斜め上の雲 50
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/30 17:30 投稿番号: [1604 / 2847]
余談ながら、私は大韓民国の歩みというものをこの物語で書こうとしている。
小さな。
といえば、朝鮮戦争直後の韓国ほど小さな国はなかったであろう。日本の残したインフラもほぼ灰燼に帰し、日本の教育を受けた人材がいたとはいえ、指導層は自称革命家あがり――ややもすればごろつきとかわりない――で政治ばかりか経済もわからないものたちで占められていた。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめて自分たちが主役となって近代国家を建設するため、朝鮮の旧習と血みどろの対決をしたのが、漢江の奇跡である。
その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫をいまの韓国人は食いちらしていることになるのだが、とにかくこの当時の韓国人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして労苦をおしまない努力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。現実をみる目をうしなって民族至上主義の陥穽にはまって堕落したいまからおもえば、とうてい考えられないほどの奇蹟といっていい。
その奇蹟と堕落の演出者たちは、数え方によっては半万人もおり、しぼれば三十六人もいるであろう。しかし小説である以上、その代表者をえらばねばならない。
その代表者を、顕官のなかからはえらばなかった。
一組の兄弟にえらんだ。
すでに登場したように、坡州金村のひと、金錫元(キム・ソクウォン)と金華秉(キム・ファビョン)である。この兄弟は、奇跡と堕落を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。
たとえば、こうである。韓国が近代化するにあたって、どうにも克服しがたいものがかれら自身のなかに二つあった。一つは現実を鑑みることなく理想のみを唱える観念主義である。
いまひとつは精神面におけるウリナラマンセーであった。
運命が、この兄弟にそれらとの対決を強いた。兄の錫元は、軍人として世界一脾弱(ひよわ)な朝鮮民族のリアリズムを鍛えざるをえなかった。軍事における観念主義はかれによって破壊された。かれは心魂をかたむけて軍事史の研究をし、ついに現実に即した作戦をみちびきだす工夫を完成し、ベトナム戦争には大佐として出征し、メコンデルタの密林において苦心惨憺たる殲滅戦を連闘しつつ敵をやぶった。
弟の華秉は中途で軍を退役し政治の世界に入った。
「詭弁息をするがごとし」といわれたこの人物は、政策シンクタンクの研究者として盧武鉉政権をささえた。
それ以前からかれは韓国を世界一とみる妄想をかさね、ウリナラマンセーを克服するのではなく、ぎゃくに発展させ、国家民族をそのなかにほうりこんだ。それによって韓民族至上主義の信念を得たとき、盧武鉉大統領はかれの思想と思考を信頼し、外交政策に参画させた。
この兄弟がいなければ韓国はどうなっていたかわからないが、そのくせこの兄弟が、どちらも本来が軍人志願でなく、いかにもそれぞれの時代の韓国的諸事情から世に出てゆくあたりに、いまのところ筆者はかぎりない関心をもっている。
小さな。
といえば、朝鮮戦争直後の韓国ほど小さな国はなかったであろう。日本の残したインフラもほぼ灰燼に帰し、日本の教育を受けた人材がいたとはいえ、指導層は自称革命家あがり――ややもすればごろつきとかわりない――で政治ばかりか経済もわからないものたちで占められていた。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめて自分たちが主役となって近代国家を建設するため、朝鮮の旧習と血みどろの対決をしたのが、漢江の奇跡である。
その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫をいまの韓国人は食いちらしていることになるのだが、とにかくこの当時の韓国人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして労苦をおしまない努力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。現実をみる目をうしなって民族至上主義の陥穽にはまって堕落したいまからおもえば、とうてい考えられないほどの奇蹟といっていい。
その奇蹟と堕落の演出者たちは、数え方によっては半万人もおり、しぼれば三十六人もいるであろう。しかし小説である以上、その代表者をえらばねばならない。
その代表者を、顕官のなかからはえらばなかった。
一組の兄弟にえらんだ。
すでに登場したように、坡州金村のひと、金錫元(キム・ソクウォン)と金華秉(キム・ファビョン)である。この兄弟は、奇跡と堕落を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。
たとえば、こうである。韓国が近代化するにあたって、どうにも克服しがたいものがかれら自身のなかに二つあった。一つは現実を鑑みることなく理想のみを唱える観念主義である。
いまひとつは精神面におけるウリナラマンセーであった。
運命が、この兄弟にそれらとの対決を強いた。兄の錫元は、軍人として世界一脾弱(ひよわ)な朝鮮民族のリアリズムを鍛えざるをえなかった。軍事における観念主義はかれによって破壊された。かれは心魂をかたむけて軍事史の研究をし、ついに現実に即した作戦をみちびきだす工夫を完成し、ベトナム戦争には大佐として出征し、メコンデルタの密林において苦心惨憺たる殲滅戦を連闘しつつ敵をやぶった。
弟の華秉は中途で軍を退役し政治の世界に入った。
「詭弁息をするがごとし」といわれたこの人物は、政策シンクタンクの研究者として盧武鉉政権をささえた。
それ以前からかれは韓国を世界一とみる妄想をかさね、ウリナラマンセーを克服するのではなく、ぎゃくに発展させ、国家民族をそのなかにほうりこんだ。それによって韓民族至上主義の信念を得たとき、盧武鉉大統領はかれの思想と思考を信頼し、外交政策に参画させた。
この兄弟がいなければ韓国はどうなっていたかわからないが、そのくせこの兄弟が、どちらも本来が軍人志願でなく、いかにもそれぞれの時代の韓国的諸事情から世に出てゆくあたりに、いまのところ筆者はかぎりない関心をもっている。
これは メッセージ 1601 (toapanlang さん)への返信です.
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