中国内戦 捕虜収容所がない、虐殺
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/13 18:57 投稿番号: [1388 / 2250]
ラルフ・タウンゼント著
『暗黒大陸中国の真実』
64p
《 苦力は実に悲惨である。兵隊でさえ嫌がるところへ回される。
もし
「敵方」(一時的に抗争する、ならず者の集団)
に捕まったら、
強制されての従軍だということは無視され、とにかく戦果を上げるため射殺される。
捕虜の圧倒的多数はこういう風に徴発された苦力である。
戦闘記録にある
「捕獲捕虜」
とは
「敵方で虐殺された者」
と読み替えてよい。
勝者の気分次第で敗者は
「屠殺」
されることがごく普通である。
数百万単位の軍隊が抗争を断続的に繰り広げながら、
捕虜収容所が全くないということは注目に値する。
捕虜の給食施設が全くないのだ。
食料や施設が欠乏しており捕虜などに回す余裕などなく、
万が一潤沢にあったとしても無用な敵に何かを提供するなど考えられない。》
65p
《 ある晩のこと、夕食会に招かれた。来賓の中には中国の
「精鋭軍」
の
お偉方も列席されていた。日本に留学した者も二、三人いた。
つい最近まで日本が知識階級の教育の場であったのである。
私の中国語は覚束ないので英語で説明してくれる者もいた。
その話によれば、最近のある戦闘で捕まえた敵方の将校の一団を
どう殺そうかと議論になった。
そして、ばらばらの釘を飲ませてやろうということになった。
飲ませてから、効果観察のため整列させた。約二時間後に死亡したそうである。》
*
南京で日本軍が捕虜を殺したと、得意げに言いたてる者もいるが、
中国軍が捕虜をどうしたかを理解する者はいない。
終戦後の捕虜扱いだけが特別にもてはやされているが。
支那事変では、日本軍が追撃するたびに、中国軍は敗走したが、
捕虜を連れて逃げたという話は聞かない。
釈放の話もないから、全員虐殺したということだろう。
第二次上海事変の前、中国軍が上海閘北駅に続々降りて来たので、
上海憲兵隊の大前軍曹と熊野通訳が偵察に行ったら捕まり、
後でわかった事だが、殺され埋められていた。
(『ある情報将校の記録』197p〜より要約)
これは メッセージ 1386 (kireigotowadame さん)への返信です.
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