竹島
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/23 07:57 投稿番号: [14920 / 18519]
少し訂正します。
(shuku_remusさん #14918)>>>>>>
竹島(現鬱陵島)とその周辺から採れる産物に対する経済的な興味からくる
気持ちとしては、少なくとも現在の利益が継続されるよう、より安心して経済
活動ができるようにしたいとする気持ちと考えます。
<<<<<<
(te2222000 #14919)>>>>>>
とりあえず、shuku_remusさんが述べていらっしゃること自体は、私も賛成できます。
shuku_remusさんがお使いの「経済的な興味」という言葉は、現状を維持するだけでなく、もっと多くの利益を得たいという積極的なニュアンスを含むようなので、経済活動の安心についてもより確かなものを求める意識に結び付く言葉だと思います。
<<<<<<
読み返したら私のこのコメントはおかしいですね。shuku_remusさんはこの個所では「もっと多くの利益を得たい気持ち」について、何も言っていませんでした。
以下のように訂正します。
==============================================
=
とりあえず、shuku_remusさんが述べていらっしゃること自体は、私も賛成できます。
shuku_remusさんがお使いの「経済的な興味」という言葉は、
イ) 少なくとも現在の利益が継続されるようにしたい
ロ) より安心して経済活動ができるようにしたい
という気持ちを含むものだと思います。
ただし、包含関係にありますから、逆は必ずしも真ではない、つまり、「イ、ロの気持ちがある」からといって「経済的な興味を持っている」とは言えないことは、あらかじめ指摘しておきます。
==============================================
=
これは メッセージ 14919 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/22 06:41 投稿番号: [14919 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
>shuku_remusさんが用いる「経済的な興味」という言葉は
>
>a. 現在得ている利益を失いたくない気持ち
>b. 現在得ている利益を拡大したい気持ち
>c. まだ得ていない利益を新たに得たい気持ち
>
>などを含んでいると私は理解しています。
竹島(現鬱陵島)とその周辺から採れる産物に対する経済的な興味からくる
気持ちとしては、少なくとも現在の利益が継続されるよう、より安心して経済
活動ができるようにしたいとする気持ちと考えます。
<<<<<<
すみません、これは私の述べたこととどういう関係にあるコメントでしょうか。
私の記述を否定しているのでしょうか。肯定した上で補足しているのでしょうか。
とりあえず、shuku_remusさんが述べていらっしゃること自体は、私も賛成できます。
shuku_remusさんがお使いの「経済的な興味」という言葉は、現状を維持するだけでなく、もっと多くの利益を得たいという積極的なニュアンスを含むようなので、経済活動の安心についてもより確かなものを求める意識に結び付く言葉だと思います。
>>>>>>
>私は、aについては、斎藤豊仙が持っていたとしても差し支えないと思います
>(持っていなかったとする理由は無いので、持っていたと推測して良いと思います)。
>b, cについては不明だと考えます。
b, cについても、これらを持っていなかったとする理由は見当たりません。
そもそも、a,b,cに分けても仕方ないと思いますが。
<<<<<<
持っていなかったとする理由が見当たらないことについては、私も同じ考えです。
しかし、持っていたとする理由も、郡代だからということしか、今のところはないので、その職務上持っていなければ不自然だと明らかに判断できる内容以外については、不明としておくのが穏当です。
特に、以前指摘した、隠州視聴合紀における経済問題への関心の薄さを考えると、竹島に関して経済的な関心を持っていたと推測することには慎重であるべきだと考えます。
このような事情を考慮した時、私としては、aについては持っていたと推測して良いだろうが、b, c までも持っていたと推測することは適切さを欠くと判断します。
これは メッセージ 14918 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/19 23:30 投稿番号: [14918 / 18519]
te2222000さん
>shuku_remusさんが用いる「経済的な興味」という言葉は
>
>a. 現在得ている利益を失いたくない気持ち
>b. 現在得ている利益を拡大したい気持ち
>c. まだ得ていない利益を新たに得たい気持ち
>
>などを含んでいると私は理解しています。
竹島(現鬱陵島)とその周辺から採れる産物に対する経済的な興味からくる
気持ちとしては、少なくとも現在の利益が継続されるよう、より安心して経済
活動ができるようにしたいとする気持ちと考えます。
>私は、aについては、斎藤豊仙が持っていたとしても差し支えないと思います
>(持っていなかったとする理由は無いので、持っていたと推測して良いと思います)。
>b, cについては不明だと考えます。
b, cについても、これらを持っていなかったとする理由は見当たりません。
そもそも、a,b,cに分けても仕方ないと思いますが。
shuku_remus
これは メッセージ 14917 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/19 06:43 投稿番号: [14917 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
>私は、斎藤豊仙が「現在竹島から得ている経済的な利益を失うことになるのは
>望ましくない」という気持ちは持っていたとして良いと思います。
「竹島から得ている経済的な利益を失いたくない」という気持ちは、斉藤豊仙が
竹島の産物に経済的興味を感じているからに他なりません。
<<<<<<
shuku_remusさんが用いる「経済的な興味」という言葉は
a. 現在得ている利益を失いたくない気持ち
b. 現在得ている利益を拡大したい気持ち
c. まだ得ていない利益を新たに得たい気持ち
などを含んでいると私は理解しています。
私は、aについては、斎藤豊仙が持っていたとしても差し支えないと思います(持っていなかったとする理由は無いので、持っていたと推測して良いと思います)。b, cについては不明だと考えます。
これは メッセージ 14916 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/18 23:44 投稿番号: [14916 / 18519]
te2222000さん
>私は、斎藤豊仙が「現在竹島から得ている経済的な利益を失うことになるのは
>望ましくない」という気持ちは持っていたとして良いと思います。
「竹島から得ている経済的な利益を失いたくない」という気持ちは、斉藤豊仙が
竹島の産物に経済的興味を感じているからに他なりません。
また一歩前進ですね。
#14911と#14912にある他の論点については如何ですか。te2222000さんそれとも
投了でしょうか。
shuku_remus
これは メッセージ 14913 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14916.html
半月城で 遊ぼう
投稿者: junksai 投稿日時: 2006/09/18 15:51 投稿番号: [14915 / 18519]
これは メッセージ 14914 (husenoyaji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14915.html
見えても意味はない。
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/18 12:42 投稿番号: [14914 / 18519]
鬱陵島から獨島は見えます。
見ようと思って見るなら、コツを覚えれば年間10回などという少ない回数ではないでしょう。
しかし、それは意味をもちません。
なぜなら、東國輿地勝覧には、単に見えるだけではなく、渚や木の枝まで見えると書いてあるのです。
獨島ではとうてい無理ですし、獨島にかつて木が生えていた痕跡は報告されていません。
そして、東國輿地勝覧は当時の結論的存在です。
世宗実録にも記述がありますが、編者は同一人物だそうで、世宗実録の記事を理解した上で
また数度にわたる探検のあとに書かれたものです。
そして、なにより地図をみれば、それらの古い文献を当時の人がどう解釈したかは明白です。
紛れもなくごく近い距離にあると解釈したのです。
于山島が獨島だというのは、それこそ先祖の知性を否定する天につばする暴論です。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14914.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/18 07:30 投稿番号: [14913 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
斉藤豊仙は「竹島および松島(における経済活動)をあきらめていない」ので
あれば、斉藤豊仙は竹島の産物に対して経済的な興味を感じていたことになります。
te2222000さんは、いつの間にか、当初の議論とは異なることを述べています。
<<<<<<
私は、斎藤豊仙が「現在竹島から得ている経済的な利益を失うことになるのは望ましくない」という気持ちは持っていたとして良いと思います。
しかし、shuku_remusさんは「経済的な興味」という言葉をもう少し広い意味でお使いなので、経済的興味を持っていたかどうかは不明と答えました。別に#14593での議論と異なってはおりません。
これは メッセージ 14911 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/17 22:15 投稿番号: [14912 / 18519]
(前の記事から続く)
>私は、地元漁民にも郡代にも不安は無かったと考えています。
>私の根拠は以下の事実です。
>
>「幕府が竹島渡海許可を出したこと」
→これは国内に通用する許可のことです。外国との関係ではありません。
>「竹島渡海事業の開始から40年以上経つが、その間、事業が朝鮮によって妨害
>された例はないこと」
→「事業が妨害された "記録" の例はありません」とするのが正しい表現です。
従って妨害を受けたとする根拠はありません。一方で "記録" がないことを
もって、妨害の事実もなかったと推測するのは極めて不確実です。
>「竹島に渡った船が暴風で朝鮮に漂着し、乗組員が朝鮮の保護を受けて戻ってきた
>例があること」
→このエピソードは知りませんが、それで日本人は竹島近海で魚を採ってもよい
とか、関係する感触なりが得られたのでしょうか。
従って、te2222000さんの示された根拠はいづれも、外国から妨害はあり得ない
と安心を感じるには不十分であるか、或いは根拠とするには不確実なものです。
>最初に「間接的な状況証拠」と「事実」を対立するものとして書いている時点で、
>論理的に考える能力が足りないことが分かります。
>そして、竹島から高麗を望むという記載が、隠岐地元漁民が緊張・不安を感じて
>いたことの直接的証拠だと述べた時点で、まともな判断力が無いことが分かります
>(shuku_remusさん自身は直接的証拠という言葉を使っていませんが、間接的な
>証拠ではないと述べているのですから同じことです)
ここではお互い間接的な状況証拠に基いて推測しています。間接的であるか
は議論になりません。te2222000さんは#14634で下記のように発言されました。
te2222000さん#14634
>緊張関係は全く無かったと思います。
>
>元禄の竹島一件以前に両国漁民が衝突したという記述を見たことがありません。
>朝鮮人の往来の有無は島の帰属を論ずる上で重要ですから、記録があるならば
>必ずどこかで取り上げられて、不勉強な私の目にも入ると思います。
事実の有無の不明なこと(衝突の有無)を取り上げるのではなく、事実として
あること(外国が間近に見えること)に基いて推測されるべきです。
私の推測については、#14654に述べた下記の状況設定もご参照ください。
#14654
|
記録に残るような衝突がなくとも、漁業協定がある訳でもない外国に近づく
|だけで、緊張・不安を感じるのは当り前です。
|
|
両国漁民とも竹島(鬱陵島)近海への出漁の経緯がそれまであったのですから、
|遭遇の機会もあり得ました。だから、後に「竹島一件」が起こりました。
shuku_remus
これは メッセージ 14911 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14912.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/17 22:15 投稿番号: [14911 / 18519]
te2222000さん
>"経済的興味" を感じていたかどうかは、不明だと思います。
>つまり感じていたとする根拠も、感じていなかったとする根拠も、無いと思います。。
>
>従って、割注「多竹魚海鹿」が "経済的興味" を示唆していると受け止めるのは
>深読みのし過ぎであり、単に竹島の産物を紹介したものと考えることが妥当だと
>思います。
ご回答ありがとうございました。当初の議論#14593で、te2222000さんは下記
のようにご発言されています。
te2222000さん#14593
>
私の考える隠州視聴合紀の領土認識は「隠岐までが日本の地である」
>「竹島、松島は日本の地ではないが、日本人だけが経済活動を行なっている土地である」
>というものです。そして、この解釈でも別に竹島および松島をあきらめているとは思わないので、
>(以下省略)
斉藤豊仙は「竹島および松島(における経済活動)をあきらめていない」ので
あれば、斉藤豊仙は竹島の産物に対して経済的な興味を感じていたことになります。
te2222000さんは、いつの間にか、当初の議論とは異なることを述べています。
>うーん、私が「想像の想像」という表現のニュアンスを再三尋ねている状況で、
>「想像の想像」という表現を説明抜きで使ったお答えをいただいてもねえ…。
|
斉藤豊仙の国境画定へのスタンスについては、分かっていることから、つまり
|国代記の冒頭の記述、隠岐郡代を務めたとの経歴、及び若干の時代背景から下記
|のように推測しています。このような推測を「想像の想像」と言いました。
この説明を「説明抜き」とは、te2222000さんはまともに読んでいないか、素直に
受け止めたくない何か理由があるのでしょうか。
>肯定する展開と否定する展開のどちらも無かった状況で、肯定されなかった事実は
>無視し、否定されなかったことだけに目を向けて「その分だけ妥当性が認められる
>ようになった」と結論する上の記述は、公平な目で物事を客観的に判断する能力が
>不足していることを示しています。
肯定と否定の両方に目を向けているので、否定されなかった分だけと限定して
います。両方あるけど半分までと言うことです。
>A.斎藤豊仙は自著の中で竹島が日本の国境だと論じている。
>B.斎藤豊仙は国境の画定を望んでいた。
>
>shuku_remusさんは、Bを根拠としてAを主張していた筈なのに、いつの間にか
>Aを根拠にBを主張していますね。ここにも論理的な思考力の欠如が見られます。
違います。逆を述べようとしているのではなく、te2222000さんの推測には矛盾の
あることを指摘しています。
「斉藤豊仙は国境の画定を望んでいなかった」とします。であれば「斉藤豊仙は
自著の中で国境を論ずることはない」はずです。ところが実際は「斉藤豊仙は国境を
論じている」のです。従って「斉藤豊仙は国境の画定を望んでいなかった」とする
推測は間違いであり、「斉藤豊仙は国境の画定を望んでいた」と推測されます。
(次の記事に続く)
これは メッセージ 14902 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14911.html
Re: 禹用鼎の鬱島記
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/09/16 11:20 投稿番号: [14910 / 18519]
下条氏の記述の追加
--------------------------------
-
視察官の禹用鼎は鬱陵島から出ていなかった。それは、禹用鼎自ら島民
との応酬で「少しも間際無く、且つ輪船、多日留泊すべからず。石炭乏
しきを次ぐ」と記すように、多忙を極め、輪船の燃料としての石炭が乏
しかったことによる。
(中略)
禹用鼎の鬱島記を見ても鬱陵島本島以外には言及していないからである。
--------------------------------
-
韓国人学者の「禹用鼎の鬱島記にアシカの記録が残っているnida。竹島
を実効支配してた証拠nida」という電波記事を見た記憶もあるので、鬱
島記は調査の詳細が書かれているのでしょうね。いつも、「新発見」、
「決定的証拠」と騒ぎ立てる韓国メディアが鬱島記に関してはこれしか
報道してないということは、「鬱陵島本島以外には言及していない」と
する下条氏の記述は正しいんだろうな〜。
この禹用鼎の鬱島記を激しく見てみたいんだけどね。
これは メッセージ 14907 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14910.html
Re: 石島は観音島ではない(続)
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/09/16 10:52 投稿番号: [14909 / 18519]
>それにしても、面白いサイトをご紹介いただきました(「古代人は鬱陵島
>から竹島を見たか」)。この中で出てくる画像で、視程20kmの画像(聖人
>峯から竹島)はよくできていました。これが現実に近いかなと。
そうでしょうね。韓国人がよく提示する鬱陵島から竹島を撮影した写真
(人間の後頭部が写ってないほう)は40日粘って、500mmレンズで撮影し
たものですからね。後頭部が写っているやつは、撮影者、機材も不明です
から評価しようがありませんな。
これは メッセージ 14906 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14909.html
Re: 于山島は石島となった
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/16 10:49 投稿番号: [14908 / 18519]
>当時の外務省交信局長田邊太一は「松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」(北澤正誠『竹島考證』1881, 復刻エムティ出版, 1996)と認識していました。
これは外務省の中でいくつかあった議論の中の一つに過ぎないのであり、何の意図があるのか分かりませんが、これだけを取り出してあげるのはいいことではないと思いますよ。
私の認識は今でもこれと変わってはいません。
「李奎遠は102名の部下を従えており、7日間に渡って島を調査、船で二日間島の回りも調査したのです。その結論が鬱陵島と住民のいう「近傍」小島(松竹于山等の島:注)しかないというものだったのです。千里を見渡しても、離れた所には石一つ見えなかったというのです。(2790)」(注:もともとの書き込みの表現を変えました)
>しかし、当時の鬱陵島住民は不法滞在者です。たとえ独島の存在を知っていても、それを正直に官吏に知らせないでしょう。ただし、李奎遠は于山島なる島の存在は聞きました。
どうして不法滞在者だったら、島の調査者に独島のことを知らせないのでしょうか。また、そして島の存在だけは聞いたというのも妙な話しです。どうしてそういう物語を作って断言されるのでしょうか。半月城さんの話をそのまま持ってきたのでしょうか。
文献はそのまま読めばよろしいのではないでしょうか。于山島は近傍にある島として提示されたのであり、それ以上でもそれ以下でもないのです。
>そこで禹用鼎は于山島を鬱陵島民が呼んでいた石島という名に改めました。
なんでこのように断言なさるのか、さっぱり分かりません。半月城さんもこういう書き方をよくなさいますが、あまりいいことではないと思いますよ。
>この時期、鬱陵島と殆ど接する緑豊かな観音島や周辺の生木なき岩礁を、わざわざ石島として、管轄区域に含める必然性は無いでしょう。
観音島は確かに自生植物は多いですが「緑豊か」とするのは誤解が生じるでしょう。原則的には粗面岩の島です。石島と名前がついても何ら違和感がない島です。
全体的に、御説はほぼ半月城さんのサイトをそのままに受け入れられているような内容ですが、あのサイトを参考にして断言する前に、立ち止まっていろいろな見方を試みてみるのが望ましいと思います。
私が見るに、半月城さんの見方は、決して客観的でもありませんし、ところどころに首を傾げたくなるような「こじつけ」が見受けられます。どうも出発点が「独島はどこの領土か」ではなく「独島は韓国領である」にあるのかなと思います。
あのサイトを利用するにあたっては、注意が必要かと思いますよ。使い方によっては便利かつ有意義でもありますが、決して、その主張をそのまま受け取るべきものではないと。
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14908.html
禹用鼎の鬱島記
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/09/16 10:47 投稿番号: [14907 / 18519]
>そこで禹用鼎は于山島を鬱陵島民が呼んでいた石島という名に改めました。
この該当する記録を提示して下さいな。高麗大学に禹用鼎の「鬱島記」なる
ものがあるそうなので、そこに書かれてるんですかね。ちなみに、下条氏は
以下のように書かれてますが。
「鬱島記」によると、視察は明治33年6月1日から6日にかけて行われていた。
鬱陵島内での調査は住民達からの事情聴取が中心で、島民からは鬱陵島での
生活実態が報告された。
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14907.html
Re: 石島は観音島ではない(続)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/16 10:46 投稿番号: [14906 / 18519]
私は今でも「基本的にはほとんど見えません。見える可能性があるのは年に数日程度ではないでしょうか。たしか鬱陵島独島展望台の関係者の人でさえ見たことがないということのようです(2783を参照)」というのが正しいと思っていますよ。
>基本的には見える、ということで決着したと思います。
基本的に見えるというのが何を仰っていらっしゃるのか分かりませんが、科学的に計算して見ることが可能であるということ、また、見えることもあることはある、というのは私は全く否定していませんよ。
もしかして、山に登ったらいつでも独島が見えると思っていらっしゃるのですか。あるいはちょっと天気がよければ見えるだろうとか。それは、間違いでしょう。
二つのサイトをご紹介いただきましたが、一つは空気や周辺状況、天気、あらゆる条件を除いて計算しただけ。それで「見える」として高麗史地理誌の記述を正しいとしているものですが、これはあまり意味がありません。
もう一つは、計算上見えることを確認しつつ、実際に見えたのは年に10日にも満たないだろうとしています。これは、私はかなり正確な認識であると思いますよ。事実に近いと思います。
鬱陵島から竹島(独島)を見るのは、相当の条件がないと、きわめて難しいのです。その認識に私は変化はありません。天気さえよければいつでも見えるという人の認識が間違っているのです。
私は前から、こう申し上げているのです。どうぞご確認なさっても結構です。
それにしても、面白いサイトをご紹介いただきました(「古代人は鬱陵島から竹島を見たか」)。この中で出てくる画像で、視程20kmの画像(聖人峯から竹島)はよくできていました。これが現実に近いかなと。
これを見て、韓国でよく引用される、あの鬱陵島から撮った竹島の写真を思い出しました。まさに、望遠でとればこうなる、というのを、画像は示していますね。
これは メッセージ 14896 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14906.html
Re: 石島は観音島ではない
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/16 10:42 投稿番号: [14905 / 18519]
随分と昔の書き込みで私も忘れていたものですが、2781の①で「分かりやすい」としたのは、観音島が実際のところ文献資料になかなか出てこないので、それに伴う仮定の作りやすさという程度で書いたかと記憶しています。何ら深い意味はありません。
于山島が独島に該当するという根拠は、方言を無理やりこじつける以外には何らありません。
ararenotomoさんは『皇城新聞』で竹島よりも于山島のほうが先に名前が上がっているからこれは独島を指す、というご意見のようですが、私はたったそれだけではあまり根拠になるとは思えません。
于山の名は、それなりに重み・馴染のあるものでしょうから、先に上がったとしても何ら違和感はありません。それがどこを指すか、というのは、また別問題です。
これは メッセージ 14895 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14905.html
Re: 于山島は石島となった
投稿者: netoran2002 投稿日時: 2006/09/16 08:58 投稿番号: [14904 / 18519]
>禹用鼎の報告を受けて1900年10月25日に公布された『勅令41号』は、管轄区
>域として竹島とともに、特に国境の石島を挙げました。これは、実を結ばな
>かったとはいえ、強い危機意識の表れでしょう。この時期、鬱陵島と殆ど接
>する緑豊かな観音島や周辺の生木なき岩礁を、わざわざ石島として、管轄区
>域に含める必然性は無いでしょう。従って、『皇城新聞』『勅令41号』から
>于山島=石島=獨島が最も理に適う、と愚考します。
強い危機感があるのなら、必ず実態調査をするだろうし、場合によっては日本に抗議するでしょう。現に、鬱陵島への日本人入島に対して朝鮮政府は抗議しているではありませんか。
また、「于山島」という名称があるのに、何でわざわざ「石島」などという新たな名前を付けなければならないのでしょうか。不思議ですね。
また、石島が竹島であろうとなかろうと、実効支配を伴わない形式的な領有宣言はおそらく法的には意味はありません。たとえなにがしかの意味を持っていたとしても、日本の領有宣言に対して朝鮮政府は全く抗議していないのだから、今となっては領有の根拠とはなり得ないのはお解りいただけると思います。
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14904.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/16 02:21 投稿番号: [14903 / 18519]
(前の記事から続く)
>>>>>>
斉藤豊仙の国境画定へのスタンスについては、分かっていることから、つまり
国代記の冒頭の記述、隠岐郡代を務めたとの経歴、及び若干の時代背景から下記
のように推測しています。このような推測を「想像の想像」と言いました。
<<<<<<
うーん、私が「想像の想像」という表現のニュアンスを再三尋ねている状況で、「想像の想像」という表現を説明抜きで使ったお答えをいただいてもねえ…。
私とまともに対話をしようという意思が無いか、論理的な思考力が欠けているか、或いはその両方かと思えてきます。
>>>>>>
te2222000さんとの議論で、このような私の推測を肯定、或いは否定する新しい
展開を期待しましたが、te2222000さんから、そのような展開に役立つ情報ないし
議論はありませんでした。
従って自信がでたかどうかについて、否定されなかった分だけ、その妥当性が
認められるようになったと思っていますが、(後略)
<<<<<<
肯定する展開と否定する展開のどちらも無かった状況で、肯定されなかった事実は無視し、否定されなかったことだけに目を向けて「その分だけ妥当性が認められるようになった」と結論する上の記述は、公平な目で物事を客観的に判断する能力が不足していることを示しています。
>>>>>>
斉藤豊仙は「何もしない」どころか自著の中で国境を論じたのですから、そのような
(国境の画定は不要と判断するような)消極的な姿勢ではなかったと思います。
<<<<<<
A.斎藤豊仙は自著の中で竹島が日本の国境だと論じている。
B.斎藤豊仙は国境の画定を望んでいた。
shuku_remusさんは、Bを根拠としてAを主張していた筈なのに、いつの間にかAを根拠にBを主張していますね。ここにも論理的な思考力の欠如が見られます。
>>>>>>
またte2222000さんは、斉藤豊仙の述べる日本の国境は「竹島および松島」を
含まない「隠州」であると、解釈されました。
地元漁民の不安を認め、緊張感を知っていたとする元郡代が、「竹島および松島」は
日本ではないと、自著の中でわざわざ表明することもありそうにないことです。
<<<<<<
私は、地元漁民にも郡代にも不安は無かったと考えています。
私の根拠は以下の事実です。
「幕府が竹島渡海許可を出したこと」
「竹島渡海事業の開始から40年以上経つが、その間、事業が朝鮮によって妨害された例はないこと」
「竹島に渡った船が暴風で朝鮮に漂着し、乗組員が朝鮮の保護を受けて戻ってきた例があること」
それに対してshuku_remusさんの根拠は以下の事実です。
「竹島から朝鮮半島が見えること」
公平な目で客観的に判断すれば、どちらが説得力のある議論か分かりそうなものですが、shuku_remusさんにそれを望むのは無理なようです。
ちなみに以前「朝鮮半島が見えることから、漁民たちが緊張や不安を感じていたと結論するのは、間接的な状況証拠に基いた推測でしかない」と指摘した時、次のような反論をもらいました。
(#14654)>>>>>>
間接的な状況証拠ではなく、事実に基づいた推測です。
(事実)竹島(鬱陵島)から高麗(朝鮮)を望む
と記載されています。
(推測)その海域に出漁していた隠州地元漁民は、朝鮮を望むところで、緊張・
不安を感じていたことは当然と思われます。
<<<<<<
最初に「間接的な状況証拠」と「事実」を対立するものとして書いている時点で、論理的に考える能力が足りないことが分かります。
そして、竹島から高麗を望むという記載が、隠岐地元漁民が緊張・不安を感じていたことの直接的証拠だと述べた時点で、まともな判断力が無いことが分かります(shuku_remusさん自身は直接的証拠という言葉を使っていませんが、間接的な証拠ではないと述べているのですから同じことです)
私はこれを読んだ時に、この人と議論を通じて共通認識に至ることはまず無理だと判断し、「私はこう思う。しかしあなたが異なる考えであることは了解した」という結論で満足することにしました。
今回、少し違った観点から議論することによって、多少は歩み寄れるかもしれないと思ったのですが、私が甘かったようです。
なので、私の方から色々とお尋ねすることは、もう、やめにします。
前の記事で書いた「経済的興味」の話題は、shuku_remusさんからの質問が続いている状況ですので、聞かれる限りは答えていくつもりです。
これは メッセージ 14902 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14903.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/16 02:18 投稿番号: [14902 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
斉藤豊仙は、竹島(現鬱陵島)の豊富な竹・魚・海鹿に "経済的興味" を感じて
いたかどうか、そして割注「多竹魚海鹿」はそのことを示唆していると受け止める
ことについて、te2222000さんのお考えをお聞きしています。
<<<<<<
詳しいご説明をありがとうございます。
"経済的興味" を感じていたかどうかは、不明だと思います。
つまり感じていたとする根拠も、感じていなかったとする根拠も、無いと思います。。
従って、割注「多竹魚海鹿」が "経済的興味" を示唆していると受け止めるのは深読みのし過ぎであり、単に竹島の産物を紹介したものと考えることが妥当だと思います。
(次の記事へ続く)
これは メッセージ 14891 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14902.html
Re: 于山島は石島となった
投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2006/09/15 23:43 投稿番号: [14901 / 18519]
ペッ、また、ひょこりひょうたん島カヨ。
ポイ
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14901.html
Re: 于山島は石島となった
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/15 23:38 投稿番号: [14900 / 18519]
>鬱陵島と殆ど接する緑豊かな観音島や周辺の生木なき岩礁を、わざわざ石島として、管轄区域に含める必然性は無いでしょう。従って、『皇城新聞』『勅令41号』から于山島=石島=獨島が最も理に適う、と愚考します。
かないません。
だとすると、どうして竹島を記述するのか、しかも並列にするのか説明がつきません。
石島が獨島であるなら、調査報告にもっと詳細な記述があるでしょう。
言われるように一番取られやすい場所だからです。
観音島は緑豊かと言っても岸壁は十分にあり、石島となづけても不思議というほどではありません。
問題は確定した証拠です。推定ではなく確定した証拠です。
言われる推定が事実であるならば、日本の編入をうけて、勅令の石島こそ獨島だという世論がかならずあったはずです。
借金の証文を書いたのにさっそく使い時がきたときに証文を証拠にださないなどということはないのとおなじです。
それがない。
また獨島が于山島だという説も当時では確認できません。
あらゆる観点からみて、石島=獨島説はアリバイをかきます。
それらが確認できるのは韓国の占拠と同じ頃です。
1905年当時の資料でどうだったかということを確実に追ってください。
現在からの思いこみで推定されてるように感じます。
これは メッセージ 14897 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14900.html
Re: 石島は観音島ではない(続)
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/15 23:21 投稿番号: [14899 / 18519]
鬱陵島から獨島は見えますが、于山島が獨島であるかどうかに関係ありません。
一連の古い記録のなかでは、東國輿地勝覧が当時の結論的記述であり、
それは当時の記録のフォーマット記述の中身どちらをとっても于山島=獨島であることを否定します。
これは メッセージ 14896 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14899.html
Re: 石島は観音島ではない
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/15 23:18 投稿番号: [14898 / 18519]
>日本と接する于山島=独島は、日本に奪われるのではないかという強い危機感がありました
まったくの暴論です。
それまでの記録を見る限り、于山島は鬱陵島の古名だろうというのが当時の結論です。
于山島が獨島だという説はは1905年当時でさえ確認できません。
そのような危機感を証明する資料は目にしたことがありません。
そのような危機感があるなら、獨島をこそ調査したはずです。
当時の実体は、鬱陵島を守ることが専決で獨島どころの話しではないです。
これは メッセージ 14895 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14898.html
于山島は石島となった
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/09/15 22:31 投稿番号: [14897 / 18519]
1899年9月23日付『皇城新聞』の記事「其(鬱陵島)附屬の小六島中で最著は于山島竹島」から、この于山島は鬱陵島或いは竹島(Chuk-do)ではあり得ないので、私は于山島を現在の竹島(独島)と規定しました(No.14726)。
これに対しahirutousagi2さんは、李奎遠の調査が竹島(独島)を発見できなかったことから、「竹島(独島)を見失っていたとすべきでしょう」と述べられました(No.14731)。
李奎遠は鬱陵島の高所から眺めて竹島(独島)を発見できず、鬱陵島を于山島として報告しました(No.3138)。ahirutousagi2さんが述べられたように、1882年当時、朝鮮政府は確かに竹島(独島)を見失っていました。これは500年に亘る空島政策の結果でしょう。一方日本では明治10(1877)年、当時の外務省交信局長田邊太一は「松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」(北澤正誠『竹島考證』1881, 復刻エムティ出版, 1996)と認識していました。
李奎遠の調査は1881年5月捜討官が鬱陵島で日本人の伐木に気付き行われました。李奎遠らは1882年4月30日から5月10日まで鬱陵島に滞在し、朝鮮人140人に対し日本人が78人も住むこと、また「大日本国松島槻谷
明治二年二月十三日
岩崎忠照
建立」と書かれた標柱のあることを知りました。そこで朝鮮政府は、日本政府に抗議するとともに、1403年からの空島政策を廃しました。
ahirutousagi2さんはNo.2790で「住民が独島の存在を知っていればそれを官吏に知らせていたはずです」と書かれました。しかし、当時の鬱陵島住民は不法滞在者です。たとえ独島の存在を知っていても、それを正直に官吏に知らせないでしょう。ただし、李奎遠は于山島なる島の存在は聞きました。
李奎遠の報告を受け、朝鮮政府は1883年3月金玉均を「東南諸島開拓使兼管捕鯨事」に任命し開拓を積極的に進めました。「ワカメやアワビ、またはアシカをとりにしばしば独島に出漁した」と語った洪在現は、1883年頃の移住者です(No.14668)。その後の鬱陵島の人口増加と産業の振興は著しく、日本人の報告にも「現在、土民ノ人口ハ二千余人ニシテ戸数凡五百農夫ト漁夫相半シ又船舶ヲ製造スル大工等アリ」(高雄謙三「1899年10月3日付復命書」外務省記録, 3532)と記されています。この開拓過程で、朝鮮政府もやっと「于山島は倭の松島であり鬱陵島に属する」という日本の外務省高官と同じ認識に達し、1899年『皇城新聞』は鬱陵島附属島の最著として于山島と竹島を挙げました。
ただし、当時の鬱陵島の最も大きな問題は日本人の進出でした。1883年10月、日本政府は船を出し不法滞在の日本人254人を送還しました。しかしその後も、日本人の侵入は止まずトラブルが頻発したので、1898年7月には島監蠔季周は山陰の境港まで行き、日本の警察に取締を要請し違法行為の告訴をしております。上記の『皇城新聞』にも日本人の流入が夥しく土民を侵凌していると書かれています。
蠔季周は大韓帝国政府に鬱陵島の窮状を訴えたので、政府は「内部視察官」として禹用鼎を派遣しました。彼は1900年5月31日鬱陵島に着き6月5日まで現地を調査し、鬱陵島は日本人の進出により憂慮すべき状態にあると報告し、『勅令41号』はその結果として発布されました。
禹用鼎は特に、1714年江原道御史趙錫命が「鬱陵之東島嶼相望接于倭境」と報告した(宋炳基「朝鮮後期の鬱陵島経営」内藤浩之訳『北東アジア文化研究』10, 1999)、鬱陵島東方の日本と接する島に関心を寄せました。この島は于山島と呼ばれてきました。しかし于山島は、1882年李奎遠が鬱陵島を于山島としたように、鬱陵島或いは竹島を表すこともあります。そこで禹用鼎は于山島を鬱陵島民が呼んでいた石島という名に改めました。石島は、日本人も「生木なき岩嶋」と記しているように(大西教保『隠岐古記集』1823)、余りにも即物的ですが、この島の名に相応しいでしょう。
禹用鼎の報告を受けて1900年10月25日に公布された『勅令41号』は、管轄区域として竹島とともに、特に国境の石島を挙げました。これは、実を結ばなかったとはいえ、強い危機意識の表れでしょう。この時期、鬱陵島と殆ど接する緑豊かな観音島や周辺の生木なき岩礁を、わざわざ石島として、管轄区域に含める必然性は無いでしょう。従って、『皇城新聞』『勅令41号』から于山島=石島=獨島が最も理に適う、と愚考します。
これは メッセージ 14896 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14897.html
石島は観音島ではない(続)
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/09/15 22:11 投稿番号: [14896 / 18519]
私は「竹島(独島)は、鬱陵島の標高200m以上の所から、「風日清明」ならば望み見ることができます」と書きました(No.14726)。
これに対しahirutousagi2さんは「基本的にはほとんど見えません。見える可能性があるのは年に数日程度ではないでしょうか。たしか鬱陵島独島展望台の関係者の人でさえ見たことがないということのようです(2783を参照)」と答えられました(No.14731)。
鬱陵島から竹島(独島)が見えるか見えないかは本掲示板で何度も議論されました。No. 2783の他、mattouya さんのNos.2756, 3357, 8768, 8895、husenoyaji さんのNo.12253やkusuo1さんのNo.12254あたりで、基本的には見える、ということで決着したと思います。これについて対照的な2つのHPを紹介します。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/Ullundo/Ullun.htmhttp://kts.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_9394.html 獨島は鬱陵島から基本的に見えるので、私は「視認できる島を附属とするのは自然でしょう」と書きました(No.14727)。
ここでは更に、見える可能性がほとんど無くても、附属の島とした例を示します。
「『大日本史』巻三百八、志三」は次のように記しました。「隱岐國、
--
凡四島、分曰島前、島後、(割注:隱州視聽合記、隱岐國圖、○屬島一百七十九、總稱曰隱岐小島、)別有松島、竹島屬之、(割注:隱岐古記、隱岐紀行、
--
)」。この記述は、半月城さんがNo.9290で述べたように、『隠州視聴合記』では松島と竹島を隠岐国に入れず、『隠岐古記』を引用して松島竹島を隠岐国所属とした、ことを表しています。
『隠岐古記(集)』は『隠州視聴合記』を基に文政6(1823)年大西教保が増補したものです。池内敏氏が詳しく比較検討したように(「隠州視聴合記(紀)」の解釈をめぐって『大君外交と「武威」』名大出版会, 2006)、『隠岐古記集』には『隠州視聴合記』とほとんど同じ表現と新しく増補された記述があります。
その中の松島に関する記事を示します「亥の方四拾厘余にして松嶋あり周り凡壱厘程にして生木なき岩嶋なり
--
秋晴天北風の日に大満寺山の頂上より望免は松嶋は遥可に見ゆべしと言」(隠岐郷土研究会編『隠岐古記集』隠岐島史料近世編下, 1963)。前半は『隠州視聴合記』の「戌亥間行二日一夜有松島」を更に詳しく述べたもので、所属とは関係ありません。後半は『隠州視聴合記』には無く、『隠岐古記集』に於いて全く新しく増補された記述です。従って、大満寺山の頂上から松島が見えるということが、『大日本史』の編者をして松島を隠岐国所属とした根拠の一つになったと思われます。大満寺山(標高608m)から約170km離れた松島が見えるという文献資料は知りませんが、そのような伝承があるのかもしれません。
鬱陵島から竹島(独島)が見えるか見えないかに、最初に異常なほど拘ったのは川上健三氏です(『竹島の歴史地理学的研究』古今書院, 1966)。氏は、200メートル以上登れば鬱陵島から竹島を見ることができると認めながら、「鬱陵島は密林によっておおわれていたので、高所にのぼること自体に相当困難があったと思われるし、またたとえ高所にのぼることができたとしても、竹島が見渡せるように視界が開けていたかどうかも疑わしい」として、韓人は「竹島の存在を知る機会は乏しかったと思われる」と書きました。
「竹島の認知開発と自然環境」と題された章にある上記の箇所は、「歴史地理的事実をあくまでも学問的に究明することを意図した」この優れた古典的名著の中では極めて異質です。これは、川上健三氏の位置関係を重視する地理学者としての良識と外務省調査官としての立場の相克から生れた、と推察します。
これは メッセージ 14895 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14896.html
石島は観音島ではない
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/09/15 22:01 投稿番号: [14895 / 18519]
ahirutousagi2さん
長い休暇で返答が大変遅くなってしまったことをお詫びします。
于山島=観音島説の詳しい丁寧な説明を有難うございます。
しかし私は于山島を観音島とするにはもっと具体的な根拠が必要と思います。
>>于山島は現在の竹島(独島)以外に鬱陵島或いは竹島(竹嶼)とされてきました。
>于山島が鬱陵島か竹嶼であるというのは、実録など文献資料に確認されるものを前提としたものでしょうが、かと言って観音島という選択肢を排除すべきなのかどうか私には疑問です。
観音島という選択肢を排除するわけではありませんが、観音島を于山島とする従来の文献資料はありませんから、新しい具体的な根拠が必要ではないかと思います。
ahirutousagi2さんはNo.2781で、「1899年「皇城新聞」報告と1900年「官報」の二つだけを取りあげて資料として整合的に考えるならば、可能性は次のものがあると思われます」として①②と③(略)の可能性を示されました。
>①皇城新聞に記された「于山島・竹島」のうち、「于山島」は現竹島(独島)であり、「竹島」はchuk-doである。さらにこの独島が官報において「石島」となった。
肯定的な点
・分かりやすい。
・全羅道方言で独島と石島が通じうる。
否定的な点
・これだけ離れているのに皇城新聞の報告に独島を指すと思われる具体的な記述が全くないのは不自然。
・于山島が独島を指すかどうかは古地図で問題がある。
>②皇城新聞に記された「于山島・竹島」のうち「于山島」は観音島であり「竹島」はchuk-doである。さらに官報において観音島が「石島」となった。
肯定的な点
・1899年の大韓全図に大まかに対応しうる。
・皇城報告の内容に一言も独島についての具体的な言及がないことから、こうした理解は現実的でありうる。
否定的な点
・観音島が古地図の于山島と一致するとはいい難い。
・従って古地図(あくまで地図的に于山島=chuk-doとして)からの一貫性がない。
ahirutousagi2さんが「分かりやすい」①ではなく、②を採用されたのは、「皇城報告に独島を指す具体的な記述がない」ことのようですが、観音島を指す具体的な記述もないようです。しかし、次のNo.2782で述べられている、附属の小六島のうち竹島(chuk-do)と観音島だけが抜きん出て大きい、ということが于山島=観音島の具体的根拠の一つと推定してお答え致します。
確かに竹島(chuk-do)は、面積0.208平方kmで、観音島0.071平方kmや他の附属の小島に比べ抜きん出て大きいです。しかし、もし于山島=観音島ならば、No. 14726で書きましたが、なぜ小さい観音島を抜きん出て大きい竹島(chuk-do)より先に挙げたのでしょうか。大きさという同一カテゴリーを表す場合、普通は大きいものを先に書くと思います。ただし別のカテゴリー、例えば、観音島は鬱陵島にいちばん近い島だからというのなら、遠い竹島(chuk-do)より先に書くこともあり得ます。
このような点から当時の「鬱陵島事况」を見ると、鬱陵島では日本人の進出が問題になっていました。このままでは鬱陵島は日本に支配され、日本と接する于山島=独島は、日本に奪われるのではないかという強い危機感がありました(1905年現実となりました)。それ故、『皇城新聞』は最著の附属島として、いちばん遠い于山島=独島を真先に挙げ、『官報』は「于山島」を形状から「石島」と改めて管轄区域に含めた、とも考えられます。
これは メッセージ 14731 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14895.html
米子図書館所蔵 『竹島漁業資料』 4
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/09/13 20:36 投稿番号: [14894 / 18519]
これは メッセージ 14890 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14894.html
Re: 「隠岐全図」の発掘
投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2006/09/11 15:50 投稿番号: [14893 / 18519]
当時、欝郡が獨島を管轄していなかったことが地図上でも明らかとなり、朝鮮側の一部の
妄想に根拠がないことが証明できた」とするのが適当であり、やはり欝郡は獨島を所管
していなかった疑念が一層強まった感がある。
日本を朝鮮に,その他日本の地名を朝鮮半島の地名に置き換えたら
多くの人達が韓国側に抱いている疑念でもあるね.
境界線ていうのはどうせまた船の通り道なんじゃないの?
まぁこれだけみて,韓国側の主張に根拠がないことが証明できたとは断言できないかも知れないけど,
毎度毎度韓国から出てくる資料の解釈よりは根拠がありそうだ.
これは メッセージ 14889 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14893.html
Re: 「隠岐全図」の発掘
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/09/11 12:51 投稿番号: [14892 / 18519]
>画像を見る限り、隠岐と獨島(竹島)との間に明らかな境界線が描かれているように見える。
この画像だと、境界線はおろか竹島自体が確認できないです。見方がわるいんでしょうか。
それにしてもサービス悪いね。資料価値のあるものは、もっとでっかくのせてほしいです。
これは メッセージ 14889 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14892.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/09/10 22:38 投稿番号: [14891 / 18519]
te2222000さん
[#14880へのコメント]
斉藤豊仙は、国代記の冒頭、隠州から北西方向に何があるかを記述した箇所で、
竹島(現鬱陵島)の割注として「多竹魚海鹿(竹・魚・海鹿が多い)」を挿入
しました。割注「多竹魚海鹿」は、竹島の主な産物の記述したもので、そこには
経済的な意味があります。そして割注「多竹魚海鹿」は、豊富な竹・魚・海鹿から
経済的な活動を通して何がしかを得たいとの経済的な興味を感じ、それを示唆して
いるものと、私は受け止めています。
斉藤豊仙は、竹島(現鬱陵島)の豊富な竹・魚・海鹿に "経済的興味" を感じて
いたかどうか、そして割注「多竹魚海鹿」はそのことを示唆していると受け止める
ことについて、te2222000さんのお考えをお聞きしています。
[#14881へのコメント]
斉藤豊仙の国境画定へのスタンスについては、分かっていることから、つまり
国代記の冒頭の記述、隠岐郡代を務めたとの経歴、及び若干の時代背景から下記
のように推測しています。このような推測を「想像の想像」と言いました。
#14614
|
地方役人である斉藤豊仙には、もとより日本の国境について云々する
|権限はなく、豊仙がここではっきり申し立てしても、対外的には何の効力もなく、
|却って(余計なこととして)幕府から咎められることにもなりかねない。
|従って、遠まわしにあっさり述べるにとどめた。
|
斉藤豊仙は隠岐郡代を務めたとのことです
|から、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと思われます。しかし
|当時は幕府の関心は薄く、国境の画定は地元の願望にとどまったのではないでしょうか。
te2222000さんとの議論で、このような私の推測を肯定、或いは否定する新しい
展開を期待しましたが、te2222000さんから、そのような展開に役立つ情報ないし
議論はありませんでした。
従って自信がでたかどうかについて、否定されなかった分だけ、その妥当性が
認められるようになったと思っていますが、このことは te2222000さんとの間の
議論からだけですので、私の中では「未だ何とも言えない(変わらない)」という
ことです。ところで、何故そんなに相手の「自信」を気になさるのですか?
[#14882へのコメント]
>私は、当時の漁民は、朝鮮との関係について特に不安はなかっただろうと思っています。
>そして、仮に漁民に不安があったことを認めても、郡代は特に不安に思わなかった
>可能性があります。
>「具体的に何かご存知ですか」という質問は、「漁を行なう上で無視できない不安が
>朝鮮の関係で存在する」ことを前提にしているので、そもそも私には答えられない
>のですが、敢えて答えれば「何もしないこと」となるでしょうか。
>ただ、地元漁民と郡代は立場が違うので、地元漁民は安心して漁を営むために、国境の
>画定が必要だと感じていたが、郡代は不要だと判断したことはあり得ることを指摘しています。
斉藤豊仙は「何もしない」どころか自著の中で国境を論じたのですから、そのような
(国境の画定は不要と判断するような)消極的な姿勢ではなかったと思います。
>#14873で私の挙げた☆の例は、僅かな可能性しかないとお考えになるのですね。
>理由が示されていないので、私はそう思わない、としか答えられません。
>理由を書いていただけたら、それについて意見を述べさせていただきます。
上記が、te2222000さんは「僅かな(ありもしないような)可能性を論じている」
のではないかとした理由の一つです。
またte2222000さんは、斉藤豊仙の述べる日本の国境は「竹島および松島」を
含まない「隠州」であると、解釈されました。
地元漁民の不安を認め、緊張感を知っていたとする元郡代が、「竹島および松島」は
日本ではないと、自著の中でわざわざ表明することもありそうにないことです。
[#14883へのコメント]
>shuku_remusさんのご主張は、以下の考えを前提にしているように思います。
>
>◎斎藤豊仙は「竹島で経済活動を行なう権利が日本にあることを明確にした取り決めは、
>日朝間に存在しない」と思っていた。
相変わらず、私の考えを作文して、その作文に異論を唱えておられる(自作自演)。
te2222000さんが何故このように思われるか、理由が分かりません。と言うか、先ずは
ご自身のお考えを述べればよいことです。
shuku_remus
これは メッセージ 14880 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14891.html
米子図書館所蔵 『竹島漁業資料』 3
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/09/10 09:47 投稿番号: [14890 / 18519]
これは メッセージ 14887 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14890.html
「隠岐全図」の発掘
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/09/10 00:51 投稿番号: [14889 / 18519]
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=798307006
報道に拠れば、島根県隠岐島庁が1912年に刊行した官製地図と云うことだが、画像を見る限り、隠岐と獨島(竹島)との間に明らかな境界線が描かれているように見える。
記事では『舩杉助教授は、行政上、竹島を所管していた隠岐島庁による地図が地元の隠岐で見つかったことで「当時、島根県が竹島を管轄していたのは地図上でも明らかとなり、韓国側の主張に根拠がないことが証明できた」としている。』と書いてあるが、どうしてこの地図で「当時、島根県が竹島を管轄していたのは地図上でも明らかとなり」得るのか全く理解に苦しむと云わざるを得ない。
むしろ「当時、島根県が竹島を管轄していなかったことが地図上でも明らかとなり、日本側の一部の妄想に根拠がないことが証明できた」とするのが適当であり、やはり隠岐島庁は竹島を所管していなかった疑念が一層強まった感がある。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: 竹島
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/09 02:35 投稿番号: [14888 / 18519]
そろそろあげとかないと、最下段に来てました。最近、ふと思うこと。韓国は李承晩ラインをどのように考えているのか、ということ。政府見解は具体的にどうなされているのだろう。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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米子図書館所蔵 『竹島漁業資料』 2
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/09/05 16:52 投稿番号: [14887 / 18519]
これは メッセージ 14886 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14887.html
米子図書館所蔵 『竹島漁業資料』
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/09/02 18:54 投稿番号: [14886 / 18519]
これは メッセージ 14877 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14886.html
地図
投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/09/02 13:43 投稿番号: [14885 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14885.html
Re: 瓮島
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/09/02 09:12 投稿番号: [14884 / 18519]
新しい見方でしょうか。従来の石島→独島方言説よりは、やや具体的ではありますね。ただ、日本の松島認識について、次のように記しているところはいただけません。
>今韓国の鬱陵島東側4km離れた所に面積6万2千坪,高さ116mの「竹島」或いは「竹嶼島」と呼ばれている島が存在している。この島の状況について韓国宇成企劃出版で出版している<南北觀光總覽>(1992年1月10日,p.613)に,鬱陵島の付属島として土地が肥沃で農作物が育ちやすく,島には3世帯が住んでいると記録されている。従って韓国側の古文献記録の距離と状況から判断して,この鬱陵島の付属島「竹島」こそ,韓国が主張する于山島で,日本が主張する松島である可能性が高い。もし于山島が現在の独島ではないことが立証できれば,日本が主張する松島も現在の竹島(独島)ではないと結論づけることができる。
これは、ちょっとよろしくない。ただ、論文の趣旨時代は大まかには同意できる内容であると思います。
これは メッセージ 14879 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14884.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/02 08:28 投稿番号: [14883 / 18519]
(前の記事から続く)
ここまで書いていて一つ思い着いたことがあるので、お尋ねします。
shuku_remusさんのご主張は、以下の考えを前提にしているように思います。
◎斎藤豊仙は「竹島で経済活動を行なう権利が日本にあることを明確にした取り決めは、日朝間に存在しない」と思っていた。
shuku_remusさんは◎のようにお考えだということでよろしいでしょうか?
一応◎に同意していただけるものとして話を続けます。
斎藤豊仙はどうしてそのように思ったのでしょうか。
現在の我々は、豊富な史料によりそのような取り決めが存在しなかったことを知っています。
しかし、当時外交文書の公開など行なわれる筈がなく、日朝外交に関する詳細は、幕府と対馬藩の関係者のみが知っていることでした。それ以外の者には行政上必要な結論だけが通達された筈です(例えば、竹島一件の結果取り交わされた国書の内容などは知らされず、「竹島渡海を禁ずる」という通達のみを受け取る、など)。
ですから、斎藤豊仙にできるのは、自分の立場で分かる事実から、日朝間にどのような取り決めがあり、どのような取り決めがないかを推測することだけだったでしょう。
では、斎藤豊仙の立場で分かった事実とは何でしょう。
それは少なくとも次のことを含むのではないでしょうか。
「幕府が竹島渡海許可を出したこと」
「竹島渡海事業の開始から40年以上経つが、その間、事業が朝鮮によって妨害された例はないこと」
「竹島に渡った船が暴風で朝鮮に漂着し、乗組員が朝鮮の保護を受けて戻ってきた例があること」
これらに基く限り、日朝間に何がしかの取り決めが存在すると推測することはあっても、存在しないと推測することはないでしょう。
もし、◎が正しいとすれば、斎藤豊仙は上の三つの事実にも関わらず取り決めが存在しないと推測するに足るような別の事実を知っていたことになりますが、そのような事実があるでしょうか。
shuku_remusさんはどうお考えになりますか。
これは メッセージ 14882 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/02 08:27 投稿番号: [14882 / 18519]
(前の記事から続く)
>>>>>>
竹島(現鬱陵島)について、国境をはっきりさせる以外に、地元漁民が安心して漁を
営めるようにする方法(例えば、国境をはなくとも外国と漁業協定する方法)が、当時
あったならばそれも良いと思いますが、私は知りません。te2222000さんは具体的に何か
ご存知ですか。
<<<<<<
私は、当時の漁民は、朝鮮との関係について特に不安はなかっただろうと思っています。
そして、仮に漁民に不安があったことを認めても、郡代は特に不安に思わなかった可能性があります。
「具体的に何かご存知ですか」という質問は、「漁を行なう上で無視できない不安が朝鮮の関係で存在する」ことを前提にしているので、そもそも私には答えられないのですが、敢えて答えれば「何もしないこと」となるでしょうか。
>>>>>>
斉藤豊仙が普通の(ここで"普通の" とは "役割に忠実な")郡代として、地元を
管轄していたならば、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと
推測しています。隠岐郡代を務めたことをもとにした、このような推測は常識的な
推測と思います。
<<<<<<
「大いに」という形容についての判断を保留させてもらえば、概ね常識的な推測だと思います。
ただ、地元漁民と郡代は立場が違うので、地元漁民は安心して漁を営むために、国境の画定が必要だと感じていたが、郡代は不要だと判断したことはあり得ることを指摘しています。
直接に竹島から朝鮮半島を見た漁民と、その報告を聞くだけの郡代とで、緊張感の認識に差があったとしても不思議は無いと私は思いますが、shuku_remusさんの常識では、それはあり得ないことなのでしょうか。
>>>>>>
国代記の冒頭、日本の国境を述べる箇所を読んでの受け止め方を議論しています。
<<<<<<
はい、そうです。
>>>>>>
僅かな(ありもしないような)可能性を論じているのではありません。
<<<<<<
#14873で私の挙げた☆の例は、僅かな可能性しかないとお考えになるのですね。
理由が示されていないので、私はそう思わない、としか答えられません。
理由を書いていただけたら、それについて意見を述べさせていただきます。
(次の記事に続く)
これは メッセージ 14881 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14882.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/09/02 08:26 投稿番号: [14881 / 18519]
(前の記事から続く)
>>>>>>
#14845でも述べましたが、竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては
推測であることに変わりありません。te2222000さんとの議論を通しても、#14614と
現在とで、私の中で推測が確信に変わったとか、そのような変化はありません。
te2222000さんからの#14842では、私は「相当に自信のある書き方」とのことでしたが、
自信があるかどうかについて、私の中では「未だ何とも言えない」ということです。
<<<<<<
どうも、私の質問意図とshuku_remusさんの回答のずれが埋まらないので、この件の経緯を私の観点からまとめてみますね。
まず、shuku_remusさんが#14614 と #14842 でお書きになった記述を比べると、以下のように「想像の想像」と前置きを入れる表現から、特に前置きは入れずに「推測が可能」と言い切る表現に変わっていました。
(#14614)>>>>>>
これ以上は想像の想像ですが、私は ② でないかと
思っています。
<<<<<<
(#14842)>>>>>>
隠州視聴合記 国代記の冒頭の記述と、隠岐
郡代を務めたとの斉藤豊仙の経歴、及び若干の時代背景から、上記の推測が
可能です。
<<<<<<
私は、この変化はshuku_remusさんの中の自信の度合いを反映していると考え、そのことを述べました(#14843)。その時に私の書いた「相当に自信のある書き方」という表現にこだわっていらっしゃるようですが、これは「以前の『想像の想像』という表現に比べ」という言葉を補ってご解釈下さい。
さて、私の予想に反して、shuku_remusさんは
#14845 で「竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては推測であることに変わりありません」とお答えになりました。
そこで私は、ひょっとすると『推測であることに変わりないが、「“想像の想像”という全く自信の無い推測」から「ある程度は自信のある推測」に変わった』というのがshuku_remusさんの主張なのかなと思い、#14861 で次のように尋ねました。
(#14861)>>>>>>
#14614 でお書きになった「これ以上は想像の想像ですが」という認識は、現在も変わっていないという意味に理解してよろしいでしょうか。
<<<<<<
それに対するshuku_remusさんのお答えは、これまた私の予想に反して「それでよいです」でした(#14861)。
そこで次に私は、「想像の想像」という言葉に対するイメージが私とshuku_remusさんでは異なっているために、認識が違ってくる可能性を考えました。
そこで、私の持つ「想像の想像」という言葉のイメージが、shuku_remusさんの持つイメージとずれているかどうかをお尋ねしました。それがこの質問です。
(#14862)>>>>>
私は、#14614 で「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズを読んだ時、普通なら「これ以上は想像ですが」と書くところ、このように想像であることを強調しているということは、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に弱いものであるとご自分でもお考えなのだろうと思いました。
この私の受け取り方は shuku_remusさんの意図とずれていたのでしょうか。
<<<<<<
これは純粋に日本語表現についての質問とご理解ください。
shuku_remusさんが「想像の想像」という言葉を書いた時のイメージと、私がそれを読んだ時のイメージに相違があるのかどうかを確認するための質問です。
ご回答よろしくお願いします。
(次の記事に続く)
これは メッセージ 14880 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14881.html
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