“平和ボケ”のお部屋

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↓HNまちがえました。

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/03/17 01:43 投稿番号: [16157 / 17759]
私(Assaraamaaleicomnjp)のものです。申し訳ありませんでした。

Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(2)

投稿者: master_kage 投稿日時: 2009/03/17 01:39 投稿番号: [16156 / 17759]
>人権無視ですね。

アハハ、前にも書きましたが、いわゆる欧米スタンダードを捨てました・・(__;)
やはり極悪非道な殺人者にはそれなりの報いがあってもいいのか?・・と・・。

>私は中帰連の方々の体験がいつも胸をよぎります。

中帰連の方の文章がどのくらい信憑性があるかどうかはともかく、私のふるさとの近所のおじさんは、中国でひどいことをしたことを自慢げに話してくれました。それもともかく、この場合は殺人教唆した上司、または国家がその責を負うべきですから、最末端の一兵士に殺人者の汚名を着せるべきではないと、私も思います。ただ、上司の命令であれ、直接人を殺してしまったという事実に対して、逃げないで現実を凝視することから、反省なり謝罪なりの気持ちが芽生えればいいと思います。


>死刑廃止論者のミッテラン氏を、国民が選んだのです。

このことが「争点」だったとは聞いていませんがどうなんでしょうか?
************
http://www.news.janjan.jp/world/0709/0709152386/1.php
>「私に投票する人々は、たとえ死刑廃止に賛成でなくとも、私が当選した場合、死刑が廃止されるということを知るべきである」と述べたのです。
* ***********
つまりミッテラン氏の人間性が、死刑廃止という多くの国民の意に反していたけれども、それを補うにあまりあるほどに高く評価されたもので、死刑廃止はそれに付加して公約とされたということであって、争点とされていなかったことは間違いないですよねえ?

郵政民営化の小泉を選んだことがその後の小泉の政治全体を支持したなどというつもりはないですよねえ?しかしあの当時の小泉人気は異常なほど高く、国民はまさに「小泉の政策」ではなく「小泉個人」に投票したという意味では、ミッテランと同じです。
しかし、
小泉を選んだことが、イラクに派兵することを許可した記憶もありませんし、海賊退治を海外で武力行使できることも許可した覚えもありません。
ドラさんの言い方では、これらすべては「国民の同意の下に許されなければならない」ことになりませんかねえ?
まあしかし「公約」という意味ではミッテランとは大きく違いますが・・。
この公約でさえ、見直しが何の選挙もなしに、同じメンツでなし崩しになりつつあるとは・・(__;)


>どの戦争ですか?

まあ、このことは、死刑廃止国全体について書いたのですが、たとえばイギリスとかのことです。
しかしフランスに関するイラク戦争だって同じです。アメリカ側につかなかっただけで、フランスの武器輸出は今でも国全体の輸出量の多くの割合を占めていたと記憶しています。その武器を輸出することで、イラク側を支えているのはフランスだという見方もあります。結局は利益「金」のために戦争だって人殺しだってばんばんやっていることには違いがありません。
*****************
ウィキペディア「イラク戦争」より

フランスとロシアが石油や開発プロジェクトを巡ってイラクと良好な関係にあり、イラクに武器輸出をしていて、武力行使に対して両国が慎重な姿勢を崩さなかった背景にはその利益を守ろうとする動機があったともいわれている。イラク軍の保有する近代兵器の大半はロシア、フランス製である[18]。同時にアメリカと一線を画し、反戦を訴えることで国際地位の向上を目指したともとる事ができる[要出典]。また、ペルシャ湾への空母「シャルル・ドゴール」派遣を準備していたにも関わらず中止したフランスはイラクに多額の借款を持っており、戦争による体制の崩壊で当該借款が回収不能になることが危惧された。
* ********************


>【国が殺人によって何かを解決する、したつもりになる】事は危険だし、野蛮だと思っている。

前の投稿でも書きましたが、「死刑」と「問題解決」とは全く別の要因ですよ。
犯罪者に対しての極刑として「死刑」を存続しながら、「社会問題を解決する」ことは十分に可能です。この二つをセットにして危険だの野蛮だのと結論してしまうのは、何らかの意図的な誘導をしているとしか考えられません。


>つまり【自衛】という枕詞をつけないと攻撃できない事は、世界の常識になっている証拠ですね。

この「自衛」という言葉の裏で、「アフガニスタンの女性の人権」を守るために武力侵攻による殺戮が容認されたわけです。「人の人権を守るための殺人」は、欧米のスタンダードでは許される行為のようですね。


>イラク攻撃は国連総長が【違法】だと断言しています。

では国連が阻止するべきでしたね。

Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(1)

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/03/16 12:39 投稿番号: [16155 / 17759]
>金があれば、犯行はなかったし、【闇サイト】がなければこの犯行もなかった。

何度か書きますが、世の中には、闇サイトが存在する中にいて、金がなくて困っている人はごまんといますよ。その中で、殺人をする人間はごく少数です。貧困や環境は殺人を誘発する動機の一つにはなるかも知れませんが、しかしだからといって、その犯人個人を情状酌量する根拠には絶対になり得ませんよ。


>【闇サイト】への厳罰化はどうなってるのか、

どらさんは「厳罰化」には否定的ではなかったですか?この人間がつくった「闇サイト」の実体にどうやって、どのような罰を下すのですか?
それとも「闇サイト」という虚像に罰を下すということですか?


>彼ら3人、どうしようもない男達ですが、犯行を予防することは出来たはずだと思いました。

どうやって?
たとえば行政側が家庭内事情を把握するためには、行政に対して、自己申告か、第三者からの告発くらいでしょうか?DVに至っては、家庭内の細々としたところまで把握する必要があるわけですが、たとえば夜の営みに至るまで当局が把握する必要も出てくる可能性があるわけですが、この場合、その異常かそうではないかの線引きを誰がどの基準でどのように行うのか?そもそも個人のプライバシーはどこまで守られなければならないのか?
通常世間に知られない秘め事であればあるほど、事情は深刻に奥に奥にと隠蔽され、そういうものが重大犯罪へとつながりうると理解しています。このおそらくは意図的に秘められたことをどうやって社会の表面に浮上させ、「予防」できるのか?
私は、ドラさんのおっしゃるような、犯罪のために、私自身のプライバシーを守れない社会が「是」であるのならば、そんな社会はいやですね。


>寛大ではない・・死刑も冤罪もある。

こういう言い方は変でしょう?死刑存続を主張している私が、死刑を反対しているドラさんに対してその主張が通ったときのことを見越して(仮定の)発言していることに対して、あなたは、現在のこととして発言しているのならば、話は永遠に食い違いますよ。
「死刑がなかったならば?」・・という仮定に対して、「死刑はあります」では変ですよねえ?

また、冤罪はこの際私は入れていません。宅間や秋葉原事件に対して全く無縁の冤罪を持ってきて主張することは卑怯です。


>これはいわゆる【裕福】ですが、DVの父や、過剰な期待が子供を歪めてしまった・・大人の責任だと思います。

何度も書きますが、そんなに事件の真相がわかっているのならば、長期留置して問題の原因を追及する必要はないではないですか?拘束理由が原因追及であるというのであれば、もうそれは解決しているのだから、即時釈放すればいい。


>過ちを許さないのですね。

取り返しのつかない罪は罪として認め、刑に服した上で、それとは別に、社会的(制度的)な不備があればそれを是正して、よりよい社会をつくればいいんですよね。
※死刑を執行することと、臭いものに蓋をすること、よりよい社会をつくるために奮闘することとは全くの別物であり、これを同一視するところにある種の悪意とか、詭弁性を感じてしまいます。

死刑廃止論の人は、殺人犯に対して「あなたが人を殺したことなどたいしたことではない。人を殺したあなたが悪いわけではなく、あなたを殺人者にしてしまった社会が悪いだけなのだ。あなたは社会の犠牲者なのだから、社会はあなたを許す義務があるんです。申し訳のないことをしてしまいました。」・・・と殺人犯に謝罪をするが、実際にその殺人犯に殺された人に対しては、これも社会が悪いから起こってしまった悲劇ですから、実際に殺してしまった犯人に罪はありません。ここは一つ「我慢」して許してやるのが成熟した大人としての理性的な行動です。そのくらいのことはできますよね?
若気の至り、「過ち」は許してあげましょう。

こんなことで社会がよくなるわけがありません。将来的に死刑廃止になったとしても、それは「殺人者に寛容な【悪い社会】に他ならない」と思います。

実は私こそが「性善説」に乗っ取った甘い人間だとも思っていたのですが、しかし、最近は少し変わったという認識を持ちました。

死刑囚は悪人正機を主張する浄土真宗に入って、現世ではなくて来世で阿弥陀さんから救ってもらえばいいのではないか?とも思います。(__;)

※そもそも社会(だけ)が悪いのだったら、殺人は抜きにしても、通常の「犯罪」に対しても「社会が悪いのだから許すべきだ」と主張すればいいのにね。

Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(2)

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/03/16 00:38 投稿番号: [16154 / 17759]
こんばんわ


>この場合、死刑確定者に限りますから、冤罪の場合と違い、生きられればいいという程度の環境での拘束でいいと思います。無人島への島流し(死なない程度の衣食住、食料は定期的に配給)とか・・。後は強制尊厳死・・。


人権無視ですね。

私は中帰連の方々の体験がいつも胸をよぎります。↓



★おらあは、ほんとうに済まんことをした。おらあは、口でものを言っておったが、人間でなく盲になっとった。悪いという字も良いという字もわからんかった。おらあみたいなもんがよけいおって、盲にされて、戦争に行ってしもうて、みんな悪いことをした。とんでもない「神の国」がほんとうに憎うなった。   おらあは中国に来て不満もあったが、当局の人たちはほんとうに親切にしてくれ、何から何まで教えてくれました。過去学校に行ってないので、おらあは勉強したかった。そんで当局に要求をした。

  そうしたら、当局ではおらあに多くの本を買ってくれた。帳面も鉛筆もインキも。ペンも万年筆まで買ってくれた。そしてイロハから習い始めた。班長さんは喜んで、毎日来て面倒を見てくれ、自分のことのように心配してくれた。こうして仲間から本に振ガナをつけてもらい、字を勉強して来ました。

  もう一つの方法は、部屋の人たちに本を読んでもろうて、おらあは勉強をしたのです。だから、おらあは二つの方法をもって勉強をしたのでありました。

  おらあが勉強をするのに、管理所当局と部屋の人たちが、数知れない世話をしてくれました。それとほんとうに親兄弟のように優しゅうしてくれ、おらあに当局は五年間労働もさせず、またおらあに何の心配なく生活をあたえてくれ、自由に欲しい本を買ってくれました。だからおらあは、心配もせず字をならうことができたのであります。そうして、はじめて「借金」という字もわかり、証文という字もわかり、 それがまたどんなもんであったかがわかるようになった。おらあは生まれてはじめて、おらあの字で書いた手紙を日本の妻んとこへ出すことができました。日本の軍隊にいたときも、書きてえと思ったが、それができんかった。 ・・

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/syougen/m_ji.htm


>フランスなんかは、国民の意志とは無関係に決められていますよね?


死刑廃止論者のミッテラン氏を、国民が選んだのです。


>自分たちの国は死刑廃止国で、容認国のような野蛮な国ではありませんといっている陰で、戦争ばんばんやって外国人をばんばん殺しているというのが実情じゃないですか?


どの戦争ですか?


>人を殺すのは野蛮な行為でそれを推進する人は野蛮、私は反対の立場だから理性的な人間として正しい立場・・・などということではドラさんこそ「自分の正義をただ押しつけているだけの差別主義者だ」ということにもなりかねませんよね?



別に私が理性的とは言っていませんが、【国が殺人によって何かを解決する、したつもりになる】事は危険だし、野蛮だと思っている。
何かこれからの希望に繋がるとは思えない。




>イランやアフガニスタンでは、攻撃型の防衛という立場がとられて、先制攻撃が世界的に容認されました。北朝鮮に関しても、ミサイル発射の準備があるというだけで防衛側の先制攻撃が認められる風潮にあります。要するに、強国の論理そのまま、やりたい放題ですよ。


つまり【自衛】という枕詞をつけないと攻撃できない事は、世界の常識になっている証拠ですね。

イラク攻撃は国連総長が【違法】だと断言しています。

Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(1)

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/03/08 23:43 投稿番号: [16153 / 17759]
今日【闇サイト殺人】について、テレビで見ました。

彼ら3人何故、こんな残虐な事したのか・・死刑求刑されてました。

一人は新聞拡販していたそうですが、【金がない】と犯行に及ぶ。

金があれば、犯行はなかったし、【闇サイト】がなければこの犯行もなかった。

【闇サイト】への厳罰化はどうなってるのか、

娘を殺された母親は【死刑を求める、そして、闇サイトも無くすように】との願いを持っておられる。


彼ら3人、どうしようもない男達ですが、犯行を予防することは出来たはずだと思いました。



>>死刑の賛否、そのほかについても平行線ですね。
>>やはり私は「生育環境の不平等」を無視することができません。

>おそらくは、犯罪につながる生育環境の影響は相当あると思います。・・そのDVも、家庭内で連鎖的に引き継がれる確率も高いということですから、まあある種の犯罪と貧困はおそらくは非常に高い確率で無関係ではないということもいえるかも知れませんね。
もちろん「貧困」だけがその要因ではないですが、ドラさんのおっしゃる「生育環境の不平等」の中に貧困もその一要因をしめるという意味でも、これも無視することはできないとも思います。


そうですか・・光市事件の少年は、貧困ではないのですが、被害者と同じ

大手企業の社宅に住み、父親から母子ともに暴力に晒されていて、

母は何度も自殺未遂、挙句に自殺です。

このとき、少年と弟は【父が殺したのではないか】と思ったそうです。

それほど父との信頼関係はなかったし、入学式の日にも暴力に晒されていた

そうです。



>人間社会において、「平等」を主張できるのは、その「制度としての平等」とか、「機会の均等としての平等」だけなのではないでしょうか?



機会均等も初期から奪われていますね。
暴力に晒されていて、まともに生育できるはずがない。

せめて、この光市の母子に支援の手が伸びていたら?と強く思います。

今はDVから逃れるシェルターなども充実していません。



>「生育環境が不平等」だからといって、この「取り返しのつかない」ことをしでかしてしまった人に対してあまりに寛大すぎるのは、戦後の日本を悪くした風潮の大きな要因ではないか?と思いますけどね。


寛大ではない・・死刑も冤罪もある。

という事は【許さない・・殺す】という事ですね。
私は【死刑を止めろ、精神的な問題なら治療を受けさせろ】と。




>私は、たとえば、比較的裕福な家庭に育った人間が、今の教育システムから滑り落ちてしまい、その社会を逆恨みしてしまうというようなことを原因とした犯罪に対しては、同情する部分もないわけではないですが、やはり(死刑等も含む)厳正な刑罰を下すべきだろうと思います。


医師の家庭内殺人が連続しました。
これはいわゆる【裕福】ですが、DVの父や、過剰な期待が子供を歪めてしまった・・大人の責任だと思います。



>本来ならば、「たとえ一人にせよ、殺した内容によっては死刑もあり得る」というのが本当で、何でもかんでもたった一人殺したくらいでは死刑にはならないとした慣習が私は異常だと思います。


過ちを許さないのですね。



>多少不満はありますが、一定の規範を持つように訓練された人がせっかくいるわけですから、もっとそれを研ぎ澄ませて、責任逃れをしないで、自分の職務として精査して決断してほしいと思います。この多様化した世の中で、一般人が普遍的な結論を出せるはずがありません。


その試行錯誤で【死刑求刑】される人間も出ます。

なんと人権軽視の国でしょうか。

Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(2)

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/03/02 01:49 投稿番号: [16152 / 17759]
>終生拘束の内容は?

この場合、死刑確定者に限りますから、冤罪の場合と違い、生きられればいいという程度の環境での拘束でいいと思います。無人島への島流し(死なない程度の衣食住、食料は定期的に配給)とか・・。後は強制尊厳死・・。


>いいえ、死刑廃止は各国で熟慮した結果だと思います。
>それぞれ、何らかの考察があっての事で、ただの流れに沿っただけではないでしょう。

フランスなんかは、国民の意志とは無関係に決められていますよね?
自分たちの国は死刑廃止国で、容認国のような野蛮な国ではありませんといっている陰で、戦争ばんばんやって外国人をばんばん殺しているというのが実情じゃないですか?
捕鯨反対といって日本の捕鯨船に暴力的な嫌がらせをしている反捕鯨団体と何ら変わりはありませんよ。


>私は、無念を晴らすといって
>「新たな殺人・・死刑」しても、故人は帰らないし、何が残るのかと
>いう立場です。
>これは平行線。

ですからそういうお立場の方がいるのは結構なことで、尊敬に値するほど貴重なご意見だと思いますが、だからといって、恨みを晴らしたいと願う人たちのじゃまをすることはないじゃないですか?・・というのが私の考え方。人を殺すのは野蛮な行為でそれを推進する人は野蛮、私は反対の立場だから理性的な人間として正しい立場・・・などということではドラさんこそ「自分の正義をただ押しつけているだけの差別主義者だ」ということにもなりかねませんよね?


>先制攻撃の禁止もありますが
>もちろん万全ではない。

そんなことはないでしょう?
イランやアフガニスタンでは、攻撃型の防衛という立場がとられて、先制攻撃が世界的に容認されました。北朝鮮に関しても、ミサイル発射の準備があるというだけで防衛側の先制攻撃が認められる風潮にあります。要するに、強国の論理そのまま、やりたい放題ですよ。


>お互いの人権を侵害しないように譲歩ですね。

殺人によって家族を失った人と全くの第三者による理想主義的な希望とでは、同等の関係にありませんよ。お互いって、先に人が殺されているという前提において、もうすでに片方の「人権」は完全に侵害されているわけですが・・・。

Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(1)

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/03/02 01:45 投稿番号: [16151 / 17759]
私も相変わらず亀で、申し訳ありません。

>死刑の賛否、そのほかについても平行線ですね。
>やはり私は「生育環境の不平等」を無視することができません。

おそらくは、犯罪につながる生育環境の影響は相当あると思います。先日どこかのラジオで、確か派遣で活躍している湯浅さんだったと思いますが、DVと貧困の関係は完全にあるということがアメリカでは常識になっているというようなことを話していました。そのDVも、家庭内で連鎖的に引き継がれる確率も高いということですから、まあある種の犯罪と貧困はおそらくは非常に高い確率で無関係ではないということもいえるかも知れませんね。
もちろん「貧困」だけがその要因ではないですが、ドラさんのおっしゃる「生育環境の不平等」の中に貧困もその一要因をしめるという意味でも、これも無視することはできないとも思います。

しかし、よく考えてみると、私たちは生まれながらに平等ではないですよねえ?また、平等でなければならないとする規則などどこにもないし、あり得るはずもありません。
人間社会において、「平等」を主張できるのは、その「制度としての平等」とか、「機会の均等としての平等」だけなのではないでしょうか?

「みんな違ってみんないい」・・金子みすずだったか、あいだみつおだったか・・。

この不平等の中にこそ、それぞれの「個性」の存在を認めるし、個々の人間の尊厳の意味を感じてしまいます。


・ ・・でね?少なくとも私の中では不平等も完全否定はできない部分があることを認めた上で、その「不平等」から派生するトラブルもある程度許容しなければならない部分も含んでいると思っているわけですよ。でもね、だからといって何でもかんでも許せるか、許さなければならないか?と考えてみると、
「それをやっちゃあおしまいだよ」・・・っていう線引きもその中に存在すると思っているんです。

やはり、人間は本来は自律的に生きていることが前提で、自分のしでかしてしまった他者に対する損害に対する責任は自分でとることが理想なんですが、なかなか意志の弱い(私だけではないはずの)一般人はそういうわけにはいきません。
「取り返しのつかないこと」をしてしまった人は、何らかの他者(お天道様でもいいわけですが)の力を借りて「罰」を受けてもらうというのが、刑罰というもののそもそものなり染めじゃないのかなあと思うんです。

「生育環境が不平等」だからといって、この「取り返しのつかない」ことをしでかしてしまった人に対してあまりに寛大すぎるのは、戦後の日本を悪くした風潮の大きな要因ではないか?と思いますけどね。


>国はこういった(教育なども含む)不平等をなくす方向へ向かっていませんし、

機会均等からはほど遠い格差社会へとひたすら邁進していますね。
能力があるにもかかわらず貧乏のために充分な教育を受けられないなどというのは全くひどいと思いますが、私は、たとえば、比較的裕福な家庭に育った人間が、今の教育システムから滑り落ちてしまい、その社会を逆恨みしてしまうというようなことを原因とした犯罪に対しては、同情する部分もないわけではないですが、やはり(死刑等も含む)厳正な刑罰を下すべきだろうと思います。
・ ・・・っていうか、「べき」とか本当は使いたくない言葉なんですけどね。


>従来では「1人殺人では無期」が該当の犯罪でも
>このようなキャスターによって「1人でも殺したら死刑」
>という流れが作られようとしています。

本来ならば、「たとえ一人にせよ、殺した内容によっては死刑もあり得る」というのが本当で、何でもかんでもたった一人殺したくらいでは死刑にはならないとした慣習が私は異常だと思います。
・ ・ただ、古館は嫌いなので何の裁判なのか知りません。


>これからの裁判員制度では「死刑判決多発」が予測されます。

これもラジオのどなたかの発言でしたが、「案外お茶の間で『これは死刑だろう!』とか話している人も、実際自分が決める機会を得ると、そう簡単に死刑は言い出せない」という学説かなんかあるそうですが、それはともかく、一般人が死刑を含む量刑を判断しなければならないなんて言う社会がいやです。多少不満はありますが、一定の規範を持つように訓練された人がせっかくいるわけですから、もっとそれを研ぎ澄ませて、責任逃れをしないで、自分の職務として精査して決断してほしいと思います。この多様化した世の中で、一般人が普遍的な結論を出せるはずがありません。

江東区バラバラ殺人

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/03/02 00:43 投稿番号: [16150 / 17759]
★江東区バラバラ殺人での死刑回避を支持する〜そして、検察官には肉片を見せる前にするべきことがある

「死刑をもって臨むのは重きにすぎる」。東京・江東区のマンションで23歳の女性を乱暴目的で拉致して殺害、遺体をバラバラにして捨てたとされる事件の裁判。東京地裁は、殺人などの罪に問われている星島貴徳被告に対し、無期懲役の判決を言い渡しました(TBS)。死刑を回避したことは当然といえば当然だが、肉片などで残虐ぶりをショーアップしたなかで、裁判所はよく踏みとどまったといえる。(http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4065521.html

  事件自体が、非道で許されないことであることは間違いないが、そのことと死刑判決を下すべきであるかどうかは別だ。国家が死刑を実行することは、私には、国家が具体的な犯罪予防を放棄し、単に厳罰を下しているようにしか思われない。子どもがルール違反をした際に、殴ればよいと考えているのと同じような気がする。

  ここでは、死刑の是非には踏み込まない。問題だと考えるのは、この判決を受けて、裁判員制度の創設に関与した但木敬一前検事総長が発したコメントだ。

  TBSによると、但木前検事総長は「立証せざるを得ないので、裁判員には(証拠を)見てもらわなければ、避けて通るわけにはいかない。問題は、そういう資料を全部出すから“国民の常識的な感覚”で判断してくださいと」と述べたという。http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4065522.html

  ふ〜ん、無罪方向の証拠は隠しておいて、「そういう資料を全部出すから」ってどういうこと?!警察が集めた証拠を全部弁護側に開示してから、こういうセリフを吐くならまだしも、厳罰方向の証拠のみを「全部」出されたってねぇ…。

  ほんとに、不思議の国だよねぇ…。

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/7ec38dd9113893e854b0ca89486677c1


この加害者は、精神的に普通ではないと思うが、
ではなぜ、このような犯罪を犯したのか・・

女性を性奴隷にと言っていたが、一般的には実行には移さないと思うが
どうして実行したのか・・完全犯罪の自信があったのか・・

生かしておいて、何故何故・・を追求していってほしい、加害者自身も。

死刑にしてしまっては、原因追究に力が入らないだろう。

Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(1)

投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2009/02/22 00:50 投稿番号: [16147 / 17759]
こんばんわ。
甚だしいカメです。

死刑の賛否、そのほかについても平行線ですね。
やはり私は「生育環境の不平等」を無視することができません。

国はこういった(教育なども含む)不平等をなくす方向へ向かっていませんし、

テレビキャスターなども

従来の司法の判断基準を無視した、古館などの

「この犯罪が凶悪ではないって??

無期懲役??死刑ではない??

何いってるんでしょうかこの地裁判決は・・」

というような「死刑推進発言」に彩られています。


従来では「1人殺人では無期」が該当の犯罪でも

このようなキャスターによって「1人でも殺したら死刑」

という流れが作られようとしています。


これからの裁判員制度では「死刑判決多発」が予測されます。



>私が思うには、被害者家族がボタンを押すということができれば、ある程度この問題を解決できるとも思っています。看守も同席の中で、家族も含み全員がボタンを押せなければ、国家でこの死刑囚を終生拘束するということで納得させるということではどうでしょうか?


終生拘束の内容は?




>>世界的に【死刑廃止・停止】は主流ですし、死刑大国中国・米でも【死刑執行が減少してきた】のに、
>>ただ日本だけここ数年【年に数十人の処刑(以前は3〜4人)】。

>もう全く反捕鯨運動の人たちと同じ意見で驚きです。
こんなこと何の論拠にもなりませんよ。
「日本は何も考えないでアメリカのケツナメ路線に徹した方がいい」という意見と大差ないですよ。


いいえ、死刑廃止は各国で熟慮した結果だと思います。
それぞれ、何らかの考察があっての事で、ただの流れに沿っただけではないでしょう。
アメリカ従属の問題とは別。



>何度も書きますが、まず「無念」をはらすすべを国家によって奪われているという現実があります。遺族が合法的に無念を晴らすとしたらそれしか選択肢は残されていないわけですよねえ?ですから「無念を晴らしたい遺族」にとっては、そういうことですが、それが全員そうだとも思っていません。しかしどうしても無念だ・・という人にとっての救済は、「死刑」という形で制度として残しておくべきだという考え方です。


私は、無念を晴らすといって
「新たな殺人・・死刑」しても、故人は帰らないし、何が残るのかと
いう立場です。

これは平行線。



>これは体のいいガス抜き以外の何者でもないですよねえ?
戦争にルールって、人殺しに「お墨付き」をつけてどうしろっていうんですかねえ?


先制攻撃の禁止もありますが
もちろん万全ではない。



>同様にオオタグロさんが言うように、人間同士の対人関係においてはお互いの何らかの譲歩がなければ人権も成立し得ないのではないでしょうか?


お互いの人権を侵害しないように譲歩ですね。

Re: “平和ボケ”のお部屋

投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2009/02/20 22:52 投稿番号: [16146 / 17759]
おっとっと・・・

明日にでも投稿します。

虚無主義者の本領発揮

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/15 03:43 投稿番号: [16145 / 17759]
  つまり、君は、私の主張に於ける矛盾・飛躍を指摘することができないわけね。



  昔から、一般に於ける根拠のない思い込みに対して、否定する投稿を行ってきましたから、
  私を支持する人は極少数です。

Re: ww

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/15 03:04 投稿番号: [16144 / 17759]
まあご自分の論立てに矛盾がないかもう一度確認することですね。


あなたが昔のオオタグロさんと同一人物であるかどうか、私には知るすべはありませんが、もし別人であるとしたら、先人のお名前を汚さないようにがんばってください。

ww

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/15 02:31 投稿番号: [16143 / 17759]
  君が虚無主義者であると認めた時点で、議論など成立しないのだよ♪

  そもそも、「理」とは、法則であり、多数決とは無関係であり、
  「多数決」とは、単なる多数側の意思に従うという約束事にすぎず、「理」ではない。

  そして、虚無主義者は、区別すら無意味とするから、そもそも、理解などできるはずかないのである。

  君の思い込みに「理」が無いのであって、
  君が、君の思い込みに理があることを示すことができず、
  私が、君の思い込みに理が無いことを示していることを君が理解できないことは、

  1+0=0だと主張する者が、
  1+0=1であること説明を受け、
  説明を受けてなお、1+0=1となる理由が示されないことを以て、
  1+0=1であることの説明が独りよがりであると主張するがごときである。

  また、
  1+0=1であることの説明に対し、
  (−1)+(1+0)は、0になるではないか、との主張にあたることを君は行っており、
  しかも、そのようなすり替えを君が行おうとしたことは既に指摘済みである。

  にもかかわらず、君は、再度、すり替えを行おうとしたから、頭が悪いと認定したのである。



  理の追求を懈怠するための屁理屈をこねる者が虚無主義者であると言って良く、
  虚無主義者に理はなく、
  虚無主義者ではない者と共有する理はないから、
  虚無主義者の主張を正当化する理はないし、
  虚無主義者ではない者で共有する理による説明は、虚無主義者が理解することはない。

  君は、虚無主義を追求したまえ。
  行き着く先は、全ての否定であり、
  己の存在をも否定して自殺することになるであろうが…。

 

Re: 頭悪いねぇ〜。

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/14 22:55 投稿番号: [16142 / 17759]
結局ここは、、オオタグロさんの思いこみの物語を聞く場所だったようですね。
はじめの方はそうでもなかったのに、どこからずれていったのか、・・・もう死刑とか人権とか、公共の福祉とかの現実社会とのつながりはもはや完全に失われてしまいましたね。

実は私も暇なわけでもなく、いつまでもオオタグロさんの独りよがりの妄想世界につきあうわけにもいかないので、これくらいで勘弁してください。

それでは、ありがとうございました。

頭悪いねぇ〜。

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/14 00:16 投稿番号: [16141 / 17759]
  AがBを害さないという原因(X)によって、BがAから害されないのであるから、
  上記原因(X)が結果となることが条件として定められているのであるから、
  原因(X)を結果(X)とし、
  結果(X)に至らない原因(Y)は排除されるのであるから、
  力関係は全く無関係である。

  「理」は多数決では決まらない。
  最低でも一人が理を構築し、最低でももう一人が検証し、矛盾や飛躍が無いことを確認すればよい。

  圧倒的多数は理解できないのであるから除外される。

  誰が決めるか、複数の理を矛盾や飛躍なく構築できる者と、矛盾や飛躍がないことを検証できる者である。

  私が、なぜ、多数決を否定するか。

  正しい答えは、複数の理を正しく組み合わせなければならず、複雑化するほど理解できる者は減少する。
  検証することを条件とするならば、最少で2人となる。

  つまり、他数十億人は、正しい答えを導き出すことも検証することもできない。
  理解することなく代表を選出するのが選挙であり、
  所詮、選挙とは、正しい答えを導き出すことができない者が、
  正しい答えを導き出せるか否か検証することなく、
  正しい答えを導き出せるか否かわからない者を代表とする制度にすぎない。

  正しい答えを決定する権利は、正しい答えを導き出せる能力にもとづくのである。

  また、能力が無い者が理解できるものでもない。

>国民の唯一の権利の行使である選挙での選出も、必ずしもあてにならないわけですよねえ?

  当然です。
  無能な国民が、有能・無能を判断できるはずがない。
  無能な国民が、無能な代表を選んで、無能な代表の失政で無能な国民が苦しむわけですな。



>「公共の福祉」が語られましたし、

  公共の福祉と公共の利便性を区別できる者が少ないですから、間違って用いられただけでしょ。

>日本の「人権」の規定によると、「公共の利便性の向上」ということを名目としては、
>いかなる場合も人権を侵す理由にはなり得ないはずです。

  なり得ます。

  自ら望んだ場合は、侵害にはあたりません。

  全ての財物が私有財産であると仮定した場合、公共の財産は存在し得ません。
  公共の施設は公共の財産であり、私有財産が提供されなければ建設することはできません。

  公共の施設が必要であるならば、私有財産の提供が行われなければならない。
  私有財産を提供しないのであれば、公共の施設は存在し得ない。

  税金も同じ。

>「お国の利益のために少数が犠牲になることも時には仕方のないことだ」

  犠牲?
  賠償金を受け取ることによって、損害はてん補されていますから、損害は存在しません。

  問題のとらえ方が間違っている。

  無駄な公共事業で被害を被っているのは納税者である。
  本来、納税者の福利のために使用されるべき税金が、
  公共事業にかかわる一部の者の利益に使われている。

  その税金から金銭を受けているのは、受注者だけではない。
  被害者面して、損害賠償額をつり上げようとする者も含まれる。

  少数の者のために、多数の納税者を害するのは間違いである。

Re: 理とは、

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/13 21:46 投稿番号: [16140 / 17759]
>AがBを害することは、BはAから害されたことを意味する。

これは当然ですよねえ。

>BがAから害されないためには、AがBを害さなければよい。

どちらかの力が圧倒的に強かったり、同じような倫理観を共有していなかったりしてもこれは成り立つというわけですか?たとえば日米関係とか日朝関係なども同様ですか?

>これが、理である。

たとえば、この民主主義国家の日本の中で、「二人以上の理のわかる人」が決めるとして、これは誰の意志で、誰によって任命されて、誰によって同意されるんでしょうか?オオタグロさんのお話では、これを理解できる人は少ないとのことですが(もちろん私もその一人な訳ですが)、もし主権者である在民の多くが理解できないことをいったい誰がどういう権利で決定できるのか、私にははなはだ理解に苦しむところです。
たとえば郵政民営化のような主張を選挙に声高に叫んだ非常に限られた議論を持ち出した人の中に必ずそういう人がいるとは限らないわけですから、国民の唯一の権利の行使である選挙での選出も、必ずしもあてにならないわけですよねえ?


>A、B共に、相手から害されないことを望むならば、
>A、B共に、相手を害さなければよい。
>これが、公共の福祉。

私の知っている限り、成田闘争のときには、国策としての空港整備のための土地買収に関して「公共の福祉」が語られましたし、少なくともそのことによって自分の意志に反して土地を奪われた被害者意識を持った人たちが国家と戦っていたはずです。日本の「人権」の規定によると、「公共の利便性の向上」ということを名目としては、いかなる場合も人権を侵す理由にはなり得ないはずです。
しかし、そういう意味で、あの時代の「国家」は、「公共の福祉」を名目として三里塚の住民の権利を侵害していたことは間違いありません。そしてそれは、昔の封建制度さながら、「お国の利益のために少数が犠牲になることも時には仕方のないことだ」的な考え方の中で、公然と不法が見逃されたことはおそらく私の勘違いではなく、れっきとした事実だと感じています。

「個人が最高の価値であるのならば、その個人の人権を制限できるものは別の個人の人権でなければなりません。つまり個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障にあるのです。」
http://www.jicl.jp/chuukou/backnumber/09.html

昔はある意味その理解が浸透していない場合もあり、ある程度仕方がなかったのでしょう。しかし、何度も書きますが、近年においてもなお、成田闘争は終結をみないし、新たに、諫早湾のような同じような問題が次々と繰り返されます。

しかも諫早問題では、ほとんど国の工事によって恩恵を被る「個人」は存在しないで、逆に被害を受ける海苔業者を生み出してしまいました。恩恵を受けたのは、工事に関係した業者や、意地が通ったというようなくだらない満足感を満たした役人のプライドに対してだけだったのではなかったでしょうか?

日本においてこのような「公共の福祉」を名目にした「人権無視」が行われていた(る)ということは認めますよねえ?


そして、オオタグロさんが書いていた、公共の利便性の向上のためには多数意見が少数意見に勝るというような考え方は間違いであると思いますがいかがでしょうか?

理とは、

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/12 22:31 投稿番号: [16139 / 17759]
  AがBを害することは、BはAから害されたことを意味する。
  BがAから害されないためには、AがBを害さなければよい。

  これが、理である。


  A、B共に、相手から害されないことを望むならば、
  A、B共に、相手を害さなければよい。

  これが、公共の福祉。

  主体と客体を入れ替えて、矛盾衝突する部分を制限すること。

Re: 主体と客体の関係です。

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/12 19:22 投稿番号: [16138 / 17759]
>最も単純な公共の福祉は、主体と客体を入れ替えることで理解できます。

この場合の「理」とは「公共の福祉」に限ったものですか?
「目には目を」も主体と客体の関係にあると思っていましたが・・?



また依然として、オオタグロさんのおっしゃる「理」がわかりません。

主体と客体の関係です。

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/11 21:22 投稿番号: [16137 / 17759]
  最も単純な公共の福祉は、主体と客体を入れ替えることで理解できます。

Re: 自明?

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/11 20:05 投稿番号: [16136 / 17759]
>   他者を害すれば、他者は害される。

これは有り体に言えば、

「目には目を」

ということでいいですか?

自明?

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/11 17:54 投稿番号: [16135 / 17759]
  立証していますよ。

  他者を害すれば、他者は害される。

  ↑が「理」です。

  物理法則などは、法則性があったことを人間が認識し、理解したにすぎません。

出てきませんよ。

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/11 17:26 投稿番号: [16134 / 17759]
  不明という状態であることが明らかとなりますからね。

Re: 間違ってますよ。

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/11 14:48 投稿番号: [16133 / 17759]
一点だけ


>真理はあります。
>理由は簡単。
>「真理がない」ことを仮定した場合、
>「真理がないこと」が真理となり、
>結果として、「真理がある」ことを意味する。

オオタグロさんのこれを読んだときに、「真理はあるかどうかわからない」と仮定するとどうなんだろう?と思いました。
そうすると、「真理があるかどうかがわからない」ということが、それが「真理であるかどうかわからない」ということになって、結果としては、依然として「真理があるかどうかわからない」というような曖昧な答えが出てきそうですよねえ。

私が虚無主義者であるということをオオタグロさんに初めていわれましたが、よくわからないので、そこで「虚無主義」を調べたら、ウィキペディアに「真理」論について全く同じようなことが書いてありました。
ああそうなんだ、私は虚無主義者という人と近い考え方をしているのかも知れないのかなあと思いました。

それはともかく、

私が感じている、理解できなく何度も伺っているところは、あなたに(私の理解にとって)足りないのは、「人権」とか「真理」とか「理」とか、それらがないもの(もしくはそれ以外のもの)と仮定するというということを前提として論立てを始めるから、それらの存在があたかも自明のこととして存在していることを確信しているように感じられ、そして結局(今のところ)最後までそのものについての言及がないということです。

実態のないものに着物を着せてもその衣は人間の形を現してはくれません。


私が未熟であることはいつも全く否定していません。私はオオタグロさんの文章を読んで、そこから出てくる疑問をあなたに伺っているにすぎません。

どうぞこれからもよろしくお願いします。

多数決だから正しいのではない。

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/10 11:05 投稿番号: [16132 / 17759]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=ffccf4x78&sid=1143582&mid=23069#under-deli

>多数決だから正しいのではなく、
>採決の前提となる議論を踏まえて、最終的には多数決による判断が、
>多数の利益を保護する観点から合理的だというのが民主主義です。
>要は、"皆で決めたことだから、皆で従いましょう。"といったとこです。

>これは、正しいか間違いかではないので、多数の意見が間違えたなら、
>またやり直せばいいだけの話ですよ。

>そこで、ポンちゃんの間違いは、USAの言ってることは常に正しいと、
>その国民なら誰でも思わないようなことを平然と信じ込んでる事ですね。
>これでは、宗教になってしまいます。(笑)

  投稿者 :YellowFlute
  これは メッセージ 23065 T_Ohtaguro さんに対する返信です

少数意見の尊重?

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/10 10:59 投稿番号: [16131 / 17759]
  理が疑わしいならば、少数意見を尊重すべきという理も疑わしいはずでは?

  まず、「空港を建設するか否か」について多数決で決めている場合、
  「空港を建設する」が多数であれば、「建設しない」という少数意見を取り入れる余地はありません。

>十分に少数の弱者を満足させることができていない

  利己的欲望には必ずしも限りはないことから、少数の利己的欲望を十分に満たす必要はなく、
  財産価値に相当し、且つ、慰謝料を上乗せして支払えば足ります。


>自分の父親の形見

  買い手にとって、財産価値に影響を及ぼす要因ではありません。

>「いやだ」といって拒否できる」権利

  拒否する権利は、公共施設の建設を妨げますから、
  公共施設(水道、道路、港湾施設、裁判所等)を使用しないことを前提とします。

>一時期の堀江モンじゃあるまいし、金に換算できないものなどいくらでもあるでしょう?

  別にかまいませんよ。
  金銭による賠償を拒否しても、他の賠償方法が必ず認められることを意味しませんから、
  特に、当事者の思いなるものは、当事者本人の脳内に於いて生じているにすぎないから、財物の有無とは無関係であり、
  そもそも、同じ思いを賠償することは不可能であり、これを金銭に置き換えるのが慰謝料である。

>個人の価値観と法律とは何の関係もありませんよ。
>また法律で規制できるものであってはならないものです。

  価値観は規制されていません。
  表示しない限りに於いて、思うのは自由です。
  他を害しませんから。

>法律上取り決められた賠償額なるものは、思い入れを持った人間に対しては全く無意味です。

  無意味であるならば、金銭に換算する必要はなく、
  結果、財物としての価値のみを金銭に換算すればよいことになります。

>「信教の自由」とか「内心の自由」がどうして認められなければならないのか

  表示しない限り、他を害さないから認められているのですよ。
  表示すると、表現の自由とプライバシーが矛盾対立する。

>現実をどのように受け取るか?

  全く無意味です。

  どう感じるかは個人の自由ですが、相手方と共通する理が伴わなければ他者に主張しても通用しません。

  虚無主義は、虚無主義者間では通用するかもしれませんが、
  相手方と共通する理を否定するならば相手にされず、結果、少数派になる。

  理解する努力もせず、理解してもらう努力をも怠った結果、
  理もなく、多数の理解者を集めることすらできずに、
  自らの意思が尊重されない結果に陥るのは自業自得である。

論理を解することができないようで…。

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/10 10:01 投稿番号: [16130 / 17759]
≫全ての者が理に適うように他者に対するならば、

  ↑は、条件を定めるものであって、現実に上記の状態にあることではありません。

  条件を満たす場合に、

≫全ての者は他者から理に適わない仕打ちを受けることはない。

  ↑の結果に至ると解することが相当である、または、相当ではない、何れが一方に確定することが理にあたる。


  X=1ならば、
  X−1=0である。

  との主張に対し、
  Xは1ではない、0であると主張するがごときである。


  そもそも、理を否定するならば、論理をも否定することを意味し、議論が成立する余地はない。


>ごもっとも・・・。ただ私個人は、おそらくは永遠に「悟り」とは縁がなさそうです。

  いえいえ、悟りどころか、「理を解すること」と縁がないでしょう。


>※「無常」という考え方からすれば、「真理」などないはずですよねえ。

  やはり、理を解していませんね。

  「諸行無常」の「無常」が「諸行」とは独立しているとでも思っているのか…。

  「諸行」、つまり、「因縁によって生じたこの世の一切の事物」には「常」は「無い」のである。

  これは、「因(因果関係)」「縁(関係の助成)」という「理」があることを前提としている。

  また、「常」に「無」であることは、「理」にあたる。

間違ってますよ。

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/10 09:32 投稿番号: [16129 / 17759]
>実際的な問題として、
>成田闘争というのは、国家により「公共の福祉」を名目として、
>少数の弱者が虐げられたという歴史的な認識があるわけです。

  公共の利便性向上を名目としてです。


  日本に於いては、、公共の福祉と公共の利益の向上の区別ができない人が大部分を占めています。

  公共の福祉に適合するには理に適っていなければなりませんから、
  理に適っていることを確認するには、
  最低二人の理を解することができる者が認めれば良く、多数決を必要としない。

  これに対し、公共の利便性向上に於いては、利に適うか否かであるから、
  多数派の利益が少数派の損益を上回れば認められる。

>「神の見えざる手」によって最終的には適正な状態に戻るとした理論は、

  市場原理が真理だと思っているんですか?

  絶対に変革されます。
  最終的には人類の絶滅という結果に至ることによって。

>無為に費やすことを余儀なくされる人たち

  ↑の足を引っ張っているのが、無為に費やしていると評価して何もしない人たちですけどね。

  そして、何もしないという不作為が大多数の国民の意思の表れであり、
  なにもしないから、歪みが増すのである。


>結局情報を多く持つことのできる立場の人の都合によって、その人に有利な社会システムになる

  有利なシステムになるのではなく、
  原因にあたる情報を知ることができ、相当な結果を導き出す理を解し、適用すれば、相当な結果が予見できるのであるから、
  情報収集を怠り、理を解せず、適用できず、
  相当な結果を予見できない者が利益を得ることができないのは当然である。

>しかも太宰の書いた「絶望」は、おそらくは経済だけなどではなく、人類発生から延々と続いてきた社会的摂理のようなものとして感じているという節が伺えます。

  弱者が情報収集を怠れば、死に至ることは自然界の理ですよ。
  草食動物が、警戒を怠るがごときものであり、
  警戒しても捕食されるのだから警戒しない。などと考える草食動物がいるならば、
  容易に捕食されてしまうであろう。

>私は「真理があるかどうか疑わしい(おそらくは無いだろう)」という立場です。

  真理はあります。
  理由は簡単。

  「真理がない」ことを仮定した場合、
  「真理がないこと」が真理となり、
  結果として、「真理がある」ことを意味する。

  真理はある。
  しかし、真理と思っているものが真理であるとは限らない。

  よって、情報を収集し、分析する必要があるのであるが、
  情報収集、分析を怠る虚無主義の輩は、
  生命維持に必要なものを無駄に消耗させるだけの存在であり、
  人間の場合は、他の動物の食料にすらならないから、存在する意味がない。

  生命維持に必要な最低限の努力を怠る者が死ぬのは自然の理である。


  君はレベルが低すぎる。

  全てを信じることと、全てを信じないことは、検証しないことを原因として同じ結果に至る。

  いずれも、無知故に、適切な情報収集、分析、予見、回避ができない。


>人類の共通認識としての普遍的な存在としてはあるかどうか疑わしい。

  共通認識があるわけないじゃないか。
  社会契約論を研究しなさい。
  一般意志は必ずしも自覚を伴わない。  

  理があることと、理を全人類が認識できることとの区別すらつかないのか?

  無知は理を認識していないか、誤認しているにすぎない。
  認識できない者が理があることを疑うのは、ある意味当然である。
  しかし、検証しない者が理の有無を確定させることができないこともまた理である。

  よって、君は、虚無主義から脱しない限り、理を解することはないであろう。

Re: 多数・少数

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/10 04:52 投稿番号: [16128 / 17759]
>さて、多数決を否定するのはかまいませんが、
>すると、少数によって決定することを認めることを意味します。

私は多数決を否定しているわけではありません。
多数決によって払われなければならないはずの「少数意見の尊重」という補足事項が無視されすぎていると書いているだけです。
そしてこの「尊重」という具体的な方策はいろいろな方法によってなされることが可能なはずなのですが、おそらくは今までのところ十分に少数の弱者を満足させることができていないということを指摘しているわけです。
つまりこれが充分になされてこそ初めて「公共の福祉」なるものの主張が許されるのではないだろうか?・・といつも思っています。


>私は、理に適いさえすれば、独裁をも容認します。

私の嫌いな評論家の勝谷という人が珍しく同意できること、たしか「あのオバマの演説とそれに陶酔する聴衆の関係は、あのヒトラーを彷彿させる」というような意味のことを話していました。
「理」とは具体的には何を担保して語られるものなのでしょうか?


>さて、成田闘争ですが、何が理に適っているのでしょうか?

「理」かどうかはわかりませんが、たとえば自分の父親の形見を「正当な金を出すから売ってくれ」といって、無理矢理に買おうとした人に、「これはかけがえのない金では買えないものだから「いやだ」といって拒否できる」権利くらい与えてやりましょうよ。・・・というくらいのものです。


>>ものの価値は当然「価格」では推し量れません。
>理由を示してください。
>ドラ   と同じ状態に陥っています。

理由などありませんよ。
一時期の堀江モンじゃあるまいし、金に換算できないものなどいくらでもあるでしょう?


>損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。
>民法に於いて定められています。

個人の価値観と法律とは何の関係もありませんよ。また法律で規制できるものであってはならないものです。


>思い入れは、所詮、財産的価値として算入されるものではなく、慰謝料部分として評価されるにすぎません。
>よって、賠償額に影響を及ぼすにすぎません。

これは強者からの一方向からの見方以外の何者でもありません。法律上取り決められた賠償額なるものは、思い入れを持った人間に対しては全く無意味です。
当人にとってみれば、「法律で決められたのであるからそれに従うべきだ」とするのは、全く話にもならないほど無意味で不愉快な考え方ですよね?


>>【「負担」と「利便」の要素が元々異なる】
>というのは、金銭に換算しないことを前提としなければ成り立たず、
>金銭に換算することによって同一要素となります。

当然そうですが、何度も書きますが、必ずしも金銭に換算したくない人にとってはこの考え方は「無意味」ですよ。
たとえば「信教の自由」とか「内心の自由」がどうして認められなければならないのか?という理由を考えれば容易にわかることですよね?


>また、「殺人」と「死刑」は「人命」について等価ですが、
  「死刑」と「終審禁固」は費用について等価ではありません

ですからこのことも無意味です。
「終身禁固」という現実をどのように受け取るか?という感じ方次第で、「死刑」と等価にもそうでなくもなりうるという可能性を持っているということです。


>アメリカの軍事力を支えていたのは、米国債を購入していた日本であり、現在は中国である。

しかしこの軍事力を使うことによって苦難を乗り切ろうとする考え方があるというのは、ブッシュ政権の行為を見るまでもなく充分あり得ることで、今となっては一蓮托生の感のある日・中はおそらくはそれを支持することになるんでしょうね。

Re: 「諸行無常」「方丈記」

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/10 04:02 投稿番号: [16127 / 17759]
>全ての者が理に適うように他者に対するならば、
>全ての者は他者から理に適わない仕打ちを受けることはない。

「ない」のではなくて、「許されてはならない」であって、現実には仕打ちを受けることがあり得るから、そこに「理不尽」が生じるわけですよねえ。理想主義に偏りすぎるとここら辺の隙間の中でかけがえのない人生を翻弄されている人たちの存在を見失いがちになるから、注意が必要ですよねえ。


>まずは、自らが悟ることである。
>自らが悟りを開けないのに、他者が悟りを開けないことを非難しても何も変わらない。

ごもっとも・・・。ただ私個人は、おそらくは永遠に「悟り」とは縁がなさそうです。


※「無常」という考え方からすれば、「真理」などないはずですよねえ。

Re: 公共の福利 と 公共の利便性向上

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/10 03:41 投稿番号: [16126 / 17759]
>公共の福祉   と   公共の利便性向上   の区別ができていないのでは?

実際的な問題として、成田闘争というのは、国家により「公共の福祉」を名目として、少数の弱者が虐げられたという歴史的な認識があるわけです。
で、はじめに戻りますが、あの時代の「公共の福祉」の解釈が現代のそれと違うということであるとしても、しかしそれでも未だに未解決で、現在継続して闘争中であるという事実もあるわけで、近年の改良された解釈によっても依然として弱者が虐げられている・・。
また、比較的最近に起こった諫早湾の問題にしても、おそらくは多くの海苔生産業者が国策によって、「公共の福祉」の名の下にその生活権を奪われているという事実が存在しているわけです。

つまり、この国においては、「公共の福祉」と「公共の利便性の向上」というものが非常にご都合主義的に権力者によって使い分けられているということなのではないでしょうか?


>理に適っていない場合は絶対に変革されます。
>歪みによるエネルギーが蓄積されると、何らかのきっかけによってエネルギーは解放され、
>反動が生じた後、適正な状態に至ります。

ハハハ、私は門外漢ですが、それは「絶対」という言葉は使わない方がいいのではないでしょうか?
たとえば昨日書いた久米さんのラジオでも、中谷巌という人の、「私は間違えていた」という趣旨の本(題名は失念)の紹介部分で、おそらくはアダムスミスの国富論あたりから出てきているであろう市場原理「神の見えざる手」によって最終的には適正な状態に戻るとした理論は、それは結局は「上流階級による支配のためのツール」でしかないのではないだろうか?みたいなことが書かれているらしくて、昨今の新自由主義的な考え方は「幻想」にすぎないかもしれないというような見解もあるということでしたよねえ?
結局情報を多く持つことのできる立場の人の都合によって、その人に有利な社会システムになることが分かり切っているという意味で、私たちは「幻想」の中で不平等を恣意的に押しつけられているという意味で騙されているのでは無かろうか?というようなことを、書いている部分があるということを久米さんは語っていました。・・・これも私は前々からそういうことを感じていて、素直にうなずけます。
それでなくとも、仮に「絶対に変革される」ことが事実だとしても、いつとは知れぬ不公平な社会の中で是正されぬまま、最低でもその変革に費やされる時間を無為に費やすことを余儀なくされる人たちは必ず存在するわけです。


>経済的歪みは、恐慌を引き起こした後、適正な状態に戻ります。

しかも太宰の書いた「絶望」は、おそらくは経済だけなどではなく、人類発生から延々と続いてきた社会的摂理のようなものとして感じているという節が伺えます。


>真理を掴むだけでは意味がありません。
>真理から適正状態である基準を導き出し、
>歪みを少なくすることによって、反動を少なくする必要があります。

オオタグロさんの書き方は「真理はある」という考え方を示していますが、私は「真理があるかどうか疑わしい(おそらくは無いだろう)」という立場です。

つまりオオタグロさんの言うところの人権の定義を云々するという問題は、はじめから「人権」の存在を疑っていないという意味で、ドラさんと立場を同じくしていますよねえ?

私ははじめから、人権も真理と同じようで、人類の共通認識としての普遍的な存在としてはあるかどうか疑わしい(おそらくは無いだろう)ということを前提にして書いているわけです。

訂正

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/09 18:01 投稿番号: [16125 / 17759]
>終審

  終身

多数・少数

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/09 17:39 投稿番号: [16124 / 17759]
  理に適うか否かの判断に於いて、
  理を解さない者たちによる判断では多数・少数は意味を持ちません。

  一人でも理に適う可能性がありますが、検証不可能となるため、最低二人を必要とします。

  さて、多数決を否定するのはかまいませんが、
  すると、少数によって決定することを認めることを意味します。

  私は、理に適いさえすれば、独裁をも容認します。

  さて、成田闘争ですが、何が理に適っているのでしょうか?

  公共施設を造るにあたり土地を提供しないと主張する者は、
  他者が土地を提供したことによって現存する施設を全く使用しないのでしょうか?

  自らは施設を使用するために他者に土地を提供させておきながら、
  他者が施設を使用するためには自らの土地を提供しないという主張を認めることは公平でしょうか?


>ものの価値は当然「価格」では推し量れません。

  理由を示してください。
  ドラ   と同じ状態に陥っています。

  損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。

  民法に於いて定められています。


≫何処の場所でも成り立つ疑問であるため意味を持ちません。

  思い入れは、所詮、財産的価値として算入されるものではなく、慰謝料部分として評価されるにすぎません。

  よって、賠償額に影響を及ぼすにすぎません。


>【「負担」と「利便」の要素が元々異なる】

  というのは、金銭に換算しないことを前提としなければ成り立たず、
  金銭に換算することによって同一要素となります。

  また、「殺人」と「死刑」は「人命」について等価ですが、
  「死刑」と「終審禁固」は費用について等価ではありません。


>アメリカの武力はどこに向くのか?

  アメリカの軍事力を支えていたのは、米国債を購入していた日本であり、現在は中国である。

  いっそのこと、日中でアメリカを分割しますか♪

「諸行無常」「方丈記」

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/09 16:56 投稿番号: [16123 / 17759]
  公共の利便性の向上は流動変化しますが、
  公共の福祉は定義を変更しない限り流動変化しません。

  なぜならば、他者を害すれば、他者は害されることは理であって、変わることはありません。

  全ての者が理に適うように他者に対するならば、
  全ての者は他者から理に適わない仕打ちを受けることはない。

  また、財物に執着しても、いつか失われるのが理であり、
  無意味に財物を貯め込んで、他者が必要としている財物を取得できなくしてはならないこと
  を諭すものである。


  まずは、自らが悟ることである。
  自らが悟りを開けないのに、他者が悟りを開けないことを非難しても何も変わらない。

公共の福利 と 公共の利便性向上

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/09 16:21 投稿番号: [16122 / 17759]
  公共の福祉   と   公共の利便性向上   の区別ができていないのでは?

  公共の福祉に合致するには、
  任意に不利益を負担することを認めていないものに不利益を負担するよう強いることは認められません。

  公共の利便性の向上は、
  任意に不利益を負担することを認めていないものに不利益を負担するよう強いても、
  他の利益が上回れば認められます。


  前者は理に基づき、後者は利に基づきます。
___________________________________

>人間の心のひだの深い部分に対する感受性

  感受性はありますよ。
  受けた情報を細かく分類する必要がありますから。

  受けた情報の処理方法が、
  条件の成否を原因として、相当と認めるべき結果に至るというプログラム的な手法ですから、
  機械的な印象をもつでしょうね。


>「アメリカ型の実力・能力主義重視を会社の雇用に当てはめて」、

  私は、アメリカ型資本主義は理に適っていないから、歪みの反動で崩壊すると指摘してきました。
  米ドルを基軸通貨としている体制が崩壊することも指摘しました。

>絶対に変革され得ないであろう社会への批判

  理に適っていない場合は絶対に変革されます。
  歪みによるエネルギーが蓄積されると、何らかのきっかけによってエネルギーは解放され、
  反動が生じた後、適正な状態に至ります。

  経済的歪みは、恐慌を引き起こした後、適正な状態に戻ります。


  真理を掴むだけでは意味がありません。
  真理から適正状態である基準を導き出し、
  歪みを少なくすることによって、反動を少なくする必要があります。

Re: 契約しないのは自由ですよ。

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/09 04:29 投稿番号: [16121 / 17759]
オオタグロさんはもしかしたら私が最初に想像していたよりもずいぶんお若い方なのかもしれないと思うようになりました。若いということは必ずしも悪いことではないと思っていますが、たとえば、人間の心のひだの深い部分に対する感受性が未熟だという意味で、そこのところが自己決定の部分においてあまりにも表面上の合理性を形式的に受け止めるというような方向性に偏りがちな故になんかしらの冷徹さを感じることがあり、そういうことがオオタグロさんの文章の端々に見えるような気がします。
たとえば終身雇用制の良さを軽視して、アメリカ型の実力・能力主義重視を会社の雇用に当てはめてこれを合理的であると支持した人は、比較的若者たちに多かったという風に記憶していますが、その支持が実って今そうなってみると、そのときに支持した若者たちの中の多くの割合の方々が中年となりリストラの対象になってみると、やはり終身雇用制の安定型の社会システムの利点をようやく理解するようになるというような後悔をしている人も少なからず出始めました。
私がここでドラさんに言っていることの中の、「家庭の幸福は諸悪の根源である」という太宰治の言葉に似た社会状況は、若い太宰(まあしかし自殺する一週間前ですが)の依然として旧態を維持して、おそらくは彼の時代では絶対に変革され得ないであろう社会への批判(もしくは絶望)の言葉だろうと思っています。若者には、時として真理をつかむ感覚の鋭敏さとそれを受け入れられないであろう社会と自己との葛藤の中で絶望するというようなことがあると思いますが、そういう中で、人間って練り込まれていくのかなあ・・と思う今日この頃です。

間違えていたら申し訳ありません。まあしかしそれをも見越した真理を見据えておられるのかもしれませんね。

ちょうど先週に、久米宏氏のラジオで「諸行無常、方丈記の世界の日本に、人権というようなものの確固たる永続性みたいなことを求めようとしても無理だ・・。」みたいな読者からの投稿を読んでいたと記憶していますが、私には「さもありなん」と納得する部分がありました。
やっぱり人権なんぞは西洋的な合理主義でしか正確には理解できないんだろうかなあ?・・と思ったりもしました。


>制限できなければ、制限できない原状が国民の意思であるにすぎない。
>   現実に、制限すべく行動を起こしている国民は一部にすぎないことを意味する。
>   問題解決に進まないのも、国民の選択にすぎない。

私は前の投稿で、結果的に多数決的決定オンリーという従来型の民主主義では、少数意見を反映できないという意味のことを書きました。
・・・つまり常に少数(弱者の)意見は反映されないという宿命を持っているわけですから、成田闘争をはじめとする少数が多数に妥協を余儀なくされるという宿命にあることを回避できないということになるわけですよねえ?これを単に「国民の選択」だとするのはいささか乱暴では無かろうか?というのがおおかたの見方だったわけですよねえ?

つまり、結局「公共の福祉」なんて、多数(公共)の利益のために少数(弱者)が妥協させられるための装置でしかないということになりませんかねえ?


>>「負担」と「利便」の要素が元々異なるために
>当然、金銭に換算されます。

ものの価値は当然「価格」では推し量れません。


>>なぜ成田なのか?

>何処の場所でも成り立つ疑問であるため意味を持ちません。

ここの場所は確か、沖縄とか、他の地方からの人たちの開拓地で、苦労して手に入れた、非常に新しい住居があったわけで、その土地に思い入れのある人も多く、しかしまた、そういう事情故に、周辺住民から孤立しており、反対意見の黙殺をしやすかったという事情もあったのでは無かろうか?といわれていたんではなかったでしょうか?
・ ・・どちらにしろ、「どこの場所でも」同じというような事情ではなかったと記憶しています。


>>なぜ終生禁固刑という身柄拘束の自由剥奪とどうして釣り合わないか?
>禁固刑に必要な費用を国民が分担するのですか?

【「負担」と「利便」の要素が元々異なる】ことを容認するならば、必ずしも「殺人」と「死刑」ということだけを「等価」とする根拠がなくなるということを書いたまでです。


>アメリカは衰退しますから。

アメリカの武力はどこに向くのか?が怖いです。オバマさんの経済だって、これまで通りユダヤ人たちが行うわけですから、実質的に何の「CHANGE」もしないし、「反省」もしないという宣言にも見えますけどねえ?・・・・この詭弁を容認するムードが恐ろしいような・・。

契約しないのは自由ですよ。

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/05 23:18 投稿番号: [16120 / 17759]
  日本国籍を有することなく、日本国領内に入らない限りに於いて、日本国憲法に拘束されることはありませんから。

  国民の意思を代弁していないのであれば、権限を剥奪すればよいのであり、
  現実に剥奪していないのであるから、黙認していることを意味する。

  勝ち取る必要は全くない。
  なぜならば、既に有しているものを覆してまで新たに勝ち取る意思がないからである。
  意思があるなら、勝ち取ればよいだけである。
  勝ち取れたならば国民の意思であったことになり、勝ち取れなければ国民の一部の意思にすぎなかったことを意味する。

>それをただ単に「制限されなくてはならない」としても問題は解決しませんよ。

  制限できなければ、制限できない原状が国民の意思であるにすぎない。
  現実に、制限すべく行動を起こしている国民は一部にすぎないことを意味する。

  問題解決に進まないのも、国民の選択にすぎない。

>それを支持するに必要なはずの「選挙」が行われないというのは、

  国民の意思を反映するには、必ずしも、選挙は必要ありません。
  「革命」も選択肢に含まれます。
  無政府状態という選択肢もあり得ますが…。

>現実的には、「圧倒的な国民の支持」という形でこれまでの国会決議のすべてが了承されなくてはならないという図式が、オオタグロさんの説からは伺えるように思います。

  承諾しなくても良いですよ。
  「革命」でも起こせばよい。

  成功すれば国民の意思、失敗すれば一部の国民の意思にすぎす、場合によっては犯罪者になりますが…。

>あまりにも上に立つものの倫理観の低下が目につく

  当然でしょう。
  倫理観の欠落した下の者たちが、倫理観の欠落した者を持ち上げて、
  上に上がった倫理観の欠落した者が、倫理観の欠落した下の者を引き上げるのが、
  日本のシステムですから。

>「負担」と「利便」の要素が元々異なるために

  当然、金銭に換算されます。
  相当する田畑を他の土地で購入した場合の価格にいくら上乗せされます。

>なぜ成田なのか?

  何処の場所でも成り立つ疑問であるため意味を持ちません。

>なぜ終生禁固刑という身柄拘束の自由剥奪とどうして釣り合わないか?

  禁固刑に必要な費用を国民が分担するのですか?

  失業対策に使った方が良いと思いますが…。

>選定は常に曖昧であるのではないでしょうか?

  要件を増やせばより正確になる。
  曖昧だなどといっていると、結局は分類できなくなり、
  分類できないのであるから全て同じ扱いとなる。

>欧米のグローバル化によって

  アメリカは衰退しますから。
  力を増すのは中国かな。

  日本も国際的な影響力を増す良い機会なんですがねぇ〜。

何もしないのに?

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/05 21:54 投稿番号: [16119 / 17759]
  死刑囚は、既に、故意によって他者の命を奪っているんですがねぇ〜。

Re: 死刑廃止に対して寄せられた質問の回答

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/05 06:07 投稿番号: [16118 / 17759]
>死刑に相当する犯罪が後を絶たないということは、少なくともそれらの事件には、犯罪を抑止する力が働かなかったということを示しています。

伺いたいのですが、死刑廃止国では、日本における死刑に相当するような凶悪犯罪は皆無になったのでしょうか?


>【死刑に他の刑罰以上の特別な犯罪抑止力があるかということについては、多くの研究が行われてきましたが、その存在は、証明されていません】

この手の統計学的な疑似科学的な詭弁を利用することも多いですね。
私は自分の胸に手を当てて考えてみるに、「罰が当たる」というばあちゃんの言葉が未だに胸に多少は残っています。「凶悪な殺人を犯せば死刑になる」というのは、私個人に関してはおそらくは抑制につながっていると思います。



>3.被害者遺族のあだ討ちを、国家が代行している死刑制度がなければ、被害者遺族が自己の判断によってあだ討ちを行ってしまう危険が高いと思われる。
>現在、世界の過半数を超える国で、もはや死刑は行われていませんが、あだ討ちが横行しているとは聞きません。
>わが国でも、殺人事件の大半は死刑にはなりませんが、そのことで被害者の遺族のあだ討ちは起きていません。

上記は非常にたちの悪い詭弁ですよねえ?
実際的には、遺族の仇討ちを国家が剥奪して代行しているということ自体が現実の客観的な問題であって、「仇討ちの危険性」というのは全体的な問題からすれば本筋からはずれており、取るに足らないはずですが、ここを意図的?に重要視して、ここを否定することで、死刑問題全体を否定したように感じさせるというようなトリックが使われていますねえ?


>元最高裁判事の団藤重光氏が死刑廃止を求める理由に、誤判の可能性を挙げておられることは、大変重いものがあります。
>犯罪が完全に証明されることを前提に議論をすることは、机上でしか成立たないものと思います

これも上記と同じで、こんな冤罪のことなど死刑廃止の理由にしないでほしいと思います。私の友人で、「宅間や秋葉事件の犯人だって、冤罪の可能性は否定できない」と話していましたが、もしそうだったとしたら、これは日本の法治国家としての存在自体を否定しているとしか考えられません。
もちろん冤罪の可能性のある事例については、死刑判決は控えるべきだし、実際そうなっていると最近のニュースでは感じていますがどうなんでしょうか?昭和20年代の判決が一番ひどかったということはよく言われることですが、私も冤罪の可能性のある事例に関しては死刑判決は反対の立場ですしそういう人は多いと思います。
ですからそれを理由にした死刑廃止論の展開は死刑論者全体を指していないという意味で卑怯です。


>私達は殺人に反対です。

殺人に反対の人が殺人者を容認しているということですね?

Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(1)

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/05 05:30 投稿番号: [16117 / 17759]
>結局【ボタンを押す刑務官の苦悩、人間的な交流があった看守、殺される死刑囚】は、他人事という事でしょ。

情に流されていい問題とそうでない問題があるということだと思います。
私が思うには、被害者家族がボタンを押すということができれば、ある程度この問題を解決できるとも思っています。看守も同席の中で、家族も含み全員がボタンを押せなければ、国家でこの死刑囚を終生拘束するということで納得させるということではどうでしょうか?


>世界的に【死刑廃止・停止】は主流ですし、死刑大国中国・米でも【死刑執行が減少してきた】のに、
>ただ日本だけここ数年【年に数十人の処刑(以前は3〜4人)】。

もう全く反捕鯨運動の人たちと同じ意見で驚きです。
こんなこと何の論拠にもなりませんよ。
「日本は何も考えないでアメリカのケツナメ路線に徹した方がいい」という意見と大差ないですよ。


>アッサラームさんは【国家的システムによって無念を晴らさないと】遺族・被害者が救われないと思うのですね?

何度も書きますが、まず「無念」をはらすすべを国家によって奪われているという現実があります。遺族が合法的に無念を晴らすとしたらそれしか選択肢は残されていないわけですよねえ?ですから「無念を晴らしたい遺族」にとっては、そういうことですが、それが全員そうだとも思っていません。しかしどうしても無念だ・・という人にとっての救済は、「死刑」という形で制度として残しておくべきだという考え方です。


>昔から【人殺しは悪】でしょう?

それをいうなら、ハンムラビ法典以前の「昔」から刑罰としての「死刑」も存在していました。


>【戦争にもルールを作り、出来るだけ無用な殺人をしないよう】と条約などで
>【人権】がクローズアップされてきたんじゃないの?

これは体のいいガス抜き以外の何者でもないですよねえ?
戦争にルールって、人殺しに「お墨付き」をつけてどうしろっていうんですかねえ?
苦肉の策でヤクザに税金をつけるのと同じように自己矛盾していますよねえ?


>【人間なら生まれながら持っているもの、それが人権】でしょう、無条件。

一時期「コスモポリタン」とかいって、多くの日本人が国境を度外視した博愛主義に傾いたことがありましたが、結局他国の驚異を主張し、「国益」なるものを持ち出してそれに対抗する勢力が出てきて、こういう意味でも無条件の人類愛の存在理由は依然曖昧なままです。自国の既得権を放棄する気概があることや、他国の脅威がある限り、それが意図的に何者かによって作られたものであろうとも、コスモポリタンは成立し得ないだろうし、同様にオオタグロさんが言うように、人間同士の対人関係においてはお互いの何らかの譲歩がなければ人権も成立し得ないのではないでしょうか?


>被害者も様々。

そうなんですよねえ?
様々であるからこそ、国家権力によって一様に「廃止」することは理にかなっていませんよねえ?
前々から書いているように、「恩讐の彼方」のような状況があれば、当然死刑にする必要など無いと思いますよ。

Re: 人権とは何か?

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/05 04:47 投稿番号: [16116 / 17759]
>人権とは、社会契約によって保障される権利。
>当然、対応する義務を負担しなければならない。

これが建前化されて、「国民の意志を代表して行使されているもの」であるとすれば、ますます曖昧になりますよねえ?
現政権そのものが、国民の意思を代弁しているとはいえない状況であるわけですから、「主権」である国民を誰がどういう手続きで「契約」したのか?という疑問は常に曖昧に残るわけですよねえ?
ましてや日本人は、国民自ら勝ち取った記憶はないし、(誰とも)契約した歴史的事実もないわけですから、現行憲法を建前通り欧米の解釈をそのまま移行することには無理がありますよねえ?

これでいくと、日本の人権の実態は、やはり常に曖昧なのではないでしょうか?


>   「人間そのものの倫理観の問題として、それを改善する」というのは理想論にすぎない。
>   倫理観の問題だけで犯罪が無くなるとは考えられず、権利・権限の濫用も同様である。
>   権利・権限を濫用する者は、権利・権限の行使を制限されなければならない。

「理想論」といってしまえば、オオタグロさんも同じですよ。たとえば、成田闘争にしても、「権利、権限の行使の乱用」を問題にしましたが、それをただ単に「制限されなくてはならない」としても問題は解決しませんよ。

ましてや、

>「公共の利便性や利益享受者の不存在」を立証するだけでは意味はない。
>   一部を除く国民等に不利益を負担させることになることを立証し、
>   不利益を負担することになる者達が、負担させようとする者から権限を剥奪しなければ意味はない。

今までの経緯からしてみれば、弱者(少数)が故に「権限の剥奪」が不可能であり、問題解決へと進まないという「現実」をみれば、常に多数派が優位に決定権を持つという図式に変化をもたらせ得ないという意味で、あなたのこの記述は無意味ではないでしょうか?

現実の政治にしても、総理大臣が3人も替わるのに、それを支持するに必要なはずの「選挙」が行われないというのは、「国民の決定権」を語る民主主義の原則を無視した形で現実政権が存在し、何らかの重要政策が決定されるわけですが、オオタグロさんのおっしゃる「建前論」はもうすでに長い間にわたって崩壊しているといわざるを得ませんよねえ。
郵政民営化に賛同したからといって、小泉政権のすべてを支持しているわけではないはずなのに、現実的には、「圧倒的な国民の支持」という形でこれまでの国会決議のすべてが了承されなくてはならないという図式が、オオタグロさんの説からは伺えるように思います。


>「人間そのものの倫理観の問題として、それを改善する」というのは理想論にすぎない。

もちろん、私の書いている「倫理観」なるものは、昔の修身の存在の反省から考えて、かなり危険なものを含んでいる可能性はあるのですが、まあどちらかといえば、政治家等の倫理観が一般人の倫理観ほどもあれば、「よりまし」であるとでもいうのか、あまりにも上に立つものの倫理観の低下が目につくというほどのものです。
もっとも「一般人の倫理観」なるものの実態も非常に曖昧であることは事実ですが・・・・。


>「公共の利便性向上のために不利益を負担しない」ならば、
>   「向上した公共の利便性による利益を享受できない」。

成田闘争の場合は、地域住民の不利益は開拓した田畑を失うという「負担」であり、一般利用客の「公共の利便」とは、国際線航空機に乗車できるとか、空港建設による公共設備に伴う雇用の増大ということなどだろうと思いますが、このことは、「負担」と「利便」の要素が元々異なるためにその対価がどこで同等であるのか?という意味で解決できない問題を含んでいるし、「なぜ成田なのか?」という根本的な疑問にも答えられません。

死刑の問題に移しますと、凶悪殺人者への死刑判決および執行というものは、人間の命での引き替えという意味で、上記よりは多少の説得力を持つことは確かだと思いますが、しかし、なぜ終生禁固刑という身柄拘束の自由剥奪とどうして釣り合わないか?という疑問も常に残すことにならないでしょうか?
つまり、どういう代価が適当か?という無数にある候補に対する厳密な意味での選定は常に曖昧であるのではないでしょうか?


※ 私がおそれるのは、欧米のグローバル化によって下されるかもしれない、異端であると思われかねない日本の「人権」なるものの存在に対するバッシングです。前述しているように、アフガニスタンも、イラクも、ティモールにおいても、彼らなりの歴史や宗教によって作られてきた倫理観の(欧米との)相違によって、「正義のための虐殺」が正当化されたという事実です。
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