入って中国人に南京事件真相議論しましょう
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陸軍到着までの上海居留民の苦悩1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/03/02 18:45 投稿番号: [762 / 2250]
陸軍が来るまでの上海居留民の苦悩は大変なものでした。
いつ皆殺しになるか判らないからです。
西岡香織著 『 報道戦線から見た 「 日中戦争 」』 芙蓉書房出版
80頁には
《 上海北部の共同租界と、虹口 (ホンキュウ) 方面で租界の北部に二キロほど
突き出した形の
「租界外拡張道路」
両側に形成された日本人街で、
数十倍の敵軍の攻撃を受けた海軍陸戦隊の苦戦は当然であった。
「夜となく昼となく死物狂いに砲撃、爆撃して来る雲霞 (うんか) の大軍を引受けて、
寡兵 (かへい) よく虹口籠城の居留民二万を死守した」 が、
「全く十七日、十八日は上海最後の日と目され、……
虹口クリーク東方楊樹浦地区一帯に殺到した敵軍によって、
第二の通州事件は何時、惹起 (じゃっき) されるかも判らぬという
危機一髪の時」 を迎えていた」 (馬淵『報道戦線』)》
とあります。
また塚本誠氏はその著
『 ある情報将校の記録 』
207〜 208pには
《戦闘が始まってから月余にわたる上海の籠城は暗く、苦しみの連続であったが、
陸戦隊も居留民もよく頑張った。・・・
当初敵機の跳梁には私も切歯扼腕 (せっしやくわん) したものである。わが海軍が暴風を
衝いて渡洋爆撃を行なったニュースを聞いた時は皆といっしょに躍り上って喜んだ。》
と言っていて、その苦悩のほどが偲ばれます。
馬淵氏は報道班として送られたので、上陸する陸軍より早く来たわけですが、
水兵服を着てきたら怒られたといいます。
その理由は
《 陸戦隊や居留民が陸軍部隊の上陸を待ちわびていることは知っていたが、
中国軍は日本陸軍上陸となれば、その前に租界地になだれ込み、
日本人居留区を全滅させようとするのではないかと心配し、
わざと海軍の水兵服を着て上陸したのであった。
それを見て末藤大佐は、絶望的な状況下の陸戦隊と居留民が、 陸軍将校の姿を
見ればどんなに喜び、安心することか、余計な気を使うなと叱ったのである。
成るほどと、馬淵らは早速陸軍将校の軍服姿で陸戦隊の歩哨線を廻ると、
血と汗にまみれた海軍兵士たちが飛びついてきて、
「陸軍がやってきた」
と歓声を挙げたので、しみじみと死闘の続く
陸戦隊員の苦労が分かったという。》
( 西岡香織著 『 報道戦線から見た 「 日中戦争 」』 芙蓉書房出版
81頁 )
ということです。
註:寡兵
カヘイ
少ない兵
惹起
ジャッキ
引き起こされる
切歯扼腕
セッシヤクワン
歯をくいしばり、自分の腕を握りしめて
悔しがること。
つづく
これは メッセージ 761 (kireigotowadame さん)への返信です.
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派遣陸軍の編成と方針
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/03/01 18:37 投稿番号: [761 / 2250]
8月14日
上海行きに
第3師団・第11師団の動員が下令されました。
8月15日に、松井石根大将を軍司令官とする、上海派遣軍の編組・任務が下令されます。
ただし、これは臨時のもので、本式のものではありません。
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
266p
《 十五日、上海派遣軍(軍司令官
松井石根大将−9期)の編組、任務等が
次のように下令された。その任務は極めて限定された小範囲のものである。
また純粋の作戦軍ではなく、一時的派遣の意味をもって
「戦闘序列」
が下令される
ことなく軍の
「編組」
が示された。戦局不拡大方針の考えを見ることができよう。
(「編組」
とは隷属系統を規定する数個の部隊の組み合わせをいい、
「戦闘序列」
とは、戦時もしくは事変に際し天皇の令する作戦軍の編組をいう)》
そして臨参命第73号の第2項で
266p
《 上海派遣軍司令官ハ
海軍ト協力シテ
上海附近ノ敵ヲ掃滅シ
上海竝(ならびに)
其北方地区ノ要線ヲ占領シ
帝国臣民ヲ保護スヘシ》
という、出兵の目的が出されました。
次に、
8月16日には臨命第452号で参謀総長より各種の指示が出されます。
267p
《(1)
上海派遣軍司令官と第三艦隊司令長官とは協同関係であり、
上陸した陸軍部隊と海軍特別陸戦隊とは戦闘間先任指揮官が統一指揮する。
(2)
第3、第11師団は海軍艦艇をもって急派する。
(3)
上陸地は劉河鎮方面及び呉淞方面とし、敵前上陸を予期する。
(4)
中支方面における敵航空勢力の覆滅は主として海軍が任じ、
陸軍は該方面に陸軍部隊の自衛のため飛行隊の一部を派遣する。
また、上海は国際都市として列国の利害が錯綜し、かつ列国監視の中にあるので、
軍の行使には特に次の件に注意せよと述べている。
一
我カ正当ナル行動ヲ
中外 (チュウガイ:内外) ニ
理解セシムルヲ要ス
二
努メテ列国軍トノ協調ヲ保持ス
三
上海租界ニハ
兵禍ヲ及ホササル如ク努ム
四
飛行機ヲ以テスル対地攻撃
就中 (なかんづく) 爆撃実施ニ方 (あた) リテハ
目標選定其他ニ関シ
国際関係ヲ顧慮スルヲ要ス
五
渉外事項ニ関シテハ
任務達成上
直接関係アルモノノ外ハ
努メテ外務官憲等ノ
処理ニ委ス
之カ為
所在帝国外務官憲ト
密接ニ連繋ヲ保持ス》
つづく
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8月15日 蒋介石の総動員令
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/28 18:52 投稿番号: [760 / 2250]
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』
265〜266p
《 蒋介石は八月十五日、総動員を下命するとともに、自ら陸海軍総司令に就任し、
全国を第一戦区 (冀察方面−総司令
程潜)、 第二戦区 (察晋方面!閻錫山)、
第三戦区 (上海方面−顧視同)、 第四戦区 (南支方面!余漢謀)
に分け、これに若干集団軍を配属して着々と戦備を整えた。
当時における蒋介石の対日戦略について、蒋介石の側近であった董顕光は、
戦後発刊の著書のなかで、次のように述べている。
そのとき〔八月上旬〕蒋介石は抗戦のための全面的な戦略を決定していた。
これが世にいう
〝空間をもって時間に替える〟
戦略であって、
時間をかせぐために必要に応じて空間が放棄されるが、敵はそのような空間を
得るために人的、物的に高価な代価を支払わねはならないのである。
一種の焦土戦術がとられて中国軍の放棄した地域には
敵の利用する家屋も食糧も残されてない。
この独特の戦略によって日本軍は奥地深くおびき寄せられ、
その戦線は稀薄に広がり、輸送路は延び過ぎて丸裸になってしまうであろう。
これが消耗戦の戦略であって、蒋介石は、うぬぼれた日本軍が必ず
この消耗戦で崩壊すると信じていた。
一方、当面の危機に対して蒋介石は自ら好む戦場を揚子江の線に選び、
そこに主力を集結するという現実的な方策を決定した。
華北は補給線を維持することが困難だから、抗戦を続けても結局は敵手に
落ちるものとして、華北前線には大軍を増援しないことにした。
中国軍の主力は揚子江流域の諸都市における決戦に備えて温存し、更にもし
揚子江の線が破れた場合は、奥地深く第三すなわち最後の抵抗線を築く計画であった。
これは実に巧妙な作戦計画であり、またその後の戦局の推移は蒋介石の考えの
正しかったことを証明している。
しかし、この計画が最後の勝利をもたらすまでには、
中国の民衆は長い年月の苦痛に耐えねばならなかった。》
*
この董顕光の記述を見ても、あの戦争が中国側の意思によって
遂行されていたことがわかります。
善人心の日本人は、こういう中国の戦略を知っていながら、
日本が侵略戦争を起こしたと妄言を吐き続けているわけです。
中国軍は焦土作戦で、撤退する時、その途中の街や家屋を焼き払いました。
そして、そのあとで、日本軍がやったと宣伝したのです。
中国軍が上海を爆撃した後で、日本軍がやったと言ったように。
彼らは焦土作戦をやったら、自国民がどれだけ苦しむかなんて考慮しません。
文句言ったら、漢奸 (売国奴、敵のスパイ) だと言って、殺すだけですから。
これは メッセージ 759 (kireigotowadame さん)への返信です.
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揚子江流域領事館員の再引揚げ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/27 15:14 投稿番号: [759 / 2250]
揚子江流域領事館員は
以前に引揚げようとしましたが、
揚子江を封鎖されたため、
水路からの引き揚げができなくなりました。
そこで、今度は鉄道を使って青島に向かう事になります。
なお、上海も攻撃を受けたために、上海居留民の引揚げも始まりました。
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
303〜304p
《 また南京の動揺は十三日戦火が上海に波及するとともに激化し、
殊に十四日中国側の上海盲爆により同方面の事態は最悪に立ち至り、
外務中央部は在南京の日高参事官に一斉に南京を引揚げられたき旨、訓電した。
十四日 16:00 日本大使館と国民政府外交部との間に、
岳陽丸による南京逆もどりの我が引揚げ官民は十五日午前浦口発、
特別列車で津浦線経由により青島に送達のことに交渉が成立した。
かくて十五日午前、引揚げ官民一行一四六名は浦口発、
十六日朝済南に、同日夕青島に到着した。
右引揚げ後も残務整理のため居残った日高参事官以下大使館、総領事館館署員計二二名は、
十六日午後全点大使館を退出、夕刻浦口から列車で出発、十八日朝青島に安着した。
揚子江流域各地から一応上海まで引揚げて来た居留民は、
上海の状況にかんがみ、更に内地に引揚げた。
九日大山事件発生、避難帰国を要望する者が激増した。
よって、十三日出港の長崎丸、上海丸を第一船として大量引揚げを開始した。
十三日、日中交戦関始されるや婦女子及び一部の男子に総引揚げが命ぜられ、
十五日から二十二日までに「龍田、欒洋、長江、上海、長崎、諏訪、安洋」、
富士丸を一一回配船して、十九日までに婦女子の引揚げを完了し、
二十二日までに引揚げ希望者のほとんど全部の引揚げを完了し、
その数一四、三〇〇人に及んだ。上海残留者は官公吏、会社員、在郷軍人、
時局委員会関係者など七、〇〇〇人にすぎなくなった。》
これは メッセージ 748 (kireigotowadame さん)への返信です.
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暴支膺懲声明のつづき
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/26 15:38 投稿番号: [758 / 2250]
中国の上海攻撃の非道さに、日本政府は声明を出しました。
その趣旨は
「中国があまりにひどい事をするので、已む無く断固たる措置をとらざるを
えなくなった。」
というものです。
もちろん
「領土的野心などなく、あくまで反省を促すためだ」
と言っています。
そのため、派遣もたったの二個師団です。
総大将に任命された、松井石根大将もあまりの少なさに困惑したようです。
ちなみに、松井氏は、この時、予備役でした。
松井氏は、日中友好に尽していた人物なので、恐らく、彼なら、中国に対しても、
良い対応をし、事変も良い方向で解決するだろうと、期待して選ばれたのでしょう。
戦争の目的も
「上海派遣軍司令官ハ
海軍ト協力シテ
上海附近ノ敵ヲ掃滅シ
上海 竝 (ならびに)
其(その) 北方地区ノ要線ヲ
占領シ
帝国臣民ヲ保護スヘシ」
というもので、上海周辺の敵を排除して、日本人居留民を護れというものでした。
つまり、上海の当面の敵を排除することが目的で、それ以上の事は考えていなかったのです。
そして、この、兵の少なさが、日本側に悲劇をもたらします。
これは メッセージ 757 (kireigotowadame さん)への返信です.
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暴支膺懲声明
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/25 18:35 投稿番号: [757 / 2250]
中国の上海攻撃の非道さに、日本政府は声明を出しました。
〔昭和12年8月15日
大阪毎日〕より
声明書
《 帝国つとに東亜永遠の平和を冀念 (きねん) し、日支
両国の親善、
提携に力を効せること久しきにおよべり。
しかるに南京政府は排日抗日をもって国論昂揚 (こうよう) と政権強化の具に供し、
自国国論の過信と帝国の実力軽視の風潮と相待ち、
さらに赤化勢力と苟合 (こうごう) して反日侮日いよいよはなはだしく、
もって帝国に敵対せんとするの機運を醸成せり。
近年幾度か惹起せる不祥事件、いずれもこれに因由せざるなし。
今次の事変の発端もまた、かくのごとき気勢がその爆発点をたまたま永定河畔に
選びたるに過ぎず、通州における神人ともに許さざる残虐事件の因由またここに発す。
さらに中南支においては支那側の挑戦的行動に起因し、
帝国臣民の生命財産すでに危殆 (きたい) に瀕し、我が居留民は多年営々として
建設せる安住の地を、涙をのんでついに一時撤退するのやむなきにいたれり。
顧みれば事変発生以来しばしば声明したるごとく、帝国は隠忍に隠忍を重ね
事件の不拡大を方針とし、努めて平和的かつ局地的に処理せんことを企図し、
平津地方における支那軍屡次の挑戦および不法行為に対しても、我が支那駐屯軍は
交通線の確保および我が居留民保護のため、真にやむを得ざる自衛行動に出でたるに過ぎず。
しかも帝国政府はつとに南京政府に対して挑戦的言動の即時停止と
現地解決を阻害せざるよう注意を喚起したるにも拘わらず、
南京政府は我が勧告を肯 (がえ) んぜざるのみならず、
かえってますます我が方に対して戦備を整え、
厳存の軍事協定を破りて顧みることなく、軍を北上せしめて我が支那駐屯軍を脅威し、
また漢口、上海においては兵を集めていよいよ挑戦的態度を露骨にし、
上海においてはついに我が方に向かって砲火を開き、
帝国軍艦に対して爆撃を加うるに至れり。
かくのごとく支那側が帝国を軽侮し不法、暴虐至らざるなく、
全支にわたり我が居留民の生命財産危殆に陥るに於いては、
帝国としてはもはや隠忍その限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し、
もって南京政府の反省を促すため、今や断乎たる措置をとるのやむなきに至れり。
かくのごときは東洋平和を念願し、日支の共存共栄を翹望 (ぎょうぼう) する帝国と
して衷心 (ちゅうしん) より遺憾とするところなり。
しかれども帝国の庶幾 (しょき) するところは日支の提携にあり、
これがため支那における排外抗日運動を根絶し、
今次事変のごとき不祥事発生の根因を芟除 (さんじょ)
するとともに、
日、満、支三国間の融和、提携の実を挙げんとするのほか他意なく、
もとより毫末 (ごうまつ) も領土的意図を有するものにあらず。
また支那国民をして抗日に躍らしめつつある南京政府および国民党の覚醒を
促さんとするも、無辜の一般大衆に対してはなんら敵意を有するものにあらず。
かつ列国権益の尊重には最善の努力を惜しまざるべきは言をまたざるところなり。》
注
冀念
キネン
いのり、こいねがう。
苟合
コウゴウ
私通する。
平津
ヘイシン
北平 (北京) 、天津地域の略
翹望
ギョウボウ
首を長くのばして待ち望む。
庶幾
ショキ
こいねがう、のぞむ。
衷心
チュウシン
心の底
芟除
サンジョ
草を刈り除く、刈り取る。
毫末
ゴウマツ
ごく小さいこと、少し、わずか。
つづく
これは メッセージ 756 (kireigotowadame さん)への返信です.
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中国の嘘に呼応する日本人
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/24 18:45 投稿番号: [756 / 2250]
中国は8月14日の上海爆撃を日本軍機がやったと報じましたが、
日本人の中には、今もこの嘘を信じて、これに呼応している人達がいるのです。
『写真記録
日中戦争3.拡大する日中戦争
1937〜1941』
ぽるぷ出版
鈴木亭・笠原十九司
編
という本の26頁のAに死体が転がっている写真がありますが、その前の頁に
“日本軍が連日上海市内を爆撃して、市民を酷い目にあわせている”
と言う趣旨の記事を書いています。
そして次に
この写真ですから、この写真の加害者は日本軍と取られます。
ところが、この写真は、中国軍機が上海南京路を爆撃した時の惨状写真なのです。
それと同じ写真が
毎日新聞社刊
『不許可写真1 』
の7ページと、
毎日新聞社刊
『大日本帝国の戦争2太平洋戦争』
11ページにも載っています。
ここではハッキリ、中国空軍が爆撃したと、書いてあります。
つまり、中国軍の爆撃の惨状を、まるで日本軍がやったかのように、
この人達は、読者に訴えているわけです。
また、彼らは、パレスホテル前の爆撃のあとの惨状写真
(但しこれを先施公司デパートと言っている)
も日本軍の犯行として載せています。
ここで彼らは二重の間違いをしています。
先施公司
(シンシアコーズ)
デパートを爆撃したのは中国軍です。
( 毎日新聞社刊
『大日本帝国の戦争2太平洋戦争』
の13ページにある )
パレスホテル爆撃も中国軍ですが、この写真も毎日新聞社刊
『大日本帝国の戦争2太平洋戦争』
の13ページにあります。
このように、中国軍の犯行を日本軍の犯行にすりかえて本に書く、
困った日本人がいるのです。
ちなみに、日本の新聞は、南京路で中国人の死体の転がっている写真の掲載を
不許可にされました。
別に、日本が犯人ではないのですが、
軍は、人道上、掲載すべきではないと判断したようです。
これを示すかのような記述が
西岡香織著 『報道戦線から見た 「日中戦争」 』 芙蓉書房出版
83p
にあります。
《日本軍第一線の幕僚には、軍の機密保持や、戦争の悲惨さを国民に知らせたくない
という心理から、従軍記者を敬遠する風潮が強かった。
このため報道部が間に立って苦労するが…》 (馬淵少佐の言)
要するに、軍の検閲は、機密保持だけではなく、
「悲惨な状況をお茶の間に見せたくない」
ということでもあったようです。
だから、敵の爆撃で殺された、中国人の死体写真でも、不許可にしたわけです。
それに比べて、自分で自国民を殺しておきながら、平然と日本軍のせいにする、
中国の図々しさ、これはナイーブな日本人には、とてもマネができません。
この中国の酷いやり方に、日本政府は、8月15日
「暴支膺懲」
声明を出します。
つづく
これは メッセージ 754 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月15日 日本海軍機の渡洋爆撃
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/23 18:42 投稿番号: [755 / 2250]
8月14日
中国軍機が上海を爆撃しました。
そのころ、東シナ海には、日本の空母がいましたが、
台風が来ていたため艦載機は発艦も着艦も出来ませんでした。
動けたのは、黄浦江にいる
「出雲」
と
「川内」
の艦載機のみです。
これらはフロートつきの水上機です。
これら二機の水上機が攻撃してきた中国軍機に反撃出来ただけです。
これでは埒があきません。
日本海軍は、15日、日本本土
(長崎県・大村)
と台湾から直接飛行機
(九六式陸攻)
を飛ばせて、南京・広徳・南昌・杭州などの飛行場を攻撃させました。
これは渡洋爆撃と言われています。
しかし、台風が来ていたため、高空からは目標が見えません。
攻撃できずに引返したり、低空で攻撃しようとして撃ち落とされたりで、
成果が上がらず、何度も、同じ所を攻撃に行かなければならなくなりました。
仕方がありません。陸軍は当分来れませんし、たった4千の陸戦隊員で
何万という中国軍を相手にしているのですから。
せめて、飛行機で中国軍の飛行場を叩いて、空襲だけでも抑え、
日本人居留民の生命を永らえさせなければならないのです。
尚、大村から飛び立った、木更津航空隊は南京攻撃の後、
そのまま済州島に移動しました。
元々、済州島に移動する予定だったのですが、
基地が出来ていなくて待機していたのです。
今回、渡洋爆撃で発進したため、ついでに移動しました。
以後、済州島から敵飛行場への攻撃に行く事になります。
しかし、渡洋爆撃の標的は、あくまで遠方の敵飛行場であって、
上海の市街ではありません。
ここに、中国が付け込み、詭弁や嘘で遠方の国の人を騙せる余地があるわけです。
はるか遠方の外国の人には、南京・広徳・南昌・杭州の飛行場への爆撃も、
上海への爆撃も区別がつきません。
中国が、日本軍機が上海を爆撃したと言えば、「アーそうか」
と思うでしょう。
つづく
これは メッセージ 754 (kireigotowadame さん)への返信です.
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中国は 「日本が爆撃」 と嘘報道
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/22 18:50 投稿番号: [754 / 2250]
中国は8月14日に上海市街を爆撃しましたが、
なんと、これを日本機がやったと報じたのです。
K・カール・カワカミ著 『シナ大陸の真相』
255p
《 8月15
(?14の間違い)
日
に中国軍の飛行機が国際租界のキャセイホテルと
パレスホテルを爆撃した時、中国政府の宣伝広報局は、
この爆撃機は日本軍のものである、というニュースを流した。
ワシントンポストの上海特派員であるマーク・J・ジンスボーグ氏は、
「二四時間以内にこの宣伝広報局は重大な訂正を発表し、
我々特派員スタッフの完璧なる調査によって問題の爆撃機は日本軍のものではなく
中国軍のものであることが判明した、ということを内外に通報した」と書いている。》
256p
《
ニューヨークタイムス上海特派員は中国側の検閲を避けて真実を伝えるため、
この爆撃 (23日) に関する特電を上海ではなく香港から発信した。
・・・
「上海の国際租界及びフランス特権区域に居住する無力な一般市民を、
中国軍が無責任に空爆したり殺害したりするのを防ぐために、武力手段または
他の抑止策をとることについて何らかの国際的な合意が必要であるということは、
上海在住の外国の領事館員や陸海軍スタッフたちの一致した見解となっている」
この特電は中国の検閲に不満を漏らして次のように述べている。
「中国の検閲官は発信された外電やラジオ通信から前述の事実や意見を削除した。
そして場合によっては外電のニュースそのものを変えてしまいさえもした。
その目的は、現地の外国人たちが、あたかも心の中で、この爆弾はおそらく
日本の飛行機から投下されたかも知れないと、疑っているかのように
見せかけるためだったのである。だがしかしこれは明らかに真実ではない」》
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
197p
《
十二日夜から
「同盟」
無線室の電源が切れた。
各社のものもそうであった。
幸い、 「同盟」
だけは、バンドの正金銀行ビルの一室に五百キロの送信機を
隠しておいたので、そのいちばん小さいもの一つだけが動いた。
青田君が、さっそく東京と連絡をとるのに成功、刻々のニューズを東京に送った。
十三日と十四日は
「同盟」
の独壇場であり、各紙は本紙も号外も、
上海発同盟電を多量に掲載した。》
*
「無線室の電源が切れた。
各社のものもそうであった。」
これは、今だったら、不都合なインターネットやTVを遮断するようなものでしょう。
当時の中国は、通信社の無線電源を別電源で管理していたのかも。
*
中国は日本機がやったと言いましたが、常識で考えてみましょう。上海は
日本人がいる所です。何で味方を攻撃しなければならないのですか?
中国の場合、故意に同胞を殺して、日本がやったと平然と宣伝しますけど。
昭和13年6月にも
黄河の堤防を切って90万人を殺し、日本がやったと宣伝しました。
つづく
これは メッセージ 753 (kireigotowadame さん)への返信です.
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中国軍の上海爆撃3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/21 18:34 投稿番号: [753 / 2250]
松本重治氏著 『上海時代(下)』 中公新書
195〜196p
《 十四日午後四時少し過ぎ、私が
「同盟」
支社にいると、
中国空軍の編隊が上手から黄浦江上空に進んで来て、旗艦
「出雲」
の高射砲や
機関銃が反撃しているようだと、記者の一人が急いで駈けよって、知らせてくれた。
すぐ窓側に行き、黄浦江の上空を眺めると、マルチン爆撃機の五機編隊で、
「出雲」
めがけて進んでいるではないか。
私の肉眼では、編隊の高度はだいたい七、八百メートルとみた。
「出雲」
その他の高射砲がパーン、パパーンと鳴り響いている。
ふと見ると、五機のうち一機の急所に高射砲の弾が命中したらしい。その一機が隊伍を
乱すかと見ると、中国空軍の射手らしいものが、其っ逆さまに降ってきて黄浦江にじゃぶん。
すると、編隊は
「出雲」
の方向からやや左旋回し始めたと思うと、
一つ、二つ、三つと大型の爆弾を落しつつ、租界上空を通って飛び去った。
一つは愛多亜路の十字街の舗装道路上で炸裂した。
その十字街の一角には大衆歓楽センターである「大世界」と言う四・五階のビルが有り、
十字街上と
「大世界」
内にいた千人余りが、爆風と破片とで死亡した。
第二弾は南京路カセイホテルの玄関先で炸裂し数百枚の窓ガラスが破壊された。
その為、通行中の中国人約二百名、外人八名が死んだ。
その外人のうちには、ライシャワー元大使の兄に当る
ロバート・ライシャワー
(有名な日本古代史の学者)
も含まれていた。
第三弾は、南京路を隔ててカセイホテルの向かい側のパレスホテルの屋根を
貫いて地階に達し、数十人の死傷者を出した。・・・
「同盟」
支社の中国人使傭人は、急に動揺の色を見せ、同僚記者たちも、
期せずして私の顔を見た。
私は、窓口から編集デスクに戻って、大声でみんなに
「僕たちは新聞記者だ。死場所はこのデスクだよ。冷静に落ちついて、ジタバタするな」
と命令した。
すると、みんな、 「そうだ、そうだ」
といって、
各自デスクに戻り、仕事を続けてくれた 》
*
この爆撃による死傷者は
キャセイホテルとパレスホテルの間で死者729名、負傷者861名、
エドワード七世通りとドモンティグニイ通りの交差点にて死者1012名、負傷者1007名
この時の死傷者の大半は中国人でした。
これは メッセージ 752 (kireigotowadame さん)への返信です.
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中国軍の上海爆撃2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/20 14:33 投稿番号: [752 / 2250]
新聞のつづき
〔昭和12年8月15日
中外商業〕
《〔上海十四日発同盟至急報〕
午後四時四十二分、我が方の高射砲弾を浴び
西南方に退却中のマーチン重爆撃機は、爆弾二個を避難民二千余の密集する
新世界附近に投下せるため、支那民衆に多数の死傷者を出し、安全地帯と
絶対に信ぜられていたフランス租界、共同租界など所嫌わず爆撃を加えている。
その爆弾投下振りは全く狂気沙汰で、フランス租界、共同租界の随所に
投弾、無辜 (むこ) の外人を多数死傷せしめつつある。
浦東のスタンダード・オイルの貯油タンクも爆弾命中せるもののごとく、
同附近は黒煙に包まれている。
なお呉淞においてはアメリカ東洋艦隊旗艦オーグスタス号の傍らにも落下し、
果たして照準を定めて爆撃しつつありや否やすこぶる疑問で、
上海在留外人は支那軍の無軌道振りに今更のごとく驚き、非常な憤激に燃えている。
かくて敵飛行機の虹口上空爆撃はますます猛烈を極め、陸戦隊の周囲は
目下盛んに火焔が揚がっている。 東部においては上海紡績、公大紡績などが
敵機の目標となり、市内は盛んに火災を起こし、また西部東洋紡、内外綿などの
邦人工場に於いても敵の空爆のため火災が起こっている。
時に午後五時。それより敵は空爆と呼応して虹口目がけて野砲を打ち込み、
ダラッチ路の我が海軍武官室、狄思威路、有恒路などの工部局警察署附近に
落下、敵軍の虹口総攻撃はいよいよ確実となり、
共同租界は今や収拾すべからざる混乱に陥った。
屍の山、鮮血の海〔上海十四日発同盟至急報〕
午後四時半、支那側の連続的空爆でほとんどバンド北京路先の碼頭に落下した爆弾は、
折柄午前中の空爆で虹口楊樹浦方面から殺到した数万の避難民の真中に落下し、
死傷者無数、上海随一の華麗街、南京路上は死傷者の鮮血で真赤になり、
或いは片手を奪われ、或いは頭をやられた瀕死の重傷者が血の雨の中を這い廻り、
上海一の国際社交場カセー、パレス両ホテルに宿泊中の外国婦人等が、
滅茶滅茶に粉砕された窓硝子に傷ついて狂気のように泣きわめいて、道路いっぱい
身動きのならぬような混乱の中から逃れようとして踏み殺された小児等、
思わず眼を蔽わす惨状で、その悲惨語るに絶するものあり。
目下各国の救護班出動、死傷者を収容中である。
〔上海十四日発同盟至急報〕
支那軍の飛行機は西蔵路、大世界直前にも
爆弾を投下し、付近に避難していた支那人二百余が惨死した。
アメリカ人宣教師フランク・ディ・ローリンソン氏も爆死したといわれる。
北四川路一帯、大火災〔上海十四日発同盟至急報〕
敵の爆弾で北四川路一帯は火災を起こし、日本人経営百貨店、購買組合、
内山書店附近は目下延焼中である。
敵弾は更に我が西部小学校の東南部百米のところに落下、同小学校に避難、
集結している我が居留民は今や恐怖のどん底に怯えている。》
* なお、キャセイホテルには、セオドア・ルーズベト ( 元大統領 ) 夫人も
逗留していた。
つづく
これは メッセージ 751 (kireigotowadame さん)への返信です.
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中国の上海爆撃1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/19 15:37 投稿番号: [751 / 2250]
中国は、昭和12年8月13日、上海攻撃を開始すると、
翌14日には、上海爆撃を行いました。
午前中は日本人居留区への爆撃が主ですから、基本的に蘇州河の北側です。
新聞によりますと
昭和12年8月15日
東京朝日(夕刊)
《〔上海特電十四日発〕
敵飛行機一機は十四日朝九時五十分頃、陸戦隊の上空に
現れたので、我が方の高射砲は一斉に砲撃を開始し、敵機はいったん北方に逃げ去ったが、
更に午前十時二十分、敵機三機は新公園方面より現れて、陸戦隊本部目がけ盛んに
爆弾を投下中、これに対し我が黄浦江上の艦船は高射砲を以って応戦しつつあり。
英汽船会社碼頭 (マトウ) に命中〔上海十四日発同盟〕
支那爆撃機の投下した爆弾二個は英国人経営ジャーデン・マゼソン会社の
上海碼頭に命中、同会社の倉庫を粉砕し、
同社勤務英人シー・ゼー・ヘッド氏は負傷、支那人二名死亡、
その他支那人の重軽傷者多数に上った。
邦人紡績工場も爆撃さる〔上海十四日発同盟〕
敵機四台は十四日午前十時過ぎ、更に楊樹浦 (ヤンジッポ) 紡績工場地帯
上空に現れ、河岸にある日清汽船繋留船三隻の附近に爆弾を投下し、
黄浦江上に盛んに水煙を立てている。
〔上海十四日発同盟〕
十時頃の支那爆撃機襲来により、楊樹浦にある公大紡(鐘紡)、
裕豊紡(東洋紡)は数弾の爆弾を見舞われ、相当損害を受けた模様。
邦船の乗組員四名死傷す〔上海十四日発同盟〕
呉淞 (ウースン) 河岸碇泊中の逓信 (ていしん) 省海底電線修理船
沖縄丸 (船員全部邦人)よりの無電によれば、
午前十一時過ぎ、敵機四機襲来し、内一機は同船に向かって爆弾を投下し、
左舷の河岸で炸裂し、破片のため同船の水夫一名即死、水夫一名、
火夫一名、油差し一名、計三名負傷した。
同船は午前十一時抜錨、呉淞沖合に仮泊することとなった。》
とあります、しかし午後には、蘇州河南の白人が多い市街地も爆撃しました。
と言っても、北側の日本人地区への攻撃は続いていますけど。
注
碼頭
マトウ
埠頭に同じ
つづく
これは メッセージ 750 (kireigotowadame さん)への返信です.
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シェノールト上海爆撃をさせる
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/18 18:49 投稿番号: [750 / 2250]
アラン・アームストロング著 『幻の日本爆撃計画』 日本経済新聞出版社
33〜34p
《 盧溝橋で日中両軍が戦闘を開始したことを知ると、シェノールトは直ちに
中国航空問題委員会に電報を送って軍務に就くことを申し出たが、
もはや中国空軍を視察する軍事顧問に留まるつもりはなかった。もし許されるなら、
日中間に正式な宣戦布告がないために 〝満州事変〟 と呼ばれる状況発生の後、
日本に対する航空作戦の指揮を執りたいと伝えたのだった。
そこで新しい役割が与えられ、シェノールトは江西省の省都、
南昌にある高等飛行訓練学校で戦闘訓練を担当するよう命じられた。
当時この訓練学校を指揮していた毛邦初は、その二年前に、
シェノールトに中国空軍の飛行教官として支援してほしいと要請した人物だった。
しかし、その時点では大佐にすぎなかった毛は、いまでは将軍に昇進しており、
中国空軍に対する彼の権力と影響力は、責任と共に増しつつあった。
一九三七年七月二三日、シェノールトと毛は中国空軍の臨戦態勢の現状について、
蒋介石総統に対して報告を行なった。
内容は、日本の攻撃に抵抗するために戦闘可能な航空機は二〇〇機足らず
しかない、というものだった。
それを聞いた総統は激怒し、毛を銃殺刑にすると語気を荒らげた。
それらの航空機は、アメリカ、ドイツ、イタリアから調達したものの寄せ集めだったが、
ボーイングP−26戦闘機一〇機、ドイツ製ハインケル機六機、マーチンB−10爆撃機九機、
さらにサボイアーマルケッティ三発爆撃機六機などが含まれていた。
幸い、中国はウィリアム・ポーリーのCAMCO社から、
カーティスP−36ホーク戦闘機を多数購入していた。
これらホーク2型機と3型機は、戦闘機としても爆撃機としても使える頑丈な航空機だった。
そしてこれらの機が、中国東部上空で日本機を相手に展開される空中戦で
中国側が使用する、主たる兵器となるはずだった。
日本の攻撃が上海に及ぶと、シェノールトとビリー・マクドナルドは
八月一三日金曜日に、日本軍旗艦出雲に対する攻撃計画の立案を開始した。
中国空軍による空襲は、翌日敢行された。
だが、結果は惨憺たるものだった。
中国人パイロットは、自国の市民たちを爆撃する結果になってしまったが、
これは重く垂れ込めた雲の下まで降下することを余儀なくされ、
その事態が爆弾の軌跡に及ぼす影響を読めなかったために起こった惨事だった。
シェノールトはと言えば、爆撃現場の上空を飛んでいたが、
ユニオン・ジャックを掲げたイギリスの軍艦の砲撃を受ける始末だった。
だが、状況はほどなく改善した。
一二機の日本軍爆撃機が空母加賀から発進したときには、
編隊は、シェノールトが選んだ最も腕利きの中国人パイロットの集団によって
甚大な損害を蒙り、一二機中一一機が大破した。》
*
この本では、 「日本の攻撃が上海に及ぶと」
と書いてあるが、これは、
著者が事実を知らず、日本が侵略したという、
虚構の歴史に騙されているからに過ぎない。
実際には、中国軍が13日に、上海を攻撃し、
租界警備の為に常駐していた、 日本海軍陸戦隊が防戦しているにすぎない。
日本陸軍の上陸はまだ先の事。
つづく
これは メッセージ 749 (kireigotowadame さん)への返信です.
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シェノールト中国に雇われる
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/17 18:41 投稿番号: [749 / 2250]
アラン・アームストロング著 『幻の日本爆撃計画』 日本経済新聞出版社
25p
《 一九三六年七月二〇日、中国航空問題委員会はシェノールトに、
さらに興味をそそる機会を提供した。
中国空軍の高度追撃訓練を完全に取り仕切る権限を与えたい、と申し出たのだ。
中国空軍がどのような機種の戦闘機を購入すべきかを、
シェノールトの意思で決定できるというのだ。
また、中国空軍の運営に関して、訓練マニュアルや戦術面での指令も
起草することになるという話だった。
さらに、航空機警報システムを開発するに当たっては、中国政府の協力が約束される。
米中間を旅する際の旅費は支払われ、中国航空問題委員会の防空顧問として
年額一万二〇〇〇ドルの報酬が支給される。
要するに中国は、シェノールトに対して新しい申し出を行なうことによって
〝掛け金〟を増やしたわけである。
中国に仕えれば、陸軍航空隊がシェノールトに対して拒んできたまさにそのもの、
つまり空中戦に関する彼の理論の正当性を立証する環境が拓かれる可能性は十分にあった。
アメリカの中立法に抵触するあらゆる可能性を排除するため、シェノールトの
雇用主は、名目上、バンク・オブ・チャイナ (中国銀行) になる手はずだった。》
27p
《 一九三六年から三七年にかけての冬に、彼は、過労と、今日ならたぶん
ノイローゼと称される症状で、数回の入退院を繰り返すことになる。
ついに、陸軍航空隊退職勧告委員会は一九三七年二月二五日に会合を開き、
シェノールトに航空隊から身を引くよう勧告した。》
28 p
《 一九三七年四月三〇日、シェノールトはアメリカ陸軍航空隊から退役した。》
彼は中国へ旅立ち、途中日本でスパイ活動をします。
29 p
《 シェノールトの日記の一九三七年五月八日付の記載には、こうある。
「プレジデント・ガーフィールド号に乗船、午後二時、大いなる冒険への航海が始まる」。
サンフランシスコを出港すると、シェノールトは日本の神戸に向かった。
そこで彼を待っていたのは、以前、陸軍航空隊のアクロバット・チームで
彼のウィングマンを務めたビリー・マクドナルドだった。
もう一人の元ウィングマンのウィリアムソンは、そのころ中国本土にいて、
中国人のパイロットに操縦術を教えていた。
神戸で下船したシェノールトはマクドナルドと共に、アマチュア・スパイさながらに
関西の主要都市周辺を旅し、各地の産業・軍需施設を密かにカメラに収めた。
今日われわれに言えるのは、これら二人のパイロットによるこの行為は
中国人上官から命じられたものではなく、
どうやらあくまでも自然発生的なものだったようだということだ。
シェノールトは直ちに日本の家屋や工場の脆弱な構造に注目し、焼夷爆弾を
上空から投下すれば日本国内の建物に壊滅的な打撃を与えることができると確信した。》
*
このシェノールトという男、盧溝橋事件も始まっていない時から、
日本の家を焼夷弾で焼き払う事を考えていた、とんでもない奴です。
日本の軍人で、戦争も始まっていない内から、中国の家を焼き払う事を
考えてたりしていたら、戦後どんな悪人にされるか、怖ろしいものです。
つづく
これは メッセージ 746 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月14日 岳陽丸追い返しの理由判明
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/16 19:31 投稿番号: [748 / 2250]
引揚げ領事館員たちを乗せた岳陽丸は13日、
江陰という所で中国海軍に停められ、南京に戻るよう指示されました。
その時は、理由は判りませんでしたが、14日になってハッキリしました。
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
303p
《 一四日得た情報では、江陰水路は軍艦五隻
(通済、大同、自強、徳勝ほか一生)
及びかねて南京に集結碇泊中の二、〇〇〇屯ないし五、〇〇〇屯商船一八隻を
十二日夜、同所に沈没させ閉塞させたとのことであり、
一三日午前国民政府外交部は各国大使館あて、自衛上暫時揚子江水路を閉塞し
南京−上海間の鉄路交通を禁止し外圧除去せば直ちに解除する旨、通告した。》
要するに、中国は、12日に黄浦江だけでなく、揚子江の江陰にも船を沈めて、
川を封鎖していたのです。
領事館員たちは、中国の言葉を信用し過ぎていたために、脱出し損ないました。
中国は、甘い言葉で日本人を安心させながら、着々と戦争準備を進めていたわけです。
日本人はお人好しだから、中国を信用しようと努力して、逆に上海を攻撃されました。
これだけ、明々白々であっても、中国の嘘宣伝に騙されて、日本が上海戦を
起こしたと思い、日本の教科書にそう書くバカもいますから、始末が悪いですね
つづく
これは メッセージ 743 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/748.html
8月14日 岳陽丸追い返しの理由判明
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/16 18:48 投稿番号: [747 / 2250]
引揚げ領事館員たちを乗せた岳陽丸は13日、
江陰という所で中国海軍に停められ、南京に戻るよう指示されました。
その時は、理由は判りませんでしたが、14日になってハッキリしました。
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
303p
《 一四日得た情報では、江陰水路は軍艦五隻
(通済、大同、自強、徳勝ほか一生)
及びかねて南京に集結碇泊中の二、〇〇〇屯ないし五、〇〇〇屯商船一八隻を
十二日夜、同所に沈没させ閉塞させたとのことであり、
一三日午前国民政府外交部は各国大使館あて、自衛上暫時揚子江水路を閉塞し
南京−上海間の鉄路交通を禁止し外圧除去せば直ちに解除する旨、通告した。》
要するに、中国は、12日に黄浦江だけでなく、揚子江の江陰にも船を沈めて、
川を封鎖していたわけです。
領事館員たちは、中国の言葉を信用し過ぎていたために、脱出し損ないました。
中国は、甘い言葉で日本人を安心させながら、着々と戦争準備を進めていたのです。
日本人はお人好しだから、中国を信用しようと努力して、逆に上海を攻撃されました。
これだけ、明々白々であっても、中国の嘘宣伝に騙されて、日本が上海戦を
起こしたと思い、教科書にそう書かせるバカもいるのですから、始末が悪いですね。
これは メッセージ 743 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月14日 日本側の防衛人数
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/15 18:44 投稿番号: [746 / 2250]
14日午前の閣議で杉山陸相が上海に二個師団を出すことを提案し、決定されました。
陸軍の派遣準備はこれから、なされるわけですから、
当分は陸戦隊だけでふんばるしかありません。
当面の兵力は
上海陸戦隊
2300名
引揚げた漢口陸戦隊
300名
追加陸戦隊
呉
539名
佐世保
539名
軍艦から揚げた陸戦隊
400名
合計
4078名
(この数字は児島襄著
『日中戦争4』
文春文庫
69pより引用)
つまり、たったの4千名で、何万ともいう中国軍と対峙しなければならないのです。
ところが、この数字すらも、現地にいた人には多すぎるようです。
当時、上海の陸戦隊本部通信隊にいた、小川貞二さんによると
《 陸戦隊の兵力は 実戦兵力四個大隊約千人足らず、
あと非戦闘員の通信隊、主計隊、医務隊などです。
漢口より引き揚げて予備軍として上海高等女学校に一個大隊、
重火器として山砲、十五㍉榴弾砲各四門、戦車二輌、装甲車二輌などで、
二十万の敵を迎え撃つには如何にも貧弱な集団です。
敵方は陸戦隊を占領するのに一週間はかからぬと豪語していたといいます。》
(正論2001年6月号
編集者へ
編集者から386〜388p)
小川さんが千人足らずと言っているのは、多分、上海常駐陸戦隊だけのことで、
他の追加の分は数に入っていないと思われます。
が、総数が四千ですから、少ないことに変わりはありません。
戦史叢書を見ていると、殆ど、寝る間もなく、防戦に追われています。
そして、この日14日、米人シェノールトの指揮する中国軍機が上海を爆撃しました。
つづく
これは メッセージ 745 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月13日 中国軍の上海攻撃開始
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/14 18:45 投稿番号: [745 / 2250]
長谷川長官は再度、陸軍の派遣を要請します。
この状態に至って、やっと四相会議が開かれました。
しかし、難航します。
参謀本部の石原第一部長が
「ウン」
と言いません。
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
316p
《8月12日夜、四相会議が開かれ、米内海相が陸軍の上海派兵の方針決定を要求、
各大臣とも異存なく、翌日の閣議に上程することとなった。
ところが散会後、杉山陸相から米内海相あて
「当初の計画時とは著しく変わった
状況となったので、出兵については最も慎重に考慮すべきだ」
という意見を参謀本部は述べている旨、通知があった。そして、
13日
早朝
参謀本部第一部長石原莞爾少将が、近藤軍令部第一部長に
「出兵不同意」
を表明してきた》
近藤軍令部第一部長は、何とか石原莞爾参謀本部第一部長を説得して、
やっと、この議題を閣議に上程することができました。
そのころ、上海では、
317p
《午前10:30ごろ商務印書館付近にいた中国軍が日本側陣地に対し
突如機銃射撃を浴びせてきた。 我が方は応戦したが、
不拡大方針に基づき極力当面の交戦を避けるように努めた。》
一方、日本では、閣議でやっと陸軍の派兵を決定しました。
そこで軍令部は長谷川司令長官に電報します。
316p
《・・・同方面ニ於ケル
作戦上ノ地歩ヲ
獲得スル迄
(概ネ
陸軍主力
上陸迄ニテ
動員下令後
二十日間)
ハ
爾他ノ各地ニアリテハ
ナルベク
武力発動ニ至ラザルヲ
有利トス・・・》
陸軍は下令してから到着まで20日は掛るので、それまではなるべく動くなという事です。
向こうはとんでもない大軍、こちらはたったの4千人
うかつに動けないのは当然です。
そうは言っても相手のあることですから、そうも行きません。
敵は、租界の周囲のどこからでも、攻めて来れます。
中国側の資料
( 8.13淞滬抗戦 劉勁持)
には
《12日
営長の一人が
『租界への出入りは簡単だ。ピストルを持って日本の司令部の回りを見てきたが、
一度もチェックを受けなかった。今夜あたり進撃をかけてもいいのでないか』
といって、夜が過ぎるのを待った。
13日
正午
88師と租界線をこえて宝山路・四川路などに展開していた、
日本陸戦隊との間で小競り合いが始まり “8.13抗戦” が始まった。》
( 鈴木明著 『 新 「南京大虐殺」 のまぼろし』
195pより )
とあります。
戦史叢書
『中国方面海軍作戦〈1〉』
316p〜317p
より要約
16:54
八字橋方面の中国軍が攻撃を開始した。
ここから、夜とも昼ともない中国側からの攻撃が続き、少人数の陸戦隊は
不眠不休の防戦を強いられます。
つづく
これは メッセージ 740 (kireigotowadame さん)への返信です.
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Re: 初めまして
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/14 08:35 投稿番号: [744 / 2250]
ありがとうございます。
「○○さんは批判されている」
との事ですが、人はミスを犯すものです。
本を書くとき、勘違いしたり、記憶違いしたりをします。
または特定の考えに合うようにデータを集めたりもします。
だから、そのミスを突けば、個人のアラ捜しはできます。
そしてデータの使い方次第では、どんな説でも建てられます。
しかし、私は、そういうやり方を極力避けています。
私の引用している、文献に
「批判されている○○さん」
のがある、大丈夫か?
とのご心配でしょうが、気にする必要はありません。
なぜなら、私は、敵の文献でも引用するからです。
もちろん、日本人の敵対的思想の人の文献でも引用します。
最初に言いましたように、人は勘違いや記憶違い、ミスをするものです。
思想的に合う人でも、間違いを犯す事もあります。
だから、一つの出来事に対して、多くの人の本の記述を並べて見ています。
それぞれの人は、別の立場から、書いていますので、その主張は必ずしも一致しません。
しかし、一致している共通の部分も見えてきます。
それが、 「敵」
の書いたものであろうと、 「味方」
の書いたものであろうと、
同じなら、事実として、信用してよいと思われます。
その共通する部分を核として、時系列で並べて行けば、自ずと、
物事の流れ、推移が見えて来ます。
私は、そうやっていますので、ご心配には及びません。
これは メッセージ 741 (kabu_kachan7 さん)への返信です.
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揚子江流域領事館員の引揚げ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/13 15:30 投稿番号: [743 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
302〜304p
《 漢口上流各地領事及び館署員を中心とする少数の我が官民は、
八月七日の居留民総引揚げ後、なお岳陽丸と共に漢口に残留した。
やがて食糧の供給が途絶したため、総員総領事館内に籠城したところ、
租界内発電所閉鎖のため館内は無燈となった。
ここにおいて松平総領事代理は総引揚げ断行を決意した。
岳陽丸の収容力不十分のため、まず一部が八月十日夜漢口発の英国船隆和で下江し、
次いで松平総領事代理以下五二名が、十一日 16:00 漢口発の岳陽丸で下江した。
「隆和」
乗船者は十二日夕南京で下船し岳陽丸に移乗した。
南京では八日洛陽丸による引揚げ後、残留者は総計五五名となっていた。
十日午後、日高参事官は外相あて、南京市内の状況を次のように報告した。
ソノ後
当地市内ノ情況
目立チタル変化ナキモ
各機関ノ建物
及
民家ハ
殆ド全部
防空保護色ニ
塗リ替ヘラレ、 防空
及 防火訓練モ
随時
行ハレツツアリ。
市民ノ南京立退ハ
多少緩和シタルモ
猶 続々行ハレツツアリ。
中華民国海軍部顧問として、中国海軍軍人の直接指導に当たってきた
寺岡謹平海軍大佐は、身辺の危険を感ずるに至り、
十日正午をもって指導を打ち切り、十一日中国海軍部を訪問して、
その自重を促し、十二日大兵丸に乗船、
更に 17:00 漢口から下江して来た岳陽丸に、漢口上流各地領事らと共に移乗した。
岳陽丸は同日 19:00 上海に向け南京発、
翌十三日 03:00 江陰にさしかかったところ、中国軍艦海容に停船を命ぜられ、
江陰要塞付近の水路危険につき通航を禁止する旨宣告された。
06:00 海容艦長欧陽勣が来船し、
江陰付近水路及び江陰−上海間の航行危険につき、南京に引き返されたい
旨勧告したので、 07:00 出港、 19:00 南京に到着した。》
*
「中国が
『安全を保証する』
と言っている以上、これを信頼すべきだ。」
とか
「海軍がいるから、戦争になるのだ」
とか言って、引揚げに抵抗していた
人達の愚かさが判ります。
租界への交通及び電話を遮断され、食料と電気まで止められ、
結局、引揚げざるを得なくなりました。
この人達は、ヴァーチャル・リアリティの世界に住んでいて、
現実の中国を見ていないのです。
そして、それは、今の平和主義者も同じ事です。
*
また、岳陽丸が江陰で追い返されたのは、この数時間前に船を沈めて、
揚子江を封鎖したからです。
それは14日に、判ります。
つづく
これは メッセージ 731 (kireigotowadame さん)への返信です.
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初めまして
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/02/12 18:07 投稿番号: [741 / 2250]
私はあなたほど歴史知識もなく、日中戦争中のいろいろな事件について詳しく検討する時間もないので、あちこちのサイトを暇なときに読んでいるだけの者です。
あなたがよく参照している本やその著者(カール・カワカミ氏や東中野氏やその他の著者)などを批判検討しているサイトを見つけました。ぜひご参考の上、話を進めていただければ良いかと思います。
http://www.geocities.jp/yu77799/益々ご健闘を祈ります。
これは メッセージ 740 (kireigotowadame さん)への返信です.
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包囲される上海
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/12 16:03 投稿番号: [740 / 2250]
陸軍の応援が認められないため、仕方なく、第三艦隊司令長官は、
呉と佐世保に待機させていた陸戦隊を上海に派遣します。
しかしながら、上海の日本人居留区は、既に中国保安隊に包囲されていました。
戦史叢書
『中国方面海軍作戦〈1〉』
311p
《 長谷川司令長官は、十日 13:25 発電をもって
「佐世保方面で待機中の第八戦隊、第一水雷戦隊、呉鎮守府第二特別陸戦隊及び
佐世保鎮守府第一特別陸戦隊は直ちに上海に向け発進すべし」
と下命した。
これら諸隊は同日 14:30 佐世保発、十一日上海に到着し、特別陸戦隊は
同日 23:00 揚陸完了、上海特別陸戦隊司令官の指揮下に入った。
十一日、京滬及び滬杭再両鉄道は旅客の乗車を禁止し、
軍隊輸送を開始するに至った。》
松本重治著
『上海時代・下』 193p
《船津さんの日誌から、左に抜粋する (同上 『船津辰一郎』 194〜196ページ)。
八月十一日
…閘北 (ザホク) 方面における中国側保安隊ないし正規兵ますます増加し
、あたかもわが陸戦隊およびわが居留民の多数居住する虹口一帯を包囲する形勢を取り》
北博昭著
『日中開戦』
15p
《8月11日
銭大鈞の指揮する第13軍下の第88師が保安隊と合流し、
共同租界の境界線に接した非武装緩衝地帯にまで進出する事態になった》
児島襄著
『日中戦争4』
68p
《8月11日、蒋介石は第9集団 ( 張治中 ) に呉淞口の閉鎖と上海包囲体勢を
とる様下令した。 その夜、上海に出入りする鉄道はいずれも旅客の輸送を中止し、
軍隊輸送に切り換えられた。》
戦史叢書
『中国方面海軍作戦〈1〉』
312p
《 88師とおぼしき中国正規兵及び武装保安隊は12日朝来続々と上海付近に集中し
呉淞から江湾鎮に至り配備につき、租界と閘北との境界付近各所に戦備を整えて、
まさに一触即発の情勢に立ち至った。》
313p
《8月12日
朝来、保安隊は北停車場付近から河南路及びハスケル路いったいの
中国街に侵入し中山路一帯及び江湾路付近は警戒厳重を極め、非常警戒網が張られ…》
塚本誠著
『ある情報将校の記録』
197p〜より要約
〈この日、北站駅に中国兵が続々降りているという情報で憲兵隊の大前軍曹と
熊野通訳が偵察に行ったら捕まり、後でわかったのですが、殺されていました。〉
中国側の資料 ( 8.13淞滬抗戦 劉勁持)
《「虹橋での大山事件が起ると、88師(孫元良)、36師(宋希濂)、87師(王敬久)、に
進軍命令が出た。鉄道はすべて軍事に使われ、
8月12日朝、88・87の二師は上海に到着、88師は北駅近くに駐留し、
87師は北四川路東から楊樹浦一帯に陣を構えた。
・・・
王敬久や孫元良の営長や連長なども便衣を着て、住民たちと一緒に租界に入っていく。》
( 鈴木明著
『 新「南京大虐殺」のまぼろし』
194〜195pより )
児島襄著
『日中戦争4』
69p
《 8月12日
中国側は夕闇迫るころ黄浦江に三千t級の汽船「三興」号、「福興」号
さらに大石塊を満載した大型ジャンク二十隻を自沈させ、水路閉鎖をこころみた。 》
この日、揚子江の江陰にも船を沈めて河を封鎖した。
つづく
これは メッセージ 739 (kireigotowadame さん)への返信です.
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上海への陸軍派兵を拒む米内海相
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/11 15:02 投稿番号: [738 / 2250]
揚子江上流が不穏になって来たことや、中国が急速に上海包囲網を展開している
ことから、第三艦隊司令長官は、海軍中央部に陸軍の派兵を依頼していました。
戦史叢書『中国方面海軍作戦〈1〉』
311p
《 長谷川長官の八月七日発電の具申
此 (この) 数日
更 (さら) ニ
キュウ江碼頭 (マトウ:埠頭に同じ) 附近
一帯ノ地ニ
江岸ニ面スル
防禦工事ヲ
施シツツアリ。
右ノ工事ハ軈(やが) テ
呉淞ニ延長セラルベク
黄浦江岸ヨリハ
陸兵ノ上陸困難
トナルベキ場合ヲ顧慮シ
第一段作戦ノ
派遣陸軍ハ
揚子江本流ノ
上陸作戦ニモ
適スル兵団ヲ
充当スルヲ要スル
モノト認ム。
八月九日発電の具申(第三艦隊機密第四八四番電)
上海附近
支那側軍備急速強化
ノ実情ハ
累次電報ノ通ナルガ、
右ハ殆ド
我ガ方ノ
予想セザリシ所
ニシテ、 今ヤ漢口ニ於ケル
居留民引揚時ノ
情況ヲ髣髴 (ほうふつ) セシムルモノアリテ、 現在ノ
上海特別陸戦隊
及
艦船陸戦隊ノ
全力ヲ以テスルモ
租界警備上
兵力不足ヲ
感ズルニ
至レル
ヲ以テ、 約五箇大隊ノ
兵力増援必要
ナリト認ム。
仍 (よ) ツテ此ノ際
一
佐世保待機中ノ
特別陸戦隊ヲ
至急
上海ニ派遣シ
二
先遣陸軍部隊ヲ
速 (すみやか) ニ
上海ニ派遣スルカ、 又ハ
少クトモ
之ヲ
乗船地ニ
待機セシムル
要アリ。》
この日にちより前から具申はあったのですが、それに対して海軍中央部は
「当時進行中の機微な外交交渉を考慮し、事態を急速破局に導かないよう要望」
し、
かつ 軍令部は、海軍省に対し、陸軍兵力(上海二コ師団、青島一コ師団)を必要に応じ
派遣する件を、海軍からの要請として閣議に提案するよう要求したのですが、
314p
《米内海相は、多分に当時進行中の機微な外交措置に望みをかけ、
今明日中にその成果が期待できると思われるので、
閣議において今後の情勢に応じ直ちに要求貫徹を容易ならしめるよう措置しておくが、
今日直ちに陸軍派兵を決定するのはしばらく待ちたい、との態度であった。
・・・
十一日
10:30 、伏見宮軍令部総長は米内海相と会談した。
海相は、外交交渉の成否は予想はできないが、これを促進させることは大切であり、
今打つべき手があるにもかかわらず直ちに攻撃するは大義名分が立たず、
今しばらく模様を見ることとし、我が居留民に危害が及ぶような事態になれば
直ちに出兵する旨の意見を述べた。》
ということで、米内海相は、なおかつ、中国を信じ、
和平が話し合いで出来ると思っていたようです。
戦前は、軍部が戦争をしたがっていたなどと思うのは、妄想です。
米内海相の考え方など、今の平和主義者と近いでしょう。
つづく
これは メッセージ 737 (kireigotowadame さん)への返信です.
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海軍中央の大山事件対処方針
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/10 18:40 投稿番号: [737 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
310p
《 軍令部は直ちに次の対処方針を決定した。
要
旨
大山事件ノ解決ハ
将来コノ種事件ノ
根絶ヲ期スルヲ
方針トシ、
左記要求事項ノ
充足ヲ目途トシテ
交渉スルヲ要ス。
而シテ支那側当事者ニ於テ
之ガ解決実行ニ対シ
誠意ヲ示サザルニ於テハ、
実力ヲ以テ
之ヲ強制スルモ
敢テ辞セザル
決意アルヲ要ス。
要求事項
一
事件責任者ノ陳謝
及
処刑
二
将来ニ対スル保障
(1)
停戦協定地区内
ニ於ケル
保安隊員数、 装備、 駐屯地ノ制限
(2)
右地区内ニ於ケル
陣地ノ防禦施設ノ撤去
(3)
右ノ実行ヲ
監視スベキ
日支兵団委員会
ノ設置
(4)
排抗日ノ
取締励行
海軍中央部は八月十日、第三艦隊司令長官あて次のように申進した。
官房機密第六八一番電(十日一二〇〇発電)
目下
外交交渉
進行中ニシテ
最モ慎重ヲ要スル
時機ニテアリ、 旁 (かたわら)
事態ノ解決ハ
究極ハ
武力ニ依ル
ノ外ナキニ至ル
トスルモ、
陸軍ノ派兵ニハ
相当ノ時日ヲ
要スルノミナラズ、
我ガ方ヨリ
攻撃ヲ開始セザル限リ
支那側ヨリ攻撃セザル
中央政府ノ意向
ナル旨ノ
特情報モ
アル次第ナルヲ
考慮シ、 大山中尉射殺事件ニ
対スル当面ノ処置ハ
先ヅ真相ヲ糾明スル等
必要ナル外交的措置ヲ
執ルコトトシ、
可及的
事態ヲ急速破局ニ
導カシメザル様
致シ度。》
・・・・
311p
《 八月九日発長谷川司令長官の具申(第三艦隊機密第四八四番電)
上海附近
支那側軍備
急速強化ノ実情ハ
累次電報ノ通ナルガ、
右ハ殆ド
我ガ方ノ予想セザリシ
所ニシテ、
今ヤ漢口ニ於ケル
居留民引揚時ノ情況ヲ
髣髴 (ほうふつ) セシムルモノアリテ、
現在ノ上海特別陸戦隊
及
艦船陸戦隊ノ
全力ヲ以テスルモ
租界警備上
兵力不足ヲ感ズルニ
至レルヲ以テ、 約五箇大隊ノ兵力増援必要ナリト認ム。
仍
(よ) ツテ此ノ際
一
佐世保待機中ノ特別陸戦隊ヲ
至急上海ニ派遣シ
二
先遣陸軍部隊ヲ
速(すみやか)ニ上海ニ派遣スルカ、
又ハ少クトモ
之ヲ
乗船地ニ
待機セシムル
要アリ。》
*
ここでも海軍の甘さが見られます。
「我ガ方ヨリ
攻撃ヲ開始セザル限リ
支那側ヨリ攻撃セザル
中央政府ノ意向」
と言っていますが、そもそも盧溝橋事件は
「我ガ方ヨリ攻撃ヲ開始セザル」
にも関らず
「支那側ヨリ攻撃」
されたのです。
大山中尉もこちらから、攻撃していないにも関らず攻撃されました。
日本側に
「可及的
事態ヲ急速破局ニ
導カシメザル様」
と言ったところで、
中国側がその気ならどうしようもないでしょう。
つづく
これは メッセージ 736 (kireigotowadame さん)への返信です.
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大山中尉虐殺事件3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/09 18:35 投稿番号: [736 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
309〜310p
《 心配されていた揚子江流域の我が居留民引揚げは八月九日無事終了したが、
同日夕刻大山大尉 (殺された時は中尉だが、海軍は後で昇進させた) 事件が突発し、
戦局は一転して中支に波及するに至った。
八月九日 18:30 ごろ、上海特別陸戦隊西部派遣隊長 (第一中隊長)
大山勇夫中尉 (八月九日付大尉) は、一等水兵斎藤與蔵 (八月九日付三曹) の
運転する陸戦隊自動車で付近地区の視察及び陸戦隊本部へ連絡の途中、
上海西部虹橋飛行場南東隅西門の北約一〇〇米、越界路たる碑坊路上において
中国保安隊のため射撃を被り殺害され、また斎藤一等水兵は引致され殺害された。
同日夕、上海市長愈鴻釣は事件処理協議のため、自ら総領事館に来り
我が総領事岡本季正及び帝国大使館附武官本田海軍少将と会見し、
大山中尉が飛行場に入ろうとして保安隊の制止を聞かず、
かえって拳銃で保安隊一名を銃殺したことに端を発した、との趣旨を説明した。
これに対し我が方は、最近保安隊の武装強化及び対敵行動は露骨であり、
本事件については今後の要求を保留する、と警告した。
長谷川司令長官は、九日 21:30 、佐世保で待機中の第八戦隊、第一水雷戦隊、
第一航空戦隊、 「鶴見」、 佐世保鎮守府第一特別陸戦隊、
呉鎮守府第二特別陸戦隊に即時待機を下命した。
翌十日早朝、長谷川司令長官は我が外務官憲と協力し両名の死体を収容した。
そして同日午後、上海駐在武官田尻穣海軍中佐、上海特別陸戦隊参謀山内英一少佐、
領事寺岡範武、領事福井淳、工部局督察長、上海市政府秘書長、
呉淞警備司令部副官ら粒より実地検証の結果、次のとおり判明した。
一
両名とも機銃弾が頭部を貫通して致命的打撃を受け、その他の弾こん及び
外傷は中国側が苛虐 (かぎゃく) 的に行ったものである。
二
保安隊一名の死亡は機銃弾によること、及び当時大山中尉は拳銃を携帯せず、
斎藤水兵もまた拳銃を肩に掛けたまま自動車を運転していたことに照らし、
中国側同志の味方打ちの結果であることは明白である。
三
したがって中国側の主張するように、日本側から先に射撃した事実なく、
中国側が遠近から乱射し、あまつさえ軍装の両死体に対し
残虐な侮辱を加えたこと明白である。
しかし、中国側は直ちに右の事実を容認する態度を示さなかった。》
*
中国というのは、尖閣事件でもあきらかなように、自分がやった犯罪でも、
平然と、被害者になすりつけるのです。
お人好しの日本人は、大概で目を覚まして欲しいものです。
つづく
これは メッセージ 735 (kireigotowadame さん)への返信です.
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大山中尉虐殺事件 2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/08 18:38 投稿番号: [735 / 2250]
東中野修道著 「南京虐殺」 の徹底検証
展転社
23〜24p
“《 たとえば、東亜同文会の
『支那』
昭和十三年九月号に、クロード・ファレールの
「支那紀行」
が翻訳転載されているが、そのなかでファレールは、大山中尉が
「あるべからざる所に巧みに設置された支那軍の機関銃によって暗殺せられた」
ことを、次のようにフランスの読者に紹介した。
《日本軍は驚嘆すべき冷静さを持してゐた。
彼等は最も優秀なローマの警官の教へる所を実行したのである。
彼等は自動車にも死骸にも決して手を触れなかった。彼等は大上海の支那人の
市長及び英仏米の官憲を招致した。待つ間もなく人々はやって来た。》
《 人々は事件の検証を行った。
一支那兵が虐殺されて、百歩以上の距離の所に横ってゐた。
然 (しか) し、その実地検証は、何等の異議も挿 (さしはさ) まれることなく、
次のやうな事実を確認した。》
《即ち、この男は可愛さうにその同僚によって自動拳銃のために、
背後から、射撃されたのであって、
その後、その日本人暗殺に対して争闘のやうな色彩を与へる位置に
曳 (ひ) いて行かれたのであった。》
支那兵は前方の大山中尉によってではなく、 「背後」
から
(即ち味方から)
撃たれていたというのである。その事実を、検証者全員が異議なく
「確認」
したのであった。それは日本側の記録とも一致する。
こうして、大山中尉が支那兵を撃ったから、支那兵の方でも止むなく
反撃したのだという支那側の主張は崩れ去った。
東亜同文会編
『新支那現勢要覧』 (昭和十三年)
に、
日本海軍陸戦隊の実地検証結果が出ている。
それによれば、大山中尉は後頭部貫通の致命傷を受けて即死したあと、
「頭部は二つに切り割られ、顔面半分は全く潰され、内臓を露出し、
心臓部に拳 (こぶし) 大の穴をあける」
などの暴行を支那の保安隊から
受けていた。支那側の計画的な虐殺であったのである。
パリの
「グラン・ゴアール」
紙特派員エドアール・エルセイの
「支那事変観たまま」が、 『国際パンフレット通信』
一九三八年 (昭和十三年)
八月一日号に翻訳転載されているので、あわせて紹介しておきたい。
《八月九日には日本の海軍士官が、虹橋飛行場の支那番兵に殺害された不幸な
事件が起った。 日本の士官も注意すればよかったと言へない事もないが、
併 (しか) し支那側の計画的だった事はなんとしても否定出来ない。南京政府が
少なくも十五日前から上海に戦火を挙げる決意のあつた事は疑ふべくもない。》
《其の目的は、日本の一部を南支に引裂くことばかりにあったのではなく、
日本軍を中立地帯の近くに引寄せて、いや応無しに国際間題を頻発させよう
といふ腹だった。かくして頻々 (ひんぴん) たる事件の発生と誤解に依り、
西洋の與論 (よろん) を誘発しようといふ奸策なのだ。》
・・・・
《…当初は日本の政府も軍部も交戦を回避してゐた。上海攻略を危険視してゐたのだ。》
上海で支那側が攻勢に出た狙いの一つは、エルセイ特派員も言うように、
上海で紛争を引き起こして、世界に日支紛争を印象づけることにあった。
それには、上海のど真ん中に位置するフランス租界と共同租界こそ、
恰好の舞台であった。上海で戦闘ともなれば、日支紛争は否応なく外国人の
耳目に入って来る。租界の外国人、とりわけ特派員は、スタンドの上から試合を
見物するように戦闘を観察できる。その計算が蒋介石に働いていたというのである。”
つづく
これは メッセージ 734 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月9日 大山中尉虐殺事件1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/07 18:32 投稿番号: [734 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
66〜68p
《 そして、その日、上海で、上海陸戦隊第一中隊長大山勇夫中尉と
一等水兵斎藤與蔵が殺害される事件が発生した。
大山中尉は、斎藤一水が運転する乗用車にのって、
虹橋飛行場南東隅の西門の北約百メートルの碑坊路を通行中、
上海市保安総団の一部に襲撃され、二人とも殺されたのである。
翌日
有島軍医少佐と中国側の法医学者孫達方が作成した屍体検案書には
次のように記録されている。
「一、死亡者ノ氏名
大山勇夫
一、死亡ノ原因
他殺
(頭蓋粉砕骨折、左前胸部刺殺傷、左前胸部射傷、右腰部射傷、
左腰部盲貫銃創、左腹壁ニ鉛弾ヲ蔵ス)
以上各傷。
一、死後経過時間
九時間」
「一、死亡者ノ氏名
斎藤與蔵
一、死亡ノ原因
他殺
(顔面挫傷、右頭頂部複雑骨折、後頭部貫通射傷、肋骨骨折)
一、死後経過時間
十時間」
大山中尉は拳銃をもたず、斎藤一水は肩にかけるホルスターにいれていたが、
発砲のひまもなく射殺されたものとみられた。
二人の死体には、検案書に記載されたもの以外にも傷があり、
大山中尉の場合は、腰部の盲管銃創をうけて車外に倒れたところを、
銃剣で胸を刺し、大刀で頭部を斬り割ったらしい。
「脳衆は全部出てしまい、心臓部にこぶし大の穴があいていた」
と、有馬軍医少佐は、記者会見で語っている。
斎藤一水の頭部貫通銃創は、即死をもたらしたとみられ、したがって、顔面、
頭部の挫傷と骨折は、死体をひきずりだし銃床をたたきつけたものと、推定された。
「通州事件」
にひきつづいての惨殺事件である。
日本国民は、文字どおりに憤激した。
報告をうけた軍令部は、しかし、事態を局地に解決すべく、
責任者の陳謝と処刑、将来の保障その他を中国側に要求することにした。》
東中野修道著 「南京虐殺」 の徹底検証
展転社
22p
《 このような一連の事件をめぐる和平交渉が八月九日、上海で予定されていた。
ところが、この日、上海で、大山勇夫海軍中尉 (のち大尉) と
斎藤與蔵一等水兵が支那の保安隊により虐殺された。
そのため、会談は自然流会となった。
と言うより、それを狙って、事件が仕組まれたと言った方がよいであろう。》
つづく
これは メッセージ 733 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月9日 駄目になった和平会談
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/06 15:48 投稿番号: [733 / 2250]
本来、和平会談は船津氏がやるはずだったが、川越大使が出しゃばったため、
肝心の事が伝わらずじまいになってしまった。
それでも、この会談の続きがあれば、出せたかもしれない。
しかし、それも、中国側の大山中尉虐殺によって無くなってしまった。
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
65p
《
−
だが、
この外務省の船津工作も、陸軍の各種の
「希望的観測」
と同じく、
これまでにくり返して述べた如く、すでに
「全面戦争」
を決意している
中国側には通じなかったにちがいない。
現に、蒋介石は、五日前の八月二日、再び廬山に飛んで
「暑気
軍官訓練団
第二期開学」
式にのぞみ、次のように言明していた。
「平津失陥、 為
我国
奇恥大辱、又為
全面抗戦
之開始、絶無
與
敵談和
余地」
もはや、日本と和平交渉する余地はない、というのである。
五日には、南京の防空態勢を十日までに完整させよ、と指示した。
六日、蒋介石は、宋哲元、劉峙をそれぞれ第一、第二集団軍総司令に任命したが、
第一集団軍の任務は天津奪回、第二集団軍の使命は北京奪回と定めている。
このような事情では、日本側の
「限定戦争」
も
「戦いながらの和平工作」
も、
中国側がうけいれる可能性は少ない。》
66p
《
すでに、日中両国民は興奮している。
中国各地の反日、抗日、排日、侮日の気運は高まる一方であり、
川越・高会談がおこなわれた八月九日には、揚子江沿岸の日本人居留民
約二万九千二百三十人が、上海にひきあげてきた。
そして、その日、上海で、上海陸戦隊第一中隊長大山勇夫中尉と
一等水兵斎藤與蔵が殺害される事件が発生した。
大山中尉は、斎藤一水が運転する乗用車にのって、
虹橋飛行場南東隅の西門の北約百メートルの碑坊路を通行中、
上海市保安総団の一部に襲撃され、二人とも殺されたのである。》
つづく
これは メッセージ 732 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月9日 川越大使 石射和平案を不発にさす
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/05 15:48 投稿番号: [732 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
63〜65p
《 この時期に文官側の指導的役割をはたしたのは、外務省東亜局長石射猪太郎である。
石射局長は、陸海軍当局者とも連絡したうえで、
八月七日、 「日華停戦条件」
と
「日支国交全般的調整案要綱」
を、
四相会議 (首相、陸相、海相、外相) で決定させた。
内容は、石原構想ほどに劇的ではなく、 「在支権益」
も放棄せず、
「非武装地帯ノ設定」
も条件にしていた。
しかし、塘沽、 土肥原・秦徳純 、梅津・何応欽協定など、北支にかんする
これまでの協定を解消し、北支の行政も南京に返還することにする。
また、中国に
「日支防共協定」
の締結、排日取締りを要求するかわりに、
満州国については、直截 (ちょくせつ) に承認をもとめず、
「今後問題ニセズ
トノ約束ヲ
隠密ノ間ニナス」
だけでよい、とした。
石射局長は、これらの条件をまず私的に中国側につたえ、そのごに正式に
外交ルートにのせることを考え、在華紡績同業会理事長船津辰一郎 (元上海総領事) に
出馬を要請し、国民政府外交部亜州司長高宗武との会見を工作した。
内地から派兵される第五、第六、第十師団は、八月二十日ごろに集結を完了する。
そうなれば、より一層に中国側を刺戟 (しげき) する可能性もあるので、その前に
「何トカ
話合ヲ
付ケ」
たい、というのが、政府首脳者たちの希望でもあった。
船津理事長は、四日、未決定の条件案の内示をうけて東京を出発し、
七日、上海に着いた。
亜州司長高宗武との会見は、九日に準備されていた。
ところが、同じ日、駐支大使川越茂も上海に帰任した。
川越大使は、事変が発生すると天津に腰をおちつけ、
外相広田弘毅からのたびたびの帰任訓令にも応じなかったが、
ようやくいったん大連を訪れたのち、上海にもどったのである。
そして、上海に帰着して、船津工作を知ると、自身が交渉する旨を主張し、
広田外相もやむなく同意して、条件案をふくむ訓電を発した。
このため、船津理事長は、予定どおりに九日朝、亜州司長高宗武に会見したものの、
肝心の〝用件〟はきりだせず、そのごの川越・高会談にゆだねなければならなかった。
もともと、お互いに
「断乎贋懲」 「徹底抗戦」
を叫びあっているときに、
いきなり停戦、国交調整を公式に提議するのはまずい、
根回しが必要だ、との判断から生まれたのが、船津工作である。
川越大使の出馬は、その
「妙味」
を消すわけであり
しかも、
大使は
第一回会談のためか条件案の内容を告げずにすごした。
それと知った石射局長は、無念の想いをこめて日誌に記述した。
「川越大使、高宗武氏と会見……船津を阻止して高との話をハグラカしてしまった
のは、まことに遺憾だ。スキを見せねば
(相手は)
ウチ込んでこぬ……」
−
だが、
この外務省の船津工作も、陸軍の各種の
「希望的観測」
と同じく、
これまでにくり返して述べた如く、
すでに
「全面戦争」
を決意している中国側には通じなかったにちがいない。》
つづく
これは メッセージ 711 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月8日 漢口陸戦隊の引揚げ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/04 18:36 投稿番号: [731 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
302p
《 漢口陸戦隊指揮官古田良夫中佐は、同陸戦隊引揚計画を研究、
予想される状況の切迫度合に応じて三案定めていた。
七日 17:15 、鳳陽丸
(「比良」 護衛)
による漢口居留民の最終引揚げ終了後、
陸戦隊は急速引揚げを決し、日没後撤退作業開始、八日未明漢口発と予定した。
ところが、計画が中国側に漏れたため、谷本司令官は速急に撤退下江のことに決し、
七日 18:30 海軍桟橋横付け中の
「八重山」
の外側に
「栂」
を、
租界日華製油前桟橋に
「栗」
を、それぞれ横付けさせた。
19:11、 無燈厳戒下に、陸戦隊撤退作業が開始されると同時に、
「八重山、栗、栂」
に一二節即時待機が下令された。
八日 00:45 撤退作業終了、陸戦隊員は前記三艦に分乗 01:00 下江の途についた。
引揚げ殿 (しんがり) 隊
(谷本司令官直率の
「八重山、栂、栗」)
は
八日、大冶付近で夜明けを迎えた。
谷本司令官は同日朝
「勢多」
から、武穴居留民収容、
「勢多、小鷹」、鳳陽丸武穴発の報告を、
正午ころ
「鳥羽」
から、襄陽丸を護衛し蕪湖発の報告を、
次いで夕刻
「二見」
から、洛陽丸を護衛し
「二見、保津」
南京発の報告を受け、
各地居留民の引揚げは全部順調に実施中であることを知りつつ、下江を続行した。
南京、鎮江、馬鞍山、江陰等を通過する際照射を受けたが異常なく、九日朝
通州に達した。
九日朝各地からの引揚艦船の状況は、蕪湖引揚げの鳥羽隊を先頭として、
呉淞−通州間を航行中であった。
谷本司令官はあたかも羊の群を追うように引揚艦船の逐次上海入港を見届けつつ、
九日 13:00
「八重山、栂、栗」
を率い上海に到着し、
「揚子江流域各地
在留邦人ノ
上海迄引揚完了」
を報告した。
同日 15:00 、伏見宮軍令部総長、米内海軍大臣は参内、
揚子江流域居留民引揚げ終了及び同方面艦船部隊の行動につき奏上した上、
長谷川長官あて
「各員ノ労ヲ
深ク多トス」
る電報を発した。》
注
途中
「通州」
という地名が出て来ますが、これは
「虐殺事件」
の
「通州」
とは別の場所です。
「虐殺事件」
の
「通州」
は北京の近くの
「通州」
で、
ここの
「通州」
は、 揚子江流域の
「通州」
です。
つづく
これは メッセージ 730 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月8日 南京居留民の引揚げ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/03 18:36 投稿番号: [730 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
301〜302p
《 八月一日、日高参事官は外相あて、南京の状況を
「当地ノ居留民中
開業医 及 雑貨取扱商ハ
最近ニ至リ営業
殆ンド杜絶シタガ、
一般民衆ハ平静ニシテ
目下ノ所 従来ノ諸事件ニ
見タル如キ排日、 民衆運動等
発生ノ
兆候ナキハ勿論、 少クトモ
表面ニ於テハ
邦人ニ対スル 反感等モ
アマリ見受ケズ」
と報告したが、二日に至り、南京の漢字紙は
「日本全力ヲ傾ケテ
我ガ国ヲ侵略ス」、 「敵大挙再ビ
我ヲ犯スハ 目睫ニ迫ル」
などの大見出しをもって掲載した。 三日朝以来、上海方面への引揚者が続出した。
この間、谷本司令官は、二日夜
「二見ハ
四日漢口発南京へ、 栂ハ二見ト交代後
漢口ニ回航」、
「保津ハ
六日漢口発南京へ回航」
するよう発令していた。
七日朝、有田
「二見」
艦長は、谷本司令官から
「南京海軍武官ト
連絡ノ上
適時保津ヲ
併セ指揮シ南京発、
要スレバ 洛陽丸ヲ護衛シ
上海ニ回航スベシ」
と命を受けた。
南京居留民一一名を収容した洛陽丸は、八日 16:00 、 「二見、保津」
の護衛下に、
南京発、九日 09:00 上海に到着した。
なお、襄陽九
(蕪湖在留邦人の収容引揚げに任ずる船)
上江便には
南京から南京居留民四名、鎮江居留民二名、旅行者四名計一〇名乗船した。》
つづく
これは メッセージ 729 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月7日 漢口、九江、蕪湖の居留民引揚げ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/02 18:41 投稿番号: [729 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
300〜301p
《 漢口居留民の引揚げ (八月七日発)
七日、重爆一四機蕪湖通過西行、
重爆四機九江経由西行、飛行機一一機九江経由西行などの情報下、
在漢口部隊は至近距離に中国軍と相対し、対空警戒を厳にしつつ引揚げを支援した。
信陽丸 (六日午後から自由引揚げ婦女子約七〇〇名を収容) は、
七日 13:10 、 「比良」
の護衛下に、次いで鳳陽丸
(漢口最後の引揚げ
居留民約六七〇名を収容)は、同日 17:15 、 「勢多」
の護衛下に、
それぞれ上海に向け漢口を出港した。
かくて、漢口残留者は漢口総領事館員など七七名だけとなった。
「比良」 、信陽丸は七日 23:30 、九江において
「熱海」 、瑞陽丸と合同のうえ
下江した。蕪湖では中国軍艦長簶及び在空重爆一機を認め、
南京では中国軍艦一三隻を認めた。錦江を通過後、焦山砲台、象山砲台、
馬鞍山砲台から照射を受けたが異常なく、九日 12:15 、無事上海に到着した。
これより先、交通艇小鷹は七日午後漢口から武穴に着き、同地居留民七名を収容した。
翌八日 00:45 、 「勢多」 、鳳陽丸が漢口から武穴に到着、直ちに
「小鷹」
は
鳳陽丸に横付けし武穴居留民を移乗させ、 01:45 、鳳陽丸、 「勢多、小鷹」
の
航行序列で上海に向け下江を再開した。
錦江では連続照射されたが異常なく、九日11:30上海に到着した。
九江、蕪湖の引揚げ(九江七日、蕪湖八日発)
九江在泊の熱海艦長森圭作少佐は、
谷本司令官に八月一日現在の九江の状況を次のように報じた。
市内比較的平静ナルモ
軍人ノ往来多ク
市内ハ何トナク物々シ。
対日感情ハ益 (ますます) 悪化シ、ワガ居留民へノ侮辱行為ハ
ナイガ、
日本人ニ接スル中国人ニ対シ
監視厳重商取引モ杜絶、 抗敵後援会モ組織サレ
新聞ノ論調マタ
抗日宣伝ニ努メツツアリ。
三日午後、「熱海」
に九江税関から
「在港船舶ハ八月一日以後
毎日午後七時ヨリ午前五時迄
燈火管制ヲナスコト」
その他が記述されている防空告示が送付されてきた。森艦長激怒して報告、
これに対し谷本司令官は四日午後
「貴官ノ気持ハ
之ヲ諒トスルモ
未ダ殊更ニ事ヲ荒立タシムル
時機ニ非ズト
認ムル
ニ付テハ
燈火管制ハ
周囲ノ振合ヲ見テ
実施シ差支へナシ」
と返電した。
七日未明、森艦長は居留民総引揚げに関する諸命令を受領したので、
同日 08:15 白井領事と居留民団長に引揚げを勧告した。
居留民は同夜九江発、瑞陽丸で引揚げのことに決定した。
瑞陽丸は七日 20:45 下流から入港、居留民を乗せ、 23:30 、
「熱海」
護衛の下に上海に向け九江を出港した。翌八日 01:40 、漢口から
引揚げの
「比良」 、信陽丸を追い越し、九日 08:30 上海に到着した。
「鳥羽」 (艦長
久保田智中佐)は、第十一戦隊司令官の命により、
三十一日漢口発、翌八月一日夜蕪湖に到着した。
三日までは平静であったが、四日、各種抗日後援会が組織された。
婦女子は六日までに引揚げを完了した。
残余の居留民は七日 14:00 日清汽船
「ハルク」
に集結した。
同日夕、大冶引揚げ居留民一一名が近海郵船の運貨船で、蕪湖に安着した。
襄陽丸は八日朝、蕪湖着、蕪湖居留民一六名、大冶居留民一一名計二七名を収容し、
11:15 「鳥羽」
護衛の下に蕪湖発、翌九日 08:00 上海に到着した。》
つづく
これは メッセージ 725 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月7日 ボツにされた松本氏の電文
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/01 18:41 投稿番号: [728 / 2250]
松本氏は、保安隊の接近から危険を察知し
東京に打電しましたが、
翌朝海軍武官室から呼び出されました。
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
191〜192p
《 九時出社した。十時半ごろ、海軍武官室から
「武官室まですぐ来てくれ」
との電話があった。
今さっきいっしょにゴルフをやったのに何用かと訝 (いぶか) りつつ、本田少将に会うと、
「松本君、君に問題が起ったのだよ」
という、 「何ですか?」
と驚きながら尋ねると、
「実は島田 (繁太郎) 軍令部次長からの電報で、 昨日君が打った電報は、
『上海内外の情況を誇大に描いたアラーミングな電報である。
海軍は不拡大主義に徹しているので、
松本支局長が、ああいう調子で打電しつづけるのは軍の方針に背馳することになる。
もっと冷静に打電するならばともかく、そうでなければ、即刻退去命令を出せ』
という意味の訓電だ」
「本田さん、冗談じゃあありませんよ。 昨日、スコット路北方へ馬で行ってみると、
保安隊が、上海を包囲する恰好で逐次包囲圏を圧縮しつつある客観的事実を発見したので、
そのまま報道しただけですよ。 誇大だとかアラーミングだとかの批判は、
納得できませんね、本田閣下」
と、私は少し改まって、
「あなたもよく私を知っておられるでしょう。
私がそんな好戦的な電報なぞ絶対的に打たないことを、閣下もご存じでしょう」
「松本君、解っているよ。 解っているよ。 そんなに怒るなよ。
しかし、軍令部次長から私に直接電報が来ているので、
何とか処置したことを返電せねばならない。
このことは、君も解ってくれるだろう」
「本田閣下、じゃ、私を叱っておいたといって返電されればいいでしょう」
「ウン、厳重警告したってね」 「それでも結構です。
僕は、まだ、この上海でやらねばならぬ仕事があるので、退去命令はやめて欲しいです」
「解ったよ、しかるべく処理してしまおう。心配するなよ」
「イヤ、ありがとう」
というわけで、握手して別れた。
後年、問題の電報を探してみたが、 『同盟旬報』 にもなかった。
結局、海軍報導部で発禁にしてしまったからであったろうと思った。》
*
よく世間では、軍が検閲して、戦争に反対する記事を、
出させなかったと言いますが、
この場合は、「戦争を煽るからだめだ」 と言う趣旨のボツでした。
世間一般の思惑とは、逆の行動ですね。
まー、現在の政治家の行動にあてはめるなら、
「尖閣ビデオを国民に見せたら、反中が燃え上がるので隠せ」
が近いでしょう。
民主党の連中は靖国参拝しない
とか、やっていますが、
当時の軍人が、自分達と同じことをやっていたとは知りません。
昔の軍を非難するのは、
天に向かって、唾する行為なんですけどねー。
つづく
これは メッセージ 727 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月6日 保安隊に遭遇する松本重治氏
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/31 18:44 投稿番号: [727 / 2250]
盧溝橋事件が起こると、蒋介石は本格的に戦争準備を始めました。
上海の外側の非武装地帯に、ドイツ軍将校指導の下、トーチカを築き、
上海から南京に至る途中には防御線をしきました。
「トーチカの築造については、上海憲兵隊の塚本誠氏が、7月24日ごろ、
上海の周辺の非武装地帯に中国軍がトーチカを造っているうわさを聞き、
私服を着て、ゴルファーの格好で出掛けていき、現物を確認しています。」
( 塚本誠著『ある情報将校の記録』中公文庫196pより )
そして中国は、上海の外側に、遠巻きに保安隊を配置し、徐々に包囲網を狭めていました。
8月6日、同盟通信上海支局長の松本重治氏は、この保安隊に遭遇しています。
松本氏は、いつものように、夕刻、スコット路の北方二、三キロの道路を、
愛馬ポニーを走らせていたら、
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
190〜191p
《中国保安隊員数人がおのおの手榴弾二つを胸にかけ、剣附鉄砲で、
これより以北は、まかりならぬと指示した。
それではと、少し廻れ右しながら北方へ斜めに走らせようとすると、
また、保安隊員がいる。
上海北辺には保安隊が最近増加したとは聞いていたが、上海を包囲する恰好で、
包囲圏を圧縮しているという陣形の気配が明瞭に看取された。
私は、自分の乗馬による散歩通がだんだんと圧縮されたのに、多少は憤慨もしたが、
それよりも、今までは保安隊がいなかったのに、こんなところまでに、やってきたし、
その背後には中央軍が近接しつつあるものと感じ、すべては中国側の
対戦準備の一環ではないかと悟って、そのことをすぐ東京に打電した。》
と言っています。
しかしながら、保安隊に遭遇したのは彼だけではありません。
当時、上海の海軍陸戦隊本部にいた小川貞二さんも南西の方で遭遇しています。
彼はサイドカー運転員に誘われて越界路をドライブしていたら、
《 突然、目の前に掘っ建て小屋が現れ、哨兵が小銃を構えて停止を求めました。
シマッタ。これは大変なことになったと思いました。
車も止めて極力冷静に落ち着きを装い、とっさの機転でメモを取り出しました。
「東亜同文書院 (大学) へ行く途中だが、どの方向か」
と筆談を試みました。
哨兵はなんら疑う様子もなく指差して、 「左の道を行け」
と指示してくれました。
ヤレヤレ助かった。・・・猛スピードで飛ばしてフランス租界に入り、
共同租界を経て虹口地区 (日本人居留地) へ入り安堵しました。
本部へ帰った後も知らん顔で、二人とも
「口外しない」 「他言しない」
と約束して別れました。 》
と
『正論』
2001年6月号の
「編集者へ」 に投稿されています。
つづく
これは メッセージ 726 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月6日 中国 長期戦略を決める
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/30 16:01 投稿番号: [726 / 2250]
日本が大幅に譲歩した和平案でもって、
これなら中国も応じてくれるだろうと甘い幻想を抱いていたころ、
中国は逆に戦争の準備をすすめていました。
戦史叢書 『支那事変
陸軍作戦1』
264〜265pには
《 中国においては8月6日、第一回国防会議を開催し、
次のような対日方針を決定していた
長期抗戦ヲ原則トシ
北支那方面防備ノ為其の主防禦線ヲ
保定 ― 滄州ノ線ニ、
第二線ヲ
彰徳 ― 済南ノ線ニ、
第三線ヲ
洛陽 ― 鄭州 ― 開封 ― 徐州 ― 淮陰ノ線ニ
選定シ
徹底的抗日戦ヲ 実施スル為
全般的ニハ
集団戦ヲ避ケ
消極戦ニ
終始スル如ク
各部門ニ亙 (わた) リ
戦備ノ充実ヲ期ス 》
とあり。
児島襄著 『日中戦争4』 文春文庫
78〜79pには
《 「勝倭の道」
「大敵に遇えば即退き、小敵に遇えば即戦う」
「対倭作戦」
「戦術でもって武器の不足を補う」
「戦術原則五項目」
一
要以 持久戦
消耗戦之決策
以 打破 敵人
速戦 即決 之 企図
ニ
要立 主動
敵攻我守
待 其気 衰力疲
我即 乗 出撃
三
要固守 陣地
堅忍不退
以 深溝 高塁 厚壁
粉砕 敵進攻
四
要利用 民力 地物
処処設穽防
従抗戦殺敵
五
要講求防制敵機
大砲戦車 毒気
之戦術
便其攻撃気効 》
とあります。
一、二は
「空間を以って時間に代える」
持久戦・消耗戦略で、
要するに日本軍を奥地に引きずり込み疲弊させる、というもの。
二は、主動的立場に立ち、敵が攻めれば我は守り、敵が疲れて其の気力の
衰えるのを待ち、我乗り出して撃つ
三は、深い溝、高い防塁、厚い壁で以って敵の進攻を粉砕し、陣地を固守し、
絶対に退かない。
四は、民衆の力、地の利を利用し、罠を仕掛けてのゲリラ戦
五は、空襲、大砲、戦車、毒ガスへの対策
です。
つまり、三つの防御ラインと、長期戦を目的とした戦争方針を作っていたわけです。
この文書だけでは、戦争準備は8月6日から始まったかのように見えますが、
本当は、もっと早くから始めていました。
つづく
これは メッセージ 725 (kireigotowadame さん)への返信です.
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8月6日 総領事代理やっと漢口引揚げを発令
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/29 15:07 投稿番号: [725 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』 299p
《 漢口では五日 22:00 ころから、中国側が日本租界への交通及び電話を遮断し、
六日零時ころから租界周囲全線の土のう陣地に兵力を増強した。
一方第十一戦隊司令官は、同夜在漢口艦船部隊に戦闘配備に就き
警戒を至厳にすべき旨下命した。
戦闘配備に就いた陸戦隊漢口分遣隊は六日零時から内線の土のう構築を開始した。
かくて近々数十米を隔てて、両軍対峙の状態となり、正に一触即発の危機迫るの感があった。
六日朝から中国空軍機が編隊で錨地及び租界上空を低空航過して、
夕方までに郊外飛行場に集結した飛行機数二一に及んだ。
このように情勢険悪となったにもかかわらず、松平総領事代理が
依然自由引揚げ以上の措置に出なかったので、
居留民代表は六日 12:00 、同総領事代理に引揚げの発令を迫り、
もし 24:00 までに発令のないときは民団は自由行動に出るべき旨申し入れた。
また漢口に来ていた田中宜昌領事も全面的引揚げの不可避を説いたので、
同総領事代理は 21:00 に至り、全面引揚げを発令した。
谷本司令官は六日、 23:00 、漢口総引揚げに関し海軍中央部、第三艦隊あて、
次のように報告した。
(1)
外務大臣ノ回訓ニ基キ
漢口総僚事代理ハ
本六日夕刻
在留邦人全部ニ
引揚ヲ命ゼリ。
(2)
在留邦人ハ
八月七日午後五時迄ニ
全部(約千名)ヲ
日清汽船鳳陽九、
信陽丸ニ収容セシメ、 勢多、 比良ヲシテ護衛シ、 急遽上海ニ下江セシム。
(3)
特別陸戦隊ハ
七日深更、 八重山、 栂、 栗ニ収容シ
八日未明漢口発
下江ノ予定。
(4)
総領事代理ハ
後始末ノ為 残留シ、 重慶、 宜昌、 長沙領事ハ
行動ヲ共ニスル予定。 之ガ収容ノ為
岳陽丸ヲ停船ノ筈。
外務官憲は揚子江流域の我が居留民全面引揚げ発令に先立ち、
漢口に日清汽船信陽丸、鳳陽丸、岳陽丸を、
九江に瑞陽丸を、蕪湖に襄陽丸を、南京に洛陽丸、大貞丸を、
それぞれ停船若しくは臨時回航させ配備していた。》
つづく
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漢口下流引揚げの決定
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/28 18:41 投稿番号: [724 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
297〜298p
《 軍令部は居留民の引揚げ、特別陸戦隊の派遣に関し海軍省と協議していたが
決定に至らず、かつ外務省もまた引揚げに難色を示していた。
前記第三艦隊電に接して海軍中央部は、
六日 11:35 第三艦隊司令長官あて、次のように指示した。
一
爰 (ここ) 一両日ハ
最モ重要ナル
外交上ノ転換時機
ニアルニ付
此ノ際特ニ
麾下 (きか) 竝 (ならび) ニ居留民ヲ
引緊メ隠忍自重セシメ
事ヲ起サザル様ニ
セラレ度 (たし)。
二
漢口居留民ノ引揚ニ関シテハ
現地外務官憲トモ
十分協議ノ上
現地ノ
情況ニ応ズル如ク
適当ニ処理セラレ度。 本件外務省ト協議済。
同日、海軍中央部は次のとおり発令した。
大海令第八号(八月六日一九一〇発電)
第三艦隊司令長官ハ
揚子江流域帝国居留民ノ
引揚ヲ俟 (まっ) テ
揚子江
配備艦船
竝ニ
上海海軍特別陸戦隊
漢口分遣隊ヲ
上海方面ニ集結スベシ
大海令第九号(八月六日一九二〇発電)
聯合艦隊司令長官ハ
第八戦隊、第一水雷戦隊 及 第一統空戦隊ヲシテ
作戦ニ関シ第三艦隊司令長官ノ
指揮ヲ受ケシムベシ
なお、六日 19:50 、第三艦隊司令長官あて、次のように指示した。
大海機密第一〇号(軍令部機密第四二二番電)
一
揚子江方面其ノ他ニ於テ
敵攻撃シ来ル場合ハ
断乎当面ノ敵ヲ
撃破
スベキ
コト勿論ナル処
全面作戦ヲ誘起スル虞 (おそれ) アル
広範囲ニ亙 (わた) ル
攻撃行動ヲ執ルハ
未ダ
其ノ時機ニ非ザル儀ト
承知アリ度
二
第十一戦隊支援等
当面ノ任務遂行上
特ニ必要トスル兵力ヲ
除ク外
大海機密第一号ニ準ジ
適宜待機セシメラレ度
三
呉鎮守府第二特別陸戦隊
及
佐世保鎮守府第一特別陸戦隊ノ
上海増援ハ
情況特ニ之ヲ要スル場合ノ外
第十一戦隊ノ概ネ
上海集結完了後トセラレ度
注
大海機密第一号により、揚子江流域居留民引揚げ、漢口陸戦隊及び
揚子江
配備艦船の上海方面引揚げ完了の時機までは、なるべく兵力移動増勢を行わず、
増加部隊は九州方面に適宜待機すべき
旨、指示されていた。》
つづく
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漢口情勢の険悪化
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/27 18:30 投稿番号: [723 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
296〜297p
《 八月三日、漢口では日本人使用の中国人に対する圧迫が加わり、
日本人経営の工場は中国人職工の欠勤で就業不能となり、
また日清汽船の中国人船長は乗船を拒み、武昌では学生の抗日運動が激化した。
軍隊の移動、陣地構築、建築物の対空迷彩などと相まって漢口は元より
流域各地の全面的引揚げは、もはや時間の問題となった。
三日の見通しでは、漢口の任意引揚げは、日清汽船便により八日までに終わる見込みで、
後男子約五〇〇名が残留のこととなった。
このように既に漢口では引揚げ準備に多忙を極めていたので、
当時既に開始された漢口上流各地居留民の引揚げは上海直航のこととなった。
四日 23:30 、第十一戦隊司令部は次のような情報を海軍中央部、第三艦隊あて報告した。
一
来ル六日
南京ニ於ケル蒋介石、 余漢謀、 李宗仁、 白崇禧、 馮玉祥
其ノ他
旧東北軍、 共産軍首脳等ノ会見、 協議ハ正ニ
中国ノ興廃ヲ定ムベキ
歴史的
暦日ニシテ即チ
此ノ日ヲ以テ
抗日戦線ノ採否
決セラルベシ。
二
漢口租界周囲ニ在ル
第九十八師ノ
殊更ニ発セシモノナランモ
「租界内ノ支那人ハ
八月五日迄ニ
租界外ニ退去スベシ。然ラザレバ
身ハ危険ニ曝サルベク、 又逮捕ノ上極刑ニ処スベシ」
トノ流言アリ。 之ガ為カ
一両日来支那人ノ
租界外へノ避難者
急増セリ。
四日、 谷本司令官は、 漢口在郷軍人分会長に
「事態逼迫シ
支那軍隊又ハ暴徒等ト
交戦ヲ予期スル場合
在郷軍人ノ
協力竝ニ
其ノ任務ニ関シ
要望事項」
を申し入れ協力を求めた。
五日 23:20 、谷本司令官は、海軍中央部、第三艦隊あて、次のとおり報告した。
第十一戦隊 機密 第五百十四番 電
情報ニ加フルニ
本五日更ニ
左記情報ヲ得タリ。
此等ヲ綜合スルニ
全面的日支衝突ノ公算
大ニシテ
当地日本租界四周ヲ包囲中ノ
支那軍ハ
攻勢ヲ執ルニ
非ザルヤ (五、六日頃其ノ算特ニ大ナリ) ト判断
セラルルヲ以テ
五日夕刻ヨリ
在漢口艦船部隊ハ
戦闘準備ヲ完成シ
(陸上ニ於テハ
在郷軍人ノ協力アリ)、 警戒ヲ厳ニシ、 在留邦人
(五日現在約千名) ニ対シテハ
引揚勧告方申入レタリ。
長谷川長官は五日夜半、第十一戦隊の五日 23:20 発電報に接し、
六日 05:40 海軍中央部あて
「漢口以下の居留民引揚げ」
に関し、至急発令促進方を迫った。
これより先、軍令部は居留民の引揚げ、特別陸戦隊の派遣に関し海軍省と協議して
いたが決定に至らず、かつ外務省もまた引揚げに難色を示していた。》
つづく
これは メッセージ 722 (kireigotowadame さん)への返信です.
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漢口引揚げに関する意見の調整3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/26 18:47 投稿番号: [722 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
295〜296p
(電文のつづき)
記
《 政府ニ於テハ
十一日閣議決定ノ方針ヲ
変更シ居ラズ。 旁 (かたわら)
貴地支那側ノ
対日態度ニ関スル
累次ノ貴電 竝 (ならび) ニ
官民ノ全面的引揚ノ
及ボス影響等ニ鑑ミ
貴地ノ全面的引揚ノ実施ハ
尚早ナリト認ム。
尚 引揚時機ニ関シテハ
中央ヨリ指示スル意向ナリ。
谷本司令官は、中央の不拡大方針を体し善処してきたつもりにもかかわらず、
右電文によれば、海軍中央部が第十一戦隊司令部はその趣旨に反する主張に出ておると
解釈しておると感じ取った。
そこで同司令官は、
松平総領事代理の請訓内容に
意外な誤解があるかも知れないと考え、
早速調査したところ、
該請訓が同総領事代理の楽観的時局認識に基づき、
かつ海軍側の意向を曲解したものであると認めた。
よって、谷本司令官は中央に実情を明らかにする要ありと考え、
二日 02:00 海軍中央部、第三艦隊あて、次のように打電した。
軍令部機密第四百六十一番電(前記一日〇三五〇電)ニ依リ
当地総領事代理ノ
請訓ニ意外ノ誤解
アルベキヲ察シ、参謀ヲ派遣シ
其ノ披見ヲ求メシニ
果シテ然リ。
一
同官累次ノ電ナルモノハ
知ル所ナキモ氏ハ
時局ニ対スル楽観者ニシテ、
「北支事変ハ
不拡大方針ヲ以テ
処理セラレ居ルヲ以テ
局地的ニ解決シ
当方面ニ波及スルコトナカルベク
又当地支那官憲ハ
誠意ヲ以テ邦人ノ保護ニ
当リ居ル
ヲ以テ引揚ノ如キハ必要ナク
従ツテ考慮シアラズ」
ト述ベタレバ
本職ハ局地的解決ハ
望マシキコトナルモ
将来ノコトハ
不明ナリ。 若シ万一事態悪化シ
当方面ノ引揚ヲ要スルガ如キ場合ハ
如何ニスルヤ。 責任者トシテハ
最悪ノ場合ヲ考慮シ
少クトモ引揚計画ダケハ
立テ置カザルベカラザル
旨強調シタルハ事実ナリ。
二
同官ハ本職ノ述べシ
引揚ノ計画ヲ用意ト
混同誤解シタルモノナルコト
請訓第一項ニ明カナリ。 本職特ニ此ノ誤解ヲ惧 (おそ) レ
其ノ区別ヲ
明カナラシムル為
計画ト云フカ、腹案ト云フカ、心算ト云フカト
迄説明シ置キタル次第ナリ。
三
尚本職ハ
当方面ノ情勢ハ
決シテ平静ナラズ
何時如何ナル契機ニ依リ
大事爆発スルヤモ
知レザル状態ニ在リ
ト観測シアリ。 最モ人心ヲ不安
ナラシメアルハ
日本租界ノ全周ヲ包囲セル
土嚢 (どのう) 陣地竝ニ之ニ拠レル
一万数千名ノ支那兵ノ
厳重ナル警戒ニシテ、斯クノ如キ状態下ニテ
如何ニシテ安静ナルヲ得ン。日清汽船毎便引揚邦人ニ依リ
満室トナリツツアルハ
当然ノ帰結ナリ。何成濬ノ言明ハ
全幅ノ信頼ヲ置クニ足ラザルハ
申ス迄モナク
此レガ適例既ニ
勢多機密第二百九十九番電 (2)
ノ如キモノナリト認メアリ。
注(2)
勢多機密第二九九番電は七月三十一日湖南省主席何鍵の保証にもかかわらず、
長沙の空気急激に悪化した情況報告電である。》
つづく
これは メッセージ 721 (kireigotowadame さん)への返信です.
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漢口引揚げに関する意見の調整2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/25 18:38 投稿番号: [721 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
294〜295p
《 その後、ますます情勢が緊迫したので、三十一日 10:00 、谷本司令官は、
海軍中央部、第三艦隊あて、次のように打電した。
一
八月一日カラ八月十一日迄ノ
日清汽船下江便
計三隻ニテ
引揚乗船予約者
約百十名
(主トシテ婦女子) ニシテ殆ンド満船ナリ。
二
数日前ヨリ
英米人所有自動車ハ
識別ノ為
各国旗ヲ添付、或ハ掲揚シアリ。
三
日本租界ニ接スル
英及仏国人経営銀行、会社等ハ
国旗ヲ掲ゲタリ。
更に谷本司令官は、この際松平総領事代理と、隔意のない意見交換の要があると考え、
同日午前、第十一戦隊幕僚、鎌田海軍武官、漢口駐在陸軍武官、
漢口市参事会長清水文雄同席の下に、松平総領事代理と会談した。
右席上、松平総領事代理は、先に二十九日、安藤参謀に対し、
警備艦不要論を述べたというのは、何らかの誤解であろうと否定したが、
谷本司令官は、同代理の時局判断が、北支は現地解決により落着すべしとの
見通しの下に立脚した不徹底なものであり、日中両軍の戦備に対する認識浅薄である
と認め、それらにつきよく説明し啓発に努めた。また引揚げに関し、両者の意見
やや接近したが、同代理は、即時断行なお過早なりと判断しておるようであった。
引揚げ過早意見に対する谷本司令官の反論
八月一日に至るや中国側は日本人に対し米、塩の販売を停止した。
谷本司令官は、同日居留民の引揚げ準備が次第に進んできたので、松平総領事代理
に対し、居留民引接げに関する海軍の協力方針などにつき、次のように申し入れた。
一
引揚ニ関シ海軍ノ協力方針
(1)
引揚ヲ要スルニ至ラバ
在留邦人ハ速カニ集結、 乗船シ差当リ上海迄
下江スルコト。
(2)
陸上ニ於ケル警戒整理ハ
日本租界 及 日清六碼頭
「ハルク」
ニ限リ
海軍直接間接
総領事館警察ニ協力ス。
(3)
避難引揚ニ関シテハ
海軍ニ於テモ能フ限リ
援助ヲ為ス。
(4)
下江中途危険ヲ予想セラルル場合ハ
軍艦ヲ以テ直接護衛ス。
(5)
事態急ニシテ
帝国ノ商船ヲ以テ
引揚下江不能ナル場合ハ
外国商船其ノ他ニ
依ラルルコトヲ希望ス。 此ノ場合海軍ノ直接護衛ヲ行ハズ。
但シ情況ニ依リ
海軍艦船ニ収容ス。
二
避難引揚ニ関スル希望(筆者略)
一方、松平総領事代理は、引揚げ過早の理由をしばしば外務中央に対し打電していた。
そこで中央はついに現地あて指示を要するに至り、
一日外務中央部は松平総領事代理に対し、全面的引揚げは過早と回訓し、
また海軍中央部は同日 03:50 軍務局長及び軍令部第一部長名をもって、
第三艦隊参謀長及び谷本司令官あて次のように通知した。
漢口居留民ノ引揚ニ関シ
同地総領事代理ヨリ
外務省へ請訓アリタルニ付、
協議ノ上
左ノ如ク回訓シオケル処、政府ニ於テハ
依然トシテ
不拡大主義ヲ執リ、
特ニ中、南支ニ於テハ
我ヨリ進ンデ事ヲ起サザル
ノ方針ヲ堅持シ居ル
次第ニシテ、
御苦心ノ程ハ
重々察シ居ルモ
対内対外共 “機微ナル関係モアルニ付、
此ノ上更ニ事態悪化シ
情況已ムヲ得ザルニ至ル迄ハ
漢口ヨリノ全面的引揚ハ
之ヲ実施セラレザル意向ナリ。
但シ目立タザル様
必要ナル準備ヲ
完整シ置クベキハ勿論ナリ。》
電文はつづく
これは メッセージ 720 (kireigotowadame さん)への返信です.
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