国共内戦における中国の暴虐4
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/09 17:23 投稿番号: [1379 / 2250]
児島襄著
『日中戦争2』
文春文庫
42〜44p
七月二十九日
―
・・・
この日は、まず国民党員五人が、放火の罪で銃殺され、
・・・
長沙ソヴィエト政府の樹立にかんする宣言が発表された。
そのソヴィエト政府は、全人民のものであり、すべての銀行、交通、通信機関、
会社、外国の公共施設、軍閥・地主の財産もソヴィエト政府のものになる……。
群集は、歓呼した。
あるいは、この宣言を、すべてはソヴィエトのもの、ソヴィエトは自分たちのもの、
ゆえになんでも自分たちのもの、と誤解したのかもしれない。
午前九時ごろ、それまで襲われなかった日本領事館に 「多数ノ暴徒」 が
乱入して、器物をうばったのち、領事公邸に放火して焼きはらった。
領事館事務所は焼かれなかったが、その掠奪ぶりは徹底していた。
「門扉窓枠ニ至ル迄
破壊掠奪セラレ 、一物ヲ留メズ」
と、糟谷領事も報告するが、外国人宅の物はすべて
「金目
(かねめ)」
と思うのか、床板もはぎとっていった。
外交公館の施設の中で、暗号通信を扱う電信室はとくに重要な存在である
が、暴徒の乱入が突然であったため、無電機は送信機だけを搬出できた。
しかし、暴徒は、掠奪をきそい、設備と機械を文字どおりにバラバラにして持ち去り、
機械として利用される可能性は失われたと判断され、領事たちを安堵させた。》
45p
《 長沙市内には、付近の村々にも貼布された
「大暴動」
に参加をすすめる
ビラにこたえて、続々と農民があつまってきた。
就職できて食える、との誘いは、よほどに魅力と説得力をもっていたにちがいない。
その様子を、記者スメドレーが記述している。
「長沙の街には、はるか南の村々からも何千という農民が流れこんできた……
田舎道をかけ足でやってくるものもあれば、
ジャンクやサンバンで湘江を下ってくるものもいた……。
彼らは大衆集会で発言し、ほかに何もすることがないときには、
路上で古い中国の拳法の型を演じてみせ、紅軍兵士を感心させた」
ということは、長沙にあつまった農民たちにとっては、
呼びかけられた
「就職」
の機会はほとんど無く、
もっぱら集会参加と太極拳演武だけであったらしい。》
つづく
これは メッセージ 1377 (kireigotowadame さん)への返信です.
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