生きたまま焼き殺された日本兵
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/14 15:30 投稿番号: [1390 / 2250]
児島襄著
『日中戦争』
文春文庫4巻
125ページ
《 北支
平型関の戦闘
(1937年)
9月25日
午前10時30分ごろ
輜重隊がぬかるみにはまって動けないところを、共産党林彪の軍隊に襲われた。
第六兵站自動車隊の損害は、トラック75両、新庄中佐以下戦死43人、
負傷34人であった。
翌日、戦場に急行した師団野戦倉庫の島尾又治郎主計大尉は、
次のような情景を記述している。
「焼け爛れた車のまわりにも、背後の丘の斜面にも、
痛々しい兵士たちの屍が数知れず横たわっていた。・・・
中でも思わず顔を背けたのは、手足を針金で車体に縛りつけられ、
ガソリンをぶっ掛けられて車諸共火炙りにされた無残な焼死体であった。」》
上海派遣軍第九師団山砲連隊第七中隊
中隊長代理大内義秀氏の宣誓供述書
冨士信夫著『「南京大虐殺」はこうしてつくられた』展転社
210頁
《 (1937年)
12月13日午後、私達は光華門の城壁を占領したが、
入城は許されず、憲兵と一部の小部隊が入城した。
その日、城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。
これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人の捜索を厳命した。私の部下に犯人はいなかった。
死体を検死した軍医は、これは少なくとも十時間以前の犯行であるから、
日本軍の入城前であり、日本兵が捕虜となり、
支那軍によって焼かれたものであろうと判定した。》
第三師団野砲兵第三連隊第一大隊観測班長・大杉浩の宣誓供述書より
《十二月十三日夕刻頃、南京の南方の城門から城内に入ったが、
そこには彼我の戦死体が点々と散在して居ましたが、
その中に一人の日本兵が手足を立木に縛られた儘(まま)、
身に数弾を受けて死んでゐました。
私は一見して、俘虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたものと感じ、
縄を切って地上に下ろしておきました。城壁の近くには支那軍の戦死体が
相当数ありましたが、常民の死体は見なかった。》
(冨士信夫著
『「南京大虐殺」
はこうしてつくられた』
175p)
ラーベの日記12月15日
《 だが、中国軍のほうも、済南で日本人捕虜を二千人射殺したという話だ。》
*
捕虜を生きたまま焼き殺す、これは虐殺じゃないのか?
中国軍も日本兵捕虜を虐殺しているが、取り上げない。
日本兵がやったという話なら、嘘でも取り上げるのに。
これは メッセージ 1388 (kireigotowadame さん)への返信です.
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