李朝朝鮮
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
李朝末期は経済が破綻してた
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/04/07 22:01 投稿番号: [40 / 1329]
と聞きますが、これは知りませんでした。
>それでも李朝政府は、財政諸費用を捻出するために、更に悪知恵を働かせ、宗主国の「清朝」を真似して、数度も「大銭」を鋳造した。
>最も悪名高き「大銭」は、暴挙とまで言われる、1886年に鋳造された物だ。大院君が火災に遭った景福宮再建の工事費捻出の財源として鋳造した「当百銭」で、実質的価値は30分の1だから、市民に反対され、円滑に流通させることが出来ず、止めざるを得なかった。
>閔一族政権下ではまた、1883年から「当五銭」と呼ばれる大銭が造られ、政府が強制的に流通させたが、ソウル周辺でしか流通しなかった。実質的価値は普通の「葉銭」と殆ど変わらないからである。
これは メッセージ 30 (monju_jz さん)への返信です.
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李朝陶磁器写真
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/04/07 21:56 投稿番号: [39 / 1329]
これは メッセージ 32 (red_mangou さん)への返信です.
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おひさしぶりです
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/04/07 21:53 投稿番号: [38 / 1329]
日韓関係から移転しました。お祝いのお言葉ありがとうございます。
お詳しいですね。
このお話と直接関係ありませんが、
白人が南米に侵略して得たぐらいの金はかつての日本にあったとか。
未だにさほどそのことが有名でないのは欧米人が日本を植民地化できなかったから。
江戸時代の日本は平和に貿易で金銀を流出していったのでした。
>江戸時代の日本が特殊と言うよりも先進的過ぎたのかもしれません。
同時代のアジアに比べればの話で、世界的規模では先進的ではないと思います。
これは メッセージ 37 (fufushounyu さん)への返信です.
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Re: 李朝朝鮮
投稿者: fufushounyu 投稿日時: 2006/04/07 19:35 投稿番号: [37 / 1329]
いつのまにか移転されていましたね。
っていうか、私が気がつかなかっただけ^^;
遅ればせながら新トピおめでとうございます。
さて通貨の話しですが、江戸時代の日本が特殊と言うよりも先進的過ぎたのかもしれません。
当時の欧米各国や中国の通貨は金銀の目方に頼った通貨でしたが、日本の場合は既に国家(幕府)の信用による名目通貨が流通していました。
金山銀山のすべてを幕府が握り、幕府が刻印を押して貨幣に価値を与えると言う事をやっていたのです。
幕末期の金の海外流出については日本人も誤解している人が多いので、本題の朝鮮から少々話がずれますが、
当時の金銀比価は概算で欧米では1:15、日本では1:12だったのです。
日本では金一両に対して銀四分で通用させていたんだけど、メキシコ銀貨1ドルが目方では銀三分とつりあう。
ここにおおきな落とし穴があった。
徳川幕府は長年にわたるインフレ対策として金一分に代わりに比価1/3の銀の含有量を幕府が刻印を与える事で銀一分として流通させていた。
メキシコドルは刻印に意味のない山出しの目方の通貨であるが、日本の一分銀は、いわゆる名目貨幣であると言ったが、強圧されて押し切られた。
日本銀行の印がある一万円札を紙の目方の値段で言われたらおっかないね。
結局オールコックやハリスは、
メキシコドル4ドルを日本の運上所で一分銀12枚に交換する。
市中の両替店で一分銀12枚を天保小判三両に交換する。
海外で小判三両をメキシコ銀貨12ドルに交換する。
給料三倍の術のからくりですね。
これらによって大量の金の流出がおきたようです。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: 科挙の弊害
投稿者: kidoufighter99 投稿日時: 2006/04/07 17:00 投稿番号: [36 / 1329]
漢字があまりに文字数が多いため漢字をマスターするだけで
一番業績をあげうる青年壮年期人生の大半をついやしてしまう
このため他の研究・研鑚がなされなかった
これは科挙制度そのものの弊害です
もうひとつ朝鮮の科挙制度の欠陥としては
本家中国では出身を問わず科挙に合格できれば官僚に登用されたわけですが
朝鮮では科挙受験を貴族階級に限定しました
つまり貴族でないと科挙を受験できなかったのです
その受験資格も二代続けて合格できないとそれ以降その家系は受験資格はない
つまり貴族でなくなるわけです
ですから先代で科挙に合格できなかった家系の息子には
恐ろしいほどのプレッシャーがかかったことでしょうね
つまり広く人材を求めるはずの科挙の利点が朝鮮の科挙では
貴族の維持・選別へとゆがめられているのです
二重に欠点がありますね
これは メッセージ 25 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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>紙幣
投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/04/07 13:40 投稿番号: [35 / 1329]
全く知りませんでした。
貴重な情報ありがとうございます。
それにしても日本はかなり早い時期から信用取引が始まっていたのですね。
中国は著しい経済発展をしてますが、未だに信用取引の概念は浸透せず、
国内取引では現金決済が基本。決済にusanceをつければ不良債権になります。
これは メッセージ 33 (hotelarian さん)への返信です.
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なにげに
投稿者: nora880 投稿日時: 2006/04/07 13:00 投稿番号: [34 / 1329]
辿り着いたのですが、
主さんの知識の豊富さに驚いてる訪韓歴50回を超える田舎住まいのノラです。
このような有意義なトピが御繁昌トピになりますように。
がんばってね。^−^
韓国大好き人間@ノラ。
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Re: 東アジアの貨幣経済の発達
投稿者: hotelarian 投稿日時: 2006/04/06 13:00 投稿番号: [33 / 1329]
これは メッセージ 29 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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李朝といえば
投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/04/06 12:20 投稿番号: [32 / 1329]
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: 貨幣経済の発達
投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/04/05 11:18 投稿番号: [31 / 1329]
>「貨幣と使用しない者は処罰する」 という法律まで作って、貨幣使用を強制しようとしたが、結局失敗している。
>その理由は農民と官僚が主体の社会で、物々交換が行われていたからである。(「世宗実録」より)
上記は全く、理由になっていませんね。笑
李朝時代の道路は狭く、町や村間の交通が不便であり、橋の架かってない川が殆どで人の往来や物流を阻害していました。(シャルルダレ、イザベラバード等の旅行記)
先ず、経済は人の往来が基本です。これが無ければ経済活動は発生しません。
そして貧困であるために商店にはたいした物が売ってなく、量も少なかった。
度量衡が決まっておらず、商人により数値が違っていた。
更に、金貨・銀貨が無く貨幣が何度も改悪され貨幣に対する信用がなかった。
従って、貨幣経済が発達すべき要件が無かったに等しいのです。
後、儒教思想による商人の蔑視も支配階級による商業への参入を阻み、商業の発達を阻んだとも考えられます。
>李朝もあらゆる方法を用いて貨幣を流通させようと努力したからである。
上段に述べた様に、経済システムが原始的であれば努力しても失敗します。
>つまり日本のほうが異常だったと言える。
この発想は的外れです。当時の朝鮮が現ソウルの一部を除き全国的には古代の経済制度が連綿と続いていたのです。同様に遅れていたベトナムを引き合いにだしても意味をなしません。
当時の支那も貨幣制度がありましたから、日本が異常では無く、
欧米並みの貨幣制度を持つ当時でも経済先進国であったといえます。
これは メッセージ 28 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: お金の話②
投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/04/05 09:58 投稿番号: [30 / 1329]
>その後、1633年に「常平通宝」が発行されました。
以後、1679年に当二銭(二銭通貨)が発行され、1752年には中型の当一銭が、さらに1778年には小型の当一銭が発行されました。
また1882年には、開港後の財政難を補填する目的で当五銭が発行されました
このあたりのことを黄文雄の
「歪められた朝鮮総督府:だれが“近代化”を教えたか」、光文社刊\800.-
にてみつけました。
http://japanese.joins.com/forum/board/view.php?no=39898&page=1該当部分を抜粋しておきます。
朝鮮半島は、新羅が統一して以来、千年以上たって、李朝末期に初めて「建陽」「光武」などの年号が作られた。それまでは、ずっと中国王朝の「正朔を奉じ」ていたので、宗主国「元」「明」「清」などの年号を使用し、通貨には年号が無く、「葉銭」は李朝16代国王・仁祖11年(1633年)以来263年間も使われてきたが、銭文は年号ではなく、「常平庁」という官庁名であった。
しかも、朝鮮通貨の鋳造は、この「常平庁」という特定官庁で作られていたとは限らず、長く専門の官庁が無かった。鋳造所は一定せず、所管も時によって異なったので、「葉銭」の大きさ、量目、品位が全くばらばらで不一致であった。
鋳造を請け負った民間の工匠は、5日間鋳造を行なえば、1日間の私的鋳造ができるので、官商結託し、不正を行なった。政府の財政事情の悪化につれて、改鋳の度に品質が低下、量目を減らすといった、全く鋳造差益だけを目的とするものさえあった。当然の事ながら、悪貨は良貨を駆逐する経済原理が働く事になった。
目賀田顧問が着任した頃の調査によれば、流通していた「葉銭」は、なんと1553種。同顧問の下で、貨幣整理を務めた造幣局技師・西尾守行氏の調査によれば、漢字で示される官庁名だけでも39箇所に及んでいる。
目賀田財政顧問が通貨整理に着手する際、数十種類の「葉銭」の大きさ、厚さ、重量、品質を比べると、極端なものとしては、直径の大きなものが1寸3厘、小さいものは7分2厘、厚さは5厘から2厘、重量は2匁2分から9分迄であった。銅貨の純度も不一致で、鉄と砂を入れた物まで発見されている。
このような「葉銭」がそれぞれ1枚1文として混用されれば、「悪貨が良貨を駆逐」して、自然に悪貨が市場に溢れ、貨幣流通は一層乱れていくことは当然であろう。
それでも李朝政府は、財政諸費用を捻出するために、更に悪知恵を働かせ、宗主国の「清朝」を真似して、数度も「大銭」を鋳造した。最も悪名高き「大銭」は、暴挙とまで言われる、1886年に鋳造された物だ。大院君が火災に遭った景福宮再建の工事費捻出の財源として鋳造した「当百銭」で、実質的価値は30分の1だから、市民に反対され、円滑に流通させることが出来ず、止めざるを得なかった。
閔一族政権下ではまた、1883年から「当五銭」と呼ばれる大銭が造られ、政府が強制的に流通させたが、ソウル周辺でしか流通しなかった。実質的価値は普通の「葉銭」と殆ど変わらないからである。同じ通貨でも、当時、ソウル周辺と地方では、貨幣価値が異なっていた。地方の一両はソウルの五両にも相当するので、「1国2通貨」になっていた。地方では、「当五銭」を5銭として認めず、「葉銭」5銭も1銭も銅貨として混用していた。
「葉銭」は通貨としては、流通面でかなり不便な物である。目賀田財政顧問下の財務官で通貨整理に携わった高久敏男氏の著書「李朝末期の通貨とその整理」によれば、日本円・1円50銭に相当する「葉銭」の重量は、実に2貫匁、積み重ねると5尺の高さに達する。運搬上極めて不便であるだけでなく、たったの18円75銭にしか相当しない125両の「葉銭」は、目方にして93.75キロ、計12500枚となるので、数えるだけでも、1枚1秒で計算すると、3時間11分も必要となる。だから不便極まりなかった。当時、日本人が朝鮮で行った土地売買の代金は、千円単位で計算するので、数人分担で検算しても、早朝から日没に至るまでやっても終わらなかった」という。
これは メッセージ 6 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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東アジアの貨幣経済の発達
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/04/04 23:41 投稿番号: [29 / 1329]
>当時の李朝では、旅をするには米をかついで薪をかついで行くのが常識だったらしい。
>だがこれは当時の東アジアにおいて李朝が後進国だったからではない。
>ベトナムは18世紀まで貨幣が定着しなかったと言われており、
>李朝もあらゆる方法を用いて貨幣を流通させようと努力したからである。>つまり日本のほうが異常だったと言える。
>>つまり日本のほうが異常だったと言える。>>
「異常」と言ってしまうのはどうかと思う。
東アジアでは「特殊」だったと言って欲しい。
世界を見渡せば、同時代の他の国では貨幣経済が定着している国は沢山あるのですから。
>>だがこれは当時の東アジアにおいて李朝が後進国だったからではない。
当時、後進国というより、東アジアの中では国力が無い弱小国でした。
日本の知識人は優しいですね。
これは メッセージ 28 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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貨幣経済の発達
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/04/04 23:31 投稿番号: [28 / 1329]
以前読んだ内容で自分で李朝の通貨に関して保存していたものがありました。
■エコノミックアニマルの起源ー日本の貨幣定着に驚いた朝鮮人
山本七平著「日本人とは何か」(PHP文庫)で、山本氏はこんなふうに書い ています。この本は良書なので、もっと読まれてしかるべきでしょう。
15世紀、ハングルを作った国王世宗の時代、中国で貨幣が流通しているのを 知った世宗は、中国から貨幣を輸入して、
「貨幣と使用しない者は処罰する」 という法律まで作って、貨幣使用を強制しようとしたが、結局失敗している。
その理由は農民と官僚が主体の社会で、物々交換が行われていたからである。
(「世宗実録」より)
では日本はどうだったのかというと、奈良時代に世宗と同じ試みをしたが、こ の時は失敗している。その理由は世宗の時と同じである。
しかし平家の平清盛 の時に再度同じことをやろうとしたら、貨幣が爆発的に大流行したという記録 が残っている。平清盛は平家物語のせいで悪人ということになっているが、周 囲の反対を押し切って実行したのであり、時流を見抜く目を持った優れた政治 家であったと考えられる。
さらに時は流れ、1420年に来日した李朝のお役人が、見聞したことを漢文の日記に書き残しているが、それによると、当時の日本(室町時代)は社会の すみずみにまで貨幣が浸透していて、乞食でさえ米をほしがらず金をほしがる、 というので驚いているのである。さらに、有料の宿屋があり、有料の渡し舟があり、有料の馬があって、日本では金さえ持っていれば旅ができるきというので驚いているのである。(「老松堂日本行録」より)
当時の李朝では、旅をするには米をかついで薪をかついで行くのが常識だったらしい。だがこれは当時の東アジアにおいて李朝が後進国だったからではない。ベトナムは18世紀まで貨幣が定着しなかったと言われており、李朝もあらゆる方法を用いて貨幣を流通させようと努力したからである。つまり日本のほうが異常だったと言える。
こうなった原因は定かではない。司馬遼太郎氏は武士が政権を取ったことに原因を求めている。武士というのは一種の技術万能主義者である。武士は戦争で勝つのが仕事であり、戦争というのは結果がはっきり出るものだから、思想・イデオロギーにこだわっていても何の役にも立たない。「現場で役に立てば何でもいい」という価値観で動く人種であり、これは今日の企業社会にも生き延びている価値観であると言えよう。
これは メッセージ 27 (koshien21c さん)への返信です.
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Re: お金の話②
投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/04/03 13:40 投稿番号: [27 / 1329]
清国に貨幣鋳造権を握られていたこともありますが、
貨幣経済が発達してなかった証拠です。
所謂、物々交換経済です。このような原始的経済だと
商業資本の蓄積が行われず、また工業資本の蓄積への移行も無く
自力で工業化する資金がなかったことになります。
商業資本の蓄積がないということは、近代経済取引に於いて
信用経済も形成されてなかった証左です。
従って、韓国の学者は近代経済国家発展の芽を
ニテーが侵略したことで失われたというのは嘘とわかります。
これは メッセージ 26 (qitiandashen03 さん)への返信です.
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Re: お金の話②
投稿者: qitiandashen03 投稿日時: 2006/04/03 08:06 投稿番号: [26 / 1329]
イザベラ・バードが朝鮮を旅行した数年あとの明治21年に参謀本部から清国に派遣されていた柴五郎中尉が鴨緑江を越え釜山まで朝鮮半島を縦断しています。伝記を読むと朝鮮に入って20$を一銭貨(小銭)に換金しています。何故20$かと言うのはそれ以上交換すると馬に載せられなくなるからだと。1$=3200銭と言う説明で20$なら小銭64000枚!!なる程と納得。旅が黄海道に入ると当五銭(大銭)でないと通用しないので小銭から交換。そして京畿、忠清道では通用した大銭を慶尚道に入って再び小銭に交換とあります。その際に両替商がこちらの足元を見て半値以下に値切ったとあります。この話から当五銭は鋳造されて数年たつのに地方では通用していないのが分かります。
64000枚の硬貨を勘定するって考えただけでぞっとします。両替商は長いキセルで煙草をふかしながら悠長に一枚二枚ってやってたんでしょうか。それともジャラジャラと秤にかけて「これで64000枚ニダ」とかやってたんでしょうか。
これは メッセージ 6 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: それは「李朝・暗行記」 皇なつきです
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 21:53 投稿番号: [25 / 1329]
>投稿者 : sweet_japon さん
>日本人だと思いますが。
そうですか。
でも>確かに当時では「李朝ー?中国?」だったと思いますよ。>
こんな韓国のドラマ映画等さほど知られてなかった時代に「暗行御史(アメンオサ)」が
韓国で日本の時代善悪ものの定番って紹介したんだから、
作者は相当の韓国通です。
東アジア史に興味を持ってる作者が韓国人or在日と友達になって知ったってこともありえますね。
>朱子学(宋学)については「街道を行く(会津・白河)」で司馬遼太郎も
ドグマ・イデオロギーだと書いていますね。
そうですね。あれが儒教で中華思想を作っていく核だったのですね。
誰でも試験科挙をパスすれば中央で立身出世ができるのは素晴らしいことのように思えますが、
科挙を取りれてから国が弱体化し、この学問を中心に据えて、
更に中国も朝鮮も近代化へ弊害となる精神が作られていったのでしょう。
先ほども貼り付けましたが、
こういう風にしてまで精神的安定を計った中国の厳しい時代を思わずにはいられません。
>朱子は南宋の人ですから、中国の正統政権は金ではなく南宋であると主張したいのです。
金は宋を攻めて杭州に追いやったもののトドメを指すだけの力はなく、両政権が中国大陸に並立していていました。
やむなく北宋も南宋も自国保全のため遼、西夏、金と講和し和平を選びました。
これが当時の中国人にとってどれほど屈辱的なことだったか・・・。
なにしろ彼等中国人は自らを世界の中心の華とし、その周辺諸国(もちろん日本も含めて)を野蛮国扱いしてきたのです。このことは他のコンテンツに何回か書きました。
【野蛮国と「対等」に条約を結ばなくてはならないとは・・・・・】
このような時代背景からナショナリズムを芽生えさせ、民族意識を高揚させる必要性がありました。カンフル剤のようなものですな。
これは メッセージ 24 (sweet_japon さん)への返信です.
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Re: それは「李朝・暗行記」 皇なつきです
投稿者: sweet_japon 投稿日時: 2006/03/31 13:56 投稿番号: [24 / 1329]
>「暗行御史(アメンオサ)」韓国版「水戸黄門」もののお話でしょうか?
ぴんぽぉ〜ん♪です。一時期皇なつきの本買ったのですが、
今じゃ実家に積読状態です。(絵がきれいで好きです)
>話の内容自体はそんなに面白くないのですが、
OTL・・・。同感です。物語的に大岡越前のが好きだったりする。
デビュー作が日本の古典的なオハナシだったので日本人だと思いますが。
(なんでそんなに中韓に詳しいのか?はてー?でしたが、好きだから…でしょうね)
確かに当時では「李朝ー?中国?」だったと思いますよ。
単行本のオマケで本人が周りの反応がそうだったと書いてましたね。
(アメンオサは水戸黄門のような道楽じいさんではないとかも書いてました)
私も京劇や西遊記、水滸伝は知っててもあちらの歴史・文化には無知です。
朱子学(宋学)については「街道を行く(会津・白河)」で司馬遼太郎も
ドグマ・イデオロギーだと書いていますね。
弊害のほうが多い気がします。
これは メッセージ 22 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/24.html
Re: それは「李朝・暗行記」 皇なつきです
投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2006/03/31 13:36 投稿番号: [23 / 1329]
>私の中では皇なつき在日説があるのですが、どうなんでしょうね。
私の友人が何人か
某K0EIにお勤めでして
3人ほど出版部にお勤めでしたが…
その友人と
「皇な○きは中国系か?」と言う話になった時
「日本人」と言われました
韓国系であれ
中国系であれ
少なくとも日本国籍所有者と推察されます
マジに日本人じゃないでしょうか?
これは メッセージ 22 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/23.html
それは「李朝・暗行記」 皇なつきですね
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 13:28 投稿番号: [22 / 1329]
>ヒロインは庶子で家のために婚約したが、相手が亡くなり結婚前に未亡人になった。
再婚は(儒教のせいか)世間体が悪く望めないが、父親が再婚させてもいいのではないかと考え始める。
出世欲の強い長兄がそれを知り圧力をかけ、ヒロインは家のために死んでしまう。
「暗行御史(アメンオサ)」韓国版「水戸黄門」もののお話でしょうか?
絵がきれいでしたね。
http://www.roy.hi-ho.ne.jp/nasuga/話の内容自体はそんなに面白くないのですが、
あの当時は李朝風俗を描いた漫画は少なかったので、かなり印象に残っています。
私の中では皇なつき在日説があるのですが、どうなんでしょうね。
これは メッセージ 17 (sweet_japon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/22.html
Re: お引越し
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 13:13 投稿番号: [21 / 1329]
お祝いのお言葉ありがとうございます。
>朱子学って悪評はよく聞きますが、具体的にどんな教えなのか理解できていません…。
朱子学は上下関係や白黒をはっきりとつける儒教の中でも厳格だったらしいとか、江戸時代日本でもちょっと盛んになったぐらいしか私も知りません。
>仏教も民間ではパッとしないながらも続いていたのでしょうか?
>(ワイルドスワンでも満州ですが祖母が見初められた場面はお寺でしたね)
たぶん、中国と韓国では仏教・儒教の扱いが違ってるのだと思います。
http://learning.xrea.jp/%BC%EB%BB%D2%B3%D8.html>中国・南宋の朱熹が大成した新しい儒学。
禅学の影響に対抗しつつ、周敦頤(しゆうとんい)に始まり程(ていこう)・程頤(ていい)などのあとをうけて旧来の儒教経典に大胆な形而上学的新解釈を加えて成立。
理気説を基本に、人の本性は理であり善であるが、気質の清濁により聖と凡の別があるとし、敬を忘れず行を慎んで外界の事物の理を窮めて知を磨き、人格・学問を完成する実践道徳を唱えた。
理気説による宇宙論・存在論、格物致知を基とした実践論を説く。
日本には鎌倉時代に伝えられ、江戸幕府から官学として保護され普及。封建社会の中心思想となった。
これもご参考に
「朱子学の背景」
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/nanboku/shusigaku.htm韓国に行った時は、頭が切られた状態の仏像を沢山見かけました。
よく考えれば「チャングム」も中宗が仏教に追い討ちをかけている時代だったのですから、やたらに寺が出てくるのにも疑問なんですけどね。
これは メッセージ 17 (sweet_japon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/21.html
Re: おめでとうございます
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 13:01 投稿番号: [20 / 1329]
>投稿者 :toapanlang さん
>こちらに移転ということでよろしいでしょうか?
>引き続き資料を紹介したいと思います。
その通り、引越しでございます。
東亜さん、さむらいさんのありがたい投稿はこちらに貼り付けておきました。
引き続きお楽しみくださいませ。
>投稿者 : botannabe2003
さん
>ハードなものからソフトなものまで、大変ですね。
まずは、李氏朝鮮の500年にちなんで、500ポイント頑張りましょう。
韓国カテでお馴染みの日韓併合に至るまでの過程、陶器、
最近放送されている「宮女チャングムの誓い」、話題は沢山あると思います。
歴史を噛締めながら、ゆっくりといきたいと思っています。
>投稿者 : ricky_eto さん
>投稿者 : honkytonk_2002_x さん
>投稿者 : koshien21c さん
>投稿者 : greatjp22 さん
>投稿者 : dylake2r5j1さん
お祝いの言葉ありがとうございます。
>投稿者 : dylake2r5j1さん
>ついに韓カテにオープン♪
そうです!(o^∇^o)ノ
今日たまたま早起きしたら、トピ作成OK状態だったのです。
ここに作れなくて、日韓関係カテに作った李朝朝鮮の内政と外交トピを
こちらに移転することができました。
>投稿者 : koshien21c さん
>このトピ名だといろいろ勉強できそうですね。
「竹島」「拉致問題」のようにシンプルが一番かな・・・と思って。
それに下手に挑発しないタイトルの方が、新たな韓国人投稿者が期待できるかもしれませんね。
>>投稿者 : ricky_eto さん
>この新トピ「李朝朝鮮」トピがさらに繁栄しますように・・
>投稿者 : honkytonk_2002_x
さん
>当トピの末永い発展を祈念致します☆
トピ主が居なくても、「百済」トピのように
勝手に李朝の話題で盛り上がる長期トピになればいいなと思っています。
>ウリは朝鮮の歴史に詳しくないのでお勉強させて頂くニダ
私も詳しくないですよ〜。
実は作った動機が「チャングム」だったりして(笑)
これは メッセージ 12 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/20.html
新トピおめ!!
投稿者: dylake2r5j1 投稿日時: 2006/03/31 12:27 投稿番号: [19 / 1329]
ついに韓カテにオープン♪
おめでとうござります
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/19.html
おめでとうございます
投稿者: greatjp22 投稿日時: 2006/03/31 12:23 投稿番号: [18 / 1329]
新トピの繁栄を!
面白そうな題材なので、微力ながらもできるかぎり
参加させていただきます。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/18.html
お引越し
投稿者: sweet_japon 投稿日時: 2006/03/31 10:03 投稿番号: [17 / 1329]
おめでとうございま〜す♪
引き続きお勉強させていただきます。
>朝鮮王朝時代、儒教(ユギョ)儒教の中でも最も厳格な朱子学を基盤にすえ、仏教が衰退した。
朱子学って悪評はよく聞きますが、具体的にどんな教えなのか理解できていません…。
仏教も民間ではパッとしないながらも続いていたのでしょうか?
それとも、仏教は女性の信仰となっていたのでしょうか…?
(ワイルドスワンでも満州ですが祖母が見初められた場面はお寺でしたね)
李朝を描いた漫画で、お寺で
「義姉さんの婚家暮らしが楽になりますように」
「○○さん(ヒロイン)が幸せになれますように」
というようなことをヒロインとヒロインの長兄の嫁が祈っているシーンがありました。
ヒロインは庶子で家のために婚約したが、相手が亡くなり結婚前に未亡人になった。
再婚は(儒教のせいか)世間体が悪く望めないが、父親が再婚させてもいいのではないかと考え始める。
出世欲の強い長兄がそれを知り圧力をかけ、ヒロインは家のために死んでしまう。
(未亡人が夫の後を追うのは貞女となり、家の評判がよくなる)
っていうようなストーリーでした。
悲劇でありますが、長兄を懲らしめようとした役人に父親が
「自分の育て方が悪かったが、この息子がいなくなると供養してもらえなくなる、家がつぶれる」
と泣きすがっているシーンが、腹立たしかったです…。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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新トピおめでとうございます
投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/03/31 10:01 投稿番号: [16 / 1329]
このトピ名だといろいろ勉強できそうですね。楽しみです。
ご発展を祈ります。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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おめでとうございます☆
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/03/31 09:39 投稿番号: [15 / 1329]
当トピの末永い発展を祈念致します☆
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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新トピっ!
投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2006/03/31 09:22 投稿番号: [14 / 1329]
おめでとうごないなーす
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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この新トピ「李朝朝鮮」トピが
,__
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さらに繁栄しますように・・
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ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`)
,\
∧∧
|;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄
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)
ナモナモ
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|ゝ iii~
⊂
ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸
(
,,)〜
wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
ウリは朝鮮の歴史に詳しくないのでお勉強させて頂くニダ
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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新トピ、おめでとうでやんす^^
投稿者: botannabe2003 投稿日時: 2006/03/31 08:44 投稿番号: [13 / 1329]
ハードなものからソフトなものまで、大変ですね。
まずは、李氏朝鮮の500年にちなんで、500ポイント頑張りましょう。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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おめでとうございます
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/03/31 08:29 投稿番号: [12 / 1329]
こちらに移転ということでよろしいでしょうか?
引き続き資料を紹介したいと思います。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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李朝と江戸期日本との交易
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 05:26 投稿番号: [11 / 1329]
投稿者 : samurai_03_japanjp
先だって、「お金の話」をしましたが。
次は「交易」の話をしようかと・・・
李朝と江戸幕藩体制化の日本では、外交・交易は日本側は対馬藩(十万石格。実収はほぼ無し)
が窓口で、一手に引き受けていました。
貞亨元年(1684年)で見てみると。
輸出(対馬藩⇒李朝)
・銀2075貫925匁(内訳・銀138貫、丁銀1937貫925匁)
・銅380貫198匁
・その他鉱物237貫254匁
・狐皮96貫40匁
・狸皮69貫104匁
・その他毛皮22貫995匁
・その他・37貫841匁
総額・銀2919貫357匁
輸入(李朝⇒対馬藩)
・白糸709貫229匁(注:中国産)
・縮緬195貫140匁
・小飛紗綾(さあい)159貫700匁
・その他織物41貫162匁
・朝鮮人参300貫643匁(内訳・上・並人参274貫643匁、尾人参・25貫730匁)
総額・銀1405貫874匁
経費を除いた、対馬藩の利潤・銀1065貫270匁(金1万7754両2分)
*『倭館』(田代和生著)より
金1万7754両の実収は、米で換算すると5万石強の領地から得る年貢実収(年貢率3割5分とした場合)
対馬藩−李朝間の交易だけで、これだけの利潤を対馬藩が得ていました。
*無論、その後国内(主に大阪の各種問屋)へ卸す利潤は、更に莫大だったでしょう。
米が殆ど生産できず、収入を交易に頼っていた対馬藩ですが。
逆にこの交易で、300余藩中、裕福な藩でもありました。
*李朝の場合、完全に「貿易赤字」の状態でした。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: 李朝朝鮮
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 05:25 投稿番号: [10 / 1329]
投稿者 : toapanlang
日本が両班の特権を奪ったのが奴婢身分の破壊の最大原因ではなかったかと思います。
なお、李朝において、奴婢の数は新羅・高麗時代より増えたとされています。
李朝前期の政策で、片方の親が奴婢身分なら人間なら自動的に奴婢身分という「一賤則賤」という原則が適用されたせいであるようです。
奈良の正倉院に保管されている9世紀新羅の村落文書によれば、奴婢は全住民の1割にも満たない割合だそうです。
一方、両班一族の財産目録などからは、16世紀には全人口の3割から5割までが奴婢身分であったと推測されているようです。
また、国王から下賜される「賜牌奴婢」というものが、李朝前期にはよくみられるそうです。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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朝起きは得!
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 05:23 投稿番号: [9 / 1329]
今日は4時に起きたの〜。
韓国カテにトピが作れるなんてね〜。゚+ ヽ(*´∀`)ノ +゚。
これは メッセージ 4 (pup_pooh_one さん)への返信です.
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Re: お金の話②←訂正
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 05:21 投稿番号: [8 / 1329]
投稿者 : toapanlang 2006/ 3/12 8:42
>、16世紀末から17世紀初頭の両班である呉希文がソウルに近い平康にすんでいたころの日記に銀銭に関する記述があり、『太閤唐入り』のさい、援軍にきた明の兵士が持ち込んだ銀銭が通用していたのではないかと考えられています。
あくまでもソウル近郊では通用していたのではないか、ということです。
両班の経済活動としては、奴隷に命じて物品を価格差のある遠隔地に持っていかせて売却する「反同」というものがありました。
奴隷のほうもついでに自分たちの物品を運んで売りさばいたようです。
ある両班の日記には、「せっかく反同をさせたのに、あの奴隷は『いい値がつかなかった』とかいって持って帰ってきた。己のものだけ売りさばいたらしい」と愚痴ったものがあります。
これは メッセージ 7 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: お金の話②
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 05:05 投稿番号: [7 / 1329]
投稿者 : toapanlang 2006/ 3/11 1:06
>その後、1633年に「常平通宝」が発行されました。
土地売買の契約書を見ると、17世紀中ごろまでは、支払手段としては、米か綿布しかみられませんが、それ以降、つまり常平通宝の出現以降は銅銭が多くなっているようです。
また、16世紀末から17世紀初頭の両班である呉希文がソウルに近い平康にすんでいたころの日記に銀銭に関する記述があり、『太閤唐入り』のさい、援軍にきた明の兵士が持ち込んだ銀銭が通用していたのではないかと考えられています。
>公定レートは、1884年、イザベラ・ハートが「朝鮮紀行」を書き記した際の旅行を行った時で、
1ドル=1円(旧円)=0.1ポンド(2シリング)が、3200銭。
つまり1ドル=64圜=320両(1902年以降は、=32圜=320両)
「通貨に関する問題は、当時朝鮮国内を旅行する者を例外なく悩ませ、旅程を大きく左右した。日本の円や銭はソウルと条約港でしか通用しない。銀行や両替商は旅行先のどこにも一軒としてなく、しかも受け取ってもらえる貨幣は、当時公称3200枚で1ドルに相当する穴あき銭以外になかった。この貨幣は数百枚単位でなわに通してあり、数えるのも運ぶのも厄介だったが、なければないでまたそれも厄介なのである。100円分の穴あき銭を運ぶには6人の男か朝鮮馬一頭がいる。たった10ポンドなのにである!」(『朝鮮紀行』イザベラ・バード
第5章「旅支度/朝鮮の舟」)
返信
これは メッセージ 18 samurai_03_japanjp に対する返信です
これは メッセージ 6 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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お金の話②
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 05:03 投稿番号: [6 / 1329]
投稿者:samurai_03_japanjp
一方、李朝の貨幣事情は、未だ詳しく調べ切れていないのですが、わかる範囲で。
最初に通貨(硬貨)が発行されたのは確か、1425年、「朝鮮通宝」が最初だったと記憶します。
公定レートは銅銭1枚(文)=米1升(中国・朝鮮単位=0.9リットル)
が、これは当時の日本(室町)や中国(明)の公定レート(米1升強=1リットル=5〜10文)に比べ、
5〜10倍の設定で、そのためか、朝鮮通宝は長く使用されませんでした。
1429年に来日した朝鮮通信使は、その報告書の中で、
「銭が盛んに用いられ、布や米による支払いを凌駕している。
だから、千里の旅をするものであっても、ただ銭貨を帯びるだけでよく、
穀物を携帯しなくてよい」 (『李朝世宗実録』巻46)
と、日本で銭が盛んに利用されていることに驚いています。
その後、1633年に「常平通宝」が発行されました。
以後、1679年に当二銭(二銭通貨)が発行され、1752年には中型の当一銭が、さらに1778年には小型の当一銭が発行されました。
また1882年には、開港後の財政難を補填する目的で当五銭が発行されました。
では、通貨単位と公定レートはどうであったかと言うと。
通貨単位は1888(開国497)年で
1圜(ホアン)=1000文となり、更に5年後の1893(開国502)年には、
1圜=5両(ウォン)、1両=10銭(チョン)、1銭=10分の貨幣制度となりました。
1902年には、1圜=10両、1両=10銭。1圜=100銭の十進法になります。
公定レートは、1884年、イザベラ・ハートが「朝鮮紀行」を書き記した際の旅行を行った時で、
1ドル=1円(旧円)=0.1ポンド(2シリング)が、3200銭。
つまり1ドル=64圜=320両(1902年以降は、=32圜=320両)
当時の1円は、明治4年の新貨幣(円)制度導入のレートで、1円=金一両でしたので、江戸期に換算すると、
金一両=32圜=320両(朝鮮両)
李朝の通貨は、江戸期の日本の通過に換算しますと、
一圜貨=1/2朱金・銀=百八十七〜百八十八文(銭)
一両貨=約一九文(銭)
二銭貨=約四文(銭)
一銭貨=約二文(銭)
補助貨幣の一分貨=1/10文(銭)=十厘
確かに、イザベラ・ハートが閉口したのも判ります。
大額貨幣が無い為、国内商業が発達しなかったのか。
国内商業が発達しなかったから、大額貨幣が出来なかったのか。
後は、中央政府の内政統治権力、中国との兼ね合い等も、考慮する必要があるかもしれません。
これは メッセージ 5 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/6.html
お金の話①
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 05:01 投稿番号: [5 / 1329]
2006/ 3/ 8 1:23 投稿者 : samurai_03_japanjp
ちょっとばかり、李朝と江戸期の「お金の話」を。
と言っても、「通貨」の事です。
江戸期以前の日本(平安〜安土桃山時代)では、通貨は主に「宋銭(南宋:銅貨)」「永楽銭(明銭:銅貨)」が、一般流通貨幣でした。
*金貨はなく、砂金や延金で。銀は重量(貫目)で扱っていました。
これは、貨幣の価値を保証する力を持った中央政府が無かったからです(統治権力を有した、と言う意味の)
宋銭は平安時代〜鎌倉時代に、交易用国際通貨として使用され。
永楽銭(明銭)は室町時代に大量に日本に輸入されました(国際通貨として)
実態の怪しい、力が有るかどうかあやふやな中央政府(朝廷、後、鎌倉・室町幕府)が発行する(した)貨幣より。
確実に大陸との交易に使える宋銭、永楽銭が信用されたからです。
後に、江戸幕府の時代となり、前の2つの幕府よりより強力な内政統治権力を有する幕府になり、はじめて「国内貨幣制度」が確立しました。
(もっとも永楽銭は江戸初期まで流通しましたし、年貢を納める際には幕末まで使用され続けました)
江戸時代日本の貨幣制度は、金貨・銀貨・銅貨の三貨体制でした。
時代劇や小説でご存知かもしれませんが、その単位は、
・金一両=銀六十匁(重量。約225g)=銭(銅貨)六千文(枚)
・金一両=二分金(貨)×2枚=一分金×4枚=二朱金×8枚=一朱金×16枚
・銀六十匁=五匁銀(貨)×12枚=一分銀×4枚=二朱銀×8枚=一朱銀×16枚
・一朱金、一朱銀=銭三百七十五文(枚)
銭貨は一文銭貨、四文銭貨(以上「寛永通宝」)、十文銭貨(「宝永通宝」)、百文銭貨(「天保通宝」)、が、有りました。
金一両を金貨(分、朱)、銀貨(分、朱)、銭(銅)貨にくずしても、嵩張らない位には流通通貨の種類がありました。
通貨の種類の増加と為替の安定は、国内商業の発達も促進しました。
*因みに、腕の良い大工さんの年収入は約二十六両三千文(二十六両二分)
月収で金二両一分程。
よく「金一両で一家4人が生活できる」とかいう記述がありますが。
これは「割長屋」と呼ばれる、九尺二間(4畳半1間に、土間1畳半の1Kサイズ)の裏長屋の下層庶民の生活レベルです。
一両を今の何万円に置き換えるかは、余りに経済環境が異なっている為困難ですが。
一般に最小5万円〜最大10万円位でしょうか。
「二両一分」は=22万5000円、となりますが・・・
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/5.html
Re: 李朝朝鮮
投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/03/31 05:00 投稿番号: [4 / 1329]
新トピおめでとうございます。
何で、こんな時間に!?
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/4.html
このトピを作ったのは
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 04:57 投稿番号: [3 / 1329]
百済トピや現代を語るトピはあるけれど、
その中間を語るトピがあればいいなとおもって作りました。
日韓関係に作ったのは、自然落ちを待つつもりです。
(投稿していただいた方々には申し訳ありません)
まだ投稿数も少ないので主要な部分はこちらに貼り付けて置きます。
これは メッセージ 2 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/3.html
1392年〜1393年
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 04:52 投稿番号: [2 / 1329]
李成桂 (イソンゲ)が国を建てた1392年〜朝鮮を国号とすることができた1393年にあった出来事。
1392/01/13,元中8(南);明徳2(北)/12/19
山名満幸・氏清らが挙兵する。
1392/01/24,元中8(南);明徳2(北)/12/30
山名氏清・満幸らの軍勢が幕府軍と戦って敗れる(明徳の乱)。
1392/04/11,元中9(南);明徳3(北)/03/19
ボローニャ同盟が結成される。
1392/08/05,元中9(南);明徳3(北)/07/16
フランス国王シャルル6世が発狂し、国内貴族の台頭が始まる。
1392/08/06,元中9(南);明徳3(北)/07/17
高麗の最高権力者の李成桂(58)が開京で王位に就く。李氏朝鮮が創建される。
1392/11/16,元中9(南);明徳3(北)/10.02
後亀山天皇が、足利義満の申入れにより南北朝の合一を行うべく入京して嵯峨大覚寺に入る。
1392/11/19,元中9(南);明徳3(北)/10.05
後亀山天皇が、三種の神器を後小松天皇に譲り、上皇となる。
1393/06/06,元中10(南);明徳4(北)/04/26
後円融天皇、没。36歳(誕生:正平13(南);延文3(北)(1358)/12/12)。北朝第5代天皇。
1393/07/10,元中10(南);明徳4(北)/06/01
ゼンパハ協定が成立する。
1393/11/29,元中10(南);明徳4(北)/10/25
レオン・ドゥ・リュジニャンがパリで没。アルメニア最後の王だった。
1393/12/29,元中10(南);明徳4(北)/11/26
幕府が京都周辺の土倉・酒屋に対する社寺本所の独占的な課税権を否定し、幕府の徴税権に服すべきことを規定する。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/2.html
李朝朝鮮
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/03/31 04:50 投稿番号: [1 / 1329]
李朝(李氏)朝鮮
1392年に李成桂 (イソンゲ)が国を建ててから1910年の日韓併合まで
500年にも渡る長い期間。
建国当初、国の名前を朝鮮(チョソン)とするか和寧(ホァリョン)とするかを明に裁決を求めたところ、
明がこれに応え、翌1393年朝鮮を国号とすることができたが、
李成桂を王とはせず、地位をを「権知朝鮮国事」に留めた。
和寧とは李成桂の出身地、永興(ヨンフン)の別名である。
朝鮮というのは紀元前にこの半島で国を作っていた王朝の国名であるが
それと李氏朝鮮にはつながりはない。
朝鮮王朝時代、儒教(ユギョ)儒教の中でも最も厳格な朱子学を基盤にすえ、仏教が衰退した。
__________________________________
掲示板で最も話題になるのは日韓併合までの流れなので、
ここに関連サイトをupして置きます。
明治開化期の日本と朝鮮(1)
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi012.html
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/1.html
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