竹島

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異議の前に

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/06/04 12:21 投稿番号: [14560 / 18519]
はやく、大韓帝国や李朝の実効支配の証拠出せよ。

「島根県竹島報告書」に異議あり7

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/06/04 09:29 投稿番号: [14559 / 18519]
  SCAPIN 677というのは、連合国総司令部覚書第677号のことで、一九四六年(昭和二十一)一月二十九日に発せられた「若干の外部地域の日本からの政治及び行政上の分離に関する総司令部覚書」である。そこでは朝鮮関係でいえば欝陵島、済州島とともに、竹島が日本の主権の及ぶ範囲から除かれることになる。さらに同年六月二十二日の SCAPIN 1033「日本の漁業及び捕鯨業の許可区域に関する件」でも、いわゆるマッカーサーラインによって、竹島は日本の海域から除外されることになる。この1033については、平和条約発効の三日前に廃止されるが、677については特別な措置はなかった。しかし占領行政の終了とともに、すべてが廃止されると理解すれば、塚本がいうように、日本に残されたと解釈することもできなくはない。このことについて外務省ホームページでも、「いずれもその文書の中で日本国領土帰属の最終的決定に関するものではないことを明記しており、竹島を日本の領土から除外したものではないことは明白である」と記す。
  しかし韓国側では、独島(竹島)についての明示的な規定があるのは、SCAPIN 677だけであり、平和条約で日本領に編入すると規定されていない以上は、日本から分離したことには変りはないと反論している。
  そのこともあってか、一九四七年(昭和二十二)三月の対日平和条約第一次草案では、竹島は日本が放棄するものとされ、その位置づけは、一九四九年(昭和二十四)十一月の第五次草案まで変らなかった。それが同年十二月の第六次草案で、竹島は韓国領ではなく、日本領とするように改められたのである。ここでの改変が、どうして行われたのであろうかということが問題である。きっかけは、総司令部外交局長シーボルトが、アメリカ国務省に対して竹島の再検討を勧告したことからである。そこでは「この島に対する日本の領土主張は古く、また正当であろう」と述べた上で、「安全保障上、気象観測上、レーダー局を島に設置する必要がある」と付言していたのである。
  一九四九年(昭和二十四)九月には、ソ連が原爆保有を発表、つづく十月には中国共産党による中華人民共和国が創建されるなどして、極東地域における米ソ対立の冷戦構造は一挙に激化することになる。そうした情勢のなかでの、アメリカによる竹島の役割についての再検討であった。竹島にレーダー局は設置されなかったが、一九五〇年(昭和二十五)六月の朝鮮紛争勃発後の七月には、在日米軍の海上爆撃演習場に指定されるのであった。
  この間、日本政府のアメリカに対する働きかけが、竹島の日本固有領土であるとする説明で進められる。竹島について、朝鮮の一部であったこともなければ、朝鮮から領土主張がなされたこともないとアメリカが述べているのは、もちろん日本の主張の受け売りである。もとより、それを韓国側が了承するはずもない。
  問題は、一九四九年(昭和二十四)十二月の第六次草案で、日本が保持する領土に竹島を加える修正が行われたが、それがそのまま平和条約に反映されたわけではないということである。一九五一年(昭和二十六)四月のイギリス案では、経度緯度により線引きをして日本が保持する島を特定する方式がとられ、竹島はその線の外側、すなわち韓国側に位置づけられていたのである。この案を支持していたニュージーランドは、「主権紛争を残さないようにすることを確保する必要性」を主張していた。しかしアメリカはこれに反対し、日本が主権を放棄する領域だけを挙げることで連合国の合意をとりつけ、最終案をまとめたのである。そのためもあってか、竹島については何らの記述もされなかった。
  竹島を明確に日本領としようとした日本の要求は認められなかったのである。一方、平和条約の非調印国である韓国も、独島(竹島)を韓国領とするようにアメリカに働きかけをしていたが、この韓国の要求も実現しなかった。アメリカは、日本領と断定しなかったことで、韓国にも配慮したというわけである。
  要するに、対日平和条約に竹島についての言及がないのは、アメリカが仲島(独島)   の領有権について決着させないで、意図的にアイマイにした結果であるといってよい。外務省の川上健三が「未解決地域の一つ」になったとする所以である。
  したがって、報告書がいうように、国際法の原則が、領土問題は平和条約によるものとしても、平和条約に何らの記述もないものを「竹島が含まれたと読み解くのが適切である」などと、勝手な解釈をするのは如何かと思われる。まさに未解決のままで残されている問題というべきであろう。
(了)

「島根県竹島報告書」に異議あり6

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/06/04 09:28 投稿番号: [14558 / 18519]
三   近代から現代へ

  一九五二年(昭和二十七)四月二十八日に発効した対日平和条約の領土條項には、竹島についての記述がない。したがって、領十問題の最終決定は、平和条約によるのが国際法の原則であるといっても、何らの記述がないために、竹島(独島、リアンクール岩)については、日韓両国でそれぞれ異なる解釈をする。
  報告書は、竹島については何らの記述がないから、日本領になったという立場である。外務省のホームページでは、日本固有の領土である竹島は明白な日本の領土であるということからか、特段の言及はしていない。ただし竹島を日本の領土から除外した連合軍総司令部覚書第677号、日本漁船の操業区域をマッカーサラインの外側においた第1033号は、ともに領土帰属の最終的決定に関するものでないことを記している。
  だがしかし、かつて外務省条約局にあって五十年前の竹島論争の先頭に立っていた川上健三は、一九六六年(昭和四十一)刊行の著書の「あとがき」において、対日平和条約は「極東における秩序の安定を目途」とする方針であったにもかかわらず、領土については「その方針が明確に貫かれているとはいえず」であり、その結果として、竹島は「未解決地域の一つ」になってしまったと述べていた。
  そして川上は、「連合国の善意と良識に期待」しながら、日本政府の主張を実現して、竹島の問題を解決したいという願望を述べるのであった。この年は日韓基本条約が成立した時である。竹島問題をタナ上げした上での結着であったから、川上としても「未解決地域の一つ」といったものと思われる。
  次いで研究会にも招かれていた国立国会図書館の塚本孝も、一九八三年(昭和五十八)の論文では、「竹島に関する明文規定がなく、そのいずれが正統であるか直接的な証拠を欠く」といっていた(『レファレンス』389号)。しかしその後、アメリカ国立公文書館で関係史料を調査することを通じて、一九九四年(平成六)には、「平和条約上は竹島が日本の保持する島として確定した」と述べるに至る(『レファレンス』平成六年三月号)。そしてさらに「竹島が本来日本の領土であるとすれば分離されるいわれはなく、関係条文に竹島への言及がないことは、SCAPIN 677の規定との対比において、同島が当然に日本に残されたと解するを相当する」と述べるのである(同上論文)。
  塚本がいうように、竹島が日本の固有領土であれば分離されることはないということで、前述した川上らによる固有領土論を実証するための研究が進められ、日本政府の公式見解をつくってゆく。しかし今や固有領土論の破産が明らかになっていることは、本稿で前述した通りである。
(つづく)

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/06/04 09:26 投稿番号: [14557 / 18519]
「此州」を手っ取り早く「この島」しているのと思いますが、「州」は「島」ではなく
雲州(出雲国),伯州(伯耆国),石州(石見国)のように「国」(地域)として用い
られます。それでは本文のこの箇所で「此州」とは何を(どこを)指しているか。

(a)「此州」は「隠州」を指し、「隠州」は「竹島および松島」を含まない。
(b)「此州」は「隠州」を指し、「隠州」は「竹島および松島」を含む。
(c)「竹島および松島」よりなり「日本の北西に位置する名無しの地域」を指す。

約1年前に活発な議論がありました。私は(c)の意見でした。当時と別の切り口ですが

上記(a)は「俗言磯竹島多竹魚海鹿」を前にしてみすみす「竹島および松島」をあきらめる
とは信じられないので没。
上記(b)は幕府の許可なく勝手に「竹島および松島」を藩領には組み入れられないので没。
上記(b)に出来ないので、止むなく、上記(c)幕府の領地(日本)として申し立てしたもの
と思います。

斉藤豊仙の狙いは、松島(現竹島)だけについてですが、それから200有余年後に
中井養三郎によって実行され、漸く島根県への編入が実現されたことに繋がるものと
想像しています。

                          shuku_remus

Re: 石島は観音島か

投稿者: jaian918 投稿日時: 2006/06/04 01:25 投稿番号: [14556 / 18519]
>勅令に基づかない用語を使うというのはいかにも不自然であり、したがって、もともと勅令の「石島」は竹島(独島)を指すものではなかったと思うのです。
感覚的には非常に共感するものがあります。(石島=観音島かどうかはわかりませんが)

敢えて可能性の話をすれば、郡主があまりそういったことに拘らない人だったという可能性はゼロとは言い切れないでしょうね。
http://www.archives.go.kr/gars/dokdo_home/popup_view.asp?seqno=1&lgubun=1&mgubun=1&sub_page=13
この資料が信頼できるものだとすると、自分のことを郡守ではなく島長と言ってるみたいですし(笑
まぁどちらにしても、報告した本人は勅令を根拠に「本郡所属独島」という表現を使ったわけではないでしょうね。

Re: Re/Re: 石島は観音島か

投稿者: jaian918 投稿日時: 2006/06/04 00:42 投稿番号: [14555 / 18519]
>『日本地理風俗大系17』(新光社, 1930)所載の鬱陵島の地図には、観音島対岸の本島側突出部に「鳥項嘴」という地名が記されています。

そういう地名があった事は初めて知りました。紹介ありがとうございます。
「鳥」といってすぐ思いつくのは、観音島が『鳥島』とも呼ばれているらしいことですね。(確か、初期開拓者のKimさんだかが、台風かなにかで取り残された時に鳥を食べて生き残ったとか)   半月城さんによるとアホウドリの類縁の鳥らしいですね。

>「島」と「鳥」の字は関係がありますから、「島項」は「鳥項」、或いは逆に「鳥項嘴」は「島項嘴」だったかもしれません。
島と鳥の関係について、もう少し教えていただければ助かります。よろしくお願いします。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』悪魔の証明

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2006/06/03 23:34 投稿番号: [14554 / 18519]
  te222000さん

  このトピ離れていたものですから、ご返事遅れました。

  池内敏:前近代竹島の歴史学的研究序説-「隠州視聴合紀」の解釈をめぐって-「青丘学術論集第25集」、P.147〜184、財団法人韓国文化研究振興財団発行を読み返してみましたが、
 
フェルマーの最終定理とか、一般相対性理論のように純粋理性による明快な論理的数理的証明とかとはいかないでしょうね。

  いくら頑張っても鋼の錬金術師の等価交換といったところでしょうか。

  隠州視聴合紀   (松江藩士・斉藤豊仙著   1667年)
隠州在北海中故云隠岐島、・・・従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、「俗言磯竹島多竹魚海鹿」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣.

  ♪然則日本之乾地が前の此二島を承け、以此州為限矣 で納める。当然州(しま)とよみます。♪

  あたしなら、鋼の錬金術師の等価交換並みに、この解釈をあげるけど。
ピタゴラス派のように自然数教信徒になるみたいなのは御免ですから、もうこの話はやめます。

Re: 石島は観音島か

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/06/03 22:45 投稿番号: [14553 / 18519]
  初めて書き込みます。
  勅令41号の「石島」は観音島のことだと思います。そう思う理由を一つ書きます。
  韓国側の言うように「石島」が竹島(独島)だとすれば、以下のことが不自然に思えるのです。

  1906年3月、鬱陵郡守沈興澤は、鬱陵島を訪れた島根県官吏から竹島(独島)が日本に編入されたことを聞かされ、「本郡所属の獨島は本部外洋百余里にあるが・・・・・・獨島がこのたび日本領地に編入されたので・・・・」という報告書を書いたという。

  勅令では「石島」であり、大韓帝国皇帝は郡主に「石島」の管理を命じている。それが外国から奪取されたという一大事に、公式の「石島」と書かずに方言に基づく(らしい)独島と書いた報告を提出するものだろうか?

  勅令に基づかない用語を使うというのはいかにも不自然であり、したがって、もともと勅令の「石島」は竹島(独島)を指すものではなかったと思うのです。

Re: 竹島

投稿者: rbykk 投稿日時: 2006/06/03 22:12 投稿番号: [14552 / 18519]
なんというか、つまらない話題だ。チョン相手に対等に会話しようとする事からしてすでに
間違っているんだよ。
強制撤去しなさい。強制撤去。不法占拠しているんだからこれって当たり前のことなのだよ。
以上。

Re: Re/Re: 石島は観音島か(追加)

投稿者: jaian918 投稿日時: 2006/06/03 13:19 投稿番号: [14551 / 18519]
鬱陵島検察日誌   http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/lee_diary.htm
で   to-hang(島項,seom-mok)という書き方がされていることから、
固有語のソンモク→漢訳して島項
という流れだと推定されます。他の(鬱陵島沖合いの)竹島なんかの書き方からもそのように判断し、「ソンモク」の呼び名が先にあって「島項」となったと考えていいと思います。
また、漢訳に「項」の字を当てていることから、少なくとも漢訳した人はmokを「うなじ,首」の意味にとっていた可能性が高いように思います。

新資料発見?1793年『松島に石碑を立てる』

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2006/06/03 11:40 投稿番号: [14550 / 18519]
ソウル大学の古文書データべースのHPで驚くべき文献を発見しました。
1793年に書かれた『召見 輪對官 于 熙政堂 』という題の文章で
李福休という人物が朝鮮国王に対して松島(竹島の旧名)について語っています。

私の考えではこの文献に載っている鬱陵島の外側にある松島という名前の島は昔の于山国です
新羅の智證王の時異斯夫(新羅の将軍)が木で造った獅子で脅して島の住民を降服させました
今もし松島に石碑を立てて異斯夫の業績を書きしるせば、この島をわが国の土地とすることができます

http://kago-ai-chan.net/uploader/img/naver5996.gif

松島は于山島であるとは書いていないのでこの『蔚陵外島其名松島』が本物の竹島なのかチュクト・観音島を指しているのかはよくわかりません。
竹島に大勢の人が住むことは不可能であり于山国であるという推定は勘違いでしょう。
しかしもしはっきりと竹島とわかる島に実際に石碑をたてたという記録が見つかれば韓国側に有利になると思われます。
私の調べた限りでは実際に石碑をたてたという記録は見つかりませんでした。

http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/YDG/ILS_CONTVIEW.jsp?setid=97870&pos=0&ptype=class&subtype=ils&lclass=year&mclass=1700&year=1793&month=10&day=1

新資料発見?『于山島が鬱陵島の北に ある』

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2006/06/03 10:20 投稿番号: [14549 / 18519]
ソウル大学の古文書データべースのHPで『于山島が鬱陵島の北に ある』と書かれている文献を発見しました。

四月初七日到泊于本島遍審島形則左有 黄土窟 右有 屏風石
自 黄土 仇味 至中峯似近三十里
而群峯崎屹泉水芿冽間有人家居址可田可?爲四十餘石落傍有 香木亭
而有香木之斫置者又有可支魚皮捉置者此是潛船之所爲
北向十餘里矗石特立於大洋之中中有通船之孔名曰 孔巖
轉向 錐山巖 巖形果如立錐南有天底 仇味 谷口 深邃爲十餘里
北有 于山島 周回爲二三里許南至都庄 仇味 深入 谷口 則有竹田而多

http://kago-ai-chan.net/uploader/img/naver5995.gif

この文献は1807年5月12日に朝鮮の役人が鬱陵島を調査した結果を国王に報告した時のものです。
于山島が鬱陵島の北に あると書かれており、鬱陵島の東南に位置している竹島(独島)とは別の島であるのは明らかです。
この于山島はおそらく鬱陵島の東北に位置しているチュクド(竹嶼・韓国名竹島)または観音島でしょう。

http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/YDG/ILS_CONTVIEW.jsp?setid=98039&pos=0&ptype=class&subtype=ils&lclass=year&mclass=1800&year=1807&month=5&day=12


鬱陵島圖形 という名前の古地図の解説で、于山島の部分に『海長竹田所謂于山島』と書かれているのを発見しました。
どうやら于山島には竹が沢山生えているようですが、竹島(韓国名独島)に一本の竹も生えていないのは周知の事実であり、
この于山島はチュクド(韓国名竹島)で間違いないでしょう。

http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/MOK/CONVIEW.jsp?type=MOK&ptype=list&subtype=sm&lclass=&mclass=&sclass=&ntype=hj&cn=GK12166_00


さらに與地図の解説で興味深い記述を発見しました。機械翻訳にかけると以下のとうり。

右側にある 于山島は多くの人によって現在の 独島に認識されたりするが明らかではない.
鬱陵島本島周りにある小さな島の中で最大の観音島や竹島(チュクドのこと)を示すこともできるからだ

この文章をかいたのは李棋峰という人ですが、韓国にも良心的な学者さんがいらっしゃるようです。
http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/GZD/GZD_JIMYUNGS.jsp?setid=231437&pos=4&ptype=class&subtype=yj&lclass=02&mclass=06&sclass=GM33496IL0006_104.jpg

Re: Re/Re: 石島は観音島か(追加)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/03 09:10 投稿番号: [14548 / 18519]
うっかりしていましたが、李奎遠の検察日記にも観音島を指すものとして島項の名が出てきますが、これについても同様に、島の名前そのものであるのではなく、この地域のことを島の人がそう呼んだということから李奎遠がその名を用いたのではないかと、勝手な解釈を個人的にはできないかと思っています。

漢文による日記において、現地の人々の呼ぶ固有表現は記しがたく、それを避けてその地域をさす漢字名称を記した可能性も考えられないかと。

恣意的解釈ではありますが、私にはどうも感覚的に島項が島の名前とは思えないのです。むしろ、そのあたりの地域や、地名ではなかったか(水域でも構いません)と。その名残が今も「ソンモク」という地名に何らかの関連があるのではないかと。

資料的にはなんら裏づけがありません。ただ、いろいろと想像力を働かせてみるのもいいかと思います。石島を独島と結びつけるのも、一種の想像力に過ぎませんし。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』 証明

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/06/03 01:55 投稿番号: [14547 / 18519]
田中さん

>>>
te2222000さんの主張も一定程度理解出来ます。
当HPに2つの解釈がある旨、掲載しました。
>>>

一定のご理解をいただきありがとうございます。
ホームページの内容は、まだ私の考えと開きがありますが、それを一々指摘してもこれまでの繰り返しになるので省きます。

ただ、これまでとは別の観点で気になったことがあります。それは次の記述です。

( http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/5occupation.html より )
>>>
(1) 隠州(隠岐島)は北海中(日本海)にある
(2) これより南、雲州(島根県東部)美穂関まで35里。東南、伯州(鳥取県西部)赤崎浦まで40里。南西、石州の温泉津(ゆのつ)まで58里。北から東には行くべき地なし。
(3) 北西の間、二日一夜の所に松島(現・竹島)があり、また一日程行くと竹島(現・鬱陵島)がある。
(4) 俗に磯竹島という。竹・魚・アザラシが多い。

(5) これら2島は無人島で、高麗を見るように雲州より隠州を見るようである。
(6) ならば即ち、日本の北西の地、この島をもって境とする。

「この島」の解釈
この隠州視聴合記は隠岐島を中心に、東西南北何があるかが書かれている。 ソウル大学社会学部のシン・ヨンハ教授は、上記の文章から(2)と(4)を抜き、(1)と(3)(5)を結んで、(6)の「この島」を隠岐島のことと解釈した。
<<<

どうもシン・ヨンハ教授を貶めようとする意図が感じられ、客観性に欠ける表現に思えます。

シン・ヨンハ教授は(1)から(6)までを通読して「この州」を隠州と解釈したが、引用に当っては論旨が明瞭になるよう一部省略した、と考えて何故いけないのでしょうか。


ちょっと話を変えますが、田中さんは #14492 で以下のような要約を示されましたよね。

>>>
「北西方面に二日行ったら竹島があって、更に一日行くと鬱陵島がある。俗に磯竹島って呼ばれていて、竹、魚、アザラシが多いんだよね。じゃ、この島が国境だよね」
<<<

これに対し私は #14510 で、「此二島無人之地」を無視している点が問題であることを指摘しました。しかしだからといって、次のように書いたらどう思われますか?

=========
田中氏は、上記の文章から(5)を抜き、(3)(4)と(6)を結んで、(6)の「此州」を鬱陵島のことと解釈した。
=========

私は、このような記述は不適切だ思います。
田中さんは(1)から(6)までを通読して「此州」を鬱陵島と解釈したが、要約に当っては論旨が明瞭になるよう一部省略した、と私は考えています。#14510の批判もそういう観点で書いたつもりです。

シン・ヨンハ教授の文章も同じだと思うのですが…。

ちなみに、シン・ヨンハ教授の「新東亜」1996年4月号掲載論文での引用は、ご指摘の通り「(1)(3)(5)(6)」ですが、同じ年に発表された「独島、大切な韓国領土」では、(4)の割注も含めて「(1)(3)(4)(5)(6)」という引用をしています。

そして、この「(1)(3)(4)(5)(6)」という引用は、川上健三「竹島の歴史地理学的研究」でも全く同じ形でなされており、取り立てて捏造あるいは改竄と非難されるものではありません。


最後に、因数分解による証明はお遊びで書かれたものだと思うので特にコメントはしません。「遊びではない。正式な論考として発表したものだ」というのであれば、その旨お知らせください。改めて私の意見を書かせていただきます。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』悪魔の証明

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/06/03 01:32 投稿番号: [14546 / 18519]
kana_ikeuchiさんは、私の記事を次のように引用しました。

>>>>>>
te222000氏の証明・・・・・♪

>隠州視聴合紀の文章全体を検討すると、島を指すのに「此州」という言葉が使われることはあり得ないことが分かります。

>隠州視聴合紀では、一度言及した島を指す場合に「此」「其」「此島」「此嶋」が使われ、「此州」が使われる例はないことも述べておきます。
<<<<<<


しかし、私は #14510で次のように書いています。

>>>>>>
隠州視聴合紀の文章全体を検討すると、島を指すのに「此州」という言葉が使われることはあり得ないことが分かります。

  理由は #10267 の 3.3をご覧ください。
またそこで挙げた以外に、隠州視聴合紀では、一度言及した島を指す場合に「此」「其」「此島」「此嶋」が使われ、「此州」が使われる例はないことも述べておきます( #9653 )
>>>>>>


kana_ikeuchiさんは、2行目の「#10267 の 3.3」の個所を省きましたが、そこに書いた内容は、私の主張の最も重要な根拠になっています。それを無視して私の証明を云々することは意味がありません。

念のため「#10267 の 3.3」を再掲します。

>>>>>>
【3.3   隠州視聴合紀の他の個所における「此州」の使われ方】

巻二・周吉郡・上西村、および巻二・周吉郡・蛸木浦の節では、隠州という言葉が全く出てこないにもかかわらず、「此州」が隠州の意味で使われています。まして「隠州は北海中にあり」で始まり、常に隠州の地理が主題となっている国代記地理部の文脈で「此州」が隠州以外のものを指すとは考えにくいです。

特に蛸木浦の節では、上記に加えて、直前に松島という島名が現れています。それにもかかわらず、「此州」が松島ではなく隠州を指していることを考えれば、国代記地理部の文脈における「此州」が竹島を指すことはほとんどありえないでしょう。

○詳細
#9651 「隠州視聴合紀「州」の用法と解釈 (4/7)」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9651

#9652 「隠州視聴合紀「州」の用法と解釈 (5/7)」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9652
<<<<<<

Re: Re/Re: 石島は観音島か(追加)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/03 00:53 投稿番号: [14545 / 18519]
>もちろん、この地名が古い時代からあったという確証はありませんが、この地域にこうした呼び方が何らかの形であったのではないか、それが「島項」の名と一定の関係があるのではないか、との推測はあってよいかと思うわけです。

こうした私の考え方においては半月城さんの「水域」との考え方もまったく排除するものではありません。それでもなんら論旨(推測ですが)は変わりません。

現在はソンモクは船着場として地上の地名ですが、その名称の原点が水域にあるということはいくらでもありうることでしょう。要はそのあたりにそう呼ばれた地域があったということです。

私が個人的に考えることの中心は、あくまでも島項という名称が観音島そのものを指したわけではないのではないか。そのこと(漢字語による朝鮮式名称が観音島に一定したものがなかったこと)は、「石島」という名称の突然の登場に関係しているのではないか、ということです。

Re: Re/Re: 石島は観音島か

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/03 00:37 投稿番号: [14544 / 18519]
あくまで推測でものを言うのを許されるのであれば、という程度の話で書きましたので、あまり資料の裏づけは検討していないものです。「教示」などとんでもありません。

>「島項」と日本領時代の「鳥項嘴」及び現代の地名

これについてはまったく知識がありません。ただ、私が感じられるのはどうも島項という名称はどうも観音島そのものを指したわけではないのではないか、という疑問です。この一帯になにかそうした呼び名があったのではないかと感じます。

>「ソンモク(島首)」或いは「Seom mok(島の喉)」(No.1619)とは、どのような関係があるのでしょうか。いろいろご教示下さい。

ハングルでは同じものです。私はseom mokについて「島首」と訳語をつけだだけの話で、半月城さんは「島の喉」としたわけです。mokには首・喉それぞれの意味がありますから、どちらでもかまいません。ただ、私はこの名称を本島の一部分(陸地)と考えるので、首のほうにしました。

半月城さんはご指摘の書き込みで以下のように書いていらっしゃいます。
------------------------
観音島と鬱陵島との間の 100m たらずの狭い水域は Seom mok すなわち「島の喉」と呼ばれています。これはその水域に両島の崖がせまって喉のような景観をなすことから命名されました。つまり、観音島は鬱陵島とほとんど一体同然に見なされていたわけです。こうしたことから勅令41号ではことさら観音島の名を明記せずに「鬱陵島全島」という表現に含めたとみられます。
------------------------
このように「水域」と理解するのであれば「喉」という訳語が適当でしょうね。しかし、あいにく私は半月城さんが「水域」とすることについて知識がなくなんとも申し上げようがありません。このように書かれるからには何らかの資料があるのでしょうが私はその出展をよく知りません。(鬱陵島外図を見ると他の島の記述方法とは違って観音島の二つ(?)の島の間の「水域」に島項と記されています。これも興味深いですね。)

なお、私が本島の観音島につきでた部分にソンモクという地名があるとしたのは、鬱陵島の地図を見れば確認できることで、どうやら、ネットで確認したところ船着場として利用されているようです。手軽なところでは、以下の地図の「ソンモク」をご確認ください。

もちろん、この地名が古い時代からあったという確証はありませんが、この地域にこうした呼び方が何らかの形であったのではないか、それが「島項」の名と一定の関係があるのではないか、との推測はあってよいかと思うわけです。

http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/simulate.html

Re/Re: 石島は観音島か

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/06/02 23:10 投稿番号: [14543 / 18519]
jaian918さん
日本語による観音島の詳しい紹介を有難うございました。半月城さんがNo.1619で一部紹介されましたが、改めて、観音島が「野生植物の天国」である一方、「柱状節理の美しさと雄壮さ」をも併せ持つことが良く分りました。感謝します。

ahirutousagi2さん
島項についての見解有難うございます。大変興味があります。

>私は観音島をあらわす島項について、これは実は島の名ではなく、本島側の出っ張ったところ、首のような部分の地名ではなかったかという想像をしています。島の名前としては異質であり名が体を現していないこと、そして、実際にたしか本島側のその場所に「ソンモク(島首)」という地名が現在もあったかと記憶しているからです。

『日本地理風俗大系17』(新光社, 1930)所載の鬱陵島の地図には、観音島対岸の本島側突出部に「鳥項嘴」という地名が記されています。「島」と「鳥」の字は関係がありますから、「島項」は「鳥項」、或いは逆に「鳥項嘴」は「島項嘴」だったかもしれません。同書の写真では、観音島に向かって突き出た様子が確かに鳥の「くちばし」の感じがします。しかし、「鳥項」(鳥の頭の後ろ)については、そのような感じがしないでもないですが、よく分りません。

「島項」と日本領時代の「鳥項嘴」及び現代の地名「ソンモク(島首)」或いは「Seom mok(島の喉)」(No.1619)とは、どのような関係があるのでしょうか。いろいろご教示下さい。

Re: こんな嫌がらせしても効果ないぞ

投稿者: joe_japan_joe 投稿日時: 2006/06/01 23:56 投稿番号: [14542 / 18519]
根県HPに大量アクセス   竹島問題で反発か

  島根県のホームページに韓国のIPアドレスから日に200万回を超す大量のアクセスがあり、一時つながりにくくなるなど障害が出ていたことが1日、分かった。県はサイバーテロの可能性があるとみている。
  「独島(竹島の韓国名)は韓国の領土」という内容のメールも大量送信され、竹島問題をめぐる反発が背景にあるとみられる。
  県情報政策課によると、5月31日午前9時ごろから、多いときで1秒間に100回近くのアクセスがあり、同日のアクセスは計約210万回と前日の約130倍に上った。
  また31日午前9時45分ごろから約10分間、同じIPアドレスからメールが県に約1100件送信された。「独島は韓国の領土だ」などと日本語、ハングル、英語で書かれていた。
(共同通信) - 6月1日20時2分更新
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ひでーな。韓国人らしいやり方だね。陰険極まりない。
こういうやり方とか、切腹騒ぎとか、ほんとに火鬱病だな。
野球のWBCの時も、負けた後で、普通の感覚なら絶対できない恥ずかしい事言い出す始末。
「正々堂々」とか、「誇り」とかって言葉はハングルにはないのか?

こんな嫌がらせしても効果ないぞ

投稿者: beelzebuth444 投稿日時: 2006/06/01 23:05 投稿番号: [14541 / 18519]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060601-00000200-kyodo-soci

Re: オフトピ 韓国選挙について

投稿者: neo_takeshima100nen 投稿日時: 2006/06/01 19:54 投稿番号: [14540 / 18519]
慶北の知事も かわったようですね。
#ハンナラ新

島根県は どう動くかな。

Re: 石島は観音島か

投稿者: jaian918 投稿日時: 2006/06/01 19:52 投稿番号: [14539 / 18519]
本来、島項(ソンモク)=現在の観音島ではないというご意見には賛同します。
http://www.gbtour.net/Nadri/EsResource_view?p_resource_no=12024
(韓国語)
http://home.gyeongbuk.go.kr/Nadri/EsResource_View?p_resource_code=ZEC&p_resource_code2=ALL&p_lang_code=JPN&p_startpage=1&p_currpage=1&p_resource_no=12024&p_textquery=&p_sigun_code=UL
(日本語)
ここでも、ソンモク(島項)は島ではありませんよね。

また、「鬱陵島外図」http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/utsugaizu.html
では、「島項」の外側にまだ、岩か島が描かれているのも気になりますね。

李杢遠が島の名前として「島項」としてあげてるのは「間違えだったんじゃ」と思いたくなってしまいますね。

オフトピ 韓国選挙について

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/06/01 00:09 投稿番号: [14538 / 18519]
拉致問題の解決には安倍政権の誕生と、ハンナラ党が与党になることです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060531-00000015-yom-int
盧武鉉政権(ウリ党)は左翼政権ですから。

金泳三元大統領も現在の政権は良くないと言っています。
http://kamomiya.ddo.jp/Library/Now/HT_0528.wmv

小泉さんが尊敬する政治家はチャーチルだそうですが、私が最も尊敬する政治家は、現在のハンナラ党党首の父上様、つまりパクチョンヒ元大統領です。彼との出会いは私が18歳の時でした。詳しい経緯はここでは話しませんが。

Re: 石島は観音島か

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/05/31 23:23 投稿番号: [14537 / 18519]
推測が許されるのであれば、あくまで個人的な意見で申し上げると、私は観音島をあらわす島項について、これは実は島の名ではなく、本島側の出っ張ったところ、首のような部分の地名ではなかったかという想像をしています。

島の名前としては異質であり名が体を現していないこと、そして、実際にたしか本島側のその場所に「ソンモク(島首)」という地名が現在もあったかと記憶しているからです。

当時、住民たちが呼んだ固有語の何らかの呼び名はあったはずですが、あるいは政府が用いるような漢字表現としての正式の固定した韓国名称はこの島に対しては存在しなかったのではないか。したがって、それに対応すべくさしあたり石島という名称を探査に当たった当局者が一旦は名づけたのではないか、という見方です。

地図との整合性の問題などさらなる検討は必要ですが、島項という名前を観音島につける必要は感じられず、むしろ、その首の部分が本島部分にあたるのであり、頭の部分、すなわち観音島はその信仰的な対象として「観音」たりえもしたのではないか、という気もします。単なる想像ですが。

『りゃんこ島領土編入並に貸下願』

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/05/31 23:11 投稿番号: [14536 / 18519]
竹島が日本領であるか否かの決定的な証拠は、日本政府の閣議決定及び島根県公示ですが、そのきっかけを作った中井養三郎の『りゃんこ島領土編入並に貸下願』です。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/5occupation1904liancourt.html

サッカーに例えるなら、シュートして得点を入れたのは政府だが、アシストしたのは中井養三郎ということになります。

ところで上記アドレスの下から2番目の写真は、何と書かれてありますか?私には下記までしか分かりませんでした。


島己第五号
島根県西郷町中井養三郎より、りやんこ島領土編入並びに貸下の件、???右に関し????

明治三十七年十月十五日

内務次官 山縣伊三郎

外務次官???

『隠州視聴合記』 半月氏とホリエモン

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/05/31 23:02 投稿番号: [14535 / 18519]
検察の調べで、ホリエモンはこう言ったといいます。
「ケイツネ50の方がかっこいいじゃん」
「いいんだよ、強気、強気」
「これでやるしかない。やるしかないよね」

これを半月氏に当てはめるとこうなります。
「この島の解釈が隠岐の方が韓国に有利じゃん」
「いいんだよ、強気、強気」
「この解釈でいくしかない。いくしかないよね」

Re: カタカナのルとクはとっても違いますが

投稿者: neo_takeshima100nen 投稿日時: 2006/05/31 20:47 投稿番号: [14534 / 18519]
獨→蜀→石

なんてね。

Re: 石島は観音島か

投稿者: jaian918 投稿日時: 2006/05/31 19:56 投稿番号: [14533 / 18519]
>本文では、なぜか「亭石浦を「ちょんぽどん」と発音をするようです」となっています。
「チョンポトン」の記述があるのは奥原碧雲『竹島及鬱陵島』ではなく「韓国水産誌」の方みたいですね。

奥原碧雲『竹島及鬱陵島』で違和感があったのは、現在の「観音島」が「観音粼」と記載されていることですね。鬱陵島検察日誌の島項(固有語でSeom-mok?)といい、島扱いされていない(^^;

石島=観音島というには、いくつかのブレークスルーが必要でしょうね。

そういう状況を踏まえると   henchin_pokoider01 さんの「岩っぽい島々総称」ってのには誘惑されてしまいます(^^;
そういった使用例があれば、多分賛成しちゃうでしょう。

Re/Re: 石島は観音島か

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/05/31 11:16 投稿番号: [14532 / 18519]
henchin_pokoider01 さん

お答え有難うございました。

私も「石島」が鬱陵島付近の植生に乏しい小島の総称ならば異存ありません。

Re: 竹島

投稿者: komattakomao 投稿日時: 2006/05/31 03:48 投稿番号: [14531 / 18519]
今日のニュースです。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060531k0000m040159000c.html?&notification_id=18814&message_id=18814

Re: よく分かる『隠州視聴合記』 証明

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/05/31 01:40 投稿番号: [14530 / 18519]
te2222000さんの主張も一定程度理解出来ます。
当HPに2つの解釈がある旨、掲載しました。
2つの解釈が出来るのは当然で、隠州視聴合記は句読点や段落が無いからです。


下記、[1、2]と[3、4、5、6]に因数分解してみましょう。

(1) 隠州(隠岐島)は北海中(日本海)にある
(2) これより南、雲州(島根県東部)美穂関まで35里。東南、伯州(鳥取県西部)赤崎浦まで40里。南西、石州の温泉津(ゆのつ)まで58里。北から東には行くべき地なし。

(3) 北西の間、二日一夜の所に松島(現・竹島)があり、また一日程行くと竹島(現・鬱陵島)がある。
(4) 俗に磯竹島という。竹・魚・アザラシが多い。
(5) これら2島は無人島で、高麗を見るように雲州より隠州を見るようである。
(6) ならば即ち、日本の北西の地、この島をもって境とする。

因数分解したものをこれまた中学の数学で習う証明で解きましょう。

先ず、上記のように段落を分けると、「この島」とは鬱陵島です。国代記は圧倒的に北西の記述が多いです。これは何を意味するのでしょうか?斉藤豊仙は隠岐郡代という役人ですから、自分の住んでいる「この島」を国境とするでしょうか?「この島」を(6)から逆にたどると、「この島は日本の北西の地にあり、詳しく言うと島根から隠岐を見るように、"そこ"から朝鮮本土が見える」。この"そこ"とは鬱陵島です。

A=B、B=CならA=Cが成り立つのは中学一年生で習ったと思いますが、これを上記解釈に当てはめてみましょう。

この島=北西の地にある島、北西の地にある島=鬱陵島

この島=鬱陵島

以上、ここに結論を導き出しました。


http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%A8%BC%E6%98%8E+%E6%95%B0%E5%AD%A6&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
もう一つ結論を出します。
数学は因数分解と同様、証明も面白いです。
(一問当たりの得点配分が高いのは分からないが)

Re: 石島は観音島か

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/05/31 00:57 投稿番号: [14529 / 18519]
私は、最近「石島」は「石の島々」じゃないかなと思ってます。
1899年の調査では、鬱陵島付近に小6島があり、最も顕著なの
は「于山島」「竹島」と書かれてます。竹島が現chukdoを指す
のは間違いないとして于山島が竹島の別名なのか観音島のこと
なのか不明です。しかし、他にも小4(5)島があると報告さ
れているわけです。何れも「石からできている島というか岩」
であることは鬱陵島の現況をみればわかるかと思います。
これらを合わせ技一本で「石島」と表現したのではないかと。

1899年の調査で認識さえしてない竹島とするのは論外として。

石島は観音島か

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/05/30 22:11 投稿番号: [14528 / 18519]
勅令41号により、鬱陵全島・竹島と共に、鬱島郡の管轄区域とされた石島について、日本側は観音島、韓国側は獨島に比定し論争が続いています。石島がどちらに同定されるかによって、両国の領有権主張の重要根拠の一つが崩れるので、議論は熱くならざるを得ないようです。石島の特異さは、石島という語が本勅令で初めて見られ、しかもその後、観音島・獨島の何れに対しても使われなくなったことにあると思います。

石島を観音島とするのは、観音島が鬱陵島近くの島では竹嶼に次いで大きく、他は小さな岩礁に過ぎないことも理由の一つでしょう。観音島は防牌島?・島項或いは島頂・Ggak sae seom・鼠項島・観音崎などと記され、時には于山島にもされました。しかし、石島と呼ばれたことは無かったようです。石島=観音島について本掲示板の論者がよく参考にするのはToron Talker氏の下記HPと思われます(例えばNos.9112, 14278)。
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/ishijima41.html

それには次のように書かれています「何故、于山島(観音島)が石島になったのか?と言うことですが、私自身は、観音島の近くに「石圃」という村があることから、それとの関連性を考えてしまう。- - 石圃(Seokpo・石浦)からは、竹嶼と観音島を展望できますし。。。。つまり、勅令41号にある石島とは、観音島のことだと思う。ただ、于山島->石島になる関係がなー、よくわかりません   w」。要約すれば、石圃・石浦など石のつく地名があり、そこからは観音島が展望できるので石島とした、とのようですが、これでは、自認されているように、余りにも弱いでしょう。「明石・釜石・石巻」近くの島は石島?

そこでもう少し具体的に、観音島近くに亭石浦という地名があるので、石島との関連を検討します。亭石浦とは亭々と聳え立つ石のある浦の意味でしょう。llllowollllさんの示された(No.1506)サムスナム(三石)の写真を見ると、亭石は当にピッタリの感じです。これは海上にあるので亭石島、鬱陵島東北端には植生に乏しい多くの小島があるので、総称して石島としたのなら頷けます。奥原碧雲『竹島及鬱陵島』(1907)の地図では、亭石浦のすぐ北に三本立があります。

なお、http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/hekiunmap.html では、奥原(1907)の鬱陵島見取圖が拡大され、亭石浦の振り仮名は明らかにチョンドロボと読めますが、本文では、なぜか「亭石浦を「ちょんぽどん」と発音をするようです」となっています。

次に、観音島の形状は石島に相応しいかを見てみます。
http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/gwdo.jpg
http://blog.goo.ne.jp/yoshi1963jp/e/47c98e13bca94cf47dcdc5d63e310893

①はこの板でしばしば掲示された観音島の全景ですが、頂部は平坦で緑に覆われ、石島のイメージからは遠いように感じます。ただし、海岸は海食崖に囲まれ、②の観音島(2)の写真のように、海食崖に焦点を合わせれば石島の感じがしないでもありません。

②の観音島(1)や『日本地理風俗大系17』(新光社, 1930)「鳥項嘴と観音島」の写真を見ると、海食崖には柱状節理とそれに直交する板状節理がよく発達しているのが分ります。これを見て私は防牌島を想起しました(防はツツミ、牌は板の意)。防牌島は正祖実録(巻40, 1794年)に「前有三島、在北曰防牌島、在中曰竹島、在東曰瓮島」と記され、川上健三(『竹島の歴史地理学的研究』古今書院, 1966)が「島名からすれば、鼠項島、竹嶼、瓮島の三島を指すと考える方が適当である」と示唆した島です。

Re: カタカナのルとクはとっても違いますが

投稿者: jaian918 投稿日時: 2006/05/30 20:02 投稿番号: [14527 / 18519]
>カタカナの   ル   と   ク   は   とっても違いますが
>doldo   dokdo   は   トット
>共に   d   より   t   に近い音になります。

語頭に日本語でいう濁音が来ないことは理解します。
ご指摘は、olもokも「ッ」になるって事ですか?   韓国/朝鮮語のネイティブスピーカーでも区別がつかないって事なんでしょうか?
良ければ、もう少し説明していただけますか?

ちなみに、henchin_pokoider01 さんの言いたいのは、同じ鬱陵島住民が使う地名でで「石→獨」の変化があったものとないものがあるのはおかしいって事だと思いますよ。

仮説としても成立するのか?

投稿者: jaian918 投稿日時: 2006/05/30 19:49 投稿番号: [14526 / 18519]
説得力の有無を別にすれば、「仮説」はいくら立ててもいいのだろうとは思いますが、その「仮説」を根拠に論証するのであれば、もう少し「仮説」を強固にする根拠を明らかにすべきだと思います。

私見ですが、今確認できている情報だけで言えば、「石島=独島」で決着なんて思えませんね。
henchin_pokoider01 さんの疑問は、私の疑問でもあります(^^

ただ、同じく「石島=観音島」も今時点では根拠が十分とは言えず、似たりよったりだとは思いますがね。

P.S.
国際司法裁判所等での争いを念頭に置かれている方にとっては、「石島=独島」だとしても実行支配の証拠として採用されるかどうか怪しいところなので、この辺りの話題はあまり関心のない事かも知れませんが、個人的には興味がありますので、この問題を考える上で、面白い着想があれば教えてくださいね。

竹島問題は終了!じゃないの??

投稿者: yatterannai 投稿日時: 2006/05/30 19:06 投稿番号: [14525 / 18519]
日本の領土だった!ということで・・・・ゞ( ̄∇ ̄;)

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1670953

↑再度貼っておきます。

Re: 言葉たらずで申し訳ない

投稿者: komattakomao 投稿日時: 2006/05/30 10:24 投稿番号: [14524 / 18519]
>石を「ドル」と発音していた
のに「石島」だけ、ドクと発音していたなんて仮説としても成立する
のかなと思いまして。


カタカナの   ル   と   ク   は   とっても違いますが
doldo   dokdo   は   トット
共に   d   より   t   に近い音になります。

Re: 言葉たらずで申し訳ない

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/05/30 09:51 投稿番号: [14523 / 18519]
>全羅道訛りってことではなくて、今もdol(石の固有語)の発音が残っていて
>「獨」(dok)には化けていないっていう一例ですね。

いずれにしても、「チョンドロポ」は当時の鬱稜島住民の発音を書き
取ったと判断していいと思うのですが。石を「ドル」と発音していた
のに「石島」だけ、ドクと発音していたなんて仮説としても成立する
のかなと思いまして。

言葉たらずで申し訳ない

投稿者: jaian918 投稿日時: 2006/05/30 07:46 投稿番号: [14522 / 18519]
>全羅訛:dol-mun?
>全羅訛:jeong-deul-po?

全羅道訛りってことではなくて、今もdol(石の固有語)の発音が残っていて
「獨」(dok)には化けていないっていう一例ですね。

全羅道方言の件は、日本人学者(小倉進平氏?)の研究からのようですね。
私は読んでませんが(^^;

一般に「ありえない」という事を証明することは非常に困難ですので、より蓋然性の高い別の仮説を上げる方が有効な場合があります。
たとえば、「島項」→「石島」とか「りゃんこ島」→「独島」ですね。

Re: 『蔚陵島事蹟』以後の竹島=独島認識1

投稿者: puracyaka2006 投稿日時: 2006/05/30 03:22 投稿番号: [14521 / 18519]
>>認識したかどうかは、この資料からでは判断出来ないと思います
>私は判断します、、と言う意味です。距離的に獨島しかありえないですからね。

別にこの部分については同意はしませんが、仮に張漢相等が実際に見たものが竹島だとした場合であっても

>問題なのは、獨島を見ても于山島だと言わなかったと言うことであり、
つまり当時の人も獨島=于山島だとは思わなかったことを示唆すると言えます。

ということは言えるでしょう。
もし鬱陵島の東に自国の不可分の領土があると認識していたなら、必ずそこに行くでしょう。しかし、朝鮮は1905年に至るまでそういうことを行っていません。鬱陵島には監視の役人を3年に1度派遣していたのと対蹠的です。

>やはり于山島は近傍の島に比定していたのでしょう。

鬱陵島=于山島説もあります。17世紀の終わり頃だと、むしろこちらだと思います。
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