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8月15日 蒋介石の総動員令

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/02/28 18:52 投稿番号: [760 / 2250]
戦史叢書 『支那事変   陸軍作戦1』
265〜266p

《 蒋介石は八月十五日、総動員を下命するとともに、自ら陸海軍総司令に就任し、

全国を第一戦区 (冀察方面−総司令   程潜)、 第二戦区 (察晋方面!閻錫山)、

第三戦区 (上海方面−顧視同)、 第四戦区 (南支方面!余漢謀)

に分け、これに若干集団軍を配属して着々と戦備を整えた。


当時における蒋介石の対日戦略について、蒋介石の側近であった董顕光は、
戦後発刊の著書のなかで、次のように述べている。


そのとき〔八月上旬〕蒋介石は抗戦のための全面的な戦略を決定していた。
これが世にいう   〝空間をもって時間に替える〟   戦略であって、

時間をかせぐために必要に応じて空間が放棄されるが、敵はそのような空間を
得るために人的、物的に高価な代価を支払わねはならないのである。


一種の焦土戦術がとられて中国軍の放棄した地域には
敵の利用する家屋も食糧も残されてない。

この独特の戦略によって日本軍は奥地深くおびき寄せられ、
その戦線は稀薄に広がり、輸送路は延び過ぎて丸裸になってしまうであろう。

これが消耗戦の戦略であって、蒋介石は、うぬぼれた日本軍が必ず
この消耗戦で崩壊すると信じていた。



一方、当面の危機に対して蒋介石は自ら好む戦場を揚子江の線に選び、
そこに主力を集結するという現実的な方策を決定した。

華北は補給線を維持することが困難だから、抗戦を続けても結局は敵手に
落ちるものとして、華北前線には大軍を増援しないことにした。

中国軍の主力は揚子江流域の諸都市における決戦に備えて温存し、更にもし
揚子江の線が破れた場合は、奥地深く第三すなわち最後の抵抗線を築く計画であった。

これは実に巧妙な作戦計画であり、またその後の戦局の推移は蒋介石の考えの
正しかったことを証明している。

しかし、この計画が最後の勝利をもたらすまでには、
中国の民衆は長い年月の苦痛に耐えねばならなかった。》


*   この董顕光の記述を見ても、あの戦争が中国側の意思によって
   遂行されていたことがわかります。

   善人心の日本人は、こういう中国の戦略を知っていながら、
   日本が侵略戦争を起こしたと妄言を吐き続けているわけです。

   中国軍は焦土作戦で、撤退する時、その途中の街や家屋を焼き払いました。
   そして、そのあとで、日本軍がやったと宣伝したのです。

   中国軍が上海を爆撃した後で、日本軍がやったと言ったように。
   彼らは焦土作戦をやったら、自国民がどれだけ苦しむかなんて考慮しません。

   文句言ったら、漢奸 (売国奴、敵のスパイ) だと言って、殺すだけですから。
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