竹島

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ふーん

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/14 08:38 投稿番号: [9400 / 18519]
>どうでしょうか。3として提示したものはいわゆる日本領土派の見解ですが、ちょっと書き方がまずかったかもしれません。

ならば、どっちでもいい派の観点として、4.を加えて下さい。

4.州は二島を表す。日本の西北境も二島と言っている。

州の訓読としては、シマ(≠島、=領域)でも差し支えないでしょう。

>竹島渡海事業を根拠に 視聴合紀の解釈

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/14 06:53 投稿番号: [9399 / 18519]
ご返答ありがとうございます。

私の #9312 も読み返すと意図が分かりにくい文章ですね。すみません。

私が聞きたかったことを別の言葉で言うと次のようになります。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
もしも「17世紀半ばに日本は竹島(鬱陵島)を国外と考えていたので、竹島渡海事業は国外への渡航として扱われた」と主張する人がいた場合、その人への反論として「隠州視聴合紀には竹島が日本の領土だと書いてある」と言うことができるか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この反論が成り立つには、「隠州視聴合紀には竹島が日本の領土だと書いてある」ということが隠州視聴合紀の内容自体から読み取れなければいけません。

もし、隠州視聴合紀が竹島を日本の西北国境としていることを証明する際に「17世紀半ばに日本は竹島を自国領と考えていた」ことを使っているのならば、上の反論は成り立たないと思います。

この点について、Okinoさんのお考えを聞きたかったのです。

>>Te2222000さん・・・

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/14 06:31 投稿番号: [9398 / 18519]
アドバイスをありがとうございます。ただ、申し訳ございませんが、私には kana_ikeuchiさんのおっしゃることがよく理解できないため、少々お伺いしてよろしいでしょうか。

>     1.ミクロ的に正しくても間違った結論が導かれることもある。
>       例; 州を、辞書であたる。隠州視聴聞記に同じような用い方が有るか調べる。

ここで「例;」として書かれているのは、文脈からして当然「ミクロ的に正しくても間違った結論が導かれる」例を挙げていただいたものと思ったのですが、どうも内容を見ると違うようです。むしろ、これらは「ミクロ的に正しい結論を導く方法」の例だと思います。

それにも関わらず、これらを上の文脈で例として挙げたということは、kana_ikeuchiさんはこれらの方法を使うと間違った結論が導かれると考えていらっしゃる、或いは導かれた実例をご存知であるためだと推測したのですが、この推測は正しいでしょうか。

正しい場合、どのような結論が導かれ、それがどのように間違いなのかについてもう少し具体的に教えていただけませんでしょうか。


>     2.現存する記述、史料だけから必ずしも正しい結論が導き出せるとはかぎらない。
>       例;「日本国内の島として」、「日本国内の島への渡航として」

こちらも文脈からすると「現存する記述、史料だけから必ずしも正しい結論が導き出せない」例を挙げていただいたものと思うのですが、「日本国内の島として」「日本国内の島への渡航として」という文言がそれとどう関係するのか、申し訳ありませんが、私にはさっぱり分かりませんでした。もう少しご説明を加えていただけると幸いです。

このように最初に手法を挙げてくださった個所で文章を理解できなくなってしまったため、それ以降の記述も意味が分かっておりません。私の読解力が足りずにご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします。

kana_ikeuchi さん

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/05/14 00:26 投稿番号: [9397 / 18519]
kana_ikeuchi さん良く理解できました。

”3.「州(島)」は竹島(鬱陵島)を表し、日本の西北境は竹島(鬱陵島)と言っている。”
でなければなりませんね。

ディベートなかなか気が許せませんね

”3.「州」は松島・竹島を表し、日本の西北境は此二島と言っている。”
うむ、これはなぁ・・・。

henchin_pokoider01さん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/14 00:18 投稿番号: [9396 / 18519]
最近、竹島問題はまったく勉強しておらずほとんど別のトピで油を売っていましたのでどうも頭の中に残っている知識がおぼろげですが、隠州視聴合紀については私のあげた2の理解で、ご提示の資料をはじめとしてほかの周辺の状況とも、整合性に不自然さはないように感じています。

ただし、あくまで歴史に無知な者の私見ですのであしからず。

>ahirutousagi2さん・・・

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/14 00:02 投稿番号: [9395 / 18519]
>Am_I_AHO_1stさんと貴方は別人ですか同一人物でしょうか。

言うまでもなく、別人です。

私はさきに「然則日本之乾地以此州為限矣」の解釈について三つの可能性を示しました(3は先ほど記述を訂正しましたが)。

私がはっきりと申し上げたことは、1として提示したものの可能性はない、ということです。

2と3の違いは、文字通り「州」をどう読むかの問題です。私は、これを隠州と読んだからといって、べつに竹島・松島が「異国(または朝鮮)」と規定されるわけではないと思っているわけです。

torezojpさん

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/13 23:39 投稿番号: [9394 / 18519]
ahirutousagi2さんは、下の3通りの可能性をかんがえている。

  1.松島・竹島は朝鮮(異国)のもので、日本の西北境は隠州と言っている。
  2.松島・竹島は無人島であり、日本の西北境は隠州と言っている。
  3.「州(島)」は竹島(鬱陵島)を表し、日本の西北境は竹島(鬱陵島)と言っている。

  torezojpさんは3.だと言う意見ですわね。

  ahirutousagiさんは、それに対して   2.と考える、その理由を述べてるだけでしょう。

Am_I_AHO_1stさんが、
  3.「州」は松島・竹島を表し、日本の西北境は此二島と言っている。
  二人の議論には関係ないでしょう。AHOさんの個人的見解として聞き流せばよいでしょう。

>>>私見ですが

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2005/05/13 23:19 投稿番号: [9393 / 18519]
>周辺との整合性においてもっとも合理的であるように思うからです。

そもそも、朝鮮に渡海するには己酉約条によって朝鮮側の許可書が必要だったんじゃなかったっけ?
1695年8年12月の鳥取藩江戸藩邸から江戸幕府への返答書とも整合するのね。

-------------------------------- -
1.因州伯州のものたる竹島は、いつの頃から両国の付属となったのか。鳥取藩の先祖の領地として下される以前から、それは付属なのか、その後からのものなのか。
(鳥取藩回答)
竹島は因州伯州の付属ではありません。ですが伯耆国の町人大谷九右衛門、村川市兵衛と申す者が、この島に渡海しております。それはかつて松平新太郎様が国を領され始めた頃、御奉書を頂き、始まったものと承っております。それ以前からも、渡海致していたようですが、そのような昔のことは、余りよく知りません。

ahirutousagi2さん・・・

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/05/13 23:13 投稿番号: [9392 / 18519]
続けて下さい。2.3.の間の違を詳しく・・・。

>日本に属する島ではあるが、管理・所轄の対象である有人島ではなく、単に開発・事業の対象としての無人島の意識です。
わざわざ斉藤はそれを「西北境」とはしなかった。それが私が2で示したものでした。

概略、私と意見は余り違わないようですが、「然則日本之乾地以此州為限矣」の解釈が異なると言われるのでしょうか。

それから、Am_I_AHO_1stさんと貴方は別人ですか同一人物でしょうか。ahirutousagi2さん・・・。

当方はその辺が分からず困惑しています。

>>私見ですが

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/13 22:52 投稿番号: [9391 / 18519]
歴史に対する知識がないのでうまく言えませんが、私が2とするのは、該当の文脈からの判断だけでなく、それが周辺との整合性においてもっとも合理的であるように思うからです。

なお、ご提示の「知夫郡焼火山縁起」「南方村」条の記述については2・3ともに、合致する内容かと思います。

個人的にはイメージとしては長久保赤水の地図のような感じで理解しています。そこでは沖ノ島や青ヶ島、沖永良部島などが竹島・松島にあわせて彩色されていませんが、日本の地であることにはかわりありません。

長久保赤水が「隠州視聴合紀」を参考にして「高麗を見ること云々」と付したこともこうした理解に矛盾しません。

日本に属する島ではあるが、管理・所轄の対象である有人島ではなく、単に開発・事業の対象としての無人島の意識です。わざわざ斉藤はそれを「西北境」とはしなかった。それが私が2で示したものでした。

Eritrea - Yemen Arbitrationの判例

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2005/05/13 22:33 投稿番号: [9390 / 18519]
まだ判決はしてないようだが、実効支配の考え方の集大成になりそうだ。

Fishing Activities by Private Persons
For state activity capable of establishing a claim for sovereignty, the Tribunal must look to the state licensing and enforcement activities concerning fishing described above.
・1905年4月14日:海驢漁を許可制にする漁業取締規則改正(島根県令18号)
・1905年5月20日:上記の漁業取り締まり規則による海驢漁の許可(乙農第805号)

Activities on the Islands
This evidence includes: landing parties on the Islands; the establishment of military posts on the Islands; the construction and maintenance of facilities on the Islands; the licensing of activities on the land of the Islands; the exercise of criminal or civil jurisdiction in respect of happenings on the Islands; the construction or maintenance of lighthouses; the granting of oil concessions; and limited life and settlement on the Islands.
・1905年8月:コンクリート基盤木造の海軍仮設望楼の建設

>家鴨と兎さん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/13 22:09 投稿番号: [9389 / 18519]
どうでしょうか。3として提示したものはいわゆる日本領土派の見解ですが、ちょっと書き方がまずかったかもしれません。

>3.「州(島)」は竹島(鬱陵島)を表し、日本の西北境は竹島(鬱陵島)と言っている。

とすべきでした。あえて「州」を「此二島」としてセットにする必要はありませんね。

公証人代理・・・

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/05/13 21:19 投稿番号: [9388 / 18519]
Am_I_AHO_1st (45歳/海外どっか) さん江

>>3.「州」は松島・竹島を表し、日本の西北境は鬱陵島と言っている。

>言い出しっぺとしては、若干修正させて頂きたい。

>3.「州」は松島・竹島を表し、日本の西北境は此二島と言っている。

訂正されたことを   確かに承りました。
認証の意味で   レスしてきます。

追伸

投稿者: yosituneihan 投稿日時: 2005/05/13 21:16 投稿番号: [9387 / 18519]
  いつも笑わせてくれてどうもありがとう。

竹島渡海事業を根拠に 視聴合紀の解釈

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/13 20:50 投稿番号: [9386 / 18519]
>[竹島渡海事業の性格を根拠に隠州視聴合紀の解釈を行う]だと思ってよろしいでしょうか。

Okino:
特に渡海事業を根拠に解釈をした自覚は無いが,松江藩から隠岐へ派遣された郡代は,これが藩命か幕命のどっちだろうか?
確かに視聴合紀を編集した1667年前後は竹島開発の真っ最中でした,鎖国政策(1639〜)もあり,竹島経営(1616〜1696)は80年間でした,どうも鎖国政策をきびしく取り締まる為に郡代を隠岐に派遣した様に思えるのです,それだから,郡代は異国との国境は強く意識してたと思うし,それで幕府領地竹島を北西の境としたのではないだろうか

ついでに年代を記しておきましょう
(1603ー1868)江戸幕府
(1438ー1881)李朝,空島政策
1618   私人2名幕府より竹島独占開発権を得る
1639〜鎖国政策
1656   松島へ幕府渡航許可を出す
1667   隠州視聴合紀編集
(1693ー1696)竹島領有権争い
1696   竹島渡海禁止

偽名?異名でしょ

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2005/05/13 20:23 投稿番号: [9385 / 18519]
『巷街贅説』にはこうも書いてあります。

会津屋さく方に無人別にて罷在候当時無届
金清事   八   右   衛   門

こういう記事もある

「右者、親清助と申者、先年浜田屋鋪用達罷在、先年死去いたし家名絶え候処、六ケ年以前忰八右衛門願出候者、」以下省略

紀州沖で遭難しオランダ船に救助された後、異国を巡り密かに日本へ帰国した清助であったが、この記事では跡継ぎが無く家名は途絶えたとある。金清事は清助の実子ではなく、養子に迎えたのではないかな。
もしかしたら、清助が異国から連れ帰ったものなのかもしれないね。
まあこの部分は「思いこみ」というよりも「推測を交えている」と言って貰った方が当たってはいるけどね、彼が松島(獨島)へ渡ったことは一切書いてないことは事実だからね。

対馬

投稿者: rsawa75 投稿日時: 2005/05/13 19:46 投稿番号: [9384 / 18519]
  日本の神話(古事記)にあるとおり、対馬は昔から日本の国土である。

金清事は偽名

投稿者: three_monkeys_and_sleeping_cat 投稿日時: 2005/05/13 19:15 投稿番号: [9383 / 18519]
>>>『巷街贅説』には朝鮮商人金清事こと会津屋八衛門が竹島(鬱陵島)へ渡った事は書いてあったけど、松嶋(獨島)へ渡ったことは書いてないんだけどね。
>>これって朝鮮人にありがちな勝手な思いこみって奴かしら?
>あれあれ〜?kana_ikeuchiは『巷街贅説』を読んだこともないんだな。
『巷街贅説』の内容すら知らずに、勝手に思いこんでいる訳か。
ぷ♪

気になって『巷街贅説』を調べてみましたが金清事てのは、朝鮮商人と取り引きするときの偽名ですね。

『巷街贅説』にはこう書いてあります。

石州浜田廻船問屋会津屋清助忰
異名金清事 八   右   衛   門

wakarannjinさん、朝鮮商人ってのはアナタの思い込みですね。

一応、web上で見れる『巷街贅説』
http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/kogai2.htm

家鴨と兎さん

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/13 15:37 投稿番号: [9382 / 18519]
>3.「州」は松島・竹島を表し、日本の西北境は鬱陵島と言っている。

言い出しっぺとしては、若干修正させて頂きたい。

3.「州」は松島・竹島を表し、日本の西北境は此二島と言っている。

ぷぷぷ♪

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2005/05/13 09:14 投稿番号: [9381 / 18519]
>>『巷街贅説』には朝鮮商人金清事こと会津屋八衛門が竹島(鬱陵島)へ渡った事は書いてあったけど、松嶋(獨島)へ渡ったことは書いてないんだけどね。

>これって朝鮮人にありがちな勝手な思いこみって奴かしら?

あれあれ〜?kana_ikeuchiは『巷街贅説』を読んだこともないんだな。
『巷街贅説』の内容すら知らずに、勝手に思いこんでいる訳か。
ぷ♪

>>『竹島松島之図』ってのは、太政官が我が国(日本)と関係なしと判定する材料の一つにつかわれたアレですかい?

>そんな混乱もあったわね。

ぷぷ♪
混乱だって?
本当に竹島を日本国は知っていたのかしら?史書の隅つつきの上でのバーチャル領土でないの。

>>松島(鬱陵島)までも朝鮮国から奪おうとする明治時代の風潮の中で、『大日本史』(大正年間に完成)の筆写は相当に苦しんだろうね。
「よくわからないので識者を待つ」としたのは、根拠がないことを自白する学者としての良心が言わしめた言葉だろ。

>元禄竹島一件の時、「兵威」を用いて竹島を日本領にする案もあったのに、一六九六(元禄九)年鳥取藩に竹島への渡海禁止を申しわたしたりしてさ。「兵威」を用いておけばこんなにゴタゴタしなかったんでしょうよ。君子国過ぎてもお隣がああでわね・・・。

なるほど、『大日本史』の話なのに、都合が悪くなるとすり替えでつか。
事実に目を背け、捏造、曲解、重箱の隅つつきに熱中するのも日本人に多い特徴かしら?

>>あれあれ、今では日本政府も1905年の島根県編入で『国際法的な領有権を確定』とはしてないのにね。

>これにイチャモンつける国は中朝ぐらいでしょう。国際司法裁判を何故忌諱するの?

ぷぷぷ♪
最後は、訳の分からないことを口走りながら遁走するわけでつね。

>>Te2222000さん・・・

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/13 08:03 投稿番号: [9380 / 18519]
>>大切なのは、国際法的な領有権を確定する1905年の島根県に編入だけでしょう。本質から目をそらして、論点いや論理そのものを曖昧にするため衒学的な議論を展開する、あたしよく分からずにTe2222000さんもその類かと早とちりして申し訳ございませんでしたわ。

>内容として私の論理の曖昧さを指摘しているようには読み取れませんでした。

その通りですわ。

>おっしゃる通りです。ただ、日本人が竹島松島のことを「日本国内の島として」述べていると断定する自信が私にはないのです。

>これも同様で、竹島への渡航を「日本国内の島への渡航として」記載していると断言する自信が私にはありません。

上に述べたとおりですわ。論語読みの論語知らず。ミイラ取りがミイラになる。ツターカーメンの顔の復元をコンピューターでなんて時代です。

史料を吟味しながら正しい結論が導けたらという姿勢は尊敬します。

手法として;
    1.ミクロ的に正しくても間違った結論が導かれることもある。
      例; 州を、辞書であたる。隠州視聴聞記に同じような用い方が有るか調べる。

    2.現存する記述、史料だけから必ずしも正しい結論が導き出せるとはかぎらない。
      例;「日本国内の島として」、「日本国内の島への渡航として」

  ミクロ的にみるとかえって誤りに至ることがある。1.2.に関してどのような結論を出されるか興味をもって見守らして頂きたいと存じます。1.は同時代の他のネイティブがどのように読み、解釈していたかも重要です。2.は蓋然性しか見出せないのでないか、推論は論理を積み上げても前提が推論なれば蓋然性しか導かれない。理系で言う有効数字みたいなものです。

  マクロ的に全体的に流れを見ながら導き出せるものが正しい場合もある。演繹法的な手法に無理があるときは帰納法的な形で導き出さざるを得ない。2.は消去法、逆説的に朝鮮国のものと言えるかどうかも重要な手法となる。全体としていいうることの方が重要な事は史料の分析のさい屡々遭遇することです。

  素人が、研究されている方に生意気ないい方で申し訳ないと思いながら敢えて言わして頂きましたの。論理的で正しい史学的な論証を期待しております。ほんとうに楽しみですわ。

>私見ですが

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/13 06:09 投稿番号: [9379 / 18519]
torezojpさん

私は #9251 で以下のように書きました。

>(個人的には「此州」が「竹嶋+松嶋」である可能性もあると思っています)

私はあくまで一つの可能性を書いただけですが、torezojpさんはもっと積極的にこれが正しいだろうとお考えになっている訳ですね。

>Te2222000さん・・・

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/13 06:00 投稿番号: [9378 / 18519]
色々とご教示いただきありがとうございます。

最初にちょっと確認させて下さい。ご返答の記事の前半は、私の「どの辺が論理曖昧と感じられたか」という質問を引用した上で書かれていますが、内容として私の論理の曖昧さを指摘しているようには読み取れませんでした。お書きになったことは上の質問に対する回答ではない、と理解してよろしいでしょうか。

次に、私の当面の関心は「隠州視聴合紀のテキストのみに基づいて、『以此州為限矣』の『此州』の解釈をどこまで明確にできるか」にあることをご承知おきください。隠州視聴合紀以外の史料についても色々とご説明いただきましたが、それらについて私が勉強するのは暫く先のことになると思います。

最後に、隠州視聴合紀の記述について書いていただいた内容にコメントします。

> あたしが間違ってるかも知れないけど、隠州視聴合紀は明らかに、
> 鬱陵(磯竹島)と竹島(松島)について日本人によって述べられた
> 記述です。

おっしゃる通りです。ただ、日本人が竹島松島のことを「日本国内の島として」述べていると断定する自信が私にはないのです。

> さらには「知夫郡 焼火山縁起」、「南方村」条で竹島に日本人が
> 渡航していた事を記載しています。違ったかしら?

これも同様で、竹島への渡航を「日本国内の島への渡航として」記載していると断言する自信が私にはありません。

>国代記の 竹島日本領解釈として

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/13 05:55 投稿番号: [9377 / 18519]
ご返答ありがとうございます。

> 1635年の鎖国により,海外渡航は禁止されたが
> その最中にも,郡代は隠岐番所で竹島出航を管理していた  
> つまり,竹島行きは国内範中であり,国内領として取り扱って
> いたのです  

そうですね。#9312, #9363 でも少し触れていますが、竹島渡海事業の性格については別途きちんと確認する必要がありそうです。

ところで、Okinoさんは #9312 で私が書いた(イ)の立場[竹島渡海事業の性格を根拠に隠州視聴合紀の解釈を行う]だと思ってよろしいでしょうか。

>   国代記で
>『この無人島からは,ちいさい島の様に高麗を見ることが出来る,
> それならばこの地域をもって日本の西北の境とする』と記したのでは
> ないだろうか  
> さらに,この無人島には竹島,松島と日本名が歴々と記されているので
> 日本領の認識があったと思う方が自然ではないだろうか

おっしゃることは正論だと思います。ただ Okino さんご自身が「…と思う方が自然ではないだろうか」と表現するに留まり、「…と言える」とお書きにならなかったことが、この議論の限界を示していると思います。

また、自然な考え方を大事にするなら、「この州」という言葉は、○○島を指すよりも○○州を指すと考える方がずっと自然だということを忘れてはいけない思います。

私としては、隠州視聴合紀の中で、他に「州」を島の意味で使っている例がないか探し、「この州」が島を指すという意見が納得できるものであるか確認したい思っております。

ぷっぷっぷ♪

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/12 23:38 投稿番号: [9376 / 18519]
>>「   『巷   街   贅   説』塵哉、『事 々 録』三田村鳶魚(1870-1952)など石州浜田竹島一件など、松島経営に名を借りた竹島での異国との交易が1836年に発覚した。」もありでしょう。細かいことを抜きにして日本人が竹島、松島を熟知して事業活動?を行っていた事実はあるわよ。

>『巷街贅説』には朝鮮商人金清事こと会津屋八衛門が竹島(鬱陵島)へ渡った事は書いてあったけど、松嶋(獨島)へ渡ったことは書いてないんだけどね。

これって朝鮮人にありがちな勝手な思いこみって奴かしら?

>>幕命によって鳥取藩が、大谷、村川両家から鬱陵島周辺海域を聞き調べ作製した図に、竹島松島之図(1724)があり、さらに長久保赤水(1717-1801)の「改正日本輿地路程全図」、林子平(1738-1793)『三国通覧図説』の三国輿地路程全図(1785)などの地図まであるわ。

>『竹島松島之図』ってのは、太政官が我が国(日本)と関係なしと判定する材料の一つにつかわれたアレですかい?

そんな混乱もあったわね。朝鮮人だって竹島のことを1438年から1881年まで認知症になっていたんでしょう。竹島のことを于山国、于陵島、于山国島、武陵島、流山国島、于山島、芋陵島、羽陵城、鬱陵島、羽陵島、蔚陵島、武陵島、于山武陵等處、茂陵島、武陵島于山、于山・鬱陵島、于山・武陵二島、三峯島、松島即于山島、もうAHOらしくて書く気しないわ。本当に竹島を朝鮮国は知っていたのかしら?史書の隅つつきの上でのバーチャル領土でないの。

>>江戸時代、竹島、松島に日本人の歴史が記されている。竹島だった鬱陵がいつの間にか『大日本史』・・隠岐の国、下・・・、で松島、竹島が「我が版図」になったのかよくわからないので識者を待つと書かれていたり、日本人が竹島、松島に活躍した事実とそれに伴う記載、地図の類まで残っていましたわね。こういう事実に目を背け、捏造、曲解、重箱の隅つつきが多かったでしょう。

>松島(鬱陵島)までも朝鮮国から奪おうとする明治時代の風潮の中で、『大日本史』(大正年間に完成)の筆写は相当に苦しんだろうね。
「よくわからないので識者を待つ」としたのは、根拠がないことを自白する学者としての良心が言わしめた言葉だろ。

元禄竹島一件の時、「兵威」を用いて竹島を日本領にする案もあったのに、一六九六(元禄九)年鳥取藩に竹島への渡海禁止を申しわたしたりしてさ。「兵威」を用いておけばこんなにゴタゴタしなかったんでしょうよ。君子国過ぎてもお隣がああでわね・・・。こういう事実に目を背け、捏造、曲解、重箱の隅つつきに熱中するのも朝鮮人に多い特徴かしら?

>大切なのは、国際法的な領有権を確定する1905年の島根県に編入だけでしょう。本質から目をそらして、論点いや論理そのものを曖昧にするため衒学的な議論を展開する、あたしよく分からずにTe2222000さんもその類かと早とちりして申し訳ございませんでしたわ。

>あれあれ、今では日本政府も1905年の島根県編入で『国際法的な領有権を確定』とはしてないのにね。

これにイチャモンつける国は中朝ぐらいでしょう。国際司法裁判を何故忌諱するの?ぷっぷっぷ♪ W

>私見ですが

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/05/12 19:48 投稿番号: [9375 / 18519]
>・・・「隠州視聴合紀」該当文章の意味は、次のいくつかの可能性があるかと思います。

>1.松島・竹島は朝鮮(異国)のもので、日本の西北境は隠州と言っている。
>2.松島・竹島は無人島であり、日本の西北境は隠州と言っている。
>3.「州」は松島・竹島を表し、日本の西北境は鬱陵島と言っている。

>まず、1ですが、これは文章のどこにも松島・竹島を朝鮮(異国)のものとは書いていませんので可能性はないと思います。しかも「見高麗」としています。その視角には鬱稜島が朝鮮(異国)に属するという意識は感じられません。

>半月城さんは「高麗」は朝鮮半島を指すのみとしていたように記憶しますが、私は「高麗」には「国」としての朝鮮を見ていると考えます。そこには竹島・松島が朝鮮領土であるとの意識はないものと考えます。

>可能性としては2か3になると考えます。2はつまり「遠い無人島をわざわざ明確に西北境と規定するつもりがなかった。かといって両島を朝鮮としているわけではない。」ということです。こうした理解は、周辺状況からはずれないものと思います。

私は3でいいのではないかと思う。このことから、現実として竹島・松島は事業・経営の対象であり、またこうした資料を読んだ先人が鬱陵島の向こうに朝鮮という国を見ていたということが言える。

ahirutousagi氏のものをこのように書き換えれば、どうだろうか。

隱州在北海中故云隱岐嶋   (中略)   從是南至雲州美穂關三十五里   辰巳至伯州赤崎浦四十里   未申至石州温泉津五十八里   自子至卯無可徃地   戊(ママ)亥間行二日一夜有松島   又一日程有竹島   俗言磯竹島多竹魚海鹿   此二島無人之地   見高麗如自雲岐(ママ)望隱岐(ママ)   然則日本之乾地以此州為限矣

これは、「国代記」の一文であり、このほか「知夫郡焼火山縁起」、「南方村」条に竹島経営を示す記載と整合性がある。
”戊(ママ)亥間行二日一夜有松島   又一日程有竹島   俗言磯竹島多竹魚海鹿   此二島無人之地”は文献に初めて竹島が登場した点で注目される。   ”見高麗如自雲岐(ママ)望隱岐(ママ)”   はこの竹島に立って異国、朝鮮を見た感慨であろう。そこで翻って   ”然則日本之乾地以此州為限矣”で承けることになる。3でいいのでないかと私は思うのである。

此州が隠岐ならば,郡代は

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/12 17:08 投稿番号: [9374 / 18519]
然則日本之乾地、以此州為限
此州がもしも隠岐とするならば,「日本の乾地は此の隠岐をもって国境とする」となる,しかしそうならば,郡代は竹島を異国として対応しなくてはならなくなる,とうじ幕府は鎖国政策をとり違反者にはきびしく罰してた,にもかかわらず,郡代は竹島渡航を管理していた,異国とするならば,郡代は幕府にさからってることになる,幕府からおとがめうけなかったのは,竹島が日本の領地だったからであろう,だから隠岐に国境を引くのはおかしい事になるのだ

サンフランシスコ条約と対馬、竹島

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/12 15:49 投稿番号: [9373 / 18519]
転写
http://hajime1940.blog.ocn.ne.jp/hajime/2005/04/post_8cac.html

当時のヤン・ユンチャ駐米大使はそれから約3ヶ月後の7月9日、国務省でジョン・フォスター・ダレス大使に会って、サンフランシスコ 条約に対馬島が韓国に帰属されるはずなのかを重ねて確認した。
  しかしダレス大使は「対馬島は日本が長い間完全に統制していたと返事をし、韓国の要求を拒否した。

ヤン博士は、会談の開始に際し、韓国政府が対日平和条約に組み入れることを考慮して欲しいと希望するいくつかの点を掲げる国務長官あての公文(添付資料)をダレス氏に提出した。
 
合衆国政府は、ドク島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。
この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。

ぷ♪

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2005/05/12 11:14 投稿番号: [9372 / 18519]
>「   『巷   街   贅   説』塵哉、『事 々 録』三田村鳶魚(1870-1952)など石州浜田竹島一件など、松島経営に名を借りた竹島での異国との交易が1836年に発覚した。」もありでしょう。細かいことを抜きにして日本人が竹島、松島を熟知して事業活動?を行っていた事実はあるわよ。

『巷街贅説』には朝鮮商人金清事こと会津屋八衛門が竹島(鬱陵島)へ渡った事は書いてあったけど、松嶋(獨島)へ渡ったことは書いてないんだけどね。
これって日本人にありがちな勝手な思いこみって奴かしら?

>幕命によって鳥取藩が、大谷、村川両家から鬱陵島周辺海域を聞き調べ作製した図に、竹島松島之図(1724)があり、さらに長久保赤水(1717-1801)の「改正日本輿地路程全図」、林子平(1738-1793)『三国通覧図説』の三国輿地路程全図(1785)などの地図まであるわ。

『竹島松島之図』ってのは、太政官が我が国(日本)と関係なしと判定する材料の一つにつかわれたアレですかい?

>江戸時代、竹島、松島に日本人の歴史が記されている。竹島だった鬱陵がいつの間にか『大日本史』・・隠岐の国、下・・・、で松島、竹島が「我が版図」になったのかよくわからないので識者を待つと書かれていたり、日本人が竹島、松島に活躍した事実とそれに伴う記載、地図の類まで残っていましたわね。こういう事実に目を背け、捏造、曲解、重箱の隅つつきが多かったでしょう。

松島(鬱陵島)までも朝鮮国から奪おうとする明治時代の風潮の中で、『大日本史』(大正年間に完成)の筆写は相当に苦しんだろうね。
「よくわからないので識者を待つ」としたのは、根拠がないことを自白する学者としての良心が言わしめた言葉だろ。
こういう事実に目を背け、捏造、曲解、重箱の隅つつきに熱中するのも日本人に多い特徴かしら?

>大切なのは、国際法的な領有権を確定する1905年の島根県に編入だけでしょう。本質から目をそらして、論点いや論理そのものを曖昧にするため衒学的な議論を展開する、あたしよく分からずにTe2222000さんもその類かと早とちりして申し訳ございませんでしたわ。

あれあれ、今では日本政府も1905年の島根県編入で『国際法的な領有権を確定』とはしてないのにね。
ぷ♪

Te2222000さん・・・

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/11 20:20 投稿番号: [9371 / 18519]
>厳しいご指摘恐れ入ります。どの辺が論理曖昧と感じられたかをご説明いただけると幸いです。

あたしが間違ってるかも知れないけど、隠州視聴合紀は明らかに、鬱陵(磯竹島)と竹島(松島)について日本人によって述べられた記述です。さらには「知夫郡 焼火山縁起」、「南方村」条で竹島に日本人が渡航していた事を記載しています。違ったかしら?

「航海中に暴風に遭い、無人島に漂着した大谷甚吉は、新島の発見と考え、帰国後、村川市兵衛とはかり、1616年に江戸幕府から竹島への渡航許可を受ける。その後毎年交替で大谷、村川両家は竹島に渡り、アシカ猟やアワビ魚介漁、木材の伐採などを行った。両家の鬱陵島経営は78年間続いた。」   これも大まかだけど似たような話はあったでしょう。

「   『巷   街   贅   説』塵哉、『事 々 録』三田村鳶魚(1870-1952)など石州浜田竹島一件など、松島経営に名を借りた竹島での異国との交易が1836年に発覚した。」もありでしょう。細かいことを抜きにして日本人が竹島、松島を熟知して事業活動?を行っていた事実はあるわよ。

幕命によって鳥取藩が、大谷、村川両家から鬱陵島周辺海域を聞き調べ作製した図に、竹島松島之図(1724)があり、さらに長久保赤水(1717-1801)の「改正日本輿地路程全図」、林子平(1738-1793)『三国通覧図説』の三国輿地路程全図(1785)などの地図まであるわ。

江戸時代、竹島、松島に日本人の歴史が記されている。竹島だった鬱陵がいつの間にか『大日本史』・・隠岐の国、下・・・、で松島、竹島が「我が版図」になったのかよくわからないので識者を待つと書かれていたり、日本人が竹島、松島に活躍した事実とそれに伴う記載、地図の類まで残っていましたわね。こういう事実に目を背け、捏造、曲解、重箱の隅つつきが多かったでしょう。

大切なのは、国際法的な領有権を確定する1905年の島根県に編入だけでしょう。本質から目をそらして、論点いや論理そのものを曖昧にするため衒学的な議論を展開する、あたしよく分からずにTe2222000さんもその類かと早とちりして申し訳ございませんでしたわ。

>確かに隠州視聴合紀の解釈がどうであろうとも、現在の竹島領有権の問題にはほとんど影響しない思われますから、重箱の隅つつきと言われても仕方ないかもしれません。ただ、日本の固有領土という主張に対する検証の意味で全く無益なこととも思いません。

>私の書き方が悪く、誤解を招いてしまったかと思いますが、私は、国代記冒頭の一節だけではこれ以上のことは分からないので隠州視聴合紀全体を読んで判断したいと申し上げたつもりでした。

>あるいは、それを理解された上で隠州視聴合紀全体のことを「短い文章」と言われたのでしょうか。もしそうであれば、その意図をもう少しご説明いただけませんか。隠州視聴合紀は、必ずしも短いとは思えないので。

目薬と根気がいるとか言っていた方もいたようですね。

>1905年以前の韓国による竹島実行支配の証拠をお知りになりたいのであれば、質問相手として私は不適切です。私は竹島問題については勉強中であり、お教えできるような確かな知識を持っておりません。

>ひょっとすると kana_ikeuchi さんは、私が竹島を韓国領と主張しているものと勘違いして、それを反駁するつもりで上の質問をされたのかもしれません。しかし、私はまだ領有権がどちらにあるかの判断がついておりません。掲示板上でも、日本側の証拠を検証する質問をしたことはありますが、竹島が韓国領だと主張したことはありません。この二つは全く別のこととお考えいただきたく存じます。

了解いたしましました・・・。   ごめんなさいね。

国代記の 竹島日本領解釈として

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/11 12:18 投稿番号: [9370 / 18519]
>無人の、したがって日本人が住んでおらず、朝鮮半島が見える程に近い島を日本の領土とは言い難い。(★●)
なので、隠州が日本の北西の国境となる。(●)

いずれも決定的な根拠がなく、私はまだどちらの解釈が正しいか判断できません。
韓国側が国代記冒頭部の、更に一部だけを取り出して不当な解釈をしているという批判をしばしば見掛けます。上に書いたように、文章全体を見てもなお竹島松島が日本領でないという解釈は可能だと思っています。

Okino:
1635年の鎖国により,海外渡航は禁止されたが   その最中にも,郡代は隠岐番所で竹島出航を管理していた   つまり,竹島行きは国内範中であり,国内領として取り扱っていたのです

  国代記で
『この無人島からは,ちいさい島の様に高麗を見ることが出来る,それならばこの地域をもって日本の西北の境とする』と記したのではないだろうか  
さらに,この無人島には竹島,松島と日本名が歴々と記されているので日本領の認識があったと思う方が自然ではないだろうか

>私見ですが

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/11 06:32 投稿番号: [9369 / 18519]
大変参考になるご意見でした。ありがとうこざいます。

確かに日本領でないことと朝鮮領であることは別のことですね。国境がただ一つ、どこかに決まる筈だという現在の感覚で史料を読むと思わぬ落とし穴にはまりかねません。注意したいと思います。

>隠州視聴合紀・国代記の解釈について

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/11 06:24 投稿番号: [9368 / 18519]
ご返答ありがとうございます。

>韓国人に多い論理曖昧の虚偽というやつですかしら?
>(尤も、あなたが韓国人という意味でないわよ。)

厳しいご指摘恐れ入ります。どの辺が論理曖昧と感じられたかをご説明いただけると幸いです。

>文献記載の重箱の隅つつきは、ギリシャ時代の天文学の記載を
>研究して天動説が導かれるか、それとも地動説が正しいかを
>論じるようなもの・・・。

確かに隠州視聴合紀の解釈がどうであろうとも、現在の竹島領有権の問題にはほとんど影響しない思われますから、重箱の隅つつきと言われても仕方ないかもしれません。ただ、日本の固有領土という主張に対する検証の意味で全く無益なこととも思いません。

>遊びは結構だと思うけど、ブログでも拵えてやって下さいな。
>事実が大切でしょう。こんな短い文章からそれが導き出せると
>思えばブログで、それやるのを誰も止めないわ。好きなだけ
>やって下さらない。

私の書き方が悪く、誤解を招いてしまったかと思いますが、私は、国代記冒頭の一節だけではこれ以上のことは分からないので隠州視聴合紀全体を読んで判断したいと申し上げたつもりでした。

あるいは、それを理解された上で隠州視聴合紀全体のことを「短い文章」と言われたのでしょうか。もしそうであれば、その意図をもう少しご説明いただけませんか。隠州視聴合紀は、必ずしも短いとは思えないので。

>その前に、一つお願いがあるの。
>反ケツさんと御一緒でいいから、kos200572さんの質問に
>答えて下さらないかしら。あたしも是非知りたいの。↓

1905年以前の韓国による竹島実行支配の証拠をお知りになりたいのであれば、質問相手として私は不適切です。私は竹島問題については勉強中であり、お教えできるような確かな知識を持っておりません。

ひょっとすると kana_ikeuchi さんは、私が竹島を韓国領と主張しているものと勘違いして、それを反駁するつもりで上の質問をされたのかもしれません。しかし、私はまだ領有権がどちらにあるかの判断がついておりません。掲示板上でも、日本側の証拠を検証する質問をしたことはありますが、竹島が韓国領だと主張したことはありません。この二つは全く別のこととお考えいただきたく存じます。

竹島は…

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2005/05/11 02:31 投稿番号: [9367 / 18519]
皇帝の名の元に独立を宣言する!

初代皇帝   pup_pooh_one

>竹島渡海免許の性格(横から失礼)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/10 23:57 投稿番号: [9366 / 18519]
なんだかかみ合ってないですね。VIVA_VIVA_21さんの書き込みを受け入れるとすれば、いずれにしても、以下の半月城さんの書き込みはごり押しにしかならないと思いますよ。

>9290
【理由1】
   私は同書にある「知夫郡 焼火山縁起」の記述に注目しています。そこで竹島(鬱陵島)は「伯耆国の大賈 村川氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島へ致す(注4)」と書かれました。
   これから著者の斉藤豊仙は、磯竹島、すなわち竹島(鬱陵島)を朱印船がいくような島と理解していたことがわかります。朱印船とはいうまでもなく、外国へ渡航することを江戸幕府から許された船をさします。
  そうなると、竹島(鬱陵島)は異国の地であり、同書における記述「日本の北西地はこの州をもって限りとなす」の「この州」は竹島(鬱陵島)ではなく、やはり隠州になります。

VIVA_VIVA_21さんの解釈を参考とするならば、半月城さんの「斉藤豊仙は、磯竹島、すなわち竹島(鬱陵島)を朱印船がいくような島と理解していたこと」は何ら韓国領の根拠にはなりえないし、朱印船の規定も誤りであり、さらにそれらを根拠として導いた「この州=隠州」は崩れてしまいます。

半月城さんの【理由1】は何ら根拠にはならないということです。

そもそも、VIVA_VIVA_21さんの発言の出発点も、上の半月城さんの「朱印船とはいうまでもなく、外国へ渡航することを江戸幕府から許された船をさします」を受けて批判したものではないでしょうか。

>まず朱印というものが海外向けの活動だけに適用されるという捏造解釈があるようなので、この誤りを指摘しておきます。(9302)

半月城さんの反論は、私が読んだ限りではあまり反論にはなっていないように思われました。よりよい議論を期待しています。

私見ですが

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/10 23:51 投稿番号: [9365 / 18519]
私の私見をちょっと書いておくことにします(以前にどなたかがご紹介くださった意見でもあります)。「隠州視聴合紀」該当文章の意味は、次のいくつかの可能性があるかと思います。

1.松島・竹島は朝鮮(異国)のもので、日本の西北境は隠州と言っている。
2.松島・竹島は無人島であり、日本の西北境は隠州と言っている。
3.「州」は松島・竹島を表し、日本の西北境は鬱陵島と言っている。

まず、1ですが、これは文章のどこにも松島・竹島を朝鮮(異国)のものとは書いていませんので可能性はないと思います。しかも「見高麗」としています。その視角には鬱稜島が朝鮮(異国)に属するという意識は感じられません。

半月城さんは「高麗」は朝鮮半島を指すのみとしていたように記憶しますが、私は「高麗」には「国」としての朝鮮を見ていると考えます。そこには竹島・松島が朝鮮領土であるとの意識はないものと考えます。

可能性としては2か3になると考えます。2はつまり「遠い無人島をわざわざ明確に西北境と規定するつもりがなかった。かといって両島を朝鮮としているわけではない。」ということです。こうした理解は、周辺状況からはずれないものと思います。

私は2でいいのではないかと思っています。そして、現実として竹島・松島は事業・経営の対象であり、またこうした資料を読んだ先人が鬱陵島の向こうに朝鮮という国を見ていたということは言えるように思います。

あくまで個人的な意見で、しかも不勉強なものですから、あまり意味のない見方かもしれませんが、ご参考まで申し述べて置きます。

>隠州視聴合紀・国代記の解釈について

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/10 23:37 投稿番号: [9364 / 18519]
隠州視聴合紀・国代記の解釈について

>現在、隠州視聴合紀を読んでいるのですが、読むに当たって私が考えていることをちょっと書いておこうと思います。

>まず、問題になっている国代記の一節を再度見てみます。

>
隱州在北海中故云隱岐嶋
(中略)


此二島無人之地
見高麗如自雲岐(ママ)望隱岐(ママ)
然則日本之乾地以此州為限矣


>この文章だけを見て他の史料のことを考えない限り、私は、竹島松島を日本領とする解釈と、そうでないとする解釈とのどちらも可能だと考えています。

>いずれも決定的な根拠がなく、私はまだどちらの解釈が正しいか判断できません。

>話が逸れますが、ネット上で視聴合紀についての意見を探すと、韓国側が国代記冒頭部の、更に一部だけを取り出して不当な解釈をしているという批判をしばしば見掛けます。私は韓国側がこの問題について論じた文献を直接見たことがないので、その批判が妥当かどうかについてはコメントできませんが、上に書いたように、文章全体を見てもなお竹島松島が日本領でないという解釈は可能だと思っています。

>さて、この問題について私が重要だと考えることの一つは、視聴合紀における「州」という字の使われ方です。仮に、視聴合紀全体を読んだ時に「州」を「島」の意味で頻繁に使っているならば、「此州」は竹島(鬱陵島)を指している可能性が高くなります。その場合は、たとえ辞書の「州」の項目に「島」の意味が載っていなくても関係ありません。逆に「州」と「島」が区別して使われていることが明瞭に見てとれるのであれば、国代記冒頭の「此州」は隠州ということになるでしょう。


>もう一つ重要な点に、竹島渡海事業の性格が国内への渡航だったのか、国外への渡航だったのかという問題がありますが、これは #9312 で述べたようにひとまず脇へ置いて、隠州視聴合紀のテキストのみから何が分かるかを考えたいと思っています。

>なお、竹島と松島が隠州に含まれるという説については、#9311 に書いた疑問が解決していないので、今のところ考慮しません。

>以上のような考察を踏まえて、私なりに隠州視聴合紀を読んでみるつもりです。
ここで述べたことについて、識者の方のご批判やご忠告がいただければ幸いです。

>追伸.
隠州視聴合紀における「州」の字の使われ方を調べた学術論文をご存知の方は是非教えてください。今まで誰もやっていない訳は無いような気もするのですが…

韓国人に多い論理曖昧の虚偽というやつですかしら?   (尤も、あなたが韓国人という意味でないわよ。)

文献記載の重箱の隅つつきは、ギリシャ時代の天文学の記載を研究して天動説が導かれるか、それとも地動説が正しいかを論じるようなもの・・・。

遊びは結構だと思うけど、ブログでも拵えてやって下さいな。事実が大切でしょう。こんな短い文章からそれが導き出せると思えばブログで、それやるのを誰も止めないわ。好きなだけやって下さらない。

その前に、一つお願いがあるの。反ケツさんと御一緒でいいから、kos200572さんの質問に答えて下さらないかしら。あたしも是非知りたいの。↓

>素朴な疑問だが、以下の質問に答えて欲しい

>【"1905年に日本が領土編入する以前に韓国(朝鮮)が竹島を実効支配していた証拠を示せ"】

隠州視聴合紀・国代記の解釈について

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/10 21:42 投稿番号: [9363 / 18519]
現在、隠州視聴合紀を読んでいるのですが、読むに当たって私が考えていることをちょっと書いておこうと思います。

まず、問題になっている国代記の一節を再度見てみます。


隱州在北海中故云隱岐嶋
(中略)
從是南至雲州美穂關三十五里
辰巳至伯州赤崎浦四十里
未申至石州温泉津五十八里
自子至卯無可徃地
戊(ママ)亥間行二日一夜有松島
又一日程有竹島
俗言磯竹島多竹魚海鹿
此二島無人之地
見高麗如自雲岐(ママ)望隱岐(ママ)
然則日本之乾地以此州為限矣


この文章だけを見て他の史料のことを考えない限り、私は、竹島松島を日本領とする解釈と、そうでないとする解釈とのどちらも可能だと考えています。試みにその両方の解釈を以下に示します。テキストに書いていない文を説明のため補った個所には★を、二つの解釈で内容の異なる個所には●を、それぞれ付けてあります。

----------------------
A.竹島松島を日本領とする解釈

隠州は、北の海の中にある。それ故、隠岐島という
隠州から見てそれぞれの方位にある日本の領地について以下に説明する。(★●)
南に35里のところに雲州美穂関がある。
南東に40里のところに伯州赤崎浦がある。
南西に58里のところに石州温泉津がある。
北から東にかけては、行っても行ってもたどり着く土地がない。
北西に2日行くと、松島(竹島=独島)がある。
さらに1日行くと竹島(鬱陵島)がある。
これは俗に言う磯竹島のことである。竹、魚、アシカが多い。
この二島は無人島である。
ここから朝鮮国を見ると、あたかも出雲から隠岐を眺めるように見える。(●)
つまり、朝鮮と向かい合う最先端の土地である。(★●)
なので、竹島(鬱陵島)が日本の北西の国境となる。(●)

----------------------
B.竹島松島を日本領ではないとする解釈

隠州は、北の海の中にある。それ故、隠岐島という
隠州から見てそれぞれの方位にある土地について以下に説明する。(★●)
南に35里のところに雲州美穂関がある。
南東に40里のところに伯州赤崎浦がある。
南西に58里のところに石州温泉津がある。
北から東にかけては、行っても行ってもたどり着く土地がない。
北西に2日行くと、松島(竹島=独島)がある。
さらに1日行くと竹島(鬱陵島)がある。
これは俗に言う磯竹島のことである。竹、魚、アシカが多い。
この二島は無人島である。
ここから朝鮮半島を見ると、あたかも出雲から隠岐を眺めるように見える。(●)
無人の、したがって日本人が住んでおらず、朝鮮半島が見える程に近い島を日本の領土とは言い難い。(★●)
なので、隠州が日本の北西の国境となる。(●)
----------------------

いずれも決定的な根拠がなく、私はまだどちらの解釈が正しいか判断できません。

話が逸れますが、ネット上で視聴合紀についての意見を探すと、韓国側が国代記冒頭部の、更に一部だけを取り出して不当な解釈をしているという批判をしばしば見掛けます。私は韓国側がこの問題について論じた文献を直接見たことがないので、その批判が妥当かどうかについてはコメントできませんが、上に書いたように、文章全体を見てもなお竹島松島が日本領でないという解釈は可能だと思っています。

さて、この問題について私が重要だと考えることの一つは、視聴合紀における「州」という字の使われ方です。仮に、視聴合紀全体を読んだ時に「州」を「島」の意味で頻繁に使っているならば、「此州」は竹島(鬱陵島)を指している可能性が高くなります。その場合は、たとえ辞書の「州」の項目に「島」の意味が載っていなくても関係ありません。逆に「州」と「島」が区別して使われていることが明瞭に見てとれるのであれば、国代記冒頭の「此州」は隠州ということになるでしょう。


もう一つ重要な点に、竹島渡海事業の性格が国内への渡航だったのか、国外への渡航だったのかという問題がありますが、これは #9312 で述べたようにひとまず脇へ置いて、隠州視聴合紀のテキストのみから何が分かるかを考えたいと思っています。

なお、竹島と松島が隠州に含まれるという説については、#9311 に書いた疑問が解決していないので、今のところ考慮しません。

以上のような考察を踏まえて、私なりに隠州視聴合紀を読んでみるつもりです。
ここで述べたことについて、識者の方のご批判やご忠告がいただければ幸いです。

追伸.
隠州視聴合紀における「州」の字の使われ方を調べた学術論文をご存知の方は是非教えてください。今まで誰もやっていない訳は無いような気もするのですが…

半月城氏へ

投稿者: kos200572 投稿日時: 2005/05/10 19:23 投稿番号: [9362 / 18519]
素朴な疑問だが、以下の質問に答えて欲しい

【"1905年に日本が領土編入する以前に韓国(朝鮮)が竹島を実効支配していた証拠を示せ"】

貴方は以前にもこの問題について韓国擁護で発言し、何度となく論破された経緯がある。
竹島論争@ヤフー[torazo vs 半月城]   (981番目以降に論戦)
http://web.archive.org/web/20030212172537/http://www.keroa.net/take/    *重いので注意

その度に明確な反論も出来ずに逃亡し、他サイト・自己掲示板で自己擁護を繰り返しているが、貴方に対する評価は、
“膨大な資料と丁重な解説で一見すると正当性があるように見えるが、自分にとって都合の良い部分を都合よく曲解して捏造している人物”でしかない。
“嘘も大声で繰り返せば本当になる”のは韓国だけです。
ここは日本です。自己賛美は韓国でやってください

コイツをなんとか汁!(笑)

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/10 19:08 投稿番号: [9361 / 18519]
>アンさんは「8月には富士山の入口で、独島妄言を糾弾しながらパフォーマンスを行う計画」と明らかにした。

ほう?
楽しみだ。いっちょ揉んでやるか。(笑)

粉末消火器でも、バフ〜〜〜〜ってかけたら、オモシロいだろうなあ。

でもさあ、指切り親子、焼身自殺男より、ある意味ヘンだぞ。アリ男だなんて。

だって、意味不明だし。(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【ピープル】蜂25万匹を全身につけて「独島は韓国領」 朗読

「蜂人間」こと、アン・ソンギュさん(43、養蜂業、慶尚北道漆谷郡)が、25万匹の蜂を全身につけるパフォーマンスを行った。

アンさんは9日午後、「アカシア蜂蜜祭り」が開催されている漆谷郡で、1000人余が見守るなか、約2時間にわたり全身に蜂をくっつけた。 体についた蜂は25万匹で、重さは48キロにのぼる。 彼は首・腰・膝に女王蜂3匹をつけ、蜜蜂を誘引した。 蜂に150回ほど刺されたが、免疫があり、特に大きな被害はなかった。

アンさんは蜂に囲まれたまま「独島(ドクト、日本名・竹島)が韓国領であることを天下に告げる」という内容の「独島宣言文」を朗読した。 アンさんは「日本の独島領有権主張に腹が立ち、今回のパフォーマンスを準備した」と語った。

大邱(テグ)農高1年のときから養蜂を始めたアンさんは、97年から毎年、蜜蜂をひげのようにくっつけるパフォーマンスを披露しているため、「蜂ひげ男」というニックネームが付けられている。 アンさんは「蜂が私たちに蜂蜜などを与えてくれる有難い存在だということを知らせるため、蜂を身体につけ始めた」と話した。

アンさんは「8月には富士山の入口で、独島妄言を糾弾しながらパフォーマンスを行う計画」と明らかにした。

2005.05.10 17:51:06

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=63366&servcode=400§code=420
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