入って中国人に南京事件真相議論しましょう
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中国人による無数の暴虐事件1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/27 18:45 投稿番号: [1416 / 2250]
K・カール・カワカミ著
『シナ大陸の真相
1931〜1938』 (原題 Japan in China )
訳者
福井雄三
展転社
123〜125p
《 宣伝活動の結果、事態は絶望的となった。
殆どの中国の都市が日本人の住民にとってもはや安全ではなくなった。
日本人はもはや安心して家の外を歩けなくなった。
中国人の商人は反日組織の側からの報復を恐れて日本の商品を扱おうとはしなかった。
日本に対して友好的な中国人、または日本人と商売したりつきあったり
している中国人は脅迫され、恐喝され、襲撃され、時には殺されさえもした。
中国の全国土は日本への憎しみで燃えさかっていたが、
しかしそれは自然発生的に燃え上がったものではなくて、
国民政府自身が火つけ役となった大火だったのである。
当然のことながらここ数年間に反日的な事件が次から次へと目まぐるしく発生した。
次に掲げるのはその中の一部のリストである。
※北
支
一、一九三五年五月、日本贔屓の傾向のある二人の中国人の新聞編集者が
天津で殺害された。
二、一九三五年一二月一七日、天津の日本軍守備隊総司令官である多田陸軍中将の
邸宅に爆弾が投げ込まれ、中国人の召使いが負傷した。
三、一九三五年八月、満洲国の国境から天津に向けて走行中の満洲国・中国
国際列車が匪賊に襲撃された。
調査により判明したところでは、彼らは天津の反日組織に煽動されていた。
約二〇名の乗客が殺害された。
四、一九三六年一月二日、天津付近のタークーで二軒の日本人商店が
中国軍正規兵によって略奪された。
五、一九三六年六月二六日、北京近くで中国軍の正規兵が、
豊台日本軍守備隊に所属する日本人兵士に襲いかかり重傷を負わせた。
それに対する謝罪を要求して中国軍の兵営に赴いた日本人の陸軍大尉が
中国軍兵士に刀と銃剣で斬りつけられた。
六、一九三六年六月一九日、山東省防東で日本人が中国人に射殺された。
七、一九三六年七月二二日、天津の市役所所属の中国人警備兵が、
天津の日本総領事館に勤務する二名の警官を領事館の前で銃撃した。
一人は殺され、もう一人は重傷を負った。
八、一九三六年八月二三日、河北公共治安部隊の数名の兵士が
天津の日本語学校を襲撃して略奪し、
日本人の教師に暴行を加えて拉致した。
九、一九三六年一〇月、反日組織に煽動されたストライキのおかげで、
山東省青島の日本人経営の紡績工場が二週間閉鎖された。
一〇、一九三七年五月二三日、各々四九トンの二隻の日本の漁船が
満洲国の大連沖で操業中に、中国の税関パトロール船に発砲された。
中国人の税関警備兵がこの日本の漁船に乗船して捜索したが、
犯罪に関する物は何も発見出来なかった。
一一、一九三七年六月一日、中国人の暴徒の一団が天津付近の
日本人経営の農場施設を襲い、一つの倉庫と三つの住居に放火し、
多くの日本人従業員が負傷した。》
つづく
これは メッセージ 1414 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月22日 第16師団の申し送り
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/27 18:36 投稿番号: [1415 / 2250]
東中野修道著
『南京大虐殺の徹底検証』
276p
《
昭和十三年一月二十二日ごろ、第十六師団参謀長・中沢三夫の作成した
「南京ニ於ケル申送リ要点」
は、
「先日モ八十八師
(註・師団)
ノ大隊長ヲ捕縛セリ」
と書き、
「特ニ注意スベキハ
各国外交機関内ニ
隠匿シアル
相当階級ノ人物
アルコトナリトス、
右八十八師ノ大隊長ノ
自白ニヨレバ
米大使館内ニ
団長
及
営長
尚
(なお)
隠レアリ」
と申し送っていた。》
*
まだ時たま、便衣兵の潜伏が発覚しているようだ。
本の註に、中国の八十八師を師団としてあるが、これは果たして正しいのか?
中国の軍組織では、「師」 の下に 「団」 があるので、
日本の 「師団」 のような物とすべきかも知れない。
その下には「連」、「営」もある。
「団長」 とは第〇〇団の長と言う事であり、「営長」 とは第〇〇営の長と言う事。
「連」
は
「連隊」
かも知れない。
これは メッセージ 1382 (kireigotowadame さん)への返信です.
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上海で日本人僧侶が殺される
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/26 18:45 投稿番号: [1414 / 2250]
児島襄著
『日中戦争2』
文春文庫
169p
《 上海居留民団の記録によれば、前年の
「満州事変」
から年末までの
三カ月間で、商社、商店、個人がうけた掠奪、暴行などの被害件数は
二百件をこえ、とくに通学児童にたいする妨害、悪戯は七百余件にも達して、
日本側の反撥を強めていた。》
174〜176p
《 一月十八日
−
上海で日本人僧侶が中国人暴徒に殺害されるという、
より一層に日中関係を悪化させる事件が突発した。
この日、上海郊外の屈家橋に草庵を設けて布教中の
『日本山妙法寺』
上海布教主任天崎啓昇は、楊樹浦方面に寒行に出かけることにした。
ウチワ太鼓をたたき題目をとなえて、街を行脚してまわるのである。
僧天崎啓昇は、僧水上秀雄、信者後藤芳平、同藤村国吉、同黒岩浅次郎と
ともに、午後三時、草庵を出発した。
僧二人は白の法衣、信者三人は洋服姿であった。
一行は、虹口
(ホンキュ)
方面から匯山路に出て、華徳路を東に進んだ。
じつは、先頭に立つ僧天崎啓昇は、この華徳路を平涼路と誤解し、
公大紡・第一廠工場付近に出るつもりであったが、道は馬玉山路に通じ、
やがて午後四時すぎ、一行は同路のタオル工場
『三友実業社』
横にさしかかった。
工場付近には、工員らしい中国人がたむろしていて、一行が近づくと、
朝鮮人だ、朝鮮人だ、と口走った。
だが、一行は 『日本山妙法寺』 と墨書した提燈をもち、
たたくウチワ太鼓にも寺名が明記してあった。
「日本人だ」 「日本人だ」
との叫びが起り、次いで
「殺
(や)
れ」
「殺せ」
の叫びにかわり、中国人群集約三百人が一行に大小の石塊を乱投した。
一行五人は、太鼓と腕で投石を避け、ひときわ高声で題目をとなえながら、
通りぬけようとした。
中国人群集は、一行に抵抗の意思がないことを察知すると、
喚声をあげておしよせ、棍棒と石、瓦、コンクリート杭などで五人を乱打した。
僧二人と信者後藤芳平は、法衣と服を血だらけにして倒れ、信者藤村、黒岩両人は
必死で逃れ、工部局警察の楊樹浦
(ヤンジッポ)
署によろめき込んで救援をもとめた。
楊樹浦署員は、二人を北四川路の日本人病院
『福民医院』
に送り、現場に急行した。
現場では、中国人暴徒は、信者二人が逃走したあとすぐに四散し、
遠望していた中国人巡警が付近に住む
『東華紡』
社員檀宗三郎とともに、
三人を亭国路のフランス病院
『聖心病院』
にはこんでいた。
三人は、翌日、『福民医院』 に移されて手当をうけたが、僧天崎は全治六カ月、
信者後藤は全治一カ年の重傷で、僧水上秀雄は二十四日、死亡した。》
*
ところでこの事件は田中隆吉が関東軍に頼まれて仕組んだと言っていますが、
僧天崎は、道を間違えたのに、その間違えた道で襲われたのです。
雇われた襲撃者が、予定のルートから外れた所で待ち伏せするでしょうか。
田中隆吉は自然発生的事件を自分の手柄のように宣伝しているようです。
これは メッセージ 1412 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月22日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/26 18:36 投稿番号: [1413 / 2250]
一月二十二日
《 竹の担架にしばりつけられた中国兵の死体については、これまでも幾度か書いてきた。
十二月十三日からこのかた、わが家の近くに転がったままだ。
死体を葬るか、さもなければ埋葬許可をくれと、日本大使館に抗議もし、
請願もしてきたが、糠に釘だった。依然として同じ場所にある。
しばっていた縄が切れて、竹の担架が二メートルほど先にころがっただけだ。
いったいどうしてこんなことをするのか、理解に苦しむ。
日本は、ヨーロッパ列強とならぶ大国だと認められたい、そのように扱われたいと
望んでいる。だがその一方で、こういう粗雑さ、野蛮さ、残忍さを見せつけているのだ。
これではまるでチンギス=ハーンの軍隊と変わらないではないか。
もうこれ以上、この哀れな男の埋葬を気にかけるのはやめることにした。
ただ、ときどき、あの兵士が死んだまま、まだこの世にいることを思い出すことにしよう。
(字数の都合で省略)
マギーがまたしても悪い知らせをもってきた。
日本兵が食用の家畜を追いかけ回し、手当たりしだい運んでいってしまったというのだ。
ちかごろは、中国人の若者を使って豚をつかまえさせている。
なかなかつかまえられなかったり、一匹もつかまえることができなかった若者は、
銃剣で突き殺された。なかの一人は内臓がはみだして垂れ下がっていたという。
これはみな目撃した人の話だ。こんなことばかり聞かされていると、気分が悪くなってくる。
そうだ、やつらは犯罪者のよせ集めだと思えばいいんだ。
ふつうの人間にこんなことができるはずがない!
今日、トラックが数台、南の方からやってきて、下関へ向かっていった。
どれも中国兵で満員だ。おそらく捕虜だろう。
ここと蕪湖の間でつかまって揚子江のほとりで処刑されることになっているのだ。
高玉がやってきた。
この人は総領事館警察の責任者だが、そのまま日本大使館付きになっていた。
私は車を一台工面してやったことがある。徴用証書をもらおうとすると、
署名するかわりに無言でそれをポケットにねじこんだ。がっかりした。》
(以下も省略)
*
「トラックが数台、・・・下関へ・・・どれも中国兵で満員だ。
おそらく捕虜だろう。ここと蕪湖の間でつかまって揚子江のほとりで
処刑されることになっているのだ。」
と言っているが、20日の日記の
「外交部のなかにある赤十字病院で中国兵が治療されていた」
事との矛盾に気づかないのだろうか。
捕まえた中国兵を全部殺すのなら、治療など必要ない。
片方で治療してるのに、 「片っ端から殺す」
と考えるのも、不自然。
それに、揚子江岸で殺して河に死体を流すのなら、別に、南京でやる必要はない。
蕪湖で殺せば、うるさい外国人に感づかれなくてすむ。
南京まで運ぶのは、燃料の無駄、かつ、タイヤがすり減る。
彼ら外国人は先入観に凝り固まっている為、論理的には考えられないのだろう。
これは メッセージ 1407 (kireigotowadame さん)への返信です.
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満洲事変後の反日
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/25 18:45 投稿番号: [1412 / 2250]
孫文が中国の独立闘争をしていた頃、孫文にとって満洲は夷狄の地でした。
だから、満洲の売却に何のためらいも有りませんでした。
ところが中国は、清国を滅ぼすと、清国の全領土が欲しくなりました。
そこで侵略に乗り出すわけです。
当然、満蒙独立運動が起こります。
中国は、世界の協力を得て独立運動をつぶし、侵略にある程度成功しました。
しかし、満洲に先にいた日本人と関東軍を怒らせたため、
引っ繰り返され、土地を満洲人に取り返えさせられたわけです。
中国は自分達が泥棒である事を理解しませんから、
取り返させた日本を逆恨みし、泥棒と罵り、反日を激化させます。
児島襄著
『日中戦争2』
文春文庫
127〜129p
《 中国内での反日運動は日ごとに勢いを強め、
長沙、南昌、北京、上海その他全国的に反日市民大会がひらかれた。
寧波
(ニンポー)
の大会では
「対日宣戦、永久反日」
が決議され、
漢口、武漢を中心とする湖北救国会は、次の
「排日十大方針」
を宣言した。
一、日貨を買わず日貨を用いず。
二、日貨を積まず。
三、日本船に乗らず。
四、日本人と往来せず。
五、日本人に雇われず。
六、日本人を雇わず。
七、日本の銀行に預金せず。
八、日本人に食料を供給せず。
九、日本に留学せず。
十、日本で商売せず。
この 「十大方針」 は各地に同調の環をひろげ、
同時に日本人居留民に暴行を加える傾向も高まり、
満州、中国本土からの邦人引き揚げがつづいた。
・・・
国民党中央常務委員会は、高等中学校以上の学校に
「青年義勇軍」、
初等中学校以下に
「童子義勇軍」
を組織させ、
各学校の教職員、学生に
「不買日貨」
を宣誓させていたのである。
これら
「義勇軍」
は、そのほか各自の胸に
「団結奮闘雪恥救国」
と
墨書した白布をぬいつけ、毎日の朝礼のさい、
次のスローガンを高唱することを義務づけられた。
「永為忠勇国民」 「誓雪中国国恥」 「恢復中国領土」 「振興中国民族」
「三民主義万歳」 「中華民国万歳」……。》
つづく
これは メッセージ 1410 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月21日 参謀本部 持久戦研究
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/25 18:38 投稿番号: [1411 / 2250]
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
481p
《 第二課戦争指導班
(第一班)
長高嶋辰彦中佐は、
一月二十一日、研究課題
「持久態勢ニ応スル為
陸軍省
乃至
内閣ニ対シ
大本営陸軍幕僚部ノ要望事項」
として
(一)
十六日声明ヲ段階トスル
日支間
客観的情勢ニ
関スル見解ノ統一、
(二)
蒋政権ノ潰滅ト
傘下統合ニ関スル
解ノ統一、
(三)
各地新興政権ノ
連繋
(れんけい)
統一ニ関スル問題、
(四)
新段階ニ応スル
戦争目的ノ確立
(新政権ヲ助ケルノカ主カ、直接蒋政権潰滅カ主カ)、
(五)
北支政権ト
日満両国政府トノ権限関係ノ設定、非武装地帯
及
駐兵ノ件、
(六)
新段階ニ於ケル
武力戦指導ノ根本方針、
(七)
対支持久戦争
解決ノ為ノ
政略約手段
就中
(なかんずく)
現地政権ヲ
如何
(いか)
ニ利用スルカノ方策、
(八)
今後ニ於ケル総力戦指導ニ関シ
長期ニ亙ル計画腹案、
(九)
対
『ソ』
情勢判断ニ関スル当局見解ノ統一、
(十)
昭和軍制改革
などを部内に提案しているが、当時の問題点を示すものといえよう。
この日
(二十一日)
第二課では部員全員が参集し
「今後ノ持久戦争指導方策」
につき研究した。 広東作戦の要否が第一の論点となった。》
これは メッセージ 1409 (kireigotowadame さん)への返信です.
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柳条溝事件は関東軍の仕業か?3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/24 18:46 投稿番号: [1410 / 2250]
東京裁判で岡本弁護人は次のように弁論しています。
田中正明著
『東京裁判とは何か』
大手町ブックス
日本工業新聞社発行
154p
《 岡本弁護人はさらに②の奉天事件の真相にふれ、
一九三一年九月十八日に起きたいわゆる柳条溝爆破事件は、
検察側証人のいうがごとく、関東軍が仕掛けた事件ではなく、
支那軍の挑戦であり、現地軍が居留民および守備隊の危険に鑑み、
自衛のため起ちあがったものである、と述べた。
この夜
(九月十八日)
関東軍首脳は、新任の本庄軍司令官の第一回の
巡視を遼陽で終えて、旅順に帰っていた。
奉天には、東京から特派された建川中将を迎えるため、
高級参謀板垣大佐が一人派遣されていただけである。
石原作戦参謀ほか幹部全員が、旅順の宿舎で、しかも就寝時、(午後十一時)
奉天事件の第一報をきいたのである。つまり関東軍首脳の不在中に起きた事件である。
夜半軍司令官を囲み、協議した結果、
本庄軍司令官は
「本官の責任において、やりましょう」
の断をくだし、
一同軍装をととのえて、急いで奉天に帰ったのである。
奉天に到着したのは、その翌日、すなわち十九日未明であった。
この事実に照らしても、巷間噂されるように、
関東軍の陰謀ならざることは、明々白々である。》
*
事実はどうであれ、一旦事件が起きたら、事は自動的に進んでいきます。
そして、9月26日
煕洽が吉林省独立の宣言をしました。
柳条湖事件から、まだ一週間しか経っていないのにです。
関東軍の工作と見るには速すぎます。
9月下旬には、遼寧
(奉天)
省、黒龍江省、コロンバイルも独立宣言をしました。
10月、満州各地の代表が、揃って天津に溥儀氏を訪ね、出馬を懇請、
11月10日
清朝廃帝・溥儀
天津を脱出
11月21日
馬占山、黒竜江省政府を樹立
この、バタバタと進んでいく様子をどう見るかです。
実は、これには、戦後、歴史から抹殺された満蒙独立運動が関係しているのです。
これを外すと、よく判らないから、日本の侵略と見てしまうわけです。
満蒙独立運動については、前に書きましたので、ここでは省略します。
必要な方は
「411満蒙独立運動1」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552022058&tid=ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfb
faj5doc0a47a4dea47a4ga4a6&sid=552022058&mid=411から
「443満州国の建国」までを参照して下さい。
途中、余計な書き込みがありますが
飛ばしてください。
取りあえず、今回は中国側の非道だけに集中します。
これはアホな書き込みへの反論ですから。
これは メッセージ 1408 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月20日 長期戦に備えた大綱作成
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/24 18:37 投稿番号: [1409 / 2250]
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
482p
《 戦争指導班の掘場一雄少佐は、一月二十日
「昭和十三年以降ノタメノ
戦争指導計画大綱案」
第一案を起案し
各方面関係者との調整に入った。
・・・・
この計画の方針は
「先ツ当面ノ対支
持久戦争ヲ指導シツツ
速
(すみやか)
ニ
昭和軍制ノ建設
及
国家総力ノ増強整頓ヲ
強行シテ
対
『ソ』
支ニ国戦争準備ヲ完成ス
此ノ間
『ソ』
邦ノ動向ニ対処シツツ
政戦両略ノ運用ニ依リ
速ニ対支戦争ヲ終局ニ導ク」
「本計画ノ期間ハ
昭和十三年ヨリ
同十六年ニ亙ル
概
(おおむ)
ネ
四年間ト予定ス
爾後近キ将来ニ予想スヘキ
国際情勢ノ一大転機ニ
備フル為ノ戦争準備ハ
右ニ引続キ
之カ完成ヲ期ス」
というものであるが、その具体策となると実行の可能性に問題が多く、
各案とも成案とならなかったが、
長期持久戦について、各部局の注意を喚起するものがあった。
・・・・
次いで一月二十日、陸軍大臣名により
「形而上下ノ万般ニ亙リ
長期持久戦ノ準備ト
対策トヲ要スルノ秋
全軍将兵一致結束
特ニ
堅忍持久ノ精神ヲ以テ
職分ニ最善ノ努力ヲ
傾注スヘシ」
という訓示が全軍に出され、長期戦に臨む将兵の心構えを説いた。》
*
中国大使はこの日、横浜を出帆し帰国した。
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
479p
《 日支両国の国交は事実上断絶した。
日本政府は、一月十八日、
川越大使に帰朝命令を発し、(二十八日上海発、三十一日東京着)、
許世英駐日大使は、一月二十日、横浜を出帆して上海に向かい、日本を退去した。
注
駐日大使館参事官揚雲竹以下一部の館員は昭和十三年六月十一日まで在留した。
日本側も伊藤述史公使が昭和十二年十月から翌年三月まで、
谷正之公使が三月から同年十二月まで、
森島守人参事官は同年三月から翌十四年七月まで上海に出張駐在し、
対中国及び第三国との接触に当たった。》
これは メッセージ 1403 (kireigotowadame さん)への返信です.
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柳条溝事件は関東軍の仕業か?2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/23 18:48 投稿番号: [1408 / 2250]
田中正明著
『東京裁判とは何か』
大手町ブックス
日本工業新聞社発行
1のつづき
164p
《 中央の指令はあくまで慎重で、準備兵力の増強要請も容れられず、
ために現地軍は訓練を重ねて、もっぱら質の向上をはかっていた、
と述べたあと、
「その頃の学良軍の行動は非常に積極的で、
われわれは必ず、向うから働きかけて来るにちがいないと考えていた。
武力衝突必至と見ていたのであって、
それは決してこちらから働きかけて行くという意味ではない。
結局は向うからわれわれの弱点に向って
ぶっつけて来るであろうという恐れをもっていたのだ。
検事は、この武力衝突必至ということを、
日本から仕掛けて行くことだと理解しているようだが、決してそうではない。
われわれ関東軍としては、その前に河本大佐事件
(昭和三年の張作霧爆死事件)
があり、
河本大佐が処罰され、軍司令官が罷免されたという前歴がある。
そのため、歴代の軍司令官が軽挙妄動を厳重に戒めていたので、
こちらからは決して手出しをしてはならぬと決定していた。
しかしその代わり、向うの方から出て来たら、
絶対にやっつけるという態度を堅持し、訓練を積んでいた」》
*
石原莞爾は、張学良軍が必ず仕掛けてくるだろうから、
それに備えた対策を想定していたんですね。
「けっして、こちらから手出ししてはならぬ決定していた」
と言っています。
もちろん、この石原証言に対して、
「どうせ命惜しさの言い逃れだろう」
という非難もあるでしょう。
しかしながら、彼は、 「何で、俺を戦犯に呼ばない!」
と
豪語しているわけですから、命惜しさの言い逃れは当たらないでしょう。
ここより、満洲事変のきっかけとなった柳条溝爆破は
関東軍以外の何者かの仕業という可能性も出てきます。
つづく
これは メッセージ 1406 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月20日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/23 18:41 投稿番号: [1407 / 2250]
一月二十日
(前の数行
日本軍の悪と関係ないので省略)
《 この間、近所の作りかけの家からレンガを二、三千ばかり失敬してきて、
テントや小屋のあいだに細長い通路を作った。こうしておけばすこしは泥よけになる。
そのほか、仮設便所のまわりにレンガで壁を作ったので、いくらか見栄えがよくなった。
もっともこんなことをしたところで、焼け石に水だが。
依然としてあたり一面泥の海にかわりはない。そこらじゅうでせき込んだり、
吐いたりしているが、さもあらんと思う。一番心配なのは伝染病だ。
われわれの国際赤十字代表のマギー牧師が、
外交部のなかにある赤十字病院の中国人看護婦から聞いた話を伝えてくれた。
ここは我々外国人は立ち入り禁止だが、看護人は買い物のためにときどきは外出できる。
あるとき、看護婦が本部に立ち寄ってこんな報告をしていったという。
一人の中国兵が、食べ物が不十分だと苦情を言ったらしい。
給食は小さなお椀で一日おかゆ三杯だそうだ。するとその兵士は監視の日本兵に殴られた。
さんざん殴られたあとで、腹が減っているのがいけないのかと言ったところ、
中庭にひきずり出されて、銃剣で突き殺されてしまったというのだ。
この処刑の様子を看護婦たちは窓から見ていた。
難民の誰ひとり、安全区から出ていこうとしない。
もとの家に戻ろうとした人たちが大ぜい、日本兵から石を投げつけられて
追い払われたり、あるいはもっとひどい目にあったりしたからだ。
それなのに、街には日本軍のこんなポスターが貼られている。
「家へ帰りなさい!
食べものを支給します。日本軍を信用しなさい。
我々はみなさんを保護します」》
*
「近所の作りかけの家からレンガを二、三千ばかり失敬して」
結局、ラーベも略奪している。どうして日本軍の徴発を非難できるのか。
*
「一人の中国兵が、食べ物が不十分だと苦情を言・・・殺されてしまった」
ラーベ達の話では、見つかった中国兵は片っ端から処刑されていた筈。
兵どころか市民までも殺されたと。
ところが、この中国兵は病院で治療されていた。それまでの話と違うのでは。
もっとも、これは、日本側の
「中国兵を治療する写真」
とは合っているが。
*
「もとの家に戻ろうとした人たちが大ぜい、
日本兵から石を投げつけられて追い払われたり」
そもそも、日本軍が
「もとの家に戻れ」
と言っているのに、
それを日本兵が妨害して、何の意味がある?
日本兵に化けた中国兵が、中国人が日本軍に従うのに腹を立て、
妨害するのなら意味があるのだが。
これは メッセージ 1405 (kireigotowadame さん)への返信です.
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柳条溝事件は関東軍の仕業か?1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/22 15:37 投稿番号: [1406 / 2250]
満洲事変後の中国の残虐行為を挙げるのには、
その前の段階として満洲事変に触れないわけにはいきません。
これを外して言うと、日本が満洲を侵略したのだから、
やられて当然ではないか、と言われますので。
柳条溝事件は関東軍が仕掛けたとされていますが、石原莞爾の言い分は違っています。
酒田ホテルの仮法廷において彼は次のように証言しています。
田中正明著
『東京裁判とは何か』
大手町ブックス
日本工業新聞社発行
《 162〜163p
問
証人は、張学良の軍備について研究されたことがありますか。
答
学良の全軍隊は二〇万ないし二五万であります。
奉天以外の兵力の装備は、あまりよくありませんが、奉天の約十万の兵備は、
当時としてはすこぶる優良なもので、日本軍にくらべ、遥かに優れていました。
注目すべきことは、当時、日本軍は一機の飛行機も持っていなかったが、
奉天軍は相当数保有しており、戦車隊もありました。
問
そのような近代装備をもつ学良軍に対する、関東軍の作戦計画を説明してください。
答
昭和六年八月、本庄司令官が着任後、従来の計画を変更して、撫順の中隊をもって
奉天飛行場を奇襲する計画で、中隊長川上大尉にこれを命じました。
あとからの報告でわかったのですが、これを受けた川上大尉は、
撫順の防備を全く放棄することについて非常に心配して、
その善後処置を講ずるために、警察及び在郷軍人の一協力を必要と考えました。
しかし計画は秘密を要するので、事実を秘して、
自分は九月十八日に部隊を引きつれて転出することになった。
そのあとの守備態勢をどうするか?
これらの民間警備の代表とともに想定演習をした。
その協議の終ったあとで、十八日の出動は中止になったと取消した。
ところが図らずも、九月十八日の夜、学良軍の柳条溝爆破が起きましたので、
川上大尉は非常に狼狽して、そういう場合に当然やらなければならなかった
新任務の飛行場の攻撃をやることもせず、
非常に遅れて、不完全武装のまま奉天に駈けつけたのであります。
奉天の総領事からこのこと (十八日の想定演習) が外務省に報告された
ため、軍としては、非常に迷惑を受けたしだいであります。 》
つづく
*
石原莞爾の作戦計画は飛行場攻撃だったのです。
鉄道爆破ではありませんでした。
ところが、その想定演習の日に柳条溝爆破事件が起き、
かつ、奉天総領事が十八日の想定演習を外務省に報告したため、
「やったな!」
と思われた
というわけです。
これは メッセージ 1404 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月19日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/22 15:24 投稿番号: [1405 / 2250]
一月十九日
《 ラジオによると、あるベルリンの新聞がこれ以上中国に侵攻するなと
日本に警告したそうだ。さらに、名誉ある平和を中国に申し出るよう勧めたとか。
いやはや、いい気なもんだ。日本がいわれたとおりにするとでも思ってるのか。
隴海鉄道沿線での大規模な戦闘が間近に迫っている。
国民政府軍はおよそ四万人の兵力を擁し、編成し直されたとの話だ。
少なくともラジオではそう言っている。無能な将校は一掃されたとも聞く。
だが、残念ながら、中国が勝つという希望はこれっぽっちももっていない。
山東省の司令官韓復腧と二人の将官が、即決裁判によって、蒋介石の命により
射殺されたそうだ。抵抗が十分ではなかったということらしい。
こちらでは、韓復腧が現金をそっくり日本の銀行に投資したと、もっぱらの噂だ。
そうに決まっている。おそらく日本からもらった金だろう。
青島も日本に占領された。済南も。
芝罘では、日本側の報告によると、中国警察が反乱をおこし、略奪したそうだ。
今日、また新たなニュースが入る。張作霖の息子で西安事件の首謀者、
張学良が射殺されたのだ(注・これは誤り)。
彼は一年前に西安で蒋介石を捕虜にした。
漢口から出発した防毒部隊はいっこうに到着しない。
まだ役に立つかどうか、あやしくなってきた。
今日、解雇通知を書いた。中国本社の指示で、事務所を閉鎖しなければならないからだ。
上海の決定 “Wind up business!” そうとしか解釈できない。
一月分の給料を全額支払おう。だが正月の心づけはなし。
思えばこれはひじょうにむごいことだ。
中国の正月は二月一日からなので、もう目の前に迫っている。
正月だからというので、食料品の価格は
(まだ手に入ればの話だが)、
とてつもなくあがってしまった。もっとも、ここの何十万人もの人たちだって、
かれらよりましなくらしをしているわけではないのだが。
従業員はみな、事務所に住んでいるが、それも私がここにいられる間の話だ。
食料を買う金が足りなくなったら、国際委員会の給食所に厄介にならざるをえない。
どっちみち、すでに六百五十人のほとんどがそこから食糧をもらっている。
一日、米二袋だ。
家主の代理人も家主も逃げてしまったが、やはり解約通知を書いておこう。
契約により、解任の際にはこの家を手放していいことになっている。》
*
以下
「ジーメンス中国本社にあてたジョン・ラーべの手紙」
「韓にあてた解雇通知」
は省略。
*
「これ以上中国に侵攻するなと日本に警告したそうだ。
さらに、名誉ある平和を中国に申し出るよう勧めたとか。
いやはや、いい気なもんだ。日本がいわれたとおりにするとでも思ってるのか。」
日本は何度も和平を出してるのに、中国が受け付けないだけなんだけどね。
いやはや、いい気なもんだ。
中国が、いわれたとおりにするとでも思ってるのか。
これは メッセージ 1395 (kireigotowadame さん)への返信です.
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満洲に於ける日本人迫害5
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/21 14:33 投稿番号: [1404 / 2250]
中村震太郎大尉殺害事件
臼井勝美著
『満洲事変
戦争と外交と』
中公新書
31p
《 万宝山事件にひきつづき、
幣原外相は中村大尉殺害事件を処理しなければならなかった。
中村震太郎大尉は参謀本部の部員で、対ソ作戦の兵要地誌作成のため、
ひそかに興安嶺方面の偵察任務につき、トウ南、索倫の中間地で、
中国軍 (第三屯墾軍) により、六月二十七日殺害された。
東三省側は、中村大尉殺害を否認していたが、石原参謀と奉天特務機関の
花谷 (正) 少佐は、八月二日林総領事を訪れ、
中村大尉の殺害はほぼ確実であり、このうえ交渉が遷延するときは、
いたずらに中国側に証拠湮滅の機会を与えるにすぎないと、
関東軍の交渉方針を伝え、林総領事の同意を求めた。・・・
32p
関東軍参謀部は実力捜査を決意し、四平街に装甲列車や歩兵砲兵連合部隊を準備した。
・・・
関東軍は中村事件対処方針を陸軍省に上申した。
33〜34p
林総領事は、十七日臧 (ぞう)(式毅) 遼寧省政府主席を訪問、
軍側が相当昂奪しているので、すみやかに事件を解決する必要がある旨を申し入れた。
臧主席は、いかなる事情があったとしても、地方軍隊が勝手に外国人を
殺害するのはすこぶる不都合なので、参謀長栄臻 (えいしん) と計って、
適当な人物を至急現地調査のため派遣すると答えた。
しかし、中国側の調査がはかばかしく進行しないのを見た林総領事は、
九月四日、省長公署で臧主席、栄臻謀長と会見、もし中国が本件の処理を
回避するような場合、国交上重大な影響を生ずるおそれがある旨を告げ、
屯墾軍の関団長を奉天に召還するよう示唆した。
このころ中国側新聞は、さかんに中村大尉殺害事件は無根であるとの報道を載せ、
王 (正延) 外交部長も中村事件はまったく事実無根で、
満州には好んで事を構える不良ごろつき日本人が多いので、
おそらくこの連中が捏造した宣伝であると言明したため
(南京、千原特派員発 『朝日』 九月六日)、南陸相等をはじめ
軍関係者はいよいよ態度を硬化させた。
満州を視察して帰った政友会の森 (恪) 代議士らも、
八月三十一日党関係の会合で、満蒙では日中官民が無気味に対立し、
「ある意味においては事実上交戦直前の状態であるとも云へる」 と報告した。
菱刈 (隆) 大将に代わって新たに関東軍司令官となった本庄 (繁) 中将は、
八月二十日、旅順に到着したが、九月三日の多門 (二郎) 駐剳師団長、
森 (連) 独立守備隊司令官との会談で、今後さらに不祥事の発生が予想され、
「此の如くして最後の解決の時期近づきつゝあるを思はしむるものあり」 と述べた。
事態の重大化を認識した栄臻参謀長は、
九月十八日ようやく中村大尉殺害の事実を全面的に承認するにいたった。
栄臻参謀長の調査では、中村、井杉 (延太郎、同行した日本人) と露国人 (中国籍)、
蒙古人の一行四名は、六月二十五日昼、騎馬で西北方より蘇鄂 (そがく) 公府に到着し、
第三団の取調べを受けていたが、中村は軍事探偵であることが発覚し、
生命に危険の及ぶのを恐れたためか、二十七日、夜陰に乗じ一行とともに逃亡し、
追跡を受け抵抗したので射殺されたというのであった。
東三省側がようやく中村大尉の殺害を認めたため、
交渉は次の段階に移ろうとしたが、
この日夜十時過ぎ、柳条湖事件の勃発をみるのである。》
*
かくして事態は満洲事変へと発展して行くのであります。
満洲事変は関東軍が起こした事になっていますが、
この事態の流れから見ると何か不自然な気がします。
中国側が殺害を認めた。そんな日の夜に仕掛けるでしょうか?
口実が消えたのに。
これは メッセージ 1402 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月18日 参謀本部第一部長に橋本少将
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/21 14:20 投稿番号: [1403 / 2250]
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
481p
《 持久戦に応ずる陸軍側の研究
陸軍中央とくに参謀本部は、長期持久戦を回避するため、
事変当初から不拡大方針の堅持につとめ、
あるいは和平交渉の機会をうかがっていたが、
今や、いよいよ長期持久戦を覚悟しなければならなくなった。
しかし、いまだ対ソ準備についての危惧
(きぐ)
の念は去っていないので、
今までのように中国に兵力を増加できないし、政府は強気なことをいうが、
どのようにして事変を処理しようとするのか、という疑念もあった。
従って、軍としては、この際、徹底した持久すなわち
大規模な計画を立てて本当の持久戦にとりかかろうという気分になった。
一月十八日、前第一軍参謀長橋本群少将が参謀本部第一部長に着任し
(下村定少将は病気のため、一月十一日、更迭)
第一部は活発な研究を開始した。》
*
橋本少将は盧溝橋事件の時の支那駐屯軍の参謀長で、停戦協定締結に尽力した人。
下村定少将は南京進撃を進めた人物だが、橋本少将は和平派の人物。
これは メッセージ 1401 (kireigotowadame さん)への返信です.
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満洲に於ける日本人迫害4
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/20 18:42 投稿番号: [1402 / 2250]
万宝山事件
ここで紹介する被迫害者は朝鮮人ですが
彼らも当時は日本人でした。
臼井勝美著
『満洲事変
戦争と外交と』
中公新書
27〜28p
《 東北官憲の朝鮮人農民への圧迫が峻烈をきわめたため、
敦化その他から満鉄沿線の長春に避難してきた朝鮮人農民が、
長春の西北方約二十キロの万宝山付近の荒地に入植しようとしたことが、
いわゆる万宝山車件の端緒となった。
長春駐在の田代
(重徳)
領事は、四月七日中国人地主カク永徳と
朝鮮人間に十年の借地契約が成立したことを幣原外相に報告した。
田代は、この契約は長春県長の承認を経ており、もし経営が良好で朝鮮人村落が
建設されれば、朝鮮人小作農民にとって福音であると、計画を奨励する意向であった。
長春の朝鮮人たちは、五月初め、四三戸、二一〇名が現地に移住し、
長春県第三区の万宝山一帯の民房を借りて居住しはじめた。
そして彼らはまず、付近の伊通川からの水路を築こうとして、
それに反対する中国人農民と衝突し、以後、事態はしだいに重大化した。
長春県側は、六月一日、二〇〇名の巡警、騎馬隊を現地に派遣し、
朝鮮人農民に水路工事の中止を勧告し、
日本領事館も警部一名、巡査五名を派遣し、両国の警官が対峙するにいたった。》
29〜30p
《 七月一日、約四百名の鋤や鍬をもった中国人農民が実力で水路破壊に着手したため、
朝鮮人農民は作業を中止するのやむなきにいたった。
翌二日朝も、中国人農民約五百名は、銃約二十、拳銃約十を携行して
水路を破壊しつづけ、日本警官隊約二十五名とついに銃火を交えるにいたったが、
幸い双方に死傷者は出なかった。
万宝山で朝鮮人農民が中国人により襲撃され、死傷者も出たという誤報が
『朝鮮日報』 などの号外で配布されたため、
朝鮮各地で在留中国人への復讐が暴動にまで発展し、重大な事態となった。
排華暴動が最初に起こったのは仁川であるが、
京城、元山、新義州などでもつづいて暴動が発生し、
朝鮮人群集は中国人商店を大挙襲撃、破壊した。
もっとも苛烈で凄惨をきわめたのは、平壌の大暴動であった。
児玉 (秀雄) 政務総監は、外務省へ
「五日夜午後九時、平壌において数千の朝鮮人群集とつじょ支那街を襲い、
本日午前三時にわたりて狂暴の限りをつくし」 と、第一報を送った。
・・・
午後七時ごろから中国街一帯は騒然となり、数千の群集が手に手に棍棒、
刀斧、石塊をもち、華僑の家屋を手あたりしだい襲撃、破壊したのみならず、
中国人に対し殴打、暴行を加えた。襲撃は翌朝まで何回も繰り返され、
中国人死者は一〇〇人を超え、生死不明者六三人、負傷者も一六〇人に達し、
数百戸の中国人家屋、財産はほとんど灰燼に帰した。
出動した日本警官は武装していなかったので、群集を制禦することは
まったくできず、暴動を傍観するのみであった。
朝鮮で多数の中国人が悲惨な迫害を受けたことに対し、
中国各地で反日気運が一挙にたかまった。
国民党中央執行委員会宣伝部は、朝鮮の暴動は
日本が朝鮮人を使嗾
(しそう)
し煽動して起こしたという見解をとった。》
*
「日本が朝鮮人を使嗾し」
中国は民衆を使嗾し煽動して日本人を襲撃させているから、
日本も同じ事をやるという発想になるのでしょう。
こういう、中国の朝鮮人差別から、朝鮮人の中に
「日本名を名のらせてくれ」
という要求がたかまり、
創氏改名へとつながっていきます。
これは メッセージ 1400 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月18日 近衛首相会見と国交断絶
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/20 18:32 投稿番号: [1401 / 2250]
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
479〜480p
《 政府の対支方針と国家総動員体制の推進
一月十八日午後、近衛首相は内閣記者団との会見において
「帝国政府の対支方針は、国民政府の潰減を期するにあり」
と前提し
「(一)
国民政府を対手にしないということは、国交調整をなすべき対手と
しないという意味であって、戦いの対手としないというのではない。
今後は、国民政府を壊滅に導くため、軍事行動はもとより、あらゆる手段を
講じなければならぬ。
しかし第三国の権益は尊重しかつこれらとの友好関係をより一層増進するためには、
外交工作が極めて重要である。
なお国民政府が屈服し、今までの抗日政策を捨てて新興政権の傘下に入ることも
あり得るが、それは中国内の問題であり、こちらの関知したことではない。
(二)
新興政権に期待するものは、東洋平和のため真に提携できるという点にあり、
満州国に求めるような国防的意味は新政権には全くない。
今日では、必ずしも北支政権をそのまま中央政府にしなければならぬという
考え方ではない。しかし現在の北支政権が中心となり、
しだいに各地の政権が合流吸収されて統一政府に発達するだろう。
その政権が真に提携できる政権ならば、われわれが国民政府に要求したよりも
さらに寛大な条件で交渉に入ることができよう。
(三)
占領地の経済回復は強力に推進せねばならぬ。
これがため内地資本家をはじめ、中国や外国資本家の進出も歓迎する。
しかし、ある程度の国家的統制もやむをえぬので、一種の国策会社ができるだろう」
などと、今後の新情勢に臨む政府の決意を述べた。
注
当時内閣書記官長であった風見章は
「近衛首相の判断では、国民政府はやがて一地方政権に転落するであろうから、
日本が長期戦に引きずり込まれる心配は少ない。
また新政権の育成により時局収拾のみちが開かれるという認識に
基づいたものであったのはいうまでもない」 と述べている。》
479p
《 このようにして、日支両国の国交は事実上断絶した。
日本政府は、一月十八日、川越大使に帰朝命令を発した。》
これは メッセージ 1399 (kireigotowadame さん)への返信です.
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満洲に於ける日本人迫害3の2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/19 18:54 投稿番号: [1400 / 2250]
臼井勝美著
『満洲事変
戦争と外交と』
中公新書
20 p
《 三月二十六日、瀋陽
(奉天)
の遼寧党部で、呉鉄城、張継をはじめ
張学良副司令などが出席して、党務指導員の宣誓就職、省党部成立式が行なわれた。
この日、飛行機五機が党部上空を飛翔して典礼を祝し、多数の宣伝文を撒布した。
以後、四月二日吉林、六日ハルビン、十日チチハルと、次々に呉鉄城は党部を
成立させ、国民党の政策を鼓吹し、ときには排日演説を行なった。
各地民衆の対外意識、特に対日意識が国民党部の活動により昂揚をみたことは
否定できなかった。
たとえば五月初旬のチチハル党部の活動状況をみてみると、
五月二日、陳某が全市中等学校生徒を集め、日本と東北問題に関し演説、
五月三日、約数百名が党部大礼堂に集合、五・三惨案記念式を挙行
(五・三惨案は、日本軍が一九二八年に起こした済南事件である)、
五月五日、この日は国民会議開催当日なので各機関、学校は休業し、
各戸は一斉に国旗を掲げて慶祝、生徒および民衆二万人がデモ、
五月九日、国恥記念日につき各機関、学校は休業、各戸は一斉に弔旗を掲げ、
娯楽、宴会を停止
(この国恥記念日は日本の二十一箇条要求を最後通牒によって受諾した日)、
というような状況であった
(六月八日、清水八百一チチハル領事 → 幣原外相)。
東北大学その他学界、言論界の代表を網羅して結成された国民外交協会も
しばしば大会を開き、鉄道交渉について東三省当局を激励、
各新聞もこれに呼応し、民衆の反日意識は確実にたかまってきた。》
*
(五・三惨案は、日本軍が一九二八年に起こした済南事件である) と
臼井氏は書いているが、彼は中国の嘘に騙されている。
済南事件は中国軍が起こしたもの。
中国は自分達の加害行為を被害者の日本になすりつけ、
まるで自分達が被害者であるかの如くすり替えている。
昔の人は、騙されたかも知れないが、
今の日本人は尖閣事件によって、
中国が、自分達の明々白々の犯罪でも、
平気で日本にすり替える事を知っている。
一部の騙されたい人を除き、まともな日本人は、もう騙されないだろう。
これは メッセージ 1398 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月18日 政府の捕捉説明
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/19 18:43 投稿番号: [1399 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
275〜277p
《 二日後 (18日)、日本政府は、さらに次のような
「補足的声明」
を発表した。
「爾後国民政府ヲ対手トセズ
ト云フノハ、同政府ノ否認ヨリモ
強イモノデアル」
それというのも、外務省は
「対手トセズ」
声明を発表するさい、
なお将来の交渉の可能性を考えて、 「相手」
とすべきところを
「対手」
にかえた、という。
「相手」
を
「対手」
にすればその意味になるかどうかは、はっきりしないが、
いずれにせよ、声明にたいしてはその
「軟調子」
を批判する声が高まった。
明確に蒋介石政権を否認したらどうか。
すでに北支に誕生している臨時政府は、いわば
「漢奸」
になる覚悟で
日本に協力している。 まだ同政府を正式承認できないのであれば、
なおのこと、激励の意味からも蒋否認ぐらいは声明すべきではないか……。
そこで、政府の再声明となり、 「補足的声明」
は、次のようにも強調していた。
「今回ハ……之
(国民政府) ヲ抹殺セントスルモノデアル」
―
ところで、
この
「対手トセズ」
声明については、しばしばその意義の重大さが指摘される。
日中両国大使の召還をともなって実質的な国交断絶をまねき、
軍事課長田中大佐が指摘する
「三つの支那」 (西北共産支那、国民政府支那、親日支那)
の並存をきそい、
つまりは
「日中戦争」
の泥沼化の
「元兇」
だ
―
という。
のちに、首相近衛文麿も、
「この声明は、識者に指摘されるまでもなく、非常な失敗であった……
従って……再び重慶との撚
(よ)
りを戻すことに種々手を打ったのであるが、
成功せず……」
と、遺憾の意をこめて手記している。
だが、はたしてそうであろうか
―
。
問題は、 「対手トセズ」
声明そのものよりは、この声明を生みだした
「母体」
にあったはずである。
これまでに述べたように、声明は、参謀次長多田中将が
「奇怪」
に感じたほどの
政府の強腰が推進力となり、参謀本部も結局は同調して、誕生した。
そこには、必至の長期戦にたいする用意はさらになく、
あるのは
「政治的興奮」
だけであり、
眼前に横たわるのは、政戦略の裏付けを欠く
「暗澹タル前途」
である。
そして、中国側は、とっくに和平拒否、抗戦継続を決定して、戦備にはげんでいる。
となれば、南京攻略にともなう和平条件の加重が、そもそもの発端であり、
声明発表までの内部論争も、声明を
「失敗」
だとみなす反省も、
すべては日本側の
「一方的空転」
にすぎなかった、といえる。
―
一方、
蒋介石は、 「対手トセズ」
声明を知ると、まずは
「有一笑而己」
と述べ、
日本側がいう
「新興支那政権」
の樹立は、要するに中国の領土主権を
破壊する意図を宣言するものであり、
かえって、国際世論を反日親中国におしやる結果になる、との判断を示した。》
これは メッセージ 1384 (kireigotowadame さん)への返信です.
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満洲に於ける日本人迫害3の1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/18 18:44 投稿番号: [1398 / 2250]
臼井勝美著
『満洲事変
戦争と外交と』
中公新書
11〜12p
《 東北交通委員会は、日本の東北における権益の中核である南満州鉄道を
中国鉄道で包囲し、その機能を麻痺させる計画をたてていた。
すなわち満鉄をはさむ東西の二大幹線をつくり、
これを北寧線
(北平−洛陽)
に集中し、新たに良港を築いて連絡すれば、
単に満鉄の死命を御し得るのみでなく、
ソビエトの権益鉄道である東支鉄道にも重大な脅威を与え得るという構想である。
その所要資金は官民合弁でつくり、なお不足のときは、
鉄道が外国に支配されないよう相当の条件を付したうえ、
外国資本を受け入れることとし、特にアメリカ、ドイツの資本を歓迎する建前をとった。
すでに七月から錦州の南コロ島でドイツ資本による大規模な港湾建設工事が始まっていた。
東北交通委員会が構想している二大幹線が完成すると、
南北満州の重要地点から中国鉄道を経由してのコロ島への距離は、
満鉄を利用して大連に行く場合と比較して著しく短縮されるので、
将来物資の集散上、中国鉄道が有利となり、
満鉄への脅威が深刻になることは充分予測された。
このように中国鉄道による満鉄包囲網が着々と計画されつつあった。》
19 p
《 一九三一年二月中旬、国民党の中央執行委員呉鉄城と、中央監察委員張継は南京を出発、
呉鉄城は東北四省、・・・の党務視察、指導のため現地に赴いた。
・・・
呉鉄城は、二月二十日、奉天に着き、ただちに党部の開設に着手した。
呉は、まず奉天、吉林、チチハル、熱河に省党部を設け、
ついで東北四省の重要都市に市党部を置き、漸次県党部以下を組織 》
つづく
これは メッセージ 1396 (kireigotowadame さん)への返信です.
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満洲に於ける日本人迫害2の2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/17 19:00 投稿番号: [1396 / 2250]
K・カール・カワカミ著
『シナ大陸の真相
1931〜1938』 (原題 Japan in China )
訳者
福井雄三
展転社
2の1からのつづき
116p
八、南満洲鉄道沿線の日中共同鉱山事業に関する詳細な規定の交渉を拒否。
一九〇九年九月の
「満洲における鉱山・鉄道に関する協定」
の第四項は、
そのような規定の採用を承認。
九、大連の中国港湾関税局によるタバコヘの差別的な高輸入税の割り当て。
これは一九〇七年五月の
「大連に港湾関税局を設置することに関する
協定」
の第一二項への違反。
一〇、鉄道建設に必要な土地を南満洲鉄道に売却するのを拒否。
これによって南満洲鉄道は石、砂利、その他鉄道の修繕と椎持に必要な物を
沿線の土地から得ることは不可能。
これは一八九六年九月の中露協定第六項に違反。
その条項は、一九〇五年一二月に日中間で締結された北京条約の下では、
現在でも南満洲鉄道に適用可能。
一一、南満洲の鉄道区域外に日本人が居住し旅することを不可能にしてしまう
ような秘密命令の発布。これは一九一五年五月の
「南満洲に関する条約」
の
第三項への違反。
一二、朝鮮人への迫害。これは一九〇九年九月の
「間島に関する協定」
の第三項への違反。
一三、南満洲鉄道沿線区域内での不法を税金の取り立て。
これは一八九六年九月の中露協定の第六項への違反。
この協定は南満洲鉄道にも適用可能。
一四、タオナン・アンガンチー鉄道の管理部門に日本人の交通スタッフまたは
顧問を任命することを拒否。
これは満洲国 (?) 政府と南満洲鉄道の間に締結された借款協定への違反。
一五、日本が資金を出して中国が経営しているその他の鉄道に勤務している
日本人の交通スタッフや会計係が、借款協定で定められた監督権を
行使するのを不可能にしてしまう。
一六、撫順産出の石炭を用いて南満洲鉄道が頁岩油を製造することに抗議。
一七、日系資本の鉄道の売上金の着服。
これによって日本の借款業務に対する支払い停止が発生。
これらの売上金は、日本所有の南満洲鉄道に平行して走る鉄道建設のために使用。
その目的は南満洲鉄道の勢力を弱めるため。
*
1に
《幣原外交の問題点は、中国人の物の考え方、
とりわけ彼が外相をしていたあの数年間における中国人の発想方法を
全く理解出来なかったことである。
今一度ロドニー・ギルバート氏の著書から引用させてもらうと、
「根っからの先祖代々の敵が寛大な態度を示すということは、
中国人の目から見れば弱さの徴…」なのだ。》
とありましたが、
これなんか、今の民主党外交批判にピッタリでしょう。
*
十四に「満洲国 (?) 政府と南満洲鉄道の間に・・・」
とあるのは判らない。
この時、満州国は未だない。何か別の事の勘違いかも知れない。
信用できる人の文献でも、こういう間違いは多々ある。
だから、一部の文章を切り取って、「あの人がこう言っているから。」
と単純にやってはならないのです。
これは メッセージ 1394 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月18日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/17 18:43 投稿番号: [1395 / 2250]
一月十八日
《 ほうぼうで煙が立ち昇っている。あいかわらず景気良く放火が続いているのだ。
九時ころ、難民収容所の管理者が集まって、本部で会議が開かれることになっている。
日本軍に妨害、いや、禁止された場合のことを考えて、手は打ってある。
衛兵を一人、塀の外に立たせておいたのだ。
この前のように、警察官に包囲されたら、ただちにドイツ大使館に通報することに
なっている。うれしいことに、ローゼンをはじめ、クレーガー、シュペアリングもきてくれた。
日本軍がなにか言ってくるのではないかと気がかりだったが、会議はつつがなく進行した。
午後、スマイスとフィッチがきた。米だけでなく、ほかの食料品も倉庫から
市内に運びこんではいけないことになったというではないか。
上海からとりよせることも禁じるという。
どうやら日本軍は難民を飢え死にさせるつもりらしい。
だが、断じてそんなことはさせないからな。
そこで我々は上海の基督教総会に電報を打った。
幸か不幸か、アメリカ大使館はワシントンの国務省にまたぞろ 「事件」 を
報告することができた。当地のアメリカンスクールが今日また略奪にあったのだ。
ピアノを運び出すため、壁に大きな穴まであけられて。
だが、残念ながら大使館の職員は間に合わず、現場を押さえられなかった。
ふたたび大使館が置かれた以上、日本軍がよもやこんな恥さらしなことを
やらかすとは思っていなかったのだ。
どうやって事務所を閉鎖したらいいのだろう。私は頭をかかえてしまった。
中国本社から 「事務所をたたむように!」
という電報が届いた。
荷造りしようにも木箱が手に入らない。
木箱をつくる職人もいないし、運送業者もいない。
どうやって荷造りすればよいのだろう?
そうかといって一切合切このまま置いていくわけにはいかない。
ということは、なくなるということだからだ。
私が引き揚げたら、上海に行ってしまったら、家屋敷はどうなってしまうのだろう?
たぶん日本政府は私に旅券を出してくれるだろう。
いやそれどころか、私を厄介払いできて、せいせいするのではないだろうか。
だが、ここにいる六百五十人の難民はどうなる?
血のにじむような苦労をしたあげく、こんなに厳しい結末を迎えようとは!》
*
「アメリカンスクールが今日また略奪にあったのだ。
ピアノを運び出すため、壁に大きな穴まであけられて。」
日本軍がこんなもの盗んで何になる。必要なら
「貸せ」
と言えば済む。
もう20年も前になるが、福岡市天神の新店町の宝石店に
中国人窃盗団が壁を破って侵入し、宝石を盗む事件があった。
それまで、日本では、壁を破って入る窃盗などなかったから、非常な驚きだった。
以後、こういう荒っぽい窃盗がふえ、珍しくもなくなったが。
第16師団はまもなく移動するから、ピアノを盗んでも意味がない。
天谷支隊は、来たばかりで、南京の様子・地理がわからない。
だとしたら、犯人は中国人であろう。
壁に穴をあけてピアノを盗むなど、日本人のやり口ではない。
これは メッセージ 1389 (kireigotowadame さん)への返信です.
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満洲に於ける日本人迫害2の1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/16 18:59 投稿番号: [1394 / 2250]
K・カール・カワカミ氏は、中国の反日は満洲事変よりずっと前、
日本が友好的政策を取っていた時から醸成されたと言っています。
そこで中国の反日や迫害を紹介する前に、K・カール・カワカミ氏の意見を紹介します。
K・カール・カワカミ著
『シナ大陸の真相
1931〜1938』(原題 Japan in China )
訳者
福井雄三
展転社
114p
《 中国の意欲的な排外主義の真っ只中にあっては日本の自由政策は無駄となり、
幣原
(しではら)
男爵は盲目的な楽観主義者であるかのように見なされるようになった。
これまで我々が見てきた良識的な宥和
(ゆうわ)
発言を彼が行っている時でさえ、
中国国民党は満洲から日本企業を除去しようという計画を推し進めていた。
幣原外交の問題点は、中国人の物の考え方、とりわけ彼が外相をしていた
あの数年間における中国人の発想方法を全く理解出来なかったことである。
今一度ロドニー・ギルバート氏の著書から引用させてもらうと、
「根っからの先祖代々の敵が寛大な態度を示すということは、
中国人の目から見れば弱さの徴
(しるし)
か、あるいは収賄しようと
しているかのどちらか」
なのだ。》
115p
《 中国は、幣原男爵が宥和や善隣友好などを口にしているまさにその時に、
日本と結んだ条約を全面的に侵害するという手段に訴えてきたのである。
次に掲げるのはこの期間に侵害された日中協定の一部のリストである。
一、商業及び農業の目的のために土地を借りる権利を日本人に与えた、
南満洲と東内モンゴルに関する一九一五年
「条約」
の第二項と
第四項の遵守を拒否。
二、日本人の経営する撫順及び煙台の鉱山産出の石炭に対してかかる輸出税を、
トン当たり一〇パーセントから四〇パーセントへの勝手なつり上げ。
これは一九一一年五月に定められた
「撫順及び煙台鉱山に関する詳細規定」
への違反。
三、南満洲鉄道に平行して走る鉄道の建設。
これは一九〇五年の北京条約議定書への違反。
四、一九〇九年九月の
「間島地域に関する協定」
条項
(この協定によって中国は長春・吉林鉄道を朝鮮国境まで延長することに同意)
の
発効の拒否。この協定は一九一八年と一九二七年の新協定によって補足。
五、満洲の中国の鉄道で輸送される日本商品への差別。
これは一九二二年二月のワシントン九ケ国条約への違反。
六、大連港の返還を要求することによって、満洲に関する一九一五年条約の無視。
七、日本の警備兵が鉄道沿線地域から撤退することを要求。
これは一九〇五年の協定の無視。》
2に続く
これは メッセージ 1392 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月17日 新しい和平工作
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/16 18:52 投稿番号: [1393 / 2250]
松本重治著
『上海時代・下』
中公新書
259〜260p
《 昭和十三年(一九三八年)一月十七日正午少し前に、
満鉄南京事務所の西
(義顕)君からの電話があった。
「今、パレス・ホテルで董道寧君と話をしているんだ。
董君は、今、日本に行くことを考えている。僕が勧めたのだが、君はどう思うかね」
「董君が上海に来ていることは、川越大使から聞いているが、
彼が日本に行くというなら、僕は大賛成だ」
「そうか。君も賛成というなら、それで決定としよう。
とにかく、今すぐに来てくれないか。三人で話をしようや」「すぐ行く」。
パレス・ホテルの西君の部屋へ入ると、
董君が
「松本さん、お久しぶりです」
といいつつ握手をする。
「董君、積る話を聞きたいが、まず、お元気で何よりだ」
と、
挨拶もいい加減にしておいて、私は矢継ぎ早に、どうして漢口から来られたのか?
高
(宗武)
君は、元気かねで上海にはどうして来たのか?
などと質問を連発した。
董君は、
「高さんの指令で、上海に来て、川越大使に会い、トラウトマン独大使の
和平斡旋に対し、日本側の要求条件の緩和方につき大使に協力を要請したのです。
中国側は、まず停戦ができれば、和平条件には、あまり拘っていないようだ。
東京のほうは、南京陥落で有頂天になり、苛重な条件を押しつけてきたので、
残念ながら、お流れになったようです。 昨日の日本政府の内閣発表でも、
『爾後国民政府を対手にせず』
といって高飛車の態度です」
と、いかにも残念だという顔をしている。
「して、どうして日本へ行くのですか?」
と尋ねると、
西君が、
「僕が説明しよう」
といって、私に、董君の赴日の決意を事細かく説明してくれた
(西義顕著
『悲劇の証人』
九〇−九八ページ参照)。
私は、董君に対して、
「まず第一に、董君の勇気に感銘した。
第二に、こんどの訪日旅行は、両国のために重大な意義があると思う。
このまま絶縁状態に置くことは、日中両国のために、よろしくない。
南京での日本軍の暴状を知って、私は、日本人として恥かしい限りで、
中国人たる董君に謝ることばもない。
戦争が長引けば、日本は日一日と堕落してゆく。一日も早く停戦をと祈っているが、
君の訪日は、日本を救うための第一歩となるかも知れない。東京でも馬鹿ばかりはいまい。
董君が、しかるべき人に会ってくれれば、お土産話はふんだんにあるだろう。
中国のためにも役立つだろうことを、私は信じて疑わない。
高君のほうは、私が何とか話をつけよう。
オイ、西君、この際は、外務省はあまり役に立たぬだろうから、
カーさん
(影佐禎昭大佐)
には、すぐ連絡して、万般の準備をしたら?」
というと、西君も、
「僕もそう考えていたところだ。明後十九日に連絡船で長崎へ行くつもり。
そして、僕がカーさんには直接談判をやるよ」
と引き受けてくれた。
私が
「昨年八月に上海で影佐さんとゆっくり話をしたが、石原氏の感化のためか、
中国の民族主義を再評価するようになったためか、彼のほうから
『日中戦争をできるだけ早くやめねばならん』
といっていて、僕も大いに共鳴できた」
と話すと、董君も、嬉しそうに、うなずいて聴いていた。
みんな、あまり話に熱中していたので、
部屋にランチをもってこさせることまで忘れていた。》
これは メッセージ 1391 (kireigotowadame さん)への返信です.
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満洲に於ける日本人迫害1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/15 15:32 投稿番号: [1392 / 2250]
張作霖が列車爆破により殺害されたあと息子の張学良が後を継ぎました。
現在は、ロシアから、 「張作霖を殺したのは自分達だ」
と言う文献が出ていますが、
それ以前は、日本の関東軍が犯人と想われていました。
当然、張学良は日本人に、反感を抱き、嫌がらせをします。
田中正明著
『東京裁判とは何か』
大手町ブックス
日本工業新聞社発行
152〜153p
《 張作霖が爆死したのち、張学良が実権を握るや、
彼は蒋介石と結び、党部 (国民党) 勢力を招きいれ、党部官憲の指導のもとに、
排日運動は組織化し、満州で一層熾烈 (しれつ)
化した。
さらに張学良は、国民党軍の副司令に任ぜられた。
学良は二十二万にのぼる常備兵を持ち、
奉天工兵廠の規模を拡大し、戦車、飛行機等の近代兵器の装備や、
訓練、さらには機関の強化等、量質共に充実をはかった。
当時、在満の日本軍に比して、兵力装備ともに卓越していたばかりでなく、
その軍隊配置は、ちくじ、満鉄沿線の日本軍駐屯諸地域を包囲するかたちとなり、
その将兵の抗日意識の高揚と相まって、関東軍は脅威にさらされた。
これに対して、関東軍は、兵力僅
(わず)
か一万余、装備は劣弱、
しかも、長春以南一〇〇〇キロの鉄道沿線と、居留民を守らなくてはならない。
兵力の増強を意見具申しても、陸軍中央部はこれを認めてくれない。
微弱なる日本軍は、平時態勢のまま、われに二十倍する
優勢にして抗日意識旺盛な、支那大軍
(学良軍)
の包囲下におかれた。
排日侮日行為は、ますます組織的となり、わが軍に対する妨害行為や、
在満邦人に対する投石や、暴行などの事故が瀕発
(ひんぱつ)
するようになり、
軍はもとより、邦人あげて憤激のきわみであった。
在満日鮮の居留民に対する暴行事件、その他二百余件の懸案を平和的に解決すべく、
日本政府は外交々渉を重ねてきたが、中国側は平和交渉に少しも誠意を見せず、
ただ口先のみの、形勢緩和策が叫ばれるのみで、
日支両軍の関係は、まさに一触即発の事態にあった。
つづく
これは メッセージ 1386 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月17日 駐支独大使に打切り通告届く
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/15 15:21 投稿番号: [1391 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
278p
《 ドイツは、既述したように、
中国の抗戦能力を
「長くて六カ月間」
と推算している。
駐支大使ら O ・ トラウトマンは、日本側の交渉打ち切り通告を
十七日にうけとったが、すかさず外相 C ・ ノイラートに打電した。
「中国にいま一度再考の機会を与えるため、同通告は行政院長孔祥煕に伝達せず」
実際には、日本側通告はベルリンからの訓令によって中国側につたえられるが、
大使トラウトマンの電文には、中国の将来への悲観的見とおしがにじみでている。
「日中間の戦争は、新しい章のはじまりを記録することになった」
駐日ドイツ大使ディルクセンは、和平仲介が不成功に終ったあと、
ベルリンにそう報告している。》
これは メッセージ 1387 (kireigotowadame さん)への返信です.
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生きたまま焼き殺された日本兵
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/14 15:30 投稿番号: [1390 / 2250]
児島襄著
『日中戦争』
文春文庫4巻
125ページ
《 北支
平型関の戦闘
(1937年)
9月25日
午前10時30分ごろ
輜重隊がぬかるみにはまって動けないところを、共産党林彪の軍隊に襲われた。
第六兵站自動車隊の損害は、トラック75両、新庄中佐以下戦死43人、
負傷34人であった。
翌日、戦場に急行した師団野戦倉庫の島尾又治郎主計大尉は、
次のような情景を記述している。
「焼け爛れた車のまわりにも、背後の丘の斜面にも、
痛々しい兵士たちの屍が数知れず横たわっていた。・・・
中でも思わず顔を背けたのは、手足を針金で車体に縛りつけられ、
ガソリンをぶっ掛けられて車諸共火炙りにされた無残な焼死体であった。」》
上海派遣軍第九師団山砲連隊第七中隊
中隊長代理大内義秀氏の宣誓供述書
冨士信夫著『「南京大虐殺」はこうしてつくられた』展転社
210頁
《 (1937年)
12月13日午後、私達は光華門の城壁を占領したが、
入城は許されず、憲兵と一部の小部隊が入城した。
その日、城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。
これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人の捜索を厳命した。私の部下に犯人はいなかった。
死体を検死した軍医は、これは少なくとも十時間以前の犯行であるから、
日本軍の入城前であり、日本兵が捕虜となり、
支那軍によって焼かれたものであろうと判定した。》
第三師団野砲兵第三連隊第一大隊観測班長・大杉浩の宣誓供述書より
《十二月十三日夕刻頃、南京の南方の城門から城内に入ったが、
そこには彼我の戦死体が点々と散在して居ましたが、
その中に一人の日本兵が手足を立木に縛られた儘(まま)、
身に数弾を受けて死んでゐました。
私は一見して、俘虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたものと感じ、
縄を切って地上に下ろしておきました。城壁の近くには支那軍の戦死体が
相当数ありましたが、常民の死体は見なかった。》
(冨士信夫著
『「南京大虐殺」
はこうしてつくられた』
175p)
ラーベの日記12月15日
《 だが、中国軍のほうも、済南で日本人捕虜を二千人射殺したという話だ。》
*
捕虜を生きたまま焼き殺す、これは虐殺じゃないのか?
中国軍も日本兵捕虜を虐殺しているが、取り上げない。
日本兵がやったという話なら、嘘でも取り上げるのに。
これは メッセージ 1388 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月17日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/14 15:22 投稿番号: [1389 / 2250]
一月十七日
《 ローゼンと話し合いをしたとき、
すでに岡崎総領事は先日のいさかいの調停に乗り出していた。
ベルリンや東京が何もいってこなければ、一件落着となる。
そうなれば大変ありがたい。
とにかく日本人と折り合っていかなければならないのだから。
昨日の午後、ローゼンといっしょにかなり長い間市内をまわった。
すっかり気が滅入ってしまった。
日本軍はなんというひどい破壊のしかたをしたのだろう。あまりのことに言葉もない。
近いうちにこの街が息を吹き返す見込みはあるまい。
かつての目抜き通り、イルミネーションなら上海の南京路にひけをとらないと、
南京っ子の自慢の種だった太平路は、あとかたもなく壊され、焼き払われてしまった。
無傷の家など一軒もない。行けども行けども廃墟が広がるだけ。大きな市が立ち、
茶店が建ち並んでいた繁華街夫子廟もめちゃめちゃで見るかげもない。
瓦礫 (がれき)、また瓦礫だ! いったいだれが元通りにするというんだ!
帰り道、国立劇場と市場の焼け跡によってみた。
ここもなにもかもすっかり焼け落ちていた。
南京の三分の一が焼き払われたと書いたが、あれはひどい思い違いだった
のではないだろうか。まだ十分調べていない東部も同じような状態だとすると、
三分の一どころか半分が廃墟と化したと言ってよいだろう。
日本軍は安全区から出るようにとくりかえしいっているが、
私は逆にどんどん人が増えているような気がする。
上海路の混雑ときたら、まさに殺人的だ。
いまは道の両側にそこそこしっかりした作りの屋台ができているのでなおさらだ。
そこではありとあらゆる食料品や衣料品が並べられ、
なかには盗まれた故宮宝物もまじっている。
難民の数は今や約二十五万人と見積もられている。
増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。
かれらは、どこに行ったらいいのかわからないのだ。
*
「道の両側に・・・ありとあらゆる食料品や衣料品が並べられ、
なかには盗まれた故宮宝物もまじっている」
これを見て、ラーベは自分の思い込みの間違いに気づかないのだろうか。
露店で売られている物の中に、「盗まれた故宮宝物もまじっている」
という事は彼らこそが、本当の略奪者ではないか。
南京の外から、衣料品など仕入れて来れないのだから。
彼らが、略奪して、証拠隠滅のために放火したと言うべきであろう。
*
「増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。」
王固盤が20万人と言った時、 難民区も廃墟もまだ無かったのだけど。
城内全域で20万だったはず。
ラーベは話をすり替えている。
五万人増えたのは、潜伏中国兵が市民として登録されたからだろう。
これは メッセージ 1380 (kireigotowadame さん)への返信です.
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中国内戦 捕虜収容所がない、虐殺
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/13 18:57 投稿番号: [1388 / 2250]
ラルフ・タウンゼント著
『暗黒大陸中国の真実』
64p
《 苦力は実に悲惨である。兵隊でさえ嫌がるところへ回される。
もし
「敵方」(一時的に抗争する、ならず者の集団)
に捕まったら、
強制されての従軍だということは無視され、とにかく戦果を上げるため射殺される。
捕虜の圧倒的多数はこういう風に徴発された苦力である。
戦闘記録にある
「捕獲捕虜」
とは
「敵方で虐殺された者」
と読み替えてよい。
勝者の気分次第で敗者は
「屠殺」
されることがごく普通である。
数百万単位の軍隊が抗争を断続的に繰り広げながら、
捕虜収容所が全くないということは注目に値する。
捕虜の給食施設が全くないのだ。
食料や施設が欠乏しており捕虜などに回す余裕などなく、
万が一潤沢にあったとしても無用な敵に何かを提供するなど考えられない。》
65p
《 ある晩のこと、夕食会に招かれた。来賓の中には中国の
「精鋭軍」
の
お偉方も列席されていた。日本に留学した者も二、三人いた。
つい最近まで日本が知識階級の教育の場であったのである。
私の中国語は覚束ないので英語で説明してくれる者もいた。
その話によれば、最近のある戦闘で捕まえた敵方の将校の一団を
どう殺そうかと議論になった。
そして、ばらばらの釘を飲ませてやろうということになった。
飲ませてから、効果観察のため整列させた。約二時間後に死亡したそうである。》
*
南京で日本軍が捕虜を殺したと、得意げに言いたてる者もいるが、
中国軍が捕虜をどうしたかを理解する者はいない。
終戦後の捕虜扱いだけが特別にもてはやされているが。
支那事変では、日本軍が追撃するたびに、中国軍は敗走したが、
捕虜を連れて逃げたという話は聞かない。
釈放の話もないから、全員虐殺したということだろう。
第二次上海事変の前、中国軍が上海閘北駅に続々降りて来たので、
上海憲兵隊の大前軍曹と熊野通訳が偵察に行ったら捕まり、
後でわかった事だが、殺され埋められていた。
(『ある情報将校の記録』197p〜より要約)
これは メッセージ 1386 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月16日 間に合わなかった口上書
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/13 18:48 投稿番号: [1387 / 2250]
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
478〜479p
《 中国では、十五日、孔祥煕行政院長がトラウトマン大使に、
十三日の口上書よりも、さらに妥協的に表現した口上書を
日本側に伝達してくれるよう求めた。
孔祥煕は、中国政府は日本側提案に対し決して回避的態度をとろうと
したのでない、と熱心に述べた。
しかし、ディルクセン大使が本書を日本側に手交する前に、
日本側から交渉打ち切りの通告があった。
一方、参謀本部は、十六日夕、ドイツ武官から、右の孔祥煕の口上書を受けた。
(第十回情報という)
十六日朝、東京のドイツ大使館に到着したが、
暗号がとけなかったため夕刻となった。
参謀本部では、右口上書によれば、脈のあることはもちろん少ないが、
文面には和平の誠意を有している。
従って内閣が
「脈なし」
としたことは重大な誤判断であるとし、
上聞に達することなども含め種々の方策を検討したが、
結局、しばらく今後の情勢の推移をみることとした。》
*
こう書いてあると、いかにも中国側がまだ、和平の意思を有していて、
打ち切った日本が悪いかの如くとれるが、
そもそも、蒋介石は和平を望んでいなかったし、
孔祥煕が勝手に、文書を出しただけだから、何の解決にもならないだろう。
応じても、中国側の時間稼ぎになるだけの可能性大。
これは メッセージ 1378 (kireigotowadame さん)への返信です.
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国共内戦における中国の暴虐7
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/13 18:43 投稿番号: [1386 / 2250]
臼井勝美著
『満洲事変
戦争と外交と』
中公新書
5p
《長沙在留の二五名の日本人は二十七日夜十一時五十分までに中の島に収容され、
その大部分九一名 (婦女子全部七三、男子一八) がガン江丸で
漢口に引き揚げた
(三十一日漢口到着)。
彭徳懐軍は二十七日夜から市内に進入を始め、二十八日正午までには約一万が入城した。
長沙市内には処々に火災が起こり、掠奪などで市中は混乱状態におちいった。
翌二十九日にかけて、省政府や国民党党部の建物、イギリス、アメリカ系の教会などが
焼き払われ、日本領事館、館員宿舎をはじめ、一般日本商店も焼き毀された。》
鈴木明著
『「南京大虐殺」
のまぼろし』
34〜35p
《中国の現代史を描いた本で
「殺戮、虐殺」
等の文字の見えぬ本は一冊もない。
一九二七年、蒋介石の政権獲得から七年間にわたるはげしい
「剿共戦」
で、
かなりの一般民衆が
「虐殺」
をうけた・・・
エドガー・スノーの
『中共雑記』
をみよう。
「個人的逮捕、処刑は別にしても、
今日までに約三百万人が揚子江南北の全五回にわたる反共戦で、殺害されていた。
江西省ソビエト地区は、隆盛期には、二百五十万の人口を有していたが、
最後の反共戦で紅軍が止むなく撤退してのちの人口は、百五十万に過ぎなかった。
湖北、河南、安徽のソビエト地区では、国民党部隊の占領後、
人口が六十万人も減少した。
江西、湖南、湖北辺境地区では、
五十万人が
(粛清)
によって殺された」
ロバート・ペイン
『長征への道』
から。
「海陸豊地方は、国民党軍に包囲され、朱徳将軍率いる軍を歓迎した女たちは、
何一つ容赦されず、村はことごとく焼かれ、大部分の女は暴行をうけ、
ほとんど皆、銃剣で殺傷された」
アグネス・スメドレー
『中国紅軍は前進する』
から。
「紅軍が長沙の町を占領した瞬間から、国民党と帝国主義者どもは大恐慌におちいった。
戒厳令が海岸および河川流域の都市にしかれた。
漢口、上海、広東、天津で〝嫌疑者〟の大量逮捕がはじまり、
速射銃をもった特別警察が各工場に配置された。
そして、これら揚子江流域の姉妹都市は、連日大量虐殺の舞台となった」
そして、更にスメドレーは続ける。
「都市の外国新聞や国民党新聞は、気が狂ったのではないかと思われた。
長沙の街に焼き打ちをかけたのは紅軍だというのだ。
〝紅軍はすべての教会や商社、全住民の家を焼き払った〟
〝紅軍は数万の民衆を屠殺した!〟〝長沙にはもう処女はいない!〟
〝紅軍は略奪し、中国文化を破壊している!〟」
「尼さんのひとりがいった。〝紅軍は何百という金持を射殺しました!〟》
*
ここではエドガー・スノーの記述だけでも 300 万人が虐殺されています。
便衣兵 (共匪) 狩りや、強姦、毒ガス、大量虐殺
中国が
「日本軍がやった」
と言っている内容は、そっくり、ここにあります。
数から行くと、南京の30万の方がはるかに少ないですけどね。
その30万も、人口20万の所で30万殺したというのですから何をか言わんです。
これは メッセージ 1383 (kireigotowadame さん)への返信です.
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国共内戦における中国の暴虐6
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/12 18:59 投稿番号: [1385 / 2250]
臼井勝美著
『満洲事変
戦争と外交と』
中公新書
5p
《 長沙在留の二五名の日本人は二十七日夜十一時五十分までに中の島に収容され、
その大部分九一名
(婦女子全部七三、男子一八)
がガン江丸で漢口に引き揚げた
(三十一日漢口到着)。
彭徳懐軍は二十七日夜から市内に進入を始め、二十八日正午までには約一万が入城した。
長沙市内には処々に火災が起こり、掠奪などで市中は混乱状態におちいった。
翌二十九日にかけて、省政府や国民党党部の建物、イギリス、アメリカ系の教会などが
焼き払われ、日本領事館、館員宿舎をはじめ、一般日本商店も焼き毀された。》
鈴木明著
『「南京大虐殺」
のまぼろし』
34〜35p
《 中国の現代史を描いた本で
「殺戮、虐殺」
等の文字の見えぬ本は一冊もない。
一九二七年、蒋介石の政権獲得から七年間にわたるはげしい 「剿共戦」 で、
かなりの一般民衆が 「虐殺」 をうけた・・・
エドガー・スノーの
『中共雑記』
をみよう。
「個人的逮捕、処刑は別にしても、
今日までに約三百万人が揚子江南北の全五回にわたる反共戦で、殺害されていた。
江西省ソビエト地区は、隆盛期には、二百五十万の人口を有していたが、
最後の反共戦で紅軍が止むなく撤退してのちの人口は、百五十万に過ぎなかった。
湖北、河南、安徽のソビエト地区では、国民党部隊の占領後、人口が六十万人も減少した。
江西、湖南、湖北辺境地区では、五十万人が (粛清) によって殺された」
ロバート・ペイン
『長征への道』
から。
「海陸豊地方は、国民党軍に包囲され、朱徳将軍率いる軍を歓迎した女たちは、
何一つ容赦されず、村はことごとく焼かれ、大部分の女は暴行をうけ、
ほとんど皆、銃剣で殺傷された」
アグネス・スメドレー
『中国紅軍は前進する』
から。
「紅軍が長沙の町を占領した瞬間から、国民党と帝国主義者どもは大恐慌におちいった。
戒厳令が海岸および河川流域の都市にしかれた。漢口、上海、広東、天津で
〝嫌疑者〟 の大量逮捕がはじまり、速射銃をもった特別警察が各工場に配置された。
そして、これら揚子江流域の姉妹都市は、連日大量虐殺の舞台となった」
そして、更にスメドレーは続ける。
「都市の外国新聞や国民党新聞は、気が狂ったのではないかと思われた。
長沙の街に焼き打ちをかけたのは紅軍だというのだ。
〝紅軍はすべての教会や商社、全住民の家を焼き払った〟
〝紅軍は数万の民衆を屠殺した!〟〝長沙にはもう処女はいない!〟
〝紅軍は略奪し、中国文化を破壊している!〟」
「尼さんのひとりがいった。〝紅軍は何百という金持を射殺しました!〟》
*
ここではエドガー・スノーの記述だけでも 300 万人が虐殺されています。
便衣兵
(共匪)
狩りや、強姦、毒ガス、大量虐殺
中国が
「日本軍がやった」
と言っている内容は、そっくり、ここにあります。
数から行くと、南京の30万の方がはるかに少ないですけど。
その30万も、人口20万の所で
「30万殺した」
ですから何をか言わんです。
これは メッセージ 1383 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月16日 国民政府ヲ対手トセズ
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/12 18:47 投稿番号: [1384 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
275p
《 一月十六日。
午前十時十分すぎ、広田外相はドイツ大使ディルクセンの来訪をもとめ、
これまでの和平仲介の労に感謝したあと、中国側には和平意思がないと認めるので
これ以上の交渉は中止する、ドイツの仲介も謝絶する、と通告した。
大使ディルクセンは、日本側の決定は過早ではないか、と首をかしげ、
次のように指摘した。 「中国側の引きのばし的不満足な姿勢にたいし、
日本側が待ちきれなかったことは理解できるが、世界の人々の眼には、
日本側に交渉決裂の責任があるように、うつるのではなかろうか」
大使ディルクセンは、前述したように、
交渉を決裂させたのは蒋介石側だと観察している。
大使の発言は、その意味で、日本側から交渉拒否をいいだすのは
自ら不利をまねくことになる、との忠告であったわけである。
広田外相は、しかし、反応せず、そのあと、正午に日本政府は声明した。
「……仍 (よっ) テ帝国政府ハ、 爾後
(ジゴ;今後)
国民政府ヲ対手トセズ。
帝国ト 真ニ提携スルニ足ル
新興支那政権ノ 成立発展ヲ期待シ、
是
(これ)
ト 両国国交ヲ調整シテ、 更生新支那ノ 建設ニ協力セントス」
世にいう
「蒋介石ヲ対手トセズ」
声明
―
である。》
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
476p
《 政府は十六日次のような声明を発した。
帝国政府ハ 南京攻略後
尚ホ支那国民政府ノ反省ニ
最後ノ機会ヲ
与フルタメ 今日ニ及ヘリ
然ルニ国民政府ハ 帝国ノ真意ヲ解セス
漫
(みだ)
リニ抗戦ヲ策シ
内
民人塗炭ノ苦ミヲ察セス
外
東亜全局ノ和平ヲ 顧ミル所ナシ
仍
(よっ)
テ 帝国政府ハ
爾後 国民政府ヲ対手トセス
帝国ト真ニ 提携スルニ足ル
新興支那政権ノ 成立発展ヲ期待シ
是ト両国国交ヲ調整シテ
更生新支那ノ建設ニ協力セントス
元ヨリ帝国カ
支那ノ領土及主権 竝 (ならび) ニ
在支列国ノ権益ヲ 尊重スルノ
方針ニハ 毫
(ゴウ;少し)
モカハル所ナシ
今ヤ東亜和平ニ対スル 帝国ノ責任愈々
(いよいよ)
重シ
政府ハ国民カ 此ノ重大ナル任務遂行ノタメ
一層ノ発奮ヲ冀望
(きぼう)
シテ止マス
これは御前会議で和戦両様の方策を定めた
「支那事変処理根本方針」
の
「支那現中央政府カ
和ヲ求メ来ラサル場合ニ於テハ
帝国ハ爾後 之ヲ相手トスル事変解決ニ
期待ヲ掛ケス」
の項によるものであるが、
この声明では
「爾後国民政府ヲ対手トセス」
と断定的に否認したものであった。
これに対し、国内の表面的世論は政府のこの声明をもって英断なりと共鳴した。
しかし
「対手にせず」
とは文字どおり国民政府と和平の話はしないという意味で、
この用語の持つ俗語味のために多少の融通性を感じさせ
(外務省の提案当事者は、
これがねらいであり、とくに
「相手」
を
「対手」
に換話したという)
後日になって、あるいは国民政府と和を談ずることもあろうかという
いちまつの含蓄を務めるような印象をも内外に与えた様子であった。》
これは メッセージ 1376 (kireigotowadame さん)への返信です.
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国共内戦における中国の暴虐6
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/11 18:44 投稿番号: [1383 / 2250]
児島襄著
『日中戦争2』
文春文庫
52p
《 長沙が奪回されると、主席何鍵は、東方に
「紅軍」
を追撃するとともに、
市内では大規模な 〝赤狩り〟 を実施した。
そのさい、 「赤色分子」
の識別手段にされたのは、腕や首に残る赤色のしみであった。
赤布をまいて
「長沙暴動」
に参加した労働者、農民、 「紅軍」
兵士の一部は、
前述したように、その赤布をすてて潜伏していたが、
汗が赤色染料をとかして痕跡を皮ふに残したのである。
だが、 〝赤狩り〟
の対象は、皮ふが赤い者だけにとどまらず、
多少とも疑わしい者は容易に銃殺され、新聞も
「白色テロリズムの如き」
と論評するほどであった。
長沙奪回後の一週間で、 「銃殺されたもの一千名」
に達した、と報道されている。》
*
これなど南京で日本軍が安全区に潜伏した便衣兵を摘発したのと同じでしょう。
日本軍は非難されても、こっちは非難どころか、採り上げもされません。
53p
《 主席何鍵個人が総商会に
「四十万元」、省政府も一般市民に
「五十万元」
の
軍費献金を強制した。
「紅軍」
と中央軍によってくり返して戦禍をうけ、
街も廃墟にひとしくなった長沙市民に、それだけの献金能力はない。
・・・
八月二十七日、 「紅軍」
は東方から長沙にせまった。》
*
この時、蒋介石軍は毒ガスを使っています。
共産党軍をやっつける為、市民もろともに。
55〜56p
《 糟谷領事の報告によれば、
「十二日、 (省政府秘書)
楊宜誠ガ極秘トシテ
語ル処ニヨレバ、
十一日ニハ
飛行機ヲ以テ
毒瓦斯
(ガス)
ヲ使用シ
共匪軍ニ相当ノ打撃ヲ
与ヘタルガ、尚退却セズ。 蒋介石ヨリ……長沙ヲ
死守スベキ旨
電報アリタリ」
57p
閻錫山は、・・・ 「下野」
を通電・・・通電は十四日付で、・・・
蒋介石軍が毒ガス弾を使用して地方人民を惨害しているので、
人民を救うために下野して戦争を休止する、と述べていた。》
62p
《 江西省における被害は最もめだち、この年十一月までに
「紅軍」
におそわれた
市町村は六十八カ所、判明した被害だけで次のような数字が報告されていた。
▽
焼失家屋=八万七千二百二十四戸。
▽
死者=十二万八千七百五十人。
▽
難民=百六十一万五千百人。
▽
被害金額=三億八千六百九十四万九千九百元。》
つづく
これは メッセージ 1381 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月16日 南京警備は天谷支隊に交代
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/11 18:36 投稿番号: [1382 / 2250]
ラーベ達、外国人が日本軍の犯罪を訴えつづけるため、
第16師団は南京警備から外され、代わりに天谷支隊が南京警備に入りました。
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
432p
《 天谷支隊は、司令部、歩兵第十旅団主力を揚州、各一部を儀徴、
仙女廟、邵伯鎮に配備していた。
支隊は一月八日揚州付近の警備を第三師団と交代し、
一月十六日、南京に到着、第十六師団に代わり同地の警備に任じた。》
これは メッセージ 1380 (kireigotowadame さん)への返信です.
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国共内戦における中国の暴虐5
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/10 18:43 投稿番号: [1381 / 2250]
児島襄著
『日中戦争2』
文春文庫
45〜46p
《 結局は、 「革命闘争」
という名の掠奪に参加することになるが、
すでに市内の目につく建物は掠奪ずみである。
範囲は拡大され、この日、それまで手をつけなかった汽船会社も襲撃目標に加えられて、
英国汽船会社
『恰和洋行』
の倉庫がおそわれ、同社の繋船も焼かれた。
そして、翌日、七月三十一日には、湘江にうかぶ外国砲艦を攻撃し、
事態を一挙に急転させることに
・・・
女性記者A・スメドレーによれば、 「紅軍」
政治部はこの各国砲艦を
「中国人民を搾取する列強そのもの」
とみなし、
「帝国主義者と一戦をまじえねばならぬ」
と声明した。
なんとなく、長沙市内に襲撃対象が見当らなくなったので、
あえて新目標を設定したようでもある
47 p
砲艦
『小鷹』、つづいてイタリヤ砲艦が現場に近づくと、 「紅軍」
側は堤防に
「機関銃十挺ヲ備へ」
て射撃してきたので、こんどは日伊両艦も本格的に応戦・・・
50〜51p
午後九時、中国砲艦二隻は
「猛砲撃」
を開始し、長沙市街は炎上した。
八月五日午前三時、第三十一師、第十六師第四十八旅、
第十五師第四十五旅は二手にわかれて小舟、ボートで渡河をはじめ、
午前七時には長沙市北端に攻めこみ、市街戦となった。
「紅軍」
側は、すでに東方に脱出をはじめていた。記者スメドレーによれば
―
「数千の労働者農民を率いた紅軍は、補給品や奪いとった銃や弾薬、負傷者や
救い出されたが歩行のできない囚人を運びながら、長沙の街をひき払いつつあった。
ここにとどまり、敵のなかで革命的な工作を続行する任務を帯びた人々は、
腕や首にまきつけた赤い布をひきちぎって待機していた」
午前十時三十分、市街戦は終り、中央軍は長沙を奪回した。
・・・
これで、 「紅軍」
による
「長沙大暴動」
は終熄したわけだが、
長沙の街は、まさに暴動の跡にふさわしく、文字どおりに瓦礫
(がれき)
の
集積に変化していた。
長沙の日本資産についても、次のように報告されている。
▽掠奪および焼失
=
領事公館、領事館事務所及付属家屋、
▽全部掠奪
=
郊外領事館員宿舎、同仁医院、石井写真館、日豊洋行、
大石洋行、塩川洋行、一力亭、山本洋行、日本人小学校、陶山写真館、
▽一部掠奪
=
杏林堂、広貫堂、日清倉庫B、戴生昌、海軍宿舎、薄洋行。
「損害ハ七千万ドルヲ
下ラザルベク、同地ノ復興ニハ
少クトモ四ケ年ノ
日子ヲ
要スベシ」
とは英商社筋の被害見積りである》
つづく
これは メッセージ 1379 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月16日 ラーベの日記
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/10 18:36 投稿番号: [1380 / 2250]
一月十六日
《 日本大使館での晩餐会はいともなごやかな雰囲気のうちにすぎていった。
我々外国人は全部で十三人。大使館の人たちのほか、委員会から九人。
ヴォートリン、バウアー、ベイツ、ミルズ、スマイス、トリマー、クレーガー、
それから私。マギーは食事が始まってからやってきた。
遅刻癖はあるが、それを除けば愛すべき仲間だ。
この席でクレーガーは、上海への旅行が許可されたとの知らせを受け取った。
やれやれ、本当に良かった。なにしろ、クレーガーは結婚を控えているのだから。
代わりの人をどうするかが問題だ。
クレーガーは財務担当だが、そう簡単には見つからないだろう。
食事は素晴らしくおいしかった。私はテーブルスピーチを頼まれていたが、
なにぶん微妙な状況なので、あらかじめ原稿を用意しておいた。
ご臨席の皆様!
本日の温かいお招きに対し、南京安全区国際委員会を代表しまして、
日本大使館の皆様に心から感謝の意を表明します。
(中略)
サムライは数々の戦で非常に勇敢にお国のために戦いながらも、
もはや身を守る力のない敵に対しては、 「武士の情け」
を示した、
つまり寛容だったと聞き及んでおります。
日本大使館の皆様、皆様は、私たちの願いを辛抱づよく聞いてくださった。
そして数多くの苦情にもつねに進んで耳を貸してくださいました。
また、力の及ぶ限り、私たちを助けようとご尽力くださいました。
ありがたくうけたそのご助力に対し、国際委員会を代表しまして、
ここに深く感謝の意を表します。
アメリカ人たちがこれをどう思ったかはわからない。
心にもないことをいったことぐらい、百も承知だ。
だが、そうしておいたほうが得策だと思ったのだ。 「嘘も方便」
というではないか。
とにかく、たとえわずかでも日本大使館の役人が助けてくれたことはたしかなのだ。
我々の被害報告を軍部に渡してくれ、ほんのすこしとはいえ、取りなしてもくれた。
つまり我々に力を貸すことのできた唯一の人たちであることにかわりはない。
成果がなかったのは、日本の外交官は軍部に従わなければならないからだ。
今日、日本政府を牛耳っているのは軍部なのだから。
それを考えれば、大使館の人々、福井、田中、福田の三氏は、
それなりによくやってくれたということができるのかもしれない。
けれどもこれだけ辛酸をなめたいまとなっては、
とてもそんな気持ちにはなれなくなった。
帰る少し前、福田氏は、 「ローゼン氏事件」
で大使館側が頭を痛めていると
ほのめかした。十三日にローゼンは城壁の外へ出たところを日本軍に見とがめられ、
一悶着あったのだ。「なんらかの歩み寄りの姿勢をみせるよう、
ローゼン氏を説得していただけないでしょうか。
日本大使館に立ち寄って、二言三言愛想の良い言葉を
(謝罪の言葉を、とはいわなかった)
かけるとか……」
ともかくあたってみよう。
だが、あの人のことだ、頭から受けつけないような気がする。》
これは メッセージ 1368 (kireigotowadame さん)への返信です.
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国共内戦における中国の暴虐4
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/09 17:23 投稿番号: [1379 / 2250]
児島襄著
『日中戦争2』
文春文庫
42〜44p
七月二十九日
―
・・・
この日は、まず国民党員五人が、放火の罪で銃殺され、
・・・
長沙ソヴィエト政府の樹立にかんする宣言が発表された。
そのソヴィエト政府は、全人民のものであり、すべての銀行、交通、通信機関、
会社、外国の公共施設、軍閥・地主の財産もソヴィエト政府のものになる……。
群集は、歓呼した。
あるいは、この宣言を、すべてはソヴィエトのもの、ソヴィエトは自分たちのもの、
ゆえになんでも自分たちのもの、と誤解したのかもしれない。
午前九時ごろ、それまで襲われなかった日本領事館に 「多数ノ暴徒」 が
乱入して、器物をうばったのち、領事公邸に放火して焼きはらった。
領事館事務所は焼かれなかったが、その掠奪ぶりは徹底していた。
「門扉窓枠ニ至ル迄
破壊掠奪セラレ 、一物ヲ留メズ」
と、糟谷領事も報告するが、外国人宅の物はすべて
「金目
(かねめ)」
と思うのか、床板もはぎとっていった。
外交公館の施設の中で、暗号通信を扱う電信室はとくに重要な存在である
が、暴徒の乱入が突然であったため、無電機は送信機だけを搬出できた。
しかし、暴徒は、掠奪をきそい、設備と機械を文字どおりにバラバラにして持ち去り、
機械として利用される可能性は失われたと判断され、領事たちを安堵させた。》
45p
《 長沙市内には、付近の村々にも貼布された
「大暴動」
に参加をすすめる
ビラにこたえて、続々と農民があつまってきた。
就職できて食える、との誘いは、よほどに魅力と説得力をもっていたにちがいない。
その様子を、記者スメドレーが記述している。
「長沙の街には、はるか南の村々からも何千という農民が流れこんできた……
田舎道をかけ足でやってくるものもあれば、
ジャンクやサンバンで湘江を下ってくるものもいた……。
彼らは大衆集会で発言し、ほかに何もすることがないときには、
路上で古い中国の拳法の型を演じてみせ、紅軍兵士を感心させた」
ということは、長沙にあつまった農民たちにとっては、
呼びかけられた
「就職」
の機会はほとんど無く、
もっぱら集会参加と太極拳演武だけであったらしい。》
つづく
これは メッセージ 1377 (kireigotowadame さん)への返信です.
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1月15日 中国 妥協的口上書を出す
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/09 17:15 投稿番号: [1378 / 2250]
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
478p
《 中国では、十五日、孔祥煕行政院長がトラウトマン大使に、
十三日の口上書よりも、さらに妥協的に表現した口上書を
日本側に伝達してくれるよう求めた。
孔祥煕は、中国政府は日本側提案に対し決して回避的態度をとろうとしたのでない、
と熱心に述べた。》
*
もう遅い。
と言うか、いくら、ほかの者が表現を妥協的にしても、
蒋介石が講和する意思がない限り、意味ないだろう。
単なる、時間稼ぎにしかならない。
これは メッセージ 1376 (kireigotowadame さん)への返信です.
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国共内戦における中国の暴虐3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/08 15:08 投稿番号: [1377 / 2250]
児島襄著
『日中戦争2』
文春文庫
41〜42p
《 ビラには、そういったこんごの行動や政策を示唆する標語が書かれ、
署名者は次のようになっていた。
「紅軍第五軍農工革命委員会主席彭徳懐、常務委員訒乾元、
同李燦
(りさん)。 暴動委員会」
放火、掠奪はなおもつづき、市内に人影は少なかった。
糟谷領事は、聞知した情報にもとづき、この日の市街の状況を次のように報告している。
「朝来、 引続キ主ナル官署
其ノ他ノ焼払ヒヲ断行シ、
数個所ヨリ黒煙濠々
(もうもう)
トシテ天ニ沖
(ちゅう)
スル様
(さま)
物凄ク、民家ハ赤旗ヲ掲ゲ
普通商家ハ門戸ヲ開キタルモ、
通行人ハ労働者風ノ者ノミニテ、市内寂莫
(せきばく)
ヲ極ム」
学校、医院、商店は、ほぼしらみつぶしに掠奪の対象になり、
総商会は、献金による掠奪防止を考えた。
だが、 「紅軍」
側の要求は二百万元。総商会は必死の値下げ交渉で
「七十万元」
に
値切り、手付金
「四万元」
を支払って掠奪放火の中止を要請した。
だが、 「紅軍」
側の回答は、相変らずの 〝暴行〟 の継続と
「革命裁判」
の実施であった。
革命裁判所は、労働組合本部の中に開設され、
「労働組合連合」「豊民同盟」「紅軍」
の中から裁判官がえらばれた。
地主、商人、役人、国民党員など三百人が裁判され、うち三十五人が
「積極的反革命分子」
として処刑された、と記者スメドレーは、つたえる。
商人の罪状の多くは、食糧、商品を隠匿して
「紅軍」
の供出命令に
したがわなかったため、であった。
記者スメドレーによれば、ある地主は、
「眼鏡をかけている者、ロヒゲをはやしている者、長い着物をきている者は殺される」
というデマを流したので射殺された、という。
だが、実際には、この地主の発言は、デマとはいいきれなかった。
市内には、約三百人の
「黒殺隊」(暗殺隊)
なる一団がうろつき、
これはという
「反革命分子」
の 〝処理〟 を担任していたが、
対象になるのは地主が指摘する風姿の者が多かったからである。
つづく
これは メッセージ 1375 (kireigotowadame さん)への返信です.
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