解説:斜め上の雲 53
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/05 21:50 投稿番号: [1614 / 2847]
ベトナムの近現代史の概観です。
>一八八四年のフエ条約によって、ついにフランスの保護国となったため、宗主国を自認する清とフランスの間に戦争がおこり、その結果結ばれた天津条約において完全にフランスの植民地と化した。
いわゆる清仏戦争です。
秘密結社「天地会」の成員で太平天国に参加したあと、ベトナムに寄宿していた劉永福は「黒旗軍」を率い清の唐景粔と協力して、フランス外人部隊と激戦を繰り広げ壊滅的打撃をあたえました。
講和後、劉は広東省南澳総兵となり、日清戦争後、『台湾民主国』総統に推戴された台湾巡撫唐景粔の招聘によって台湾で日本軍と戦います。適当に抗戦してさっさと支那大陸に退却したとも、最後までしぶとく戦いつつ退却したともいいます。後者は、台南の延平郡王(鄭成功)祠に併設の博物館パンフの説明によります。
劉はのち、1917年の大隈内閣の対中二十一ヶ条に反対する運動を準備中に死去したといいます。享年80歳。
田中芳樹なんかは彼をえらく評価しておりますが、私は痛快無比な「冒険野郎」「喧嘩屋」としておもしろくながめているだけです。
フランス軍と戦ったベトミンに日本軍人が参加していたことはようやく広く知られるようになってきました。ネットのお陰です。
第三十四独立混成旅団の井川省少佐は、ベトミンの参謀としてとどまり、陸軍士官学校を創設しました。フランス軍の伏兵にあって戦死した彼のベトナム名は「レ・チ・ゴ」です。ほかにも多くの日本軍人がベトナム独立のために戦っております。
元記事が消えているようなので、孫引きになってしまいますが、
http://toron.pepper.jp/jp/epi/vietj.html
こういうのもありました。
http://www.tkfd.or.jp/publication/reserch/chikara19_8.shtml
これらの記事に出てくる井川一久氏は、ベトナム戦争当時、解放勢力の正体がコミュニストであり、日本ではそのことがじゅうぶんに報道されてこなかったことをある程度看破しながら、統一後のかれらの「粛清」について甘い見通しを持ってもおり(『朝日ジャーナル』一九七五年六月六日号「革命とは何か その人間模様」)、対談相手の開高健に否定されていました。
そういったことを考えると、七五年生まれである筆者は、井川氏の転向(?)と努力になにやら隔世の感を感じたりします。
>赤ん坊の股を裂いてもてあそんだ、といううわさもきいた。
本多勝一の『戦争と民衆』ではこの蛮行は否定されていました。
>一八八四年のフエ条約によって、ついにフランスの保護国となったため、宗主国を自認する清とフランスの間に戦争がおこり、その結果結ばれた天津条約において完全にフランスの植民地と化した。
いわゆる清仏戦争です。
秘密結社「天地会」の成員で太平天国に参加したあと、ベトナムに寄宿していた劉永福は「黒旗軍」を率い清の唐景粔と協力して、フランス外人部隊と激戦を繰り広げ壊滅的打撃をあたえました。
講和後、劉は広東省南澳総兵となり、日清戦争後、『台湾民主国』総統に推戴された台湾巡撫唐景粔の招聘によって台湾で日本軍と戦います。適当に抗戦してさっさと支那大陸に退却したとも、最後までしぶとく戦いつつ退却したともいいます。後者は、台南の延平郡王(鄭成功)祠に併設の博物館パンフの説明によります。
劉はのち、1917年の大隈内閣の対中二十一ヶ条に反対する運動を準備中に死去したといいます。享年80歳。
田中芳樹なんかは彼をえらく評価しておりますが、私は痛快無比な「冒険野郎」「喧嘩屋」としておもしろくながめているだけです。
フランス軍と戦ったベトミンに日本軍人が参加していたことはようやく広く知られるようになってきました。ネットのお陰です。
第三十四独立混成旅団の井川省少佐は、ベトミンの参謀としてとどまり、陸軍士官学校を創設しました。フランス軍の伏兵にあって戦死した彼のベトナム名は「レ・チ・ゴ」です。ほかにも多くの日本軍人がベトナム独立のために戦っております。
元記事が消えているようなので、孫引きになってしまいますが、
http://toron.pepper.jp/jp/epi/vietj.html
こういうのもありました。
http://www.tkfd.or.jp/publication/reserch/chikara19_8.shtml
これらの記事に出てくる井川一久氏は、ベトナム戦争当時、解放勢力の正体がコミュニストであり、日本ではそのことがじゅうぶんに報道されてこなかったことをある程度看破しながら、統一後のかれらの「粛清」について甘い見通しを持ってもおり(『朝日ジャーナル』一九七五年六月六日号「革命とは何か その人間模様」)、対談相手の開高健に否定されていました。
そういったことを考えると、七五年生まれである筆者は、井川氏の転向(?)と努力になにやら隔世の感を感じたりします。
>赤ん坊の股を裂いてもてあそんだ、といううわさもきいた。
本多勝一の『戦争と民衆』ではこの蛮行は否定されていました。
これは メッセージ 1612 (toapanlang さん)への返信です.
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