Re: 人権とは何か?
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/05 04:47 投稿番号: [16116 / 17759]
>人権とは、社会契約によって保障される権利。
>当然、対応する義務を負担しなければならない。
これが建前化されて、「国民の意志を代表して行使されているもの」であるとすれば、ますます曖昧になりますよねえ?
現政権そのものが、国民の意思を代弁しているとはいえない状況であるわけですから、「主権」である国民を誰がどういう手続きで「契約」したのか?という疑問は常に曖昧に残るわけですよねえ?
ましてや日本人は、国民自ら勝ち取った記憶はないし、(誰とも)契約した歴史的事実もないわけですから、現行憲法を建前通り欧米の解釈をそのまま移行することには無理がありますよねえ?
これでいくと、日本の人権の実態は、やはり常に曖昧なのではないでしょうか?
> 「人間そのものの倫理観の問題として、それを改善する」というのは理想論にすぎない。
> 倫理観の問題だけで犯罪が無くなるとは考えられず、権利・権限の濫用も同様である。
> 権利・権限を濫用する者は、権利・権限の行使を制限されなければならない。
「理想論」といってしまえば、オオタグロさんも同じですよ。たとえば、成田闘争にしても、「権利、権限の行使の乱用」を問題にしましたが、それをただ単に「制限されなくてはならない」としても問題は解決しませんよ。
ましてや、
>「公共の利便性や利益享受者の不存在」を立証するだけでは意味はない。
> 一部を除く国民等に不利益を負担させることになることを立証し、
> 不利益を負担することになる者達が、負担させようとする者から権限を剥奪しなければ意味はない。
今までの経緯からしてみれば、弱者(少数)が故に「権限の剥奪」が不可能であり、問題解決へと進まないという「現実」をみれば、常に多数派が優位に決定権を持つという図式に変化をもたらせ得ないという意味で、あなたのこの記述は無意味ではないでしょうか?
現実の政治にしても、総理大臣が3人も替わるのに、それを支持するに必要なはずの「選挙」が行われないというのは、「国民の決定権」を語る民主主義の原則を無視した形で現実政権が存在し、何らかの重要政策が決定されるわけですが、オオタグロさんのおっしゃる「建前論」はもうすでに長い間にわたって崩壊しているといわざるを得ませんよねえ。
郵政民営化に賛同したからといって、小泉政権のすべてを支持しているわけではないはずなのに、現実的には、「圧倒的な国民の支持」という形でこれまでの国会決議のすべてが了承されなくてはならないという図式が、オオタグロさんの説からは伺えるように思います。
>「人間そのものの倫理観の問題として、それを改善する」というのは理想論にすぎない。
もちろん、私の書いている「倫理観」なるものは、昔の修身の存在の反省から考えて、かなり危険なものを含んでいる可能性はあるのですが、まあどちらかといえば、政治家等の倫理観が一般人の倫理観ほどもあれば、「よりまし」であるとでもいうのか、あまりにも上に立つものの倫理観の低下が目につくというほどのものです。
もっとも「一般人の倫理観」なるものの実態も非常に曖昧であることは事実ですが・・・・。
>「公共の利便性向上のために不利益を負担しない」ならば、
> 「向上した公共の利便性による利益を享受できない」。
成田闘争の場合は、地域住民の不利益は開拓した田畑を失うという「負担」であり、一般利用客の「公共の利便」とは、国際線航空機に乗車できるとか、空港建設による公共設備に伴う雇用の増大ということなどだろうと思いますが、このことは、「負担」と「利便」の要素が元々異なるためにその対価がどこで同等であるのか?という意味で解決できない問題を含んでいるし、「なぜ成田なのか?」という根本的な疑問にも答えられません。
死刑の問題に移しますと、凶悪殺人者への死刑判決および執行というものは、人間の命での引き替えという意味で、上記よりは多少の説得力を持つことは確かだと思いますが、しかし、なぜ終生禁固刑という身柄拘束の自由剥奪とどうして釣り合わないか?という疑問も常に残すことにならないでしょうか?
つまり、どういう代価が適当か?という無数にある候補に対する厳密な意味での選定は常に曖昧であるのではないでしょうか?
※ 私がおそれるのは、欧米のグローバル化によって下されるかもしれない、異端であると思われかねない日本の「人権」なるものの存在に対するバッシングです。前述しているように、アフガニスタンも、イラクも、ティモールにおいても、彼らなりの歴史や宗教によって作られてきた倫理観の(欧米との)相違によって、「正義のための虐殺」が正当化されたという事実です。
>当然、対応する義務を負担しなければならない。
これが建前化されて、「国民の意志を代表して行使されているもの」であるとすれば、ますます曖昧になりますよねえ?
現政権そのものが、国民の意思を代弁しているとはいえない状況であるわけですから、「主権」である国民を誰がどういう手続きで「契約」したのか?という疑問は常に曖昧に残るわけですよねえ?
ましてや日本人は、国民自ら勝ち取った記憶はないし、(誰とも)契約した歴史的事実もないわけですから、現行憲法を建前通り欧米の解釈をそのまま移行することには無理がありますよねえ?
これでいくと、日本の人権の実態は、やはり常に曖昧なのではないでしょうか?
> 「人間そのものの倫理観の問題として、それを改善する」というのは理想論にすぎない。
> 倫理観の問題だけで犯罪が無くなるとは考えられず、権利・権限の濫用も同様である。
> 権利・権限を濫用する者は、権利・権限の行使を制限されなければならない。
「理想論」といってしまえば、オオタグロさんも同じですよ。たとえば、成田闘争にしても、「権利、権限の行使の乱用」を問題にしましたが、それをただ単に「制限されなくてはならない」としても問題は解決しませんよ。
ましてや、
>「公共の利便性や利益享受者の不存在」を立証するだけでは意味はない。
> 一部を除く国民等に不利益を負担させることになることを立証し、
> 不利益を負担することになる者達が、負担させようとする者から権限を剥奪しなければ意味はない。
今までの経緯からしてみれば、弱者(少数)が故に「権限の剥奪」が不可能であり、問題解決へと進まないという「現実」をみれば、常に多数派が優位に決定権を持つという図式に変化をもたらせ得ないという意味で、あなたのこの記述は無意味ではないでしょうか?
現実の政治にしても、総理大臣が3人も替わるのに、それを支持するに必要なはずの「選挙」が行われないというのは、「国民の決定権」を語る民主主義の原則を無視した形で現実政権が存在し、何らかの重要政策が決定されるわけですが、オオタグロさんのおっしゃる「建前論」はもうすでに長い間にわたって崩壊しているといわざるを得ませんよねえ。
郵政民営化に賛同したからといって、小泉政権のすべてを支持しているわけではないはずなのに、現実的には、「圧倒的な国民の支持」という形でこれまでの国会決議のすべてが了承されなくてはならないという図式が、オオタグロさんの説からは伺えるように思います。
>「人間そのものの倫理観の問題として、それを改善する」というのは理想論にすぎない。
もちろん、私の書いている「倫理観」なるものは、昔の修身の存在の反省から考えて、かなり危険なものを含んでいる可能性はあるのですが、まあどちらかといえば、政治家等の倫理観が一般人の倫理観ほどもあれば、「よりまし」であるとでもいうのか、あまりにも上に立つものの倫理観の低下が目につくというほどのものです。
もっとも「一般人の倫理観」なるものの実態も非常に曖昧であることは事実ですが・・・・。
>「公共の利便性向上のために不利益を負担しない」ならば、
> 「向上した公共の利便性による利益を享受できない」。
成田闘争の場合は、地域住民の不利益は開拓した田畑を失うという「負担」であり、一般利用客の「公共の利便」とは、国際線航空機に乗車できるとか、空港建設による公共設備に伴う雇用の増大ということなどだろうと思いますが、このことは、「負担」と「利便」の要素が元々異なるためにその対価がどこで同等であるのか?という意味で解決できない問題を含んでいるし、「なぜ成田なのか?」という根本的な疑問にも答えられません。
死刑の問題に移しますと、凶悪殺人者への死刑判決および執行というものは、人間の命での引き替えという意味で、上記よりは多少の説得力を持つことは確かだと思いますが、しかし、なぜ終生禁固刑という身柄拘束の自由剥奪とどうして釣り合わないか?という疑問も常に残すことにならないでしょうか?
つまり、どういう代価が適当か?という無数にある候補に対する厳密な意味での選定は常に曖昧であるのではないでしょうか?
※ 私がおそれるのは、欧米のグローバル化によって下されるかもしれない、異端であると思われかねない日本の「人権」なるものの存在に対するバッシングです。前述しているように、アフガニスタンも、イラクも、ティモールにおいても、彼らなりの歴史や宗教によって作られてきた倫理観の(欧米との)相違によって、「正義のための虐殺」が正当化されたという事実です。
これは メッセージ 16110 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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