間違ってますよ。
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/10 09:32 投稿番号: [16129 / 17759]
>実際的な問題として、
>成田闘争というのは、国家により「公共の福祉」を名目として、
>少数の弱者が虐げられたという歴史的な認識があるわけです。
公共の利便性向上を名目としてです。
日本に於いては、、公共の福祉と公共の利益の向上の区別ができない人が大部分を占めています。
公共の福祉に適合するには理に適っていなければなりませんから、
理に適っていることを確認するには、
最低二人の理を解することができる者が認めれば良く、多数決を必要としない。
これに対し、公共の利便性向上に於いては、利に適うか否かであるから、
多数派の利益が少数派の損益を上回れば認められる。
>「神の見えざる手」によって最終的には適正な状態に戻るとした理論は、
市場原理が真理だと思っているんですか?
絶対に変革されます。
最終的には人類の絶滅という結果に至ることによって。
>無為に費やすことを余儀なくされる人たち
↑の足を引っ張っているのが、無為に費やしていると評価して何もしない人たちですけどね。
そして、何もしないという不作為が大多数の国民の意思の表れであり、
なにもしないから、歪みが増すのである。
>結局情報を多く持つことのできる立場の人の都合によって、その人に有利な社会システムになる
有利なシステムになるのではなく、
原因にあたる情報を知ることができ、相当な結果を導き出す理を解し、適用すれば、相当な結果が予見できるのであるから、
情報収集を怠り、理を解せず、適用できず、
相当な結果を予見できない者が利益を得ることができないのは当然である。
>しかも太宰の書いた「絶望」は、おそらくは経済だけなどではなく、人類発生から延々と続いてきた社会的摂理のようなものとして感じているという節が伺えます。
弱者が情報収集を怠れば、死に至ることは自然界の理ですよ。
草食動物が、警戒を怠るがごときものであり、
警戒しても捕食されるのだから警戒しない。などと考える草食動物がいるならば、
容易に捕食されてしまうであろう。
>私は「真理があるかどうか疑わしい(おそらくは無いだろう)」という立場です。
真理はあります。
理由は簡単。
「真理がない」ことを仮定した場合、
「真理がないこと」が真理となり、
結果として、「真理がある」ことを意味する。
真理はある。
しかし、真理と思っているものが真理であるとは限らない。
よって、情報を収集し、分析する必要があるのであるが、
情報収集、分析を怠る虚無主義の輩は、
生命維持に必要なものを無駄に消耗させるだけの存在であり、
人間の場合は、他の動物の食料にすらならないから、存在する意味がない。
生命維持に必要な最低限の努力を怠る者が死ぬのは自然の理である。
君はレベルが低すぎる。
全てを信じることと、全てを信じないことは、検証しないことを原因として同じ結果に至る。
いずれも、無知故に、適切な情報収集、分析、予見、回避ができない。
>人類の共通認識としての普遍的な存在としてはあるかどうか疑わしい。
共通認識があるわけないじゃないか。
社会契約論を研究しなさい。
一般意志は必ずしも自覚を伴わない。
理があることと、理を全人類が認識できることとの区別すらつかないのか?
無知は理を認識していないか、誤認しているにすぎない。
認識できない者が理があることを疑うのは、ある意味当然である。
しかし、検証しない者が理の有無を確定させることができないこともまた理である。
よって、君は、虚無主義から脱しない限り、理を解することはないであろう。
>成田闘争というのは、国家により「公共の福祉」を名目として、
>少数の弱者が虐げられたという歴史的な認識があるわけです。
公共の利便性向上を名目としてです。
日本に於いては、、公共の福祉と公共の利益の向上の区別ができない人が大部分を占めています。
公共の福祉に適合するには理に適っていなければなりませんから、
理に適っていることを確認するには、
最低二人の理を解することができる者が認めれば良く、多数決を必要としない。
これに対し、公共の利便性向上に於いては、利に適うか否かであるから、
多数派の利益が少数派の損益を上回れば認められる。
>「神の見えざる手」によって最終的には適正な状態に戻るとした理論は、
市場原理が真理だと思っているんですか?
絶対に変革されます。
最終的には人類の絶滅という結果に至ることによって。
>無為に費やすことを余儀なくされる人たち
↑の足を引っ張っているのが、無為に費やしていると評価して何もしない人たちですけどね。
そして、何もしないという不作為が大多数の国民の意思の表れであり、
なにもしないから、歪みが増すのである。
>結局情報を多く持つことのできる立場の人の都合によって、その人に有利な社会システムになる
有利なシステムになるのではなく、
原因にあたる情報を知ることができ、相当な結果を導き出す理を解し、適用すれば、相当な結果が予見できるのであるから、
情報収集を怠り、理を解せず、適用できず、
相当な結果を予見できない者が利益を得ることができないのは当然である。
>しかも太宰の書いた「絶望」は、おそらくは経済だけなどではなく、人類発生から延々と続いてきた社会的摂理のようなものとして感じているという節が伺えます。
弱者が情報収集を怠れば、死に至ることは自然界の理ですよ。
草食動物が、警戒を怠るがごときものであり、
警戒しても捕食されるのだから警戒しない。などと考える草食動物がいるならば、
容易に捕食されてしまうであろう。
>私は「真理があるかどうか疑わしい(おそらくは無いだろう)」という立場です。
真理はあります。
理由は簡単。
「真理がない」ことを仮定した場合、
「真理がないこと」が真理となり、
結果として、「真理がある」ことを意味する。
真理はある。
しかし、真理と思っているものが真理であるとは限らない。
よって、情報を収集し、分析する必要があるのであるが、
情報収集、分析を怠る虚無主義の輩は、
生命維持に必要なものを無駄に消耗させるだけの存在であり、
人間の場合は、他の動物の食料にすらならないから、存在する意味がない。
生命維持に必要な最低限の努力を怠る者が死ぬのは自然の理である。
君はレベルが低すぎる。
全てを信じることと、全てを信じないことは、検証しないことを原因として同じ結果に至る。
いずれも、無知故に、適切な情報収集、分析、予見、回避ができない。
>人類の共通認識としての普遍的な存在としてはあるかどうか疑わしい。
共通認識があるわけないじゃないか。
社会契約論を研究しなさい。
一般意志は必ずしも自覚を伴わない。
理があることと、理を全人類が認識できることとの区別すらつかないのか?
無知は理を認識していないか、誤認しているにすぎない。
認識できない者が理があることを疑うのは、ある意味当然である。
しかし、検証しない者が理の有無を確定させることができないこともまた理である。
よって、君は、虚無主義から脱しない限り、理を解することはないであろう。
これは メッセージ 16126 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/16129.html