竹島

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ヤフーの日本地図に竹島登場

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2006/06/16 00:53 投稿番号: [14640 / 18519]
島根県の地図に登場、やっとヤフーも認めた

よくわかる 隠州視聴合紀「国代記」

投稿者: torezojp 投稿日時: 2006/06/16 00:36 投稿番号: [14639 / 18519]
1667年8月、出雲松江藩の隠岐郡代・齋藤豊仙が、約2ヶ月を掛けて隠州を巡察した際、「視て」「聴いて」採録したものを記した近世隠岐の地誌である。

--------------------------------

1.隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、
其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、
其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、

2.従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、

3.戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、

4.此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、

-------------------------------- -

1.隠岐国は北海中にあるがゆえに(島名を)隠岐嶋という。   (割注)「按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。」   南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。
東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。

2.これより南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること五十八里、北から東に至る往くべき地無し。

3.戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。   (割注)「(俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。)(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)」

4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。然らば則ち、日本の北西の地はこの州(シマ)をもって限りとす。

----------------------------------

1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と、隠岐の国の位置関係を述べた部分

---------------------------------- -

1.は斉藤豊仙が従来の隠岐の古紀を借文したものである。江戸時代(現代も同じ)の方位より45度から60度弱位、時計回りにズレがあることから推論される。エビデンスとして隠州視聴合記の付属の隠岐の地図を見れば明らかであろう。付属の隠岐の地図の方位に問題はない。従って、2.〜3.で隠岐を基点にした方位は、ほぼ現在の方位と同様である。また江戸時代は卯辰巳等12支で方位を表したが古は震兌坎艮等が用いられた。ということは、斉藤豊仙に依り新たに加えられた文書は、2.以降の部分の記載であろう。

即ち、隠岐の地誌に斉藤豊仙が隠岐に関して記述したのは「従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、」ということになる。

このことより「然則」で齋藤豊仙が強調したのは、「日本の北西の地はこの州(シマ)をもって限りとす。」であるとの結論が導かれる。古(いにしえ)には「隱州戌亥之極地昧暗也」とされたこともあったが、隠州視聴合紀が記述された時代には、日本の戌亥の最果ての地は竹島となることへの斉藤豊仙の感慨がひしひし伝わってくるではないか。

それにしても「然らば則ち、日本の北西の地はこの州(シマ)をもって限りとす。」の伏線として、後の巻二・周吉郡・元谷村の節で「按此日月の祭古之遺法歟   書曰味谷寅餞納日   本朝亦曾行此禮歟   隱州戌亥之極地昧暗也   與元立日相近也   上古於是餞納日   亦未可知焉   爲好古人姑記備之」の文言をさりげなく記述したところなぞ、レトリックとして、まさに心憎いばかりである。

今までのデジタル資料の整理

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/06/15 23:34 投稿番号: [14638 / 18519]
HPで既に公開している資料

隠州視聴合記
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/archives/onshu01.PNG

公文類集第29編(1905年1月28日の閣議決定資料)
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/v2a11981-01.PNG

帝国図版関係雑件(中井養三郎のりゃんこ島領土編入並に貸下願)
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/archives/liancourt-sakai1s.PNG

明治十年三月 公文録 内務省之部 一(竹島(鬱陵島)および外一島の放棄)
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/x2a252032-01.PNG


資料は入手したものの、まだHPに掲載していない資料
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/archives/z2a-9-318-01.jpg
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/archives/jijyo2a1-103-1.jpg

未入手の資料
http://propellant.fc2web.com/takeshimacm/takeshimacm.html
竹島の一番決定的な資料である「島根県告示第40号」を入手しなければ、この竹島問題HPは未完に終ってしまいます。
県立図書館に行きたいのですが、臨時休館しているので資料入手出来ません。
http://www.pref.shimane.lg.jp/toshokan/

※米子市立図書館にも当然行きます。
http://lib.yonago-city.jp/asp/syosi.asp?q=111199626
http://lib.yonago-city.jp/asp/syosi.asp?q=110184165
http://lib.yonago-city.jp/asp/syosi.asp?q=111411054

※米子市立山陰歴史館にも行かなければなりません。
http://www.nnn.co.jp/news/050502/20050502001.html

他に竹島に関する資料の所在を知っている方がいましたら、ご連絡下さい。

Re: 田中さんへ(Re:よく分かる隠州視聴合記

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/06/15 22:40 投稿番号: [14637 / 18519]
「絶対に譲れない竹島が、そこにはある」

どこかで聞いたようなフレーズを竹島版にアレンジしてみました。


では本題に入ります。
te2222000さん

(1)については書き加えました。
(2)については「隠岐島」でOKです。

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/5occupation1667.html
冒頭の文章はロケーションを述べているのであって、行政府を述べているのではありません。後述とは別物です。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/06/15 06:30 投稿番号: [14635 / 18519]
shuku_remusさん

>>>
  既に当時、実態として「多竹魚海鹿」を求める活動があったのでしょうから、
無人だろうが遠方に位置しようが、他に余程の理由がない限り、ここを手放す
判断にはならないと思います。
<<<

おっしゃることはその通りだと思います。

しかし、竹島と松島を日本でないとすることが、すぐに手放すことになるでしょうか。一つ前の記事に書いたように、竹島が朝鮮に取られるかもしれないという危惧は、斉藤豊仙には全く無かったと思います。

竹島や松島は、遠洋漁業の漁場のような場所と認識されていると思っても、別におかしな点はないでしょう。


>>>
  次にte2222000さんは「俗言磯竹島多竹魚海鹿」が割注として書かれているので
重要ではないとしています。割注とした理由を、私なりに下記のように考えました。

  日本の国境を論ずるとき、「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である。」では
何の論理にもなりません。斉藤豊仙(地元漁民)にとって「多竹魚海鹿」こそが
重要なのですが、これを割注とすることより、本文の筋「ここから高麗を望むから
ここが日本の限りである。」を通そうとしているものと考えました。
<<<

お考えが正しいものとすると、「此二島無人之地」も割注になっていなければならないと思います。その点は、いかがでしょうか。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/06/15 06:29 投稿番号: [14634 / 18519]
shuku_remusさん

続いて動機面の議論についてお答えします。

>>>
  隠州視聴合紀の中で、この箇所にどの程度思い入れがあったかどうか、江戸初期の
この地域をめぐる両国漁民同士の緊張関係が分かりませんので、何とも言えません。
<<<


緊張関係は全く無かったと思います。

元禄の竹島一件以前に両国漁民が衝突したという記述を見たことがありません。朝鮮人の往来の有無は島の帰属を論ずる上で重要ですから、記録があるならば必ずどこかで取り上げられて、不勉強な私の目にも入ると思います。

実際、池内敏「竹島一件の再検討 - 元禄六〜九年の日朝交渉 - 」(2001)には、「日朝漁民の競合事件が発生したのは元禄五(1692)年三月末が初めてのことであ」ると書かれています。

また、朝鮮の空島政策のことを考えれば、そのような長期間、竹島における両国民の接触がなかったとしても別に不自然ではありません。

>>>
  #14566 田中邦貴さんのHPによりますと、斉藤豊仙は隠岐郡代を務めたとのことです
から、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと思われます。しかし
当時は幕府の関心は薄く、国境の画定は地元の願望にとどまったのではないでしょうか。
<<<

竹島渡海の開始を1625年としても、隠州視聴合紀の書かれた1667年には既に40年が経過しており、その間、朝鮮人によって事業が妨害された事は一度もありませんでした。又、時には船が漂流して朝鮮に流れ着き、竹島渡海が朝鮮の知るところとなっていますが、それについて抗議を受けたことも一切ありませんでした。これは、対馬藩が朝鮮に対して竹島渡海は公儀御法度だと回答したことも影響しているかもしれませんが、鳥取や隠岐の渡海関係者はそんなことを知るよしも無いのですから、朝鮮が竹島渡海を容認しているとしか思えなかったでしょう。

ですから、竹島渡海の関係者が「安心して漁を営みたい」と考える時、その具体的な関心は、航海の安全、収穫高の安定、日本人密漁者の対策などにあった筈で、朝鮮人の排除などは初めから考えもしなかったと思います。

また、竹島渡海を主催したのは米子町人であり、事業の利益は彼らと鳥取藩が独占し、隠岐の住民は雇われて竹島に渡っただけでした。その点からも国境の画定が地元の願望だったという推測には疑問を感じます。


さて、shuku_remusさんは、考察の中で以下の選択肢も挙げていらっしゃいました。

>>>
(1) 緊張関係はなく、この二島を含むこの地域を日本の国境とすることは当然であった。
<<<

これは言外に「もしも(竹島地域をめぐる日朝漁民の)緊張関係が無かったのであれば、当然竹島と松島は日本領と認識された筈だ」という主張を含んでいるように思いました。

それに対する私の考えは次の通りです。

「もしも緊張関係が無かったのであれば、当然竹島と松島は日本人が独占的に経済活動を行なう土地と認識された筈だ。しかし、それは必ずしも領土を意味しない。例えば、現在の遠洋漁業は日本の領域でもなく外国の領域でもない場所で経済活動を行なう。それと同じように、竹島と松島が日本の領域でもなく朝鮮の領域でもない場所と考えられたとしても特に不合理な点は無い」

于山は国の名前で 鬱陵は島の名前で

投稿者: hotarutondekoi2006 投稿日時: 2006/06/14 18:00 投稿番号: [14633 / 18519]
引用:
http://kuyou.exblog.jp/1818339/

「啓発書」
是白乎〓 松竹于山等島 僑寓諸人 皆以傍近小島當之 然既無圖籍之可據又無郷導之指的 清明之日 登高遠眺 則千里可窺 以更無一拳石一撮土 則于山指稱鬱陵 即如耽羅指稱濟州

李奎遠は復命書で「鬱陵島に住んでいる人は、松竹島や于山島を全て鬱陵島近傍の小島にあてている。晴天の日に高台に登って、千里を眺めたが、一欠片の石も、土もなかった。鬱陵を于山と呼ぶのは、済州を耽羅と呼ぶのと同じである。」と答えている。つまり于山は国の名前で、鬱陵は島の名前であると明確に断言しているのである。ー引用おわりー

ほたる,
李奎遠は復命書で于山は国の名前で、鬱陵は島の名前であると明確に断言しているのであるから   つまり于山国の領域は、鬱陵島   観音島   チクト(于山島)と成るのでしょう   これらは承政院日記に記録されたのだろうか?

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/06/13 22:16 投稿番号: [14632 / 18519]
  te2222000さん

>一方、竹島と松島は隠岐から2日航程以上の位置にあるとされます。斉藤豊仙
>が、そのような島について日本と言えるかどうか考える際に、無人であることを
>判断材料の一つにしたとしても、別に矛盾はありません。

  既に当時、実態として「多竹魚海鹿」を求める活動があったのでしょうから、
無人だろうが遠方に位置しようが、他に余程の理由がない限り、ここを手放す
判断にはならないと思います。

  次にte2222000さんは「俗言磯竹島多竹魚海鹿」が割注として書かれているので
重要ではないとしています。割注とした理由を、私なりに下記のように考えました。

  日本の国境を論ずるとき、「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である。」では
何の論理にもなりません。斉藤豊仙(地元漁民)にとって「多竹魚海鹿」こそが
重要なのですが、これを割注とすることより、本文の筋「ここから高麗を望むから
ここが日本の限りである。」を通そうとしているものと考えました。

                          shuku_remus

緊迫感のない沈興澤の報告書

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/06/13 22:16 投稿番号: [14631 / 18519]
  これは、沈興澤の報告書を読んだ読後感であり、私が受けた印象ですが、「石島は竹島(独島)を指すものではない」ことを間接的に示しているような気がします。

  仮に竹島(独島)が勅令41号に言う「石島」であるならば、それが日本に取られるということは国家の一大事です。それにしては、沈興澤の報告書からは、領土が取られたからどう対処したら良いかという切迫した気分があまり感じられません。

  領土が取られたという問題ならば、そのこと(日本による編入のこと)をもう少し詳しく書いても良さそうなものですが、簡単に書いてあるだけだし、その後は、来訪した日本人一行の名前だとか、鬱陵島の行政事情を聞いていったなど、領土が取られたという報告においては付属的なものになるはずのことが本文として続いています。

  文末には「伏してお願い申し上げます」と書いてはあるものの、全体としては、勅令で示された領土が取られたという報告書には見えないというのが私の受ける印象です。

不可解な日本の采配

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/06/13 22:07 投稿番号: [14630 / 18519]
戦前に続き、戦後も引き続き竹島を実効支配出来るチャンスが何度も日本にはありました。ところが日本は韓国のポールを引っこ抜いたり、標識を立てたりと、意味のないパス回しに終始しました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/ryodohyoshiki.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/pole.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/hyoshiki.html

日本は先手を打ってカードを切るべきだったんです。ところが先に韓国がカードを切って、竹島に人を常駐させた。日本は、韓国が竹島を取りに来てるの分かってるんだから、最初にカードを切ってそれなりの対処をすべきだったんです。

チャンスは後半にもありました。海上保安庁の測量船「明洋」(621トン)と「海洋」(605トン)の2トップで、海底の測量をやればよかったのですが、引き返してしまいました。あれは行ってれば、恐らく韓国側は体当たりしたことでしょう。そうすれば国際法違反でレッドカードが相手側に出ていたはずです。実際コラムニストの勝谷氏は測量をやるべきだったと言っていました。

去年も島根県が「竹島の日」を制定してプレスを掛けていたのに、ある国会議員は「地方自治体がしているこであって、中央政府はまた別ですから」という趣旨の発言しました。行くならいく、守るなら守るで現場と上層部が意思疎通を図らないとダメです。

あそこで何故測量をしなかったのか私にはよく分かりません。

そもそも日本の外交政策は不可解です。土下座外交はその時その時では良いかもしれませんが、中長期的にみたら絶対マイナスです。

Re: >Re: >Re: 石島は観音島か

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/06/13 21:19 投稿番号: [14629 / 18519]
ararernotomoさんこんばんは、

いやいや、嫌みではなく、わたしは、やりとりを拝見してちゃち入れる程度の知識しかないので、スルーして結構ですよ。ほんとに。

>矛盾は推測で解消しようとするのは、よくある普通の論法ではないかと推測します

それを確定した事実の積み重ねと同等に扱うのが韓国論法です。
各国は知りませんが、少なくとも日本では好意的推測がないと成り立たない論法は著しく説得力が低くなることを自覚しないとまずいとおもいます。
されてますか?

>于山島=倭の松島=近傍の小島であり」ということは、これは鬱陵島近くの竹嶼あるいは観音島ということでしょうか。

そのとおりです。すくなくとも東國輿地勝覧の読みはそれ以外に可能性がありません。そして、東國輿地勝覧を読んだ人たちの書いた地図はことごとく獨島近傍の島をあてていますし、李奎遠もそう明言しています。

推測をいれる論法はありえますが、全体の矛盾をもっとも解消する推測こそ正しい推測であって、希望的方向へみちびくための推測ではいかんと思います。

私の推測でないと、なぜ郡守だけでなくその他の世論にも于山島の名前も勅令も出てこないのか、全く説明が行かないのです。

Re: >Re: >Re: 石島は観音島か

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2006/06/13 21:02 投稿番号: [14628 / 18519]
>「獨島」を中央政府は「石島」と認識できたでしょうか?認識できたとすると、
>どうして「石島」の事だととわかったのと思われますか?

日本側研究者の誤訳等については騒ぎ立てるくせに自分たちのいいかげんさにはとにかく優しい
連中なのですよ。
朝鮮半島「南部」の「標準的な」発音で『獨』と『石』は似ているというのが韓国側の主張です。

Re: >Re: >Re: 石島は観音島か

投稿者: jaian918 投稿日時: 2006/06/13 20:05 投稿番号: [14627 / 18519]
レスありがとうございます。
私も熱烈な「石島=観音島」支持者というわけではありません。
しかし、「石島=獨島」とすると、沈興澤の「獨島」という報告で、中央政府側が「石島」と認識することが難しいのではないかと思うだけです。
もし、「石島=獨島」だとすると、「獨島」を中央政府は「石島」と認識できたでしょうか?認識できたとすると、どうして「石島」の事だととわかったのと思われますか?

Re: >Re: >Re: >Re: 石島は観音島

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/06/13 14:17 投稿番号: [14626 / 18519]
詳しい調査どころか調査記録自体がない。
なるほど、現代の私たちは竹島を石島と呼んでも違和感は感じない
だろう。しかし、それは竹島の写真や地図やTVによって実際の竹島
の状況を認識しているからである。
問題は当時の大韓帝国が「竹島が岩だらけの島」という認識を得てい
たかどうかである。当然、それには少なくとも竹島が岩だらけの島と
いう報告が大韓帝国政府になされている必要がある。
詳細な調査どころか、存在の把握さえできない状況では問題外。現代
や奥原の知見をもって、国を超えて時代を遡及することに何の価値も
見出せん。

独り言

投稿者: hage_hige_hade 投稿日時: 2006/06/13 12:09 投稿番号: [14625 / 18519]
  日露戦争の頃の韓国は国内が大空襲跡の東京みたいなもんだったから、竹島の領有がどうとか言える状態じゃないとおもうんだがなぁ。併合後にようやくまともな国になったくせによく「日本が再び覇権主義に進む」とか言って竹島の領有権を主張できるものだ。そのクソ度胸はすごい。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/06/13 06:50 投稿番号: [14624 / 18519]
shuku_remusさん

コメントありがとうございます。とりあえず前半についてご返答します。

>>>
なお、te2222000さんが、この二島は無人の地であるので日本ではないとするのは、よく分かりませんでした。日本に無人の地は他にいくらでもあったと思います。
<<<

まず、ちょっとだけ横道に逸れますが、念のため以下を確認しておきます。

次の記述は厳密には正しくありません。

・te2222000は「この二島は無人の地であるので日本ではない」と考えている。

正しくは次のようになります。

・te2222000は「斉藤豊仙が『この二島は無人の地であるので日本ではない』と考えた」と考えている。

上の shuku_remusさんの文を読むと、誤解されている可能性もあるかもしれないので、蛇足かもしれませんが書かせていただきました。


さて、話を戻しますが、おっしゃる通り、日本に無人の地は他にいくらでもありますし、斉藤豊仙はそのことを知っていたでしょう。

しかし、それらの島は全て、日本人の住む土地の近くにあって、それらの土地に付属することが明らかな島だった筈です。

要するに「日本に無人の地は他にいくらでもあるし、斉藤豊仙はそのことを知っていた」ということをきちんと分析すれば、「日本のすぐそばにある島は、たとえ無人であってもやはり日本の地である。斉藤豊仙もそのように考えた筈である」と言っているに過ぎないことが分かります。

一方、竹島と松島は隠岐から2日航程以上の位置にあるとされます。斉藤豊仙が、そのような島について日本と言えるかどうか考える際に、無人であることを判断材料の一つにしたとしても、別に矛盾はありません。


更に、既に何度か書いたことですが、国代記では「多竹魚海鹿」が割注に書かれる一方、「此二島無人之地」が本文に書かれています。単に二島に関する豆知識として無人島であることを紹介したのであれば、産物の紹介と同様、割注にするでしょう。それが本文で書かれているということは、単なる豆知識として挿入されているのではなく、文章中の他の個所と関連を持つ記述であることを示唆します。

それがどんな関連かを考えると、日本の北西の限りが隠州であることの理由として書かれているというのが、最も無理の無い解釈だと思っています。


>>>
  むしろ、この二島(のある地点)から高麗を望むことから、この地域が日本の国境であるとする意味に、私は読み取りました。
<<<

はい、それは確かにあり得る解釈で、もしもこれに続く文が「此二島を以って限りと為す」であば、私も同じように考えたと思います。

しかし、実際には「此州を以って…」が続くので、そうは考えません。逆に「朝鮮が望めるほど日本から遠いので、日本の地とは言い難い」という意識があると思っています。


後半の動機面の議論については、後日改めて書きます。

放心状態です

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/06/13 00:52 投稿番号: [14623 / 18519]
頭が真っ白です。

>Re: >Re: 石島は観音島か

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/06/12 23:44 投稿番号: [14622 / 18519]
jaian918さん

いつも鋭いご指摘と興味深い新史料の提示を有難うございます。返答が遅くなってしまったことをお詫びします。仕事の合間に勉強させていただきながら書いていますので、遅延の段お許し下さい。

>「石島=独島」の可能性を否定はしませんが、「独島」という表記を使用した事実は、心証的にはchaamieyさんの指摘どおり「石島は独島でない」と捕らえるのは自然ですね。

私は、独島の形状が観音島に比べ石島により相応しいので、心証的に「石島は独島である」と捕らえました。

>奥原碧雲に触れられているので^^ 内容が正確なものかは別として、こんな記述もありますね。「郡守の職務遂行上につきては、何等の成文律令なく、自己の頭脳によりて、臨機に判決するのみ」

ご紹介有難うございました。島長沈興澤が、自己の頭脳によりて臨機に書いた「本郡所属の獨島」が「今、日本の領地になった」という報告書しか文書記録は無いようですね。

>仮に「近代的な能吏でない」という沈興澤像を元にすると「管理を命じられ」ていなくても、「本郡所属」といいそうですね。

私はむしろ逆に、奥原碧雲の記述から、「管理を命じられ」ていても、「お望みなら、あんな石だらけの小島、日本にお譲りしましょう」といって、長煙管をくゆらせながら、のどかに人生を楽しむタイプに感じました。私の沈興澤像は、仕事はつくらず、命じられた事も手を抜く、どちらかといえば、mikenekonomanmaさんがNo.14594でいわれた「ダメ役人」に近いイメージです。

>私の知っている「石島=独島」であるという積極的な根拠は、「全羅道方言で石=dok,音を写して獨」ということぐらいなのでその他の根拠があれば紹介していただけないでしょうか?

最初に、書きましたが、独島の形状は観音島より石島に相応しいということです。

最後に、
「緑に覆われた美しい観音島の写真」
http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/gwdo.jpg
は本掲示板から削除されてしまいました。

これは、llllowollllさん(No.1506)、wattagatta さん(Nos.5846, 5959)、ichibachoさん(No.9125)らによって紹介され、観音島の全容を最もよく表していただけに残念です。

>Re: >Re: >Re: 石島は観音島か

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/06/12 23:17 投稿番号: [14621 / 18519]
henchin_pokoider01さん

No.14581は発熱のまま投稿してしまい大変失礼いたしました。

henchin_pokoider01さんが云われる様に、奥原と同様な竹島の詳しい調査記録は大韓帝国には無いようです。

奥原碧雲『竹島及鬱陵島』(1907)は、鬱陵島についても詳しく調べており、いろいろ面白いことが書いてあります。例えば、jaian918さんがNo.14584で示された「郡守の職務執行上につきては、何等の成文律令なく、自己の頭脳によりて、臨機に判決するのみ」に続いて最後に「施政上に伺する一切の法令記録を有せず。隨って行政司法警察事件の件目經過等を知るに由なし。」とあります。これでは近代的な裁判での勝負は明らかですね。韓国が国際司法裁判所への提訴を避けたい気持ちがよく分ります。

島長沈興澤の報告書『「本郡所属の獨島」が「今、日本の領地になった」』はよくも残ったものと感心しました。

>Re: >Re: 石島は観音島か

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/06/12 23:12 投稿番号: [14620 / 18519]
husenoyajiさん

率直なコメントを有難うございます。返答が大変遅れてしまって申し訳ございません。決してスルーする積もりではありませんでした。お詫びいたします。

> >「本郡所属の獨島」が「今、日本の領地になった」と報告したことこそ、勅令の「石島」が竹島(独島)を指すものであった何よりの証拠と思います。
> 鬱陵島が郡になったのは勅令からですので、この文言は勅令を受けている可能性を確かに示唆します。と同時に勅令を受けているならなぜ獨島なのかという矛盾が発生します。
> >勅令に拘らず、鬱陵島民が広く使っていた獨島と書き、取り急ぎ報告したのでしょう。
> とその矛盾は推測で解消してしまう。それは韓国論法ですよ。

勅令の「石島」が勅令を受けて書いた可能性のある報告書で「獨島」となったのは、仰せのとおり、確かに矛盾と思います。私は、勅令にない島長や太陰暦を使う「近代的な能吏ではない」沈興澤が、慌てて書いたので「獨島」となったのでは、と推測しました。これで矛盾が解消したかどうかは分りませんが、矛盾は推測で解消しようとするのは、よくある普通の論法ではないかと推測します。

>当時の世論にどこにも石島と于山島と勅令が出てこないことです。 -- 于山島=倭の松島という説は有力な説として存在したはずなので、全くの矛盾です。

「当時の世論にどこにも石島と于山島と勅令が出てこないこと」については、私にはよく分りません。

>これらを矛盾なく解釈するためには、当時は于山島=倭の松島=近傍の小島であり、獨島も距離から言って自国領だという認識が生じたが、別島だと認識していたと考えるしかないです。
そして日本の登場により新規に認識したからこそ獨島すなわち離れ小島と命名されたのです。

「于山島=倭の松島=近傍の小島であり」ということは、これは鬱陵島近くの竹嶼あるいは観音島ということでしょうか。
「獨島も距離から言って自国領だという認識が生じた」。しかし、獨島は「日本の登場により新規に認識し」、「獨島すなわち離れ小島と命名された」という理解でよろしいでしょうか。

すみません質問になってしまったことをお許しください。

>Re: >Re: 石島は観音島か

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/06/12 23:07 投稿番号: [14619 / 18519]
chaamieyさん

大変遅くなりました。お許しください。

>別にpositiveな証拠はありません。鬱陵島と竹島(チュクド)と観音島のそれぞれの大きさと位置関係、それらと比較したときの竹島(独島)の距離と大きさ。これらを考えれば、3つの島が説明抜きで名前だけが簡単に書かれている勅令の文言は、鬱陵島と竹島(チュクド)と観音島を指すのが最も自然だと考えています。

わかりました。お答え有難うございました。

石島が獨島であるといえば、熱くなるのが予想できたのですが、私のchaamieyさんへの返答で点火してしまいました。大変失礼しました。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2006/06/12 07:10 投稿番号: [14618 / 18519]
必死だな(哂い

ポイ

henchin_pokoider氏へ

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/06/11 21:38 投稿番号: [14617 / 18519]
資料をアップロードしようとしましたが出来ませんでしたので、お手数ですが、PDF形式にする前の資料をjpg形式でお送り下さい。

当HPに対日平和条約草案(1)から対日平和条約草案(6)まで作成致しました。



昨日はNHKで在日米軍問題をやっておりましたが、現在私は「国防」という本を読んでいます。「日本の、これから」を見ていつも思うのですが、質問の選択がおかしいですね。

Re: 李奎遠は島項,竹島(チクト)の小さな島

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/06/11 21:37 投稿番号: [14616 / 18519]
ですよね。
山の高いところに上ってみたけど、海中になにもなかったとも述べてますね。

ですから、于山島が獨島だという話はどうみても、ウサンくさい話です。

、、、、、、誰も言ってないような気がしたもので、ついつい(笑)

韓国は帝国主義だ!

投稿者: henrymacgils 投稿日時: 2006/06/11 21:19 投稿番号: [14615 / 18519]
竹島の次は対馬。
中華思想に気をつけろ。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/06/11 16:35 投稿番号: [14614 / 18519]
  te2222000さん、コメントありがとうございます。

  もし「此州」が「隠州」を指すなら「日本の北西の地、隠州を以て限りと為す」と、
また「此州」が「此二島」(を含む地域)であるなら「此二島を以て限りと為す」と
単純明解にして貰えれば、あとで紛れることなく助かりましたね。

  なお、te2222000さんが、この二島は無人の地であるので日本ではないとするのは、
よく分かりませんでした。日本に無人の地は他にいくらでもあったと思います。
  むしろ、この二島(のある地点)から高麗を望むことから、この地域が日本の国境
であるとする意味に、私は読み取りました。

>(鄯) 竹島・松島を日本の領土として主張しておかないと、将来朝鮮に取られる可能性
>    があると斉藤豊仙は考えた。
>(鄱) 竹島・松島を朝鮮に取られる事態は、斉藤豊仙にとって許容できるものではなかった。
>(鄴) したがって、斉藤豊仙は自著においても竹島・松島を日本の領土として記述した。

  隠州視聴合紀の中で、この箇所にどの程度思い入れがあったかどうか、江戸初期の
この地域をめぐる両国漁民同士の緊張関係が分かりませんので、何とも言えません。
しかし本来深刻な内容にも拘わらず、ここでは何故かあっさり述べていると思われます。

  ① 緊張関係はなく、この二島を含むこの地域を日本の国境とすることは当然であった。
  ② 緊張関係があったので、te2222000さん (鄯),(鄱),(鄴)のようにきちんとして
   おきたいものの、地方役人である斉藤豊仙には、もとより日本の国境について云々する
   権限はなく、豊仙がここではっきり申し立てしても、対外的には何の効力もなく、
   却って(余計なこととして)幕府から咎められることにもなりかねない。
   従って、遠まわしにあっさり述べるにとどめた。

の2通りの理由が考えられます。これ以上は想像の想像ですが、私は ② でないかと
思っています。

  #14566 田中邦貴さんのHPによりますと、斉藤豊仙は隠岐郡代を務めたとのことです
から、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと思われます。しかし
当時は幕府の関心は薄く、国境の画定は地元の願望にとどまったのではないでしょうか。

                          shuku_remus

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/06/11 06:42 投稿番号: [14613 / 18519]
ご返答ありがとうございます。

shuku_remusさんにならい、言葉の面と動機の面に分けて書きます。

先に、言葉の面から論じることにします。
私は前回、「此州」を「竹島と松島」とする解釈について以下の問題点を挙げました。

(イ) 日本六十余州に含まれない新たな州を勝手に想定し、それを説明抜きで使ったこと。

(ロ) 行政組織の存在しない無人島を「州」としたこと。

(ハ) 国代記の当該部分の文脈で「この州」と言えば、多くの人は「隠州」ととるであろうことは明白なのに、何の説明もなく「この州」と書いたこと。

これらに対するshuku_remusさんのご意見は次のようになると理解しましたが、よろしいでしょうか。

======
(イ)(ロ)については、「州」が「地域」を意味すると考えれば別に問題ではない。
(ハ)についても「州」を「地域」の意味で考えれば、直前の「此二島」を「此州」で受けることに不自然さはない。したがって『多くの人は「隠州」ととる』ことが明白だとは言えない。
======

確かにこれらは一理ある議論で、私が前回「これらは完璧に(c)を否定するものではない」と書いたのも、漠然とではありますが、このようなことを感じていたためです。

これは、つまるところ、隠州視聴合紀の文脈で「州」を「地域」の意味で考えることの妥当性の問題に帰着すると思います。

もっ詳しく言えば、「州」という文字を一般的な「地域」の意味で、従来の日本六十余州の区分けとは異なる地域に使うことが、17世紀の地誌の文章としてどの程度普通のことなのか、という問題です。

そして、これについて結論を出すためには、同時代の他の地誌における「州」の用法の研究が必要なので、今の私としては積極的な肯定も否定もしません。

ただ、次の点から消極的な否定の立場を取ります。

* 「此州」という言葉は、先行する○○州という言葉を受けるのが最も自然であり、その解釈に相当の問題がある時に限り、他の解釈を考えるのが素直な思考であること。そして、この解釈に関して「相当の問題」は無いと思うこと。

* 隠州視聴合紀の他の個所では、説明無しに「此州」が「隠州」の意味で使われていること。

* 「此二島無人之地」の記述は、二島が日本の地ではない理由として書かれていると考える方が、本文と割注の使い方から考えて適切であること。


次の動機の面ですが、これは上に書いた「相当の問題」の有無に関係してくるので、疎かにできない論点です。

さて、私なりにshuku_remusさんの議論を次のようにまとめてみました。

(i) 竹島・松島を日本の領土として主張しておかないと、将来朝鮮に取られる可能性があると斉藤豊仙は考えた。
(ii) 竹島・松島を朝鮮に取られる事態は、斉藤豊仙にとって許容できるものではなかった。
(iii) したがって、斉藤豊仙は自著においても竹島・松島を日本の領土として記述した。

このまとめは shuku_remusさんのお考えと一致しているでしょうか。一致しているのであれば、これに基いて、特に(i)に対して、反論させていただこうと思います。

>>>
  最後のところは、分かり難い文で申し訳ありません。【   】を追加、修正しました。
<<<

ご説明ありがとうございます。私が「狙いは、松島(現竹島)だけ」と区切ったのが読み間違いで、「松島(現竹島)だけについて、…実行され、…実現された」という文章だったのですね。

Re: 「ウサン」と呼ぶ都

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/06/10 18:49 投稿番号: [14612 / 18519]
  祭りがあるという御指摘があったので調べて見たら、なるほどありますね。

『ウサン文化祭』
http://kr.ks.yahoo.com/service/ques_reply/ques_view.html?dnum=EAF&qnum=4160404
  祭りの起源は、古代于山国から祭りの名を取り、1965年から開催したが、その後途絶え、1996年から再び開催するようになった。
  鬱陵島開拓民の独特の文化を祭り化して開拓精神を称え、住民の親睦と観光産業を育成することを目的とし、鬱陵邑の豊年豊漁を祈って軍民の安寧を祈る祭典と、開拓当時の開拓民の茅葺き家を再現する実演で構成されている。
  案内お問い合わせは鬱陵郡庁文化観光課。


  ということであれば、これは「于山文化祭」ですね。


  もう一つ。


  [鬱陵] ウサン文化祭   22日から3日間開催

  ◇ 鬱陵邑のウサン文化祭が22日から3日間開かれる。
  今回の行事では、道洞〜苧洞の2㎞区間の登り競争、開拓民たちが家を建てた姿を再現するノワノセ家造り試演大会、風物農薬試演、投壷遊びなどが盛り沢山に開かれる。
  その外にも、イカ、かぼちゃ、山菜など鬱陵の特産物の展示会と郷土料理試食会、食べ物夜店、豊漁を祈る漁船の五色旗上げなどの行事が続く。
http://www.hani.co.kr/han/data/L980904/09699401.html


 
  このように、鬱陵島ではしっかりと于山国の記憶を残しているようだ。それなのに、政治家たちは、于山島とは竹島(独島)のことだと言う。地元の人たちは、このことをどう感じているのだろうか。

李奎遠は島項,竹島(チクト)の小さな島がと

投稿者: hotarutondekoi2006 投稿日時: 2006/06/10 15:41 投稿番号: [14611 / 18519]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm101.html#No.739
一行は船で鬱陵島を一周したとき、東海岸でふたつの島を確認し、報告書
の草稿本である『啓本草』にこう記しました(注1)。
  「もうひとつの浦があり、名前は船板邱尾である。その南辺の海の中にふた
つの小さな島があるが、形は臥せった牛のようで、左右に回ってお互いに抱い
ているような姿である。
ひとつは竹島で、ひとつは島項というが、ただ竹藪があるのみである。日が暮
れたので陸地にあがった」

   李奎遠は鬱陵島を調査して地図「鬱陵島外圖」を作成しましたが、それを
みると「島項」は現在の観音島(別名、ガッセ島)、「竹島」は現在の竹島
(韓国名、別名は竹嶼)にあたります。

ほたる,
李奎遠は海の中にふたつの小さな島があるが,ひとつは竹島(チクト)で、ひとつは島項
と述べている   つまり観音島と竹嶼の事,,

『承政院日記』『高宗実録』に芋山は昔の

投稿者: hotarutondekoi2006 投稿日時: 2006/06/10 14:00 投稿番号: [14610 / 18519]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm094.html#No.690
考えるに、この島は茫々たる海のなかにあるが、そのまま空島にしておく
のはさみしいかぎりである。その形勢が要害であるかどうか、また防御が緊密
であるかどうかなどをことごとく審査して処理すべきである。副護軍の李奎遠
を鬱陵島検察使に任命して早々に行かせ、徹底的に検討し意見をまとめ稟議す
るのはいかがであろうか。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この提案は承認され、検察使の李奎遠は王に召されましたことが『高宗実
録』や『承政院日記』に記されました。承政院とは王命や王への提言を取り扱
う官庁ですが、その公的な記録が『承政院日記』であり、現在 1623‐1894年
分の3047冊という膨大な史料が残されました。朝鮮は『実録』といい『承政院
日記』といい、記録を重視した国でした。
   さて、李奎遠は鬱陵島へ出発する前に王と面談しましたが、そのときのよ
うすが『高宗実録』と『承政院日記』に記されました。後者はその対話を高宗
19年(1882)4月7日条にこう記録しました。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  王曰く「近ごろ、鬱陵島に他国人がたえず往来して、かれらが占拠するまま
になっている弊害がある。また松竹島と芋山島が鬱陵島近辺にあるが、相互の
遠近や距離がどうであるか、またどんな物があるのかよくわからない・・・」

  李奎遠曰く「謹んで精一杯奉公します。芋山島はすなわち鬱陵島で、芋山は
昔の国都の名です。松竹島は一小島で鬱陵島との距離は30数里(12km)です。
その産物は檀香と簡竹であるといいます」

  王曰く「あるいは芋山島と称し、あるいは松竹島と称しているが、みな『輿
地勝覧』の所産である。また松竹島と称するが、芋山島とあわせ3島をなして
おり、それらの通称名が鬱陵島である。そのありさまをよく検察せよ・・・」

  李奎遠曰く「謹んで深く入って検察します。あるいは松島竹島と称する島が
鬱陵島の東にありますが、これは松竹島のほかに松島竹島があるということで
はありません」

ほたる,
検察使の李奎遠は王に召されましたことが『高宗実
録』や『承政院日記』に記されました   李奎遠曰く「謹んで精一杯奉公します。芋山島はすなわち鬱陵島で、芋山は昔の国都の名です。『承政院日記』に芋山島はすなわち鬱陵島で、芋山は昔の国都の名ですと記録されている以上はなあ,かくしようがないなあ、

「ウサン」と呼ぶみやこが むかしあった

投稿者: hotarutondekoi2006 投稿日時: 2006/06/10 09:59 投稿番号: [14609 / 18519]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm095.html#No.694
いんよう,

   一方、前にも書きましたが、このころになると鬱陵島において日本人の侵
略が目にあまるようになりましたが、その現地状況を調べるために 1900年6
月、大韓帝国の内部視察官 禹用鼎と、日本の釜山領事館補 赤塚正助による合
同出張調査が行われました。内部とは内務省相当の官庁をさします。
   禹用鼎の報告にもとづいて、大韓帝国政府は鬱陵島強化策をたてました。「完了」

ほたる,
禹用鼎6月、勅礼41号10月,   長白山   鬱陵島の森林伐採権を手中にしたロシアは李朝のけつをひっぱたき日本人追い出しをせまった   李朝は禹用鼎調査報告にもとずいて急ぎ41号を公布した さて石島だが,
その前に鬱陵島には昔「うさん」と呼ぶみやこがあって今でも,うさん祭りが行なわれるそうです,

「ウサン」という名前

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/06/09 23:31 投稿番号: [14608 / 18519]

  「朝鮮時代には独島を“于山島”、“三峰島”、“可山島”、“可支島”などと呼んだ。」というのが韓国側の定説のようです。
(独島の真実)http://www.truthofdokdo.or.kr/jpn/main.html

  于山島とはつまり鬱陵島のことであるはずですが、鬱陵島には「ウサン中学校」という学校がありますね。これは、鬱陵島がかっては「ウサン」と呼ばれていたことの名残ではないのだろうか。
http://woosanms.co.kr/?main

  ただ、この学校の「ウサン」を漢字でどう書くのかは調べきれないので、今断定はできませんが。

  「ウサン」となりそうな漢字を想定すれば、于山の他に右山、雨傘、雨山、羽山、友産、優産などがありそうですが、韓国がまだ漢字を普通に使っていた時代にこの学校は何と表記されていたのか、気になるところです。


W杯開幕につき

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/06/09 10:12 投稿番号: [14607 / 18519]
  誠に勝手ながら、暫くおやすみします(笑)

  今大会の日本代表は、史上最強の日本代表と云っても過言ではない、素晴らしい可能性を秘めた好チームと云って良いでしょう。
  相手も強いのはW杯ですから仕方のないことですが、日本代表の健闘を祈ります。

Re: 石島は独島か?

投稿者: tuutuu32 投稿日時: 2006/06/08 22:31 投稿番号: [14606 / 18519]
昭和20年10月16日付け芦田均日記を見ると「地下鉄」とか書いており、新字体は戦前からよく使われていたというのは理解しました。でも、沈氏の報告書原本は旧字体でしょう。それが写しでは新字体になっている。とすると、忠実に写したものではないことになる。余計な文字も入った可能性もある。
このようなことを考え始めたのは、郡庁が台霞洞だと思っていたので、そこから百余里は、竹嶼でも構わないのではと考えたため。ところが、いつの間にか郡庁が道洞になっている。道洞起点であれば、竹嶼はちと近すぎる。しかし、沈氏が島内視察などせず、竹嶼に行ったことがなければ、島根県官吏が言う島と勘違いする可能性はある。その場合、百里の起点が問題になる。
本当に鬱島郡起点か。以上、素人の浅知恵かも知れないが、思考中です。

『朝鮮事件』をアップロードしました

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/06/08 21:43 投稿番号: [14605 / 18519]
素晴らしいです。

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/archives/jijyo2a1-103-1.jpg
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/archives/jijyo2a1-103-2.jpg
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/archives/jijyo2a1-103-3.jpg


先ほどの話で、改めて安龍福事件を認識して頂けたかと思います。私はレベルの低い人間なので、「郵政民営化キャンペーン」でも、"どら息子"のたとえで財政投融資をご説明しております。下記にこのサイトの評判を掲載したいと思います。

==============評判開始==============

http://blog.livedoor.jp/cyber_geek/archives/50019594.html
郵政民営化について面白いサイトを見つけました。
こちら
スリムな行政を郵政民営化キャンペーン
頭の悪い私でもよくわかりました(w
どら息子(特殊法人)からクレジットカード(財政投融資)を取り上げるのは民営化しかない。佐賀空港も静岡空港もムネオハウスも要らない!
ふむふむ
私もそう思います。
日本の借金はただ出さえ753兆円もあるんですから。。。



http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/200508290000/
昭和49年生まれの田中邦貴さん。この論客、はやく世間にデビューさせてあげたい。

「スリムな行政を 郵政民営化キャンペーン」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/post/ (←クリック)
と題して、論点をじつに分かりやすく整理してある。

なかでも必見が
「郵政関連企業の暗部を検証する」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/post/13.family.html (←クリック)

かの「綿貫民輔」翁が長男の綿貫勝介さんに社長をさせている「トナミ運輸」が郵便配送を大々的に請負って綿貫代議士一派の一大利権となっていることは、さいきんブログ界で有名になってきているが、

それだけではなく、

まさにストライクゾーン正面のところでいえば、

「日本郵政逓送」と「日本オンライン整備」という会社が、いかに郵政を利権化してしまっているかを分かりやすく指摘している。


それにしても、どうしてこういうことが新聞にはなかなか書かれないの?

(いま日本は3時過ぎですが、バンコクは1時すぎ。こちらでは昼休みは1時半までなのです。仕事中にブログを書いているわけではないのですよ…)


==============評判終り==============

郵政民営化キャンペーンのサイトは選挙期間中15万人以上のアクセスがありました。今まで自民党に投票したことが無かった人が、あのサイトで民営化の意義を理解し、自民党300議席の勝利の一助になったとこと、心より嬉しく思います。

Re: 石島は独島か?

投稿者: tuutuu32 投稿日時: 2006/06/08 21:18 投稿番号: [14604 / 18519]
おっと、「これらの字体は戦後の文字改革によって誕生したものだが、このときに全く新しく考案された字体ではなく、戦前から広く手書きの際には普及していた略字である。」とwikipediaにある。ということは新字体と旧字体が韓国で戦後の一つの文書に入り交じっても不思議はないのかなあ。やはり原本見てみたい。

安龍福は村上ファンドと同じですね。

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/06/08 21:14 投稿番号: [14603 / 18519]
ホリエモンが逮捕させたとき、村上ファンドにも検察の手が及ぶような気がしていましたが、やはりそうなりましたね。村上氏の記者会見を見ていて、ふと、朝鮮時代に日本に越境侵犯した安龍福のことを思いました。下記のようになります。


===========安龍福の会見===========


龍福「朝鮮政府にもロジックがあって、龍福さん、あなた越境侵犯しちゃったでしょ?と。そう検察に言われれば、越境侵犯しちゃってるんですよ。こりゃ、しゃーない。」

記者「どうして今回このようになったと思いますか?」

龍福「たぶんめちゃくちゃ儲けたからでしょ。確かに鬱陵島へ行って魚捕ったり竹材を伐採して、めちゃめちゃ儲けましたよ。でもお金儲けって悪いことですか。僕はそうは思いません。東海(トンヘ)の資産価値を上げようとしてやったんです。それの何が悪いんですか?」

記者「同じ六本木ヒルズに住む朴於屯(パク・オトン)氏に、一緒に海運事業やりませんか?と、そそのかしたというのはホントですか?」

龍福「確かに僕は彼に会って色々話をしました。でもそそのかしたというのは事実ではありません」

記者「今後、龍福さんの身の振り方というか、今後どうするつもりですか?」

龍福「僕は海運業のプロとしてやってきたわけですけど、法律を犯した以上、もうこの世界に僕はいちゃいけないと思うので、基本的に今日をもって、この世界から身を引きます」

===========安龍福の会見・終===========


安龍福へ
あなたは会見でベラベラ喋って独演会状態でしたね。お陰で死刑を免れて島流しに減刑されました。村上氏はシンガポールから帰国したときは、成田でもなく関空でもなく中部セントレアから帰国しました。あなたも、通常であれば鬱陵島に近い江原道の港町に帰ってくる筈だったのが、意表をついてプサンから帰国しました。ど〜なっちゃってるんでしょうか?
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/

Re: 石島は独島か?

投稿者: tuutuu32 投稿日時: 2006/06/08 20:42 投稿番号: [14602 / 18519]
jaian918さん   貴重な資料ありがとうございます。沈氏の報告書(写)初めて見ました。ちょっと意外なのは、江原道観察使の文章(原本)と若干違いがあったことです。写しの方には「外洋百余里」の上に「本郡」が記載されているのに、江原道観察使の文章にはありません。また、写しは「本郡(部?)所属」と明確に読めますが、江原道の方は「本郡(部?)?属」です。これは、単に私が読めないだけかも。また、写しは「巖八郎」が「岩八郎」等、新字体が使われているのも何か変。いつ写されたものなのか。この資料のトップも「独」となっている。一体何なんだこの資料は・・・。   日本の新字体を韓国でも使ったってこと?検討しがいのある資料ですね。さて、本当は「本郡(部?)」がなかったとすると、鬱陵島の外洋百余里という通説も少しゆらぎませんかね。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/06/08 20:09 投稿番号: [14601 / 18519]
  te2222000さん

  目の前に高麗が見えるのですから「竹島および松島」が日本でなければ、自ずと
高麗(朝鮮)のものになってしまいます。「日本の地ではないが、日本人だけが経済
活動を行い得る地域」とは隠州地元民にとって空論ではないでしょうか。

  封建制度の下で勝手に自藩の領地を拡げられない訳ですから、日本の北西端に
位置する「竹島および松島」は幕府の領地(日本)に帰結します。ここで「此州」を
「この地域」と判読すれば、無人島であっても難点はないと思われます。

  当該部分の文脈から判断しますと、直前に「此二島」とありますので、「此州」を
「竹島および松島」と受けとめることに難点はありません。私のもともとの受けとめは
ここから来ています。文脈からこう受けとめた上で、#14557は別の切り口(動機的面)から
の検証を試みたものです。

  最後のところは、分かり難い文で申し訳ありません。【   】を追加、修正しました。

  斉藤豊仙の狙いは、〜に繋がるものと想像しています。
【明治20年内務省通達により竹島(現鬱陵島)は朝鮮の領土とされたので】
松島(現竹島)だけについてですが、
【明治37年】中井養三郎によって【中央政府への請願が】実行され、
【明治38年】漸く島根県への編入が実現されたこと

                          shuku_remus

Re: ナチスばりの虚偽を平然と言いふらす韓

投稿者: nannkurunaisa99 投稿日時: 2006/06/08 09:47 投稿番号: [14600 / 18519]
大丈夫です、日本は腹をくくりました、

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a4bfa4aba4ac4z9qa1a2a45a4la4i4z9 qa1a3bcra4nbaha4ka1aa&sid=1835396&mid=1893

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=76555&servcode=200§code=2 00

日本海上保安庁「韓国の独島海流調査時には巡視船を出動」

日本海上保安庁は、来月に予定された韓国政府の独島(ドクト、日本名・竹島)周辺海流調査で、日本側が主張する排他的経済水域(EEZ)が調査範囲に含まれた場合、巡視船を出動させる方針だと、7日、明らかにした。

海上保安庁の石橋幹夫警備救難部長はこの日、衆院外務委員会で「日本側EEZ内で調査活動が確認されれば、巡視船などを出動させて調査中止を要求するなど、必要な措置をとる」と述べた。
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