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Re: 三浦梅園の評価

投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2007/05/29 10:30 投稿番号: [8601 / 10346]
unhoo様

お節介かもしれませんが、哲学者・三浦梅園についての
評言のいくつかをまとめてみました。

三浦梅園は徳川時代の生んだ最大の自然哲学者である。
明治の初めに中江兆民は、日本にはかつて哲学なし、
と断定したが、もし兆民が梅園の存在を(略)知っていたならば、
いさぎよくその言を取り消したに相違ない。
<源了円「徳川合理思想の系譜」昭和47年>

わが日本があなた(梅園)のような偉大な思想家をもった
ということは何という私たちの誇りでしょう。
<三枝博音「三浦梅園の哲学」昭和16年>

三浦梅園は近世的意味に於ける純粋哲学者と称すべく、
日本では実に特異な学者である。
<田口正治「梅園研究創刊号」昭和45年>

三浦梅園はわが国における近代思惟の黎明期を形成した
瀬戸内学派の中核を成すと共に、純粋哲学の母である。
<高橋正和「日本思想史の基礎知識」昭和49年>

経世治国論が圧倒する知的風土の中で、
たくましい懐疑探求精神と旺盛なる関心をもって
自然のしくみを、かくも執拗にかくも自覚的に探求し、
それを積み上げて比類なき体系的自然論に纏め上げた仕事を、
少なくとも日本では他に見ない…。
<小川晴久「梅園研究第四号」昭和50年>

吉川   梅園というヒトは(私は)ほとんど読んだことが
    ないんですが、非常にえらいらしいんですね。
中村   これは私もよくわからんのですが、たいへんむずかしい。
    日本には珍しく論理的で、その自然法則、または自然認識
    の方法についての詳細な論は、西洋の論理学や哲学書を
    読む気がします。
<「日本の思想第18巻」付録   吉川幸次郎・中村幸彦対談
  昭和46年>

三浦梅園は特段の哲学の師に就くことなく、
国東半島の山の中で独学で純粋な「哲学体系」を構築しました。
梅園が多くの人に知られないのは、
その哲学があまりにも「難解」に過ぎることによります。
「梅園がむつかしいということが分かるだけでもたいしたもの」
といわれるほどです。

脱線、ご寛恕を…

え、まじで江戸塾が?

投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2007/05/26 23:40 投稿番号: [8600 / 10346]
あれ、長らくカテを離れていたら、
え?
まじで江戸塾がなくなってる!

私もあやまります。多忙で保守ができなくなっちゃって(大汗)

Re: 三浦梅園

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/26 01:00 投稿番号: [8599 / 10346]
unhoo様:
哲学の英語Philosophyがスペル間違いなく書ける学生が60%しか居ない

と聞きます。多くがPhylosophyと書いて間違います。

さて私も専門の一つが哲学なのですが。科学で生きてきたので38歳に

なって再度文科を特に仏教を専攻したく当時は米国には仏教での通信講座が

無くて日本の大学を打診したら大体の大学は海外からの志願も拒否でした。

唯一つ仏教大学は便宜を図ってくれました。近世国文学と仏教を学びましたが、
図書館も無くて参考文献の入手が殆ど駄目でしたが全部レポートと試験を終えて
スクーリングに出席できませんでした。ビジネスに関係した時で時間がでませんでした。
米国の大学に転換して単位を取り、最後は修士号を哲学でもらいました。

科学と哲学の両天秤で人生にむかいましたが、結局科学で飯をくいました。

ま~自己満足のためですね。団塊の世代が一番多くはじめるのが、社会人大学

入学だそうで今度は好きな科目で好きな速度で勉強する数が多いそうです。

今はCA.大学大学院で仏教の専攻が出来る世の中となりました。一寸恥ずかしい
内輪話ですが。

東大は哲学では京都大の研究に引けをとった時期もありました。中国文学研究では東大も有名です。
国学院大学、愛知大学も中国文学では教授陣が多くの研究成果を発表して
いますね。
横から入りました。容赦ください。

三浦梅園

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/05/25 19:10 投稿番号: [8598 / 10346]
taiwanboom様

三浦梅園は今までに聞いたことがありません。コンピューター時代は物を調べるのに便利です。索引して一応のことを学ぶことにします。

Philosophyという英語に哲学という訳語を与えたのは福沢諭吉らしいが、この訳語がじつに立派なので、二次大戦前の日本の学生はなべて「哲学」に畏敬の念を抱いていたようです。

Re: 西田幾多郎著『善の研究』

投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2007/05/25 11:21 投稿番号: [8597 / 10346]
unhoo様

禅宗妙心寺派の総本山、京都の妙心寺に西田幾多郎の菩提寺が
あります。
妙心寺の中を多くのタッチュウを散策中、偶然その寺の前を通ったとき
「西田幾多郎」の表示が出ていたのを見つけました。
ここは非公開でした。
ここにはほかに「春日の局」の菩提寺もあります。

ところで、わが国唯一の本格的哲学者とされている、
江戸時代豊後の「三浦梅園」をご存知ですか。
最近の研究で、梅園は「形式論理学」によって、
思索を構築していたことが分かりました。
西田幾多郎の研究で知られる末木剛先生の発見です。
数年前、私が大分市で主宰した「梅園学会」で、
末木先生が発表されました。

豊後の国東半島の山奥で、特定の師につかず独学で
三浦梅園がどのようにしてこの哲学体系を構築していったのか
その詮索はおおいに興味をそそります。
私は三浦梅園の詮索をライフワークにしています。

脱線をお許しください。

Re: しまった。。。

投稿者: edozaijyu 投稿日時: 2007/05/24 22:11 投稿番号: [8596 / 10346]
いえいえとんでもない。

お忙しいのに気をつかっていただいて恐縮です。

ついついナガナガさんやウンホーさんをはじめ、皆様方に甘えていました。

こちらこそ申し訳ないです。

今までありがとうございました。

あのトピも一つの役目を終えたので、落ちるにまかせたところもありました。


また難しいこともあり、お気楽なところもありのトピを皆さんとやりたいですね。

西田哲学の超難解語

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/05/24 21:07 投稿番号: [8595 / 10346]
下記に西田幾太郎を紹介したウィキペディアの記事があります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E5%B9%BE%E5%A4%9A%E9%83%8E

この記事によって、西田哲学に出てくる有名な超難解語は、西田博士の処女著作『善の研究』に出たのでなく、晩年に提出されたものだとわかりました。

以下はウィキペディアの記事より引用:
最晩年に示された「絶対矛盾的自己同一」は、難解な哲学用語の権化のように疎まれたり崇められたりしていた。話のつじつまが合わなくなると「絶対矛盾的自己同一」を持ち出して逃れるという議論も実際にあったらしい。その内実は「過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて、現在から現在へと働いていく」、あるいは、鈴木大拙の「即非の論理」(「Aは非Aであり、それによってまさにAである」という金剛経に通底する思想)を西洋哲学の中で捉え直した「場所的論理」(「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」)であった。そこには、行動と思想とが言語道断で不可分だった西田哲学の真髄が現れている。(引用終わり)

この文自体もすこぶる難解で、わしにゃ歯が立ちません。ウィキペディアの記事の中に(ここでは引用しなかったが)、『善の研究』は旧制高等学校生徒必読の書だったと書いてある。旧制高等学校は全国に20校ぐらいしかなかったので、入学できるのは秀才中の秀才であったことはたしかだが。

ところで、日本の統治が、日本帝国の利益を目的としたものであって、台湾人は差別待遇されたにもかかわらず、日本時代生まれの台湾人が日本を恨まず、日本にたいして良好な感情を抱いているのは、きっと絶対矛盾的自己同一の現われに違いないと思います。

Re: 西田幾多郎著『善の研究』

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/24 21:02 投稿番号: [8594 / 10346]
unhoo様:
久しぶりで西田哲学の一端を見た思いですね。是なら一日中でも読んで折られます。
李前総統も大分西田哲学に凝ったそうです。一時は共産主義にも凝った
そうです。
若い時代はあっちへ、こっちへ思想が流れるものですね。西田哲学の弟子
達の多くがその後戦争中に危険思想派として教職から追放されています。

西田幾多郎著『善の研究』

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/05/24 17:17 投稿番号: [8593 / 10346]
houzantakao様

西田幾多郎は1945年6月7日に亡くなったので、彼の著作は現在では版権の期限(歿後40年だったかな)を過ぎました。よって『善の研究』の印刷、出版は自由です。青空文庫にも収録されていることがわかりました。下記をクリックすれば、全文が出てきます。掲示板の皆様、挑戦してはいかが。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/946.html

Re: しまった。。。

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/05/24 10:45 投稿番号: [8592 / 10346]
>江戸塾が消えてしまいました。。。<

わしもびっくりしています。

しまった。。。

投稿者: naganaga57 投稿日時: 2007/05/24 10:38 投稿番号: [8591 / 10346]
江戸塾が消えてしまいました。。。

この場を借りて、
塾頭、
保守行き届かず済みませんでした。。

Re: 西田哲学

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/23 11:59 投稿番号: [8590 / 10346]
unhoo様:
貧乏な時代に学生が同じ本を図書館から借りてきて読んだのはこの時代で

ありました。おなかがすいていたのだが、西田哲学の本はどうみても

日本語とは思えなかった。何か翻訳文の臭いがしまして、難解でありました。
デモそれなりに読んだよと返事できるのが目的でありました。

図書館には「善の研究」と谷口哲学(雅春)の本が並んでいました。

今又西田哲学が世界で再評価されているそうです。漢文の先生が皇學館卒で

頻繁に西田哲学の引用をしていましたが、あれ中国語文体調であったのかな?この先生が後校長となりもっと西田幾太郎調の紹介が多くなりました。

カール髭が長くて授業前に唾をつけてその髭を伸ばすのが癖でありました。

西田哲学

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/05/23 10:59 投稿番号: [8589 / 10346]
昭和元年から日米戦争開戦(昭和16年)のころまでが西田哲学の全盛時代で、高等学校や大学の学生は西田哲学がわからないとばかにされた。

わしはその時期まだ旧制中学の生徒にすぎなかったから、西田哲学がわかると言い張らなくてもよかったが、同級生のなかに西田哲学を口に出すやつがいたから、彼を相手に西田哲学について論戦した。その論戦はわしの勝ちだったらしい。

わしの父はある大会社の平社員にすぎなかったが、本棚に西田幾太郎著『善の研究』を納めていた。父の晩年に、あの本を読んだのですかと聞いたら、一頁も読めなかったよと言って大笑いした。その本は、父が四十何歳のころ、友人に持って行かれて、戻ってこなかった。

話によると、あの本は冒頭第一頁に「絶対矛盾的自己同一」という超解語が出てくるそうだ。それからあとも難解語の羅列だそうだ。

Re: 言語と会話速度の不思議。

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/22 22:44 投稿番号: [8588 / 10346]
naganaga57様:
日常生活で英語で暮らす私にとっては、英語やヨーロッパ語は主語ー動詞の
形式になれています。特にドイツ語は主語ー動詞ー副詞の並びが強く、修飾語は文書の端に着ます。通訳で一番困ったのは主語がでた後、修飾語が並び
忘れた時に動詞がでてくるのですが、それが否定だったりすると、いい加減にせよと思います。ですから主語と動詞を掴みやすい西欧語は通訳もしやすいです。
短的な表現文が無数にありますね。是を憶えてしまうと、半分は物にしたと
思います。決まり文句をいたるところに配置して間をつなぐと上等な文章
が出来上がります。中国語の4つ漢字の表現と似ています。

思いつきで書いてみました。元気で生活しておられる故、何よりです。
横から失礼

言語と会話速度の不思議。

投稿者: naganaga57 投稿日時: 2007/05/21 02:32 投稿番号: [8587 / 10346]
突然ですが。

私、それなりに思考力はあると自負していますが
話すスピードは速くありません。


話すのが速い人は、やはり頭の回転が速いのだろうと思います。
そういう人は話題の展開にあわせて面白いことも言えるし
いいなあとうらやんでいます。
会社で営業やっていたころは、なお更そういう気持ちが強かったですね。


で、周囲の人間曰く
そんな私が中国語で話す時は、日本語で話す時よりはるかに早口なのだそうです。
言われて初めて気が付いたものですから、驚きました。


思考が早くなっているわけではないと思います。
その証拠に通訳する時は、よく適切な言葉が見つからず、
おろおろすることがありますから。


なんなのだろうと原因を考えて見たところ
2つの可能性に思い至りました。

①中国語は日本語に比べて、思考を言語にコンバートする際の効率がよい。

日本語は肯定否定の結論を語尾につけるのに対し、中国語は前におくため
直感的に下したyes/noを先に口に出しておいて、考えながら残りの成分を加えられる。


②外国語はパターン学習の積み重ねなので、感覚的に話す母語に比べて、
  「この時はこう言う」機械的準備が、おのずとできている。


同じく肯定否定が前に来る英語で話す時はというと
あたしゃそもそも思考と同時進行で話せるレベルに達していないので
検証のしようがありません。

外国語として日本語を学んだ台湾人や
英語を流暢に話せる日本人に意見を聞いてみたいものです。

Re: 那智高雄さま、西田哲学と日本人の内省

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/21 00:21 投稿番号: [8586 / 10346]
Cafe様:
戦後の酷い社会で中学生の私は、藤村の「破戎」を読みました。その次に
賀川豊彦牧師の神戸の貧民屈での救済活動の詳細を読んで「破戎」と「神父の
実際の奉仕は是だ」と理解した当時の感動がまだはっきりしています。
島崎藤村の博物館を長野に訪ねた時(1999年)台湾で無意識に執行された本島人への差別がひしひしと伝わってきました。
当時は格差とはいいませんでしたが、台北帝大卒の月給が60−70円で内地の一流帝大卒の月給は130円でありました。でも内地人の卒業生は台湾在住の内地人でも60%の外地手当てを貰いましたが、台湾在住の本島人の
卒生旗だの60−70円で月給で差別が明確でした。格差も台湾では差別が真実であったのです。総督府は曰く特別手当を出さぬと優秀な官吏を招待
出来ぬのでと理屈をつけました。是はいまでも高級官吏は霞ヶ関で理屈を
つけて収賄、賄賂などで補っています。
尚「雪結晶を人工的に作った人」は仲谷宇吉郎先生で北大の先生でしたか、他面先生は西田哲学の後継者の一人であったと記憶しているのですが?

那智高雄さま、西田哲学と日本人の内省

投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2007/05/20 14:12 投稿番号: [8585 / 10346]
こんにちは、那智高雄さま

日々、豪胆でダイナミックな台湾の人たちと過ごしていると、繊細な心の交流を得意とする日本人同士の会話が懐かしくなります。
私は繊細さとは相手の心の動きを慮り、相手の心の機微を理解したり、控えめに相手を思いやることだと理解しています。この抑えたやさしさこそ日本人特有の表現だと思っています。
もちろん、台湾や他のアジアの人々も相手を思いやるわけですが、その表現方法が全く日本人とは違います。台湾では相手を思いやる場合、必ずそれをわかりやすく相手にアッピールしたり行動で示す必要があります。控えめでもなく、抑えるのでもなく相手にぐいぐいとアッピールしていく、このあたりが違うと思います。
日本人が内省的であるのに対して能動的なのが他のアジアではないかなあと最近思います。

>多くの台湾人が日本時代に哲学や禅を学ぶのに日本に
来てくれました。でも当時は戦争と西田哲学(京都)の西田先生や禅の
鈴木大拙さんは引退時期になっていました。

西田哲学は李登輝さんが京都大学留学時代にずいぶんと勉強されたと聞いております。私は哲学にも少し関心がありますが、西洋哲学の追求する能動的な自己意識に対して、西田哲学は日本的な内省する自己、悲哀や悲しみの中にある自己を追求しているように思います。
「台湾の悲哀」を訴えた李登輝さんですが、おそらく西田哲学を通して日本的な内なる自己の探求、内省的な表現などを探求されたのではないでしょうか。

>夏目漱石の「こころ」
は世界的な傑作ですね。川端康成の「雪国」なども繊細さでは抜群ですね。

10代でこれらの文学作品を読んだときは、そのあまりにも内面的で内省的な暗さ、自己を見つめる表現方法にうんざりしてあまり感銘を受けませんでした。
当時は、世界文学のようなダイナミックで前向きな表現、左翼革命のようなダイナミックな社会改革のような能動的な思想にあこがれたものです。

しかし、思い出してみると、その自己と徹底的に向き合い、自己の心理と葛藤する日本人の繊細な表現方法に感銘を受けます。
もう一度、日本の私小説を読み返して、その意味を探りたいと思っています。

Re: 北京語で繊細な文章

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/20 00:29 投稿番号: [8584 / 10346]
unhoo様:
物理学を学んだお嬢さんが、もし日本へ留学していたら、当時はまだ

京都帝大ー大学に素粒子の中性子論の湯川秀樹さんがいましたかな。

又東大には物理でも先端でして、今の田中先生が助教授だったかな?

二人ともノーベル賞を貰っています。雪の結晶で有名な先生(名前がでない)
が京都帝大にいましたが是は古い話です。今でも50−60歳代で

本島人の台湾向きの思想を持っている連中はずっと台湾に残り歴史を

見てきた証人たちですかね?

台北の中正堂がやっと62年経た挙句に台湾民主記念館となるそうで、

日本でももう既に明治とか大正とかの名前が付いた記念館がないのです。神社だけがのこります。

Re: 北京語で繊細な文章

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/05/19 09:03 投稿番号: [8583 / 10346]
>貴方が日本語をよくするのに、お嬢さんがなぜ米国へいきましたか?<

外省人の学生がみなアメリカ行きを目指していたので、そのムードに巻き込まれたのです。台湾の大学の物理系(物理科)を卒業したが、卒業したころには、物理科を選んだのは間違いだったと後悔していました。化学科か何か応用の効く科目を選ぶべきだったと。

娘はもう学問をやめて専業主婦になっています。人生は結局そんなものです。

蒋政権時代の台湾は、じつにつまらなかった。あの時代にアメリカへ行った若者は、生まれてはじめて自由、人權、人間の自尊心を身に感じて、蒋政権下の人民は、動物園の檻の中の動物のようなものだと知ったものです。

蒋政権が死滅して20年、現在45歳以下の人たちは、蒋政権時代が動物園の檻のなかであったことを知らず、自由、人権、尊厳のない世の中は想像することもできない。

Re: 北京語で繊細な文章

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/18 00:49 投稿番号: [8582 / 10346]
unhoo様:貴方が日本語をよくするのに、お嬢さんがなぜ米国へいきましたか?当時の日本は戦後間もなくで、不安と治安の問題もあったからでしょうか?
あるいは適当な目指す学科が日本には無かったからですか?
戦後の北京語はいい加減で、台湾から、中国からの留学生が生物化学で
RNA and DNAを説明していると喧しくなり、聞いて見ると北京語には
これらの適語がないと申しました。驚きましたね。
でも英語科学文章が北京語の文章よりわかりやすいのは、単に歴史の長さの
違いからきているのでしょう。表現語句の多少に由来するのでしょうか。
源氏物語を北京語で書いても同じ繊細な感情が表現できるのですね。

Re: 北京語で繊細な文章

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/05/17 10:31 投稿番号: [8581 / 10346]
>日本語は三つの種類の言語で成立しています。ですから万能の表現が

出来るものだと思います。漢字ばかりの北京語でもその能力があるのは

大したものです。<


終戦直後「外省人」が持ってきた北京語はまだ幼稚で、こんな言語で科学が記述できるだろうかと危んだものです。あのころの新聞の科学に関する報道は、じつにぎごちないものでした。60年たった今では、科学の記述ができる程度に北京語も成長したようです。

わしの長女は台湾の大学を出て、すぐにアメリカへ移住して35年になります。そろそろ英語が第一言語になりかかっています。彼女の説では、新聞の科学報道は、北京語よりも英語のほうがわかりやすいとのことです。

文芸的な記述、たとえば繊細な感情を叙述することなら、2500年前の『詩経』でも成功しています。

ドラマ「医龍」、台湾でも人気沸騰♪

投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2007/05/16 23:15 投稿番号: [8580 / 10346]
日本で大人気の医療漫画「医龍」のドラマ版、日本で放送されてから約1年遅れでやっと台湾で放送がスタートしました〜♪
ドラマ「白い巨塔」が台湾でも一世を風靡しましたが、この「医龍」も大人気です♪
特に医局という日本的な硬直化した組織の暗部がうまく描かれていて、台湾視聴者の関心を集めているみたい♪
台湾の医学界、というか大学病院の組織は日本統治時代の影響を受けているはずですが、最近ではすっかりアメリカ的な組織形態になっているらしい。台湾の医局と日本の医局ってどの程度違うのかそのへんも興味深いところです。
「医龍」漫画版もぜひ読んでみたい〜♪

Re: 北京語で繊細な文章

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/16 13:11 投稿番号: [8579 / 10346]
unhoo様:
日本語は三つの種類の言語で成立しています。ですから万能の表現が

出来るものだと思います。漢字ばかりの北京語でもその能力があるのは

大したものです。

作品の美しさではないですが、昔のものを全部捨てた日本人の損失の大きさ

を描いた、数学者の藤原正彦さんの「国家の品格」を一度読んでください。

お母さんは優しく、お父さんは恐ろしい存在であった家庭が無くなり、

子供ばかりを甘やかす子供中心の家庭に成り下がっていしまいました。

台湾時代はいじめも喧嘩もありましたが、泣き出したり、謝ると皆が許した

もので本人をかばいましたね。今は自殺に追いやるまでやめません。子供は親の背中を見て育つといいますが、その見せる背中がありません。

今思うと、当時の小学校の先生が身体で教えてくれたものです。

北京語で繊細な文章

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/05/16 02:38 投稿番号: [8578 / 10346]
houzantakao様

>川端康成の「雪国」みたいな繊細な文章内容は北京語などでも、充分こなせる言語能力があるのでしょうか?<

それは可能だと思います。北京語という「車夫馬丁之言語」が文字で書かれるようになってからほぼ百年たっています。その間に大勢の文人、学者、学生、少年少女、商人、政客がこの言語を使いまわしまして、可能の範囲を広げましたから。

ちょうど昨日(五月14日)の『自由時報』に、女性読者から募集した初体験談の採用作3篇が出ていました。文章の長さは500字以内という制限つきです。そのなかの一つ、恋人の出来ない女性が、性への好奇心が抑えきれず、意を決して、男性を誘導して目的を達成した話、そのいきさつもおもしろいし、結論もおもしろい。「その男性に対して何の感情ももっていないし、自分が男性の物になったのでもない。私は処女を自分自身に捧げたのだ」との言い分です。この文章なども、短い文章にしてはなかなか微妙に真理の動きが書かれていると思います。

川端康成の『雪国』を、わしは不幸にして中学一年のときに読んでしまいました。その当時の友人に高等学校の生徒がいました。いろいろなことを教えて指導してくれたいい先輩でした。その人が、『雪国』の評判を聞いて、わざわざ買ってきたので、彼が読み終わったあと、わしが借りて読みました。しかし中学1年ではストーリーが理解できないし、微妙な表現が味わえるわけもありません。ただあのときに読んでしまったから、その後もう一度読もうという気をおこしたことがありません。あのときの先輩の高等学校生徒にも『雪国』のどこがよいのか、わからなかったらしいのです。

Re: アメリカ人は飾らない

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/15 22:21 投稿番号: [8577 / 10346]
taiwanboom様:
世界で一番構えなくて、ざっくばらんなのが米人と聞きます。個人ではいい奴が多いです。台湾人で日本人と結婚して日本に住む方たちで日本人が
示す差別感は何か起きた時、日本人が必ず申す言い訳は、「あらすみませン寝、日本人は外人に馴れていないので、どうしたらいいのか判らないのでーー」と逃げ口上を出すと、台南出身の杉並区に住む婦人が最後は台湾に帰りたいと申します。
この頃の米人も日本に行く前に相当詳しい日本情報を持って入ります。そしてなりふり構わずに郷に従います。彼等だけ固まって暮らすとか、集る習性
が感心にありません。大学の先生職も他に出来ないからとか、失職していたので緊急に付いた職であるといいます。植木等さんの「しがないサラリーマン
稼ぎ」の一角ですね。
言葉は文化、歴史、習慣などを知らないと仲間はずれの日本語になります。技術通訳を9年もやりましたが、言葉だけわかっても半分通訳できますかな?台湾の観光通訳ガイドはもっと歴史、文化を背景にしてガイドをやるべきですね。
私は40歳の女性ガイドを依頼します。彼女は屏東農林学校(昔の名前は)
卒ですので、園芸、農業、植物、自然公園の説明が上手です。専門家プラス
通訳ガイドです。

Re: アメリカ人は飾らない

投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2007/05/15 17:24 投稿番号: [8576 / 10346]
houzantakao 様

早速のご回答ありがとうございます。

このときの会話でも、彼の口から確かに「principle」という言葉が
出てきました。「ホンネ」のことですね。
ところが「confess」は出ませんでした。
彼は日本滞在2年目で、日本の新聞を読むほどになっていましたが、
「ホンネとタテマエ」に相当する英語を見つけることはできませんでした。

そういえば、彼は新聞記事でも本文はすらすら読めるが「見出し」に
てこずることがありました。
「見出し」では言葉の遊びや格言などを「省略」して取り入れる
ことがあるので、理解が難しいのでしょう。
言葉は「ツール」としてでなく「文化」として習得しなければならない
と思っています。

ちょっと脱線します。
台湾観光のガイドは、以前は日本語世代の人が多くて、日本の昔話などを
取り入れて面白く説明をしていました。
ところが、この日本語世代が引退して、最近は大学で日本語を習得した
若いガイドがほとんどになりました。

かれらは、説明するために日本語を「ツール」として学んだので
ガイド説明が薄っぺらで面白くありません。
台北の建物を指差して「あの建物は日本時代には憲兵隊の本部でした。
怖いところでしたよ。一度引っ張り込まれたら、なかなか出してもらえ
なかったんだから。怖いところでしたよ」といった実感のこもった説明は
いまの若いガイドには出来ません。

本題に戻ります。
彼の日本滞在はかなりのもので、私のいる大分市に3年余りいました。
その後の「行ったり来たり」を合わせると滞日10年にはなるでしょう。
その彼、ブロードベントさんは、いまでは米国のどこかの大学の教授に
なっています。
数年前、読売新聞に彼の写真が大きく出て、日本問題を論じていました。
いつか会うことがあったら、もう一度「ホンネとタテマエ」を訊いてみます。

知日派の学者としては、ご存知かもしれませんが、カリフォルニア大の
カーチス博士がいます。
彼も大分の温泉都市・別府に10年以上住んでいました。
自民党代議士の私宅にです。
そして日本における「政治とカネ」についての本を書きました。
日常はヒッピーのような格好で、私たちは彼が大学教授になるなんて
思ってもいませんでした。

アメリカ人の、外国での「遊学」は、その土地に溶け込む点では
徹底しているように思えますが、いがですか。
私の友人のブロードベントさんも、日本人の前で夫婦喧嘩をしていました。
飾らないんですね。

Re: アメリカ人でもあいまいなことがありま

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/15 09:06 投稿番号: [8575 / 10346]
unhoo様:
区別があるかどうかわかりません。だが、会話などではso glad -- といいますね。公式の席上などではvery glad -- とも頻繁に使います。この文体のあと
につずく時はso glad -- - thatと言いやすいですね。very glad, which --
はどうも堅苦しいですね。人には癖がついていてso much glad -- の略でいいですね。公式ではよくvery pleased to meet you -- -ともいいますね。国務省を訪問した時、女性がvery pleased to see you -- を頻発していましたが、あの女性は公人でしたからね。一般には男女関係無く -- so glad to see you-
が庶民的ですね。

尚川端康成の「雪国」みたいな繊細な文章内容は北京語などでも、充分こなせる言語能力があるのでしょうか?さっぱり判らぬので質問しました。

Re: アメリカ人でもあいまいなことがありま

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/05/14 23:19 投稿番号: [8574 / 10346]
houzantakao様

わしは樋口一葉を読んだことがなく、「パパイアヤの有る街」、「郵便配達夫」も読んでいません。樋口一葉は青空文庫でただで読めるのだから、人生に訣別する前に、頑張って二つ三つ読んでおこうと思っています。

夏目漱石はかなり読みましたが、この年になって考えるに、漱石の傑作は「坊ちゃん」、『我輩は猫である」の二作に尽きると言うべきで、それ以外は漱石の勝手なひとりごとの羅列です。およそ小説として、会員誌でなく、一般人が読む新聞に発表するからには、読者が興味をもって読み続けることができるように配慮すべきで、その配慮のないつづり方を読んでやるような親切心は、わしにはノーモアです。

それから、ずっと以前に見つけた記事、英語の先生をしている人が書いた記事ですが、アメリカにも女言葉があると、いくつかの例が挙げてありました。そのうちでわしはたったひとつだけしか覚えていませんが、veryというところをsoに換えると女っぽい感じになるというのです。I am very glad to receive your letter を I am so glad to receive your letter   にすると、女っぽい感じがするというのです。そのとおりでしょうか。アメリカに三十數年住んで、英語人になりかけている長女が、この前台湾へ帰ってきたときに聞いてみたら、わからないとのことでしたが。

Re: アメリカ人でもあいまいなことがありま

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/14 14:23 投稿番号: [8573 / 10346]
unhoo様:
北京語を戦後6ヶ月しか正式に習っていない私には、中国語の表現は

かなり直線的な言い回しがおおいのでしょうか。それとも同じ文章でも

解釈の違いが多々あるのでしょうか?日本語と比較してニュアンス、あいまいさなどの表現は豊かなのでしょうか?

樋口一葉の「竹取物語」などでも機微と繊細さが彷彿しています。台湾でも

戦争前の本島人がかいた民族生活物語、「パパイアヤの有る街」などをみると、

景色の描写でニュアンス一杯の傑作です。「郵便配達夫」なども多分に内地人

の作品と間違う細かいニュアンスが彷彿しています。多分、日本語でかいた

からでしょうか。是は全国文芸作品応募でニ等賞を得た優秀作品でした。

中国語ばかりだと、ここらが難しいのでしょうか?それとも表現できるのかな?

ただ中国言語と文学作品の上で聞きたいだけです。

Re: Honkytonkさま、日本人の高度な表現力

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2007/05/14 00:39 投稿番号: [8572 / 10346]
>日本人はアジアでは極めて珍しく、ストレートな表現ではなく、あいまいな、微妙な表現ができる民族だと思います。だからこそ米国から見れば、日本はなかなかやりにくい、取り込みにくい国だと思ったことでしょう。それであえて、「日本人はあいまい」「はっきり言わない」などとバッシングをしかけてきたと見ます。

「あいまい」とは違う話かも知れませんが、以前友人が面白い事を言っていたので、ここで紹介します。
あくまで彼の私見なのですが、そうかもなと思わせるものはありました。

曰く、「戦後ずっと、外交において、日本は米国との交渉で、常にうまくやっていた。いつも米国側はメインの座敷に通されたと思って満足して帰っていくと、その実は玄関横の一つの何てことない部屋に通されたに過ぎない事に気付く。つまり、何か条約等で取り決めても、どこかに日本がすり抜けるための抜け道が隠されてあったりで、それで米国はいつも日本に『してやられた』と地団駄を踏んでいた。そこで米国が仕組んだのが、あのバブルの空騒ぎだったのでは、と思っている」と。

あまりに推理小説まがいではあるのですが、とても面白くは感じました。
この場合、「あいまい」と言うより、「狡猾と取られていた」という事になるのかと思いますが。

>日本人は感情を抑制し、高度で微妙な表現力を駆使して相手を混乱させるようなところがあります。これは日本の伝統的な芸能、たとえば「能」の表現を見るとなんとなく理解できるような気がするのです。

非常に興味深い指摘だと思います。

表現力、と言うか、表現方法の違いとしては、英語にしろ、漢文にしろ、読んでいて思うのは、日本語よりあからさまというか、時として血腥い表現に驚く事です。

オブラートに包んだような表現として最もワタシ個人が関心もし、また疑問にも思ったのは、『日本書紀』での「平定」という漢語を、「ことむけやはす(言葉を相手に向けて、やわらげる)」と訓読みする事です。
「平定」とは正に軍隊を派遣して「たいらげる」事ですが、「ことむけやはす」とは、「戦争をするにもまずは話し合い、相手の気持ちをやわらげて、出来れば平和裏に解決する」という訳し方になり、とても美しいと思う反面、誤訳じゃないかなと心配もしました。(つまり、だったらば「平定」ではなく、もっとふさわしい漢語を使うべきではないかという意味で。)

軍事用語で、例えば英語では敵兵をたおす事も敵機を落とす事も「Kill」と言い、双方の損害比率を「kill ratio=キル・レシオ(殺した比率)」なる表現を使います。
これは日本語と違い、同じ事をするにも表現方法があからさまだなと思った次第。
まあ日本語でも、「この電気配線を殺す」という言い方もありますから、厳密にはどっちがどうなのかは、ワタシは言語の専門家ではないので分かりませんが。

Re: 那智高雄さま、奥ゆかしさという文化♪

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/13 23:49 投稿番号: [8571 / 10346]
Cafe様:
先ず母の日の貴方のトピが見えるのは結構なことです。今後も、母としても

活躍ください。日本文の表現の繊細な細かい、ニュアンスのある表現が

やはり3種類の漢字、カタカナ、かなの存在から来ていると思います。

明治、大正時代の留学先の人気は英国であり、Oxford or Eaton(middle -high school)に殺到したものです。東南アジアからのエリートは英国
留学で日本も皇族一家(天皇家もふくめて)英国留学でした。戦後フルブライト奨学金が出て依頼多くが米国(コロンビヤ、ハーヴード、MIT,後、スタンフォード、caltechなど)に多くでてきました。

民族的に学問の世界では特に突出とは思いませんが、文学的にその特異な
表現が出来て、それを受け入れる日本人の心理は民族性に由来しているのでしょう。
是は生活や芸術の豊かさを引き揚げているのでしょう。アメリカの翻訳家でも他の国の著述の翻訳家は多いですが、近世、近代日本文学の紹介者は
非常に少ないです。多くの台湾人が日本時代に哲学や禅を学ぶのに日本に
来てくれました。でも当時は戦争と西田哲学(京都)の西田先生や禅の
鈴木大拙さんは引退時期になっていました。台湾と関係の深い森鴎外(父子)の作品なども下町の情緒溢れる人間の機微を描いています。「高瀬舟」、
いい作品ですね。西欧人には理解が無理でしょうね。夏目漱石の「こころ」
は世界的な傑作ですね。川端康成の「雪国」なども繊細さでは抜群ですね。
これらの背景のひとつには、あいまいさを受ける民族性があればこそです。

Honkytonkさま、日本人の高度な表現力

投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2007/05/13 13:29 投稿番号: [8570 / 10346]
お、ホンキートンクさま、お久しぶりです♪

>よく「ホンネ(本音)とタテマエ(建て前)」という言われ方が使われますが、それは日本だけの特有のものと感じた事は、小生もございません。
米国でも、何かの演奏会に誘っても、「考えておきます」と遠まわしに断られる事はありましたし

私も同感です♪
アメリカ人はなかなか腹が読めない民族で、本音と建前の使い分けは絶妙です。
実は西洋人も、直球ばかり投げるのは表現としてレベルが低いことはわかっていると思います。
日本人はアジアでは極めて珍しく、ストレートな表現ではなく、あいまいな、微妙な表現ができる民族だと思います。だからこそ米国から見れば、日本はなかなかやりにくい、取り込みにくい国だと思ったことでしょう。それであえて、「日本人はあいまい」「はっきり言わない」などとバッシングをしかけてきたと見ます。

台湾や中国の方はけっこうわかりやすい人が多いです。アメリカ人とはまたぜんぜん違いまして、わりと頭の中身が透けて見えるほどわかりやすい人も少なくないんですよ♪
韓国人の知り合いは少ないですが、少なくとも日本人よりはわかりやすいだろうと推測できます。
中国、韓国が割りと外に自分の感情をさらけ出して、豪快に弁舌をふるうのに対して、日本人は感情を抑制し、高度で微妙な表現力を駆使して相手を混乱させるようなところがあります。これは日本の伝統的な芸能、たとえば「能」の表現を見るとなんとなく理解できるような気がするのです。

unhooさま、米国留学出世ルート♪

投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2007/05/13 13:13 投稿番号: [8569 / 10346]
ウンホーさま、横レスで失礼いたします。

>台湾の大学を卒業してから、アメリカへ留学に行き、マスターを取って、アメリカの有名会社に就職するというのが、外省人が台湾へ持ってきた「理想」です。

私は常々、台湾の若者がアメリカ留学を目指す現象に注目していました。
特に、台湾大学→アメリカのトップ大学大学院修士号または博士号→アメリカで就職または台湾に凱旋帰国というのが台湾のエリートコースのようです。
でも、これが外省人が持ち込んだ「理想」だったとは驚きました♪

推測ですが、1930年代から40年代、北京大学や上海のトップ大学卒業生は米国または英国留学を目指したようなことを聞いております。
戦後、そのような中国人エリートの出世コースがそのまま台湾に持ち込まれたとは!
そのせいか、台湾ではトップエリートがアメリカ的な思考をする人が多く、戦後の台湾人の考え方全般にとても大きな影響があったように思います。
戦前まで日本的な考え方が台湾全体を支配していたことから考えると、戦後の変化の大きさは凄まじいような気がします。とても私達日本人が想像できる範囲を越えているようです。

那智高雄さま、奥ゆかしさという文化♪

投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2007/05/13 01:19 投稿番号: [8568 / 10346]
那智高雄さま♪
乾燥していて涼しかった天気も一昨日までで終わり、昨日からぐんぐん暑くなり、今日はエアコンをがんがんかけています。
台北にそろそろ夏がやってきたようで(-_-;)

>台湾でも西欧諸国でももっと正確な日本文化、芸術、文学を伝えることが
出来る人物がいれば賛同してくれる親日派、知日派が排出する筈です。

同感です♪
台湾の中年から若い世代が日本に持つイメージは、仕事に真面目、勤勉、時間厳守、ファッショナブル、ハイテク製品、性的に開放されている(アダルトビデオの影響)、男尊女卑、アニメ、漫画、お宅カルチャー、電車の中に痴漢が多い、武士道、サムライ、チャンバラ、「仁義なき戦い」、日活映画等といったところでしょうか。

日本のよい文化も悪い文化もマスコミによってめちゃくちゃに台湾に伝達されているため、日本人の本質を深く理解する台湾人はほとんどいません。

特に日本人の美徳である「奥ゆかしさ」「繊細さ」「相手を思いやるやさしさ、婉曲な表現」といった文化は全く理解されていないようです。

アメリカ人でも「あいまいな表現」はすると思います。しかし、そのあいまいさは、日本人の場合、他人の立場を思いやるやさしさから出発していると思います。
相手の気持ちを考えるからこそ、自分の主張は一歩譲って相手の立場を立ててあげるとか、そういう態度です。

アメリカや台湾では、とにかく自分の優れている点はどんどん強くアピールしますが、日本人はたとえ優れていても、それを表に出さず、奥ゆかしいところがあります。
日本人は自分の優れている点を仕事の中で表現したり、他人を助けるときに発揮したりするほうを重要視しています。

その意味で、繊細さや奥ゆかしさ、他人を思いやるやさしさ、これこそ日本人が世界に誇るべき民族的特質だと思います。

Re: アメリカ人でもあいまいなことがありま

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/12 23:23 投稿番号: [8567 / 10346]
taiwanboom様:
ポーリング博士の人物ですが、博士は初めはパサデナ市にあるカリフォルニア工科大学教授で後、カリフォルニア大学バークレイ校教授で植物生理学
が専門です。今は名誉教授ですが、当時、先生は植物生理学でノーベル賞を
貰い2年経てノーベル平和賞をもらいました。スリッパとハンズボンでT-shirtを来て教授していましたので、キャンパスの労働者と日本の技術者達
に見られて合うまで時間がかかりました。出迎えて立って待つこと30分
だったそうです。書くのをわすれたので。ちなみに、バークレイだけでノーベル賞授与者が13人いるそうです。

Re: アメリカ人でもあいまいなことがありま

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/12 23:23 投稿番号: [8566 / 10346]
taiwanboom様:
ポーリング博士の人物ですが、博士は初めはパサデナ市にあるカリフォルニア工科大学教授で後、カリフォルニア大学バークレイ校教授で植物生理学
が専門です。今は名誉教授ですが、当時、先生は植物生理学でノーベル賞を
貰い2年経てノーベル平和賞をもらいました。スリッパとハンズボンでT-shirtを来て教授していましたので、キャンパスの労働者と日本の技術者達
に見られて合うまで時間がかかりました。出迎えて立って待つこと30分
だったそうです。書くのをわすれたので。ちなみに、バークレイだけでノーベル賞授与者が13人いるそうです。

Re: アメリカ人でもあいまいなことがありま

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/12 14:13 投稿番号: [8565 / 10346]
taiwanboom様:
文学的表現はさっぱりの私です。ただ会話ではto confess[本音で」で

「principle]が建前で表現によく使われます。キリスト教会に告白箱

と言う小さな信者の告白室があります。牧師相手に告白(本音)をはく場所

です。その表現はかなりの種類で様々なケースに合わせて英語文で説明して

いる様です。本音と建前と言う単語はありません。まだ2−3種類の表現文句
がありますね。若い世代の使う「スゴーイ」と言う言葉を英語で表現すると

数種の英語の単語が出てきます。それですから表現の豊かさはあると思い

ます。80年代にポーリング博士と会った時、「スゴーイ」と言う意味をきかれました。「便利な単語だな〜」といわれましたが、勘違いの「スゴーイ」を連発

しているケースが多いですね。西欧人ははっきりしているのは本音と建前の

距離が短いというのです。余り両者を駆使しすぎると終いには信用されなく

なります。「あいつの言っているのはいつも建前であって、本音はちがうぞ」となります。この枠を破って日本のあいまいさがわかる欧米人は相当な日本文化を理解する連中です。

今度民進党公認総統候補になった謝長廷氏はこの辺りの間の取り方も

理解するでしょう。

Re:ほんねとたてまえ

投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2007/05/12 13:06 投稿番号: [8564 / 10346]
houzantakao   様

私の友人のアメリカ人に日本語の「本音と建前(ほんねとたてまえ)」を
英語でなんというか尋ねたが、正確な答えはありませんでした。
かれがハーバードの大学院から東大の大学院に来ていたときです。

Re: アメリカ人でもあいまいなことがありま

投稿者: houzantakao1946 投稿日時: 2007/05/12 00:08 投稿番号: [8563 / 10346]
unhoo様:
人間である以上、あいまいさもあるでしょう。その度合いが違うだけですね。川端康成とか大江健三郎さんの著書を翻訳したドナルドキーンは英語
と日本語を習熟した技術であの難しい文学表現を表しています。あいまいさも充分適訳しています。ところが彼の若い時代の著書で見える英語表現は
明確な表現で是がドナルド・キーンの文章かと疑います。Kitamura MinoruさんのThe Politics of Nanjing( An impartial Investigation)の翻訳した日本訳専門のHal Goldさんが苦労してあいまいさも含めて見事な翻訳をしています。自然に無意識に書くと英語はやはり直線的な表言になりますが、是を文芸の世界で英語であいまいさを表現できるひとは数に限りがありますね。私は技術通訳であいまいさを表現できませんでした。科学であったので、教壇から
講義ができたのでしょう。とても文学などでは講義は出来ないでしょう。
幸い”F"は取ったことがありません。
尚面接では簡単な労働者を選ぶには
面接直後で採用もありますが、私は2回面接諮問を6人の教授からうけました。
私も面接係りをしましたが、やはり年俸10−20万ドルも取る人物の
採用は研究論文、博士号論文の数と質を事前に見ておきましたがそれでも
採用決定には1−2週間もかかりました。姪御の長男が東京医科歯科大学を
失敗(不合格)だと思ったら補欠採用でした。本人は合格した早稲田、東京理科、東京農工大の中でお金の要らぬ農工大にきめました。こんな医科歯科大の合格(補欠)を中国式ではどう表現するのでしょうか?

Re: アメリカ人でもあいまいなことがありま

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2007/05/11 00:03 投稿番号: [8561 / 10346]
よく「ホンネ(本音)とタテマエ(建て前)」という言われ方が使われますが、それは日本だけの特有のものと感じた事は、小生もございません。

米国でも、何かの演奏会に誘っても、「考えておきます」と遠まわしに断られる事はありましたし、来日した米国人(米国人に限らない)を食事に招待し、明らかに不味かったとこちらが後悔していても、「いやあ、大変すばらしい夕食を有り難う」と、丁重に感謝されます。
そして、そういう心遣いは有り難いと感じます。

学生時代の専攻の教授(米文学)は、「英語ほどあいまいな言語は珍しい」と断言していました。
小生は怠け者でしたので、なぜあいまいなのか、今でもあまり理解出来ないでおります。

ただ、Double Talkは、文章表現ではしばしば目にしますが。

それはさておき、とある国がしばしば「日本の二重性」と誹謗した表現を使いますが、「日本の」と勝手に特化しているそちらが、直球ばかり投げて失敗しているのですヨと言いたいものです。
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