柳条溝事件は関東軍の仕業か?1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/22 15:37 投稿番号: [1406 / 2250]
満洲事変後の中国の残虐行為を挙げるのには、
その前の段階として満洲事変に触れないわけにはいきません。
これを外して言うと、日本が満洲を侵略したのだから、
やられて当然ではないか、と言われますので。
柳条溝事件は関東軍が仕掛けたとされていますが、石原莞爾の言い分は違っています。
酒田ホテルの仮法廷において彼は次のように証言しています。
田中正明著
『東京裁判とは何か』
大手町ブックス
日本工業新聞社発行
《 162〜163p
問
証人は、張学良の軍備について研究されたことがありますか。
答
学良の全軍隊は二〇万ないし二五万であります。
奉天以外の兵力の装備は、あまりよくありませんが、奉天の約十万の兵備は、
当時としてはすこぶる優良なもので、日本軍にくらべ、遥かに優れていました。
注目すべきことは、当時、日本軍は一機の飛行機も持っていなかったが、
奉天軍は相当数保有しており、戦車隊もありました。
問
そのような近代装備をもつ学良軍に対する、関東軍の作戦計画を説明してください。
答
昭和六年八月、本庄司令官が着任後、従来の計画を変更して、撫順の中隊をもって
奉天飛行場を奇襲する計画で、中隊長川上大尉にこれを命じました。
あとからの報告でわかったのですが、これを受けた川上大尉は、
撫順の防備を全く放棄することについて非常に心配して、
その善後処置を講ずるために、警察及び在郷軍人の一協力を必要と考えました。
しかし計画は秘密を要するので、事実を秘して、
自分は九月十八日に部隊を引きつれて転出することになった。
そのあとの守備態勢をどうするか?
これらの民間警備の代表とともに想定演習をした。
その協議の終ったあとで、十八日の出動は中止になったと取消した。
ところが図らずも、九月十八日の夜、学良軍の柳条溝爆破が起きましたので、
川上大尉は非常に狼狽して、そういう場合に当然やらなければならなかった
新任務の飛行場の攻撃をやることもせず、
非常に遅れて、不完全武装のまま奉天に駈けつけたのであります。
奉天の総領事からこのこと (十八日の想定演習) が外務省に報告された
ため、軍としては、非常に迷惑を受けたしだいであります。 》
つづく
*
石原莞爾の作戦計画は飛行場攻撃だったのです。
鉄道爆破ではありませんでした。
ところが、その想定演習の日に柳条溝爆破事件が起き、
かつ、奉天総領事が十八日の想定演習を外務省に報告したため、
「やったな!」
と思われた
というわけです。
これは メッセージ 1404 (kireigotowadame さん)への返信です.
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