「島根県竹島報告書」に異議あり7
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/06/04 09:29 投稿番号: [14559 / 18519]
SCAPIN 677というのは、連合国総司令部覚書第677号のことで、一九四六年(昭和二十一)一月二十九日に発せられた「若干の外部地域の日本からの政治及び行政上の分離に関する総司令部覚書」である。そこでは朝鮮関係でいえば欝陵島、済州島とともに、竹島が日本の主権の及ぶ範囲から除かれることになる。さらに同年六月二十二日の SCAPIN 1033「日本の漁業及び捕鯨業の許可区域に関する件」でも、いわゆるマッカーサーラインによって、竹島は日本の海域から除外されることになる。この1033については、平和条約発効の三日前に廃止されるが、677については特別な措置はなかった。しかし占領行政の終了とともに、すべてが廃止されると理解すれば、塚本がいうように、日本に残されたと解釈することもできなくはない。このことについて外務省ホームページでも、「いずれもその文書の中で日本国領土帰属の最終的決定に関するものではないことを明記しており、竹島を日本の領土から除外したものではないことは明白である」と記す。
しかし韓国側では、独島(竹島)についての明示的な規定があるのは、SCAPIN 677だけであり、平和条約で日本領に編入すると規定されていない以上は、日本から分離したことには変りはないと反論している。
そのこともあってか、一九四七年(昭和二十二)三月の対日平和条約第一次草案では、竹島は日本が放棄するものとされ、その位置づけは、一九四九年(昭和二十四)十一月の第五次草案まで変らなかった。それが同年十二月の第六次草案で、竹島は韓国領ではなく、日本領とするように改められたのである。ここでの改変が、どうして行われたのであろうかということが問題である。きっかけは、総司令部外交局長シーボルトが、アメリカ国務省に対して竹島の再検討を勧告したことからである。そこでは「この島に対する日本の領土主張は古く、また正当であろう」と述べた上で、「安全保障上、気象観測上、レーダー局を島に設置する必要がある」と付言していたのである。
一九四九年(昭和二十四)九月には、ソ連が原爆保有を発表、つづく十月には中国共産党による中華人民共和国が創建されるなどして、極東地域における米ソ対立の冷戦構造は一挙に激化することになる。そうした情勢のなかでの、アメリカによる竹島の役割についての再検討であった。竹島にレーダー局は設置されなかったが、一九五〇年(昭和二十五)六月の朝鮮紛争勃発後の七月には、在日米軍の海上爆撃演習場に指定されるのであった。
この間、日本政府のアメリカに対する働きかけが、竹島の日本固有領土であるとする説明で進められる。竹島について、朝鮮の一部であったこともなければ、朝鮮から領土主張がなされたこともないとアメリカが述べているのは、もちろん日本の主張の受け売りである。もとより、それを韓国側が了承するはずもない。
問題は、一九四九年(昭和二十四)十二月の第六次草案で、日本が保持する領土に竹島を加える修正が行われたが、それがそのまま平和条約に反映されたわけではないということである。一九五一年(昭和二十六)四月のイギリス案では、経度緯度により線引きをして日本が保持する島を特定する方式がとられ、竹島はその線の外側、すなわち韓国側に位置づけられていたのである。この案を支持していたニュージーランドは、「主権紛争を残さないようにすることを確保する必要性」を主張していた。しかしアメリカはこれに反対し、日本が主権を放棄する領域だけを挙げることで連合国の合意をとりつけ、最終案をまとめたのである。そのためもあってか、竹島については何らの記述もされなかった。
竹島を明確に日本領としようとした日本の要求は認められなかったのである。一方、平和条約の非調印国である韓国も、独島(竹島)を韓国領とするようにアメリカに働きかけをしていたが、この韓国の要求も実現しなかった。アメリカは、日本領と断定しなかったことで、韓国にも配慮したというわけである。
要するに、対日平和条約に竹島についての言及がないのは、アメリカが仲島(独島) の領有権について決着させないで、意図的にアイマイにした結果であるといってよい。外務省の川上健三が「未解決地域の一つ」になったとする所以である。
したがって、報告書がいうように、国際法の原則が、領土問題は平和条約によるものとしても、平和条約に何らの記述もないものを「竹島が含まれたと読み解くのが適切である」などと、勝手な解釈をするのは如何かと思われる。まさに未解決のままで残されている問題というべきであろう。
(了)
しかし韓国側では、独島(竹島)についての明示的な規定があるのは、SCAPIN 677だけであり、平和条約で日本領に編入すると規定されていない以上は、日本から分離したことには変りはないと反論している。
そのこともあってか、一九四七年(昭和二十二)三月の対日平和条約第一次草案では、竹島は日本が放棄するものとされ、その位置づけは、一九四九年(昭和二十四)十一月の第五次草案まで変らなかった。それが同年十二月の第六次草案で、竹島は韓国領ではなく、日本領とするように改められたのである。ここでの改変が、どうして行われたのであろうかということが問題である。きっかけは、総司令部外交局長シーボルトが、アメリカ国務省に対して竹島の再検討を勧告したことからである。そこでは「この島に対する日本の領土主張は古く、また正当であろう」と述べた上で、「安全保障上、気象観測上、レーダー局を島に設置する必要がある」と付言していたのである。
一九四九年(昭和二十四)九月には、ソ連が原爆保有を発表、つづく十月には中国共産党による中華人民共和国が創建されるなどして、極東地域における米ソ対立の冷戦構造は一挙に激化することになる。そうした情勢のなかでの、アメリカによる竹島の役割についての再検討であった。竹島にレーダー局は設置されなかったが、一九五〇年(昭和二十五)六月の朝鮮紛争勃発後の七月には、在日米軍の海上爆撃演習場に指定されるのであった。
この間、日本政府のアメリカに対する働きかけが、竹島の日本固有領土であるとする説明で進められる。竹島について、朝鮮の一部であったこともなければ、朝鮮から領土主張がなされたこともないとアメリカが述べているのは、もちろん日本の主張の受け売りである。もとより、それを韓国側が了承するはずもない。
問題は、一九四九年(昭和二十四)十二月の第六次草案で、日本が保持する領土に竹島を加える修正が行われたが、それがそのまま平和条約に反映されたわけではないということである。一九五一年(昭和二十六)四月のイギリス案では、経度緯度により線引きをして日本が保持する島を特定する方式がとられ、竹島はその線の外側、すなわち韓国側に位置づけられていたのである。この案を支持していたニュージーランドは、「主権紛争を残さないようにすることを確保する必要性」を主張していた。しかしアメリカはこれに反対し、日本が主権を放棄する領域だけを挙げることで連合国の合意をとりつけ、最終案をまとめたのである。そのためもあってか、竹島については何らの記述もされなかった。
竹島を明確に日本領としようとした日本の要求は認められなかったのである。一方、平和条約の非調印国である韓国も、独島(竹島)を韓国領とするようにアメリカに働きかけをしていたが、この韓国の要求も実現しなかった。アメリカは、日本領と断定しなかったことで、韓国にも配慮したというわけである。
要するに、対日平和条約に竹島についての言及がないのは、アメリカが仲島(独島) の領有権について決着させないで、意図的にアイマイにした結果であるといってよい。外務省の川上健三が「未解決地域の一つ」になったとする所以である。
したがって、報告書がいうように、国際法の原則が、領土問題は平和条約によるものとしても、平和条約に何らの記述もないものを「竹島が含まれたと読み解くのが適切である」などと、勝手な解釈をするのは如何かと思われる。まさに未解決のままで残されている問題というべきであろう。
(了)
これは メッセージ 14558 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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