竹島

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史料の読みはきちんとすべき

投稿者: nochonggakk 投稿日時: 2003/02/25 12:02 投稿番号: [1305 / 18519]
私は特定の見解に肩入れするつもりはありませんが、史料の誤読に基づく論の展開には反対です。この問題に関わる人々の史料の解釈にあっては、史料解読に力量不足であったり、意図的であったり、さまざまな問題を感じています。

>「因州 伯州え付候竹嶋はいつの此より両国え附属候哉」に対して、「竹嶋松嶋其外両国え付属の嶋 無御座候」だろ。「竹島松島の他には付属の島はありません」だろうよ。
この史料は元禄8年12月付の鳥取藩江戸藩邸から江戸幕府に対する返答書の最終箇条(6条め)であり、「竹島松島およびそのほか鳥取藩(=因幡・伯耆)に付属する島はありません」としか解釈できません。
同じ史料の冒頭箇条が「竹嶋は因幡伯耆附属ニては無御座候」です。

>「竹嶋は因幡 伯耆附属ニては(ママ)無御座候」を持ち出して、両島とも放棄したような印象操作をするのはやめれば?苦しいことを自ら証明しているよ。
この箇条および返答書全体を貫いている鳥取藩側の認識は、「両島とも放棄した」のではなく、そもそもから鳥取藩領という認識をもっていなかった、ということです。ここで問題となっている上記史料は、『鳥取藩史』第6巻、472頁に所収されているものです。これら鳥取藩側の回答を承けて老中阿部は、「日本人が住んでいるか、または日本が取った島だというのであれば、今更返還しようがないが、そうした証拠も無いのだから、この問題で日本側からあれこれ口を出すこともないだろう」と対馬藩に指示したのです(『竹島紀事』、池内敏「竹島一件の再検討」20頁*掲載史料から再引用)。
*『名古屋大学文学部研究論集』史学47,2000年

>1836年の会津屋への判決文でも領有の意識をもっていたのは明らか。
この史料はそこまで解釈できません。幕府は一貫して竹島(鬱陵島)にしか目配りが効いておらず、松島(こんにちの竹島)の領有云々は史料上は全く出てきません。そもそも会津屋八右衛門自体が松島に見向きもしなかったことは明白な歴史的事実です(池内敏「17−19世紀鬱陵島海域の生業と交流」26頁**)。
**『歴史学研究』756,2001年
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