「竹島一件」と竹島=独島再確認1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/02/23 14:00 投稿番号: [1290 / 18519]
半月城です。
元禄時代、1692年、93年と2年つづけて日本、朝鮮双方の漁民が竹島(鬱陵島)でハチあわせしましたが、この事件「竹島一件」は竹島=独島の帰属問題に重大な影響を与えました。
日本では、この掲示板でたびたび書いているように、徳川幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らない一方、同島と最も関係が深く、同島が所属していると思われた鳥取藩は松島(竹島=独島)は同藩の所属ではないと幕府に公式回答をしました。当時の日本は竹島=独島に領有意識をもっていなかったといえます。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=682
一方、朝鮮ではこの事件を契機に鬱陵島へ大調査団を派遣しましたが、その調査の過程で竹島=独島の存在が再確認されました。今回は、この調査団の詳細や「竹島一件」への朝鮮側の対応を中心に書くことにします。
「竹島一件」交渉の当初、朝鮮政府は穏便に事を済ませようとして苦肉の策をとりました。対馬藩の主張する「竹島」が実は朝鮮の蔚陵島(鬱陵島)と同一の島であるということを知りながら、それらを名目上別々の島ということにして、蔚陵島を朝鮮領に「竹島」を日本領にすることで竹島一件の解決をこころみました。
しかし、蔚陵島を日本領にするのが目的であった対馬藩はこれに満足せず、朝鮮の書契から「弊境之蔚陵島」の文字を削除するよう強硬に求めました。それは朝鮮政府に弥縫策を許さない匕首だっただけに、朝鮮政府は反発しました。
朝鮮政府内では、問題の二島が同一の島であるという真実を重視した原則的な解決策が次第に優勢になり『粛宗実録』によれば、政府は下記内容の強硬な書契を日本に送りました。
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我国の江原道蔚珍県に属島があり、鬱陵島という。東海にあり風濤が危険で船の便がなかったので、住民を移して空島にした。そして時々役人を派遣して調査させていた。
このたび我が漁民が島に行ってみたところ、貴国人が越境侵犯して島に来て、逆に我が漁民二人を捕らえて江戸に送った。
幸いに貴国の将軍は事情を察し、厚いもてなしをした上で送り返してくれた。交隣の情が厚いことはほんとうに感激の至りである。しかしながら、我が漁民が猟をしていたところは、もともと朝鮮の領土である鬱陵島であり、竹を産するので竹島といわれており、一島二名である。
鬱陵島については、ただに朝鮮の書籍に見られるだけでなく、貴国日本の人も知っている。それにもかかわらず、書中で竹島は日本領であり、朝鮮の漁船の往来を禁止しようとして、日本人が我が朝鮮の領土を侵犯したことを問題にしないで、逆に我が漁民を拘束したことは間違っており、誠信の道に欠けるところがあると思う。
深く望むことは、この意向を江戸の幕府に報告し、日本辺海の人が鬱陵島に渡海して再び事件が起こらないように命じてほしい(注1)
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さらに両国間で書簡のやりとりが何回か行われ、結局、日本は外交交渉に敗れ、竹島(鬱陵島)を放棄しました。前回書いたように、徳川幕府はもともと鬱陵島を「朝鮮属国」と記録していたので、当然の結末です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1201
(つづく)
元禄時代、1692年、93年と2年つづけて日本、朝鮮双方の漁民が竹島(鬱陵島)でハチあわせしましたが、この事件「竹島一件」は竹島=独島の帰属問題に重大な影響を与えました。
日本では、この掲示板でたびたび書いているように、徳川幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らない一方、同島と最も関係が深く、同島が所属していると思われた鳥取藩は松島(竹島=独島)は同藩の所属ではないと幕府に公式回答をしました。当時の日本は竹島=独島に領有意識をもっていなかったといえます。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=682
一方、朝鮮ではこの事件を契機に鬱陵島へ大調査団を派遣しましたが、その調査の過程で竹島=独島の存在が再確認されました。今回は、この調査団の詳細や「竹島一件」への朝鮮側の対応を中心に書くことにします。
「竹島一件」交渉の当初、朝鮮政府は穏便に事を済ませようとして苦肉の策をとりました。対馬藩の主張する「竹島」が実は朝鮮の蔚陵島(鬱陵島)と同一の島であるということを知りながら、それらを名目上別々の島ということにして、蔚陵島を朝鮮領に「竹島」を日本領にすることで竹島一件の解決をこころみました。
しかし、蔚陵島を日本領にするのが目的であった対馬藩はこれに満足せず、朝鮮の書契から「弊境之蔚陵島」の文字を削除するよう強硬に求めました。それは朝鮮政府に弥縫策を許さない匕首だっただけに、朝鮮政府は反発しました。
朝鮮政府内では、問題の二島が同一の島であるという真実を重視した原則的な解決策が次第に優勢になり『粛宗実録』によれば、政府は下記内容の強硬な書契を日本に送りました。
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我国の江原道蔚珍県に属島があり、鬱陵島という。東海にあり風濤が危険で船の便がなかったので、住民を移して空島にした。そして時々役人を派遣して調査させていた。
このたび我が漁民が島に行ってみたところ、貴国人が越境侵犯して島に来て、逆に我が漁民二人を捕らえて江戸に送った。
幸いに貴国の将軍は事情を察し、厚いもてなしをした上で送り返してくれた。交隣の情が厚いことはほんとうに感激の至りである。しかしながら、我が漁民が猟をしていたところは、もともと朝鮮の領土である鬱陵島であり、竹を産するので竹島といわれており、一島二名である。
鬱陵島については、ただに朝鮮の書籍に見られるだけでなく、貴国日本の人も知っている。それにもかかわらず、書中で竹島は日本領であり、朝鮮の漁船の往来を禁止しようとして、日本人が我が朝鮮の領土を侵犯したことを問題にしないで、逆に我が漁民を拘束したことは間違っており、誠信の道に欠けるところがあると思う。
深く望むことは、この意向を江戸の幕府に報告し、日本辺海の人が鬱陵島に渡海して再び事件が起こらないように命じてほしい(注1)
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さらに両国間で書簡のやりとりが何回か行われ、結局、日本は外交交渉に敗れ、竹島(鬱陵島)を放棄しました。前回書いたように、徳川幕府はもともと鬱陵島を「朝鮮属国」と記録していたので、当然の結末です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1201
(つづく)
これは メッセージ 1203 (hangetsujoh さん)への返信です.
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