朝鮮を笑う
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日本を創ったのは
投稿者: andonsasda 投稿日時: 2006/07/15 22:51 投稿番号: [1636 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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古代史新聞(朝鮮地方版)
投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/07/15 02:14 投稿番号: [1635 / 2847]
衛満、箕子の王位を奪う
=箕子朝鮮から衛氏朝鮮へ=
【王倹城=BC194年】
前年のBC195年、中国の燕から逃れて箕子朝鮮の部将となっていた衛満が、箕子朝鮮準王の居城が有る王倹城を急襲、王位を簒奪した。
不意を突かれた準王は忠臣たちと共に南に逃れた模様。
衛満は準王から西の国境警備を命じられて守備に当たっていたが、機を見て一挙に王倹城に攻め込んだものと見られる。
「非凡な外交手腕」
新たな王朝は衛氏朝鮮と呼ばれる事となった、と、王朝広報スポークスマンが発表した。
衛満の統治はなかなか巧みで、人心の掌握に優れ、対外関係にも非凡な手腕を発揮している。
漢に朝貢して属臣の形を取り、漢からは遼東太守の称号を下賜された。
北方の守備に当たる事で、漢から兵器や数々の財物、文化を見返りとして得、国力を高めて周囲を切り従え、領土を拡大しようと言う意図が見受けられる。
一方、衛満に王位を奪われた箕子朝鮮準王は、南方に逃れて漢江の南に新国家を建てたという未確認情報も入ってきており、
辰韓と呼ばれているとの情報も有るが、今後の確認が急がれるところである。
箕子朝鮮は、古くBC12世紀に建国されたと伝えられる古い王国だが、真偽の程は明らかではない。
神話の世界の話と見るのが順当だろう。
【広告欄】
「=求人広告=
兵士募集!
燕・斉・趙の亡命者諸君!西方の僻地へ追いやった箕子への積年の恨みを晴らす時がきた!
勇敢なる衛満王の下で働こう!
半島女性との婚姻制度あり。軍隊内部での結婚式ほか各種特典あり。
征服地での福利厚生バツグン。
給与相談応。履歴書持参。委細面談。
『衛満・エンタープライズ』」
「=求人広告=
今こそ王国古今未曾有の危機を救う若者急募!
壱千年の伝統を誇る東夷初の大王国・箕子朝鮮の兵士求む!
賃金・待遇はあなたの希望以上です。
邸宅・美女・召使その他、納得の諸条件!
軍事・財務・行政など各種長官への昇進の道あり。
大臣も夢ではない!!
『(株)箕子朝鮮王国産業』」
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デモ隊と警察
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/07/14 23:30 投稿番号: [1634 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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斜め上の雲 58
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/14 20:49 投稿番号: [1633 / 2847]
錫元のはたらきにもかかわらず戦況は好転しなかった。一連隊長であるかれの操作できる範囲をこえたところで戦争はすすんでゆく。
アメリカは報道管制をひかなかったため、軍事情報をふくめあらゆる情報が全世界に筒抜けになっていた。ぎゃくに北ベトナムは自勢力の情報をかくし、米・南ベトナム軍の「蛮行」をおおいに喧伝するなど徹底的に報道を利用した。
戦場では負けていても戦略的な勝利をおさめていたといっていい。たとえば西側諸国における反戦運動の激化がその成果のひとつである。
また、北ベトナム軍が擬装する「南ベトナム解放民族戦線」が、かれらの宣伝どおり南ベトナム人民の組織であると報道されたのもそうであった。
くわえて南ベトナム政府の腐敗と無能もむごいものであった。アメリカの参戦以前すでに政権内部では三回ものクーデターが勃発しており、末端の兵士には、民間人をゲリラとして殺害して戦功としさらには銃器弾薬を敵に横流しするものまでいた。
錫元の連隊が掃討したある根拠地では、ソ連のAK47銃や中国製の五七ミリ無反動砲にくわえて、アメリカ軍のM16銃の薬莢を発見したこともあった。錫元はまるで世界中と戦争しているかのような錯覚をふとおぼえた。
この時期の錫元は、そのきわだった戦功にくらべてきわめて陰鬱であった。
すこし余談に触れさせてもらいたい。
古来、兵士の血をもって国益をあがないもとめることはけっして悪ではなかった。軽工業が発達する以前のスイスでは、州政庁によって多くの若者が傭兵としてヨーロッパ各地に派遣されていた。フランス革命にさいして、ブルボン王朝にやとわれていたスイス傭兵団が最後の一兵までルイ十六世の住むテュイルリー宮殿を守りぬいたことはとくに有名である。
もっとも、利益に執着する州政庁によって、敵味方双方に売りつけられたスイス兵どうしが戦場であいまみえるという悲劇も多発したのだが。
筆者は国家発展のために必要な資金を得るべくベトナム戦争への参戦に踏み切った朴正煕大統領の構想と判断はとくに非難する気はないが、その韓国軍がなにをなしたかについてはいささかでもゆるす気になれない。後世という、事が冷却してしまった時点でみてなお、韓国軍の態度には、弁護すべきところがまったくない。
それにしても、ベトナムでの韓国軍のむごさは、たとえば相手がベトナム人でなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとしても、その嗜虐的(サディスティック)なにおいだけはかわらなかったにちがいない。かつての中華帝国や大日本帝国、あるいは戦勝国アメリカといった強国を後ろ楯とたのんだときの朝鮮人の傲慢さと暴虐さは定評がある。
韓国における他国家への民族問題的優越感は、平時からつねに露出している。そのうえ、じぶんたちの宗主国が強国であれば、その威をかさにきて、なにをやってもゆるされるにちがいないという、不安定な優越感と劣等感のないまぜになった心情が顔を出すせいでもあろう。
これは メッセージ 1630 (toapanlang さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 57
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/07/13 00:28 投稿番号: [1632 / 2847]
>六七年三月、朴大統領は、携行食料のキムチ缶詰の調達をジョンソン大統領に依頼する親書を訪米する丁一権首相にたくした。
これは有名になりましたね。
朴大統領「ベトナム派兵韓国兵にキムチを」
米に親書
(朝鮮日報
2005年8月28日)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/28/20050828000017.html>陣中でキムチを漬けはじめたのである。このあたりの執着はすさまじい。第二次大戦中、砲撃の照準よりパスタのゆで加減に集中力をさいたイタリア兵がややそれに似ているかもしれない。
本当にキムチを作ったかどうかは知りません。単に半島つながりネタです。(笑)
>錫元が白馬師団に属する第二十九連隊の司令部をたずねたとき、ちょうど兵士たちがキムチを漬けていた。
この連隊の連隊長は全斗煥大佐です。
>「キムチに麻薬が入っているうたがいがあるからとのことです」
哲福の答えに、錫元はおもわずはらをかかえて笑ってしまった。
文哲福は、猛虎師団に属してベトナムに出征した、師父の義弟の叔父の一人がモデルです。
>「なにかクスリが入っているにちがいない」
米軍顧問はそううたがった。ベトナムの米軍兵士のあいだでは麻薬が蔓延して問題となっていたため、これはあながち杞憂とはいえなかった。
元ネタは、『韓国を食べる』(黒田勝弘)、70年代の中東出稼ぎ韓国人労働者のエピソードです。以下引用。
≫中東で韓国人労働者が歓迎されたのは、その働きぶりがよかったからだ。あの苛酷な自然環境の中で、軍隊式の組織的な行動と、時間外や昼夜を問わない猛烈な仕事ぶりは、アラブの人々には驚異だった。
これはサウジアラビアで本当にあった実話だが、こうした韓国人の「驚異の働きぶり」が逆にサウジ当局の疑問を招いた。あんな環境であんなに働くのだから、何か裏があるに違いない。そういえば韓国人たちは「キムチを食わないと力が出ない」といっている。
サウジ当局は、韓国人たちが本国から持ち込んで常食にしているキムチに疑い(?)の目を向けたのだ。あの真っ赤な色、強烈なにおい、しかも時間が経てば生き物のように味もにおいも変化していく、あの奇妙な食べ物はいったい何なんだ!
「あれにはひょっとして麻薬が含まれているのではないか?」「いや、あれ自体が麻薬ではないか?」と疑ったのだ。
(中略)サウジ当局は韓国企業に本国から届くキムチ(の輸入)を一時ストップさせ、検査・分析にあたった。
もちろん結果は何も出なかった。「キムチ=麻薬」説の疑いは晴れ、正式の食品としてあらためて持ち込みOKになった。
最後は火病ネタです。ほんとうにこんな報告があったかどうかなんて、ケンチャナヨ♪
これは メッセージ 1630 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 斜め上の雲 57
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2006/07/12 15:42 投稿番号: [1631 / 2847]
おおわらい
今回はネタ尽くしですなぁ(笑)
ようやく火病(げら
これは メッセージ 1630 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 57
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/12 14:26 投稿番号: [1630 / 2847]
韓国軍の士気があがらないのには、ひとつ理由があった。
食事にキムチがないのである。
韓国兵はどんな粗食であってもキムチさえあれば激戦に耐えぬいた。だが、ベトナムの地にキムチはない。
「砲弾よりキムチを」
という将兵たちの悲鳴に朴正煕はあわてた。
六七年三月、朴大統領は、訪米する丁一権首相に携行食料のキムチ缶詰の調達をジョンソン大統領に依頼する親書をたくした。
その結果、キムチ、豆腐の煮込み、サンマの煮込みなど多様な韓国食の缶詰携行食が調達されることになった。
将兵たちもただそれを待つだけではなかった。
陣中でキムチを漬けはじめたのである。このあたりの執着はすさまじい。第二次大戦中、砲撃の照準よりパスタのゆで加減に集中力をさいたイタリア兵がややそれに似ているかもしれない。
錫元が白馬師団に属する第二十九連隊の司令部をたずねたとき、ちょうど兵士たちがキムチを漬けていた。
白菜にトウガラシをもみこむ兵士たちのなかに、なつかしい顔がいた。
「哲福ではないか」
その声に兵士は顔をあげ、
「義兄上さま、いや金大佐」
といって、あわててトウガラシで真っ赤な手のまま敬礼をした。かれは錫元夫人である文春香の弟であった。
「キムチを漬けているのか」
「はい」
当初はキムチを韓国から取り寄せていたという。だが南ベトナム政府と米軍によって輸入が禁じられてしまったという。
「なぜだ?」
「キムチに麻薬が入っているうたがいがあるからとのことです」
哲福の答えに、錫元はおもわずはらをかかえて笑ってしまった。
もっとも、南ベトナム政府と米軍にとっては真剣であった。
なにしろ、韓国兵はキムチをかじるだけで、三日三晩の昼夜兼行の行軍にもじゅうぶん耐え、迅速に行動するのである。
「なにかクスリが入っているにちがいない」
米軍顧問はそううたがった。ベトナムの米軍兵士のあいだでは麻薬が蔓延して問題となっていたため、これはあながち杞憂とはいえなかった。
「そういえば、禁断症状らしきものもあります」
べつの米軍顧問が相槌をうった。韓国兵が、戦況が悪くなったり計算どおりにゆかないと、いきなり隣の兵士に頭突きをしたり、弾帯に火をつけたり、手榴弾をところかまわず投げまくるという例が報告されていた。
米軍の指示により、韓国から運ばれたキムチは税関で止められ、成分分析のため、ベトナムだけでなくアメリカや日本、イギリスなど各国の研究所におくられた。
しばらくして、それらの研究所からの報告が届いた。それは、
「キムチには異常に大量のカプサイシンが含まれるが、麻薬および麻薬類似成分はいっさい含まれない」
というものであった。
ようやくキムチへの疑惑は晴れた。
しかし、米軍顧問は首をかしげた。
(あの韓国兵たちの狂態はなんだったのだろう?)
三十年後、そのなぞは解けた。
麻薬による禁断症状ではなく、「火病」という精神的疾患の一種であったのである。
これは メッセージ 1627 (toapanlang さん)への返信です.
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ネタ投入
投稿者: andonsasda 投稿日時: 2006/07/12 01:49 投稿番号: [1629 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 56
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/07/12 00:28 投稿番号: [1628 / 2847]
>「大東亜戦争をみてください。南方の密林で戦った日本軍は完全な正規軍だったではないですか。かれらが密林に適していなかったといえるのですか」
軍事に関しては、相手がだれであれ錫元の発言は容赦ないものであった。生死がかかっている以上当然のことであろう。
「じぶんの足だけをたよりにして戦っていたにもかかわらず、通信と補給が途切れないかぎりは、統制のとれた行動を維持しえたではありませんか」
大東亜戦争で日本軍と戦っていたのは他ならぬアメリカ軍である。また、今は第一線を退いているものの韓国軍の将官クラスには当時日本軍として戦っていたものも多い。敵味方双方の立場で密林戦を経験しているというのに、なぜその歴史を振り返ってまなぼうとしないのか。
引き続き『征途』からです。以下原文。
≫福田は頷いた。内心で、なぜ誰も歴史を研究しないのだろう、と思う。歴史を――例えば、太平洋戦争で南方に展開した日本帝国陸軍がどんな戦術を用いたか調べれば、俺が何を考えているか、判る筈なのに。島田陸将(東亜註:島田豊作。ヴェトナム派遣軍の総司令官)が俺をかばってくれているのは、その点に気付いているからだ。
(中略)
彼に言わせるなら、ジャングル内のゲリラ戦に正規軍は不適であるという一般常識は明らかな間違いだった。太平洋戦争中、密林内で行動した日本帝国陸軍は完全な正規軍だったが、彼らが密林に適していなかったと言う者はいない。通信が途切れない限り、その行動は統一がとれていたし、ゲリラと比べてジャングルの戦いに弱いということはなかった。
>錫元の提言に対して、韓米軍の将官たちはおおむね無反応であった。
(瘴気にでもあたって脳をやられてしまったのではないか)
ベトナムは亜熱帯に属し、とくに南ベトナムは五月から十月の雨季の間に感染症が多発する。それとも、
(あまり戦闘の苛烈さがつづいているせいで、帽子の下がぼけてしまったのか)
錫元はにがい表情をつづけていたが、ふとおもいあたった。
最後の独白は、5巻「二〇三高地」、旅順攻略戦で、二〇三高地越えに旅順港内を砲撃するよう言った児玉源太郎に対して、攻城砲兵司令官の豊島陽蔵が反論したときの児玉の独白です。以下原文。
≫(あまり戦闘の苛烈さがつづいたせいか、豊島の帽子の下がぼけてしまったらしい)
児玉は、にがい表情をつづけている。
これは メッセージ 1627 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 56
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/10 12:48 投稿番号: [1627 / 2847]
前回もふれたが、第十四連隊を率いる錫元は、密林に適した歩兵主導の戦術をとるよう主張し韓米軍の指揮官にあうごとにそれを説いた。
さらにかれは、アメリカ軍がジャングル内でのゲリラ戦に正規軍はむかないとして、グリーベレーのような特殊部隊を投入しているのはまちがいであるとまで断言した。これには、当然のことながら韓国軍だけでなく米軍の指揮官からも批判があびせられた。
「大東亜戦争をみてください。南方の密林で戦った日本軍は完全な正規軍だったではないですか。かれらが密林に適していなかったといえるのですか」
軍事に関しては、相手がだれであれ錫元の発言は容赦ないものであった。生死がかかっている以上当然のことであろう。
「じぶんの足だけをたよりにして戦っていたにもかかわらず、通信と補給が途切れないかぎりは、統制のとれた行動を維持しえたではありませんか」
大東亜戦争で日本軍と戦っていたのは他ならぬアメリカ軍である。また、今は第一線を退いているものの韓国軍の将官クラスには当時日本軍として戦っていたものも多い。敵味方双方の立場で密林戦を経験しているというのに、なぜその歴史を振り返ってまなぼうとしないのか。
錫元の提言に対して、韓米軍の将官たちはおおむね無反応であった。
(瘴気にでもあたって脳をやられてしまったのではないか)
ベトナムは亜熱帯に属し、とくに南ベトナムは五月から十月の雨季の間に感染症が多発する。それとも、
(あまり戦闘の苛烈さがつづいているせいで、帽子の下がぼけてしまったのか)
錫元はにがい表情をつづけていたが、ふとおもいあたった。
(経験することと、経験からなにかをまなぶこととはまったくの別物であるらしい)
ついに錫元は、かれらに対して怒るよりも、むしろその思考回路の働きをおもしろがるようになった。
もっとも、ただおもしろがっているわけにはゆかない。
錫元は、歩兵主導の戦線形成による戦闘にくわえ、白善菀から教わったように、民衆とゲリラがむすびつかないよう、部隊の軍紀をきびしくし民衆の不安をやわらげる工夫に心をくだいた。
たとえば、畑のスイカ一つを徴発するのにもかならず代価をはらい、村内での小休止であっても村人の許可を取りつけることで、規律の良さと整った秩序を示し好感度を高めようとした。
こうして民衆とゲリラを切りはなし、ときには密林のなかで、ときには平地に追い出して、ときには海岸線にまで追いつめて、敵を包囲し集中砲火をあびせて殲滅していった。これによって錫元のひきいる部隊は、すこしずつではあるものの戦果を積みかさねていった。
これは メッセージ 1620 (toaniuniu05 さん)への返信です.
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Re: >佐藤大輔
投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/07/09 20:56 投稿番号: [1626 / 2847]
>>「斜め上の雲」完筆後は、『亡国の守護者』キボンヌ(笑)
>主人公は閔妃の配下で臆病にして高飛車、大言壮語にして残忍、とあの主人公の悪いとこどりでいきましょうか。
「閔妃の配下」・・・うぅ〜〜ん・・・むしろ「大院君の配下」の方がしっくりくるのでは・・・
で、「守原」が「閔氏」・・・
>しかし、あの副官はどうしようかなぁ?(苦笑)
本気トンムお気に入りの「ハ・リス」では、どうでっしゃろ?(笑)
>そうだ!何話か書いたところでほったらかしてしまえば佐藤大輔っぽくなるぞ!
私としては、「皇国・・・」も完結して欲しいですが、「レッドサン・ブラッククロス」も、復活して欲しいなぁ・・・
*「パシフィック・ストーム」は尻切れトンボだったし。
「地球連邦の興亡」「遥かなる星」「信長新記」も中途半端に止まったまま終わったし。
「平穣クーデター作戦」「鏖殺の凶鳥【おうさつのフッケバイン】」「東京の優しい掟」 は1冊完結ですが。
これは メッセージ 1623 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: >佐藤大輔
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/09 20:12 投稿番号: [1625 / 2847]
>相変わらず楽しみに読ませていただいています。私も佐藤大輔氏のファンなのです。(実は私はボードゲーム上がりなのでその頃から名前を知っていました。)
ありがとうございます。
以外と(?)佐藤氏を評価している方は多いものですね。(苦笑)
>佐藤氏の小説では福田定一氏やロバートハインライン氏等イフの世界のネタ的な話が結構あるのでそういった裏ネタも取り入れていただけるとうれしいですね。(まあそれはチャングムの方の話題かもしれませんが)
そういえば『征途』にはジェイムズ・ティプトリー・ジュニアことアリス・シェルドンも出演していましたね。中曽根康弘氏はレイテで戦死してたような。後藤田氏のほうは大活躍でしたが。
こちらも、誰か著名人をちょいネタで出せないものか検討してみます。
これは メッセージ 1624 (zwerg1211 さん)への返信です.
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Re: >佐藤大輔
投稿者: zwerg1211 投稿日時: 2006/07/09 19:23 投稿番号: [1624 / 2847]
東亜殿
相変わらず楽しみに読ませていただいています。私も佐藤大輔氏のファンなのです。(実は私はボードゲーム上がりなのでその頃から名前を知っていました。)
佐藤氏の小説では福田定一氏やロバートハインライン氏等イフの世界のネタ的な話が結構あるのでそういった裏ネタも取り入れていただけるとうれしいですね。(まあそれはチャングムの方の話題かもしれませんが)
これは メッセージ 1623 (toapanlang さん)への返信です.
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>佐藤大輔
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/09 18:18 投稿番号: [1623 / 2847]
>やはり、ベトナムは「征途」できましたか(笑)
うまいことエピソードがはまりましたので。
『斜め上の雲』開始前の段階で構想しておりました。しかし『征途』は、11、2年ほど前に立ち読みで読破しただけだったので、あらためてネットで探して購入しました。
>「佐藤大輔」繋がりで・・・
>「斜め上の雲」完筆後は、『亡国の守護者』キボンヌ(笑)
主人公は閔妃の配下で臆病にして高飛車、大言壮語にして残忍、とあの主人公の悪いとこどりでいきましょうか。しかし、あの副官はどうしようかなぁ?(苦笑)
そうだ!何話か書いたところでほったらかしてしまえば佐藤大輔っぽくなるぞ!
これは メッセージ 1622 (samurai_06_japan さん)への返信です.
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Re: 解説:斜め上の雲 55
投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/07/09 17:19 投稿番号: [1622 / 2847]
>元ネタは『征途』(佐藤大輔)
やはり、ベトナムは「征途」できましたか(笑)
>あまた横行する架空戦記の中ではほぼ唯一まともなものだと考えております。
ですねぇ・・・
他のモノは、レベルが・・・
あ、そうだ。
「佐藤大輔」繋がりで・・・
「斜め上の雲」完筆後は、『亡国の守護者』キボンヌ(笑)
これは メッセージ 1621 (toaniuniu05 さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 55
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/07/09 16:36 投稿番号: [1621 / 2847]
>錫元は、ヘリや車両にたよらず歩兵でじみちに戦線をつくり、確実におしてゆくという方法をとった。
「戦線をつくる?密林に塹壕でも掘るというのか」
と嘲笑する声もあったが、錫元は意に介さなかった。
たしかに、密林には塹壕で形成される古来の意味での戦線はつくれないであろうが、部隊の制圧地域にすきまができないようにし、完全に制圧したと判断できない場合は、そこに部隊を張りつければよい。
(海軍の対潜戦闘とおなじじゃないか)
潜水艦のひそんでいる海域をしらみつぶしに駆逐してゆくように、敵兵を完全に掃討したという確信が持てないかぎりは、そこで戦いつづけるべきである。
>ヘリボーンによる部隊の急速展開が、瞬時に要衝を制圧することができる有用な戦術であることには疑いをいれない。ただ、
(使い方がまちがっているのだ)
と、錫元はおもった。
ようやくこれを書けた。
元ネタは『征途』(佐藤大輔)で、ベトナム戦争に派遣された自衛隊一等陸佐の福田定一がとった戦術です。
この小説は、大東亜戦争後、南北に分断された日本の話ですが、あまた横行する架空戦記の中ではほぼ唯一まともなものだと考えております。
以前「ベトナム戦争で書きたいネタがひとつある」といったのはこれでした。サムライさんには花見オフでもお話したかもしれません。
以下原文。
≫(そして)
と、福田は思った。密林に戦線が張れないというのも誤解だ。確かにそこでは、塹壕で形成される古臭い戦線は造れないかもしれない。だが、足で敵を追う普通科部隊で制圧してゆくことは可能だ。要は、それらの部隊の制圧地域に隙間ができないようにしておけばよい。完全に制圧したと判断できない場合、そこに部隊を貼り付ければよい。
密林の制圧作戦は、駆逐艦による対潜戦闘(ASW)と同じだ。敵を叩き潰したと確信が持てない限り、そこで戦い続けさせるべきなのだ。
≫福田は、ヘリボーンによる部隊の急速展開――このヴェトナムの戦いで発展した戦術について疑問を抱いていた。空中機動そのものが間違っているというのではない。使い方が間違っていると考えている。
これは メッセージ 1620 (toaniuniu05 さん)への返信です.
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斜め上の雲 55
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/07/08 22:01 投稿番号: [1620 / 2847]
ベトコンは、米軍が得意とする索敵撃滅(サーチ&デストロイ)作戦にもなれてきた。最初は、このアメリカ軍のヘリによる移動と攻撃にはベトコンもおどろいたようであったが、かれらは武器を隠し農民に擬装し、さらに密林内にはりめぐらした地下道にもぐるようになってからは、たんなるイタチごっこになって通じなくなった。
米軍と南ベトナム政府軍は無辜の民衆に犠牲者が出ようとも砲弾を盲射するしかなかった。民間人は巻き添えをくらい米軍と南ベトナム政府を憎むようになった。しぜんゲリラへの共感がおこりその工作も浸透していった。
「弾を撃つごとに敵が増える」
と、かれらは自嘲しながらも、効果的な戦術を見いだせずにいた。
(日本軍ならもっとうまくやる)
錫元はそうおもった。
もっとも、大東亜戦争における日本軍もゲリラ討伐を得意としていたというわけではない。しかし密林での戦い方は米軍よりまさっていた。
ここで日本軍の戦史をまなんだ経験がいきてくる。
錫元は、ヘリや車両にたよらず歩兵でじみちに戦線をつくり、確実におしてゆくという方法をとった。
「戦線をつくる?密林に塹壕でも掘るというのか」
と嘲笑する声もあったが、錫元は意に介さなかった。
たしかに、密林には塹壕で形成される古来の意味での戦線はつくれないであろうが、部隊の制圧地域にすきまができないようにし、完全に制圧したと判断できない場合は、そこに部隊を張りつければよい。
(海軍の対潜戦闘とおなじじゃないか)
潜水艦のひそんでいる海域をしらみつぶしに駆逐してゆくように、敵兵を完全に掃討したという確信が持てないかぎりは、そこで戦いつづけるべきである。
他の軍人にはなぜその程度のことがわからないのか。そうおもったとき、錫元の脳裏に苦さとおかしさがうかんだ。
(ウリナラには、海軍を知るものはいなかったな)
「歩兵の本領とはなにか、それを思い出すことだ」
錫元は、将兵にそう説明した。ほんらい歩兵とは二本の足ですすみ土地をかせいでゆくものである。ヘリボーンによって出撃と引き上げを繰り返すのは、その最大にして唯一の利点をみずから捨て去る愚行であり、それはむしろ騎兵の任務である。
ヘリボーンによる部隊の急速展開が、瞬時に要衝を制圧することができる有用な戦術であることには疑いをいれない。ただ、
(使い方がまちがっているのだ)
と、錫元はおもった。現状を鑑みれば、いまベトナムで必要とされているのは電撃戦ではなく徹底した殲滅戦である。
革命を標榜し民間人を巻きこんで盾とすることで、民間人の被害の増加と厭戦気分の醸成をはかって国家の基盤から掘り崩してゆくベトコンゲリラ――実体はどうみても北ベトナム軍の擬装もしくは傀儡なのだが――を撃破するのではなく、ゲリラと民衆を分離して、前者を徹底的に駆除することこそが戦略目的であるはずであった。
錫元はみずから先頭に立って、金錫源からもらった日本刀をふるって指揮し銃弾が飛んできてもひかなかった。士気も軍紀も緩みがちな友軍に引きずられないようにするには、そうするしかなかった。
これは メッセージ 1615 (toapanlang さん)への返信です.
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大使激怒!!!ヒロシマ原爆を笑う韓国人
投稿者: yakumaru5555 投稿日時: 2006/07/08 21:52 投稿番号: [1619 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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Re: LEDの信号
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/07/08 19:51 投稿番号: [1618 / 2847]
>南は南で信号のゆーことなんざ聞きそうにない民度の連中ですからねぇ
信号事情を想像するだけで笑えます。
赤マンゴウさんやインプさんもおっしゃっていたとおもいますが、ほんとシャレにならんレベルです。信号なんて信じるもんじゃないです。
交通量の多少によっては、公共のバスすら信号を無視しますから。いわゆる「ガクブル」もんなんです。
こちら大阪では、「青は進め、黄色は走って進め、赤は注意して進め」なんてネタにして言われたこともありますが、韓国サマの足元にも及びませぬ。
>南にはエジソンが発明した電球って伝わってるんでしょうか?(おおわらい
かたちだけをパク、もとい真似ることは得意なんですがねぇ・・・・・・かんじんの中身は・・・・・・。
電球は伝わっても、文明と脳内を照らすことはできなかったのかなぁ。
これは メッセージ 1617 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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LEDの信号
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2006/07/08 17:04 投稿番号: [1617 / 2847]
気がつけば、身の回りの信号のほとんどがLEDになってます。
たまぁに見る電球(?なんだろうなぁ)の信号にのすたるじぃを感じたりします。
北には信号らしい信号なんて必要ないでしょう
南は南で信号のゆーことなんざ聞きそうにない民度の連中ですからねぇ
信号事情を想像するだけで笑えます。
南にはエジソンが発明した電球って伝わってるんでしょうか?(おおわらい
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 54
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/07 20:11 投稿番号: [1616 / 2847]
>兵士たちの酸鼻きわまりない所業も問題ではあったが、それ以上に問題であったのは強姦の横行であった。進駐した農村では年齢にかかわらず女性を襲った。
ぶっちゃけた話、韓国軍の派遣は、
「We’re Only In It For The Money」――By
Mothers
タイトルもジャケットもペッパー軍曹のパロディですた――だったわけですから、兵士たちのよるべき大義がみえない。「無名の師」ってやつですかね。士気もモラルも保ちにくいですわな。
>錫元は軍規にそむいたものを容赦なく処罰した。死刑を執行するさいはかならず公開処刑とした。
「あまりにも非情すぎる」
という声もあったが、無視した。処刑したといってこっそり韓国に送還したのではないか、という疑いをふせぐためである。
軍規違反者の公開処刑は、『銀河英雄伝説』4巻、フェザーンを電撃占領したミッターマイヤーの行動が元ネタです。以下原文。
≫激怒したミッターマイヤーの命令で、ただちに犯人は捜しだされた。「疾風ウォルフ」は被害者に謝罪し、指環を返すとともに、三名の犯人に対しては、軍司令官としての権限をもって死刑を宣告した。
サンテレーゼ広場において公開処刑がおこなわれた。これは残酷なようでもこうせねばならないのである。処刑を実行しなければ、軍規に対する占領地住民の不信を買うし、処刑を秘密におこなえば、じつはひそかに逃亡させたのではないか、との疑惑をいだかれる。
>他の部隊からはかれを批判する声があがった。
とくに先任にあたる他の連隊長はうるさく、
「シッパル、お前、無駄に厳しすぎるではないか。身内をやさしくかばうのが韓民族の美徳ぞ」
と、机をたたいて怒号する者もあったが、錫元は屈しなかった。腰の軍刀を左手でぐっとおさえ、鯉口を切って、相手をにらみつけ、
「法秩序なくして軍をたもてるとお思いか」
とだけいった。
元ネタは3巻、山本権兵衛が日清戦争に先立って海軍のリストラをおこなう場面です。以下原文。
≫とくに薩摩出身の先輩はうるさく、
「小僧(にせ)、おはん、僭上越権ではないか。一大佐の身で中将少将の首を切ってよいのか。国家の秩序もなにもあったものではない」
と、卓をたたいて怒号する者もあったが、権兵衛は屈しなかった。懐中に短刀をしのばせ、たださえ凄味のある目つきを、豹のように光らせて容赦なく宣告した。「薩の海軍」は、薩人山本権兵衛の手で事実上ほうむられたといっていいであろう。
これは メッセージ 1615 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 54
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/06 21:17 投稿番号: [1615 / 2847]
兵士たちの酸鼻きわまりない所業も問題ではあったが、それに加えて問題であったのは強姦の横行であった。進駐した農村では年齢にかかわらず女性を襲った。
また後方では、避妊処置をしないまま売春婦に接したため、のぞまぬ妊娠と性病がはやり、多数の混血児がうまれた。
「これがわが韓国軍なのか」
暗澹たるおもいで錫元はつぶやいた。かれは軍紀には厳しかった。朝鮮戦争で北朝鮮軍のふるまいをみてきたせいである。
ところが目の前の光景はどうであろう。太極旗のもとに信じがたい行為がまかりとおっている。
「わたしたちはベトナム人を守るためにきたのであって、虐待するためにきたのではない」
錫元は軍規にそむいたものを容赦なく処罰した。死刑を執行するさいはかならず公開処刑とした。
「あまりにも非情すぎる」
という声もあったが、無視した。処刑したといってこっそり韓国に送還したのではないか、という疑いをふせぐためである。
他の部隊からはかれを批判する声があがった。
とくに先任にあたる他の連隊長はうるさく、
「シッパル、お前、無駄に厳しすぎるではないか。身内をやさしくかばうのが韓民族の美徳ぞ」
と、机をたたいて怒号する者もあったが、錫元は屈しなかった。腰の軍刀を左手でぐっとおさえ、鯉口を切って、相手をにらみつけ、
「法秩序なくして軍をたもてるとお思いか」
とだけいった。
米韓軍はゲリラの前に苦戦している。
(やりかたがまちがっている)
錫元はそうおもわざるをえない。
ゲリラ討伐はゲリラと住民を切りはなすのが要諦である。これは満州軍時代に匪賊討伐で大功をたてた白善菀から教えられた大原則であった。
イギリスはマレーシアで華人ゲリラを討伐するさいに「戦略村」をつくった。これはゲリラの浸透できない農村を育成し、ゲリラの活動範囲を狭めてしめあげていくものであり、大きな効果があった。
むろん、アメリカもそれを踏襲はした。
しかし、イギリスが共産党勢力の手のとどかない地域から積み木をすこしずつ積みあげるようにゆっくり農村を建設していったのにたいし、アメリカはいきなり前線近くに建設し、農民の強制移住をともなうなど性急にすぎた。
さらには、農民に支給されるべき物資資金が、南ベトナム政府の腐敗役人によって着服されたため農民の反感をかい、じゅうぶんな効果をあげることはできなかった。
これは メッセージ 1612 (toapanlang さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 53
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/05 21:50 投稿番号: [1614 / 2847]
ベトナムの近現代史の概観です。
>一八八四年のフエ条約によって、ついにフランスの保護国となったため、宗主国を自認する清とフランスの間に戦争がおこり、その結果結ばれた天津条約において完全にフランスの植民地と化した。
いわゆる清仏戦争です。
秘密結社「天地会」の成員で太平天国に参加したあと、ベトナムに寄宿していた劉永福は「黒旗軍」を率い清の唐景粔と協力して、フランス外人部隊と激戦を繰り広げ壊滅的打撃をあたえました。
講和後、劉は広東省南澳総兵となり、日清戦争後、『台湾民主国』総統に推戴された台湾巡撫唐景粔の招聘によって台湾で日本軍と戦います。適当に抗戦してさっさと支那大陸に退却したとも、最後までしぶとく戦いつつ退却したともいいます。後者は、台南の延平郡王(鄭成功)祠に併設の博物館パンフの説明によります。
劉はのち、1917年の大隈内閣の対中二十一ヶ条に反対する運動を準備中に死去したといいます。享年80歳。
田中芳樹なんかは彼をえらく評価しておりますが、私は痛快無比な「冒険野郎」「喧嘩屋」としておもしろくながめているだけです。
フランス軍と戦ったベトミンに日本軍人が参加していたことはようやく広く知られるようになってきました。ネットのお陰です。
第三十四独立混成旅団の井川省少佐は、ベトミンの参謀としてとどまり、陸軍士官学校を創設しました。フランス軍の伏兵にあって戦死した彼のベトナム名は「レ・チ・ゴ」です。ほかにも多くの日本軍人がベトナム独立のために戦っております。
元記事が消えているようなので、孫引きになってしまいますが、
http://toron.pepper.jp/jp/epi/vietj.htmlこういうのもありました。
http://www.tkfd.or.jp/publication/reserch/chikara19_8.shtmlこれらの記事に出てくる井川一久氏は、ベトナム戦争当時、解放勢力の正体がコミュニストであり、日本ではそのことがじゅうぶんに報道されてこなかったことをある程度看破しながら、統一後のかれらの「粛清」について甘い見通しを持ってもおり(『朝日ジャーナル』一九七五年六月六日号「革命とは何か
その人間模様」)、対談相手の開高健に否定されていました。
そういったことを考えると、七五年生まれである筆者は、井川氏の転向(?)と努力になにやら隔世の感を感じたりします。
>赤ん坊の股を裂いてもてあそんだ、といううわさもきいた。
本多勝一の『戦争と民衆』ではこの蛮行は否定されていました。
これは メッセージ 1612 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 斜め上の雲 53
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2006/07/05 06:45 投稿番号: [1613 / 2847]
安倍さん曰く
「基本的に中国・韓国以外の国とは上手くいっている」
言っちゃった(おおわらい
TBSで流れました。
北朝鮮は眼中にもない様子(さらにおおわらい
こーゆーコメントを広く世間に行き渡らせたいものです。
これは メッセージ 1612 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 53
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/04 14:18 投稿番号: [1612 / 2847]
十九世紀にベトナム全土を統一した阮(グェン)氏王朝は、清の嘉慶帝から印綬をさずけられ越南という国名も承認してもらっていたが、統一にフランスの力を借りたことからその干渉をまねくようになった。
一八八四年のフエ条約によって、ついにフランスの保護国となったため、宗主国を自認する清とフランスの間に戦争がおこり、その結果結ばれた天津条約において完全にフランスの植民地となった。
爾来、フランスの支配は一九五四年五月、越南独立同盟(ベトナムドックラップドンミン)通称ベトミンの攻勢によりフラン軍がディエン・ビエン・フーで降伏するまで七十年にもおよんだ。
五四年七月にジュネーブで結ばれたインドシナ停戦協定により、ベトナムは北緯十七度線を境として南北に分割され、五六年までに南北統一のための総選挙をおこなうとされた。この点、朝鮮半島と同様である。
また、北では共産党、南では反共勢力が権力を掌握して結局総選挙がおこなわれず、南北分断をまねいたのも同様である。
南では、圧政の打倒と革命をもとめる南ベトナム解放民族戦線が蜂起を繰りかえした。六四年八月、南ベトナムの同盟国であるアメリカは、解放戦線の実態は北ベトナム軍であり同盟国への明白な戦争行為だとしてついに参戦した。
ベトナムの韓国軍は、火器とヘリに依存する米軍とちがい、洞窟の奥までもくまなく分けいってゲリラを捜しもとめ、銃が使えない環境ならナイフでゲリラを討つ、という徹底した掃討作戦を展開していた。
民間人であってもゲリラの疑いがあれば殺された。ゲリラの多くは民間人に偽装し、物かげから狙撃してきたり村の中にトラップを仕掛けたりするなど正規軍にとってなやましい戦術を使いつづけたせいである。
それを考えれば民間人でもうたがってかからざるをえない。動く人影をみさかいなく虐殺しているだけにしかみえないが、米軍の戦術を忠実になぞり、はるかに徹底的におこなったものであるともいえる。むろん、その戦術の当否について免責することもできないのだが。
ついには、村に入るとゲリラと民間人を峻別することなく殺害するようになった。そういった疑念の昂じた強迫神経症の果てが、有名な米軍の「ソンミ虐殺」であったともいえる。
赤ん坊の股を裂いてもてあそんだ、といううわさもきいた。さすがにこれは誤聞であったようだが、かれらに対するひとびとの感情がそのような物語をつくりだしたということは否定できない。
これは メッセージ 1610 (toaniuniu05 さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 52
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/07/03 11:25 投稿番号: [1611 / 2847]
「民弊」については白善菀の著書が元ネタです。どうも朝鮮語ではよくつかうことばらしいです。
ゲリラ討伐についての白善菀の主張は、彼の回顧録『若き将軍の朝鮮戦争』を元ネタにしています。
>華秉がうまれたとき家計が貧窮をきわめ(いまもそうだが)、父の信五が、このあかん坊は海外養子にでもやらにゃどもならん、といったのを、陸軍中佐に昇進していた錫元が「外国にやってはいけませぬ。わたしの給料で、ハモニカ・カルビほどお金をおつくりいたします」といったのだが、むろん華秉はそんなことを理解できる年齢ではない。ただものめずらしそうに錫元を見上げている。
>「まだまだ金を送りますので、華秉をうえの学校にやってくださいませ」
錫元は、「父上さま、これはお願い申しあげます」と真顔でいった。華秉を助けてやってくださいといった中佐のときの言葉を、錫元は大まじめでまもろうとしていた。
元ネタは、1巻、士官学校時代の好古が帰郷したときの話です。以下原文。
≫「逃がさんぞな。兄(あに)さんにあいさつお申し。あの兄さんは兄さんであるだけでなしにお前にとっちゃ命の恩人ぞな」
(それがいやなんじゃ)
と、真之はおもった。真之がうまれたとき家計が貧窮をきわめ(いまもそうだが)、父の久敬が、このあかん坊は寺ィでもやらにゃ育てられん、といったのを、十歳になった好古が「寺ィやっちゃいやぞな。おっつけうちが勉強してお豆腐ほどお金をこしらえてあげるけん」といったということを真之は両親からさんざんきかされてきた。
(中略)
「二年経ってあしが少尉になると、淳は小学校を出る。金を送るけん、淳を中学に入れてやってくだされ」
好古は、「父さんこれは約束ぞな」と真顔でいった。真之を助けてやってくれといった十歳のときの言葉を、好古は大まじめでまもろうとしていた。
これは メッセージ 1610 (toaniuniu05 さん)への返信です.
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斜め上の雲 52
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/07/03 01:54 投稿番号: [1610 / 2847]
白善菀は、
「民弊」
ということばをしきりにつかった。
民に負担をかけて弊(つい)えさせることをさすが、たんに他者に迷惑をかけることもいう。どうやら朝鮮語ではよくつかわれることばであるらしい。
かれによれば、軍隊が民間人から物資を購入するときや民家を宿舎として借りあげるときに、正当な代価をはらわないことも当然民弊にあたるという。
「水一杯でもただで飲むな」
とまでいった。
民衆は、軍服を着て兵器を持った将兵が往来するのをみるだけでも重圧を感じる。その重圧もまた民弊であるという。そのため民衆の前ではできるだけ笑顔でおだやかにふるまうべきだといった。
ゲリラは硬軟とり混ぜた戦術で民衆をおどし、すかし、おだてて、かれらを支持せざるをえない状況に追いこむ。その状況を察せず単に匪賊への協力者として断罪すれば、ますます信をうしなうことになる。
けっして民衆をゲリラのがわに追いやってはならない。白はそう断言した。
「民衆とゲリラを切りはなすことができれば六割方は成功だ」
この点については、白は確信をもっている。
錫元は出征をひかえて一度帰郷した。実家では末弟金華秉が一歳になっている。
華秉がうまれたとき家計が貧窮をきわめ(いまもそうだが)、父の信五が、このあかん坊は海外養子にでもやらにゃどもならん、といったのを、陸軍中佐に昇進していた錫元が「外国にやってはいけませぬ。わたしの給料で、ハモニカ・カルビほどお金をおつくりいたします」といったのだが、むろん華秉はそんなことを理解できる年齢ではない。ただものめずらしそうに錫元を見上げている。
「父上さま、約束どおりお金をこしらえることができました」
大佐になり、今回の出征で連隊長にもなったため、いくばくかの手当もつくようになったのである。また、他の弟たちも就職が決定したので学資負担も減った。これで、かつて約束したように華秉の養育のためのお金ができた。
「まだまだ金を送りますので、華秉をうえの学校にやってくださいませ」
錫元は、「父上さま、これはお願い申しあげます」と真顔でいった。華秉を助けてやってくださいといった中佐のときの言葉を、錫元は大まじめでまもろうとしていた。
「ベトナムとはどんなところだ」
父信五はたずねた。多くの韓国人にとっては縁のない土地であろう。錫元にしても、暑いところだというくらいしか知識はない。
「暑いのか。それではキムチが保たんだろうなぁ」
残念そうに信五は首をふった。
これは メッセージ 1608 (toapanlang さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 51
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/02 15:51 投稿番号: [1609 / 2847]
>七一年春、大佐になった錫元は第十四連隊長に補任され、ベトナムへの出征を命じられた。
実際には、韓国軍に第四・第十四連隊は存在しません。
建国直後にはあったのですが、第四連隊には南労党の工作員が多数入り込んでほぼ赤化してしまい、さらに第四連隊から供出した人員を基幹として編成した第14連隊もそうなりました。
一九四八年十月、彼らは麗水、順天で反乱を起こし、白善菀らに鎮圧されます。
それ以降、日本語と同じく「四」は「死」に通じ縁起が悪い、ということもあって、この2つの不名誉な連隊は欠番となりました。
>出征にあたって、錫元は隠棲中の金錫源をたずねた。
金錫源久々の出番です。軍刀をいただきにまいりました。(笑)
>次にたずねたのは白善菀のもとである。
白は整軍による退役後、すぐに駐中華民国大使に任じられ、その後駐フランス大使、駐カナダ大使をつとめたのち交通部長官となり、ソウルの地下鉄導入に功績があった。
白善菀は39歳で退役後、本文で書いたようにすぐ外交官畑を歩んだのですが、当時の韓国は各国に大使館を置けるほど豊かではなく、複数の大使を兼任させており、フランス大使のときは、スペインをはじめ17カ国の大使を兼任したそうです。
また、中華民国大使のときは、日本公使ばかりか、白団とも多少のつきあいがあったようです。
これは メッセージ 1608 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 51
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/01 19:10 投稿番号: [1608 / 2847]
七一年春、大佐になった錫元は第十四連隊長に補任され、ベトナムへの出征を命じられた。
出征にあたって、錫元は隠棲中の金錫源をたずねた。
「ベトナムか」
金錫源は複雑な笑いをうかべた。
「われわれもそうだが、中華帝国の周辺国はなにかと苦労がたえぬものだ」
支那が共産主義であってもなかってもその点はさほどかわるまい、という。
「このあいだに北韓が攻めこんでくる心配はないのでしょうか」
錫元の気がかりはそこにある。最近は武装ゲリラの侵攻がたびたびあり、民間にも被害が出ている。
在韓米軍もすくなからず転出してベトナムに派兵されている。韓国軍もかつて金錫源がひきいた首都師団(猛虎師団)や白馬師団といった精鋭を派兵している。
もし、北朝鮮軍が三十八度線に攻勢をかける一方で、同時に特殊部隊を沿岸部に上陸させて後方攪乱をすればどうなるであろう。
「まず大丈夫だろう」
後ろ盾の中ソがアメリカと同じくベトナムにかかりきりであるから攻勢にはでてこまいという。中ソ自体も対立しているし、中国国内は文化大革命で混乱している。
「アメリカが惨敗すればどうなるかはわからないが」
そうなれば、ベトナムだけではなく、導火線に火がつくように東南アジア諸国に共産主義革命運動がつぎつぎとおこるであろう。しぜん、国際関係の均衡が東側に大きくかたむき、北朝鮮も武力統一について成算をもつようになる。そのためにもベトナムでは負けてはならない。
金錫源のもとを辞するさいに、金は表までみおくってくれたばかりか、
「元、これをもってゆけ」
といって錫元に軍刀を手渡した。朝鮮戦争でふるったあの日本刀であり、日本軍時代からこれまでいちども離さなかったものである。
「将軍、それは」
――錫元は金錫源を日本語発音の『しょうぐん』とよぶ――分にすぎます、と困惑する錫元をさえぎっていう。
「軍人のたましいはつねに戦場にあるべきだ。だからこれをわしだとおもって戦場に出してくれ」
錫元は息をととのえ背筋をのばした。
「わかりました。将軍のたましいをおあずかりします」
次にたずねたのは白善菀のもとである。
白は整軍による退役後、すぐに駐中華民国大使に任じられ、その後駐フランス大使、駐カナダ大使をつとめたのち交通部長官となり、ソウルの地下鉄導入に功績があった。
この当時は交通部長官の職を辞したばかりで、いわば浪人であった。
「敵はゲリラが主力とききましたので、ぜひ閣下のお知恵を拝借したいです」
錫元の言葉に白はほほえんだ。
「わしがもう少しがんばっておれば金日成は地上にいなかった。惜しいことをしたものだ」
かれのいうのは朝鮮戦争のことではなく、満州軍時代の匪賊討伐をさす。
満州軍時代、かれが間島特設隊として匪賊を討伐していたことは前にふれた。抗日ゲリラ時代の金日成もこの軍に追いまわされてかろうじてソ連に脱出したという。
これもすでにふれたが、経歴をみればわかるように、不正規軍との交戦や情報戦などにたけていた。そのかれに教えを乞いたいというのである。
これは メッセージ 1604 (toapanlang さん)への返信です.
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でずにぃらんど はともかくも
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2006/07/01 07:05 投稿番号: [1607 / 2847]
こっちは実現可能でしょうか?
ネタがネタですし(おおわらい
ウォード選手のテーマパーク、韓国内に建設へ
【ソウル30日聯合】米ナショナル・フットボールリーグ(NFL)の最優秀選手(MVP)にも輝いた韓国系米国人のハインズ・ウォード選手の名を付けた大型テーマパークが、国内に建設される見通しだ。
米州韓国日報は30日、ウォード選手が創立した法人MVP86のリーディングパートナーを務める在米韓国人投資会社インフィニティー・アトラクションのイ・チョンヨン代表の言葉を紹介し、「韓国にディズニーランドの4倍の大きさに当たる50万坪規模の複合レジャー施設の建設を推進している」と報じた。
MVP86によると、テーマパークの名称は「ハインズ・ウォード
スポーツ&エンターテインメントパーク」。現在、京畿道や仁川市などと敷地問題について調整を行っている。建設予算は8億ドルで、既に初期費用2億ドルのファンドを造成した状態。施設内にはゴルフ場、プール、テニス場など各種スポーツ施設のほか、映画館やゲームセンターなどを設置、家族向けレジャー空間にしたい考えだ。
イ代表は、早ければ7月末までに敷地問題を整理し、8月初めに建設に関する記者会見を開くとしている。
(YONHAP NEWS) - 6月30日17時25分更新
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 50
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/30 19:02 投稿番号: [1606 / 2847]
トピ主様の言うとおり、ところどころ小ネタを仕込んでいます。(笑)
元ネタは1巻です。以下原文
≫余談ながら、私は日露戦争というものをこの物語のある時期から書こうとしている。
小さな。
といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。
その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫を後世の日本人は食いちらしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。いまからおもえば、ひやりとするほどの奇蹟といっていい。
その奇蹟の演出者たちは、数え方によっては数百万もおり、しぼれば数万人もいるであろう。しかし小説である以上、その代表者をえらばねばならない。
その代表者を、顕官のなかからはえらばなかった。
一組の兄弟にえらんだ。
すでに登場しつつあるように、伊予松山のひと、秋山好古と秋山真之である。この兄弟は、奇跡を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。
たとえば、こうである。ロシアと戦うにあたって、どうにも日本が敵しがたい者がロシア側に二つあった。一つはロシア陸軍において世界最強の騎兵といわれるコサック騎兵集団である。
いまひとつはロシア海軍における主力艦隊であった。
運命が、この兄弟にその責任を負わせた。兄の好古は、世界一脾弱(ひよわ)な日本騎兵を率いざるをえなかった。騎兵はかれによって養成された。かれは心魂をかたむけてコサックの研究をし、ついにそれを破る工夫を完成し、少将として出征し、満州の野において悽惨きわまりない騎兵戦を連闘しつつかろうじて敵をやぶった。
弟の真之は海軍に入った。
「智謀湧くがごとし」といわれたこの人物は、少佐で日露戦争をむかえた。
それ以前からかれはロシアの主力艦隊をやぶる工夫をかさね、その成案を得たとき、日本海軍はかれの思想を信頼し、東郷平八郎がひきいる連合艦隊の参謀にし、三笠に乗り組ませた。(中略)
この兄弟がいなければ日本はどうなっていたかわからないが、そのくせこの兄弟が、どちらも本来が軍人志願でなく、いかにも明治初年の日本的諸事情から世に出てゆくあたりに、いまのところ筆者はかぎりない関心をもっている。
これは メッセージ 1604 (toapanlang さん)への返信です.
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>金華秉(キム・ファビョン)
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2006/06/30 18:49 投稿番号: [1605 / 2847]
こっそりネタが入ってるんだからもう(笑)
油断がなりません。
>「詭弁息をするがごとし」
おおわらい
これは メッセージ 1604 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 50
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/30 17:30 投稿番号: [1604 / 2847]
余談ながら、私は大韓民国の歩みというものをこの物語で書こうとしている。
小さな。
といえば、朝鮮戦争直後の韓国ほど小さな国はなかったであろう。日本の残したインフラもほぼ灰燼に帰し、日本の教育を受けた人材がいたとはいえ、指導層は自称革命家あがり――ややもすればごろつきとかわりない――で政治ばかりか経済もわからないものたちで占められていた。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめて自分たちが主役となって近代国家を建設するため、朝鮮の旧習と血みどろの対決をしたのが、漢江の奇跡である。
その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫をいまの韓国人は食いちらしていることになるのだが、とにかくこの当時の韓国人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして労苦をおしまない努力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。現実をみる目をうしなって民族至上主義の陥穽にはまって堕落したいまからおもえば、とうてい考えられないほどの奇蹟といっていい。
その奇蹟と堕落の演出者たちは、数え方によっては半万人もおり、しぼれば三十六人もいるであろう。しかし小説である以上、その代表者をえらばねばならない。
その代表者を、顕官のなかからはえらばなかった。
一組の兄弟にえらんだ。
すでに登場したように、坡州金村のひと、金錫元(キム・ソクウォン)と金華秉(キム・ファビョン)である。この兄弟は、奇跡と堕落を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。
たとえば、こうである。韓国が近代化するにあたって、どうにも克服しがたいものがかれら自身のなかに二つあった。一つは現実を鑑みることなく理想のみを唱える観念主義である。
いまひとつは精神面におけるウリナラマンセーであった。
運命が、この兄弟にそれらとの対決を強いた。兄の錫元は、軍人として世界一脾弱(ひよわ)な朝鮮民族のリアリズムを鍛えざるをえなかった。軍事における観念主義はかれによって破壊された。かれは心魂をかたむけて軍事史の研究をし、ついに現実に即した作戦をみちびきだす工夫を完成し、ベトナム戦争には大佐として出征し、メコンデルタの密林において苦心惨憺たる殲滅戦を連闘しつつ敵をやぶった。
弟の華秉は中途で軍を退役し政治の世界に入った。
「詭弁息をするがごとし」といわれたこの人物は、政策シンクタンクの研究者として盧武鉉政権をささえた。
それ以前からかれは韓国を世界一とみる妄想をかさね、ウリナラマンセーを克服するのではなく、ぎゃくに発展させ、国家民族をそのなかにほうりこんだ。それによって韓民族至上主義の信念を得たとき、盧武鉉大統領はかれの思想と思考を信頼し、外交政策に参画させた。
この兄弟がいなければ韓国はどうなっていたかわからないが、そのくせこの兄弟が、どちらも本来が軍人志願でなく、いかにもそれぞれの時代の韓国的諸事情から世に出てゆくあたりに、いまのところ筆者はかぎりない関心をもっている。
これは メッセージ 1601 (toapanlang さん)への返信です.
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1億ウォンのプラチナタキシード登場
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/29 18:39 投稿番号: [1603 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 49
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/28 11:29 投稿番号: [1602 / 2847]
ベトナム参戦については、アメリカの足元を見てうまいことやったな、という感じです。
>「いっそ、海外養子にだそうか」
と、その懐妊中、当主の信五は後妻にいった。朝鮮戦争後の韓国では、養育者をうしなった戦争孤児を、国内ではなく海外に引きとってもらうということが多かった。戦災孤児が存在しなくなっても、海外への養子がたえることがない。
元ネタは1巻、真之を寺にやろうかという両親に対して、信さんが意見を述べるところです。
悲しいことに、現在でもあとを絶ちませんね。韓国の子供の「輸出」は。(溜息)
以下原文を。
≫それを、十歳になる信さんがきいていて、「あのな、それ、いけんぞな」と、両親の前にやってきた。由来、伊予ことばというのは日本でもっとも悠長なことばであるとされている。
「あのな、お父さん。赤ン坊をお寺にやってはいやぞな。おっつけウチが勉強してな、お豆腐ほどのお金をこしらえてあげるぞな」
ウチというのは上方(かみがた)では女児が自分をいうときに使うのだが、松山へいくと武家の子でもウチであるらしい。
「お豆腐ほどのお金」
というたとえも、いかにも悠長な松山らしい。藩札を積みかさねて豆腐ほどのあつさにしたい、と松山のおとなどもはいう。それを信さんは耳にいれていたらしい。
これは メッセージ 1601 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 49
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/27 21:46 投稿番号: [1601 / 2847]
朴正煕は経済発展に必要な外貨を獲得するため、なりふりかまわずあらゆる方策をつくしたといっていい。
建設ラッシュに沸く中東に労働者を投入し、西ドイツの鉱山には看護婦を派遣し、ベトナム戦争に韓国軍を参戦させた。さらには、妓生(キーセン)を養成し、韓国観光の目玉として外国人旅行客を集客しようとまでした。
アメリカは朴のベトナム戦争参戦要求をうとましくおもったが、結局承諾した。
太平洋戦争に勝利して好戦的気分が残っていた朝鮮戦争でさえ、
「極東の見知らぬ半島でアメリカの青年の血を流す必要があるのか」
という世論があった。今回の戦争は朝鮮よりさらに遠いベトナムである。しかも南ベトナム政府の腐敗ぶりは知れわたっていた。アメリカ国内ではこの戦争にたいする批判が大きくなっていった。
これ以上、自国の若者の血を流したくないアメリカとしては兵力がほしい。そこをみこして朴は派兵をもちかけたのである。
むろん、無料(ただ)ではない。経済開発に必要な借款の供与をもとめた。足元をみられたかたちであるがアメリカはそれをのんだ。
六五年、猛虎師団一万数千を派兵して本格的に参戦し、七三年の撤収まで、のべ三十一万人の兵力が派遣された。
この時期、中佐になっていた錫元は、戦史研究室から部隊指揮官に転じた。
クーデターによって成立した朴正煕政権は、信頼できる軍幹部が多くはなかったため、前政権下ではいわば閑職ともいえる場に身をおいて政争に関与せず、さらに政治に関心のないことが知られていた錫元を現場指揮官に登用したのであった。
また、このころ錫元は結婚をした。相手は幼なじみの文景福の末妹春香である。景福の父である士誠の熱心なすすめによった。
「元ほどええ男はおらん。うちのを任せられる」
士誠がそういってしつこくすすめたため、ついに錫元も承知した。
「まるで上官命令だったよ」
後年、錫元はそう笑った。
一方、金村の金家では異変があった。
錫元の下にすでに四人の子がある。その養育だけでも大変であるのに、一九七〇年、孟瓔玉の死後にむかえた後妻に男児がうまれたのである。
「いっそ、海外養子にだそうか」
と、その懐妊中、当主の信五は後妻にいった。朝鮮戦争後の韓国では、戦争で養育者をうしなった孤児を、国内ではなく海外に引きとってもらうということが多かった。ついでながらいうと、戦災孤児が存在しなくなってからも海外への養子はたえることがない。
それを、帰省中だった錫元がきいていて、「それはだめでございます」と、両親の前にやってきた。由来、朝鮮語というのは世界でもっとも長幼の序をやかましくいうことばであるとされている。
「父上さま、赤ン坊を外国にやってはいけませぬ。わたしの給料で、ハモニカ・カルビほどのお金をおつくりいたします」
朝鮮語では敬意をあらわすとき、日本人からみれば過剰かとおもえるほど相手に尊敬語をつかう。
「ハモニカ・カルビほどのお金」
というたとえも、いかにも韓国らしい。ハモニカ・カルビは骨が手のひらほど大きく、たっぷりぶあつい肉がついており、手にもってかじるすがたがまるでハーモニカを吹いているようにみえることに由来する。紙幣を積みかさねてそのカルビほどのあつさにしたいと、金村のおとなどもはいう。それを錫元は耳にいれていたらしい。
これは メッセージ 1598 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を笑う
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/27 17:35 投稿番号: [1600 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 48
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/26 16:14 投稿番号: [1599 / 2847]
2回目の司馬遼太郎出演です。
司馬が小説の執筆準備にかかると、その題材の関連書物を全て買い上げるため、古書店から消えてしまう、という逸話が元ネタです。
>ある古本屋の本棚の片隅でほこりをかぶっている書物をみつけた。「明治卅七八年日露戦史」という題名のそれは全十冊からなっており、ひじょうにぶあついものであった。どうやら日本陸軍参謀本部の編纂したものであるらしいが、目方で売る紙くず同然の値段であった。
この戦史については『坂の上の雲』のあとがきでもふれられています。昭和30年くらいに道頓堀の古書店で買ったそうですが、「目方で売る紙くず同然の値段」だったとのことです。
編纂委員は、将軍や参謀連中の圧力や期待で、失策や錯誤を書くことを許されず、いわば総花式記述で全員の功績だけを書くよう迫られたそうですが、それではとても成立しないため、功罪ともに書くことを放棄して、時間的事実と物理的事実だけを記述する羽目になり、そのせいで執筆責任者は青島守備隊司令官に左遷されたそうです。
小川琢治博士は、総司令部付で従軍して石炭獲得のための地質調査に当たっていたのですが、後年、青島の地質調査に派遣され、そこで左遷されていた戦史執筆責任者に会い、話を聞いたそうです。で、息子の貝塚茂樹博士や湯川秀樹博士にもそういった話や総司令部で聞いた乃木批判等の話をされたそうです。
これは メッセージ 1598 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 48
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/26 00:06 投稿番号: [1598 / 2847]
錫元が戦史資料の購入や研究のためたびたび日本にゆくことについては、繰りかえしふれている。
かれは日本にゆくたび、神田の古書街にはかならず足をはこんだ。古書を求めるだけでなく、元軍人や学者への聞き取り調査のため東京以外の地方にもおもむいた。
六七年の春ごろ、元軍人への聞き取りをおこなうため大阪にいったことがある。時間ができたため、かれは梅田の古本屋街をまわることにした。
ある古本屋の本棚の片隅でほこりをかぶっている書物をみつけた。「明治卅七八年日露戦史」という題名のそれは全十冊からなっており、ひじょうにぶあついものであった。どうやら日本陸軍参謀本部の編纂したものであるらしいが、目方で売る紙くず同然の値段であった。
(急いで買う必要もないか)
この日は、あいにく持ちあわせがすくなかった。今日は見てまわるだけにするかとおもい、日露戦争関係の本を見てまわった。購入にあたいする本が何冊かあり、明日買うことにしてホテルに帰った。
翌日、錫元はふたたび古書街におもむいたが、昨日めぼしをつけておいた日露戦争関係の書籍がことごとく消えていた。
「どういうことですか」
錫元の問いに、古本屋の店主はすまなさそうに答えた。
「すんません。昨日、日露戦争関係の書籍は全部買いあげるという注文がありまして」
徹夜で発送の手続きをすませたところだという。
(そんなばかな)
しかも、その店だけではなく、大阪そして東京じゅうの古本屋にその注文がされたという。
錫元はあきれるしかない。そのようなとんでもない注文をするのは、いったいどういう人物なのか。
「小説家ですねん。執筆の前にはかならずありったっけの本を買いあげてくれはるお得意さまですねや。ちょうどあそこに来たはりますわ」
店主の指差す方向をみると、向かいの古本屋の本棚のあいだにひとりの男がいた。老年というわけでもないのに頭髪がすべて白髪なのがひときわめだっている。
ややあって振り向いたその男の顔に、錫元は見覚えがあった。大東亜戦争中、釜山でであった迷子の頼りなさげな戦車隊長であった。
錫元は唯一売れ残っていた「明治卅七八年日露戦史」を買うしかなかった。
産経新聞に『坂の上の雲』という小説の連載がはじまったたのは翌六八年四月二十二日のことである。
これは メッセージ 1587 (toaniuniu05 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を笑う
投稿者: doronpa90 投稿日時: 2006/06/25 22:43 投稿番号: [1597 / 2847]
これは メッセージ 1596 (imp_mania_jk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1597.html
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