南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 鬼頭証言は眉唾物

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/17 00:29 投稿番号: [11518 / 29399]
> 2名に搾られているということは、明確ではありませんか?

  2名しかいないのにどちらか覚えていないのは「曖昧」ではないのかな?
  最大3名の内、2名の候補が残っている状態を「絞られている」とは普通言わないものだ。

> つまり、鳩彦に関する発言に根拠があるか否かを支点として、証言そのものを「眉唾物」と論じています。
>
> ご自分の発言をトリミングしてどうするのですか(笑)。
> 「捏造」や「幼稚」など逆切れされても困りますよ。

  トリミングっていうのはね、

>   朝香宮上海派遣軍司令が皆殺しを命じたというのは、根拠のある証言なのだろうか。
>   そもそも、象徴的な存在でしかなかった朝香宮司令がそんな具体的な命令を出したというところからして、眉唾物だと思うが。

  という元発言を

Msg.11377   投稿者 : nmwgip
>   そもそも、象徴的な存在でしかなかった朝香宮司令が
>そんな具体的な命令を出したというところからして、眉
>唾物だと思うが。

  こういう具合に切り出すことを言うんだよ。
  自分のやったことを相手に擦り付けてはいけないな。

  もう一度教えてあげるけど、

> 朝香宮上海派遣軍司令が皆殺しを命じたというのは、根拠のある証言なのだろうか。

  これが論点。

>   そもそも、象徴的な存在でしかなかった朝香宮司令がそんな具体的な命令を出したというところからして、眉唾物だと思うが。

  これは論拠の一つ。
  で、貴方は「根拠のある発言」だと論証できなかった訳だ。

> 面倒ですので、ご自身でお調べください(笑)。

  つまり、あるあると言っておきながら、出せないんだねw

> 例えば、第33連隊戦闘詳報や第66連隊第1大隊戦闘詳報です。いずれも捕虜殺害を明記しています。

  これは南京戦のこと。
  上海戦じゃない。
  南京戦における第33連隊戦闘詳報や第66連隊第1大隊戦闘詳報を論じたければ、該当箇所を示し給えよ。
  きちんと反論してあげるから。

> >   ハハハ、この証言は曖昧な記憶でしかないことを認める訳だw
> >   証拠能力が欠如していることがハッキリしたね。
> では、お伺いしますが、一般的に証言の根拠とは、物証を求めているわけではないとすると、何を指すのですか?

  おやおや、反論に窮して質問に質問で返す作戦に来たか。
  しかし、既に説明済みだよ。

>   根拠が無ければ証言にはならないと思うが。
>   何も物証を示せと言っている訳じゃない。
>   証言された状況を問うているだけだよ。
(No.11491)

  証言された事象が一体どういう状況で起こったのかを問うのは、当たり前に行われている反対尋問だ。

> 根拠は命令系統でしょう。
> 彼は鳩彦の命令系統に居たわけですから。

  間に一体何階層指揮系統が介在していると思っているのかな?
  どのレベルから出された命令かなんて、末端の兵士は通常知り得ないんだけど。

> もう一度お伺いしますが、校正や校閲というものの意味はご存知ですか?
> 校正の意味、校閲の意味を説明してみてください。

  何度でも訊くけど、信憑性という言葉の意味をご存知か?
  校正、校閲の意味よりこっちの方が重要だと思うがね。
  最終的に問題になるのは、証言の信憑性なのだから。

Re: デリ君にご教示を請うてみよう

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/17 00:26 投稿番号: [11517 / 29399]
>結論として、南京戦以前から日本人捕虜がいたということで構いませんね?

??
南京戦以前にも南京戦以後にも、支那軍が日本兵を捕虜にして保護した事実は全くない。
「反戦兵士」にすることは、捕虜にして保護することではなく、明白な不法行為だ。


>投降兵を捕獲したから、捕虜になったのですよ。

投降兵を捕縛して捕虜にせず処分したとしても、それはそれでやむを得ない場合もあるし正当な場合もある。
現実問題として日本軍は南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜にして保護したが、支那軍は日本兵を全く捕虜にせず皆殺しにしたのだ。

Re: 全く反論になっていない

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/17 00:16 投稿番号: [11516 / 29399]
>「均衡性があった」、もしくは「中国軍の不法行為は日本軍以上だった」と主張したいのであれば、そのことを証明すべきでしょう。
>「戦時復仇」であったことを証明するのもあなたなのですから、この点を証明できないのであれば、「戦時復仇」であったとは言えません。

1937年7月に支那事変が始まって以来、支那軍は投降した日本兵を「反戦兵士」を除いて全員惨殺したが、日本軍は南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜にして保護した事実を直視せよ。
本来、報復措置について論じるなら、「均衡性」よりも、どっちが先に違法行為をしたのかが問題視されるべきだ。


>読み直しましたが、だから、どうしたと言いたいのでしょうか?
>いくら読み直しても、「戦時復仇」であったことにはなりませんよ。

南京戦以前に支那軍に数多くの不法行為があったのだから、なるよ。


>「実際には、日本軍による死傷はなかった」?
>ラーベら国際委員会の記録によると、日本軍による死傷が「山ほど」あったようですが?

ラーベら国際委員会の記録は出鱈目情報を収録したものばかりで検証などはしていないから証拠力は全くないよ。

――――――――
  こうした要望や告発の日本側窓口は、当時外交官補の福田篤秦氏である。福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望のある政治家で、筆者とも昵懇の間柄である。福田氏は当時を回顧してこう語っている。

  「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
  『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
  『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
  ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の九時頃である。現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。

『南京事件の総括』田中正明著
――――――――


>つまり、南京大虐殺の認識があった、ということですね。

違うって。
南京大虐殺の認識ではなく、南京大虐殺をでっち上げて宣伝した認識だ。


・支那軍は上海などで、わざとホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害し、日本軍の仕業と嘘宣伝。

・北支那においては、水中に毒物を投じたり農作物に毒物を注射し、上海からの撤退時にも井戸に細菌を投じたりしたくせに、後年の常徳ペスト流行については「日本軍がやった」と根拠のない宣伝。

・支那軍は上海から南京への敗走中や南京周辺で「清野作戦」「焦土作戦」と称して、徹底的に略奪や放火などを行なったが、それらを「三光作戦」と称して日本軍の仕業に転嫁。

・南京では、脱出を諦めた多数の支那兵が市民から服を奪って安全区に潜入し、支那人盗賊と共に行なった犯罪を日本軍の仕業に転嫁し、中には最初から反日宣伝が目的の反日撹乱工作隊までもが存在した。

・黄河の堤防を決壊し、数十万人の支那住民を大量殺害し、「日本軍の行為」と嘘報道。

・不法毒ガスを使用して住民諸共殺害。

・蒋介石は日本軍の残虐行為を宣伝するために、日本軍が長沙市に近づいた時、長沙全域を焼き払って多くの市民を焼死させた。

・支那共産党は、チベットを侵略して大虐殺を行ない、文化大革命では驚愕の数千万人大量殺害を行ない、東トルキスタンでも侵略と大虐殺を行ない、さらに天安門事件でも約3万人の学生や市民を大虐殺したが、発表や報道は嘘ばかり。

・現在も、農民から土地を強制収用しておいて、補償をせず、抗議する農民を虐殺する事件が頻発しているが、発表や報道は嘘ばかり

Re: 児玉義雄証言 その後

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/17 00:10 投稿番号: [11515 / 29399]
  何度でも確認するけど「つまり、児玉証言に基づく捕虜虐殺の事実を、答えられないんだね」?

>   山田支隊の上部組織です。一つは上海派遣軍であると思われますが、もうひとつは、第16師団だという推測が濃厚でしょう。

  第13師団所属の山田少将に、どうして第16師団が命令できるんだよ。
  あ・り・え・な・い・だ・ろ!
  捏造確定だね。

> 他にも必要ですか?

  前回私はこう訊いたんだけど?

> それから「多数の捕虜を殺害した」と貴方は主張しているわけだが、「多数」というのは一体何処から導き出された結論かな?

  どうして答えられないのかな?

Re: デリ君には心底ガッカリだorz

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/16 23:36 投稿番号: [11514 / 29399]
>>日本兵は戦陣訓をまっとうして支那軍の捕虜にならなかったのではない。
>>支那軍が日本兵を全く捕虜にせず、日本兵は全員が惨たらしく殺されたり反戦兵士に仕立てられたりしたために1941年1月に東条陸相が示達した戦陣訓に「生きて虜囚の辱を受けず」の件が記載されたのだ。

>そうかい?   じゃぁ、アメリカ軍には捕虜になっても良いわけだね(藁

アメリカ軍も少数の日本軍将兵しか捕虜にせず、日本軍投降兵の大半を惨殺したが、支那軍のように一人残らず惨殺したり「反戦兵士」に仕立てた訳ではなかったから、アメリカ軍に対してなら一応投降してみる価値はあったかもしれない。

――――――――
リンドバーグ日記の抜粋・要約

各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて投降してきても皆殺しにするから。

あるところでは2000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのはたった100か200だった。残りのの連中にはちょっとした出来事があった。それを知った戦友は投降したがらないだろう。

捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。

将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入る。懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。

一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。

捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。

2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。

爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込みその後でトラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。

捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。
金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。

日本人を動物以下に取扱いそれが大目に見られている。我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、太平洋戦線を見れば見るほど、文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。

(リンドバーグはドイツ降伏後ナチスによる集団虐殺現場を見学した時の日記で)
「どこかで見たような感じ、そう南太平洋だ。爆撃後の穴に日本兵の遺体が腐りかけ、その上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が飾り付けられているのを見たときだ。ドイツはユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのだ」
――――――――


>で、君の言わんとすることは、君の妄想・想像・願望以外に何か根拠があるのかね。

だから、支那軍が日本兵を捕虜にして、反戦兵士にもせず、ちゃんと保護した事実を証明しろよ。
そんな事実はないのだよ。

Re: 本題は日本人捕虜がゼロか否かだが・・

投稿者: mht2040at 投稿日時: 2006/03/16 23:31 投稿番号: [11513 / 29399]
>ああ括弧がついてたからみれなかったんですね。
>まあだいたい想像通りでしたがw

>その発言の主が「李根山」とやらなのが笑ってしまいましたが。
>そのほかの発言も三光作戦なんて言葉がでてくるが香ばしいですね。さすが高文研。

じゃぁ、さすがは「あやしい調査団」とも返してやろうかね。しかし、私は一言も件のページが真実や事実だと言った覚えはないんだがな。そういう話もあると紹介したに過ぎない。君に如何に色眼鏡が付いてるか良く分かる反応ではあるがw

実際のところ、日本兵捕虜の中国側の扱いについては、所謂反戦兵士が大きく取り上げられるくらいで、その実態は良く分かってないんじゃないかと思われる。良く分かってないというよりは、よく知られていないというべきか。

秦郁彦による『日本人捕虜』というタイトルがそのものの文献もあるようなので、時間があれば個人的に調べてみようとは思うが、まぁこれは独り言だ。

>虐殺というのをどう定義するかによって違うんじゃないですか?戦争によって殺された人間は全部虐殺になるの?

じゃ、戦争で死んだ人は全て虐殺ではないと定義すればいいわけかねw
それは冗談として、君も虐殺ゼロ肯定派かね?

>非難すること事態は結構じゃないですか?私は不法行為ではないという立場ですから。

ところで、中国は具体的に一体何をどう非難しているのかね。

Re: 鬼頭証言は眉唾物

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/16 23:02 投稿番号: [11512 / 29399]
>   2名しかいないのにどちらか覚えていないのは「曖昧
>」ではないのかな?

2名に搾られているということは、明確ではありませんか?



>> あなたの立論は、鳩彦からの命令という点を捉えて、証言そのものを「眉唾物」と論ずるものでしたね?
>   違うけど?
> 朝香宮上海派遣軍司令が皆殺しを命じたというのは、根拠のある証言なのだろうか。
>(No.11377)
>   これが論点。

その文章は、こうなっていましたね。

----  引用  ----
Msg.11377
  朝香宮上海派遣軍司令が皆殺しを命じたというのは、根拠のある証言なのだろうか。
  そもそも、象徴的な存在でしかなかった朝香宮司令がそんな具体的な命令を出したというところからして、眉唾物だと思うが。
----  終わり  ----

つまり、鳩彦に関する発言に根拠があるか否かを支点として、証言そのものを「眉唾物」と論じています。

ご自分の発言をトリミングしてどうするのですか(笑)。
「捏造」や「幼稚」など逆切れされても困りますよ。


>   いや、秦先生の個人的な意見はいいから。
>   肝心の、「実際、上海戦でも捕虜殺害を戦果として計
>上していたようですが」の部分を示して欲しいのだが。
>   一体何を勿体ぶっているのだろうか。

面倒ですので、ご自身でお調べください(笑)。



>   その「当時の資料」を示さずに「裏付けられますね」
>と言われても、飛躍としか思えないぞ。

例えば、第33連隊戦闘詳報や第66連隊第1大隊戦闘詳報です。いずれも捕虜殺害を明記しています。



>   それは貴方が異常だから、正常な感覚の持ち主が異常
>に見えるというだけのことだ。

鳩彦と書いただけで目くじらを立てる人ですから、正常の感覚がずれているのでしょう。


>   ハハハ、この証言は曖昧な記憶でしかないことを認める訳だw
>   証拠能力が欠如していることがハッキリしたね。

では、お伺いしますが、一般的に証言の根拠とは、物証を求めているわけではないとすると、何を指すのですか?



>   根拠のない推測を思い込みと言うのだよ。

根拠は命令系統でしょう。
彼は鳩彦の命令系統に居たわけですから。



>   信憑性という言葉の意味をご存知か?

もう一度お伺いしますが、校正や校閲というものの意味はご存知ですか?
校正の意味、校閲の意味を説明してみてください。

Re: 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

投稿者: bell_desuta 投稿日時: 2006/03/16 23:01 投稿番号: [11511 / 29399]
人命なんぞ何とも思ってない中共が、半世紀過ぎても虐殺だの侵略だのと言ってる。
全くもって、ご最も・・・てなバカがいるか。

Re: 児玉義雄証言 その後

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2006/03/16 22:55 投稿番号: [11510 / 29399]
日本人が虐殺されても、シナ人が虐殺されて(正常な戦闘行為に見えるんだが)虐殺した日本人が悪いって論法だね。

敗戦した日本がやった行いは、全て悪し。
そして、日本人が虐殺された事は知らん振り。

こんな屑は、日本人で有る必要は有りませんな。

Re: デリ君にご教示を請うてみよう 横質問

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/16 22:47 投稿番号: [11509 / 29399]
>   というのは、何を意味しているのかな?
>   私には、捕虜を間諜として利用しようとした、ということに見えるのだが。

「反戦兵士」について勉強した方がいいでしょう。

Re: 児玉義雄証言 その後

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/16 22:46 投稿番号: [11508 / 29399]
m.c.> 論点は、虐殺に関する証言の「全てがウソ」だったか否かですよ(笑)。
m.c.> 議論は終わっています。

nmw.>   論点は虐殺に関する証言が本当だったかどうかだが。
nmw.>   「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」という命
nmw.>令で、一体何人殺されたんだ?
nmw.>   児玉証言を虐殺の根拠として持ち出したんだから、そ
nmw.>の結果どの程度の規模の「虐殺」がどの時点でどの局面
nmw.>において行われたのか、正確な数は分からなくても概況
nmw.>くらい分かるよな?

m.c.> 「ウソ」と「不正確」とは意味が違うことは知っていますか?

nmw.>   つまり、児玉証言に基づく捕虜虐殺の事実を、答えられないんだね(藁

もう一度確認しますが、「ウソ」と「不正確」とは意味が違うということをご存知でしょうか?


>   どう明記されているのかな?
>   もったいぶらずに、ソースを引用して欲しいのだが。
>   そうでなければこちらとしても反証のしようが無い。
>   あとから「そんなことは言っていません」と言われると、水掛け論になってしまうので。

◇十二月十五日   晴
捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す
皆殺せとのことなり
各隊食糧なく困却す

◇十二月十六日   晴
相田中佐を軍に派遣し、捕虜の仕末其他にて打合はせをなさしむ、捕虜の監視、誠に田山大隊大役なり、砲台の兵器は別 とし小銃五千重機軽機其他多数を得たり



>   特に、誰から命令されたのか、それを明確にしてもらいたい。

山田支隊の上部組織です。一つは上海派遣軍であると思われますが、もうひとつは、第16師団だという推測が濃厚でしょう。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/eichel.html



>   ところで、下関に捕虜収容所があったのかい?
>   他では聞かないなぁ。
>   捕虜を労役させていた倉庫はあったようだが。
>   もしかして、捕虜を労役させていた作業場を捕虜収容
>所と言っているのかな?

沢田吉次   33iⅢ
  掃蕩が終わってから、中国兵を処分すると聞いたので、わしらは埠頭に行って、中国人が殺されるのを見にいったわ。
  倉庫の入り口に九中隊の一個分隊十人ぐらいの兵が、軽機関銃二丁を据え倉庫の中に銃を向けて、暴動が起こらないように警戒していた。九中隊は見張りの使役をし、さらに二丁の軽機関銃を使って中国人の殺し役をしたんや。倉庫に詰め込んでいた男たちを外に引き出してから、埠頭から桟橋の上を五名ずつくらい走らして、後ろから軽機関銃でバリバリと撃った。(略)
『南京戦』P92

松田五郎   33iⅢ
  城内で殺したのはな、その場で殺したんや。捕まえて捕虜に出したのは、まとめて倉庫に入れてしもうたでな。倉庫というのは下関にあった。捕虜を入れた大きな倉庫が、四つか五つあったやろな。
『南京戦』P102

金谷正敏   33iⅢ
  次の日の昼、指揮班は商会も席で倉庫に詰め込んだ捕虜を集めて調べました。中国人を何人かひとか固まりに引き出して、十〜十五人ぐらいの日本兵が中国語で「クワイツオウ!」〔快走、早く行けの意味、日本兵はだいたいこれぐらいは言えた〕と言ったら、中国人たちは揚子江に向かって走り出しました。それに向かってダダダダダと機関銃で撃つのを目撃した。
『南京戦』P122

他にも必要ですか?

Re: 鬼頭証言は眉唾物

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/16 22:33 投稿番号: [11507 / 29399]
> 当時の中隊長と小隊長ですから、命令元の人物は2名に絞られています。
> 2名というのは、出所として「不明確」なのでしょうか?

  2名しかいないのにどちらか覚えていないのは「曖昧」ではないのかな?

> あなたの立論は、鳩彦からの命令という点を捉えて、証言そのものを「眉唾物」と論ずるものでしたね?

  違うけど?

> 朝香宮上海派遣軍司令が皆殺しを命じたというのは、根拠のある証言なのだろうか。
(No.11377)
  これが論点。

>   そもそも、象徴的な存在でしかなかった朝香宮司令が
>そんな具体的な命令を出したというところからして、眉
>唾物だと思うが。

  これは論拠の一つ。

> 論点はこの部分であり、「朝香宮司令の命令」という部分的な証言の当否ではありません。
> 論点を摩り替えていますね(笑)。

  従って、これこそがすり替えであり、論争相手の発言を捏造する幼稚な手口だ(藁

> 面倒ですから全部は引用しませんが、第34連隊戦闘詳報の鹵獲表と第116連隊の戦闘詳報での捕虜殺害の記述を挙げた後に続いて、次のように書いています。

  いや、秦先生の個人的な意見はいいから。
  肝心の、「実際、上海戦でも捕虜殺害を戦果として計上していたようですが」の部分を示して欲しいのだが。
  一体何を勿体ぶっているのだろうか。

> これは、当時の資料からも裏付けられますね。

  その「当時の資料」を示さずに「裏付けられますね」と言われても、飛躍としか思えないぞ。

> こういうことに目くじらを立てることの方が「異常」に見えますが?

  それは貴方が異常だから、正常な感覚の持ち主が異常に見えるというだけのことだ。

> 証言なのですから、根拠は、自身の記憶でしょう。
> そして、記憶などというものは、曖昧になりがちです。
> おとといの夕食のメニューは思い出せますか?

  ハハハ、この証言は曖昧な記憶でしかないことを認める訳だw
  証拠能力が欠如していることがハッキリしたね。

> 思い込みというよりは、推測ではないでしょうかね?

  根拠のない推測を思い込みと言うのだよ。

> 校正や校閲というものの意味はご存知ですか?

  信憑性という言葉の意味をご存知か?

Re: 鬼頭証言は眉唾物

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/16 22:12 投稿番号: [11506 / 29399]
>   兵卒や下士官は小隊長か分隊長から命令を受けるのが
>一般的で、稀に中隊長から直接命令を受けるケースも考
>えられるが、大隊長から直接命令を受けるケースはほと
>んど考えられないから、「中隊長」か「小隊長」から聞
>いた、という証言は、命令元を覚えていないという証言
>とほとんど同義語なんだが。

当時の中隊長と小隊長ですから、命令元の人物は2名に絞られています。
2名というのは、出所として「不明確」なのでしょうか?



>   無意味なのは「朝香宮司令の命令」という証言部分だよ。
>   「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」という命令
>を「当時の宮さん〔朝香宮〕から」受けたという証言に
>は何の根拠も無いということだからね。

Msg.11377   投稿者 : nmwgip
>   そもそも、象徴的な存在でしかなかった朝香宮司令が
>そんな具体的な命令を出したというところからして、眉
>唾物だと思うが。

あなたの立論は、鳩彦からの命令という点を捉えて、証言そのものを「眉唾物」と論ずるものでしたね?
論点はこの部分であり、「朝香宮司令の命令」という部分的な証言の当否ではありません。
論点を摩り替えていますね(笑)。



>   引用して頂きたい。
>   まさか「曽根一夫証言」じゃないだろうな?

面倒ですから全部は引用しませんが、第34連隊戦闘詳報の鹵獲表と第116連隊の戦闘詳報での捕虜殺害の記述を挙げた後に続いて、次のように書いています。
----  引用  ----
秦郁彦『南京事件』P68
  戦闘詳報は後世に残る公文書であり、作成に当たっては都合の悪い部分は適当に加除して体裁を整えるのが慣行になっていた。不名誉な死亡事故を「壮烈な戦死」に修飾するぐらいは珍しくなかったが、その戦闘詳報に国際法違反の行為を堂々と記載したのは、すでに捕虜殺害は当然という気分が全軍に行き渡っていたことを物語る。
----  終わり  ----

これは、当時の資料からも裏付けられますね。



>> 鳩彦の方がシンプルで親しみやすいでしょう(笑)。
>   異常だね。

そうでしょうか?
こういうことに目くじらを立てることの方が「異常」に見えますが?



>   根拠が無ければ証言にはならないと思うが。
>   何も物証を示せと言っている訳じゃない。
>   証言された状況を問うているだけだよ。

証言なのですから、根拠は、自身の記憶でしょう。
そして、記憶などというものは、曖昧になりがちです。
おとといの夕食のメニューは思い出せますか?



>   つまり「当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって」
>というのは単なる思い込みなんだね?
>   一体何処までが思い込みで、何処からが記憶なのか、
>甚だ疑わしいな。

思い込みというよりは、推測ではないでしょうかね?



>   どっちなのかな?
>   生年月日は重要なファクターであるにも関らず、一般
>の読者に指摘されるまで気付かなかったのか、それとも
>重要でないと軽視していた為、見落としていたのか。

校正や校閲というものの意味はご存知ですか?

Re: これも全く反論になっていない

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/16 22:12 投稿番号: [11505 / 29399]
>スティールとベイツは同じ船に乗って南京を離れたのだ
>が、南京を離れた後に似たような伝聞記事を書いたのだ
>から、そんに難しい話じゃないぞ。

>スティールとベイツは同じ船に乗って南京を離れたのだ
>が、南京を離れた後に似たような伝聞記事を書いたのだ
>から、そんに難しい話じゃないぞ。

では、議論をまとめましょう。

Msg.11387   投稿者 : deliciousicecoffee
>ダーディンとスティールの記事?
>だとしたら、国民政府の宣伝工作員だったベイツの出鱈
>目なメモを記事にしただけだよ。

この主張は、”スティールがベイツのメモを領事館に届けた”という報告だけが根拠でした。

この報告を基に、「スティールがベイツのメモを持っていた」という事実から、「スティールはベイツメモを見て、それを基に記事を書いた」と想像し、「ダーディンもベイツメモを見て、それを基に記事を書いた」と想像したわけです。

しかし、「スティールがベイツのメモを持っていた」ことが「スティールはベイツメモを見て、それを基に記事を書いた」ということとなる因果関係を示す根拠は提示されませんでした。
また、「スティールがベイツのメモを持っていた」ことが「ダーディンもベイツメモを見て、それを基に記事を書いた」ということとなる因果関係を示す根拠も提示されませんでした。

したがって、Msg.11387は根拠のない想像だったということになります。



D.>12月7日に早々と南京を逃げ出した蒋介石が、そのよう
D.>な誰も知らないことを知っていた訳がないだろ。

M.>英米の新聞にも、中国国内のマスコミでも報じられていたこ
M.>とが、「誰も知らないこと」というのがあなたの主張ですね?

D.>それらの報道は全て国民政府の宣伝工作員だったベイツ
D.>を始めとする安全区国際委員会メンバーなどの出鱈目な
D.>報告(宣伝)がソースなんだよ。

蒋介石が、南京での日本軍の残虐行為を認識していたかどうかを論じていたわけですが、この点は、認識していたという結論に達したようです。



>ちゃう、ちゃう。
>安全区国際委員会が日本軍の犯罪をでっち上げて嘘の情
>報を流しまくっていたということだよ。
>キミ、理解力無さ杉!

ここで論じているのは、安全区委員会が情報を流していたか否かではなく、蒋介石が安全区委員会の情報を知っていたか否かです。

論点のすり替えは止めましょう。



>>まぁ、あなたが無知で無見識であることは、証明されたよう
>>なものですが(笑)。

>そういう悔しい気持ちを露にした悪態をつくならIDを
>yu77799にすれば?

「悪態」ではなく、事実です。

Re: デリ君にご教示を請うてみよう

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/16 22:07 投稿番号: [11504 / 29399]
>一定の条件下における投降の拒否は認められるが、投降
>を受け入れて収容所に収容した捕虜を反戦兵士にしたり
>虐待するのは明白な不法行為だぞ。

あなたのトンデモ国際法論はおいておくとして(笑)。

結論として、南京戦以前から日本人捕虜がいたということで構いませんね?



>>そういえば、山田支隊は捕虜1,5000名を殺害しましたね。

>知らない。
>当時は、投降兵のことを「捕虜」と呼んでいたことなら知ってるけどね。

投降兵を捕獲したから、捕虜になったのですよ。
これは、当時の山田少将も認識していた事実です。

Re: 全く反論になっていない

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/16 22:07 投稿番号: [11503 / 29399]
>だから、均衡じゃなく、「質」と共に「量」も支那の方
>が酷かったんだよ。
>違うと言うなら、「質」と共に「量」も日本の方が酷か
>ったことを証明しろよ。

「均衡性があった」、もしくは「中国軍の不法行為は日本軍以上だった」と主張したいのであれば、そのことを証明すべきでしょう。
「戦時復仇」であったことを証明するのもあなたなのですから、この点を証明できないのであれば、「戦時復仇」であったとは言えません。



>オマエは、俺がいくら説明しても理解できない奴だという結論で構いませんね?

あなたの説明が論理的に間違っているので、間違った説明を理解することはできません。


>オマエは頓珍漢の上に痴呆症か?
>土曜日の投稿から読み直せ。
>ほれ。
>――――――――
>ハーグ陸戦法規第二十三条は、「兵器を捨て又は自衛の
(略)

読み直しましたが、だから、どうしたと言いたいのでしょうか?
いくら読み直しても、「戦時復仇」であったことにはなりませんよ。



>それはスマイスかベイツが言っていることであって、実
>際には、日本軍による死傷はなかったのに山ほど報告が
>あっただろ。

「実際には、日本軍による死傷はなかった」?
ラーベら国際委員会の記録によると、日本軍による死傷が「山ほど」あったようですが?



>>あなたの主張では、その「年がら年中言いふらしていた」中に「南京大虐殺」があったのでしょう?

>そうだよ。

つまり、南京大虐殺の認識があった、ということですね。

Re: 本題は日本人捕虜がゼロか否かだが・・

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2006/03/16 21:30 投稿番号: [11502 / 29399]
すんません。間違えてレスしました。

Re: 本題は日本人捕虜がゼロか否かだが・・

投稿者: marionohaka 投稿日時: 2006/03/16 21:12 投稿番号: [11501 / 29399]
いや、擁護するつもりはないですが、ってなんで自分にレスを?

Re: 本題は日本人捕虜がゼロか否かだが・・

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2006/03/16 20:22 投稿番号: [11500 / 29399]
便衣兵って普通の格好をしながら、日本軍の兵士を殺したんじゃないかい。

こんなのが、シナ人の戦闘行為であるならば、日本軍に殺されて当たり前。

貴方は便衣兵を擁護するんですか?

Re: 本題は日本人捕虜がゼロか否かだが・・

投稿者: marionohaka 投稿日時: 2006/03/16 13:08 投稿番号: [11499 / 29399]
ああ括弧がついてたからみれなかったんですね。
まあだいたい想像通りでしたがw

その発言の主が「李根山」とやらなのが笑ってしまいましたが。
そのほかの発言も三光作戦なんて言葉がでてくるが香ばしいですね。さすが高文研。

ちなみに農民に対して非常に残酷という話ですが、その真逆でもっと信憑性のある話が山ほどあるんですが、ご紹介しましょうか?国民党・共産党軍のが三光作戦・焦土作戦で自国農民を苦しめてた、実は日本軍のほうが農民を助けてたって話。

それと前もいったけど共産軍が人道的っていうのも大嘘。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/doyoyon/doyoyo7.html

>デリ君に賛同的なあなたでさえもそうなんだからね。
>デリ君はね、大した根拠もなく断言するんだな。
>南京虐殺事件などなく、日本人に虐殺された中国人はゼロ
>とか言うわけだしw

虐殺というのをどう定義するかによって違うんじゃないですか?戦争によって殺された人間は全部虐殺になるの?

>じゃ、便衣兵を処刑することそれ自体は非難に値するんだね?

非難すること事態は結構じゃないですか?私は不法行為ではないという立場ですから。

Re: デリ君には心底ガッカリだorz

投稿者: mht2040at 投稿日時: 2006/03/16 12:38 投稿番号: [11498 / 29399]
>やっぱり、キミは頓珍漢だ。
>日本兵は戦陣訓をまっとうして支那軍の捕虜にならなかったのではない。
>支那軍が日本兵を全く捕虜にせず、日本兵は全員が惨たらしく殺されたり反戦兵士に仕立てられたりしたために1941年1月に東条陸相が示達した戦陣訓に「生きて虜囚の辱を受けず」の件が記載されたのだ。

そうかい?   じゃぁ、アメリカ軍には捕虜になっても良いわけだね(藁

で、君の言わんとすることは、君の妄想・想像・願望以外に何か根拠があるのかね。「ない」と分かっちゃいるが敢えて訊いてみたいw

Re: 本題は日本人捕虜がゼロか否かだが・・

投稿者: mht2040at 投稿日時: 2006/03/16 12:35 投稿番号: [11497 / 29399]
>それとそのリンク先見れないんですが?

そうかい?
http://www.koubunken.co.jp/0325/0307sr.html

−−−−−−−−−−−−−−−−
  これに対して、日本軍捕虜に対する毛沢東の寛大政策をご存じですか?   当時の中国共産党の方針では、日本軍の負傷者を八路軍がとらえれば、すぐに治療しました。とても優遇してやりました。快復して、本人が日本軍に帰りたいと望めば、帰してやりました。また逆に本人の希望で八路軍にとどまりたければ、入隊もできるという寛大政策でした。しかし、一方の日本軍はどうでしたか。いま言ったように、農民に対して非常に残酷でした。そういうことを、伝えたいです。
−−−−−−−−−−−−−−−−

  まぁそういう話もあるってだけだと言っているだけだが、反戦兵士となった日本人捕虜もそうした厚遇ぶりが意外で、それに感謝してか、率先して反戦兵士になった日本兵捕虜もいた、とか聞いたこともあるね。

  事実、つーか真実はどうなんだろうね。

>まあたしかにデリさんの捕虜0人というのはいいすぎかも。

デリ君に賛同的なあなたでさえもそうなんだからね。デリ君はね、大した根拠もなく断言するんだな。南京虐殺事件などなく、日本人に虐殺された中国人はゼロとか言うわけだしw

>でももし日本軍が便衣兵を処刑していたとしても
>中国側には非難の資格はないというのは全く同感。

じゃ、便衣兵を処刑することそれ自体は非難に値するんだね?

Re: さあな、横、Marcさんへ

投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/03/16 11:50 投稿番号: [11496 / 29399]
>誰も有力な証拠だと見なしていないから。

他人のことまで、断定できるのか。まあ、それはそれでいいとして、Marcさんがそれについて、なにも文句を言っていないようなのは、Marcさんの負けかな。

Re: さあな、横、Marcさんへ

投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/03/16 11:46 投稿番号: [11495 / 29399]
>そういう計算ですか(笑)。

そういう計算です(笑)。どうでもいいことですが。あー、こりゃこりゃ。

Re: 子供達に教えるべきです。

投稿者: asia1867 投稿日時: 2006/03/16 03:58 投稿番号: [11494 / 29399]
>>1924年生まれで、13歳から7年間も慰安婦として
働いていたとのことだから、1937年から1942年まで
インドネシアで売春稼業。

>算数もできないのか?
1924+13+7=1944だが?
コピペするときは、数字くらい確かめろや。


「日本軍が、インドネシアに進駐したのは、1942年。」

この行省いたら、意味が判らんようになるわな。

それとも、1942年以前に、蘭領に日本軍が進駐していたのか?

そうでなければ、
「親に売り飛ばされ、蘭領インドネシアで、1937年から1942年まで売春稼業」

あんたは、算数ができても計算が駄目なようだな。

おまけで、子供達に教えよう。

1941年以前のアジアには、
大日本帝国、タイ王国、大満州帝国、中華民国(南京政府、重慶政府)、モンゴルと言う国があったと。

日本はアジアを侵略しましたと。

そして、英領マレー、米領フィリピン、蘭領インドネシアの植民地解放の戦争をしましたと。

Re: デリ君にご教示を請うてみよう 横質問

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/16 00:36 投稿番号: [11493 / 29399]
  一つ質問させてもらっても宜しいだろうか?

> 武漢時代王に工作援助を依頼してきたので、

  というのは、何を意味しているのかな?
  私には、捕虜を間諜として利用しようとした、ということに見えるのだが。
  だとすれば、ハーグ陸戦規則第六条の「一切作戦動作ニ関係ヲ有スヘカラス」に明確に違反し、捕虜として保護していることにはならないが。

ハーグ陸戦規則
第六条[労務]
国家ハ、将校ヲ除クノ外、俘虜ヲ其ノ階級及技能ニ応シ労務者トシテ使役スルコトヲ得。
其ノ労務ハ、過度ナルヘカラス。又一切作戦動作ニ関係ヲ有スヘカラス。(以下省略)

Re: 児玉義雄証言 その後

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/16 00:31 投稿番号: [11492 / 29399]
> >   論点は虐殺に関する証言が本当だったかどうかだが。
> >   「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」という命
> >令で、一体何人殺されたんだ?
> >   児玉証言を虐殺の根拠として持ち出したんだから、そ
> >の結果どの程度の規模の「虐殺」がどの時点でどの局面
> >において行われたのか、正確な数は分からなくても概況
> >くらい分かるよな?
>
> 「ウソ」と「不正確」とは意味が違うことは知っていますか?

  つまり、児玉証言に基づく捕虜虐殺の事実を、答えられないんだね(藁

> 命令書は確認できませんが、山田支隊の山田栴二少将は、当時の日記に明記していますよ。
> そして、鈴木明のインタビューに証言していますし、そこでは捕虜殺害の催促までされていたことを証言していますね。
>
> あぁ、そういえば、この山田少将の証言も「南京大虐殺」の証言ですね。

  どう明記されているのかな?
  もったいぶらずに、ソースを引用して欲しいのだが。
  そうでなければこちらとしても反証のしようが無い。
  あとから「そんなことは言っていません」と言われると、水掛け論になってしまうので。
  特に、誰から命令されたのか、それを明確にしてもらいたい。

> 第16師団の部隊だと聞いていますよ。

  これのこと?

後藤忠信(第16師団歩兵第33連隊   第3大隊)
「敗残兵の処理は、連れてきて、捕虜収容所へ入れとるもんな。収容所は下関にありましたでしょ。倉庫……、下関の港の倉庫やでさぁ、大きいですなぁ。自分の分隊でも処理しとったんでしょうな。上官の命令でな。いや、その場では私らねぇ、手ぇかけて殺したっていうこと……。まぁとにかく、男は生かしとくなっていうことはよう聞いてはおりましたけどなぁ。」

  他の証言は、敗残兵の掃蕩に関するものだけど。

  ところで、下関に捕虜収容所があったのかい?
  他では聞かないなぁ。
  捕虜を労役させていた倉庫はあったようだが。
  もしかして、捕虜を労役させていた作業場を捕虜収容所と言っているのかな?
  拘束し、監視していたという意味では、収容所と言っても間違いとは言えないが。
  それに「自分の分隊でも処理しとったんでしょうな。」とか「いや、その場では私らねぇ、手ぇかけて殺したっていうこと」とか、他人事みたいな証言が続くんだけど、これは体験談じゃないの?
  分隊だよ?   同じ隊にいて、自分の分隊が何をやっているのか分からなかったなんてありえないと思うんだが。
  それから「多数の捕虜を殺害した」と貴方は主張しているわけだが、「多数」というのは一体何処から導き出された結論かな?
  この収容所には何人くらい収容されていたんだ?
  この証言は、一体どんな事実に対応しているのか、説明してもらえないだろうか。

  ただ、「日本軍には捕虜収容施設が無かった」なんていう妄言を聞かされずに済んだことだけはよしとしようか。

Re: 鬼頭証言は眉唾物

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/16 00:27 投稿番号: [11491 / 29399]
> 「中隊長」か「小隊長」から聞いた、ということですから、「出所」はある程度明確ですよ。

  兵卒や下士官は小隊長か分隊長から命令を受けるのが一般的で、稀に中隊長から直接命令を受けるケースも考えられるが、大隊長から直接命令を受けるケースはほとんど考えられないから、「中隊長」か「小隊長」から聞いた、という証言は、命令元を覚えていないという証言とほとんど同義語なんだが。

> いずれにせよ、「上海派遣軍司令官の命令を確認できる立場だったのか?」などという論点は、無意味な立論だったわけです。

  無意味なのは「朝香宮司令の命令」という証言部分だよ。
  「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」という命令を「当時の宮さん〔朝香宮〕から」受けたという証言には何の根拠も無いということだからね。
  誰が命令したのかも定かでない、その命令を誰が伝えたのかも定かでない、そんな証言に一体どれだけの証拠能力があるというのだろうか。
  誰から伝えられたのかすら覚えていないのなら、そういう命令があったということも単なる思い込みじゃないのかな?

> これは、秦郁彦『南京事件』に書かれています。
> 詳細がほしければ、私も調べて引用しても構いませんよ。

  引用して頂きたい。
  まさか「曽根一夫証言」じゃないだろうな?

> 鳩彦の方がシンプルで親しみやすいでしょう(笑)。

  異常だね。

> もう、60年も前のことを根拠を含めて証言できる人の方が、どうかしていると思いますよ。

  根拠が無ければ証言にはならないと思うが。
  何も物証を示せと言っている訳じゃない。
  証言された状況を問うているだけだよ。

> なぜならば、鬼頭氏が、そのような上部の命令のやり取りを聞ける立場に居たとは思えないからです。

  つまり「当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって」というのは単なる思い込みなんだね?
  一体何処までが思い込みで、何処からが記憶なのか、甚だ疑わしいな。

> 私は、「証言者の生年月日が重要なファクターでない」などとは言っていませんよ。

  どっちなのかな?
  生年月日は重要なファクターであるにも関らず、一般の読者に指摘されるまで気付かなかったのか、それとも重要でないと軽視していた為、見落としていたのか。
  まあ、生年月日が単なる書き間違えであったとしても、証言した「命令」を認識した状況を何一つ説明できない鬼頭証言に、証言能力が欠如しているという結論に変わりはないのだけども。

Re: これも全く反論になっていない

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 23:33 投稿番号: [11490 / 29399]
>で、そのあなたの想像を裏付ける具体的な根拠はありますか?

スティールとベイツは同じ船に乗って南京を離れたのだが、南京を離れた後に似たような伝聞記事を書いたのだから、そんに難しい話じゃないぞ。
――――――――
南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』一〇五頁。一九三八年一月五日、上海のアメリカ総領事ガウスからワシントンの国務長官宛の「祕密扱い」の報告書簡(出典:Record of US Embassy to Chinam Correspondence American Embassy Nanking)には次のように記されている。「南京大学のシール・ペイツ博士(社会学および歴史学の教授)が書いた日本軍占領後の南京の状況に関するメモを同封する。本メモの写しは、『シカゴ・デイリー・ニューズ』   のアーチボルト・スティール氏が当総領事館の館貞に手渡したものである」
――――――――


>結論としては、『シカゴ・デイリーニューズ』12月15日の記事、『ニューヨーク・タイムズ』12月18日の記事が、「ベイツの出鱈目なメモを記事にした」というあなたの主張はデタラメだったということでよろしいですね?

スティールとベイツは同じ船に乗って南京を離れたのだが、南京を離れた後に似たような伝聞記事を書いたのだから、そんに難しい話じゃないぞ。
――――――――
南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』一〇五頁。一九三八年一月五日、上海のアメリカ総領事ガウスからワシントンの国務長官宛の「祕密扱い」の報告書簡(出典:Record of US Embassy to Chinam Correspondence American Embassy Nanking)には次のように記されている。「南京大学のシール・ペイツ博士(社会学および歴史学の教授)が書いた日本軍占領後の南京の状況に関するメモを同封する。本メモの写しは、『シカゴ・デイリー・ニューズ』   のアーチボルト・スティール氏が当総領事館の館貞に手渡したものである」
――――――――


>英米の新聞にも、中国国内のマスコミでも報じられていたことが、「誰も知らないこと」というのがあなたの主張ですね?

それらの報道は全て国民政府の宣伝工作員だったベイツを始めとする安全区国際委員会メンバーなどの出鱈目な報告(宣伝)がソースなんだよ。
当然のことだが、それらの報道(宣伝)が正しいと検証・確認されたことはない。


>つまり、安全区委員会の情報を知っていたということですか?

ちゃう、ちゃう。
安全区国際委員会が日本軍の犯罪をでっち上げて嘘の情報を流しまくっていたということだよ。
キミ、理解力無さ杉!


>まぁ、あなたが無知で無見識であることは、証明されたようなものですが(笑)。

そういう悔しい気持ちを露にした悪態をつくならIDをyu77799にすれば?

Re: デリ君にご教示を請うてみよう

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 23:19 投稿番号: [11489 / 29399]
>青山和夫『反戦謀略』P119
>常徳捕虜収容所

一定の条件下における投降の拒否は認められるが、投降を受け入れて収容所に収容した捕虜を反戦兵士にしたり虐待するのは明白な不法行為だぞ。
本当に分かってんの?


>そういえば、山田支隊は捕虜1,5000名を殺害しましたね。

知らない。
当時は、投降兵のことを「捕虜」と呼んでいたことなら知ってるけどね。
そもそも俺は投降兵殺害とかには詳しくないし関心がないのだよ。
関心があるのは「日本軍による無辜の市民虐殺が0人だった」こと。

Re: 全く反論になっていない

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 23:10 投稿番号: [11488 / 29399]
>で、「質」と共に「量」も均衡であったことを証明してくださいね。

だから、均衡じゃなく、「質」と共に「量」も支那の方が酷かったんだよ。
違うと言うなら、「質」と共に「量」も日本の方が酷かったことを証明しろよ。


>南京戦当時から、捕虜収容所があり、日本軍の捕虜がいたという結論で構いませんね?

オマエは、俺がいくら説明しても理解できない奴だという結論で構いませんね?


>日本軍の投降兵殺害ですよ。
>これを戦時復仇だと言うのがあなたの主張ですよ。
>投降兵殺害が合法行為だと主張するならば、戦時復仇になりませんよ(笑)。

オマエは頓珍漢の上に痴呆症か?
土曜日の投稿から読み直せ。
ほれ。
――――――――
ハーグ陸戦法規第二十三条は、「兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を禁止している。

しかしながら、戦闘の進行中で敵軍の一部が投降せんとする場合に、味方軍がこれを受諾し投降兵を収容して後方に送致する為には味方軍の進撃を中止する必要を生じその事が味方軍の勝利を危うくする惧れのある場合には、味方軍の安全と勝利を確保する為に敵軍の降伏信号を黙殺して攻撃を継続する事が軍事上必要となる。

故に、戦時法規は一定の条件下において投降の拒否を認めるのである。
この見解はオッペンハイムを始め多数の戦時国際法家に支持されている。

「投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。
第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、
第二は、敵の戦争法規違反に対する報復として、
第三は、緊急必要の場合において、すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危うくされる場合においてである。」
(オッペンハイム)
――――――――
3つの全てのケースが実際に存在したが、君にも解かる最も簡単なのは、第二の「敵の戦争法規違反に対する報復として」だろう。
日本軍は南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜にして保護したが、支那軍は支那事変8年間で日本兵を一人も捕虜として保護しなかった。
これだけでも、「敵の戦争法規違反に対する報復として」支那軍投降兵の処分は正当化されるだろ。
――――――――


>「スマイス報告書」
>占領軍の報復を恐れて日本軍による死傷の報告が実際より少ないと考えられる理由がある。

それはスマイスかベイツが言っていることであって、実際には、日本軍による死傷はなかったのに山ほど報告があっただろ。


>あなたの主張では、その「年がら年中言いふらしていた」中に「南京大虐殺」があったのでしょう?

そうだよ。
蒋介石など国民政府は、年がら年中、日本軍の悪行をでっち上げたり、支那軍の悪行を日本軍の仕業に擦り付けたりして言いふらしていたんだ。
少しは学習できたかな?

・支那軍は上海などで、わざとホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害し、日本軍の仕業と嘘宣伝。

・北支那においては、水中に毒物を投じたり農作物に毒物を注射し、上海からの撤退時にも井戸に細菌を投じたりしたくせに、後年の常徳ペスト流行については「日本軍がやった」と根拠のない宣伝。

・支那軍は上海から南京への敗走中や南京周辺で「清野作戦」「焦土作戦」と称して、徹底的に略奪や放火などを行なったが、それらを「三光作戦」と称して日本軍の仕業に転嫁。

・南京では、脱出を諦めた多数の支那兵が市民から服を奪って安全区に潜入し、支那人盗賊と共に行なった犯罪を日本軍の仕業に転嫁し、中には最初から反日宣伝が目的の反日撹乱工作隊までもが存在した。

・黄河の堤防を決壊し、数十万人の支那住民を大量殺害し、「日本軍の行為」と嘘報道。

・不法毒ガスを使用して住民諸共殺害。

・蒋介石は日本軍の残虐行為を宣伝するために、日本軍が長沙市に近づいた時、長沙全域を焼き払って多くの市民を焼死させた。

・支那共産党は、チベットを侵略して大虐殺を行ない、文化大革命では驚愕の数千万人大量殺害を行ない、東トルキスタンでも侵略と大虐殺を行ない、さらに天安門事件でも約3万人の学生や市民を大虐殺したが、発表や報道は嘘ばかり。

・現在も、農民から土地を強制収用しておいて、補償をせず、抗議する農民を虐殺する事件が頻発しているが、発表や報道は嘘ばかり。

Re: yousunwai君 (横です)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 22:47 投稿番号: [11487 / 29399]
>ですから、軍事的な均衡は、戦略としてはあると思います。

支那人相手の場合には、「均衡」では駄目で、軍事力で圧倒的優位に立つことが必要です。
――――――――
  自分自身を中国の真の友であると信じていたエルギン卿も「武力を用いることを余儀なくされるような事態になることは自分としては不愉快だし気乗りもしないが、しかし中国人は武力に対しては常に屈するが理屈には決して従わない国民だ」と告白した。
(中略)
  そして中国人と交渉するときには武力が必要だということを認識したのはヨーロッパ人だけではなかった。1854年、在中米高等弁務官ハンフリー・マーシャル氏は、「中国政府は武力及びそれを行使しようという意志の存在する場合に限ってのみ正義を認める」と発言した。
  そして彼の後任ロバート・M・マクリーン氏も、「中国との外交交渉はカノン砲を突きつけたときのみ行うことが出来る」と述べた。
  1932年、中国に15年住んだ米人作家ロドニー・ギルバート氏は次のように述べた。「中国人は自分がトップに立って誰か他の者を押さえつけているか、または自分より強い者の前で屈辱を受け恐れおののいているか、のどちらかでなければ満足できない。対等の基盤に立って誰かと公平に公正に付き合うことに中国人は決して満足できないのだ」と。
『シナ大陸の真相』K・カール・カワカミ著(1938年)

  Ω   Ω   Ω

(支那の)歴史を思い出そう。無知で仲間を思いやる気持ちがないから残酷な刑ができた。「地獄へ堕ちるぞ」と脅してきた。もちろん、両方をうまく使って脅してきたのは言うまでもない。人間の情に訴え、人心を掌握するということはなかった。
『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)
――――――――


>たとえ話は、話を簡単にする時などに良く行われますが、たとえ話をすることでその議論が、本来の議論と離れてしまった場合、それを修正しにくくなることもあります。
>そして、個人と国家とは、少し置かれている状況が違うと思います。

過去において支那が日本やチベットに対して行なった行為は、王亮や楊寧が行なった福岡一家殺害事件や、宅間守が行なった池田小学校児童殺傷事件を、集団で行なったということ(テロ)に過ぎないのですよ。


>したがって、防衛戦争でも責任は、生じるでしょう。これ以上でも、これ以下でもないと思います。そして、責任が生じるから、防衛戦争を想定するな!とか、やるな!とかまでは、私は言っていません。

そういうことでしたら、「戦争責任」や「反省」という表現は非常に誤解を招く表現であり、多くの人が読んだり議論する「掲示板」では不適切です。
今後は掲示板で「戦争責任」や「反省」という表現は避けるべきだと思います。

Re: これも全く反論になっていない

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/15 22:43 投稿番号: [11486 / 29399]
>>質問1:スティールがベイツのメモを領事館員に渡したことが、どうしてダーディンがそのメモを記事にしたことになるのでしょうか?因果関係を説明してください。

>スティールとベイツは同じ船に乗って南京を離れたのだ
>が、南京を離れた後に似たような伝聞記事を書いたのだ
>から、そんに難しい話じゃないぞ。

で、そのあなたの想像を裏付ける具体的な根拠はありますか?

なければ、妄想ということになりますよ(笑)。



>>質問2:あなたが挙げられた資料で判断できることは、スティールがベイツからメモを渡され、それをアメリカ領事館員に渡したということです。スティールが、そのメモを記事にしたということは、どのように証明されているのでしょうか?

>理解力のない奴に説明するのは時間と労力の無駄。
>餓鬼みたいに「証明」を求めるなら、そんな回りくどい
>ことをせずに、とっととオマエが「南京大虐殺」があっ
>た証明をしろ。

スティールが、そのメモを記事にしたということは証明できないわけですね?



結論としては、『シカゴ・デイリーニューズ』12月15日の記事、『ニューヨーク・タイムズ』12月18日の記事が、「ベイツの出鱈目なメモを記事にした」というあなたの主張はデタラメだったということでよろしいですね?



>クローン人間って本当に居たんだな。

ご紹介しましょう。
http://www.mental.or.jp/Miyuki/



>12月7日に早々と南京を逃げ出した蒋介石が、そのよう
>な誰も知らないことを知っていた訳がないだろ。

英米の新聞にも、中国国内のマスコミでも報じられていたことが、「誰も知らないこと」というのがあなたの主張ですね?



>安全区国際委員会が発信した出鱈目宣伝を伝え聞き、日
>記に日本軍の悪口を書いただけだろ。
>それ以外に知ることなど出来る訳がないだろ。


つまり、安全区委員会の情報を知っていたということですか?
であれば、「倭寇は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている」という日記の記述は、デタラメなのではなく、根拠のある記述だったわけですね?
そして、安全区委員会の情報を知っていたということは、南京大虐殺を認識していたということになりますね

これで結論が出たということでよろしいでしょうか?

まぁ、あなたが無知で無見識であることは、証明されたようなものですが(笑)。

Re: これも全く反論になっていない

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 22:28 投稿番号: [11485 / 29399]
>質問1:スティールがベイツのメモを領事館員に渡したことが、どうしてダーディンがそのメモを記事にしたことになるのでしょうか?因果関係を説明してください。

スティールとベイツは同じ船に乗って南京を離れたのだが、南京を離れた後に似たような伝聞記事を書いたのだから、そんに難しい話じゃないぞ。
――――――――
南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』一〇五頁。一九三八年一月五日、上海のアメリカ総領事ガウスからワシントンの国務長官宛の「祕密扱い」の報告書簡(出典:Record of US Embassy to Chinam Correspondence American Embassy Nanking)には次のように記されている。「南京大学のシール・ペイツ博士(社会学および歴史学の教授)が書いた日本軍占領後の南京の状況に関するメモを同封する。本メモの写しは、『シカゴ・デイリー・ニューズ』   のアーチボルト・スティール氏が当総領事館の館貞に手渡したものである」
――――――――


>質問2:あなたが挙げられた資料で判断できることは、スティールがベイツからメモを渡され、それをアメリカ領事館員に渡したということです。スティールが、そのメモを記事にしたということは、どのように証明されているのでしょうか?

理解力のない奴に説明するのは時間と労力の無駄。
餓鬼みたいに「証明」を求めるなら、そんな回りくどいことをせずに、とっととオマエが「南京大虐殺」があった証明をしろ。


>>投稿の芸風がyu77799とかMarc_Laforetとかsugi37_1とかは、クローン人間のように同じだと言っているのだが、理解できないかな?

>それは、あなたの心の病気が原因だと思いますよ(笑)。
>そのようなことは、私には理解できないので、医者にご相談ください。

クローン人間って本当に居たんだな。


>■ところで、以下の問題にお答えがありませんね?
>>>では、蒋介石日記において、南京での大虐殺の記述が
>>>「出鱈目宣伝」であったことを証明してくださいね。
>どうしたのですか?

12月7日に早々と南京を逃げ出した蒋介石が、そのような誰も知らないことを知っていた訳がないだろ。
安全区国際委員会が発信した出鱈目宣伝を伝え聞き、日記に日本軍の悪口を書いただけだろ。
それ以外に知ることなど出来る訳がないだろ。
少しは考えろ。

Re: 全く反論になっていない

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2006/03/15 22:10 投稿番号: [11484 / 29399]
結局、サヨは大虐殺があったとの証拠がなされないようですな〜

言葉尻ばっかりの言ですな〜

Re: デリ君にご教示を請うてみよう

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/15 22:10 投稿番号: [11483 / 29399]
>何だよ。
>やっぱり全然証明できないじゃん。

もう結論は出ているでしょう(笑)

あなたのウソがばれたということです。

----  引用  ----
青山和夫『反戦謀略』P119
常徳捕虜収容所
  戦争当初、特に上海南京戦時代の日本兵の捕虜は大部分空軍で、南京の収容所に入れられていたが、南京撤退前に西安の宝鶏に移された
  常徳に収容所が設立されたのは、台児荘、徐州会戦以降で、主として歩兵等が武漢に送られてきたのを、常徳に収容したのだった。軍政部の管轄で、所長を李列欽の馬丁をしていた雛任之だった。武漢時代王に工作援助を依頼してきたので、陥落後、わたしが収容所に行くことに内定していた。
----  終わり  ----



>ちなみに、一定の条件下における投降の拒否は認められるが、
>投降を受け入れて収容所に収容した捕虜を虐待するのは明白な
>不法行為だぞ。

そういえば、山田支隊は捕虜1,5000名を殺害しましたね。

Re: 全く反論になっていない

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/15 22:07 投稿番号: [11482 / 29399]
>そうだな。
>支那軍はとんでもない連中だな。

で、「質」と共に「量」も均衡であったことを証明してくださいね。

それが出来なければ、南京大虐殺の言い訳としての戦時復仇は成り立たないという結論を確認しましょう。



>そうして彼らは反戦兵士に仕立てられていったのだ。

南京戦当時から、捕虜収容所があり、日本軍の捕虜がいたという結論で構いませんね?



>「1938年2-3月ぐらいまでの日本軍の不法行為」って、一体、何のこと?
>1938年2-3月ぐらいまでに支那軍が実行した不法行為なら山ほどあるが?!

日本軍の投降兵殺害ですよ。
これを戦時復仇だと言うのがあなたの主張ですよ。
投降兵殺害が合法行為だと主張するならば、戦時復仇になりませんよ(笑)。

詭弁はお止めになっては如何ですか?



>そう、そう。
>アメリカ占領前の日本で原爆が投下されたのは事実だが
>、日本軍占領前の南京で民間人が虐殺された事実はなか
>ったからね。

いいえ、本当に南京大虐殺が起こったとしても、アメリカ占領下、日本軍占領下では、状況が違い、犠牲者名簿のような日本軍を批判するような行動は取れなかったということです。
例えば、次のような記述がこのことを裏付けています。
----  引用  ----
「スマイス報告書」
占領軍の報復を恐れて日本軍による死傷の報告が実際より少ないと考えられる理由がある。
『日中戦争史資料9』P222
----  終わり  ----



>いや、いや。
>国民政府は、「南京大虐殺」だけではなく、上で紹介し
>たような「ありとあらゆる日本軍の悪行」を捏造(擦り
>付け)して年がら年中言いふらしていたのさ。

あなたの主張では、その「年がら年中言いふらしていた」中に「南京大虐殺」があったのでしょう?
つまり、国民政府は「南京大虐殺」を認識していたということですね。

Re: デリ君にご教示を請うてみよう

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 22:05 投稿番号: [11481 / 29399]
>>だから、「反戦兵士」にしなかった日本人捕虜の存在を証明しろ。

>一部しか反戦兵士にはなりませんでしから、他の大部分は捕虜のままですよ。
>しかも、「反戦兵士」になる以前は「捕虜」だったわけですから、この時点で捕虜が0だったというあなたの主張は否定されてしまっています。

何だよ。
やっぱり全然証明できないじゃん。
ちなみに、一定の条件下における投降の拒否は認められるが、投降を受け入れて収容所に収容した捕虜を虐待するのは明白な不法行為だぞ。
お分かり?

Re: 全く反論になっていない

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 21:45 投稿番号: [11480 / 29399]
>中国軍が「投降兵」の殺害を行っていたか否かは知りませんが、「均衡」しているというのであれば、「質」と共に「量」も均衡である必要があるのですよ。

そうだな。
支那軍はとんでもない連中だな。


>青山和夫『反戦謀略』P119
>常徳捕虜収容所
>   戦争当初、特に上海南京戦時代の日本兵の捕虜は大部分空軍で、南京の収容所に入れられていたが、南京撤退前に西安の宝鶏に移された

そうして彼らは反戦兵士に仕立てられていったのだ。


>で、1938年2-3月ぐらいまでの日本軍の不法行為との均衡性を比較するのに、「1937年7月から1945年8月までの8年余り」を比較対照とするおつもりでしょうか?

「1938年2-3月ぐらいまでの日本軍の不法行為」って、一体、何のこと?

1938年2-3月ぐらいまでに支那軍が実行した不法行為なら山ほどあるが?!

――――――――
・支那共産党は盧溝橋事件を起こし、即座に「日本軍侵略開始」と宣伝した。

・国民党は、「日本軍を撃破したので次は通州を攻める」という内容のデマ放送を流し、騙された通州の支那保安隊は国民党に寝返るために200人以上の日本人居留民を惨たらしく大虐殺。

・支那軍は上海などで、わざとホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害し、日本軍の仕業と嘘宣伝。

・北支那においては、水中に毒物を投じたり農作物に毒物を注射し、上海からの撤退時にも井戸に細菌を投じたりしたくせに、後年の常徳ペスト流行については「日本軍がやった」と根拠のない宣伝。

・支那軍は上海から南京への敗走中や南京周辺で「清野作戦」「焦土作戦」と称して、徹底的に略奪や放火などを行なったが、それらを「三光作戦」と称して日本軍の仕業に転嫁。

・南京では、脱出を諦めた多数の支那兵が市民から服を奪って安全区に潜入し、支那人盗賊と共に行なった犯罪を日本軍の仕業に転嫁し、中には最初から反日宣伝が目的の反日撹乱工作隊までもが存在した。
――――――――


>アメリカ占領下、日本軍占領下では、状況が違うということです。

そう、そう。
アメリカ占領前の日本で原爆が投下されたのは事実だが、日本軍占領前の南京で民間人が虐殺された事実はなかったからね。


>ということは、あなたの解釈では、国民政府は捏造された「南京大虐殺」を認識していたのでしょう?

いや、いや。
国民政府は、「南京大虐殺」だけではなく、上で紹介したような「ありとあらゆる日本軍の悪行」を捏造(擦り付け)して年がら年中言いふらしていたのさ。

Re: 本題は日本人捕虜がゼロか否かだが・・

投稿者: marionohaka 投稿日時: 2006/03/15 21:29 投稿番号: [11479 / 29399]
貴方が戦陣訓・戦陣訓というから、時系列がおかしいと指摘したまでですが。
シナ事変ずっと後というのは言われるとおり間違い、勃発後とすべきでしたね。

捕虜を恥とする概念があったのは事実。しかし戦ってた相手がロシアに清国ですからね。清軍の捕虜虐待・殺害の話は外国の学者とかも指摘してましたが。
捕虜になったとしてどういう扱いをうけるか・・・
戦陣訓も山本七平によれば、一般にはほとんど浸透してなかったようですが。
それらを抜きにしても、第二次大戦前後にも捕虜になった日本兵はいっぱいいますよね?
しかし中国戦線では↓

中国軍(国民・共産)が日本兵を捕虜として厚遇した記録はない。それどころか混成旅団の相当数が捕虜となったケースもあった。そして帰還した記録はほとんどない。
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/topix-2/military%20station%20in%20sj%20war.html

別宮氏によれば、国民党軍は兵士の投降も禁止していたようだね。

それとそのリンク先見れないんですが?
高文研というのがなんかあやしいなw
もしかして、戦後直後の話ですか?
戦後に厚遇をうけたというのは眉唾で
民衆裁判でかなりの数の日本人が処刑(通化事件とか)されてるんですが。

まあたしかにデリさんの捕虜0人というのはいいすぎかも。
でももし日本軍が便衣兵を処刑していたとしても
中国側には非難の資格はないというのは全く同感。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)