竹島
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ああ明白だ
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/02/26 18:51 投稿番号: [1320 / 18519]
>まあ、鬱陵島に「于山」と言う地名が有り、学校もあることから昔から鬱陵島の一部が「于山」と呼ばれていたことは明白なんですが。
鬱陵島も于山島も于山国の地、即ち明白に朝鮮王国の領土であった。
>結局しっかり探査していないって事は竹島に関する地図や記述は出鱈目って事ですよね?だからその調査に基づいた資料も全部出鱈目。よって朝鮮側には歴史上一度たりとも竹島を領有した事実は確認できないと結論できます。歴史上実効支配を行ったはずの日本より酷く、明らかに侵略ですね。
その侵略を以って「血で贖った」と仰るのですか?
西洋風の近代的な測量地図に拘る必要はない。
朝鮮王国は一度たりとも測量地図を製作していない事実は既に指摘した。
正確な測量地図が無ければ領土ではないと断じるのは妄言以外の何者でもない。
また、歴史上日本が実効支配したとは一切認められない。
独島は朝鮮の領土であり、一度たりとも日本に割譲した事実はない。また放棄したこともない。
朝鮮が捨てていないものを、日本が拾うことは出来ない。
これは メッセージ 1318 (zephenda さん)への返信です.
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>日本と朝鮮との有事で
投稿者: zephenda 投稿日時: 2003/02/26 18:29 投稿番号: [1319 / 18519]
北鮮の領土を日本がgetすれば、当然北鮮に住んでいた人間が間違いなく大量に日本に流れ込んできて治安が悪化します。また土地が荒廃し、生活水準もかなり低いので、日本が彼らを教化するにはかなりの投資が必要です。
こんな事が過去にもありました。日韓併合によってひたすら日本は朝鮮半島に投資し、生活基盤を整え、学力向上を図ったのに、今では解決したはずの賠償金(?)を名前を変えて補償金と言ってせびり、日本の歴史問題を自国が捏造しているのを棚に挙げて口を挟み、日本領土の竹島を不法占拠されるという顛末になってしまいました。朝鮮人が如何に恩知らずか、歴史を学べば良くわかります。
先人の教訓を大切にし、半島とは適当な距離を置いて付き合うべきでしょう。だからその場合でも北鮮は南鮮にやった方がいいです。
これは メッセージ 1315 (utyujin_tono_kousin さん)への返信です.
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>>>血で贖った領土である
投稿者: zephenda 投稿日時: 2003/02/26 18:15 投稿番号: [1318 / 18519]
位置が解らないのにどうして知っているんですか?不思議ですねえ。それに位置、島の特徴すらマトモに記述していないのに何の「探査」だったんでしょう?彼らは何を調べに言ったのでしょうねえ。
まあ、鬱陵島に「于山」と言う地名が有り、学校もあることから昔から鬱陵島の一部が「于山」と呼ばれていたことは明白なんですが。
結局しっかり探査していないって事は竹島に関する地図や記述は出鱈目って事ですよね?だからその調査に基づいた資料も全部出鱈目。よって朝鮮側には歴史上一度たりとも竹島を領有した事実は確認できないと結論できます。歴史上実効支配を行ったはずの日本より酷く、明らかに侵略ですね。
その侵略を以って「血で贖った」と仰るのですか?
これは メッセージ 1313 (wakarannjin さん)への返信です.
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>>>血で贖った領土である
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/02/26 15:09 投稿番号: [1317 / 18519]
勿論、1476年の探査は成果を得た。
「正確な位置」云々は全くの虚言であり、位置が解らなければ、そもそも探査など出来ない。当たり前のことだ。
そうして、その成果は東国輿地勝覧に反映されており、于山島(現独島)領有の裏付けとなる。
対して、日本側には19世紀以前の領有根拠は皆無である。
これは メッセージ 1316 (toraneko_yh さん)への返信です.
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>>>血で贖った領土である
投稿者: toraneko_yh 投稿日時: 2003/02/26 14:43 投稿番号: [1316 / 18519]
自分に都合の悪い話は無視する。
根拠がない妄想を強弁し続ける。
何の根拠もないのに、はっきり断言する。
朝鮮人の3大特徴が余すところなく現れてるな。
これは メッセージ 1313 (wakarannjin さん)への返信です.
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日本と朝鮮との有事で
投稿者: utyujin_tono_kousin 投稿日時: 2003/02/26 13:07 投稿番号: [1315 / 18519]
仮に(あくまで仮定)朝鮮を日本が北を占領した場合、韓国に版図を譲り渡す根拠は
在るだろうか?
現在の様子をみると韓国は北とは平和的に会話していくという態度だし、アメリカは
「とりあえず今は様子見るけど次は、おまえんとこや」という感じだし、日本は「攻めてぇ〜
アメリカいなけりゃすぐにでも攻めてぇ〜」な小泉政権だし、韓国抜きの日朝有事はあ
り得る話。
どうやら天然ガスも石炭も鉄鉱石も北には在るらしいので、日本の正常な経営に移
れば工業興業立国も十分可能。
ここで日本が解放し、そのまま対価ももなしに、北の国土を韓国に譲り渡した場合、
その後開発援助金ばかりとられて日本は損するばかりではないだろうか。いやロ政権
下では下手すると北の国民を苦しめたとして賠償金すら取られかねない。
まぁ北半島が手に入れば島の一つぐらい韓国にくれてやってもいいだろう。だが、
有事にあたり、日本が血であがなった大地に関してはロハで韓国にくれてやる義理は
無かろうとおもうのだ。韓国が何処まで日和見するかにもよるが、侵攻の主体となっ
た国に権益は寄越して貰いたいものだ。
これは メッセージ 1310 (microvax2_2003 さん)への返信です.
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それは嘘だ!
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/02/26 12:04 投稿番号: [1314 / 18519]
>1836年の会津屋への判決文でも領有の意識をもっていたのは明らか。
件のハンケツ文での「松島」は、「最寄りの松島」であり、断じて現独島ではなく、隠岐近海に現存する「松島」であることは明白。
今津屋は隠岐近海の「松島」へ渡る名目で鬱陵島へ渡った。
これは メッセージ 1295 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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>>血で贖った領土である
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/02/26 11:29 投稿番号: [1313 / 18519]
勿論、1476年の探査は成果を得た。
「正確な位置」云々は全くの虚言であり、位置が解らなければ、そもそも探査など出来ない。当たり前のことだ。
そうして、その成果は東国輿地勝覧に反映されており、于山島(現独島)領有の裏付けとなる。
対して、日本側には19世紀以前の領有根拠は皆無である。
これは メッセージ 1309 (zephenda さん)への返信です.
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>>血で贖った領土である
投稿者: chigaigawakaru 投稿日時: 2003/02/26 08:29 投稿番号: [1312 / 18519]
でも、半島はもう要らねぇよ。
これ以上不良債権は増やせねぇもの(笑)。
これは メッセージ 1311 (toraneko_yh さん)への返信です.
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>血で贖った領土である
投稿者: toraneko_yh 投稿日時: 2003/02/26 08:14 投稿番号: [1311 / 18519]
1950年代になって初めて、日本が戦後軍事力を行使できなくなっているタイミングを狙って、韓国が日本領土を侵略しただけのこと。
「血で贖った」というなら、朝鮮半島全体が、日本にとって正に「血で贖った」領土である。
日本は朝鮮に莫大な国費をつぎ込み朝鮮人の強化、産業インフラの整備を薦め、朝鮮人を多数官吏、軍人に登用し、近代国家を形成させたのに、日本が負けたとたん、全ては朝鮮人の「苦難の歴史」に捏造された。
しかも、恩人が大苦境に陥ったときを狙った竹島の侵略。
朝鮮人は決して信用できないというのは、このときから日本人の常識になった。
これは メッセージ 1307 (wakarannjin さん)への返信です.
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>血で贖った領土である
投稿者: microvax2_2003 投稿日時: 2003/02/26 02:16 投稿番号: [1310 / 18519]
>遭難し帰らぬ人となった多くの将兵の血で贖われた成果であり、その様にして得られた朝鮮王国の不可分の貴重な領土であるのだ。
その理論であるなら!朝鮮半島全ては日本の領土である。
何故なら、日本人及び初代首相の血によって得られた日本固有の領土であるからである。
現在の北朝鮮政府は、盗賊集団によって不当に占拠された日本固有の領土。
韓国はアメリカにより強奪された土地にアメリカが作った傀儡政権である。
これは メッセージ 1307 (wakarannjin さん)への返信です.
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>血で贖った領土である
投稿者: zephenda 投稿日時: 2003/02/25 19:54 投稿番号: [1309 / 18519]
つまり、それは調査になっておらず、調査は失敗だった、若しくは杜撰だったという事を認めるわけですね?そんな資料に基づいた文献に何の信憑性がありますか?「血で贖う」事と、資料の信憑性はなんら関係がありません。
これは メッセージ 1307 (wakarannjin さん)への返信です.
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国家事業
投稿者: mm902708189 投稿日時: 2003/02/25 18:09 投稿番号: [1308 / 18519]
というからには、何か書物になって残っているのでしょうか?
これは メッセージ 1307 (wakarannjin さん)への返信です.
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血で贖った領土である
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/02/25 18:01 投稿番号: [1307 / 18519]
国家事業である三峯島探査は困難を極めた。
兵曹水軍から兵船を用意し、江原道の国の穀倉から兵糧を賄い、将に国家事業として探査は行われた。
遭難し帰らぬ人となった多くの将兵の血で贖われた成果であり、その様にして得られた朝鮮王国の不可分の貴重な領土であるのだ。
どうして正確な位置にのみ拘るか理解に苦しむ。
これは メッセージ 1293 (zephenda さん)への返信です.
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>史料の読みはきちんとすべき
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/02/25 13:51 投稿番号: [1306 / 18519]
さよか。わりぃわりぃ。
これは メッセージ 1305 (nochonggakk さん)への返信です.
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史料の読みはきちんとすべき
投稿者: nochonggakk 投稿日時: 2003/02/25 12:02 投稿番号: [1305 / 18519]
私は特定の見解に肩入れするつもりはありませんが、史料の誤読に基づく論の展開には反対です。この問題に関わる人々の史料の解釈にあっては、史料解読に力量不足であったり、意図的であったり、さまざまな問題を感じています。
>「因州 伯州え付候竹嶋はいつの此より両国え附属候哉」に対して、「竹嶋松嶋其外両国え付属の嶋 無御座候」だろ。「竹島松島の他には付属の島はありません」だろうよ。
この史料は元禄8年12月付の鳥取藩江戸藩邸から江戸幕府に対する返答書の最終箇条(6条め)であり、「竹島松島およびそのほか鳥取藩(=因幡・伯耆)に付属する島はありません」としか解釈できません。
同じ史料の冒頭箇条が「竹嶋は因幡伯耆附属ニては無御座候」です。
>「竹嶋は因幡 伯耆附属ニては(ママ)無御座候」を持ち出して、両島とも放棄したような印象操作をするのはやめれば?苦しいことを自ら証明しているよ。
この箇条および返答書全体を貫いている鳥取藩側の認識は、「両島とも放棄した」のではなく、そもそもから鳥取藩領という認識をもっていなかった、ということです。ここで問題となっている上記史料は、『鳥取藩史』第6巻、472頁に所収されているものです。これら鳥取藩側の回答を承けて老中阿部は、「日本人が住んでいるか、または日本が取った島だというのであれば、今更返還しようがないが、そうした証拠も無いのだから、この問題で日本側からあれこれ口を出すこともないだろう」と対馬藩に指示したのです(『竹島紀事』、池内敏「竹島一件の再検討」20頁*掲載史料から再引用)。
*『名古屋大学文学部研究論集』史学47,2000年
>1836年の会津屋への判決文でも領有の意識をもっていたのは明らか。
この史料はそこまで解釈できません。幕府は一貫して竹島(鬱陵島)にしか目配りが効いておらず、松島(こんにちの竹島)の領有云々は史料上は全く出てきません。そもそも会津屋八右衛門自体が松島に見向きもしなかったことは明白な歴史的事実です(池内敏「17−19世紀鬱陵島海域の生業と交流」26頁**)。
**『歴史学研究』756,2001年
これは メッセージ 1294 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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SCAPIN 1033
投稿者: gintetu1963 投稿日時: 2003/02/23 21:28 投稿番号: [1304 / 18519]
李ラインの根拠とされる指令書ですが原文を掲載します。
1. The provisions of references (a) and (b), and paragraphs 1 and 3 of reference (c) in so far as they relate to authorization of Japanese fishing areas, are rescinded.
2. Effective this date and until further notice Japanese fishing whaling and similar operations are authorized within the area bounded as follows : From a point midway between Nosappu Misaki and Kaigara Jima at approximately 43°23′North Latitude, 145°51′East Longitude ; to 43°North Latitude, 146°30′East Longitued : thence to 45°North Latitude, 165°East Longitude : thence south along 165th Meridian to 24°North Latitude ; west along the 24th Paralled to 123°East Longitude ; thence north to 26°North Latitude, 123°East Longitude ; thence to 32°30′North Latitude, 125°East Longitude ; thence to 33°North Latitude, 127°40′East Latitude ; thence to 40°North Latitude, 135°East Longitude ; to 45°30′North Latitude, 145°East Longitude rounding Soya Misaki at a distance of three (3) miles from shore ; south along 145th Meridian to a point three (3) miles off the coast of Hokkaido ; thence along a line three (3) miles off the coast of Hokkaido rounding Shiretoko Saki and passing through Nemuro Kaikyo to the starting point midway between Nosappu Misaki and Kaigara Jima.
3. Authorization in paragraph 2 above is subject to the following provisions ;
(a) Japanese vessels will not approach closer than twelve (12) miles to any island within the authorized area which lies south of 30°North Latitude with the exception of Sofu Gan. Personnel from such vessels will not land on islands lying south of 30° North Latitude, except Sofu Gan. nor have contact with any inhabitants thereof.
(b) Japanese vessels or personnel thereof will not approached closer than twelve (12) miles to Takeshima (37°15′ North Latitude, 131°53′ East Longitude) nor have any contact with said island.
4. The present authorization does not established a precedent for any further extension of authorized fishing areas.
5. The present authorization is not an expression of allied policy relative to ultimate determination of national jurisdiction, international boundaries or fishing rights in the area concerned or in any other area.
この指令書は漁業水域に関するものですが、5条にこれが最終決定でないことが明記されています。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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半けつさんには、
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/02/23 20:10 投稿番号: [1303 / 18519]
都合の悪い史料は、見えません(笑)
まぁ、普通の神経なら「鬱陵島事蹟」を持ち出すのであれば、「鬱陵島検察日記」を持ち出さない理由はたちません。
そこは、半けつマジック!!「李奎遠は、信用にたりない」とか、「鬱陵島検察日記は正史ではない」と言い出すものと霊視します。
これは メッセージ 1302 (gintetu1963 さん)への返信です.
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朝鮮側の領土認識
投稿者: gintetu1963 投稿日時: 2003/02/23 19:35 投稿番号: [1302 / 18519]
1882年、鬱陵島検察使の李奎遠は朝鮮国王との問答のなかで「芋山島は鬱陵島のことである」「松竹島は鬱陵島から2Kmほどの距離にある小島のことで他に竹島や松島という島はない」「鬱陵島の高台から周囲を一望しても一点の島影もない」と明快に言い切っています。国王と検察使のこの問答は朝鮮政府の認識を示す証拠になりませんか?つまり1880年代になっても朝鮮政府は竹島を領土と認識していなかったことになります。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1302.html
半けつ流解釈は、もう飽きたよ
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/02/23 19:01 投稿番号: [1301 / 18519]
「周到な準備で150人」で行った調査に関して「粛宗実録」に竹島の記述がなく、困った半けつさんは、張漢相の個人的な記録?(少なくとも正史ではない)「鬱陵島事蹟」を持ち出しました。正史しか証拠に用いないという過去の宣言は反故にされたようです。そして、「鬱陵島事蹟」には、こう記述されているそうです。
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東側を眺めると海の中に一つの島がみえるが、はるかに辰方向に位置して、その大きさは蔚島の三分の一未満で(距離は)三百余里に過ぎない
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あれれれ?言い訳をしておりますが、150人もかけて調査したのに「正史」に「于山」が出てこない。竹島かもしれない個人的記録?にも「于山」が出てこない。
そして、↓の前提が間違っている可能性には何ら言及せずに、次のテーマに移るそうです(笑)。
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1656年以前からすでに下記の認識が朝鮮政府で主流だったことがわかります。
于山国=鬱陵島 + 于山島、朝鮮領
于山島=倭がいう松島
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地理的位置が把握できていた証拠として「鬱陵島事蹟」を以てきて、先占の根拠として「正史(都合のいいもののみ)」を持ってきて、これを強引に結びつけようと苦労された跡が伺えますね。
次に、「倭がいうところの松島」という記述ですが、1908年の増補文献備考に「輿地志にそう書いてある」というのが根拠らしいですね。日本が島根県編入を通知したのが、1906年でしたっけ。1908年発行?思いっきり臭いですね。1906年以降の文献に証拠を求めないといけないところも、半けつさんの苦しいところです。
改竄されていない言い訳は↓これらしいですが・・・。増補部分も含めて改竄した後出しじゃんけんの可能性は否定できませんね。
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増補した部分が明確にされていますが、「輿地志」于山島条は増補した部分には入っていません。
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これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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ま、与太話は置いて置いて、
投稿者: nobuo_shoudoshima 投稿日時: 2003/02/23 18:53 投稿番号: [1300 / 18519]
与太も「手口」についての参考にはなるかと思いますが。(笑)
まとめると、
・過去、朝鮮が実効支配を行っていたという証拠は皆無。
・竹島問題の原点には韓国による国家犯罪がある。(李ライン)
・日韓両国は日韓基本条約の際に調停で解決することと決めているにも関わらず、国際司法裁判所への提訴につき韓国は同意していない。
・証拠資料採択可否の決定時限になる決定的期日(critical date)は日本が公式抗議を申し立てた1952年2月28日になる可能性が高い。つまり、それ以降の資料は考慮の対象とはならない。
これは メッセージ 1299 (nobuo_shoudoshima さん)への返信です.
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【再掲】世界鬱陵滞在記
投稿者: nobuo_shoudoshima 投稿日時: 2003/02/23 18:47 投稿番号: [1299 / 18519]
鬱陵島という島についての最も古い記録は三国史記の記述である
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三国史記巻四 智證王
13年(AD512)夏6月、于山国が服属してきて、年ごとにその地の産物を貢ぎ物として献上した。于山国は溟 州の真東の海上にある島国で、別名を鬱陵島という。この島は、百里四方ほどで、それまでは交通が困難で あることをたのみとして服属しなかった。伊喰の異斯夫が何瑟羅の軍主となった。かれは、于山国の人 たちは思慮が浅くて気性が荒々しく、武力だけでは降伏させられないが、計略をもってすれば、服属させるこ とができると考えた。(そこで)多くの木製の獅子像を作り、戦船にわけてのせた。その国の海岸につくと、 偽って次のように言った。
「お前たちがもし服属しないならば、この猛獣を放って、踏み殺させるぞ」
(このことを聞いて)この国の人々は恐れおののいて、降伏した。
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一見、問題の無い記述のように見えるが、よく読めば重要なポイントがあることに気づかれるかと思う。
それは、于山国すなわち鬱陵島の住民は朝鮮半島の国家、民族から見て異民族の支配する土地であったという事実である。
古代において、朝鮮半島の民族と違う民族であり、日本海で勢力を持った民族、というと、答えは自明であろう。
また、もう一つ重要なポイントは三国史記が作られた時代とその背景である。
三国史記は1145年に編纂されたと言われている。これは、既に高麗王朝の時代であり、512年からは数百年後の時代の記述である。また、史書が編纂される理由としては国家としてのidentityを強固にする必要に迫られたという背景があることも見逃せない。
高麗史にも以下の記述がある。
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『高麗史』巻58、地理志3、蔚珍縣
鬱陵島:県の真東の海中にあり。新羅の時に于山国と称された。ときに武陵、ときに羽陵ともいう。島は百 里四方で新羅の智證王12年(ママ)に降伏した。(高麗初代)太祖13年(930) にその島民は白吉と土豆を遣 わし、貢ぎ物を献上した。
・・・
一説に于山と武陵は本来二島という。お互いの距離は遠くなく、天気が清明であれば望み見ることができ る。
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奇妙なのは『一説に于山と武陵は本来二島という。お互いの距離は遠くなく、天気が清明であれば望み見ることができる。』という記述である。
仮に竹島のことであると仮定しても「遠く」ないと言う表現にはならないはずである。
これは即ち高麗史編纂当時には、まだ実効的支配が及んでいなかったと考えるのが自然である。
また、高麗時代に鬱陵島の存在を認知していたとしても、支配がその後継続されたかどうかという点が問題となるのは当然のことである。
李氏朝鮮と高麗王朝の間には儒教の国教化や仏教文化の弾圧に代表されるように、文化や政治の面での断絶があるのは歴史を少し学んだ人には周知の事実であろう。
事実、李氏朝鮮は鬱陵島に空島政策を実施し、実効的支配を放棄している。
このとき、鬱陵島は国際法で言う「無主の地」となったわけである。
上記の歴史的経緯と、実効的支配の期間を考慮すれば、鬱陵島の領有権については、一般的な見解とされてきたものとは異なる見解が、実は正当なものであると結論付けることができる。
これは メッセージ 1297 (hangetsujoh さん)への返信です.
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加賀藩の密貿易商人の銭屋五平の
投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2003/02/23 17:00 投稿番号: [1298 / 18519]
加賀藩の密貿易商人の銭屋五平の建てた碑がボルネオ島のサンダカンにあるそうです。
サンダカンは日本領と言う正当な主張になるだろうか?
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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「竹島一件」と竹島=独島再確認4
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/02/23 16:40 投稿番号: [1297 / 18519]
(1)ー(3)についてはすでに記したので詳細は省き、ここでは(4)の「輿地志」を取りあげます。これは私的な史料なので、本来なら取りあげる価値はありません。領有論争には官撰史料のみが重要です。
しかしながら「輿地志」は官撰史料『東国文献備考』(1770)にその一部が引用されたので決して無視できない史料です。「輿地志」自体は現在伝わりませんが、于山島に関する「輿地志」の記述は『東国文献備考』に下記のように引用されました(注4)。
「成宗二年、別に三峯島について告げる者がいた。そこで政府は朴元宗を見に行かせた。しかし、風濤が荒かったため到達できずに帰ったが同行の一船だけが鬱陵島に泊まり、大竹や大きいアワビを取った。島には居民はいないという。<輿地志がいうには、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島である>」
<
>内は小さな字体で書かれた部分ですが、これにより1656年以前からすでに下記の認識が朝鮮政府で主流だったことがわかります。
于山国=鬱陵島 + 于山島、朝鮮領
于山島=倭がいう松島
こうした史的背景を考慮するとき、張漢相が目視した竹島=独島は于山島に違いないのですが、張漢相はその島名を記録に残さなかったようでした。もしこのとき、島名が記録されていたら、江戸時代における竹島=独島問題は完全にクリアになっていたかもしれません。
なお、これらの史料では鬱陵島と于山島との具体的な距離については何も記述はありません。したがって、張漢相が言及した距離の割りだしかたは依然として疑問のまま残ります。
さて、調査団の2年後、漁民の安龍福が官吏を装って大胆にも上記の認識を日本に確認させるため隠岐へ渡航したのですが、これについては次回書くことにします。
(注1)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版,2000,77頁
(注2)宋炳基『鬱陵島と獨島』(韓国語)檀國大学校出版部,1999
(注3)張漢相「鬱陵島事蹟」、注2より引用
東方五里許 有一小島 不甚高大 海長竹叢生於一面 霽雨〓捲之日 入山登中峯 則南北両峯 岌崇相面 此謂三峯也 西望大関嶺透〓之状 東望海中有一島 杳在辰方 而其大未満蔚島三分之一 不過三百余里
(注4)『増補文献備考』巻之三十一、輿地考十九
『増補文献備考』(1908)は『東国文献備考』(1770、逸失)の増補版。下記の記述は増補部分に含まれないことが明確になっているので、1770年当時のオリジナルな記述のままと思われます。なお『成宗実録』では成宗3年に朴宗元を派遣したとあります。
「成宗二年 有告別三峯島者 乃遣朴元宗往見之 因風濤不得到而還 同行一船泊鬱陵島 只取大竹大鰒魚 囘啓云島中無居民矣<輿地志云 鬱陵于山皆于山國地 于山則倭所謂松島也>」
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 1296 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1297.html
「竹島一件」と竹島=独島再確認3
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/02/23 16:39 投稿番号: [1296 / 18519]
これは メッセージ 1292 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1296.html
訂正
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/02/23 16:02 投稿番号: [1295 / 18519]
「竹嶋の外両国え附属の嶋有之候哉」に対して、「竹嶋松嶋其外両国え付属の嶋 無御座候」だろ。「竹島松島の他には付属の島はありません」だろうよ。「竹嶋は因幡 伯耆附属ニては(ママ)無御座候」を持ち出して、両島とも放棄したような印象操作をするのはやめれば?苦しいことを自ら証明しているよ。
半けつの我田引水、トリミング解釈にはあきたよ。17箇条全文だしな。信用できないから。
1836年の会津屋への判決文でも領有の意識をもっていたのは明らか。
これは メッセージ 1294 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1295.html
>日本の竹島=独島領土編入と放棄
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/02/23 16:01 投稿番号: [1294 / 18519]
「因州 伯州え付候竹嶋はいつの此より両国え附属候哉」に対して、「竹嶋松嶋其外両国え付属の嶋 無御座候」だろ。「竹島松島の他には付属の島はありません」だろうよ。「竹嶋は因幡 伯耆附属ニては(ママ)無御座候」を持ち出して、両島とも放棄したような印象操作をするのはやめれば?苦しいことを自ら証明しているよ。
半けつの我田引水、トリミング解釈にはあきたよ。17箇条全文だしな。信用できないから。
1836年の会津屋への判決文でも領有の意識をもっていたのは明らか。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1294.html
思うのですが
投稿者: zephenda 投稿日時: 2003/02/23 15:28 投稿番号: [1293 / 18519]
南鮮側の主張によると、朝鮮は竹島の探査を何度も行っているはずなのに、どうして竹島の正確な位置に関して示した地図及び記述が無いのですか?少なくとも当時の人間が、92kmも離れた島を探査したならば、それなりの記録が残るはずですが。「鬱陵島の東に1日ほど行くと岩が二つほどある。」くらいな記述も出来ずに探査したと果たして言えるのでしょうか?
ここで示されている「松島」も日本の文献を参照しないと位置が特定できません。また「松島」と言う地名は腐るほどあるのでどこの松島か特定不能です。言うだけなら何とでも出来るのです。それこそ朝鮮の日本侵略の詭弁かもしれませんね。
朝鮮が「于山島」というだけで何でも朝鮮の島になります。
また「当時の政府によって作られた」事と資料の信憑性とは全くの別物です。現在の南鮮の教科書、歴史学者の酔狂な発言を見ていれば解ると思われますが。彼らは対馬まで南鮮のものだと抜かしておられます。
下條教授の批判は妥当だと思うので、個人的にはこの資料は灰色と考えます。つまり証拠不十分で棄却。
胡散臭い過去の資料を全て省くと「1905年に日本が編入宣言をし、朝鮮はこれに抗議しなかった。日本統治下ではずっと行政区分は島根県であり、日本が実効支配を40年にわたって行っていた。竹島の測量もこの期間に行われ、位置も特定されている。」
これは誰もが認める文句のつけようのない歴史上最も最初の白の事実だと考えますが。
これは メッセージ 1287 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1293.html
「竹島一件」と竹島=独島再確認2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/02/23 14:03 投稿番号: [1292 / 18519]
一方の朝鮮政府は150名からなる大調査団を鬱陵島へ派遣しましたが、そのいきさつを宋炳基氏はこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本との鬱陵島紛糾は、政府担当者だけでなく一般人にも関心を呼び起こしたようである。たとえば、1694年(粛宗20)7月の前武兼宣伝官の成楚[王行]の上疏がそうしたものであった。
彼は、鬱陵島が国家の要衝で土地が広く肥沃であるにもかかわらず久しく見捨てられてきており、最近日本が思い切って「求居之計」を出しているので、ここに僉・制両鎮を特設して日本人をして見下すことができないようにすべきであると主張した。
必然的に、政府でも問題になっていた鬱陵島備禦策について関心を持ち始めていた。領議政の南九万が、三陟僉使(せんし)を鬱陵島に派遣、生活状態を調査して民戸を移住させ、鎮を設置することで日本に対備すべきとする建議をしたのがそれである。
南九万の建議により張漢相が三陟僉使に抜擢された。張漢相はこの年(1694、粛宗20)9月19日、三陟を出発した。一行は別遣訳官(倭語訳官)の安慎徽を含み総勢150名で、騎船二隻、汲水船四隻が動員された。
張漢相一行は9月20日から10月3日までの13日のあいだで滞留して、鬱陵島から10月6日三陟へ戻った。張漢相の鬱陵島審察については『粛宗実録』にも記録されているが、「鬱陵島事蹟」により詳しく記されている。
張漢相は鬱陵島審察結果を、山川・道里を記して挿入した地図とともに政府に報告した。その要旨は、倭人が往来した痕跡はあるが住んではいないこと、海路が穏やかではなく日本が横占しても除防が難しいこと、土質から〓麦を植えてきたこと等であった(注2)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
調査団長である張漢相が任命された僉使ですが、これは各鎮台に属した従三品の武官職をさします。張僉使が日本語の通訳まで連れていったのは、日本人と遭遇した場合にそなえたためだったことはいうまでもありません。本腰を入れた対応でした。
そうした周到な準備のため、一行は150人もの大人数になったのですが、それだけに調査には熱が入りました。一行は鬱陵島の地図まで作成するなど綿密な調査をしたようですが、このとき冒頭に述べたようなエピソードがありました。すなわち、調査の過程で一行は竹島=独島を目視することができたようでした。張漢相はそれを報告書(?)「鬱陵島事蹟」に次のように記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
東側五里ほどに一つの小さな島があるが、高大ではなく海長竹が一面に叢生している。雨があがり、霧(?、ママ)が晴れた日、山に入って中峰に登ると南北の両峰が見上げるばかりに高く向かい合っているがこれを三峰という。
西側を眺めると大関嶺のくねくねとした姿が見え、東側を眺めると海の中に一つの島がみえるが、はるかに辰方向に位置して、その大きさは蔚島の三分の一未満で(距離は)三百余里に過ぎない(注3)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)
これは メッセージ 1290 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1292.html
横れす
投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/02/23 14:02 投稿番号: [1291 / 18519]
>「石島」を「トルド」と読み、訛って「トクト」即ち「独島」と表すことは充分蓋然性のあることである。
石島なら韓国式の音読みではソクトではないでしょうか?
石をトルと言うのは韓国固有語です。
固有語ならトルソムになると思うのですが?
これは メッセージ 1278 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1291.html
「竹島一件」と竹島=独島再確認1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/02/23 14:00 投稿番号: [1290 / 18519]
半月城です。
元禄時代、1692年、93年と2年つづけて日本、朝鮮双方の漁民が竹島(鬱陵島)でハチあわせしましたが、この事件「竹島一件」は竹島=独島の帰属問題に重大な影響を与えました。
日本では、この掲示板でたびたび書いているように、徳川幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らない一方、同島と最も関係が深く、同島が所属していると思われた鳥取藩は松島(竹島=独島)は同藩の所属ではないと幕府に公式回答をしました。当時の日本は竹島=独島に領有意識をもっていなかったといえます。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=682
一方、朝鮮ではこの事件を契機に鬱陵島へ大調査団を派遣しましたが、その調査の過程で竹島=独島の存在が再確認されました。今回は、この調査団の詳細や「竹島一件」への朝鮮側の対応を中心に書くことにします。
「竹島一件」交渉の当初、朝鮮政府は穏便に事を済ませようとして苦肉の策をとりました。対馬藩の主張する「竹島」が実は朝鮮の蔚陵島(鬱陵島)と同一の島であるということを知りながら、それらを名目上別々の島ということにして、蔚陵島を朝鮮領に「竹島」を日本領にすることで竹島一件の解決をこころみました。
しかし、蔚陵島を日本領にするのが目的であった対馬藩はこれに満足せず、朝鮮の書契から「弊境之蔚陵島」の文字を削除するよう強硬に求めました。それは朝鮮政府に弥縫策を許さない匕首だっただけに、朝鮮政府は反発しました。
朝鮮政府内では、問題の二島が同一の島であるという真実を重視した原則的な解決策が次第に優勢になり『粛宗実録』によれば、政府は下記内容の強硬な書契を日本に送りました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
我国の江原道蔚珍県に属島があり、鬱陵島という。東海にあり風濤が危険で船の便がなかったので、住民を移して空島にした。そして時々役人を派遣して調査させていた。
このたび我が漁民が島に行ってみたところ、貴国人が越境侵犯して島に来て、逆に我が漁民二人を捕らえて江戸に送った。
幸いに貴国の将軍は事情を察し、厚いもてなしをした上で送り返してくれた。交隣の情が厚いことはほんとうに感激の至りである。しかしながら、我が漁民が猟をしていたところは、もともと朝鮮の領土である鬱陵島であり、竹を産するので竹島といわれており、一島二名である。
鬱陵島については、ただに朝鮮の書籍に見られるだけでなく、貴国日本の人も知っている。それにもかかわらず、書中で竹島は日本領であり、朝鮮の漁船の往来を禁止しようとして、日本人が我が朝鮮の領土を侵犯したことを問題にしないで、逆に我が漁民を拘束したことは間違っており、誠信の道に欠けるところがあると思う。
深く望むことは、この意向を江戸の幕府に報告し、日本辺海の人が鬱陵島に渡海して再び事件が起こらないように命じてほしい(注1)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さらに両国間で書簡のやりとりが何回か行われ、結局、日本は外交交渉に敗れ、竹島(鬱陵島)を放棄しました。前回書いたように、徳川幕府はもともと鬱陵島を「朝鮮属国」と記録していたので、当然の結末です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1201(つづく)
これは メッセージ 1203 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1290.html
屑は自分が都合悪いとレスしないよ
投稿者: hagechabinzzz 投稿日時: 2003/02/23 13:46 投稿番号: [1289 / 18519]
これは メッセージ 1288 (gt_turbo3000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1289.html
答えられない理由でも?
投稿者: gt_turbo3000 投稿日時: 2003/02/22 09:07 投稿番号: [1288 / 18519]
何故かご回答いただけないようです。
少し聞き方を変えて再度ご質問させていただきます
>東国文献備考に于山島(現独島)がどのように記述されているか、改めて指摘するまでもないだろう。
さて、東国文献備考のどの記述をもってこの発言の根拠とされておられるのでしょうか?
何か回答されるとご都合の悪いことでもございますか?
これは メッセージ 1287 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1288.html
東国輿地勝覧
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/02/21 15:52 投稿番号: [1287 / 18519]
東国輿地勝覧(1481)を論ずるならば、同時代の文献と比較すべきだろう。
下條教授の主張は、後の時代に成立した東国文献備考の解釈を遡及させてはならないということであり、当然のことだ。
この「やってはならないこと」に疑念を挟むことは当然だが、文献それ自体の評価は別物である。
東国輿地勝覧には同時代の三峯島探査事業の成果も正しく反映されて記述もされている。
その上で二島説を採用したのだと理解できる。
これは メッセージ 1286 (zephenda さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1287.html
>>>于山島だから于山島
投稿者: zephenda 投稿日時: 2003/02/21 02:35 投稿番号: [1286 / 18519]
鬱陵島=于山島が否定されたとしても、他の地図には鬱陵島の属島が于山島と示されているのもありますが。また
于山武陵二島。縣の正東の海中に在り。 二島相去ること遠からず。風日清明なれば則ち「望み見るべし」。(二島は互いに近いため、よく晴れた日には見ることができる)
『世宗実録地理志』「蔚珍縣条」
于山島、鬱陵島。(中略)二島、縣の正東の海中に在り。(中略)風日清明なれば則ち峯頭樹木及山根沙渚「歴歴見るべし」。(よく晴れた日には、山頂の樹木や沙渚がよく見える)
『東国輿地勝覧』「蔚珍縣条」
尚、竹島に木が生えているという事実は存在しません。それに砂浜も存在しません。これでは矛盾が生じますね。つまりこの文書自体に欺瞞を持たざるを得ないですが。
これは メッセージ 1283 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1286.html
はじめまして
投稿者: gt_turbo3000 投稿日時: 2003/02/21 00:02 投稿番号: [1285 / 18519]
はじめまして、以下の部分ですが、どうしても分からなかったので教えてください。
--
一例のみ、補足を加えてあげるとするならば、「東国文献備考」を挙げれば足りる。
東国文献備考の書誌を正しく理解しなくてはならない。
中略
東国文献備考に于山島(現独島)がどのように記述されているか、改めて指摘するまでもないだろう。
--
東国文献備考というのは過去にも何度も出てきた資料ですが、いわゆる申景濬によって改ざん(加筆?)されたとされる文献ですよね
さて、過去にもこの資料に関して何度も討論されていると思うのですが、東国文献備考に于山島(現独島)がどのように記述されているのでしょうか?
非常に申し訳ないですが、勉強不足なのか、見落としているのか、ちょっと分かりませんでした。
是非改めてご指摘いただけませんでしょうか?
これは メッセージ 1283 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1285.html
その余について
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/02/20 22:46 投稿番号: [1284 / 18519]
下條教授の研究には傾聴すべき点も認められるが、特に松島(現独島)は朝鮮領であると日朝両国が共通認識を持つに至った経緯については興味深いものがある。
>最後の行は朝鮮人さんの言うとおりです。つまりそのように全ての証拠に正当性を持たせたいのであれば、ソースは正しく、推論でなく相当な妥当性が必要だと自分は考えます。この場合は特にそうで、領土と言う自国の権益を争っているわけですから。竹島が鬱陵島から見えるというのは相当疑問ですが(かなり無理をしないと見えないようだ)、ただ安福龍の言う件は疑わしい場所が沢山あり、証拠不十分で「于山島=松島」を示す証拠には成りえないわけです。
自分の目から見ても、従来韓国側論者の提示した「証拠」には不充分なものも確かにある。
このことは日本側が提示する「証拠」も同様に、歴史的関与を類推する参考資料としての価値はあり、「全て棄却」とするのは特に論点を絞った特殊な場合に限られると理解している。
この点は、同意を得られるのではないか。
なお、自分の発言に不充分な点があれば、後日再検討のうえ投稿するであろう。
また指摘されても構わない。
的確な指摘に敬意を表する。
これは メッセージ 1282 (zephenda さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1284.html
>>于山島だから于山島
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/02/20 22:26 投稿番号: [1283 / 18519]
>で、ソースはどうしたんですか、ソースは。自分の見た限りでは鬱陵島の属島とも思える記述を竹島を指していると「思われる」程度の話か、GHQや旧日本軍の統治の方法に鬱陵島が含まれている程度のものしか存在しませんが(当然その当時日本と朝鮮は一つの国だったのだから別にやりやすいように区分して差し支えない。)。
GHQや旧日本軍の話は関係ない。
論じているのは二国間関係であり、日本国及び朝鮮国の領有意識こそ問題となる。
一例のみ、補足を加えてあげるとするならば、「東国文献備考」を挙げれば足りる。
東国文献備考の書誌を正しく理解しなくてはならない。
この図書は1770年の刊行以来、政書として朝鮮王国の各部署に配付され用いられた第1級の公文書である。
申景濬は輿地考部分を担当したが、そもそも底本となった輿地便覧も王命により同じく申景濬の手により編纂されたものであり、既に国家としての評価が定まった輿地便覧を底本として輿地考は編纂されたのである。
東国文献備考自体の編纂日数が短期間であったことを問題視する者もいるが、このように既に国家として評価の定まった文献を底本としているので、短時日に編纂が可能だったのである。
東国文献備考に于山島(現独島)がどのように記述されているか、改めて指摘するまでもないだろう。
以上述べたように、少なくとも「東国文献備考」(1770)以降の朝鮮国の国家としての意識に「于山島は鬱陵島かもしれない可能性」は全く存在しないのである。
これは メッセージ 1282 (zephenda さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1283.html
>于山島だから于山島
投稿者: zephenda 投稿日時: 2003/02/20 20:45 投稿番号: [1282 / 18519]
で、ソースはどうしたんですか、ソースは。自分の見た限りでは鬱陵島の属島とも思える記述を竹島を指していると「思われる」程度の話か、GHQや旧日本軍の統治の方法に鬱陵島が含まれている程度のものしか存在しませんが(当然その当時日本と朝鮮は一つの国だったのだから別にやりやすいように区分して差し支えない。)。
最後の行は朝鮮人さんの言うとおりです。つまりそのように全ての証拠に正当性を持たせたいのであれば、ソースは正しく、推論でなく相当な妥当性が必要だと自分は考えます。この場合は特にそうで、領土と言う自国の権益を争っているわけですから。竹島が鬱陵島から見えるというのは相当疑問ですが(かなり無理をしないと見えないようだ)、ただ安福龍の言う件は疑わしい場所が沢山あり、証拠不十分で「于山島=松島」を示す証拠には成りえないわけです。
で、朝鮮人さんは自分で朝鮮の資料の正確性を認めていませんが、ならばそんなものをソースに出しても証拠不十分で全て棄却です。それに不正確な地図でも竹島と鬱陵島くらい距離が離れていれば少なくとも地図上では別の場所に描かれる筈です。今では92kmなど大した事無いかもしれませんが、昔であれば92kmと言うのは相当な距離だったでしょう。現に日本で作成された地図では鬱陵島、隠岐と離れた位置にしっかりと竹島が確認されています。東の方に島があった程度の記述しか成されていない朝鮮の歴史書で竹島問題を論じる事など出来るはずが無いのですよ。その主張が通るなら隠岐だろうが佐渡だろうが朝鮮の島になってしまいますから。于山島など、有るかどうかすら疑わしく、また鬱陵島には複数の名前が付けられていた事実もあるので、于山島は鬱陵島かもしれない可能性も否定できません。であるからそれを議論する事すら証拠の観点から不毛なのです。
これは メッセージ 1276 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1282.html
誰に向かって書き込んでるのか?
投稿者: hagechabinzzz 投稿日時: 2003/02/20 14:32 投稿番号: [1281 / 18519]
于山島が竹島でないことはこのトピを見ている人には常識なんだが、、
このくずはいったい誰に向かって書き込んでるのか?
自分自身か?、自分自身の中に居る別人格か?
屑の考えることは分からん(爆
これは メッセージ 1278 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1281.html
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