大山中尉虐殺事件 2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/08 18:38 投稿番号: [735 / 2250]
東中野修道著 「南京虐殺」 の徹底検証
展転社
23〜24p
“《 たとえば、東亜同文会の 『支那』 昭和十三年九月号に、クロード・ファレールの
「支那紀行」 が翻訳転載されているが、そのなかでファレールは、大山中尉が
「あるべからざる所に巧みに設置された支那軍の機関銃によって暗殺せられた」
ことを、次のようにフランスの読者に紹介した。
《日本軍は驚嘆すべき冷静さを持してゐた。
彼等は最も優秀なローマの警官の教へる所を実行したのである。
彼等は自動車にも死骸にも決して手を触れなかった。彼等は大上海の支那人の
市長及び英仏米の官憲を招致した。待つ間もなく人々はやって来た。》
《 人々は事件の検証を行った。
一支那兵が虐殺されて、百歩以上の距離の所に横ってゐた。
然 (しか) し、その実地検証は、何等の異議も挿 (さしはさ) まれることなく、
次のやうな事実を確認した。》
《即ち、この男は可愛さうにその同僚によって自動拳銃のために、
背後から、射撃されたのであって、
その後、その日本人暗殺に対して争闘のやうな色彩を与へる位置に
曳 (ひ) いて行かれたのであった。》
支那兵は前方の大山中尉によってではなく、 「背後」 から (即ち味方から)
撃たれていたというのである。その事実を、検証者全員が異議なく
「確認」 したのであった。それは日本側の記録とも一致する。
こうして、大山中尉が支那兵を撃ったから、支那兵の方でも止むなく
反撃したのだという支那側の主張は崩れ去った。
東亜同文会編 『新支那現勢要覧』 (昭和十三年) に、
日本海軍陸戦隊の実地検証結果が出ている。
それによれば、大山中尉は後頭部貫通の致命傷を受けて即死したあと、
「頭部は二つに切り割られ、顔面半分は全く潰され、内臓を露出し、
心臓部に拳 (こぶし) 大の穴をあける」 などの暴行を支那の保安隊から
受けていた。支那側の計画的な虐殺であったのである。
パリの 「グラン・ゴアール」 紙特派員エドアール・エルセイの
「支那事変観たまま」が、 『国際パンフレット通信』 一九三八年 (昭和十三年)
八月一日号に翻訳転載されているので、あわせて紹介しておきたい。
《八月九日には日本の海軍士官が、虹橋飛行場の支那番兵に殺害された不幸な
事件が起った。 日本の士官も注意すればよかったと言へない事もないが、
併 (しか) し支那側の計画的だった事はなんとしても否定出来ない。南京政府が
少なくも十五日前から上海に戦火を挙げる決意のあつた事は疑ふべくもない。》
《其の目的は、日本の一部を南支に引裂くことばかりにあったのではなく、
日本軍を中立地帯の近くに引寄せて、いや応無しに国際間題を頻発させよう
といふ腹だった。かくして頻々 (ひんぴん) たる事件の発生と誤解に依り、
西洋の與論 (よろん) を誘発しようといふ奸策なのだ。》
・・・・
《…当初は日本の政府も軍部も交戦を回避してゐた。上海攻略を危険視してゐたのだ。》
上海で支那側が攻勢に出た狙いの一つは、エルセイ特派員も言うように、
上海で紛争を引き起こして、世界に日支紛争を印象づけることにあった。
それには、上海のど真ん中に位置するフランス租界と共同租界こそ、
恰好の舞台であった。上海で戦闘ともなれば、日支紛争は否応なく外国人の
耳目に入って来る。租界の外国人、とりわけ特派員は、スタンドの上から試合を
見物するように戦闘を観察できる。その計算が蒋介石に働いていたというのである。”
つづく
23〜24p
“《 たとえば、東亜同文会の 『支那』 昭和十三年九月号に、クロード・ファレールの
「支那紀行」 が翻訳転載されているが、そのなかでファレールは、大山中尉が
「あるべからざる所に巧みに設置された支那軍の機関銃によって暗殺せられた」
ことを、次のようにフランスの読者に紹介した。
《日本軍は驚嘆すべき冷静さを持してゐた。
彼等は最も優秀なローマの警官の教へる所を実行したのである。
彼等は自動車にも死骸にも決して手を触れなかった。彼等は大上海の支那人の
市長及び英仏米の官憲を招致した。待つ間もなく人々はやって来た。》
《 人々は事件の検証を行った。
一支那兵が虐殺されて、百歩以上の距離の所に横ってゐた。
然 (しか) し、その実地検証は、何等の異議も挿 (さしはさ) まれることなく、
次のやうな事実を確認した。》
《即ち、この男は可愛さうにその同僚によって自動拳銃のために、
背後から、射撃されたのであって、
その後、その日本人暗殺に対して争闘のやうな色彩を与へる位置に
曳 (ひ) いて行かれたのであった。》
支那兵は前方の大山中尉によってではなく、 「背後」 から (即ち味方から)
撃たれていたというのである。その事実を、検証者全員が異議なく
「確認」 したのであった。それは日本側の記録とも一致する。
こうして、大山中尉が支那兵を撃ったから、支那兵の方でも止むなく
反撃したのだという支那側の主張は崩れ去った。
東亜同文会編 『新支那現勢要覧』 (昭和十三年) に、
日本海軍陸戦隊の実地検証結果が出ている。
それによれば、大山中尉は後頭部貫通の致命傷を受けて即死したあと、
「頭部は二つに切り割られ、顔面半分は全く潰され、内臓を露出し、
心臓部に拳 (こぶし) 大の穴をあける」 などの暴行を支那の保安隊から
受けていた。支那側の計画的な虐殺であったのである。
パリの 「グラン・ゴアール」 紙特派員エドアール・エルセイの
「支那事変観たまま」が、 『国際パンフレット通信』 一九三八年 (昭和十三年)
八月一日号に翻訳転載されているので、あわせて紹介しておきたい。
《八月九日には日本の海軍士官が、虹橋飛行場の支那番兵に殺害された不幸な
事件が起った。 日本の士官も注意すればよかったと言へない事もないが、
併 (しか) し支那側の計画的だった事はなんとしても否定出来ない。南京政府が
少なくも十五日前から上海に戦火を挙げる決意のあつた事は疑ふべくもない。》
《其の目的は、日本の一部を南支に引裂くことばかりにあったのではなく、
日本軍を中立地帯の近くに引寄せて、いや応無しに国際間題を頻発させよう
といふ腹だった。かくして頻々 (ひんぴん) たる事件の発生と誤解に依り、
西洋の與論 (よろん) を誘発しようといふ奸策なのだ。》
・・・・
《…当初は日本の政府も軍部も交戦を回避してゐた。上海攻略を危険視してゐたのだ。》
上海で支那側が攻勢に出た狙いの一つは、エルセイ特派員も言うように、
上海で紛争を引き起こして、世界に日支紛争を印象づけることにあった。
それには、上海のど真ん中に位置するフランス租界と共同租界こそ、
恰好の舞台であった。上海で戦闘ともなれば、日支紛争は否応なく外国人の
耳目に入って来る。租界の外国人、とりわけ特派員は、スタンドの上から試合を
見物するように戦闘を観察できる。その計算が蒋介石に働いていたというのである。”
つづく
これは メッセージ 734 (kireigotowadame さん)への返信です.