意味があるものを「反訓」といいます。


★そのうち『史記』「項羽本紀」は、通してUPしたいと思っています。

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Re: 耳そぎのルーツ / 馘首・馘耳

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/08 20:33 投稿番号: [44 / 735]
>『史記』「項羽本紀」にある項羽の最後の場面などは、褒賞のために
死体のひとかけらでも手に入れようとものすごいことになりました。<


上記場面をUPします。
テキストは、瀧川資言『史記會注考証』です。
訓読・解釈はあじさいです。
============================================

乃令騎皆下馬歩行持短兵接戰。獨籍所殺漢軍數百人。項王身亦被十餘創。
顧見漢騎司馬呂馬童曰若非吾故人乎。馬童面之。指王翳曰此項王也。
項王乃曰吾聞漢購我頭千金邑萬戸。吾為若紱。乃自刎而死。
王翳取其頭。餘騎相蹂践争項王相殺者數十人。
最其後郎中騎楊喜騎司馬呂馬童郎中呂勝楊武各得其一體。
五人共會其體皆是。


乃ち騎をして皆馬より下り歩行せしめ短兵を持ちて接戰す。
獨り籍殺す所の漢軍數百人。
項王身亦た十餘創を被(こうむ)る。顧みて漢の騎司馬呂馬童を見て曰く、

「若(なんじ)吾が故人に非ずや」

馬童これに面す。王翳に指して曰く、「此れ項王也」

項王乃ち曰く、

「吾、漢、我が頭(こうべ)を千金邑萬戸に購ふと聞く。
吾若(なんじ)が為に紱せん」

乃ち自刎して死す。

王翳其の頭を取る。
餘の騎相蹂践(じゅうせん)して項王を争ひ相殺す者數十人。
最も其の後郎中騎楊喜、騎司馬呂馬童、郎中呂勝、楊武各々其の一體を得たり。
五人共に其の體を會するに皆是なり。


つづく(現代語訳は次頁で)

耳そぎのルーツ / 馘首・馘耳

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/08 00:04 投稿番号: [43 / 735]
>「目が合った」とヤクザに因縁つけ暴行して耳をそぎ落とす…東京<

>殴る蹴るの暴行を加えたうえ、耳を刃物で切断するなどして、<

>   このような耳を刃物で切断するなどという事件は余り日本にはない犯罪です。
このような残酷な仕打ちがシナ大陸に古来から伝わる風習なのかも知れませんね。
目が合っただけで耳を削ぎ落とされたのでは堪ったものではありません。<


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★耳をそぎとる、という行為のルーツ



馘首・馘耳

首切り・耳そぎのルーツはやはり中国です。
したがって、豊臣秀吉の朝鮮征伐時の耳そぎは、
日本固有の文化ではありません。
また、特に日本が残虐なことをしたわけではありません。

『史記』「項羽本紀」にある項羽の最後の場面などは、褒賞のために
死体のひとかけらでも手に入れようとものすごいことになりました。



戦争で敵を殺した証明としては、本当は首がいいのですが、
状況により首を持ってかえることができない場合、
褒賞にあずかる証拠として耳をそいで持ってかえりました。
その耳も、日本人は粗末にせず、耳塚を作りきちんと弔っています。


タイトルに挙げた「馘」という字ですが、
これは第一義として
「耳きる(左耳を切り取る)」、次に「首きる」という意味です。

『詩経』「魯頌」に「&#27886;水・はんすい」という詩があります。
「矯矯たる虎臣、&#27886;に在りて馘を献ず」
雄々しき武者は&#27886;宮にて戦で取った敵の耳を奉る

★UP されない「はん」という字は、さんずいに「半}です。

魯国の家臣の子弟を教育する学校・&#27886;宮で(はんきゅう)は
日常の学問のほか、戦勝の儀式なども行われたと推察されます。

これが数千年前のことです。

そして「取」という字にもまた「耳」がついています。

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Re: 凶悪犯罪者集団・中国残留孤児『怒羅権

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 23:46 投稿番号: [42 / 735]
強盗傷害:
中国残留孤児マフィア「怒羅権」リーダーら、容疑で再逮捕   /東京
毎日JP

  山梨県笛吹市の貴金属加工工場から3000万円相当の貴金属を奪った
として、警視庁と山梨県警の合同捜査本部は23日、中国残留孤児マフィア
グループ「怒羅権(ドラゴン)」のリーダーで西東京市新町2、自称会社役員、
白井宇太郎被告(39)=強盗傷害罪などで起訴=ら日本人と中国人の男
計6人を建造物侵入と強盗傷害容疑で再逮捕したと発表した。

  逮捕容疑は、07年8月6日午後8時50分ごろ、笛吹市の工場の男性社長
(51)ら3人を鉄パイプで殴打して緊縛し、ブレスレットや指輪など約1万点
(約3000万円相当)を奪ったとしている。
男性社長は全治2カ月の重傷を負った。

  警視庁によると、白井容疑者ら4人は容疑を否認。
容疑を認めている2人の供述に基づき、甲府市内の湖を捜索したところ、
被害品の一部が見つかったという。
白井容疑者ら4人は南アルプス市内の貴金属加工工場で1億2000万円相当
の貴金属を強奪したとして逮捕、起訴されている。【内橋寿明】


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Re: 凶悪犯罪者集団・中国残留孤児『怒羅権

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 23:45 投稿番号: [41 / 735]
【産経抄】7月2日

気前よくもてなすことを、「椀飯(おうばん)振る舞い」という。
江戸時代には、正月などに親類縁者を招いて開く宴(うたげ)を意味した。
5月から6月にかけて来日したばかりの中国人32人に、
大阪市が「生活保護」と呼ばれる「椀飯」を振る舞っていたことがわかった。

▼中国人らは、市内に住む中国残留孤児の姉妹の親族と称し、
介護名目で来日した。姉妹は2年前に帰国して、日本国籍を取得している。
入国後すぐに生活保護の受給を申請した48人のうち、市は26人について、
6月分から受給を認め、さらに今月分から6人を追加した。

▼もともと生活保護受給世帯が全国でもっとも多い大阪市では、保険料を長年
支払ってきた年金受給者より、生活保護受給者の方が受け取る額がはるかに
多い矛盾が指摘されてきた。
今年に入って、外国人の受給者が1万人を超えたこともわかった。

▼それにしても来日直後の大量申請は、あまりにも不自然だ。
中国人らは、福建省出身だという。
第二次世界大戦末期のソ連軍の侵攻によって、中国東北部に取り残された
人たちの親族が、どうしてそんな南の地方に住んでいたのだろう。

▼元警視庁通訳捜査官の坂東忠信さんは、新著『日本が中国の「自治区」
になる』(産経新聞出版) のなかで、「日本に滞在する残留孤児関係者の
ほぼ九割が偽物」という。
坂東さんによると、他人の戸籍を買ったり、役場に根回しして虚偽の公正証書
を発行させたり、正規の旅券を入手するさまざまな手口がある。

▼つまり、今回のケースは、氷山の一角かもしれない。
折しもきのうから、中国人の個人観光ビザが 大幅に緩和された。
ショッピングや日本見物を楽しみにしている人たちには、
「椀飯振る舞い」 したい気持ちは十分あるのだが。

★「産経抄」のURL 省略★


>それにしても来日直後の大量申請は、あまりにも不自然だ。
中国人らは、福建省出身だという。
第二次世界大戦末期のソ連軍の侵攻によって、中国東北部に取り残された
人たちの親族が、どうしてそんな南の地方に住んでいたのだろう。

  この指摘は重要であり、見過ごすことは出来ません。
残留孤児ということで我々は快く受け入れて来たわけです。
(日本人の血を引くなら当然ですが)
しかし、その実態はかなり違ったものであったようです。

  もし、本当に日本人なら2世・3世になれば日本社会に同化していくはずです。
それを拒絶して自分達だけの犯罪者集団を形成するという点で、
彼らは日本人ではないと考えるべきでしょう。

  DNA検査で日本人の血が入っていなかった場合は、
シナに強制送還すべきです。
そうしないとこのような凶悪な集団が日本社会にドンドン蔓延して、最後には
手がつけられないようになってしまうのでないかと危惧する次第です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★この支那人たちは残留孤児でもなんでもありません。
母親は支那人と結婚して支那に渡り人生の大半を支那人として暮らしてきました。
第一、福建省に中国残留孤児がいるわけがありません。

つづく

凶悪犯罪者集団・中国残留孤児『怒羅権』

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/07 23:45 投稿番号: [40 / 735]
凶悪犯罪者集団・中国残留孤児2世『怒羅権』
徹底した壊滅作戦で解散に、そして強制送還せよ!
★せと弘幸ブログより

中国残留孤児2世らのDQN団「怒羅権」メンバー、
「目が合った」とヤクザに因縁つけ暴行して耳をそぎ落とす…東京


★「怒羅権」メンバー逮捕へ   警視庁   傷害容疑   男性に因縁、耳切断


  路上でトラブルになった男性の耳をそぎ落として重傷を負わせたなどとして、
警視庁 組織犯罪対策2課が傷害などの疑いで、中国残留孤児の2世らを
中心としたグループ 「怒羅権(ドラゴン)」のメンバーの男の逮捕状を
とったことが5日、捜査関係者への 取材で分かった。近く逮捕する方針。

  犯行には、ほかのメンバーが関与している疑いもあることなどから、
組対2課は男を逮捕し次第、グループの拠点で、
中心メンバーが関係するとみられる東京・錦糸町の中華料理店など
関係先を家宅捜索し、事件の経緯を詳しく調べる。

  捜査関係者によると、メンバーの男は先月14日、都内で男性に因縁をつけ、
殴る蹴るの暴行を加えたうえ、耳を刃物で切断するなどして、
重傷を負わせたなどの疑いが持たれている。

  男は近くを通りかかった男性に「視線があった」などと言いがかりをつけ、
激しく暴行を加えたという。被害者の男性は、暴力団関係者だった。

  事件当時、男は、ほかのグループのメンバーらと一緒に行動していた
ため、同課は、ほかのメンバーらも関与した疑いがあるとみて捜査する。


  男が所属している怒羅権は、首都圏を拠点にしている中国残留孤児
2世、3世を中心にしたグループ。暴力団などと関係を持ち、
一部メンバーらが強盗や詐欺に関与した疑惑も浮上している。

★以上、産経新聞記事★

  シナ(中国)残留孤児ということで日本は受け入れを決めてしまったが、
それが失敗であったことをこの不良グループの存在が示しています。
日本人の血を受け継いでいてもシナ人の血が混ざるとこのような
凶悪な犯罪も平気で犯すような人間となってしまうのでしょうか?

  それとも本当は日本人の血など受け継いでいない純粋なシナ人なのでしょうか。

>殴る蹴るの暴行を加えたうえ、耳を刃物で切断するなどして

  このような耳を刃物で切断するなどという事件は余り日本にはない犯罪です。
このような残酷な仕打ちがシナ大陸に古来から伝わる風習なのかも知れませんね。
目が合っただけで耳を削ぎ落とされたのでは堪ったものではありません。

  さて、今回提案するのはこの残留孤児に関して。
日本人の血を受け継ぐ人を受け入れたわけですが、実際にその辺りの調査は
厳密に行なわれたのでしょうか?  
現在何万人いるか分かりませんが、全員に対してDNA検査を実施すべきではないか。
そして日本人に成りすまして入国したシナ・中国人は強制送還するか、
一時的に収容施設に入れることを提案します。

  批判は覚悟の上での提案です。
残留孤児の2世・3世に関しては、しっかりとした教育をすべきです。
このような危険な連中がこの日本社会に野放しにされていることに
強い危機感を覚えます。
警視庁の集中取締りで、現在のところは何とか勢力拡大を抑え込んでいますが、
このような凶悪犯罪者集団が大組織に膨れ上がったらそれこそ、
大変な事態になると予想されます。

  在留孤児の多くが実は日本人の血を受け継いでいない人間であるとは
前々から指摘されてきました。

中国人大量生活保護申請   「残留孤児関係者のほぼ九割が偽物」
と元警視庁通訳捜査官

つづく
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