8月7日 漢口、九江、蕪湖の居留民引揚げ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/02 18:41 投稿番号: [729 / 2250]
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』
300〜301p
《 漢口居留民の引揚げ (八月七日発) 七日、重爆一四機蕪湖通過西行、
重爆四機九江経由西行、飛行機一一機九江経由西行などの情報下、
在漢口部隊は至近距離に中国軍と相対し、対空警戒を厳にしつつ引揚げを支援した。
信陽丸 (六日午後から自由引揚げ婦女子約七〇〇名を収容) は、
七日 13:10 、 「比良」 の護衛下に、次いで鳳陽丸 (漢口最後の引揚げ
居留民約六七〇名を収容)は、同日 17:15 、 「勢多」 の護衛下に、
それぞれ上海に向け漢口を出港した。
かくて、漢口残留者は漢口総領事館員など七七名だけとなった。
「比良」 、信陽丸は七日 23:30 、九江において 「熱海」 、瑞陽丸と合同のうえ
下江した。蕪湖では中国軍艦長簶及び在空重爆一機を認め、
南京では中国軍艦一三隻を認めた。錦江を通過後、焦山砲台、象山砲台、
馬鞍山砲台から照射を受けたが異常なく、九日 12:15 、無事上海に到着した。
これより先、交通艇小鷹は七日午後漢口から武穴に着き、同地居留民七名を収容した。
翌八日 00:45 、 「勢多」 、鳳陽丸が漢口から武穴に到着、直ちに 「小鷹」 は
鳳陽丸に横付けし武穴居留民を移乗させ、 01:45 、鳳陽丸、 「勢多、小鷹」 の
航行序列で上海に向け下江を再開した。
錦江では連続照射されたが異常なく、九日11:30上海に到着した。
九江、蕪湖の引揚げ(九江七日、蕪湖八日発) 九江在泊の熱海艦長森圭作少佐は、
谷本司令官に八月一日現在の九江の状況を次のように報じた。
市内比較的平静ナルモ 軍人ノ往来多ク 市内ハ何トナク物々シ。
対日感情ハ益 (ますます) 悪化シ、ワガ居留民へノ侮辱行為ハ ナイガ、
日本人ニ接スル中国人ニ対シ 監視厳重商取引モ杜絶、 抗敵後援会モ組織サレ
新聞ノ論調マタ 抗日宣伝ニ努メツツアリ。
三日午後、「熱海」 に九江税関から
「在港船舶ハ八月一日以後 毎日午後七時ヨリ午前五時迄 燈火管制ヲナスコト」
その他が記述されている防空告示が送付されてきた。森艦長激怒して報告、
これに対し谷本司令官は四日午後
「貴官ノ気持ハ 之ヲ諒トスルモ 未ダ殊更ニ事ヲ荒立タシムル 時機ニ非ズト
認ムル ニ付テハ 燈火管制ハ 周囲ノ振合ヲ見テ 実施シ差支へナシ」
と返電した。
七日未明、森艦長は居留民総引揚げに関する諸命令を受領したので、
同日 08:15 白井領事と居留民団長に引揚げを勧告した。
居留民は同夜九江発、瑞陽丸で引揚げのことに決定した。
瑞陽丸は七日 20:45 下流から入港、居留民を乗せ、 23:30 、
「熱海」 護衛の下に上海に向け九江を出港した。翌八日 01:40 、漢口から
引揚げの 「比良」 、信陽丸を追い越し、九日 08:30 上海に到着した。
「鳥羽」 (艦長 久保田智中佐)は、第十一戦隊司令官の命により、
三十一日漢口発、翌八月一日夜蕪湖に到着した。
三日までは平静であったが、四日、各種抗日後援会が組織された。
婦女子は六日までに引揚げを完了した。
残余の居留民は七日 14:00 日清汽船 「ハルク」 に集結した。
同日夕、大冶引揚げ居留民一一名が近海郵船の運貨船で、蕪湖に安着した。
襄陽丸は八日朝、蕪湖着、蕪湖居留民一六名、大冶居留民一一名計二七名を収容し、
11:15 「鳥羽」 護衛の下に蕪湖発、翌九日 08:00 上海に到着した。》
つづく
300〜301p
《 漢口居留民の引揚げ (八月七日発) 七日、重爆一四機蕪湖通過西行、
重爆四機九江経由西行、飛行機一一機九江経由西行などの情報下、
在漢口部隊は至近距離に中国軍と相対し、対空警戒を厳にしつつ引揚げを支援した。
信陽丸 (六日午後から自由引揚げ婦女子約七〇〇名を収容) は、
七日 13:10 、 「比良」 の護衛下に、次いで鳳陽丸 (漢口最後の引揚げ
居留民約六七〇名を収容)は、同日 17:15 、 「勢多」 の護衛下に、
それぞれ上海に向け漢口を出港した。
かくて、漢口残留者は漢口総領事館員など七七名だけとなった。
「比良」 、信陽丸は七日 23:30 、九江において 「熱海」 、瑞陽丸と合同のうえ
下江した。蕪湖では中国軍艦長簶及び在空重爆一機を認め、
南京では中国軍艦一三隻を認めた。錦江を通過後、焦山砲台、象山砲台、
馬鞍山砲台から照射を受けたが異常なく、九日 12:15 、無事上海に到着した。
これより先、交通艇小鷹は七日午後漢口から武穴に着き、同地居留民七名を収容した。
翌八日 00:45 、 「勢多」 、鳳陽丸が漢口から武穴に到着、直ちに 「小鷹」 は
鳳陽丸に横付けし武穴居留民を移乗させ、 01:45 、鳳陽丸、 「勢多、小鷹」 の
航行序列で上海に向け下江を再開した。
錦江では連続照射されたが異常なく、九日11:30上海に到着した。
九江、蕪湖の引揚げ(九江七日、蕪湖八日発) 九江在泊の熱海艦長森圭作少佐は、
谷本司令官に八月一日現在の九江の状況を次のように報じた。
市内比較的平静ナルモ 軍人ノ往来多ク 市内ハ何トナク物々シ。
対日感情ハ益 (ますます) 悪化シ、ワガ居留民へノ侮辱行為ハ ナイガ、
日本人ニ接スル中国人ニ対シ 監視厳重商取引モ杜絶、 抗敵後援会モ組織サレ
新聞ノ論調マタ 抗日宣伝ニ努メツツアリ。
三日午後、「熱海」 に九江税関から
「在港船舶ハ八月一日以後 毎日午後七時ヨリ午前五時迄 燈火管制ヲナスコト」
その他が記述されている防空告示が送付されてきた。森艦長激怒して報告、
これに対し谷本司令官は四日午後
「貴官ノ気持ハ 之ヲ諒トスルモ 未ダ殊更ニ事ヲ荒立タシムル 時機ニ非ズト
認ムル ニ付テハ 燈火管制ハ 周囲ノ振合ヲ見テ 実施シ差支へナシ」
と返電した。
七日未明、森艦長は居留民総引揚げに関する諸命令を受領したので、
同日 08:15 白井領事と居留民団長に引揚げを勧告した。
居留民は同夜九江発、瑞陽丸で引揚げのことに決定した。
瑞陽丸は七日 20:45 下流から入港、居留民を乗せ、 23:30 、
「熱海」 護衛の下に上海に向け九江を出港した。翌八日 01:40 、漢口から
引揚げの 「比良」 、信陽丸を追い越し、九日 08:30 上海に到着した。
「鳥羽」 (艦長 久保田智中佐)は、第十一戦隊司令官の命により、
三十一日漢口発、翌八月一日夜蕪湖に到着した。
三日までは平静であったが、四日、各種抗日後援会が組織された。
婦女子は六日までに引揚げを完了した。
残余の居留民は七日 14:00 日清汽船 「ハルク」 に集結した。
同日夕、大冶引揚げ居留民一一名が近海郵船の運貨船で、蕪湖に安着した。
襄陽丸は八日朝、蕪湖着、蕪湖居留民一六名、大冶居留民一一名計二七名を収容し、
11:15 「鳥羽」 護衛の下に蕪湖発、翌九日 08:00 上海に到着した。》
つづく
これは メッセージ 725 (kireigotowadame さん)への返信です.