朝鮮を笑う
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Re: 冷蔵庫の臭いには
投稿者: juwan_nim 投稿日時: 2006/08/02 13:59 投稿番号: [1676 / 2847]
>いま 一人で生活しているから
一人で?
離婚された?
>たまに 果物と卵が 入っているよ。
君、鶏だった?
一人で卵を産むの?
>冷蔵庫は 飲み物を冷やす以外 ほとんど必要が無い。
私は正常的な家庭のことを聞いている。
君のように非正常的な家庭は何処でもある。
これは メッセージ 1675 (assassinat_x さん)への返信です.
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Re: 冷蔵庫の臭いには
投稿者: assassinat_x 投稿日時: 2006/08/02 12:31 投稿番号: [1675 / 2847]
いま 一人で生活しているから
冷蔵庫には 飲み物以外 ほとんど 入っていない。
たまに 果物と卵が 入っているよ。
でも 結婚当時から使っているので 大きさは370L程度の 大きいもの。
(妻子は 関西に住んでいる)
冬は 冷蔵庫を 使わない。
近くに スーパーマーケットがあるから
冷蔵庫は 飲み物を冷やす以外 ほとんど必要が無い。
これは メッセージ 1671 (juwan_nim さん)への返信です.
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Re: 冷蔵庫の臭いには
投稿者: justina_eto 投稿日時: 2006/08/02 11:32 投稿番号: [1674 / 2847]
花瓶性清心疾患による
一方的断交宣言および数々の罵倒を伴う行為により
直接返答する義務を有しません
悪しからず
これは メッセージ 1672 (justina_eto さん)への返信です.
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Re: 冷蔵庫の臭いには
投稿者: juwan_nim 投稿日時: 2006/08/02 11:22 投稿番号: [1673 / 2847]
?????
其処も暑いでしょう?
!!!!!
私に直接話してくれ。
暑いからちょっと頭を使ってみよう。
冷蔵庫に像を入れる方法を言ってみろ。
1時間以内には解答できると思う。
これは メッセージ 1672 (justina_eto さん)への返信です.
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Re: 冷蔵庫の臭いには
投稿者: justina_eto 投稿日時: 2006/08/02 11:11 投稿番号: [1672 / 2847]
日本の冷蔵庫には…
韓流熱風で流された日本人の冷や汗と
韓国人の寒いギャグ
そして
特アに優しい政府・官僚・マスコミへの冷たい視線が
さらに冷やされているのです
いつか噴火する時を待ち望んで…(藁
これは メッセージ 1670 (dylake2r5j1 さん)への返信です.
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Re: 冷蔵庫の臭いには
投稿者: juwan_nim 投稿日時: 2006/08/02 10:30 投稿番号: [1671 / 2847]
韓国では冷蔵庫にキムチ、肉、魚、酒、卵等を入れますか、日本では何を入れるの?
キムチはキムチ冷蔵庫が有って殆どはキムチ冷蔵庫に入れます。
これは メッセージ 1670 (dylake2r5j1 さん)への返信です.
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冷蔵庫の臭いには
投稿者: dylake2r5j1 投稿日時: 2006/08/02 09:48 投稿番号: [1670 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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お待たせしております
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/08/02 09:46 投稿番号: [1669 / 2847]
実家帰省中&妹夫婦への取材&甥っ子のお守りにて、「斜め上の雲」掲載がお休み中です。
本日妹夫婦が韓国に帰るので、夜に掲載を再開します。
5日から2週間支那にゆくため、また長期のお休みになってしまうので、行く前にできるだけ多めに掲載しておくつもりです。
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 66
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/29 09:58 投稿番号: [1668 / 2847]
朴暗殺の描写については、さらっと書いて流すつもりでしたが、ちょうど趙甲済の『朴正煕、最期の一日』の翻訳版が出たので、それに多くを拠って書き直しました。
>この夜、青瓦台近くの安全家屋で、朴大統領は、金部長と大統領警護室長の車智茢、秘書室長の金桂元と酒宴をひらいていた。ほかには宴席のホステスをつとめた歌手の沈守峰と女子大生でモデルだった申才順がいた。
安全家屋は、韓国の家屋や料亭と同じく靴を脱いであがるもの(つまり日本と同じ)で、しかも宴会場は掘りごたつになっていました。
>金戴圭は、窮した。
狐は強い狐に追いつめられると、自分の脚を噛みちぎったりして自傷行為をするそうだが、金の場合もそれに似ていた。
ここの文章は、『この国のかたち
74
室町の世』の足利義教を暗殺した赤松満祐の心理描写からいただきました。
>金が宴席にもどると、朴らは沈守峰のギターにあわせて歌をうたっていた。金はしばらく飲食していたが、
「殺す」
しぼり出すように日本語で低くつぶやくと、右隣に座っている金秘書室長の肩を叩いてそっとささやいた。
「兄さん、閣下によくお仕えしてください」
金桂元へのインタビューによると、金戴圭は重要な発言などを強調するさい、日本語で言うくせがあったそうです。文章内で太字を使うようなもんかな?
>朴は背筋を伸ばしてあぐらをかいたまま雷のような声で叱責した。金は文字どおり雷鳴にうたれたかのようにからだをふるわせると、一瞬ためらったのち大統領を撃った。
「野獣の心で維新の心臓を撃った」
と、のちに金はいったが、本当のところはどうであったのだろう。つづいて二発めを撃とうとしたが弾が出ない。部屋の外へ走りでた。
何かの拍子で安全装置が下りてしまったのに無理やり撃鉄を起こそうとして、銃の故障と思いこんだ、という説が有力です。金桂元はインタビューで、自分が触って薬莢をつまらせたか安全装置を下ろしたと言っていますが、対面に座っていた申才順は否定しています。
また、趙甲済は『朴正煕、最期の一日』の中で、実際に射撃場でワルサーPPKを使って実験した結果、この銃は衝撃などで安全装置が下りやすいという欠点があり、それが原因と結論付けました。
金戴圭は車室長が銃を持っていると思い込んでいたので、反撃をおそれていったん部屋から逃げて銃を取りに行ったそうです。
これは メッセージ 1666 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 67
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/29 09:53 投稿番号: [1667 / 2847]
「閣下、だいじょうぶですか」
トイレに逃げこもうとしていた車警護室長がうめくようにいった。
朴は、さわぐこともなく静かにいった。
「おれは、だいじょうぶだ」
肺に血のはいる音がした。朴は、両隣に座っていた沈守峰と申才順に抱きかかえられるようにささえられていたが、申が朴の背中に手をまわすと赤い血がべったりとついた。金の放った銃弾は朴の胸を貫通していたのである。
「閣下」
こんどは沈がいった。
「おれは、だいじょうぶ・・・・・・」
朴の言葉は、そこでとぎれた。
申は朴の最期をよく覚えており、のちにこうかたっている。
「大統領は逃げもせず、哀願もせず、運命を受け入れたようにおもえました。そして淡々とあの言葉をいったのです。おまえたちは逃げろ、という意味だったようにおもえました」
消えていた照明がついたとき金戴圭が戻ってきた。手には腹心の朴善浩からもらったS&W三八口径のリボルバーがにぎられている。朴善浩らは指示どおり警護員たちを射殺しおえていた。
金は部屋の片隅で本棚を倒してそのかげにうずくまっていた車警護室長に近づいた。車は飛びかかろうとしたところを撃たれた。これがとどめとなった。
毒を食らわば皿まで、という。金はわずか五〇センチの至近距離から大統領の頭部に発砲し、その生死を確認することなくふたたび部屋を出ようとした。
そこにちょうど金秘書室長がもどってきた。
「なんということを」
しでかしてくれたのだ、といおうとして金秘書室長は口をつぐんだ。うかつに刺戟すればじぶんも撃たれる。
「兄さん、すべておわりました。あとはたのみます」
「わ、わかった」
この場を収拾するためにはうなずくしかない。それに金秘書室長ははやく殺人者の視界からのがれたかった。
かれの返答をきくと、金戴圭は上着も着ず裸足のままで安全家屋を飛び出した。
金部長が去った宴席には一人の死者と三人の生者、そしてまもなく死者の列に加わろうとする男がひとり、残された。
生者の一人である金桂元秘書室長は、死亡した車室長のまぶたに手をかけ瞑目させると、朴ににじり寄り抱き起こそうとした。まだ息はある。
金秘書室長は、朴を首都陸軍病院の大統領専用病室に搬送させた。
(まだ助かる可能性がある)
かれは事件をふせぐことができなかったという自責の念にかられていた。だが、病院へむかう車中、かれのひざまくらの上で朴の心臓は停止した。享年六十二歳であった。
奇しくも七十年前のこの日は、明治維新と朝鮮半島に大きくかかわったひとりの日本人がテロリストによって射殺された日でもあった。
これは メッセージ 1666 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 66
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/29 09:52 投稿番号: [1666 / 2847]
朴正煕は、中央情報部(KCIA)部長である金戴圭によって射殺された。
七九年十月二十六日夜のことである。
この夜、青瓦台近くの安全家屋で、朴大統領は、金部長と大統領警護室長の車智茢、秘書室長の金桂元と酒宴をひらいていた。ほかには宴席のホステスをつとめた歌手の沈守峰と女子大生でモデルだった申才順がいた。
ふだんは酒席では政治のはなしをしなかったがこの日はちがった。時局への対応について金部長と車室長が口論となったのである。
当時労働争議が激化し、学生による反政府デモも頻発しており、それらに対して強硬姿勢をとることを主張していた車室長と穏健路線を主張する金部長は大統領の前でも口論をしていた。大統領は車室長の強硬姿勢を評価していたが、宥めにかかるのがつねであった。
だがこの日、朴は車室長の論をおおいにほめ、反政府学生らが釜山の米国文化館を占拠した事件について金部長の責任を追求した。車もそれに和して批判を加えてきた。酒のせいもあってかれらの口吻はとげとげしく、金桂元はなんどか話題をかえようとしたがむだであった。
金戴圭は、窮した。
狐は強い狐に追いつめられると、自分の脚を噛みちぎったりして自傷行為をするそうだが、金の場合もそれに似ていた。
いったん席を辞した金部長は、離れた本館にある執務室にゆきワルサーPPKを懐に入れてもどってくると、廊下に腹心の朴興柱秘書官と朴善浩儀典課長をよび、
「きみたちは部屋の前に控えろ。もし銃声がしたらそれは車警護室長の謀反である。警護員たちも一味だ。ただちにかれらを殺せ」
と命じた。その面相が尋常ではなかったため二人は翻意するよう説得したが、不可であることを知るとうなずくしかなかった。
金が宴席にもどると、朴らは沈守峰のギターにあわせて歌をうたっていた。金はしばらく飲食していたが、
「殺す」
しぼり出すように日本語で低くつぶやくと、右隣に座っている金秘書室長の肩を叩いてそっとささやいた。
「兄さん、閣下によくお仕えしてください」
金戴圭は士官学校時代から金桂元に兄事していた。金秘書室長がふりむいたとき、かれはすでに拳銃をぬいていた。
「閣下!こんな虫けらのようながきと政治ができますかァッ」
とさけんで左前方に座っていた車警護室長に発砲した。弾はとっさにかばって出した右手首を貫通し、車はまろぶようにして逃げだした。ふらふらと立ちあがった金はそれを追おうとした。
「なにをやっておるか」
朴は背筋を伸ばしてあぐらをかいたまま雷のような声で叱責した。金は文字どおり雷鳴にうたれたかのようにからだをふるわせると、一瞬ためらったのち大統領を撃った。
「野獣の心で維新の心臓を撃った」
と、のちに金はいったが、本当のところはどうであったのだろう。つづいて二発めを撃とうとしたが弾が出ない。部屋の外へ走りでた。
そのとき照明が消えた。ボイラー室係員が銃声を電源ショートの音とかんちがいして安全家屋の主電源をきったのである。
「電気をつけろ」
金秘書室長はそうさけびながら部屋の外へ出た。
これは メッセージ 1664 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1666.html
解説:斜め上の雲 65
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/29 01:58 投稿番号: [1665 / 2847]
>もっとも、経済成長が順調にすすむにつれ労働運動など朴正煕の開発独裁に対する不満もでてきた。これを抑えるのに強権的な政策をもってのぞんだこともあり、さらには、KCIAによる金大中誘拐事件の影響もあって、「人権外交」を標榜して東側に対して融和的な政策をとるカーター政権との摩擦も生じてきた。
開発独裁は、目標達成に近づくのに比例して社会水準が上がり自由を求める声があがって不満が大きくなっていきます。
極貧のころは飲まず食わずで無我夢中に働いたけど、ふと気付くと昔より豊かになっている。けれど、福利厚生諸権利はあいかわらずまだ極貧時のままにおさえられている、これでは待遇改善を訴えて労働運動だ!となるんでしょうね。
>
錫元はかれにあいさつをするため近寄っていった。新市長は長身をまげてていねいに返礼すると、錫元の耳元に口をよせて言った。
「あなたのお話はきいております。金大佐」
かれは韓国軍の階位である「大領(テヨン。中国語ではダァリン)」といわず、日本語で「たいさ」といった。それにおどろいた錫元をみて、さらに日本語で
「いまの場所はどうあれ、大和魂をたもち続ける方には敬意を表します」
と小声でいった。その市長の名は、李登輝といった。
zwerg1211さんのリクエストにお答えするかたちで、のちの総統、李登輝氏にご出演していただきました。ほんとは、白団も出てきた第34、35回くらいに出てもらおうと思ったこともあったんですが、当時の李氏は台湾大助教授でしたので接点が作りにくく断念していました。『斜め上の雲』の場合、IFの人生をたどらせての登場はできませんので、なかなか難しいですね。
ぶっちゃけた話、この時期の李氏が、どんなかたちであれ、こんな危ない発言をするはずはありえません。完全なウソですので。
これは メッセージ 1664 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1665.html
斜め上の雲 65
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/28 10:29 投稿番号: [1664 / 2847]
さて、韓国のほうである。
北朝鮮が国民一人あたりの所得を一千ドルと発表した七四年には、韓国のそれは五百十三ドルであり、途上国から中進国へのぼったといっていい。
もっとも、経済成長が順調にすすむにつれ労働運動など朴正煕の開発独裁に対する不満もでてきた。これを抑えるのに強権的な政策をもってのぞんだこともあり、さらには、KCIAによる金大中誘拐事件の影響もあって、「人権外交」を標榜して東側に対して融和的な政策をとるカーター政権との摩擦も生じてきた。
この時期の錫元は、戦史研究にくわえ自主国防について研究するよう命じられ、アメリカや日本、西ドイツといった西側諸国をまわっていた。
朴は、「自主国防、自立経済」とことあるごとに口にしていたが、アメリカに振りまわされない自主国防のためにはまず兵器の国産化が必要だと考えていた。そのため極秘で核兵器の開発にも着手した。もっとも、それはアメリカの圧力で中止に追いこまれた。
錫元は、とくにアメリカや日本との国交を断たれ自主国防をせざるをえなくなった台湾に着目した。アメリカにF16の売却をことわられた台湾は国産戦闘機の開発に着手し、アメリカ政府も個別の民間企業による支援を容認していたのである。錫元はそういった台湾の政策と実情について知ろうとした。
七八年六月に錫元が訪台したとき、新しい台北市長が任命されたところであったため祝賀パーティーに招待された。
その新市長は、台湾うまれの本省人で農業学の大家であり農村の更生に貢献したという。錫元はかつて台湾を観察したときのことをおもいだした。
(ようやく台湾人が政治にとりくめるのか)
錫元はかれにあいさつをするため近寄っていった。新市長は長身をまげてていねいに返礼すると、錫元の耳元に口をよせて言った。
「あなたのお話はきいております。金大佐」
かれは韓国軍の階位である「大領(テヨン。中国語ではダァリン)」といわず、日本語で「たいさ」といった。それにおどろいた錫元をみて、さらに日本語で
「いまの場所はどうあれ、大和魂をたもち続ける方には敬意を表します」
と小声でいった。
その市長の名は、李登輝といった。
「すべての兵器を国産化するのはとうてい無理だ」
錫元はそう結論をださざるをえない。電子機器などすぐれた先端技術のほとんどが韓国の技術力ではつくれず、アメリカもしくは日本に依存しているためである。それをおくとしても、無理に国産化に固執することは兵器の生産コストの面からも負担がおおきすぎる。
それに、もはや一国だけで安全保障をまかなえる時代ではない。任務の分担、負担軽減を柱とした多国間の集団安全保障が外交上も財政上も理にかなっている。韓国単独ではとても国防費用をまかなえない。
(自主国防の名はうつくしいが、現実には不可能だ)
そうおもい、ボンのホテルで錫元は最終報告書の作成をはじめた。
そんなとき急報がもたらされた。朴正煕大統領の暗殺である。
これは メッセージ 1658 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1664.html
解説;斜め上の雲 64 後編
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/27 14:44 投稿番号: [1663 / 2847]
71年からの6ヵ年計画について。
≫この六ヵ年計画についても、玉城は「そのスタートは、必ずしも順調ではなかったようである。その証拠に、一九七一、七二年の二年間連続して工業生産成長率の数字が発表されないでしまった」とし、
「ところが、一九七四年にいたり、にわかに財政報告は『一九七三年の工業総生産額成長率は一九%に達し、その結果、七三年の工業総生産額は七〇年の一.六倍となった。したがってこの期間(七一〜七三年)の年間平均成長率は一七%となる』という輝かしい数字を発表したのである。これも不可解な話である。平均一七%というような好成績ならば、なぜこれまでに発表しなかったのか。また、なぜこのように遡及して平均数字を出すような方法をとって、年々の具体的成長率を示さないのか。さらに、どうしてこれほどの好成績を裏づける個別目標の成果が公表されないのか。謎が多すぎてとまどうばかりである」と、公表数字そのものへの率直な疑惑をぶつけている。
>このような窮状によって在外公館への送金すら支障をきたすようになった北朝鮮は、逆に本国に送金するよう公館に指示を出した。
「外交官特権を利用せよ。外貨をかせぐには手段を問わない」
ようは密輸を奨励したのである。
その結果、七六年十月にはデンマーク政府が北朝鮮大使館全員を麻薬密輸容疑で国外追放し、スウェーデンなど北欧諸国がそれにならった。
麻薬に加えて、偽ドル「スーパーK」も主要な密輸品目となりました。
これは メッセージ 1662 (toapanlang さん)への返信です.
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解説;斜め上の雲 64 中編
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/27 14:40 投稿番号: [1662 / 2847]
前編に続いて「悪魔祓いの戦後史」(稲垣武)から、玉城素の分析について引用します。
≫そして玉城は、「北朝鮮の宣伝だけを見ている限り、建設が急速にすすみ、飛躍的に状態が改善されているような印象だけが与えられている」が、「実際に、丹念に数字をつなぎ合わせて検討してみると、その実情は意外にふるわないようである。公式資料はきわめて好成績の年、好成績の分野にかぎられ、不成績の場合には数字を出さないのが、この国の慣例のようになっている」とし、六一年から始められて、成績不振のため三ヵ年延長された七ヵ年計画についてこう分析している。
「この十年間の工業成長率(GNPの成長率ではない)のうち一九六六年と一九六九年との二年分が発表されていない。そこで、この二年分を、結果の数字から逆算推計して見ると、ゼロ以下(マイナス)であったことになる」
玉城はさらに、六三年の成長率も八.〇%と例年の一四%を超す成長率に比べて激減していることに注目し、
「三年ごとに一回ずつ成長率がダウンし、はなはだしい場合にゼロに落ちこむということだ。資本主義経済でいえば循環性恐慌ということになるが、それが計画経済の下で、しかもきわめて短いサイクルで出現しているところに深刻な問題が横たわっている。これは計画自体に構造的欠陥があったものと見なければならないが、三ヵ年延長したさいにも、その点にはふれずに、目標を先にのばしただけであった」と喝破している。
悪けりゃ隠す、ってのび太のテスト答案かよ。
≫六九年は工業成長率の数字が全く発表されなかった(玉城はマイナス二%と推定している)にも拘らず、七〇年になって突如三一%もの異常に高い成長率が報告されているのはなぜか。水増し報告でないとすれば、七〇年は成績不振のために三ヵ年延長された七ヵ年計画の最終年に当たるので、遮二無二、突貫につぐ突貫工事で生産設備を拡張し、帳尻を合わせたとしか思えない。
こんなアクロバットじみた成長率の数字を公表する「計画経済」なるものの「計画性」が果たしてあるのか。また、そういった旧陸軍の「員数合わせ」に似た生産設備拡充の中味がどんなものかは、想像に余りある。
これは メッセージ 1661 (toapanlang さん)への返信です.
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解説;斜め上の雲 64 前編
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/27 14:37 投稿番号: [1661 / 2847]
>七二年の南北共同声明時に韓国の成長をまのあたりにしたことで、外資の導入、プラント輸入による重工業化をはかったのだが、道路、鉄道、港湾設備、電力供給などといったインフラを整備、もしくは整備しつつ平行しておこなうべきところを「七〇年代戦闘速度」「電撃戦」と称してひたすら拙速にはしった。
このため、七三年の石油ショックによって、有力な輸出品目である農産物と非鉄金属の価格が下落したさい、計画は頓挫し厖大な借金だけがのこった。
せっかちな上に欲張りという今も南北ともに変わらぬ悪癖のせいでもあったのでしょう。
>ついでながらいうと、北朝鮮の標語、表現のたぐいには、
「百日戦闘」
「穀物八百万トン高地占領」
など軍事色がひじょうに濃い。強制の大衆動員による奉仕的な労働強化運動を「戦闘」とよび、目標を「高地」、目標の達成・完成を「占領」という。軍国主義そのものであろう。
日教組の槇枝元文委員長(のち総評議長)や制度検討委員岩井章たちは、こういった事実を無視して北の教育制度を賞賛し、「自衛隊は人殺しです」「平和憲法の9条改悪で軍国主義が復活する」なんて教育をやっていたわけです。
>だが、計画経済の七ヵ年計画にしても六ヵ年計画にしても、その公式発表には飛躍的な経済成長をあらわす数値と美辞麗句のみがならんだ。もっとも、その数字すら好成績の年、好成績の分野にかぎって発表されていたのだが。
しかも、計画最終年にいたって異常なほど高い工業成長率がでてくるというできの悪い粉飾決算まがいのものであった。
このトリックについては、当時玉城素が取り組んでいます。以下、「悪魔祓いの戦後史」(稲垣武)から引用します。
≫北朝鮮経済についても玉城素は既に、『中央公論』七五年三月号の「朝鮮半島のイメージと現実」で、日本では北朝鮮に関する情報および考察がみごとに欠落している原因について鋭く指摘している。
「ひとつには、公式に流される資料類が、あまりにも露骨に宣伝的であり、しかも実相を隠蔽しようとする傾向をもっているためである。たとえば、北朝鮮の経済・社会の実態を数字的にしめす統計類は、ここ一〇年近く全然発表されず、また、公的な報告や論文にまれに公表される数字類にしても、ほとんど実数なしの倍数やパーセンテージであらわされ、その時間的前後の比較や、内的構造の推定が不可能な形で示されている(後略)」
中編に続きます。
これは メッセージ 1658 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1661.html
Re: 日本の進歩的文化人をのぞいて
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/27 14:36 投稿番号: [1660 / 2847]
>日本の進歩的文化人をのぞいて
>↑
ここんところで受けちゃいました(笑)
実際、日本では当時マルクス経済学が花盛りでしたからこういった北の宣伝すら額面どおりに信じて、嬉しそうに押し戴いていました。
西川潤早大助教授、本橋渥横浜国大教授、高橋勇次東大名誉教授、安井郁法政大教授、槇枝元文日教組委員長、岩井章日教組制度検討委員、安江良介『世界』編集長、藤島宇内、小田実といったあたりが有名ですね。
経済の内実につきましては、解説で3回に分けて紹介します。
これは メッセージ 1659 (guiseinoyuu さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1660.html
Re: 日本の進歩的文化人をのぞいて
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2006/07/27 14:28 投稿番号: [1659 / 2847]
↑
ここんところで受けちゃいました(笑)
これは メッセージ 1658 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1659.html
斜め上の雲 64
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/27 14:22 投稿番号: [1658 / 2847]
じつを言えば、この時期、北朝鮮の経済はすでに破綻しかけていた。
七二年の南北共同声明時に韓国の成長をまのあたりにしたことで、外資の導入、プラント輸入による重工業化をはかったのだが、道路、鉄道、港湾設備、電力供給などといったインフラを整備、もしくは整備しつつ平行しておこなうべきところを「七〇年代戦闘速度」「電撃戦」と称してひたすら拙速にはしった。
このため、七三年の石油ショックによって、有力な輸出品目である農産物と非鉄金属の価格が下落したさい、計画は頓挫し厖大な借金だけがのこった。
ついでながらいうと、北朝鮮の標語、表現のたぐいには、
「百日戦闘」
「穀物八百万トン高地占領」
など、軍事色がひじょうに濃い。強制の大衆動員による奉仕的な労働強化運動を「戦闘」とよび、目標を「高地」、目標の達成・完成を「占領」という。軍国主義そのものであろう。
経済破綻には、重要な原因がほかにもあった。
共産主義国特有の計画経済である。建国直後の復興時には一定の成果をあげたものの、徹底した縦割り主義と締めつけのきびしいノルマ主義によって、しだいに経済は停滞していった。
だが、計画経済の七ヵ年計画にしても六ヵ年計画にしても、その公式発表には飛躍的な経済成長をあらわす数値と美辞麗句のみがならんだ。もっとも、その数字すら好成績の年、好成績の分野にかぎって発表されていたのだが。
しかも、計画最終年にいたって異常なほど高い工業成長率がでてくるというできの悪い粉飾決算まがいのものであった。
経済の実態と数値の乖離による病理が進行しきったところに、石油ショックをくらったといっていい。
金日成は、この局面を打開するため、個人崇拝の強化をはかった。体制の不可侵化によって批判を圧殺するのがねらいである。朝鮮戦争のときとちがい、責任をかぶせて粛清できる相手がいなかったからでもある。
厖大な借金については、いっさい無視した。
つまりは、居直った。
日朝貿易業者代表団と朝鮮貿易銀行のあいだでは、決済繰り延べの合意書が再三交わされたが、結局は空手形となった。対日債務だけでなく対欧債務もそうであった。
日本政府は業者に輸出保険をはらい、西欧の百四十の銀行からなる銀行グループは在欧北朝鮮資産の凍結、差押えの態度をしめした。
このような窮状によって在外公館への送金すら支障をきたすようになった北朝鮮は、逆に本国に送金するよう公館に指示を出した。
「外交官特権を利用せよ。外貨をかせぐには手段を問わない」
つまりは密輸を奨励したのである。
その結果、七六年十月にはデンマーク政府が北朝鮮大使館全員を麻薬密輸容疑で国外追放し、スウェーデンなど北欧諸国がそれにならった。
にもかかわらず、この年、北朝鮮は、
「一人あたりの国民所得は、七四年度実績で一千ドルをこえた」
と、誇らしげに発表した。
もはや、日本の進歩的文化人をのぞいて、たれもこれを信じるものはいなかった。
これは メッセージ 1654 (toapanlang さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 63
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/26 10:57 投稿番号: [1657 / 2847]
>自暴自棄となったかれらは、訓練官らを殺害して離島の訓練所を脱出、ソウルに乗りこんで強盗暴行などをおこなったあげく、乗っ取ったバスのなかで手榴弾が暴発して全滅した。事件は北ゲリラの出没として片づけられた。
蓋世さん、エトさんご指摘のように、映画「シルミド」のもとになった事件ですね。たしか女性トピでもふれられたように、事実は映画ほど悲壮なものではなく火病に近いものであったようですが。
本文でもっと前面に強く火病説を押し出すべきでしたね。単行本にするとき修正します(んなもん、出るかっつーねん!)。
>七四年には、休戦ライン近くで南侵用に掘られたトンネルが発見された。翌年三月にも二つ目のトンネルが発見され、七八年には三本目のトンネルが発見された。
むろん、北朝鮮は否定した。しかしそれらのトンネルの壁には、北から南にむかって掘削機のあとがついていた。
『週刊朝日』75年10月10日号では、岡井輝雄記者(副編集長。稲垣武とともに73年の訒小平復活を文革否定の兆しと報道したため、朝日本紙の秋岡中国特派員(中共べったりで林彪死亡を否定した香ばしい人)から抗議された経験有)のトンネル探査報告「戦慄の地下100メートル
北朝鮮製トンネルを行く」という記事があり、
「北から南への方向だけに掘削機の穴の後があるという事実の前には、もうどんな言葉も不要ではないか」
と書かれています。
>同じく七四年の八月十五日には、在日朝鮮人の文世光による朴大統領狙撃事件がおき、朴夫人の陸英修が死亡した。朴は事件の背景捜査と朝鮮総連の規制を日本に要求した。
大阪市内の交番で盗まれた拳銃が犯行に使われ、最初は日本人青年の犯行という誤報があったこともあり、日本大使館には抗議のデモが押しよせ、日章旗が焼かれた。
どうやら大阪市中央区の高津交番のようです。ここから千日前筋を東へ車で10分ほど行けば鶴橋、さらには生野区・東成区です。
>それをあてにして、マダガスカルのラチラカ大統領、ソマリアのバーレ大統領のように平壌詣でをくりかえす元首も多かった。ラチラカは金に懇願して大理石づくりの大統領宮殿を建ててもらったという。
ラチラカのおねだりについては、91年に韓国へ亡命した、北朝鮮の元コンゴ大使館一等書記官高英煥が著書『平壌25時』で書いていました。
これは メッセージ 1654 (toapanlang さん)への返信です.
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汁み弩ネタ
投稿者: licky_eto 投稿日時: 2006/07/26 02:31 投稿番号: [1656 / 2847]
いや
たしか映画で見ても花瓶ですよ
あれ
韓国の大杉漣ことソル・ギョングが母親の写真を破られてかんしゃくおこる最中に
部隊長の特務部隊虐殺命令を漏れ聞いて「花っっっっっ瓶!」
最後はバスの中で仲間が撃たれて次々死に「アイゴー」と泣き出して花瓶を起こしたまま
手榴弾の安全ピンを抜く…
全編
花瓶のオンパレードですた…
これは メッセージ 1655 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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Re: 斜め上の雲 63
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2006/07/26 02:27 投稿番号: [1655 / 2847]
耳に新しい汁み弩ネタですね(笑)
そうかぁ、火病だったんだぁ(おおわらい
まぁ、遠からずってところだとは思います。あの行動原理。
日本人だったらあぁは行動しない。
これは メッセージ 1654 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 63
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/26 01:48 投稿番号: [1654 / 2847]
このころの北朝鮮は韓国に対してさまざまな攻撃を繰りかえしており、六〇年代後半からはなんども武装ゲリラ部隊を南侵させた。かれらは、
「独裁政権の圧政に苦しんでいる民衆は、かならずわれらに味方する」
と教えこまれていたため、無邪気なまでに民衆に対して無防備だった。
現実はまったくちがった。
住民たちはすすんで韓国軍に通報し、多くのゲリラが、卵でも割るようにたやすく捕捉され殲滅されていった。
このため、北朝鮮はゲリラによる攻勢を中断し責任者の粛清をおこなうのだが、これはすこし先の話である。
六八年一月には、朴大統領ら閣僚の暗殺をねらった三十一名の武装ゲリラが、大統領官邸である青瓦台に肉薄し、一名を残して射殺されるという事件がおこった。
これに対して朴は徹底した復讐行動を企図した。わざわざ三十一人の特殊部隊を選抜、養成して金日成暗殺をねらったのである。
だが、計画は実行寸前で中止された。アメリカの圧力によるものであった。
三十一人だけが宙にういた。
自暴自棄となったかれらは、訓練官らを殺害して離島の訓練所を脱出、ソウルに乗りこんで強盗暴行などをおこなったあげく、乗っ取ったバスのなかで手榴弾が暴発して全滅した。事件は北ゲリラの出没として片づけられた。
これも一種の火病であったのではないかという説がある。
七四年には、休戦ライン近くで南侵用に掘られたトンネルが発見された。翌年三月にも二つ目のトンネルが発見され、七八年には三本目のトンネルが発見された。
むろん、北朝鮮は否定した。しかしそれらのトンネルの壁には、北から南にむかって掘削機のあとがついていた。
同じく七四年の八月十五日には、在日朝鮮人の文世光による朴大統領狙撃事件がおき、朴夫人の陸英修が死亡した。朴は事件の背景捜査と朝鮮総聯の規制を日本に要求した。
大阪市内の交番で盗まれた拳銃が犯行に使われ、最初は日本人の犯行という誤報があったこともあり、日本大使館には抗議のデモが押しよせ日章旗が焼かれた。
このときほど、日韓関係が危ぶまれたことはない。
北ベトナムの優勢と勝利は金日成にとって朗報であった。
七五年四月に訪中したさいには、
「戦争で得るものは統一であるが、うしなうものは軍事境界線のみである」
といい、訒小平ら中国首脳の不興をかった。アメリカと国交を結び、文化大革命の否定による近代化を志向していた訒にとっては、中国もしくはソ連の援助・参戦をたのみとする金の強硬姿勢は迷惑以外のなにものでもなかったのである。
韓国の反応はすばやかった。金の発言からわずか一週間後、朴正煕は、
「北韓の南侵は、自滅であるのみ」
といい、六月にはアメリカのシュレンジャー国務長官も、
「北の南侵時には、核使用も辞さない」
といった。
また、北朝鮮は外交においても積極的な姿勢をみせた。
中東・アフリカ諸国に武器を輸出、軍事顧問団を派遣したうえ、さらに経済援助をしたのである。それをあてにして、マダガスカルのラチラカ大統領、ソマリアのバーレ大統領のように平壌詣でをくりかえす元首も多かった。ラチラカは金に懇願して大理石づくりの大統領宮殿を建ててもらったという。
これは メッセージ 1647 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: >信玄餅
投稿者: licky_eto 投稿日時: 2006/07/25 01:27 投稿番号: [1653 / 2847]
栃餅にきな粉と黒蜜をまぶして頂く食べ物ですよ
現在のは大体1センチ角くらいの奴が3個入っています
結構会社の連中も好きなので
甲信方面へ行く時には買って帰ります
伝説では
結核を患ったかなんかして食の細った信玄公に
側室の誰かが出身地の食べ物として献上したのが始まりであると言われています
どこまでホントか
当時の人間ではないので存じませんが…
まっ
安倍川餅とそんな変わらないものですね(笑)
これは メッセージ 1651 (toapanlang さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 62
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/25 01:19 投稿番号: [1652 / 2847]
>「いっそ、島をなくしてしまえばどうでしょう」
酔いがまわったせいか、錫元はそう軽口をたたいた。
「うむ。あんなものがあるからみんな苦労する。韓日両軍の共同演習をおこなって、砲撃、爆撃で吹きとばしてしまうか」
朴の言葉に、さすがに一同はあっけにとられた。
竹島爆破発言を最初に言ったのは、朴であるともいい、金鐘泌首相か韓国人議員、あるいは日本人の議員、政治家か官僚だ、と諸説があるようです。
>「鞭声粛々夜河を過(わた)る
暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨なり十年一剣を磨く
流星光底長蛇を逸す」
と、頼山陽の詩の一節を吟じたのである。
>朴はかつてクーデターの前夜にも同志と酒を酌みかわしてこの詩を吟じていた。
字数調整のため、川中島合戦について延々と書いてみました。(苦)
え?『坂の上の雲』と関係ないって?
いえいえ、8巻「沖ノ島」、バルチック艦隊のストッカーだった第三艦隊の松島で、艦長の奥宮衛大佐がストッキングする直前に休息させたとき、落ち着くために軍医に薩摩琵琶で「川中島」を弾かせる場面があります。
これは メッセージ 1647 (toapanlang さん)への返信です.
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>信玄餅
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/25 01:09 投稿番号: [1651 / 2847]
>楽しく拝読しています。
ありがとうございます。
>こちらは「助手のチャングム」のスラップスティックと違い、ストイックな歴史モノという感じですね。
ストイックとスラップティックというギャップに加えて、最近では電波もレパートリーに入りました。(笑)
あっちの方は、正体をばらさずに続けます。・・・・・・最初に正体ばらしたのは、もったいなかったかなぁ。最後のURLでわかりやすいヒント出してあるんですが。
>ところで、この中の登場人物で思い出しましたが、学生時代、ある信州人で○○という苗字の女子が、「私は○○弾正忠の子孫だ」などと言っていたのを思い出しました。
案外そうかも知れませんが、まあどうでもいいんですけど。(笑)
信州・甲州ではずっと人気があるんでしょうね。乾退助が明治政府軍を率いて東山道を進んだとき、人心収攬のために先祖の苗字である板垣にあらためたという話がありました。
そういや、大学の先輩の先祖は明治時代に苗字を名乗るさい、
「どうせなら、公家さんっぽい苗字つけて偉そうに見せよかぁ」
といって、公家には実在しないがそれっぽい「○小路」とつけた、なんて話があります。
>ワタシの学生時代は、その地域のほぼ唯一の銘菓が、「信玄餅」ですた。
信玄餅というのは食べたことがありません。弟子に韮崎高出身の者が入ってきたので、話を聞いてみようかな。
これは メッセージ 1648 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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Re: 金王、女史
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2006/07/24 18:32 投稿番号: [1650 / 2847]
そりゃぁ日本人読者・視聴者に気をつかったんでしょう(おおわらい
これは メッセージ 1649 (sebangou51ichiro さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を笑う
投稿者: sebangou51ichiro 投稿日時: 2006/07/24 18:17 投稿番号: [1649 / 2847]
今日の日本の新聞、金正日は今まで通り漢字表記だが
新夫人の金玉はキム・オクとカタカナ表記になっている。
まさか北に気をつかった訳ではないだろうが・・・。
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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Re: 斜め上の雲 62
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/07/24 02:25 投稿番号: [1648 / 2847]
楽しく拝読しています。
こちらは「助手のチャングム」のスラップスティックと違い、ストイックな歴史モノという感じですね。
ところで、この中の登場人物で思い出しましたが、学生時代、ある信州人で○○という苗字の女子が、「私は○○弾正忠の子孫だ」などと言っていたのを思い出しました。
案外そうかも知れませんが、まあどうでもいいんですけど。(笑)
ワタシの学生時代は、その地域のほぼ唯一の銘菓が、「信玄餅」ですた。
あんまり古いお菓子じゃなくて、まあ葛餅に甘いタレをかけて食べるんですが、そこそこ美味しい。
包装紙がなかなかよくて、信玄の錦絵が使われていました。(別のものの包装紙だったのかも知れませんが。)
真ん中の一番偉そうな甲冑姿の武将の横に、「武田大膳大夫晴信入道信玄」とかかれてありました。
http://www.kikyoushingenmochi.com/
これは メッセージ 1647 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 62
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/24 01:59 投稿番号: [1647 / 2847]
現役の大統領である朴正煕にしてみれば、万一竹島が理不尽にとったものであっても、いったんとった以上簡単に吐きだすわけにいかない。個人的な面子ではなく、国家の面子、威信がかかっているからである。
「悩ましい問題ですね」
盧泰愚がつぶやいた。これを問題にしてしまえば、日韓双方ともひくにひけないであろう。それこそ日本が主張するように国際司法裁判所に提訴するしかない。
だが、そこで韓国が敗訴してしまえばどうなるであろう。朴政権の威信は地に落ち、国内世論の混乱はまぬかれまい。政権崩壊すらじゅうぶんに考えられる。
「いっそ、島をなくしてしまえばどうでしょう」
酔いがまわったせいか、錫元はそう軽口をたたいた。
「うむ。あんなものがあるからみんな苦労する。韓日両軍の共同演習をおこなって、砲撃、爆撃で吹きとばしてしまうか」
朴の言葉に、さすがに一同はあっけにとられた。
「そういうわけにもいかないので、棚上げするのが、最良ではないにしても、もっともましな方策(て)なんだ」
朴はわずかに苦笑した。
朴は酒席で軍歌など日本語の歌をうたうくせがあったが、この日はちがった。
「鞭声粛々夜河を過(わた)る
暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨なり十年一剣を磨く
流星光底長蛇を逸す」
と、頼山陽の詩の一節を吟じたのである。
「不識庵、機山を撃つ」と題されたこの詩は、武田信玄と上杉謙信が正面から激突した第四次川中島の戦いをうたったものであり、琵琶の題目としても有名である。なお、不識庵とは謙信のことである。
この戦いで、謙信は、武田方の軍師山本勘助のたてた挟撃策「啄木鳥の策」の裏をかき、妻女山の本陣を引きはらって、深夜ひそかに犀川をわたり武田本陣に接近したという。「鞭声粛々夜河を過る」とはそれをさす。
夜明けとともに急襲した謙信を、山本勘助と信玄の実弟典厩信繁が一命をもって食いとめているあいだに、もぬけの殻となった上杉陣を襲っていた高坂弾正昌信の別働隊が到着し、ようやく武田方は優勢を取りもどした。
謙信は信玄を打ち損ねた。「長蛇を逸す」の語源である。
朴はかつてクーデターの前夜にも同志と酒を酌みかわしてこの詩を吟じていた。
(なにか決断をされる気なのか)
錫元だけでなく、全斗煥、盧泰愚もそうおもった。
この年の六月、朴正煕は国連への南北同時加盟を提案したが、金日成は、
「二つの朝鮮をつくるものだ」
として非難し、「高麗連邦共和国」による統一加盟案を逆提案した。また合意事項に違反して、休戦ラインでの拡声器による非難放送を再開した。
南北の融和機運は一気に冷えこんだ。
錫元があとから考えるに、朴の提案はそこまでよんだものであったらしい。
(おそらく、あの宴会のころに決断されたんだろう)
そうおもった。
これは メッセージ 1644 (toapanlang さん)への返信です.
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再掲(Abe信條は韓国人ニカ?)
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/07/23 03:59 投稿番号: [1646 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 61
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/22 23:00 投稿番号: [1645 / 2847]
朴の独白は、2000年1月4日付産経新聞「新春正論対談」の中曽根康弘と福田和也との対談と、月刊『正論』2003年1月号での石原都知事の発言が元ネタです。
まず前者
≫韓国の朴正煕大統領がこんな話をしてくれました。
彼の周囲にいるかつて軍人だったような威勢のいい連中は、 酒に酔ってくると「日本はけしからん」と言いだす。
それに対して朴大統領は「まあ、待て」となだめながら自らの歩みを語る。
朴大統領は貧農の出身で、教育を受けたいと思いながら、 とても無理だろうとあきらめていた。
ところが日本がその統治下で義務教育制を敷いたことで、 朴少年も学校に通うことができた。
また満州軍官学校を首席で卒業した彼は、その特典で日本の陸軍士官学校に留学し、卒業します。
日本は朴少年のような存在にそうした機会を与えた。
≫「日本人は名前を変えろとか生意気なこともやったけれど、私はおおむね彼らは公平にやったと思う」
と朴大統領は述懐していたわけです。
次、後者
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2003/ronbun/01-r1.html≫朴さんが、「石原さん、大事なのは教育だ。このことに限ってみても、日本人は非常に冷静に、本国でやってるのと同じ教育をこの朝鮮でもやった。これは多とすべきだ。私がそのいい例ですよ」と言う。
≫「私は貧農の息子で、学校に行きたいなと思っても行けなかった。日本人がやってきて義務教育の制度を敷いて子供を学校に送らない親は処罰するといった。日本人にしかられるからというんで学校に行けた。その後、師範学校、軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よくできるな。日本の市谷の士官学校に推薦するから行けといって入学。首席で卒業し、言葉も完璧でなかったかもしれないが、生徒を代表して答辞を読んだ。私はこのことを非常に多とする。相対的に白人がやった植民地支配に比べて日本は教育ひとつとってみても、かなり公平な、水準の高い政策をやったと思う」
これは メッセージ 1644 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 61
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/21 15:34 投稿番号: [1644 / 2847]
一八九四年、清軍二万のまもる平壌を攻略するため、日本軍は、京城から主要街道の義州街道を北進する大島義昌少将の混成旅団と野津道貫中将の第五師団主力(四個歩兵大隊)、その東を並走する朔寧街道をすすむ立見尚文少将の支隊(二個歩兵大隊)、東海岸の元山に上陸、成川街道を西進する佐藤正大佐の第十八連隊が三方からせまった。
教科書どおりの分進合撃である。はげしい戦闘のすえ平壌は陥ち、清軍の猛将左宝貴は戦死、総司令官の葉志超は開城降伏と偽って白旗を揚げて夜陰にまぎれて遁走した。
その半世紀後、国連軍はほぼ同じ状況で平壌を陥としたが、中国軍の攻勢によって二ヵ月後に奪いかえされた。
「なぜ、あんなにかんたんにやられたのか」
朴、全、盧は当時前線で戦っていた。その疑問ももっともである。
「成川をうしなったからです」
錫元のこたえは明快であった。
元山に上陸した第十軍団と平壌の第八軍の連携がとれずに、平壌と元山の中間点の要衝である成川をうしなって分断されたのが原因であるという。
「部隊どうしの連携か。これは経済も同じだな。各分野でばらばらに生産をおこなっても無駄ばかりだ。戦略目標をさだめてしっかり連携をとってたがいに協力させねば」
朴はそううなった。
かなり酒がまわってきた。
「それにしても、日本はけしからんですな」
軍人のたれかがそういった。かつて統治したことをなじっているようだが、経済援助の規模や実施方法についての不満もあったのかもしれない。
「まあ、待て」
朴はそういって、杯をおいた。
「わたしは、みんなも知ってのとおり貧農の出身だ。まっとうな教育を受けられるものではなかった」
錫元をはじめ一同はききいるしかない。
「だが、日本の統治下では義務教育がしかれ学校にゆくことができた。そういう機会があたえられただけでも日本には恩義がある」
――むろん、欠点もあったが、
「おおむね、日本人は公平にやったとおもう」
朴はそういって、杯をあげてマッコルリをあおった。
朴の独白はつづく。
「韓日基本条約をたった五億ドルで妥協したとののしる声もあるが、すみやかな条約締結による日本資本の導入こそが必要だったのだ」
日韓たがいの請求額をまっとうに算出すれば、日本が朝鮮半島に残した資産のほうがはるかに多く、韓国の要求額を払ったとしてもじゅうぶんお釣りがくるという試算があることはすでにふれた。結局、西側の結束と発展という戦略目的のため、たがいの請求権を放棄して条約は妥結された。
「しかし、日本は独島の領有権を主張しています。あれはわれわれの島です」
べつの軍人がいう。
「李承晩先生がよけいなことをしてくれた」
朴はそういった。その口調はややにがい。
これは メッセージ 1642 (toapanlang さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 60
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/19 23:29 投稿番号: [1643 / 2847]
>さらにいえば、かれは一族親戚を高位につけ利権をあてがうことをかたく禁じていた。この点だけをみても朝鮮人ばなれしていたといっていい。
貧農出身の彼には、両班のように力を持ってまとまった一族がなく、また、重用できるほどできのよい者がいなかった、というのもあるでしょうけど。この点は豊臣秀吉に似ていますね。ただ朴には小一郎秀長すらいなかった。
それに、彼は権力には執着したでしょうけど、目指したのは一族の栄耀栄華ではなかったですし。
>「今晩はこれから宴会をする。君にも参加してもらいたい」
錫元にことわる理由はない。そのまま朴と安全家屋(セーフティハウス)に移動した。
何軒かこういう隠れ家をつくってあったそうです。
>朴正煕は酒をこのんだ。
とはいえ、贅沢をきらい濁り酒(マッコルリ)を飲み、肴は味噌をつけた生の青唐辛子だけであった。また、質素な手打ちうどん(カルククス)をこのみ、青瓦台での食事会にはかならずそれを出した。この点、台所の隅にあった味噌を肴にして一族の若者とさしで酒を飲んだ執権北条時頼に似てはいる。
このあたりの記述は『韓国大統領列伝』(池東旭)を元ネタにしています。
朴は朝鮮戦争前の粛軍で軍籍を剥奪されたとき、同棲していた女子大生(最初の妻は満州軍官学校時代に離婚)に愛想をつかされ去られたころは毎晩酒をあおったそうです。また、陸秀英夫人の死去後にはますます酒を偏愛し、イプークできるオネータソを侍らせての酒宴がしげくなったそうです。
これは メッセージ 1642 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 60
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/19 01:14 投稿番号: [1642 / 2847]
帰国後、錫元は大統領執務室によばれた。
「君には戦史と軍事史を研究してもらいたい」
朴正煕はそういって、戦史研究室への復帰を命じ、キャビネットから現金を出して、研究費と称して手渡した。
錫元の功績はたれもがみとめるものであったのだが、軍人事のバランスについてつねづね苦慮していた朴としては、錫元が韓米軍の戦術についてずけずけと批判しながらも戦功をたてたことをこころよからずおもっている――つまりは嫉妬である。この民族のこの手のやっかみほどおぞましいものはない――軍幹部も少なからずいたこともあり、そのため昇進ではなく賞与の支給にとどめたのであろう。
執務室のキャビネットには、財閥から献金させた数十億ウォンもおよぶ現金が常備されていた。すべて政権維持用の政治資金であり私財ではない。
朴には、公(おおやけ)を私(わたくし)して不正に蓄財する悪癖はいっさいなかった。
さらにいえば、かれは一族親戚を高位につけ利権をあてがうことをかたく禁じていた。この点だけをみても朝鮮人ばなれしていたといっていい。
「今晩はこれから宴会をする。君にも参加してもらいたい」
錫元にことわる理由はない。そのまま朴と安全家屋(セーフティハウス)に移動した。
朴正煕は酒をこのんだ。
とはいえ、贅沢をきらい濁り酒(マッコルリ)を飲み、肴は味噌をつけた生の青唐辛子だけであった。また、質素な手打ちうどん(カルククス)をこのみ、青瓦台での食事会にはかならずそれを出した。この点、台所の隅にあった味噌を肴にして一族の若者とさしで酒を飲んだ執権北条時頼に似てはいる。
この日もそうであった。肴は生の青唐辛子とキムチだけである。参加者は、朴夫妻と錫元のほかに、軍要職にある全斗煥、盧泰愚らがいた。
「君のことは全君からよくきいていた。現場指揮官というより教官か研究者に向いていると」
朴はそういってわらった。全斗煥が言葉をついだ。
「陸士時代に校庭で、太平洋戦争と朝鮮戦争について私に語ってくれただろ」
全は、その内容についてもよくおぼえていた。
「金君、日清戦争と朝鮮戦争について教えてほしい」
朴はそういって青唐辛子をかじった。
「とくに、平壌攻略についてだ」
これは メッセージ 1638 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 「朝鮮人を責めないで」
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/07/18 20:50 投稿番号: [1641 / 2847]
これは、伊武雅刀の子供なんて嫌いだ!のパロディーですか?
結構面白いですね。
「鶴光のオー○ナイトニッポン」でも、視聴者からの投稿でやってましたね。
懐かしい〜。(笑)
これは メッセージ 1640 (vaifam2006 さん)への返信です.
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「朝鮮人を責めないで」
投稿者: vaifam2006 投稿日時: 2006/07/18 16:17 投稿番号: [1640 / 2847]
「朝鮮人を責めないで」
私は朝鮮人が嫌いです
朝鮮人は幼稚で礼儀知らずで気分屋で
前向きな姿勢と
無いものねだり
心変わりと
出来心で生きている
甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
慰安婦問題
戦後補償
反日法だと
はっきり□に出して人を洗脳する極悪非道ぶり
私ははっきりいっで朝鮮人が嫌いです
努力のそぶりも見せない
忍耐のかけらもない
人生の深みも
渋みも
何にも持っていない
そのくせ 下から見上げるようなあの態度
有事の時は足でまとい
協議の時は悩みの種
いつも国際社会のの問題児
そんなお荷物みたいな
そんな宅急便みたいな
そんな朝鮮人達が嫌いだ
私は思うのです
この世の中から朝鮮人がひとりもいなくなってくれたらと
真の国際社会人だけの世の中ならどんなによいことでしょう
私は朝鮮人に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています
私は朝鮮人が嫌いだ
ウン!
朝鮮人が世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか
いいえ
朝鮮人は常に私達国際社会人の足を引っぱるだけです
身勝手で
体が臭い
キムチ
トッポギ
チヂミ
真露
石焼ビビンバ
プルコギ
味噌チゲ
コルベンイムチム
好きなものしか食べたがらない
嫌いな物にはフタをする
泣けばすむと思っている所がズルイ
何でも食う朝鮮人も嫌いだ
スクスクと背ばかり高くなり
定職もなくブラブラしやがって
逃げ足が速く
いつも赤いものにつく
あの世間体を気にする目がいやだ
あの計算高い物欲しそうな目がいやだ
目が不愉快だ
何が勤勉だ
何が平和主義者だ
何が独島、ヨン様
韓流だ
そんな朝鮮人のために
私達交際社会人は
何もする必要はありませんよ
第一私達国際社会人がそうやったところで
ひとりでもお礼を言う朝鮮人がいますか
これだけ朝鮮人がいながらひとりとして
感謝する朝鮮人なんていないでしょう
だったらいいじゃないですか
それならそれで
けっこうだ
ありがとう
ネ
私達国際社会人だけで
刹那的に生きましょう
ネ
朝鮮人はきらいだ
朝鮮人は大嫌いだ
離せ
俺は大人だぞ
誰が何といおうと私は朝鮮人が嫌いだ
私は本当に朝鮮人が嫌いだ〜〜〜
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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解説;斜め上の雲 59
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/18 02:47 投稿番号: [1639 / 2847]
>また、七二年には北朝鮮との秘密接触がかさねられ、七月には民族団結と平和的な統一をうたった南北共同声明を発表、緊張の緩和と平和的な統一へのみちすじがみえてきたとされたが、朴は、南北対話ときたるべき統一のために国内体制をかためるべきだとして、十月には非常戒厳令を宣布し、翌月、国民投票による改憲をおこなった。
北朝鮮の方も、金日成首相が国家主席に就任し「社会主義憲法」を施行するという体制引き締めをやりました。
また、1月には、日本の超党派議員で結成された日朝友好促進議員連盟が訪朝し、朝鮮国際貿易促進委員会と「貿易促進合意書」を調印しました。これにより北朝鮮は各種プラントの輸入による経済発展をもくろむことになります。詳細は第64回でふれます。
これは メッセージ 1638 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 59
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/17 13:05 投稿番号: [1638 / 2847]
七三年一月、停戦と南北ベトナム双方の軍事力増強を禁止するパリ協定が調印され、米韓軍は三月に撤退を完了した。
事実上の敗戦といっていいが、アメリカにとってははやく抜けだすためのかたちさえととのっていればそれでよかったのであろう。北ベトナムが協定を遵守するかどうかを検証することさえしなかった。
つまりは、南ベトナムは見棄てられた。七四年十二月に北ベトナムは協定を踏みにじって本格的な攻勢を開始し、七五年四月にほぼ全兵力である十五個師団を一気に投入してサイゴンを陥としベトナム半島を赤化統一した。
むろん、韓国もアメリカに同調してさっさと足抜けをしている。朴正煕が欲したのは経済発展のための資金であってベトナムの土地ではない。ベトナムの赤化統一がさけられない以上、よけいな長居は無用であった。このあたりの判断も酷薄なばかりに実務的である。
さらにいえば、ドルの自由化によってドル防衛をせまられたニクソン政権が、経費削減を主な理由として在韓米軍のうち一個師団を撤収したこともあって、韓国はベトナムに軍隊を張りつけている場合ではなくなった。
また、七二年には北朝鮮との秘密接触がかさねられ、七月には民族団結と平和的な統一をうたった南北共同声明を発表、緊張の緩和と平和的な統一へのみちすじがみえてきたとされたが、朴は、南北対話ときたるべき統一のために国内体制をかためるべきだとして、十月には非常戒厳令を宣布し、翌月、国民投票による改憲をおこなった。そういった体制引き締めの一環としてベトナム撤退による軍の再編も必要であったのである。
錫元にとっては負けたという意識はない。じぶんにあたえられた職務のなかで、
(やれるだけのことはやった)
たしかにそうであろう。すくなくとも戦場では負けていない。その点には自信がある。
(将軍や白閣下もそうだったのだろうか)
金錫源は支那を転戦し、白善菀は満州・朝鮮国境地帯で匪賊を掃討しのち支那戦線に転じた。ふたりとも戦場では負けていない。しかし、今の錫元と同じように敗者のがわに立った。
(これで将軍たちと同じところに立てたのかな)
ふと、おかしみをおぼえた。しかし、そうだとすれば次は朝鮮戦争ということになる。
(今度は勝つ)
そうおもい、腰の軍刀を握りしめた。
これは メッセージ 1633 (toapanlang さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 58
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/16 19:39 投稿番号: [1637 / 2847]
>筆者は国家発展のために必要な資金を得るべくベトナム戦争への参戦に踏み切った朴正煕大統領の構想と判断はとくに非難する気はないが、その韓国軍がなにをなしたかについてはいささかでもゆるす気になれない。後世という、事が冷却してしまった時点でみてなお、韓国軍の態度には、弁護すべきところがまったくない。
それにしても、ベトナムでの韓国軍のむごさは、たとえば相手がベトナム人でなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとしても、その嗜虐的(サディスティック)なにおいだけはかわらなかったにちがいない。かつての中華帝国や大日本帝国、あるいは戦勝国アメリカといった強国を後ろ楯とたのんだときの朝鮮人の傲慢さと暴虐さは定評がある。
韓国における他国家への民族問題的優越感は、平時からつねに露出している。そのうえ、じぶんたちの宗主国が強国であれば、その威をかさにきて、なにをやってもゆるされるにちがいないという、不安定な優越感と劣等感のないまぜになった心情が顔を出すせいでもあろう。
元ネタは、3巻「開戦へ」、ロシアとの交渉で、とんでもなく傲慢な回答を受け取り開戦へと進む場面です。以下原文。
≫後世という、事が冷却してしまった時点でみてなお、ロシアの態度には、弁護すべきところがまったくない。ロシアは日本を意識的に死へ追いつめていた。日本を窮鼠にした。死力をふるって猫を噛むしか手がなかったであろう。
(中略)
筆者は太平洋戦争の開戦へいたる日本の政治的指導層の愚劣さをいささかでもゆるす気になれないのだが、それにしても、東京裁判においてインド代表の判事パル氏がいったように、アメリカ人があそこまで日本を締めあげ、窮地においこんでしまえば、武器なき小国といえども起ちあがったであろうといった言葉は、歴史に対するふかい英智と洞察力がこめられているとおもっている。アメリカのこの時期のむごさは、たとえば相手が日本でなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとすれば、その外交政略はたとえおなじでも、嗜虐的(サディスティック)なにおいだけはなかったにちがいない。(中略)
一九四五年八月六日、広島に原爆が投下された。(中略)
国家間における人種問題的課題は、平時ではさほどに露出しない。しかし戦時というぎりぎりの政治心理の場になると、アジアに対してならやってもいいのではないかという、そういう自制力がゆるむということにおいて顔を出している。
これは メッセージ 1633 (toapanlang さん)への返信です.
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