1月17日 新しい和平工作
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/16 18:52 投稿番号: [1393 / 2250]
松本重治著
『上海時代・下』
中公新書
259〜260p
《 昭和十三年(一九三八年)一月十七日正午少し前に、
満鉄南京事務所の西 (義顕)君からの電話があった。
「今、パレス・ホテルで董道寧君と話をしているんだ。
董君は、今、日本に行くことを考えている。僕が勧めたのだが、君はどう思うかね」
「董君が上海に来ていることは、川越大使から聞いているが、
彼が日本に行くというなら、僕は大賛成だ」
「そうか。君も賛成というなら、それで決定としよう。
とにかく、今すぐに来てくれないか。三人で話をしようや」「すぐ行く」。
パレス・ホテルの西君の部屋へ入ると、
董君が 「松本さん、お久しぶりです」 といいつつ握手をする。
「董君、積る話を聞きたいが、まず、お元気で何よりだ」 と、
挨拶もいい加減にしておいて、私は矢継ぎ早に、どうして漢口から来られたのか?
高 (宗武) 君は、元気かねで上海にはどうして来たのか? などと質問を連発した。
董君は、
「高さんの指令で、上海に来て、川越大使に会い、トラウトマン独大使の
和平斡旋に対し、日本側の要求条件の緩和方につき大使に協力を要請したのです。
中国側は、まず停戦ができれば、和平条件には、あまり拘っていないようだ。
東京のほうは、南京陥落で有頂天になり、苛重な条件を押しつけてきたので、
残念ながら、お流れになったようです。 昨日の日本政府の内閣発表でも、
『爾後国民政府を対手にせず』 といって高飛車の態度です」
と、いかにも残念だという顔をしている。
「して、どうして日本へ行くのですか?」 と尋ねると、
西君が、
「僕が説明しよう」 といって、私に、董君の赴日の決意を事細かく説明してくれた
(西義顕著 『悲劇の証人』 九〇−九八ページ参照)。
私は、董君に対して、
「まず第一に、董君の勇気に感銘した。
第二に、こんどの訪日旅行は、両国のために重大な意義があると思う。
このまま絶縁状態に置くことは、日中両国のために、よろしくない。
南京での日本軍の暴状を知って、私は、日本人として恥かしい限りで、
中国人たる董君に謝ることばもない。
戦争が長引けば、日本は日一日と堕落してゆく。一日も早く停戦をと祈っているが、
君の訪日は、日本を救うための第一歩となるかも知れない。東京でも馬鹿ばかりはいまい。
董君が、しかるべき人に会ってくれれば、お土産話はふんだんにあるだろう。
中国のためにも役立つだろうことを、私は信じて疑わない。
高君のほうは、私が何とか話をつけよう。
オイ、西君、この際は、外務省はあまり役に立たぬだろうから、
カーさん (影佐禎昭大佐) には、すぐ連絡して、万般の準備をしたら?」
というと、西君も、
「僕もそう考えていたところだ。明後十九日に連絡船で長崎へ行くつもり。
そして、僕がカーさんには直接談判をやるよ」 と引き受けてくれた。
私が 「昨年八月に上海で影佐さんとゆっくり話をしたが、石原氏の感化のためか、
中国の民族主義を再評価するようになったためか、彼のほうから
『日中戦争をできるだけ早くやめねばならん』 といっていて、僕も大いに共鳴できた」
と話すと、董君も、嬉しそうに、うなずいて聴いていた。
みんな、あまり話に熱中していたので、
部屋にランチをもってこさせることまで忘れていた。》
259〜260p
《 昭和十三年(一九三八年)一月十七日正午少し前に、
満鉄南京事務所の西 (義顕)君からの電話があった。
「今、パレス・ホテルで董道寧君と話をしているんだ。
董君は、今、日本に行くことを考えている。僕が勧めたのだが、君はどう思うかね」
「董君が上海に来ていることは、川越大使から聞いているが、
彼が日本に行くというなら、僕は大賛成だ」
「そうか。君も賛成というなら、それで決定としよう。
とにかく、今すぐに来てくれないか。三人で話をしようや」「すぐ行く」。
パレス・ホテルの西君の部屋へ入ると、
董君が 「松本さん、お久しぶりです」 といいつつ握手をする。
「董君、積る話を聞きたいが、まず、お元気で何よりだ」 と、
挨拶もいい加減にしておいて、私は矢継ぎ早に、どうして漢口から来られたのか?
高 (宗武) 君は、元気かねで上海にはどうして来たのか? などと質問を連発した。
董君は、
「高さんの指令で、上海に来て、川越大使に会い、トラウトマン独大使の
和平斡旋に対し、日本側の要求条件の緩和方につき大使に協力を要請したのです。
中国側は、まず停戦ができれば、和平条件には、あまり拘っていないようだ。
東京のほうは、南京陥落で有頂天になり、苛重な条件を押しつけてきたので、
残念ながら、お流れになったようです。 昨日の日本政府の内閣発表でも、
『爾後国民政府を対手にせず』 といって高飛車の態度です」
と、いかにも残念だという顔をしている。
「して、どうして日本へ行くのですか?」 と尋ねると、
西君が、
「僕が説明しよう」 といって、私に、董君の赴日の決意を事細かく説明してくれた
(西義顕著 『悲劇の証人』 九〇−九八ページ参照)。
私は、董君に対して、
「まず第一に、董君の勇気に感銘した。
第二に、こんどの訪日旅行は、両国のために重大な意義があると思う。
このまま絶縁状態に置くことは、日中両国のために、よろしくない。
南京での日本軍の暴状を知って、私は、日本人として恥かしい限りで、
中国人たる董君に謝ることばもない。
戦争が長引けば、日本は日一日と堕落してゆく。一日も早く停戦をと祈っているが、
君の訪日は、日本を救うための第一歩となるかも知れない。東京でも馬鹿ばかりはいまい。
董君が、しかるべき人に会ってくれれば、お土産話はふんだんにあるだろう。
中国のためにも役立つだろうことを、私は信じて疑わない。
高君のほうは、私が何とか話をつけよう。
オイ、西君、この際は、外務省はあまり役に立たぬだろうから、
カーさん (影佐禎昭大佐) には、すぐ連絡して、万般の準備をしたら?」
というと、西君も、
「僕もそう考えていたところだ。明後十九日に連絡船で長崎へ行くつもり。
そして、僕がカーさんには直接談判をやるよ」 と引き受けてくれた。
私が 「昨年八月に上海で影佐さんとゆっくり話をしたが、石原氏の感化のためか、
中国の民族主義を再評価するようになったためか、彼のほうから
『日中戦争をできるだけ早くやめねばならん』 といっていて、僕も大いに共鳴できた」
と話すと、董君も、嬉しそうに、うなずいて聴いていた。
みんな、あまり話に熱中していたので、
部屋にランチをもってこさせることまで忘れていた。》
これは メッセージ 1391 (kireigotowadame さん)への返信です.