>>于山島だから于山島
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/02/20 22:26 投稿番号: [1283 / 18519]
>で、ソースはどうしたんですか、ソースは。自分の見た限りでは鬱陵島の属島とも思える記述を竹島を指していると「思われる」程度の話か、GHQや旧日本軍の統治の方法に鬱陵島が含まれている程度のものしか存在しませんが(当然その当時日本と朝鮮は一つの国だったのだから別にやりやすいように区分して差し支えない。)。
GHQや旧日本軍の話は関係ない。
論じているのは二国間関係であり、日本国及び朝鮮国の領有意識こそ問題となる。
一例のみ、補足を加えてあげるとするならば、「東国文献備考」を挙げれば足りる。
東国文献備考の書誌を正しく理解しなくてはならない。
この図書は1770年の刊行以来、政書として朝鮮王国の各部署に配付され用いられた第1級の公文書である。
申景濬は輿地考部分を担当したが、そもそも底本となった輿地便覧も王命により同じく申景濬の手により編纂されたものであり、既に国家としての評価が定まった輿地便覧を底本として輿地考は編纂されたのである。
東国文献備考自体の編纂日数が短期間であったことを問題視する者もいるが、このように既に国家として評価の定まった文献を底本としているので、短時日に編纂が可能だったのである。
東国文献備考に于山島(現独島)がどのように記述されているか、改めて指摘するまでもないだろう。
以上述べたように、少なくとも「東国文献備考」(1770)以降の朝鮮国の国家としての意識に「于山島は鬱陵島かもしれない可能性」は全く存在しないのである。
これは メッセージ 1282 (zephenda さん)への返信です.
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