竹島
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
>>>>>安龍福
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/06 13:41 投稿番号: [1360 / 18519]
公開の掲示板上でしゃあしゃあとトリミングするとは恐れ入る。
>単なる国家事業による探検隊の記録だな。竹島にたどり着いたかも「疑問」が残る。この考えを適用するとバハマはスペインのものだ。素晴らしい。
I wrote:
>対して日本側には、独島の領有主権の存在を伺わせる証拠は一切存在しないのである。
日本側には朝鮮側の領有主権に対抗できるものは何もないので、朝鮮側の領有主権の証拠を示すだけで充分。
これは メッセージ 1359 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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>>>>安龍福
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/06 13:21 投稿番号: [1359 / 18519]
判例は「安龍福」に対するものですが、何か?
>三峯島探査は漁民の私的行為ではない。国家事業として行われた。(略)「主権者として行動する意志・意図」「国家権力のある程度の現実の行使または発現」の証拠は充分に示されており
単なる国家事業による探検隊の記録だな。竹島にたどり着いたかも「疑問」が残る。この考えを適用するとバハマはスペインのものだ。素晴らしい。
これは メッセージ 1358 (wakarannjin さん)への返信です.
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>>>安龍福
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/06 12:29 投稿番号: [1358 / 18519]
You wrote:
>The Court finally observes that activities by private persons such as Indonesian fishermen, cannot be seen as effectivit醇Ps if they do not take place on the basis of official regulations or under governmental authority.
何のつもりで見当違いの「判例」を持ち出したのか知らないが、三峯島探査は漁民の私的行為ではない。国家事業として行われた。
この一例のみを見ても「主権者として行動する意志・意図」「国家権力のある程度の現実の行使または発現」の証拠は充分に示されており、独島の領有主権は朝鮮に在ったことは疑いない。
対して日本側には、独島の領有主権の存在を伺わせる証拠は一切存在しないのである。
勿論1905年の「島根県編入」も、朝鮮に対する領土野欲に基づく侵略以外の何者でもなく、当然に領有主権は一切認められない。
これは メッセージ 1351 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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>>>于山島≠竹島
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/06 12:27 投稿番号: [1357 / 18519]
これは メッセージ 1347 (tydkemvo さん)への返信です.
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>三峯島探査
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/06 12:23 投稿番号: [1356 / 18519]
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四昼三夜の船行によって島に到達した。海上より見るに島は屹立、そこには人が30人ばかり立ち並んでいた。島の入り口には煙も立ち上り生活の気配があった。その白衣をまとった人たちは、遠くのため容貌は判然としない。だがそのおおかたは朝鮮人のようであったという。
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そんな記述はないな。
「亦於海島之間
有如人形列立者三十因疑」とは書いてあるが、西島と東島の間の海に人の如き形有りとしか読めないな。
>「三峯」という表現は「新増東国輿地勝覧」や「粛宗実録」にもあるそうですね。「三峯島」そのものも史官、元鄭容の「文献撮録」に出てくるとか。ただし、全て鬱陵島の解説らしいですけどね。
いや、于山島の解説として出てくるんだよ。
これは メッセージ 1354 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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TAKESHIMA
投稿者: sazukisatoutanaka107 投稿日時: 2003/03/06 06:38 投稿番号: [1355 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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三峯島探査
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/05 11:21 投稿番号: [1354 / 18519]
本を購入しちゃったので、ついでに成宗7年10月壬辰条の三峯島に関する記述を紹介しておきまふ。
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四昼三夜の船行によって島に到達した。海上より見るに島は屹立、そこには人が30人ばかり立ち並んでいた。島の入り口には煙も立ち上り生活の気配があった。その白衣をまとった人たちは、遠くのため容貌は判然としない。だがそのおおかたは朝鮮人のようであったという。
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「生活の気配」があって「おおかたは朝鮮人」ですか。
「三峯」という表現は「新増東国輿地勝覧」や「粛宗実録」にもあるそうですね。「三峯島」そのものも史官、元鄭容の「文献撮録」に出てくるとか。ただし、全て鬱陵島の解説らしいですけどね。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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nochonggakkちゃんへ
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/05 10:50 投稿番号: [1353 / 18519]
「日本海と竹島」なる本を購入したよ。とりあえず、幕府の質問状と鳥取藩の回答の口語訳を載せるよ。問題あったら指摘してねん。
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1.因州伯州のものたる竹島は、いつの頃から両国の付属となったのか。鳥取藩の先祖の領地として下される以前から、それは付属なのか、その後からのものなのか。
(鳥取藩回答)
竹島は因州伯州の付属ではありません。ですが伯耆国の町人大谷九右衛門、村川市兵衛と申す者が、この島に渡海しております。それはかつて松平新太郎様が国を領され始めた頃、御奉書を頂き、始まったものと承っております。それ以前からも、渡海致していたようですが、そのような昔のことは、余りよく知りません。
7.竹島の外に、因伯両国に属する島はあるか。漁猟または産物採取に、両国の者がわたるような島は在るのか。
(鳥取藩回答)
竹島と松島があり、そのほかには両国に付属する島はありません。
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竹島渡海禁制の奉書
専念、松平新太郎、因州伯州領知の節、相伺の伯州米子の町人、村川市兵衛、大谷甚吉、竹島へ渡海、今に至るも漁致すと雖も、向後竹島への渡海の儀、制禁申し付く可き旨仰せ出され候間、其の趣存ぜらる可く候、恐惶謹言
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>そもそもから鳥取藩領という認識をもっていなかった、ということです。
但し書きがついてるじゃない。断言しちゃうんだ。「鳥取藩はどちらとも取れる曖昧な表現にして幕府に判断を投げた」「幕府も朝鮮領とも日本領とも判断を行わず、喫緊の課題である鬱陵島への渡海のみを禁止した」という著者の見解を支持しちゃうな〜。幕府の渡海禁止では、鳥取藩の回答の「松島」を幕府はわざわざ削除してるね。領有意識をもっていたから外したとも言えるわね。
>竹島松島およびそのほか鳥取藩(=因幡・伯耆)に付属する島はありません
「および」は、どこを読みとったらいいの?教えて。
>史料解読に力量不足であったり、意図的であったり、さまざまな問題を感じています
意図的な?トリミングにも問題を感じてしまいますな。根が素直なだけに危ない、危ない。
<参考>
著者はよくわからんが、団塊の世代の医者で、日本海・東海の名称はやめよう、という主張の持ち主。内藤正中大先生にも協力してもらって書き上げた本らしい。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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三峯島探査
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/05 03:49 投稿番号: [1352 / 18519]
三峯島探査で思い出した。この間読んだ本に、成宗7年10月壬辰条にも探査の記載があるとか書いてあったな〜。何て書いてあるのかな〜。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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>>安龍福
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/05 02:13 投稿番号: [1351 / 18519]
>何のつもりで見当違いの「判例」を持ち出したのか知らないが、三峯島探査は漁民の私的行為ではない。
何のつもりで見当違いの「三峯島探査」を持ち出したのかわからない。(笑)
これは メッセージ 1346 (wakarannjin さん)への返信です.
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韓国領派に提案(過去ログを見て)2
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/05 01:44 投稿番号: [1350 / 18519]
(続き)
正直なところ、このような過去の議論と経緯を無視して半月城氏とアホー師匠が願望をひたすら繰り返すばかりの現トピは今のところそれほど有意義とはいえません。
例えば現在の于山島≠竹島(韓国名:独島)問題などは、旧トピで最初に決着がついた内容で、この主張を繰り返すアホー師匠や半月氏にはあきれるしかありません。しつこさだけは驚嘆します。
あなたがたの目的は分かりませんが、一言忠告します。あなたがたがやっているのは無駄で無意味な作業です。ROMの人含めここに参加している人はみな分かっているのですよ。あなたたちはご自分と国の願望を誰に対して主張し、何の効果を期待しているのですか?
そこで提案があります。もし、本気で竹島を「獨島」としたいのであれば、あなたがたは作戦を変えるべきです。
もう領有権の正当性に関する議論は決着がついていますので、そこを論点にすることに何も意味はありません。
私が考える韓国としての竹島問題の解決方法は実を捨て名をとることです
・竹島に対する韓国民意識の高さを示し
・竹島の正当な領有権が日本にあることを認めたうえで、
・漁業権などの実利を日本に与えることや、
・過去に関する謝罪・賠償要求や、教科書修正、靖国参拝などに関する
内政干渉を2度と行わない、常連理事国入りに協力することなどを条件に、
・名目上は韓国領にしてもらうように、日本政府と交渉する
ただ、日本にとってかなり有利な交換条件を提示する必要はありますけどね
それとも、本音は竹島が韓国領となることなどどうでもよく、東海問題と同様に、日本の鼻を明かすことにより矮小な民族の虚栄心を満足させたいのが目的なのであれば何も言うことはありません。早くその歪んだどす黒い情熱を違う方向に向けなさいとしか言葉はないですね。
結局韓国はどう決着させたいのでしょうか?
国際法廷へ付託する気も無い、つまり、国際的に韓国領と認めてもらおうとは思ってないようです。
では日本との2国間交渉にて認めてもらおうと考えているかというとこれも違う。
ただ国民向けに自国領であることをアピールするのみです。単なる政権の人気取りのためのパフォーマンスですね。そこには「国」として「民族」としてどうありたいか?
「国益」を考えてどうふるまうべきか?という基本的、かつ重要な思考も判断も全く存在しません。
半月城氏やアホー師匠はまず、このようなおそまつな自国政府のありかたを正すことを優先しませんか?
ここで無駄な宣伝を繰り返しても何も意味はないですよ
これは メッセージ 1349 (llllowollll さん)への返信です.
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韓国領派に提案(過去ログを見て)1
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/05 01:42 投稿番号: [1349 / 18519]
最近ここは半月氏と師匠が過去に論破された内容をひたすら繰り返すばかりとなり、個人的には興味が薄れてきました。
師匠の論理破綻と詭弁を楽しむくらいしか見所がないです(笑
結末の分かりきっているドラマじゃないですが、勝負がついてしまった議論を繰り返し見ていても緊張感がないですね。
正直なところ私は数年前まで竹島の存在すら知らなかった一般的な無関心日本人であり、WCの共催ごり押し、日韓・韓日呼称問題が発生するまで韓国にも興味がありませんでした。
そんななか、旧竹島トピは非常に興味を惹かれました。まず日韓の間にこういう紛争が現在も継続していること、お互い領有を主張していることなど、「国益」というものを実感させてくれるいい素材でした。
正直言うと、最初のころは「どちらにも言い分があるんだなー」程度で、まあ、韓国も過去日本に併合された経緯もあるので、若干同情的に、まあこの程度の小島がどちらの領土であってもそうたいした問題でもないし、このままでもいいのかなくらいの感想でした。
それがトピが進んでくるにつれ、衝撃をうけることになります。触発され自分でもいろいろ文献を当たったり本を買ったりして勉強しましたが、あまりにも日韓の主張のレベルに差がありすぎる、これはどちらにも言い分があるなんてもんではなく、ただ韓国が不法行為と詭弁、強弁を繰り返しているだけだということが分かり始めてきました。
少なくとも「国家」がこれだけ無茶な主張をしているということが衝撃でもありました
そんな中、ひたちなかたろう氏や虎三氏が登場して、実に明確に韓国の主張を論破し
日本領であることを多くの人に示してくれました。
特に印象に深いのは次の部分でしょう
http://www.keroa.net/take/takeshima2.htmlここの1093〜1108の虎三氏の投稿は圧巻でした。
事実上「竹島領有問題」はこの投稿で完全決着したと言えます。
この投稿に全く反論を示せない韓国側の主張は、これ以降何も意味をなさないものばかりとなり、半月城氏の執拗な宣伝活動にあきれたトピ主邦貴氏によるトピ削除、居場所をライコスに移して、またしつこい韓国側の意図的なループを見ることになりますが、ライコスでは一部日本側からさらに日本領であることを補強する地図などの資料が提示され、それなりの成果を残しますが、ライコス掲示板自体の閉鎖を経て、再度ここに場所を移して現在に至りました。(続く)
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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ギャグのセンスも落ちたね
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/05 00:21 投稿番号: [1348 / 18519]
師匠、ギャグにしてもセンスないねー、もちょっと笑わせてくれないと、、
子供が泣き喚いてるみたいだよ。同じ論理破綻するにしても、もちょっと余裕もたないと、、これじゃ君があまりにも悲惨なだけで笑えないよー
こりゃ0点だわ、出直しを命じます(笑
>何のつもりで見当違いの「判例」を持ち出したのか知らないが、三峯島探査は漁民の私的行為ではない。国家事業として行われた。
>この一例のみを見ても「主権者として行動する意志・意図」「国家権力のある程度の現実の行使または発現」の証拠は充分に示されており、独島の領有主権は朝鮮に在ったことは疑いない。
>対して日本側には、独島の領有主権の存在を伺わせる証拠は一切存在しないのである。
>勿論1905年の「島根県編入」も、朝鮮に対する領土野欲に基づく侵略以外の何者でもなく、当然に領有主権は一切認められない
これは メッセージ 1346 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1348.html
>>于山島≠竹島と判明した訳ですが
投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/03/04 23:03 投稿番号: [1347 / 18519]
ちゃうちゃう
于山島≠竹島(韓国名:独島)とすることに全く異論はない。
でしょ
鬱陵島のことを竹島と呼んでいた時代もあるので話しがややこしいのですが、于山島は人が住んでいた大きい島らしいですから現竹島(韓国名:独島)ではないでしょ。
これは メッセージ 1345 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1347.html
>安龍福
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/04 22:18 投稿番号: [1346 / 18519]
>The Court finally observes that activities by private persons such as Indonesian fishermen, cannot be seen as effectivit醇Ps if they do not take place on the basis of official regulations or under governmental authority.
何のつもりで見当違いの「判例」を持ち出したのか知らないが、三峯島探査は漁民の私的行為ではない。国家事業として行われた。
この一例のみを見ても「主権者として行動する意志・意図」「国家権力のある程度の現実の行使または発現」の証拠は充分に示されており、独島の領有主権は朝鮮に在ったことは疑いない。
対して日本側には、独島の領有主権の存在を伺わせる証拠は一切存在しないのである。
勿論1905年の「島根県編入」も、朝鮮に対する領土野欲に基づく侵略以外の何者でもなく、当然に領有主権は一切認められない。
これは メッセージ 1344 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1346.html
>于山島≠竹島と判明した訳ですが
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/04 20:37 投稿番号: [1345 / 18519]
>この事が理解できたと思うので、もともとの質問に戻ります。1906年以前に竹島を朝鮮が何と呼んでいたのか、ぜひ教えてください。
于山島≠竹島(現鬱陵島)とすることに全く異論はない。
竹島は鬱陵島である。1900年からは鬱島と呼称されていた。
これは メッセージ 1333 (zephenda さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1345.html
安龍福
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/04 13:16 投稿番号: [1344 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1344.html
それでは,言い換えましょう.
投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/03/04 12:27 投稿番号: [1343 / 18519]
>当該部分に関連する別の史料では違った内容が記述してある、とすべきです。
それでは,正確に言い換えます.
1908年に書かれた「増補文献備考」は,粛宗実録を原典としています.
原典によると,「松島に往く」という解釈は間違っています.
これでいいですか?
これは メッセージ 1342 (nochonggakk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1343.html
>>「住」と「往」
投稿者: nochonggakk 投稿日時: 2003/03/04 10:19 投稿番号: [1342 / 18519]
『粛宗実録』粛宗22年9月戊寅条「倭言吾等本住松島、偶因漁採出来、今当還往本所松島」の前半に出てくる「吾等本住松島」の「住」は「往」の写し間違いの可能性は殆ど無いでしょう。それは文脈から見れば明らかなことです。それを「写し間違いだ」として論をたてるとすれば、謬論の誹りを免れえないと思います。私の先の文章について、言外の意図を汲んで頂けなかったのが残念です。
言外の意図をストレートに書くのはあまりにも無芸ですが、仕方ないので書いておきます。『増補文献備考』の史料解釈として提示された「倭人がいうには、かれらはもとより松島に向かうところで、ちょうど帰るところだということだった」に対して、『粛宗実録』粛宗22年9月戊寅条を引用して、解釈が違っているではないかと主張しても、それは批判の仕方としてはナンセンスだ、ということです。当該部分に関連する別の史料では違った内容が記述してある、とすべきです。
なお、『粛宗実録』粛宗22年9月戊寅条の解釈に関わっていくつか。「出港地」と「住居」の区別は、この事件の前提となる鳥取藩領民の竹島渡海の歴史的経過とりわけ竹島(鬱陵島)出漁・渡航のあり方と照らし合わせて考えるとき、慎重にならざるを得ません。「隠岐の漁民だったのでしょう」と判定するのは少々無謀かな、という気がします。また、日本漁民の発言が、安龍福の発言のなかでの引用文であるという点も気になります。私は安龍福の日本語能力については懐疑的に捉えていますので、そうした観点から、この箇条をもう少し丁寧に再評価すべきだと考えています。
これは メッセージ 1341 (yusura_sdhk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1342.html
>「住」と「往」
投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/03/03 17:07 投稿番号: [1341 / 18519]
>「住」 と「往」はくずし字にすると区別が難しいですね。手元の
>『粛宗実録』では 両者は書き分けられていますが、写し間違いと
>いう観点から再解釈する という立場もありうるかも知れないですね。
まあ,写し間違いの可能性を考慮に入れれば,どんな解釈でも
可能ですからねえ.
>ここからすると、日本漁民の側が自分たちの出港地を松島と
>述べたことは分かりますが、安 龍福が隠岐のことを松島と思って
>いたことは分かりませんね(*)。
出港地,ではなく,住居,です.日本漁民の側は,自分達の住居が
松島だ,と述べています.対して安龍福は,松島は朝鮮領なのに,
何故住めるのだ(此亦我國地、汝敢住此耶),と言っているわけ
です.
>安龍福が隠岐のことを松島と思っていたことは分かりませんね
でも,現竹島じゃないことは明らかですよね.
松島は岩礁しか無いのに,何故住めるのだ,とでも
言ってくれれば良かったのでしょうけど.
これは メッセージ 1340 (nochonggakk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1341.html
「住」と「往」
投稿者: nochonggakk 投稿日時: 2003/03/03 16:07 投稿番号: [1340 / 18519]
手元にある『増補文献備考』だと当該部分は「倭対曰、本向松島、固当去也」ですし、『粛宗実録』粛宗22年9月戊寅条だと「倭言吾等本住松島、偶因漁採出来、今当還往本所松島」ですね。ここからすると、日本漁民の側が自分たちの出港地を松島と述べたことは分かりますが、安龍福が隠岐のことを松島と思っていたことは分かりませんね(*)。「住」と「往」はくずし字にすると区別が難しいですね。手元の『粛宗実録』では両者は書き分けられていますが、写し間違いという観点から再解釈するという立場もありうるかも知れないですね。
*「安龍福が隠岐のことを松島と思っていた」というのは、下條正男さんの「説」でしたよね。
これは メッセージ 1339 (yusura_sdhk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1340.html
倭の松島
投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/03/03 13:02 投稿番号: [1339 / 18519]
>倭人がいうには、かれらはもとより松島に向かうところで、ちょう ど帰るところだということだった。
原文は「倭言吾等本住松島・・・」ですね.松島に向う,
ではなく,松島に住んでいる,です.彼らは隠岐の漁師だった
のでしょう.
安龍福は,隠岐のことを「松島」だと思っていたらしいですね.
隠岐はわが朝鮮の領土なり,が彼の主張.
まあ,正史で愚民とされている安の「個人的」な于山島像
ですから,どうでもいいですが(笑)
これは メッセージ 1337 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1339.html
>竹島=独島と安龍福3
投稿者: hakkoda1297 投稿日時: 2003/03/02 23:23 投稿番号: [1338 / 18519]
いつも詳細な資料をご紹介いただき、ありがたく思っております。
以前の質問もありますので、重ねて質問するのも失礼なのですが、二つばかり
教えていただけるとありがたいです。
まず、
>たとえば、下條氏は安の「于山島像」に関する矛盾点をいろいろ指摘して
>いますが、正史で愚民とされている安の「個人的」な于山島像が政府の
>于山島像に置き換わるはずもなく、竹島=独島の領有問題にはほとんど無用な
>詮索です。
との記述と、
>その一方で「松島はすなわち芋山(于山)島・・・我が境域」という訴えは
>後世に重要な影響を残しました。なお、安がそのような認識をもつに至った
>背景ですが、「輿地志」の「鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭が
>いうところの松島である」という見方が当時は東莱の漁民にまでひろまっていた
>ことを示しているといえます。
の記述ですが、わたしからすればどちらも「安龍福の個人的な于山島像(もしくは
于山島に対する認識)」ではないかと思うのですが、一方を取り上げ、一方を排除
する合理性はあるのでしょうか?
また、非常に浅学な質問で申し訳ないのですが、独島が朝鮮正史にいうところの
于山島であるならば、なぜ韓国は彼の島を「于山島」と呼ばないのでしょうか?
そのほうが、彼の島が韓国領であることの歴史的正当性を、よりはっきりと
アピールできるような気がするのですが。
彼の島が、いつからどのような経緯で「独島」と呼ばれるようになっかたも、
併せてご教授願えるとありがたいです。
それでは、また。
これは メッセージ 1337 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1338.html
竹島=独島と安龍福3
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/03/02 22:54 投稿番号: [1337 / 18519]
安の手柄話は虚実こもごもですが、日本ではささいなことで虚の部分のみ強調して指摘する傾向にあり、冷静な研究はすくないのが実情です。たとえば、下條氏は安の「于山島像」に関する矛盾点をいろいろ指摘していますが、正史で愚民とされている安の「個人的」な于山島像が政府の于山島像に置き換わるはずもなく、竹島=独島の領有問題にはほとんど無用な詮索です。
そんな中で郷土史を重視した内藤氏は客観的観点で核心にせまる研究をしているようです。核心というのは、安龍福の訴状および安がもらったとする「関白の書契」についてです。内藤氏は、関白の書契はありえないとする一方、安の訴状についてはこう述べました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
問題はそれ(安の処遇)だけではない。帰国した安龍福(安同知)が備辺司で供述していることで、伯耆州と対座して、鬱陵・于山両島が朝鮮領であるとする書契を受けとったかどうかの問題である。
このことについては、まず鳥取藩主が(江戸から)帰国したのは7月19日であり、6月23日付の幕府の指示(安の処遇)を受けている以上、異客の訴願を鳥取で受理することなどありえないのである。そして藩主が帰国した時には、異客一行は湖山池の青島に監視つきでとじ込められていたのである。
しかし湖山池に移されるまでは、彼らは町会所にあって外交使節としての待遇を受けていた。したがって、その間に安龍福が、関白すなわち徳川将軍に宛てた訴状を、鳥取藩の役人に渡していたのではなかろうかという疑問である。
それというのも、1697年(元禄10)2月に、対馬藩主が朝鮮の東莱府使に行った質問のなかで、「去秋、貴国人呈単ノ事アリ、朝令ニ出ヅルカト」と述べていることが問題になる。これに対して東莱府使は、「漂風ノ愚民」ニ至リテハ、設ヒ作為スル所アルモ、朝家ノ知ル所に非ズシテ」と答え、さらに翌年3月の文書には、「呈書の事に至りては、誠に其の妄作の罪あり」と記している。
対馬藩主は「貴国人呈単ノ事」といって、日本と朝鮮との外交の場で問題にした。これに対して朝鮮側も「呈単ノ事」と答えて、「漂風ノ愚民」にすぎない安龍福が勝手にしたことであり、朝鮮政府として関知するところでなく、「妄作ノ罪」があると述べている。
安龍福が日本で文書を提出したことは、日朝が共通して認めている事実ということになる。日本で提出したといえば、安龍福の足跡から鳥取藩以外には考えられないのである(注)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
安の訴状が鳥取藩に提出され、それを対馬藩が知っていたことからすると、かれの訴状は徳川幕府にあるいは届いたのかもしれません。しかし、そのころには徳川幕府は竹島(鬱陵島)放棄をすでに決定していたので、かれの抗議行動は幕府の政策になんらの影響も与えませんでした。
その一方で「松島はすなわち芋山(于山)島・・・我が境域」という訴えは後世に重要な影響を残しました。なお、安がそのような認識をもつに至った背景ですが、「輿地志」の「鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島である」という見方が当時は東莱の漁民にまでひろまっていたことを示しているといえます。
(注)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版,2000,P106
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 1336 (hangetsujoh さん)への返信です.
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竹島=独島と安龍福2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/03/02 22:53 投稿番号: [1336 / 18519]
安龍福は東莱府に報告したが聞き入れてもらえなかった。翌年、接慰官が東莱に来るや安はふたたび以前のできごとを訴えたが、朝廷もやはりこれを信じなかった。そのころ、倭の使節がたびたび東莱に来たが、将来もし両国にひびが入っても人はこれを憂うのみで、だれも対馬島の欺瞞を知らないであろう。
憤慨した安龍福は蔚山の海辺に行った。そこの商僧、雷憲は船を持っていた。龍福はかれを誘った。鬱陵島は海菜が多いので、そこへ行く道を案内したいと言った。僧は快くこれに従った。
(1696年)ついに帆をあげ3昼夜航海して鬱陵島に停泊した。そこへ倭船が東からやって来た。それを見た龍福はかれらを縛ろうといったが、船乗りたちはおそれてしりごみした。
龍福はひとり前に出て怒り、なぜわが境域を犯すのかと倭人をののしった。倭人がいうには、かれらはもとより松島に向かうところで、ちょうど帰るところだということだった。さらに龍福は倭人を追って松島に至り「松島はすなわち芋山島である。お前たちは、芋山島もまた倭が境域であることを聞いていないのか」と叱り、棒でその釜を砕いた。
倭人はおおいに驚いて逃げた。龍福は伯耆州に行き状況を太守に告げた。太守はかれらをことごとく捕らえて裁いた。龍福は鬱陵監税官と偽って称し、堂にのぼり太守と対等に礼をかわした。そして大声でこう言った
「対馬島の中間の偽りを正すのは、単に鬱陵の一事だけのことではない。わが国が送った幣貨を対馬島が日本に転売し多大な利益をあげた。また、対馬島は米15斗を1斛(こく)とすべきなのに7斗を1斛に、布30尺を1疋(ひき)とすべきなのに20尺を1疋に、1束の紙を3束に偽ったが、関白がこれをどう扱うのか知る由もない。我は関白に一書を送りたい」
伯耆州の太守はこれを許可した。このころ、対馬の島主の父親が江戸にいてこれを聞いて大いに驚き、伯耆の太守に「その書が朝に知られると夕にはわが子が死ぬので、太守はよろしく取りはかってほしい」と乞うた。
太守は江戸から帰るや、龍福に書を差し出さないように言った。また、すみやかに対馬島に帰り、もし争いごとのようなものがあったら人や書を送るように言った。
安は帰国し、蠔陽に泊まり官衙に報告した。また、伯耆州にいたときに太守に呈した文書をこれまでの証拠として提出した。ほかの従者も一人一人調べられたが、龍福の言と違いはなかった。ここに至り、倭はふたたび偽りをいうことが不可能なのを知り、東莱府に書状を送り「ふたたび鬱陵島に人を送らないようにする」と謝罪した。
このとき、事の発端が龍福にあったため、倭はかれを憎み、龍福が対馬島を経由しなかった行動を罪とした。旧約定では対馬島から釜山に向かう一路以外はすべて禁止とするという一文があるためである。
朝廷の議論は、龍福の罪は斬首刑に該当すると皆主張したが、ただ領敦寧・尹趾完、領中枢・南九萬はかれを殺せば対馬島を喜ばす一方、その人傑を憤激させる結果になるので、その非や碌々としたところを正すべきであり、生かして後日のために役立てられるようにすべきだとした。結局、かれを流刑にした。今や倭が鬱陵島をふたたび日本の地にしようとしないのは、みな龍福の功である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)
これは メッセージ 1335 (hangetsujoh さん)への返信です.
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竹島=独島と安龍福1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/03/02 22:52 投稿番号: [1335 / 18519]
半月城です。
前回予告したように安龍福の渡日について書くことにします。元禄時代、安は二回も日本へ渡りました。最初は鳥取藩の商人、大谷・村川両家による連行、二度目は安みずから鬱陵島と于山島は朝鮮領であると訴えるため渡日しました。
安の渡日に関する朝鮮の同時代史料としては、正史の『粛宗実録』、政策決定最高機関の重要議事録である『備辺司騰録』があります。これらはその性格上、事件の逐次的な記録です。一方、それらを要約した官撰史料に『東国文献備考』(1770、逸失)とその増補版である『増補文献備考』(1908)がありますが、こちらは要約されているだけに読みやすいのが特徴です。
これらの史料すべてで安の供述が引用されましたが、それは基本的に「手柄話」の性格を有することはいうまでもありません。史料はもちろんそれらを全面的に信頼しているわけではありません。『粛宗実録』では、かれを「漂風愚民」と記しました。
さらに、安の二度目の官吏を装った勝手な渡日は、斬首刑に相当する罪とされました。しかし、その一方でかれの抗議行動が対馬の鬱陵島横取りを防いだとして、安の功績も同時に認定しました。そのため、かれは斬首刑をまぬがれ、流刑ですまされました。
他方、かれの抗議行動を今日の視点でみると、安はすでに「輿地志」が記した「鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島である」という認識を日本にも定着させたという点で注目されます。これは今日の竹島=独島問題に重要な一石を投じたので特筆にあたいします。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=682
前置きが長くなりましたが、安龍福(アン ヨンボッ)の渡日を『増補文献備考』にみることにします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
最初、東莱(現 釜山市)の安龍福は隷能櫓軍として倭の言葉に通じていた。粛宗19年(1693)夏、海で漁をしていたところ漂流して鬱陵島に到着したが、たまたま倭船に遭い拘束され五浪島に入った。そこで安龍福は島主にこういった。
「鬱陵島はわが国までの距離は一日なのにたいし、日本までは五日ほどかかる。これはわが国に属するのではないか。朝鮮人みずから朝鮮の地へいくのになぜ拘束するのか」
隠岐島主は安を屈服させられないとみるや、かれを伯耆州へ送った。州の太守はかれを銀銭などで厚くもてなした。安龍福は、日本人がふたたび鬱陵島に入らないように願うのみであり、銀をもらうのは意にそわないといった。とうとう伯耆州の太守は関白に稟議して書契を作成しかれに授け「鬱陵島は日本領ではない」といった。
安は長崎島へ移った。島主はすなわち対馬島の一党である。関白の書契を見せるように求められたので、これを出したところ奪われてしまい、ついに返してもらえなかった。
安龍福は対馬島に送られた。その時、対馬島主は関白の命令を偽り、鬱陵島に関して数回もめ事を起こしたが、これは関白の意思ではない。鬱陵島は魚や竹が豊富なので、倭がその島を持つのは利益が大きい。また、倭の一行が島にいけば、国家がそれを厚く遇するので、このため倭の往来はやまなかった。
ここに至り、対馬島は自分たちの奸計を安龍福がことごとく暴露するのを恐れて安を牢に入れた。かれを東莱に押送して倭館に幽閉し、前後90日してはじめて龍福を帰した。
(つづく)
これは メッセージ 1297 (hangetsujoh さん)への返信です.
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「独島を守ろう」
投稿者: bibimppap 投稿日時: 2003/03/02 08:33 投稿番号: [1334 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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于山島≠竹島と判明した訳ですが
投稿者: zephenda 投稿日時: 2003/02/28 00:04 投稿番号: [1333 / 18519]
この事が理解できたと思うので、もともとの質問に戻ります。1906年以前に竹島を朝鮮が何と呼んでいたのか、ぜひ教えてください。
これは メッセージ 1329 (wakarannjin さん)への返信です.
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ギャグでしょう
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/02/27 10:53 投稿番号: [1332 / 18519]
>そもそも,竹島韓国領派が展開している,「于山島が鬱陵島の西側に書いてあるのは,正確な測量をしなかったからだ」という主張そのものに無理がないでしょうか(笑)
無理というかギャグの世界でしょう。
師匠の論理世界は人智の及ぶところじゃないです。我々凡人は笑うしかないですね。
次の一節がまさしくそれです。
勢いで書いちゃったんでしょうが、、よく読むとzephendaさんの言うこと全然肯定しちゃってます(笑
本人の気持ちではきっと反論したつもりなんでしょうね(爆
zephendaさん
>>○于山島が竹島なら、于山国じゃなくて鬱陵国と言った表記になると思いますが。つまり于山島は竹島ではないと言う事。
師匠
>歴史上「于山国」は有っても「鬱陵国」など存在しない。
これは メッセージ 1331 (yusura_sdhk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1332.html
っていうか,
投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/02/27 07:36 投稿番号: [1331 / 18519]
そもそも,竹島韓国領派が展開している,「于山島が鬱陵島の
西側に書いてあるのは,正確な測量をしなかったからだ」という
主張そのものに無理がないでしょうか(笑)
少なくとも僕には受け入れられない主張です.
っていうか,笑っちゃう.
これは メッセージ 1330 (tydkemvo さん)への返信です.
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だから
投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/02/26 21:40 投稿番号: [1330 / 18519]
>歴史上「于山国」は有っても「鬱陵国」など存在しない。
于山国が于山島であり、それが現在言うところの鬱陵島なんでしょ?
これは メッセージ 1329 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1330.html
ああ不毛だ
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/02/26 21:24 投稿番号: [1329 / 18519]
○別に西洋の測量をしろと言ってませんが。どんな島か、どの当りに有るのか、適当な記述が欲しいと言っているのです。それでないとその文献が本当に竹島を示しているのか、解らないと言っているのです。
それなりの「探査」を行い、その結果をもとに朝鮮人さんの言う「東国文献備考」は作られたはずですよねえ。なら、その文献は嘘っぱちで、なんら実証にならないではないですか。信用に足る文献も地図もないのに、どうして朝鮮の領土といえるのか、謎ですねえ。
朝鮮王朝実録は充分信用するに足る。
その他幾多の公文書が示されており、これに比しても同時代の日本側の公文書は皆無であるばかりか、明治期に至っても松島は朝鮮の于山島であり朝鮮領であるという日本政府の認識を示している。
○于山島が竹島なら、于山国じゃなくて鬱陵国と言った表記になると思いますが。つまり于山島は竹島ではないと言う事。
歴史上「于山国」は有っても「鬱陵国」など存在しない。
○どの国も抗議しなかったので日本の実効支配が成立したわけですが。何回言ったら解るの?
隣国に通告はおろか照会すらなく、外交に携わらない一地方行政庁の告示など、隠密裏に勝手にやらかしたことに過ぎず、実効支配など一切認められない。
従って、抗議など全く不要であり、無視しても全然問題ない。
朝鮮は、従来の領有を継続するのみで充分である。
これは メッセージ 1323 (zephenda さん)への返信です.
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訂正>「竹島一件」と竹島=独島再確認3
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/02/26 20:44 投稿番号: [1328 / 18519]
誤:結論から云うと、成宗三年(1742)の第一次三峯島探索は大風に遭遇して失敗します。
正:結論から云うと、成宗三年(1472)の第一次三峯島探索は大風に遭遇して失敗します。
1472年とすべきところ、誤って1742年としてしまいました。
これは メッセージ 1327 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1328.html
>「竹島一件」と竹島=独島再確認3
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/02/26 20:29 投稿番号: [1327 / 18519]
結論から云うと、成宗三年(1742)の第一次三峯島探索は大風に遭遇して失敗します。
『成宗実録』巻76、成宗7年10月丁酉条を見ますと、江原道監察使によって派遣された金自周らが三峯島に達し、その成果を持ち帰ることになったようです。
なお、原文を掲載しようと試みましたが上手くいかないので、今回は掲載を諦めました。
これは メッセージ 1324 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1327.html
朝鮮の近代地図
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/02/26 20:10 投稿番号: [1326 / 18519]
半月城です。
RE:1099
>朝鮮について補足しますと、朝鮮王国時代には大韓帝國期を含めて、一度も正確な全国図は作製されなかったのでないでしょうか。
^
何が「正確」なのか定義はむずかしいのですが、すくなくとも金正浩『大東輿地圖』(1861)は特筆にあたいします。世界的に権威ある『世界地図学史』(全8巻、英文)において『大東輿地圖』は精巧で優秀な伝統地図と絶賛されました。韓国でも宝物850号に登録されました。
全体の大きさがなんと6.6メートルにもなるこの大地図の精度は、北辺が少しずれるくらいで、複雑な南海岸などはほとんど狂いがありません。伊能忠敬の地図に匹敵するできばえです。
一方、地図の実用性に関しては伊能図をはるかに凌駕しています。『大東輿地圖』は山脈や河川まで詳細に記入し、さらに主要道路も直線ながら記入しました。しかし単なる直線では里程がわからないので、それを補うために10里ごとにマークを入れました。そのため、交通や物流にとってたいへん重宝な地図でした。また地図は携帯に便利なようにコンパクトな帙に収められ、常用に優れていました。
そればかりか、地図には国家の非常時にすぐ即応体制が組めるように、記号を用いて営衙や城池、烽燧、駅站、鎮堡なども完璧に記入しました。そのため、日清戦争で日本、清ともに軍事作戦に『大東輿地圖』を利用したくらいでした(注1)。日本軍の場合は独自に測量図「漢江近海図」などをすでに作成していましたが、それでも『大東輿地圖』は有用だったようです。
このように、『大東輿地圖』は政治や経済、軍事面で有用な地図なのに、不思議なことにこれは官撰地図ではありませんでした。これほど詳細で膨大な情報を満載した大地図が国家事業ではなく、金正浩個人によっていかに作成されたのか未だにほとんどナゾとされています。
かろうじてわかっているのは、かれは地図を作成するにあたり、申ホンの協力により奎章閣の図書を閲覧できたということくらいです。その知識をもとに全国を歩き回り『大東輿地圖』を完成させたようでした。
したがって、かれは『世宗実録』地理志や『東国輿地勝覧』など地理志の伝統を受けついだことだけはたしかで、そうした趣旨がかれの著書『大東地誌』『輿國備志』『東輿圖地誌』などにうかがえます。なお、申ホンはのちにアメリカによる江華島攻撃事件(辛未洋擾,1871)交渉の際に朝鮮側全権をつとめた人ですが、かれの影響か、金正浩は国防の観点から軍事施設を重視したものと思われます。
ナゾは地図作成方法だけではありません。かれの人生もナゾです。私は #1077で「金正浩は地図出版の罪により刑死しました」と書きましたが、それもどうやらあやふやで否定説も根強いようです。そればかりか、生まれも育ち、身分などもほとんど情報がないようです。わずかにかれは中人の身分であったらしいということが『里郷見聞録』により推定されます。いきおい、かれを題材にした映画や物語はほとんどフィクションといっても過言ではありません。それほど、長い間ほとんど忘れられた存在でした。
それが日帝時代に他ならぬ朝鮮総督府からにわかに評価され『朝鮮語讀本』に掲載されました。地図が日清戦争に活用されたくらいなので、総督府はその価値を誰よりもよく知っていたに違いありません。
しかし『朝鮮語讀本』の記述はによればあまり信用できないようです。かれの地図版木はすべて押収されて焼却されたと書かれましたが、1990年代になって焼却されたはずの版木が11枚(22面)も見つかりました。大発見です。
ちなみに、この地図で竹島=独島は記載されませんでした。個人の力や執念もここまでです。朝鮮周辺の数百、数千もある小島すべてを個人的に踏査するなんて至難なのは自明です。
(注1)東亜日報、1925.10.8
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 1099 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1326.html
nochonggakkさんへ
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/02/26 20:09 投稿番号: [1325 / 18519]
半月城です。
RE:1305, nochonggakkさん
>私は特定の見解に肩入れするつもりはありませんが、史料の誤読に基づく論の展開には反対です。
私なら無視してしまうような henchin_pokoider01さんの「史料の誤読に基づく論の展開」にたいして、丁寧に納得のいくような形で反論しておられるので感心しています。nochonggakkさんは論文などを丹念に読んでおられるようですが、察するに竹島=独島問題の研究者ですか?
これは メッセージ 1305 (nochonggakk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1325.html
>「竹島一件」と竹島=独島再確認2
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/02/26 19:49 投稿番号: [1324 / 18519]
三峯島探索に関連すると思われる成宗三年(1742)の記事の所在のみ、一覧にします。
『成宗実録』巻15、成宗3年2月庚午条
『成宗実録』巻61、成宗3年3月壬寅条
『成宗実録』巻16、成宗3年3月丙辰条
『成宗実録』巻17、成宗3年4月丁卯条
『成宗実録』巻19、成宗3年6月丁丑条
これは メッセージ 1322 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1324.html
不毛になってきた。
投稿者: zephenda 投稿日時: 2003/02/26 19:48 投稿番号: [1323 / 18519]
○別に西洋の測量をしろと言ってませんが。どんな島か、どの当りに有るのか、適当な記述が欲しいと言っているのです。それでないとその文献が本当に竹島を示しているのか、解らないと言っているのです。
それなりの「探査」を行い、その結果をもとに朝鮮人さんの言う「東国文献備考」は作られたはずですよねえ。なら、その文献は嘘っぱちで、なんら実証にならないではないですか。信用に足る文献も地図もないのに、どうして朝鮮の領土といえるのか、謎ですねえ。
○于山島が竹島なら、于山国じゃなくて鬱陵国と言った表記になると思いますが。つまり于山島は竹島ではないと言う事。
○どの国も抗議しなかったので日本の実効支配が成立したわけですが。何回言ったら解るの?
これは メッセージ 1320 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1323.html
>「竹島一件」と竹島=独島再確認
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/02/26 19:40 投稿番号: [1322 / 18519]
Am I AHOです。
成宗二年(1471)の記述は、『成宗実録』巻11、成宗2年8月丁巳条 を典拠にしたと思われます。
『下書江原道觀察使成順祖曰 今聞永安道居民 有潛投茂陵島者 欲使人往捕之 世宗朝嘗尋討此島人口 今必有其時往來者 可速訪問 且募願行者
備船艦以啓. 』
これは メッセージ 1297 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1322.html
>ああ明白だ
投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/02/26 19:29 投稿番号: [1321 / 18519]
あのー・・・・
>鬱陵島も于山島も于山国の地、即ち明白に朝鮮王国の領土であった。
鬱陵島=于山島
じゃないんですか?
これは メッセージ 1320 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1321.html
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