Re: 全く反論になっていない
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/17 00:16 投稿番号: [11516 / 29399]
>「均衡性があった」、もしくは「中国軍の不法行為は日本軍以上だった」と主張したいのであれば、そのことを証明すべきでしょう。
>「戦時復仇」であったことを証明するのもあなたなのですから、この点を証明できないのであれば、「戦時復仇」であったとは言えません。
1937年7月に支那事変が始まって以来、支那軍は投降した日本兵を「反戦兵士」を除いて全員惨殺したが、日本軍は南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜にして保護した事実を直視せよ。
本来、報復措置について論じるなら、「均衡性」よりも、どっちが先に違法行為をしたのかが問題視されるべきだ。
>読み直しましたが、だから、どうしたと言いたいのでしょうか?
>いくら読み直しても、「戦時復仇」であったことにはなりませんよ。
南京戦以前に支那軍に数多くの不法行為があったのだから、なるよ。
>「実際には、日本軍による死傷はなかった」?
>ラーベら国際委員会の記録によると、日本軍による死傷が「山ほど」あったようですが?
ラーベら国際委員会の記録は出鱈目情報を収録したものばかりで検証などはしていないから証拠力は全くないよ。
――――――――
こうした要望や告発の日本側窓口は、当時外交官補の福田篤秦氏である。福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望のある政治家で、筆者とも昵懇の間柄である。福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の九時頃である。現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。
『南京事件の総括』田中正明著
――――――――
>つまり、南京大虐殺の認識があった、ということですね。
違うって。
南京大虐殺の認識ではなく、南京大虐殺をでっち上げて宣伝した認識だ。
・支那軍は上海などで、わざとホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害し、日本軍の仕業と嘘宣伝。
・北支那においては、水中に毒物を投じたり農作物に毒物を注射し、上海からの撤退時にも井戸に細菌を投じたりしたくせに、後年の常徳ペスト流行については「日本軍がやった」と根拠のない宣伝。
・支那軍は上海から南京への敗走中や南京周辺で「清野作戦」「焦土作戦」と称して、徹底的に略奪や放火などを行なったが、それらを「三光作戦」と称して日本軍の仕業に転嫁。
・南京では、脱出を諦めた多数の支那兵が市民から服を奪って安全区に潜入し、支那人盗賊と共に行なった犯罪を日本軍の仕業に転嫁し、中には最初から反日宣伝が目的の反日撹乱工作隊までもが存在した。
・黄河の堤防を決壊し、数十万人の支那住民を大量殺害し、「日本軍の行為」と嘘報道。
・不法毒ガスを使用して住民諸共殺害。
・蒋介石は日本軍の残虐行為を宣伝するために、日本軍が長沙市に近づいた時、長沙全域を焼き払って多くの市民を焼死させた。
・支那共産党は、チベットを侵略して大虐殺を行ない、文化大革命では驚愕の数千万人大量殺害を行ない、東トルキスタンでも侵略と大虐殺を行ない、さらに天安門事件でも約3万人の学生や市民を大虐殺したが、発表や報道は嘘ばかり。
・現在も、農民から土地を強制収用しておいて、補償をせず、抗議する農民を虐殺する事件が頻発しているが、発表や報道は嘘ばかり
>「戦時復仇」であったことを証明するのもあなたなのですから、この点を証明できないのであれば、「戦時復仇」であったとは言えません。
1937年7月に支那事変が始まって以来、支那軍は投降した日本兵を「反戦兵士」を除いて全員惨殺したが、日本軍は南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜にして保護した事実を直視せよ。
本来、報復措置について論じるなら、「均衡性」よりも、どっちが先に違法行為をしたのかが問題視されるべきだ。
>読み直しましたが、だから、どうしたと言いたいのでしょうか?
>いくら読み直しても、「戦時復仇」であったことにはなりませんよ。
南京戦以前に支那軍に数多くの不法行為があったのだから、なるよ。
>「実際には、日本軍による死傷はなかった」?
>ラーベら国際委員会の記録によると、日本軍による死傷が「山ほど」あったようですが?
ラーベら国際委員会の記録は出鱈目情報を収録したものばかりで検証などはしていないから証拠力は全くないよ。
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こうした要望や告発の日本側窓口は、当時外交官補の福田篤秦氏である。福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望のある政治家で、筆者とも昵懇の間柄である。福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の九時頃である。現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。
『南京事件の総括』田中正明著
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>つまり、南京大虐殺の認識があった、ということですね。
違うって。
南京大虐殺の認識ではなく、南京大虐殺をでっち上げて宣伝した認識だ。
・支那軍は上海などで、わざとホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害し、日本軍の仕業と嘘宣伝。
・北支那においては、水中に毒物を投じたり農作物に毒物を注射し、上海からの撤退時にも井戸に細菌を投じたりしたくせに、後年の常徳ペスト流行については「日本軍がやった」と根拠のない宣伝。
・支那軍は上海から南京への敗走中や南京周辺で「清野作戦」「焦土作戦」と称して、徹底的に略奪や放火などを行なったが、それらを「三光作戦」と称して日本軍の仕業に転嫁。
・南京では、脱出を諦めた多数の支那兵が市民から服を奪って安全区に潜入し、支那人盗賊と共に行なった犯罪を日本軍の仕業に転嫁し、中には最初から反日宣伝が目的の反日撹乱工作隊までもが存在した。
・黄河の堤防を決壊し、数十万人の支那住民を大量殺害し、「日本軍の行為」と嘘報道。
・不法毒ガスを使用して住民諸共殺害。
・蒋介石は日本軍の残虐行為を宣伝するために、日本軍が長沙市に近づいた時、長沙全域を焼き払って多くの市民を焼死させた。
・支那共産党は、チベットを侵略して大虐殺を行ない、文化大革命では驚愕の数千万人大量殺害を行ない、東トルキスタンでも侵略と大虐殺を行ない、さらに天安門事件でも約3万人の学生や市民を大虐殺したが、発表や報道は嘘ばかり。
・現在も、農民から土地を強制収用しておいて、補償をせず、抗議する農民を虐殺する事件が頻発しているが、発表や報道は嘘ばかり
これは メッセージ 11503 (Marc_Laforet さん)への返信です.