入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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8月6日 保安隊に遭遇する松本重治氏

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/31 18:44 投稿番号: [727 / 2250]
盧溝橋事件が起こると、蒋介石は本格的に戦争準備を始めました。


上海の外側の非武装地帯に、ドイツ軍将校指導の下、トーチカを築き、
上海から南京に至る途中には防御線をしきました。

「トーチカの築造については、上海憲兵隊の塚本誠氏が、7月24日ごろ、
上海の周辺の非武装地帯に中国軍がトーチカを造っているうわさを聞き、

私服を着て、ゴルファーの格好で出掛けていき、現物を確認しています。」
( 塚本誠著『ある情報将校の記録』中公文庫196pより )



そして中国は、上海の外側に、遠巻きに保安隊を配置し、徐々に包囲網を狭めていました。
8月6日、同盟通信上海支局長の松本重治氏は、この保安隊に遭遇しています。

松本氏は、いつものように、夕刻、スコット路の北方二、三キロの道路を、
愛馬ポニーを走らせていたら、


松本重治著 『上海時代・下』 中公新書    190〜191p

《中国保安隊員数人がおのおの手榴弾二つを胸にかけ、剣附鉄砲で、
これより以北は、まかりならぬと指示した。

それではと、少し廻れ右しながら北方へ斜めに走らせようとすると、
また、保安隊員がいる。

上海北辺には保安隊が最近増加したとは聞いていたが、上海を包囲する恰好で、
包囲圏を圧縮しているという陣形の気配が明瞭に看取された。

私は、自分の乗馬による散歩通がだんだんと圧縮されたのに、多少は憤慨もしたが、
それよりも、今までは保安隊がいなかったのに、こんなところまでに、やってきたし、

その背後には中央軍が近接しつつあるものと感じ、すべては中国側の
対戦準備の一環ではないかと悟って、そのことをすぐ東京に打電した。》


と言っています。
  しかしながら、保安隊に遭遇したのは彼だけではありません。



当時、上海の海軍陸戦隊本部にいた小川貞二さんも南西の方で遭遇しています。
彼はサイドカー運転員に誘われて越界路をドライブしていたら、


《 突然、目の前に掘っ建て小屋が現れ、哨兵が小銃を構えて停止を求めました。
シマッタ。これは大変なことになったと思いました。

車も止めて極力冷静に落ち着きを装い、とっさの機転でメモを取り出しました。
「東亜同文書院 (大学) へ行く途中だが、どの方向か」   と筆談を試みました。

哨兵はなんら疑う様子もなく指差して、 「左の道を行け」   と指示してくれました。

ヤレヤレ助かった。・・・猛スピードで飛ばしてフランス租界に入り、
共同租界を経て虹口地区 (日本人居留地) へ入り安堵しました。

本部へ帰った後も知らん顔で、二人とも   「口外しない」 「他言しない」
と約束して別れました。 》


と   『正論』   2001年6月号の   「編集者へ」 に投稿されています。


つづく
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