朝鮮を笑う

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斜め上の雲 47

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/06/22 23:12 投稿番号: [1587 / 2847]
  錫元は、世界じゅうの兵書という兵書を読もうとした。多くは陸軍兵書であった。かれは士官学校時代からそうであったが、戦術に陸と海のちがいはないという明確な態度をとっていた。
  支那の兵書である「孫子」「呉子」はくりかえして読み、欧米のものは戦史、戦術書をふくめ、ことごとくよんだ。
  それだけでなくて、支那や日本の剣術や格闘術のような武芸書まであさって読んだ。
「剣術や格闘術は個人的な武芸だが、その原理を抽出すると、軍理に応用できるものがある」
  と、つねにいった。
  韓国人の著書や資料はほとんど読まなかった。韓国に研究すべき価値のある戦史や研究書のたぐいがないことは、士官学校時代に知っている。
「ウリナラには世界に誇る忠武公がいるではないか。なぜ公にまなばん」
  というものもいた。忠武公とは李舜臣のおくりなである。

  この時期、こういう話がある。
  士官学校の同期生だった鮮于誼が錫元をたずねてきた。
「こういう本が海軍の図書部にあった」
  誼はそういって五、六冊の書物を差し出した。
「忠武公討倭大功記」
  というハングルで書かれた本であった。錫元の研究の参考になるかとおもったのである。
  李舜臣は李朝の将軍で、文禄・慶長の役のさい、水軍をひきいて戦い、豊臣軍の補給路をおびやかしてなんどか勝利をおさめ、最後は停戦の成立によって撤退中の島津軍を追い、逆撃をくらって戦死した。とくに近代以降、その事績はきわめて誇張されている。古今東西の海将の戦術をすべて李の発案に帰しているこの書物もそのたぐいであったのであろう。その内容はといえば、
「李舜臣が七星壇をきずいて祈ると、西北の風が吹き倭船を押しかえした」
「倭兵は停戦成立後にだまし討ちをかけてきたが、李舜臣はみごとにそれをやぶり、大将の石曼子は戦死した」
「世界中の海軍が李舜臣をたたえ、倭軍をやぶった鶴翼陣の戦法をまなんでいる」
  といったものであった。
(鬼面人をおどろかすたぐいのものだ)
  錫元は内心ひそかに哂(わら)った。李舜臣の戦術は、正面決戦をさけて敵の補給路を断つというきわめてまっとうなものであり、その教訓を引き出せればじゅうぶんであった。読み物として楽しいかどうかと、戦訓としての価値があるかどうかは別物であろう。

  ともかく、錫元はあらゆる兵書や資料をよむことで戦術の原理を抽出しようとした。その結果、日本陸軍の戦術を参考としてベトナム戦での独自戦術がうみだされた。
  ベトナム戦争といえば、戦後、鮮于が戦闘記録の編纂を命ぜられた。いちいちの戦闘の詳報を書くについては、錫元と相談したが、あるとき鮮于は、
「どうもこれらの戦術には日本陸軍のにおいがするようだ」
  と、笑いながらいった。
  錫元はわらって答えた。
「ソルロンタンは牛肉(ソコギ)からできるものだ」
  牛肉を煮こんでつくるスープのように、古今東西のあらゆる戦術を煮詰めてエキスを抽出したといいたかったのであろう。
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