李朝朝鮮

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Re: 儒学者の聖地

投稿者: goodjapan48 投稿日時: 2006/09/25 21:19 投稿番号: [360 / 1329]
どうも建造物が新しく見えます

だれが、管理していたのでしょう。

Re: 儒学者の聖地

投稿者: goodjapan48 投稿日時: 2006/09/25 21:16 投稿番号: [359 / 1329]
>   この仏像の中から「中和3年(883年)」と書いた文書が発見されたため


その文書は本物?偽造される場合もあるので

鑑定が必要です。

Re: 儒学者の聖地

投稿者: goodjapan48 投稿日時: 2006/09/25 21:11 投稿番号: [358 / 1329]
>   韓国最古の木造の仏像も、キンキラに塗り直してあります


どうせ、当時と同じ原料じゃなく

現代の科学塗料でしょ、仕舞いには面倒くさいので色つきの布でも貼り付けたりして

Re: 儒学者の聖地

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/25 20:42 投稿番号: [357 / 1329]
>>儒学者の聖地「大成殿」

>(写真見て)600年も前なのになんでこんなに朱が鮮やかなんだ?
>朱は酸化して色あせるはずだが・・・
>額縁とはどう見ても20世紀のものスミダ

中国と同様、古いものでも、新しく作り、ベタベタに塗りたくっても平気なようですね。
何しろ、中・韓にとって歴史は書き残すものではなく、現政権の都合の良いように新しく立て直すものですから。

従って、韓国最古の木造の仏像も、キンキラに塗り直してあります。
------------------------------------ -

韓国最古の木造仏像   海印寺で発見

慶尚南道陜川(ハプチョン)郡にある海印寺(ヘインサ)は「八万大蔵経」がある寺として有名だが、ここの法宝殿に所蔵されている毘廬舎那仏像が、これまで韓国で存在が知られている木造仏像の中で最も古い年代の統一新羅時代末期の作品であることが分かった。

法宝殿の本尊仏の毘廬舎那仏像を改めて金塗りした際、この仏像の中から「中和3年(883年)」と書いた文書が発見されたため、仏像の製作年が分かったと発表した。
http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_zoom_detail.htm?No=787

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/25 20:15 投稿番号: [356 / 1329]
>徳川家斉の将軍就任について訪日した朝鮮通信使の正使が、日本の水車に感心してその製法を記録させたにもかかわらず、一向に取り入れられた形跡がないように、灌漑施設についてはかなり遅れていたようです。

確か、家斉のときは、1811年最後の第12回朝鮮通信使で、「対馬に差し止め」になってますね。
結局、400年間、水車すら学習しなかったんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF

「水車」や「貨幣経済」「造紙(紙漉)」など日本の進んだ農業技術や経済の多くのことを見聞しているにもかかわらず、朝鮮には何一つ導入されなかったというのは、驚くべきことですね。
いくら小中華といっても、このやる気のなさはどこから来たのでしょう。

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室町時代前期の一四二九年、日本に来た朴端生は、
「日本の農人、水車の設けあり」として、学生の金慎に「造車の法」を精査させて模型を作り、鍍銀(銀メッキ)、造紙(紙漉)、朱紅、軽粉などの製造法を報告しています。

この時の復命では、日本の貨幣経済の実態や、店舗商業の発展等にも及びました。しかし、その中で技術にまで言及していたのは、渡航前に世宗から「倭の紙、堅籾、造作の法また宜しく伝習すべし」と、日本の技術を導入するように命じられていたからです。

だが、残念なことに、それらの技術はいずれも朝鮮の風土に定着しませんでした。

灌漑施設としての水車の優秀性は、その後も何度か提議されていました。
造紙のほうも17世紀になり、柳馨遠が「倭の楮(こうぞ)の軽沢精緻に如かず」と、日本の楮である倭楮を使った紙の製造を提唱しています。

これに対して日本では、朴端生が日本を訪れる百年以上も前に、水車を利用して離宮に川の水を汲み上げた話が「徒然草」(第五十一段)に記されています。
http://toron.pepper.jp/jp/kr/textbook/kinsei.html
--------------------------------------------
(ネットで拾ったものです)

『海游録』、享保4年(1719年)に、徳川吉宗が将軍職についたときに、祝意を表するため派遣された朝鮮通信使に製述官として随行した申維翰が記録した日本紀行文。

「浦岸の人家は数百戸、麦田が縦横し、田畦には孔を穿ちて糞尿を貯えている。路上に見る樵の男や水を汲む女は、勤倹にして農家の趣きがあり、市肆の繁華とは大いに異なる。地は安芸州に属す。」

江戸に向かう一行が京都から大津へ向かった9月12日のこと。小さな峠を越えたところに道をはさんでたべものの店が並び、「それぞれ酒、餅、煎茶、焼き芋を用意して路傍に並べ置き、通行人を待って銭をかせぐ。」

「倭人は器が汚れていると食べない。」
---------------------------------- -

「日東壮遊歌」や「海遊録」以外の、朝鮮通信使の日本の記録。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=69833

儒学者の聖地

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/09/24 22:00 投稿番号: [355 / 1329]
歴史的遺産とかほとんど無いから、無理やり作りだして観光地にしようとしてるのかな?

(写真見て)600年も前なのになんでこんなに朱が鮮やかなんだ?
朱は酸化して色あせるはずだが・・・
額縁とはどう見ても20世紀のものスミダ
そもそもそんな大層なもんが600年も閉ざされてたんだ。
あの民族の性格上、600年ものを今まで黙っているはずがない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
儒学者の聖地、600年ぶりに開かれる

600年余りの間閉ざされていた儒学者の聖地「大成殿」の門が24日、開かれた。釜山にある東莱郷校の大成殿の内部。一般公開に先立ち、朝鮮時代前期の儒学者、成俔らの位牌(いはい)を移す儀式を行った=24日、釜山(聯合)

http://file.yonhapnews.net/foreign/newsJP/PhotoAlbum/2006/20060924161136.jpg

↑手前の二人も600年ぶりにでてきたらしいです。
偉大な民族である。

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/24 01:07 投稿番号: [354 / 1329]
>やはり、主な問題は灌漑施設ですね。
満州でも稲作の問題は同様のようですね。

徳川家斉の将軍就任について訪日した朝鮮通信使の正使が、日本の水車に感心してその製法を記録させたにもかかわらず、一向に取り入れられた形跡がないように、灌漑施設についてはかなり遅れていたようです。

>ということと、満州では蕎麦、高粱、小麦、粟、玉蜀黍を栽培し、「鉄道沿線及び南方地方」以外ほとんど稲作がない状態からすると、古代、中国東北部と朝鮮半島の稲作は直接的な関係はない(なくなった)と考えた方が妥当ですね。
エトさんの論理通りかな。

李朝時代、稲の栽培について、気候的な条件によって水の確保が困難だったというのと、労力に見合う安定した実入りが得られにくいというのはあったでしょうね。いろんな制約の存在する米だけに依存するのは危険だったと。

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/20 23:59 投稿番号: [353 / 1329]
>>満州地方は寒冷地ですから

>これは誤解があるようです。たしかに冬は寒いですが夏の気温は大連で岩手と同じくらい、長春で秋田とおなじくらいです。

なるほど、ありがとうございました。

>北朝鮮においても稲作は行われていたようです。

やはり、主な問題は灌漑施設ですね。
満州でも稲作の問題は同様のようですね。
ということと、満州では蕎麦、高粱、小麦、粟、玉蜀黍を栽培し、「鉄道沿線及び南方地方」以外ほとんど稲作がない状態からすると、古代、中国東北部と朝鮮半島の稲作は直接的な関係はない(なくなった)と考えた方が妥当ですね。
エトさんの論理通りかな。

------------------------------------ -
満州日日新聞 1915.8.14-1915.9.4(大正4)
満洲の農業と植民 (一〜完[(一八)])
農学士 HA生
>一八六〇年黒竜江将軍特普□の呼□平野開墾に次で、・・・
>第一年には蕎麦を植え、第二年から高□なり、栗なりを蒔くという順序で行く。
>その他露国人の開拓、朝鮮人の移住、

>第一 土地の自然的位置 の中で最も重要なるものは温度である、但し満洲は二毛作が行われ無いから、農業期間は四、五、六、七、八、九、十の七箇月に限られて居る、故に此の夏季の農業期間に於て作物生育に必要な温度さえ有れば、冬期は如何に寒くても差閊え無いのである。

>満洲は一般に雨が少ない。北海道や朝鮮も内地に較べて雨が少ないが、満洲は其れ以上に少なく、日本の中国辺の降水量の約三分の一位にしか当らない。
>然し作物の生育時期中最も水分を多く要する七、八の両月には可なり雨が降るから、水分の不足を来す様な事は殆んど無い、

>将来支那の人口が増加して来れば彼等の常食たる高粱や小麦を益々多額に需要する様になるのは明である

>満洲で作って居る作物の主なものは、大豆、高粱、粟、包米の四種で其他北満には小麦を作り鉄道沿線及び南方地方には米も作って居るが大部分は右の四種を栽培する事になって居る
>包米(玉蜀黍)

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/09/20 12:31 投稿番号: [352 / 1329]
>文殊さんが、朝鮮半島の稲作についての記事を出して下さればと思っていました

ご期待に添えるかどうか分かりませんが、こんなのがありました。
北朝鮮においても稲作は行われていたようです。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00486674&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00486674

京城日報 1914.2.28(大正3)
北朝鮮の農耕

朝鮮に於る農業上の重大問題は水の問題にて此問題さえ解決さるる時は農業上の問題は自ら解決さるる訳なり
北鮮地方現在の水田は多く河岸、低地等に在りて河川に接近せる場所は何れも堤防を以て思い思いの区画を作り到る処に小和蘭を見るの感ありて水田地は河川の水面よりは比較的に高からず
加えるに水利方法極めて不完全にして地主は渤れも自己の田に特別の水利法を施し統一するものを見ず
鴨緑江沿岸地方は河口より約十里位の処までは本支流共に満潮水の高まるを利用して河水を引き堤防の周囲なる水筒よりして適当に堤防内なる伏内に自然流下又は水車等にて河水を各田面に引き入るるなり
此種の水田に於ては早害の憂いはなくして確実に、水を引く事を得と雖も一方に於ては洪水海背□等の時に被害を免るる事能わず
故に此等の地方にても河水の逆流を利用する事を廃め適当の水利法を執らば安全なる水田を得るに至るべし
而して右の地方に反して潮流の関係なき土地は河添いの処に水田あり
水害の厄は免るるも動もすれば早害の憂ある場所少なからざる故是れまた適当の水利法を講ずる事最肝要なりとす
要するに北方河口地は善く耕され将来畑地を水田とし又は現在の水田に対し配水の便を計るに於ては将来益々農業の進歩を来すべきを信ず
北鮮の農地たるや改良の余地充分にあり
適当の土地を選んで日本人が移住し来るとすれば決して案ずるが如に北鮮の移民は困難ならざるべし


>満州地方は寒冷地ですから

これは誤解があるようです。たしかに冬は寒いですが夏の気温は大連で岩手と同じくらい、長春で秋田とおなじくらいです。
     大連     奉天     長春
5月   15.7    15.5    14.0
6月   19.0    19.9    18.1
7月   22.3    23.9    21.3
8月   24.0    23.5    21.6
9月   20.3    17.2    14.4

稲作をする上での問題はむしろ水確保です。
下の(九)、(十)あたりにそのことが書いてあります。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00486721&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00486721
満州日日新聞 1915.8.14-1915.9.4(大正4)
満洲の農業と植民 (一〜完[(一八)])
農学士 HA生

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/19 23:31 投稿番号: [351 / 1329]
文殊さんが、朝鮮半島の稲作についての記事を出して下さればと思っていましたが、そう来ましたか。(笑)
近代の満州の稲作が、朝鮮人によりもたらされたというのは、驚きです。
でも満州地方は寒冷地ですから、相当な根性がないと(品種改良の運と根気がないと)、長期的な稲作は難しそうですね。
古代において稲作があったとしても、やはり日本や朝鮮半島よりは遅くなりそうに思います。
どう考えても、エトさんのご指摘のように、粟、稗、麦の方が多くの収穫を得られそうですから。

>>一、整地   秋期収穫後秋耕を行うことなく其の儘となし春期に至りて稲株を除き鉄把或は鉄鍬を用いて耕起し後其の上に水を流し足にて踏み土塊を破砕すると同時に整地を行う
>>二、播種   凡て直播にして撒播及び条播行われ点播の行わるることなし

朝鮮の稲作農法は随分と乱暴ですね。(笑)
とても美味しいコメを作ろうというレベルまでは達していないようです。

>>種子は総て朝鮮系統にして尖頭黄粳子、黄色粳子、尖頭黒粳子、黒毛粳子、尖頭紅粳子、紅色粳子及び白粳子等あり其他各種の粘種あり

種類の区別が分かりませんが、現在もある黒米、赤米などをいうのでしょうか。
しかし、粘種は粘り気のある米の意味でしょうから、それなりに日本と同様な感触だったんでしょうね。

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/09/19 16:01 投稿番号: [350 / 1329]
http://inoues.net/study/japonica3.html
5).上記は、安田喜憲による栄山江近辺の佳興里と洛東江周辺の礼安里堆積層での花粉分析結果(約3,000年前)とも一致しているし、中国東北地方の稲資料ともある程度附合している。

>中国東北地方の稲資料ともある程度附合している。

こんなことをさらっと言ってますが、どんな資料なんでしょう?
でも近代になるまで満州では米を作ってないし。
ひょっとすると古代には満州で米を作ってた?
まさか。これと符合しているってことはないよね。そうだとすると当たり前の話。
だって満州の米は朝鮮から入ったのだから。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00486717&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00486717
満州日日新聞 1915.7.30-1915.8.1(大正4)

南満の水田 (第一〜第三)

>南満洲に於ける水稲の栽培は其の起源新らしく通化県上甸子下甸子附近に朝鮮人の来りて米作を行いたるを始めとし今を去ること約四十年前のことに属す

>満洲東部の朝鮮と接続せる地は最も盛んなる米作地なるが其起源も亦最も古く多くは朝鮮移住民に依りて行わるるを常とせるも近来支那農家にして朝鮮人より栽培法を習いて各地に行う者出て遂に渾河上流地方新賓府附近及び撫順県鮑家屯、打鶯阻子等に及び更に興京府、能岳城附近に迄伝播するに至れり


あと記事中に耕作法がのってたので一部抜粋します。

>一、整地   秋期収穫後秋耕を行うことなく其の儘となし春期に至りて稲株を除き鉄把或は鉄鍬を用いて耕起し後其の上に水を流し足にて踏み土塊を破砕すると同時に整地を行う
>二、播種   凡て直播にして撒播及び条播行われ点播の行わるることなし

それからこんなのも。よく分かりませんが、粘種とあります。

>種子は総て朝鮮系統にして尖頭黄粳子、黄色粳子、尖頭黒粳子、黒毛粳子、尖頭紅粳子、紅色粳子及び白粳子等あり其他各種の粘種あり

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2006/09/19 09:29 投稿番号: [349 / 1329]
トリップトンム

まとめなんて   ウリに出来ると思ってるニカ?
まず第一に   朝鮮がインディカ種ではなかったかとする説は撤回させて頂きます
水量の貧弱な朝鮮半島では   インディカ米の発育は無理だったかも知れません(^-^;


それはともかく
http://inoues.net/study/japonica3.html
で   韓国人学者の意見と研究結果はおかしいと思えますね

まず   支那華北は稲作に向きません…
向きませんと言うよりは   農法の上で無理です
現代とまでは言わずとも   近代農法でもないと   華北地帯での稲作は不可能と言って良いと思います
これに対しては「焼き畑農法」があるじゃないかという意見もあると思いますが  
焼き畑を用いて   僅かな収量を確保するよりは  
同じ焼き畑ならば粟・稗や麦栽培の方が単位面積当たりの収量も多く手間もかかりません
(現代支那での米食がどうなのか判りませんので強弁出来ませんが   笑)

米栽培と麦栽培   どちらが主力になるかを決定づけるものの一つに   雨量というモノがあります
高温多湿の日本や華南・インドシナでは   雨量が多いために「麦栽培」に好適とは言えません
現代の日本で麦栽培が冬から春に行われ   6月が麦秋というのは「梅雨前に収穫」するからと思われます

一方華北や朝鮮半島は雨量が少ないので   収量的に観ても   粟・稗・麦栽培の方が向いている訳です
したがって   青銅器時代に効果的な稲作を朝鮮半島で行っていたとするこの学者さんの「話」はおかしいのです
ここは是非   華北地方でのプラントオパールの実態が知りたいところですが…
もう一つ   この学者さんの説でおかしいのは  
朝鮮半島からは稲作や畑作で使用された農機具の発掘例があまり無い事に言及されていない点です
これは   私個人の思いですが   朝鮮製農機具を知りません
支那の農機具や   当然日本の古代農機具は十分に発掘され   ある程度証明されているのです
高温多湿で遺物の残りにくい日本ですら   古代農機具が発掘されているので  
朝鮮青銅器時代(その当時の日本は石製・木製農機具)から稲作があるとするなら  
それに対応する遺物の発掘を観ずして語る事は難しいのではと思います

日本に米が伝わったのが縄文末期と判っていて  
未だ   栽培されはじめたとされる時代が十分古代に押し上げられないのは  
栽培していた(と言い得るほどの)証拠である「農機具の遺物」が出ないからでもあります
観念論だけで言って良いなら   日本の稲作は数千年前に押し上げられるのですから
この点をもってしても   青銅器時代に効果的な稲作を朝鮮半島で行っていたとするこの学者さんの「話」はおかしいのです


佐藤先生のご意見は
http://inoues.net/study/japonica1.html

もうDNAまで持ち出されたら   薄学詫才なウリにはお手上げですが   それでも変だなと思うのは
aとbの説明について   ですか

bは朝鮮半島にないから   この種が日本に直接伝わったとする佐藤先生のご意見には反論がありません
ですが   華北地方での米遺伝子の歴史についての言及もなく  
ただaは朝鮮半島経由で日本に伝わったとする説には賛成しかねます
むしろ   支那での発掘例が少ない分   なおのこと朝鮮半島に先に伝わったとは考えにくいのです
今現在の   トーシロの私としては是非  
佐藤先生が稲の起源を語るためだけではなく   華北地方〜満州での発掘なり研究なりをしてから

「朝鮮半島経由」という意見を述べて欲しいです


「朝鮮半島に   椰子の実は流れ着くのか」
この疑問が氷解しないと   私としては   「まず朝鮮半島に伝わった」   とする説には賛成しかねます(笑)

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/19 00:57 投稿番号: [348 / 1329]
>ひょっとすると、朝鮮半島のものは生物学的に日本のジャポニカ米とは別種?

確かに生物学的に別種のジャポニカ米もあるようですが、その差異と、それぞれの種から改良された品種(粒の形状、水分、粘り気など)との差異が分かりません。

大変混乱しますが、ジャポニカ種には熱帯ジャポニカ種と温帯ジャポニカ種があります。
日本にも両種があったようです。
そして、静岡大学農学部佐藤洋一郎助教授の遺伝子研究では、熱帯と温帯を分けることなく、ジャポニカ種として検査しているようです。
その結果は、次のようになっています。
中国のジャポニカ種の8種類の遺伝タイプa〜hが存在する。ただし、aが少ない。
日本には、abが存在する。
韓国には、acdefghは存在するが、日本にあるbが存在しない。aが60%。
http://inoues.net/study/japonica1.html

でも、インディカ種とジャポニカ種ほどの違いは、日本と韓国のジャポニカ種にはないだろうと思います。
東亜さんのご指摘のように、韓国でも育つ品種を選んだのか、それとも、いい加減な耕作でも育ったのか、どうも後者のように思います。(笑)

分からないことだらけですので、エトさんとうるるさんにまとめて欲しいです。(笑)

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/09/18 23:40 投稿番号: [347 / 1329]
ジャポニカ米はインディカ米と比較して、主成分であるデンプン中のアミロース含量が低めでアミロペクチン含量が高めなので。

炊飯にするとアミロペクチンは熱水に解けず、所謂「ふんわりやわらかく、もちもちした」感じになりますが。

生物学的ジャポニカ米には、長粒品種と短粒品種が混在しており、
従来のジャポニカ米と生物学的ジャポニカ米は必ずしも一致しませんから。

ひょっとすると、朝鮮半島のものは生物学的に日本のジャポニカ米とは別種?

↓すいません

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/18 22:57 投稿番号: [346 / 1329]
ダブルクリックで二重投稿しちまいました。

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/18 22:56 投稿番号: [345 / 1329]
>インディカ種は日本で栽培されるジャポニカ種に比べて   施肥・害虫駆除・雑草対策など
栽培に手間がかからず   地力で栽培できるのですが
ジャポニカ種に比べて粘りが無く   うま味も落ちます

7月にならないと梅雨前線が北上してこないという朝鮮の気候条件が、水の確保を困難にし、苗がある程度まで育つまでは乾田で育成するという「乾耕法」をうみ、それに適した品種を採用していたということでしょうかね。

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/18 22:55 投稿番号: [344 / 1329]
>インディカ種は日本で栽培されるジャポニカ種に比べて   施肥・害虫駆除・雑草対策など
栽培に手間がかからず   地力で栽培できるのですが
ジャポニカ種に比べて粘りが無く   うま味も落ちます

7月にならないと梅雨前線が北上してこないという朝鮮の気候条件が、水の確保を困難にし、苗がある程度まで育つまでは乾田で育成するという「乾耕法」をうみ、それに適した品種を採用していたということでしょうかね。

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/17 03:59 投稿番号: [343 / 1329]
>昔の韓国のお米は今ほど粘り気がなかったのでしょうか?

これは、中国でご飯を食べるのに箸を使い始めたのが、「粘り気があるご飯」という理由によります。

>>韓国のお米は   日韓併合以前はインディカ種と言うお米を栽培していたと思われます

昔の朝鮮のコメがインディカ種だったという説には、疑問(否定する意味ではなく、質問に近い)があります。
なぜなら、朝鮮がインディカ種だとすれば、かつての有力説、日本のジャポニカ種のコメは朝鮮半島経由との説が立てられること自体が不自然だからです。
以下の資料により、同じジャポニカ種だったが、その品種が劣り、粘り気が少なかったと考えます。

また朝鮮のコメ自体に粘り気があったとしても、朝鮮の庶民は白米だけの食事ではなく、粟、ひえ、麦、又は雑穀を混ぜたものですから、この点から箸で食べる習慣にならなかったとも考えられます。
例えば、麦飯も、コーリャン飯も粘り気がなく、ポソポソです。

--------------------------------------

日本における稲作の歴史
水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたことも判明しつつある。さらに近年の炭素14年代測定法により弥生時代の始まりが少なくとも紀元前9世紀まで遡る可能性が出てきたことも特筆すべきことだろう。朝鮮半島よりも早期に稲作が行われていたことを示すデータとして注目されている。

日本への稲作の伝来
かつては1.の朝鮮ルートが有力視されていたが、近年の遺伝子考古学によって大陸からの直接伝来ルートが時間的には早かったことが有力視されつつある。日本、朝鮮、中国に現存する稲の遺伝子を調べたところ、日本に存在する稲は大きく2種類にわけられ、そのうちのひとつが朝鮮半島には存在しないものであったためである(静岡大学農学部佐藤洋一郎助教授の研究による)。これらの説により、現在もっとも有力な伝来ルートとして中国、山東省付近が挙げられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C


北朝鮮の農業と日本
亜細亜大学アジア研究所所報   第101号
(平成13年2月9日)

遅れた李氏朝鮮で篤農家的存在を見つけるのは難しいと思われるが、日本統治になると総督府がその役割を果たした。「朝鮮の在来の稲はその品種が雑駁にして数多くの異品種混淆し収量品質共に著しく劣れる」注2)と見、その品種改良には大変な努力を重ねている。そして植民地統治の間に農村に篤農家を育成して行ったのである。この下地が韓国では朴政権下で新しい農村運動となって結実したが、北朝鮮では金日成政権の土地改革で篤農家的存在は、日帝協力者、中小地主・富農的身分として追放されてしまったのである。

大韓帝国時代の朝鮮の水稲生産力が著しく低かったことについて、農機具の技術水準の低位、耕種耕作法(肥料施用量、苗代の方法、害虫駆除予防、刈取時期、乾燥調整方法など)の不備にもよるが、その最大のものは、水利設備の未整備にあった。
河合和男は李朝末期の水利の不備について述べているが、北朝鮮の水利事業は昭和一〇年代になって急速に進められ、特に後半にはかなり整備された。
http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=167&Itemid=32

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2006/09/14 23:08 投稿番号: [342 / 1329]
>昔の韓国のお米は今ほど粘り気がなかったのでしょうか?

韓国のお米は   日韓併合以前はインディカ種と言うお米を栽培していたと思われます

インディカ種は日本で栽培されるジャポニカ種に比べて   施肥・害虫駆除・雑草対策など
栽培に手間がかからず   地力で栽培できるのですが
ジャポニカ種に比べて粘りが無く   うま味も落ちます

炊飯の方式も日本と若干異なるそうで
炊いたご飯には当然粘りがありませんから箸で摘むことも難しく
インドのカリーなどの時のように   手づかみか  
さもなければスプーンのようなものの世話にならないといけなくなります

おにぎりも当然   握ったばかりの時にはともかく   時間が経てばぱらぱらと解れてしまうはずです

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/09/14 22:48 投稿番号: [341 / 1329]
お久しぶりです(・∀・)ノ

>韓国ではずっとパサパサのご飯(雑穀)だったので、汁をぶっかけて匙で食べた。

韓国で食べたお米も日本と変わりないようでしたが、
握り飯がなかったところを見ると、
昔の韓国のお米は今ほど粘り気がなかったのでしょうか?
韓国の宮廷料理でも握ったものは出てこないし。

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: aldebaran09i 投稿日時: 2006/09/13 21:48 投稿番号: [340 / 1329]
>韓民族は白衣民族とも呼ばれていました。これは染色していない服を好んで着たことからついた呼び名です。

白衣を好んで着た??ものはいいようですね。(笑)それだけ染料が普及してなかっただけでしょうに!日帝支配の時代になってようやく色物の服装が一般化したのが事実。ただでさえ汚れが目立つ白衣ですよ?朝鮮の都市部でも江戸のように上水道が整備され水が一般庶民に使える状態じゃなかったから、薄汚れた服が目立ったでしょう。それを好んで着るわけがない、仕方なく着たのだ!(苦笑)

>塩の代わりに唐辛子が貯蔵性を高めるということに目をつけ、唐辛子粉を使い始めたものです。

おやおや?突然唐辛子が登場ですか?そのルーツについて一切説明できない理由があるのでしょうか?不思議ですね。(笑)

Re: 朝鮮時代の衣食住

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/13 20:55 投稿番号: [339 / 1329]
しつこく、箸と匙。(笑)
1年以上前、このカテであちらの人2人が、「スプーンの使い方を日本人に教えなかったのは、マズかったなあ」なんて電波飛ばしてたことがあったもので。

>今日のように飯を箸で食べる用法は,南方の粘気のある米とともに始まり
>中国の古い用法を伝え残しているといえる。
>日本でも旧石器時代−石器時代頃の埋蔵品から木製の匙が出土されるが

なーんだ。
韓国ではずっとパサパサのご飯(雑穀)だったので、汁をぶっかけて匙で食べた。
だから、箸で食べる習慣が育たなかっただけらしい。

-------------------------------------------- -
http://www.tabiken.com/history/doc/O/O267C100.HTM
【中国における箸の歴史と文化】
中国における箸の歴史は古く,殷墟から匙とともに青銅製の箸が発掘されていることから,少なくとも紀元前13〜14世紀までさかのぼる。ただし,『礼記』にみえる食事作法によると,周代から漢代にかけて,箸は,飯を食べるものではなく,具の入った羹を食べるときに使うものものとされていた。青木正皃によると,箸のこの用法は少なくとも唐代まで続いた。
今日のように飯を箸で食べる用法は,南方の粘気のある米とともに始まり,南人が天下を取った明代にこの用法が北方にも波及したのではないかとされている。一方,飯のほうは,当初は手で,後漢のころより匙で食べていたわけであるが,元代から明代にかけて匙と箸の用法が逆転したことになる。しかし,明代中葉でも,北方の蒙古人や女真人は匙で,南方の少数民族は手で,飯を食べていたという記録があることから,箸の普及には地域差・民族差がみられた。

【朝鮮半島および日本における箸の歴史と文化】
朝鮮半島に箸が波及したのは漢代からとされているが,半島全域に普及したのは新羅が全土を統一した7世紀後半といわれている。
使われ方では,中国同様,匙とセットになっているが,箸を使うのはおかずのみで,スープや飯は匙を使うなど,中国の古い用法を伝え残しているといえる。

日本における箸の歴史は文献の上では『古事記』までさかのぼるが,当時の箸は削った竹をピンセットのように折り曲げたものであったといわれている。日本においても奈良時代から平安時代末までは,貴族の会食において箸とともに匙が用いられていた記録があるが,その後今日のように箸のみで食べるようになった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%B3
日本でも旧石器時代−石器時代頃の埋蔵品から木製の匙が出土されるが
文書として残っているものでは、『今昔物語』によると、平安時代には貴族が銀の匙を使っていたようである。
蓮の花びらに形が似ていることから蓮華(れんげ)の呼称が生まれたとされている。
しかし、お椀を直接口に運んで汁を飲む習慣から、箸のようには定着せず、茶の湯の道具などとして使われるにとどまった。

Re: 朝鮮時代の衣食住>昼飯

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/13 18:31 投稿番号: [338 / 1329]
>昼飯を食うと言うのは日帝が持ち込んだ習慣でしたか。

そうなんでしょうね。
労働と摂取カロリーの関係で見ると、
朝鮮の農民は午前中だけ働いて、午後からは酒を飲んでゴロゴロするのが日課。
しかも、冬場の農閑期にはまったく働かず、秋の収穫を食い尽くし、春先から食料に困る有様。
さらに、女性が田に出て働く習慣がない。
当時の李朝末の写真を見ても、何かを作り出すような労働はしていないようですしね。

それに比較すると、併合後は近代国家の市民として昼間フルタイムで働き、昼飯が必要になるのでしょうね。
それと、日帝のお陰で米が2倍に増産して、昼飯の余裕が出来たということも言えるでしょうか。

ちなみに、日本では、江戸時代に一日3食が定着したようです。

---------------------------------- -

〜3食の始まり〜
古代から、食事はふつう朝夕2回でしたが、農民や武士(ぶし)はきびしい労働(ろうどう)や武芸(ぶげい)の訓練(くんれん)ではらがへるので、ひつようにおうじて間食をとりました。戦(いくさ)になると、武士たちは1日2食ではカロリーをおぎなえず、 3食をとることがふつうになっていきます。
また、鎌倉時代から、禅宗(ぜんしゅう)の僧(そう)たちは2度の食事のあいだに修行中のつかれをとるため、うどんやそうめん、ようかん(むしようかん)などを食べていました。この軽い食事は「点心(てんじん)」とよばれました。
室町時代になると、武士や禅僧(ぜんそう)、農民たちの間食の習慣(しゅうかん)が貴族や商工業者などの町人たちにもひろがりました。やがて、江戸時代には、昼食をとることがふつうになって3食が習慣となり、現在にいたっています。
http://www.shikakunavi.net/kids/gika/data/shokumotu1.html

Re: 朝鮮時代の衣食住>昼飯

投稿者: nanairokamen03 投稿日時: 2006/09/13 02:03 投稿番号: [337 / 1329]
>韓国で一日に3回食事をするようになったのは、20世紀に入ってからです。

昼飯を食うと言うのは日帝が持ち込んだ習慣でしたか。

朝鮮時代の衣食住

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/12 21:44 投稿番号: [336 / 1329]
「KBS   WORLD   Radio」の「クリック韓国の歴史」は結構楽しめます。
といっても、歴史教科書のようなウリナラ・マンセー満載という点で。
次のような矛盾を平気で書いてるし。(笑)

>韓民族は白衣民族とも呼ばれていました。これは染色していない服を好んで着たことからついた呼び名です。
>しかしすべての人が白い服を着ていたわけではありません。身分によって服飾に差別があり、染色した服は 両班層などの支配層の人々だけが着ていました。一般庶民は婚礼の時にだけ染色した服を着ることができました。

キムチとスプーンのことも出ていましたので、その部分を掲載します。

>最初は日本や中国もスプーンを使っていましたが、その後、日本と中国は次第に箸だけを使うようになり、

知らなかったなあ。いつ頃の時代だろう。縄文時代?(笑)
韓国で書かれた歴史を読んでいると、何がホントーで、何がウソか分からなくなります。(笑)
------------------------------------------------ -
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=943
朝鮮時代の人々の暮らし   その2   朝鮮時代の衣食住

朝鮮時代の家の中でもっとも重要な場所の一つがチャンドク台でした。韓国料理の最も大きな特徴は発酵食品を使うということです。醤油と味噌は、その家の料理の味を左右する最も大切な食品でした。そしてその味噌や醤油の入ったカメを保管しておく場所が、チャンドク台でした。チョンドク台は陽のよくあたる家の東側に、雨水が入らないように地面に石を積んで作られました。そしてこの味噌や醤油を使っていろいろな保存食が作られました。あの辛いキムチも実は朝鮮時代にできたものです。現在はキムチと言えば、唐辛子の粉を必ずいれるように考えられていますが、16世紀末に唐辛子が韓半島に入ってきた後でも相当の期間、塩水に野菜を漬けただけのチムチェ(沈菜)の形態を維持していました。それが18世紀になって梅雨が長引く年が続き、塩の値段が大きく値上がりしたため、塩の代わりに唐辛子が貯蔵性を高めるということに目をつけ、唐辛子粉を使い始めたものです。

基本的な食事はご飯とお汁、肉か魚が1つ、野菜が1つでした。高麗時代には仏教の影響が食文化にまで及び、菜食中心の食事でしたが、元の干渉期を経て、モンゴル族と関係が活発になり肉食文化が入ってきます。また朝鮮時代の食事は朝晩の一日2回でした。韓国で一日に3回食事をするようになったのは、20世紀に入ってからです。また、韓国食文化の特長の一つはスプーンを使うことです。最初は日本や中国もスプーンを使っていましたが、その後、日本と中国は次第に箸だけを使うようになり、韓国だけが未だにスプーンを多く使っています。これは韓国の汁料理は具が多く、特に汁にご飯をいれて食べることを好んだためです。

18世紀になると、女性たちの間にカチェと呼ばれるカツラが流行し、社会的な問題になりました。問題はカチェが高価なばかりか、重たいというところにありました。18世紀、英祖の時代には幼い新婦が婚礼の席でお辞儀をした際にあたまのカチェが重くて、その重さに耐え切れず首が折れて死亡するという事件が起きます。そしてこれを契機に英祖はカチェを禁止します。

Re: 李成桂はモンゴル軍閥だった!?

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/09 00:37 投稿番号: [335 / 1329]
>モンゴルの軍閥とかじゃなくて、単にモンゴル人に支配されてただけでしょ? (顔だってもろにモンゴロしてるし)

渡来人が日本をつくったとかいう韓国人の好む論理でいけば、李朝はモンゴル軍閥がつくったものであり、朝鮮人は単なる被支配階級ってことになるんですがね。

>李成桂の高祖父(祖父の祖父)李安社(イ・アンサ)は全州を離れ、豆満江流域の斡東地域に定着した後、1255年に5000戸の千戸長とダルガチ(元の地方役人)の地位を元皇帝から下賜されている。この事実について、尹博士は「千戸長はモンゴル族でなければほとんど任命される事のない高位の官吏であり、事実上、李安社がオッチギン家から認められた軍閥勢力に成長していた証拠と見るべきだ」と語った。

李成桂の父って女直人ウルス・ブハ(李子春)じゃなかったっけ?ま、なんでもいいけど。

李成桂はモンゴル軍閥だった!?

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/09/06 19:59 投稿番号: [334 / 1329]
つまりこれは、世界最大の大帝国「元」を造ったのはウリナラという、いつものファンタジーですか?
だいたい、朝鮮が歴史上独立国だったことなんて一度もないし。
モンゴルの軍閥とかじゃなくて、単にモンゴル人に支配されてただけでしょ? (顔だってもろにモンゴロしてるし)

こんなんで(捏造)博士号取れるんだから、韓国は楽だな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝鮮王朝の太祖・李成桂はモンゴル軍閥だった!?

朝鮮王朝の太祖・李成桂(イ・ソンゲ/1335〜1408年)は高麗系モンゴル軍閥の勢力であり、朝鮮王朝は北方遊牧帝国の伝統を基盤に建国した国家であったという新説が唱えられ、学界で論争を呼ぶものとみられている。

  こうした主張は、新進気鋭の東洋史学者・尹銀淑(ユン・ウンスク)博士とモンゴル系中国人学者・エルデニ・バタル博士(内モンゴル大専任講師)が唱えたもの。両名はこうした主張を盛り込んだ博士論文を江原大史学科に提出し、先月審査を通過した。

  学位論文『蒙元帝国期オッチギン家の東北満州支配』を執筆した尹博士は「13世紀から14世紀にかけて、東北満州地域を元のオッチギン(斡赤斤)王家が支配していたという事実に注目しなければならない」と主張した。

  オッチギン家による同地域の支配は、チンギス・ハーンが1211年に自らが征服した領土を多くの弟らに分封した際、末弟のオッチギンにこの地域を治めさせたことから始まっている。その後、オッチギン家は遊牧と農耕という経済インフラを基盤とし、この地域で独立的な勢力を形成することに成功した。

  ここで問題となるのは、オッチギン家の支配領域の中に李成桂一門の本拠があったという事実だ。

  李成桂の高祖父(祖父の祖父)李安社(イ・アンサ)は全州を離れ、豆満江流域の斡東地域に定着した後、1255年に5000戸の千戸長とダルガチ(元の地方役人)の地位を元皇帝から下賜されている。この事実について、尹博士は「千戸長はモンゴル族でなければほとんど任命される事のない高位の官吏であり、事実上、李安社がオッチギン家から認められた軍閥勢力に成長していた証拠と見るべきだ」と語った。

  その後、1290年にオッチギン家の内紛で李安社の息子・李行里(イ・ヘンリ)は斡東の基盤を失って咸興平野に移住したが、千戸長とダルガチの職位は李行里のひ孫・李成桂の代までの5代にわたって世襲された。

以下略
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/05/20060905000052.html

新羅・高麗・李氏朝鮮、すべて中国の属国

投稿者: us_999 投稿日時: 2006/09/05 14:28 投稿番号: [333 / 1329]
「古朝鮮〜渤海は中国の歴史」中、東北工程パンフレット発刊

東北工程を推進している中国が最近「渤海国史」というパンフレットを発刊、渤海が独立国家ではなく、唐の国の一地方組織にすぎない地方民族政権だったと主張したとKBSニュースが4日、報道した。これは2004年、韓中両国が政府レベルの古代史歪曲を中断することで合意した事項に触れることから、両国間の摩擦が予想される。
 
KBSによると中国社会科学院所属辺疆史地研究中心が発刊した「渤海国史」は▽渤海の建国を主導した勢力は靺鞨族▽渤海国初期の国号を「靺鞨」と表記した−−と記述するなど、渤海史を中国史に編入、韓国の歴史を歪曲している。
 
中国社会科学院は中国が2002年から5カ年計画で推進している東北工程プロジェクトを主導している機関だ。
 
また辺彊史地研究中心のホームページには高句麗(コグリョ)が古代中国の地方民族政権だと主張する内容が載せられており、古朝鮮と扶余(プヨ)まで中国歴史の範疇に含ませるなど、韓国の古代史を歪曲している。
 
チャン・セジョン記者

Re: 閔妃

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/04 01:18 投稿番号: [331 / 1329]
>殺されてなかったら、こんなにまつりあげられなかったでしょうね。

間違いなくそうでしょうね。
少なくとも、彼女が生きている間は、彼女を敬愛する民衆はいなかった。浪費や秕政の元凶であったことはあまりにも明白ですし。
暗殺という「悲劇」に遭ったことによって、それらの罪状がかすんでしまったようなものです。

悲劇の主人公明成皇后と秕政の元凶閔妃とのギャップは、韓国人の欲する「あるべき歴史」と現実との乖離を端的に示す好例でしょうね。

李氏朝鮮期の「於于野譚」

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/08/31 01:04 投稿番号: [330 / 1329]
>京都市在住の研究者が初めて翻訳した。

日本人と言わない所がミソ!

>朝鮮王朝期の文学の根底には「恨(はん)」の感情があり、憤怒や悲哀が複雑に絡みあい、不条理に対して感情を激しく表す生き方が描かれている。

いや、それ「火病」だから・・・。

>秀吉の出兵で、日本の武士に遭遇した作者の兄が、母親を守ろうとして壮絶な死を遂げた話や、非業に死んだ主人の敵に仕え、あだ討ちに成功後、撲殺される召し使いの話、政争で投獄された官僚を惜しむ話

ってここでもまた日本の所為ですか?文学に限らず、今もそうだよね。
本当にあの国は大昔から一つもハッピーな話が無いんだなぁ。
いかに自分が不幸であるかだけを訴える精神だからロクな文化が育たないのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
李氏朝鮮期の「於于野譚」京の研究者が初翻訳

李氏朝鮮王朝期に成立した説話集の嚆矢(こうし)「於于野譚(おうやたん)」をこのほど、京都市在住の研究者が初めて翻訳した。日本でも放映されている韓国ドラマ「チャングムの誓い」とほぼ同時代の16世紀が舞台で、主人公の人生を翻弄(ほんろう)した政争や、豊臣秀吉の出兵による社会の荒廃を背景に、儒教の人生観に沿って激しく生きた人々の姿を描いている。

  翻訳したのは梅山秀幸・桃山学院大教授(比較文学)。朝鮮王朝期の文学の根底には「恨(はん)」の感情があり、憤怒や悲哀が複雑に絡みあい、不条理に対して感情を激しく表す生き方が描かれている。

  「於于野譚」は、官庁の長官職などを歴任した柳夢寅(ゆもんいん)(1559−1623年)が晩年、漢文で編さん。梅山教授は、全522話から230話を抄訳した。

  秀吉の出兵で、日本の武士に遭遇した作者の兄が、母親を守ろうとして壮絶な死を遂げた話や、非業に死んだ主人の敵に仕え、あだ討ちに成功後、撲殺される召し使いの話、政争で投獄された官僚を惜しむ話など、孝行や忠義が主なテーマになっている。

  ドラマ「チャングムの誓い」では、政争「己卯(きぼう)士禍」(1519年)のあおりで主人公の女官が一時、宮廷を遠ざけられるという設定になっているが、説話からは政官界に大きな波紋があったことがうかがえる。

  梅山教授は「当時の朝鮮は、秀吉の出兵や政争で、従来の価値観への懐疑が深刻だった。書かれた背景には、朝鮮社会を見つめ直したいという動機があったと思う。現在の韓国を理解する手掛かりにもなる」と話している。作品社刊、2800円(税別)。

京都新聞

れRe: コチュジャンとテンジャン

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/08/29 21:47 投稿番号: [329 / 1329]
>蕗味噌、ゆず味噌、ゆずコショウの繊細な味がけっこう韓国人は苦手だったりする。

ゆず胡椒はウケましたよ。日本在住の人だったからかなぁ。

カレーといえば映像屋時代、タイ・ロケでの夕景待ちの間に食べた野菜カレーが美味かった。
海辺というシチュエーションもあったからでしょうね。
で、韓国のカレーライスは、ま・ず・い。

Re: コチュジャンとテンジャン

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/08/29 21:18 投稿番号: [328 / 1329]
>すると、コチジャンの歴史も浅いんですよね。

唐辛子自体、ここ数百年ですからね。
インド人の方が書いた日本滞在記の本を最近買ったのですが、
彼も、インドカレーが辛いのはそんな古いことではなく、辛い本場と言われても・・・みたいな感じのことを書いてましたね。
インド人もびっくりという広告の日本のカレーを食べたけど、ほんとビックリダヨ!・・・には笑いました。

>朝鮮特有の食材は、朝鮮時代に既存の食品に唐辛子を加えただけのように思えてきました。

多分そうでしょう。
中世ヨーロッパがコショウと塩が食品にかかってるだけで良しとしたように。

これを見た感想は・・・
他の文化を見ないから、韓国は自分の文化にはしょり過ぎな感じ。
味噌に何か混ぜるなんて、色々あるのに。
蕗味噌、ゆず味噌、ゆずコショウの繊細な味がけっこう韓国人は苦手だったりする。(私の経験から)

お〜や、お久しぶり夜桜さん

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/08/29 21:04 投稿番号: [327 / 1329]
>自分達の先祖を熊?人間としなかったでしょうね。

なぜか日本の図書館に韓国人が書いた韓国歴史漫画の日本語訳の本があって、(絶対、これはイルボンの真似ね)

熊という名の一族が・・・みたいな感じでしたよ。
(いや、記憶がおぼろで・・・;)

さすがに、進化論から外れたことを真実だと言えないか・・・。

併合や近代化のあたりは史実と違うって、日本の図書館は排除してほしいなー。

そしたら、すごく韓国のマスコミは騒ぐだろうけど。

コチュジャンとテンジャン

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/08/27 23:16 投稿番号: [326 / 1329]
>感謝しております。

私は、UPに貢献しているだけで、何の役にも立ってません。
ということで、本日も底なので(笑)、UPです。

古い記事ですが、次のようなものがありました。
そこで、コチジャン(辛しみそ)について調べてみました。
すると、コチジャンの歴史も浅いんですよね。
私、辛い料理がダメなので、朝鮮料理の知識はないのですが、
朝鮮特有の食材は、朝鮮時代に既存の食品に唐辛子を加えただけのように思えてきました。

---------------------------------------------- -
【記者手帳】中・日前に崩れ去った「韓国みそ」の夢
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/09/10/20040910000032.html
>韓国政府が提案したコチュジャン(辛しみそ)とテンジャン(韓国みそ)の国際規格化案をめぐり、国際食品規格委員会(Codex)の第14回アジア地域調整委員会会議が行われた。

>第1犠牲者はテンジャン。予想通り、中国代表は「韓国がまとめた規格案は範囲が狭過ぎる。中国にも大豆を発酵させる食品はたくさんあり、これら全てを含む規格案としてまとめるべきだ」と先手を切った。
>その後のテンジャンはまるで袋だたき。ミャンマー、マレーシア、インドネシアなど予想外の国までが「そういうたぐいの食べ物ならうちにもある」と相次いで中国に同調した。
>結局、「テンジャン(Doenjang)」という名前では国際的公認は受けられないことを悟らされた韓国政府は、引き下がるほかなかった。

>コチュジャンはその他の国に似た食品が少ないという点で出発は順調だった。「コチュジャン」の見慣れないネパールやラオスの代表は「見たことのない食べ物」とし、不思議そうにしていた。
>昼食で韓定食(李王朝時代の宮廷料理をルーツとする定食風)とともに出されたコチュジャンを味見してからは、会議を通じ、これといった反論は出なかった。
------------------------------------------------
http://naritafoods.shop-pro.jp/?pid=149165
【コチジャンの歴史】
コチジャンが朝鮮半島の生活に根付いて約200年が経過します。
簡単に言えば、唐辛子の辛みと、多彩な甘味が加わったものが「コチジャン」です。

横入り、失礼。

投稿者: yozakura321 投稿日時: 2006/08/25 11:23 投稿番号: [325 / 1329]
本当の史実に基ずくなら、
自分達の先祖を熊?人間としなかったでしょうね。

多分   宗主国さまが半島にいらっしゃる度に
お前達は、むか-しから   熊だなぁ、。ポツリと零されるのを
耳にした上での   神話作ったのだろうなぁが   想像できる神話。(藁っ)

Re: 閔妃

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/08/25 11:05 投稿番号: [324 / 1329]
彼女の写真は以前も見たことがあるのですが、
美人なんだか単に整ってるだけなんだかよくわかりません。

殺されてなかったら、こんなにまつりあげられなかったでしょうね。

Re: 日本学教授

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/08/25 11:03 投稿番号: [323 / 1329]
ああ、私は無知なのろまなカメです。お許しを。
ちょっと最近色々忙しく、内容の無いレスですが、これもご容赦を。

はい、このスレはみなさまのおかげで存在してるのです。
トリップさんにも感謝しております。

今は手元に

『かしこ型』日本人と『かちき型』韓国人   という本があるのですが、
これもなかなか読むことならず(ToT)時間がほしーよー。

Re: 東亜様、行ってらっしゃいまし

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/08/25 10:59 投稿番号: [322 / 1329]
>ひたすら勉強していた

おー頑張っていたのですね。中国語ですか。
韓国語もおできになるようなのに、更に中国語もお勉強なのですね。
さすが東亜の名前をお持ちになるだけあるな〜と関心致しました。(*´‐`)

熊が「抜けた」「意気地が無い」意味があるですって?
きっと韓国がそれを知ったら、寒流をいいことに「熊物語」でも作ってイメージアップをするかもしれないニダ。
(きっとイルボンのムツゴロウさん監督よ)

閔妃

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/08/25 01:42 投稿番号: [321 / 1329]
上はおなじみの写真ですが、一番下の絵(?)はお初です、私は。
http://imagesearch.naver.com/search.naver?where=idetail&query=%B8%ED%BC%BA%C8%B2%C8%C4&a=bli&r=8&u=http%3A%2F%2Fblog.naver.com%2Fghddms78.do%3FRedirect%3DLog%26logNo%3D60016355663
憲法の元とか国璽とか無くすのに、こんなのは残ってるんですね。

Re: 東亜様、行ってらっしゃいまし

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/08/25 00:25 投稿番号: [320 / 1329]
帰国の報告が遅れました。

>何をお勉強しに行かれるかわかりませんが、
中国からの視点からの李朝のお話とか
できたらお聞きしたいものです。

中国語の勉強でした。行っている間はひたすら勉強していたため気づきませんでしたが、帰国して日本語生活に戻った後、前より中国語が聞き取りやすくなっていることに気づきました。本来の勉強以外にも収穫はあり、行った価値がありました。

向こうで、朝鮮がらみの話はとくにないのですが、現地スタッフ(8年間日本で勉強したため、日本語はペラペラ)に、
「韓国って熊が神話に出てきませんでしたっけ?」
と聞かれて、
「ええ、熊と虎が出てきます。そういや中国語で熊(ション)って間抜けというふうな意味がありませんでしたか?」
「はい。抜けたとか意気地がないとかいう意味がありますね」
というような会話をした程度です。(李朝には関係なさそうやん)
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