Re: 多数・少数
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/10 04:52 投稿番号: [16128 / 17759]
>さて、多数決を否定するのはかまいませんが、
>すると、少数によって決定することを認めることを意味します。
私は多数決を否定しているわけではありません。
多数決によって払われなければならないはずの「少数意見の尊重」という補足事項が無視されすぎていると書いているだけです。
そしてこの「尊重」という具体的な方策はいろいろな方法によってなされることが可能なはずなのですが、おそらくは今までのところ十分に少数の弱者を満足させることができていないということを指摘しているわけです。
つまりこれが充分になされてこそ初めて「公共の福祉」なるものの主張が許されるのではないだろうか?・・といつも思っています。
>私は、理に適いさえすれば、独裁をも容認します。
私の嫌いな評論家の勝谷という人が珍しく同意できること、たしか「あのオバマの演説とそれに陶酔する聴衆の関係は、あのヒトラーを彷彿させる」というような意味のことを話していました。
「理」とは具体的には何を担保して語られるものなのでしょうか?
>さて、成田闘争ですが、何が理に適っているのでしょうか?
「理」かどうかはわかりませんが、たとえば自分の父親の形見を「正当な金を出すから売ってくれ」といって、無理矢理に買おうとした人に、「これはかけがえのない金では買えないものだから「いやだ」といって拒否できる」権利くらい与えてやりましょうよ。・・・というくらいのものです。
>>ものの価値は当然「価格」では推し量れません。
>理由を示してください。
>ドラ と同じ状態に陥っています。
理由などありませんよ。
一時期の堀江モンじゃあるまいし、金に換算できないものなどいくらでもあるでしょう?
>損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。
>民法に於いて定められています。
個人の価値観と法律とは何の関係もありませんよ。また法律で規制できるものであってはならないものです。
>思い入れは、所詮、財産的価値として算入されるものではなく、慰謝料部分として評価されるにすぎません。
>よって、賠償額に影響を及ぼすにすぎません。
これは強者からの一方向からの見方以外の何者でもありません。法律上取り決められた賠償額なるものは、思い入れを持った人間に対しては全く無意味です。
当人にとってみれば、「法律で決められたのであるからそれに従うべきだ」とするのは、全く話にもならないほど無意味で不愉快な考え方ですよね?
>>【「負担」と「利便」の要素が元々異なる】
>というのは、金銭に換算しないことを前提としなければ成り立たず、
>金銭に換算することによって同一要素となります。
当然そうですが、何度も書きますが、必ずしも金銭に換算したくない人にとってはこの考え方は「無意味」ですよ。
たとえば「信教の自由」とか「内心の自由」がどうして認められなければならないのか?という理由を考えれば容易にわかることですよね?
>また、「殺人」と「死刑」は「人命」について等価ですが、
「死刑」と「終審禁固」は費用について等価ではありません
ですからこのことも無意味です。
「終身禁固」という現実をどのように受け取るか?という感じ方次第で、「死刑」と等価にもそうでなくもなりうるという可能性を持っているということです。
>アメリカの軍事力を支えていたのは、米国債を購入していた日本であり、現在は中国である。
しかしこの軍事力を使うことによって苦難を乗り切ろうとする考え方があるというのは、ブッシュ政権の行為を見るまでもなく充分あり得ることで、今となっては一蓮托生の感のある日・中はおそらくはそれを支持することになるんでしょうね。
>すると、少数によって決定することを認めることを意味します。
私は多数決を否定しているわけではありません。
多数決によって払われなければならないはずの「少数意見の尊重」という補足事項が無視されすぎていると書いているだけです。
そしてこの「尊重」という具体的な方策はいろいろな方法によってなされることが可能なはずなのですが、おそらくは今までのところ十分に少数の弱者を満足させることができていないということを指摘しているわけです。
つまりこれが充分になされてこそ初めて「公共の福祉」なるものの主張が許されるのではないだろうか?・・といつも思っています。
>私は、理に適いさえすれば、独裁をも容認します。
私の嫌いな評論家の勝谷という人が珍しく同意できること、たしか「あのオバマの演説とそれに陶酔する聴衆の関係は、あのヒトラーを彷彿させる」というような意味のことを話していました。
「理」とは具体的には何を担保して語られるものなのでしょうか?
>さて、成田闘争ですが、何が理に適っているのでしょうか?
「理」かどうかはわかりませんが、たとえば自分の父親の形見を「正当な金を出すから売ってくれ」といって、無理矢理に買おうとした人に、「これはかけがえのない金では買えないものだから「いやだ」といって拒否できる」権利くらい与えてやりましょうよ。・・・というくらいのものです。
>>ものの価値は当然「価格」では推し量れません。
>理由を示してください。
>ドラ と同じ状態に陥っています。
理由などありませんよ。
一時期の堀江モンじゃあるまいし、金に換算できないものなどいくらでもあるでしょう?
>損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。
>民法に於いて定められています。
個人の価値観と法律とは何の関係もありませんよ。また法律で規制できるものであってはならないものです。
>思い入れは、所詮、財産的価値として算入されるものではなく、慰謝料部分として評価されるにすぎません。
>よって、賠償額に影響を及ぼすにすぎません。
これは強者からの一方向からの見方以外の何者でもありません。法律上取り決められた賠償額なるものは、思い入れを持った人間に対しては全く無意味です。
当人にとってみれば、「法律で決められたのであるからそれに従うべきだ」とするのは、全く話にもならないほど無意味で不愉快な考え方ですよね?
>>【「負担」と「利便」の要素が元々異なる】
>というのは、金銭に換算しないことを前提としなければ成り立たず、
>金銭に換算することによって同一要素となります。
当然そうですが、何度も書きますが、必ずしも金銭に換算したくない人にとってはこの考え方は「無意味」ですよ。
たとえば「信教の自由」とか「内心の自由」がどうして認められなければならないのか?という理由を考えれば容易にわかることですよね?
>また、「殺人」と「死刑」は「人命」について等価ですが、
「死刑」と「終審禁固」は費用について等価ではありません
ですからこのことも無意味です。
「終身禁固」という現実をどのように受け取るか?という感じ方次第で、「死刑」と等価にもそうでなくもなりうるという可能性を持っているということです。
>アメリカの軍事力を支えていたのは、米国債を購入していた日本であり、現在は中国である。
しかしこの軍事力を使うことによって苦難を乗り切ろうとする考え方があるというのは、ブッシュ政権の行為を見るまでもなく充分あり得ることで、今となっては一蓮托生の感のある日・中はおそらくはそれを支持することになるんでしょうね。
これは メッセージ 16124 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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