満洲に於ける日本人迫害1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/15 15:32 投稿番号: [1392 / 2250]
張作霖が列車爆破により殺害されたあと息子の張学良が後を継ぎました。
現在は、ロシアから、 「張作霖を殺したのは自分達だ」
と言う文献が出ていますが、
それ以前は、日本の関東軍が犯人と想われていました。
当然、張学良は日本人に、反感を抱き、嫌がらせをします。
田中正明著
『東京裁判とは何か』
大手町ブックス
日本工業新聞社発行
152〜153p
《 張作霖が爆死したのち、張学良が実権を握るや、
彼は蒋介石と結び、党部 (国民党) 勢力を招きいれ、党部官憲の指導のもとに、
排日運動は組織化し、満州で一層熾烈 (しれつ)
化した。
さらに張学良は、国民党軍の副司令に任ぜられた。
学良は二十二万にのぼる常備兵を持ち、
奉天工兵廠の規模を拡大し、戦車、飛行機等の近代兵器の装備や、
訓練、さらには機関の強化等、量質共に充実をはかった。
当時、在満の日本軍に比して、兵力装備ともに卓越していたばかりでなく、
その軍隊配置は、ちくじ、満鉄沿線の日本軍駐屯諸地域を包囲するかたちとなり、
その将兵の抗日意識の高揚と相まって、関東軍は脅威にさらされた。
これに対して、関東軍は、兵力僅
(わず)
か一万余、装備は劣弱、
しかも、長春以南一〇〇〇キロの鉄道沿線と、居留民を守らなくてはならない。
兵力の増強を意見具申しても、陸軍中央部はこれを認めてくれない。
微弱なる日本軍は、平時態勢のまま、われに二十倍する
優勢にして抗日意識旺盛な、支那大軍
(学良軍)
の包囲下におかれた。
排日侮日行為は、ますます組織的となり、わが軍に対する妨害行為や、
在満邦人に対する投石や、暴行などの事故が瀕発
(ひんぱつ)
するようになり、
軍はもとより、邦人あげて憤激のきわみであった。
在満日鮮の居留民に対する暴行事件、その他二百余件の懸案を平和的に解決すべく、
日本政府は外交々渉を重ねてきたが、中国側は平和交渉に少しも誠意を見せず、
ただ口先のみの、形勢緩和策が叫ばれるのみで、
日支両軍の関係は、まさに一触即発の事態にあった。
つづく
これは メッセージ 1386 (kireigotowadame さん)への返信です.
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