「竹島一件」と竹島=独島再確認3
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/02/23 16:39 投稿番号: [1296 / 18519]
東側五里(2km)の小さな島は、その方向や距離から現在の竹嶼島を指すのは疑いありません。その一方、張漢相が鬱陵島の辰方、すなわち東南東に見た島ですが、これは竹島=独島以外に考えられません。その島までの距離を張漢相は三百余里(120km)としていますが、これは鬱陵島と竹島=独島間の実際の距離92kmにかなり近い値です。
ちなみに、日本の江戸時代の史料で両島間の距離は40里 160kmとされました。それよりは正確といえますが、張漢相はその距離をどうやって割り出したのか好奇心をそそられます。100kmも離れたところから実際の距離を言い当てるのは当てずっぽうでも困難なので、あるいは途中まで実際に航海したのかも知れません。そうでなければ、記録などであらかじめそうした知識があったのかもしれませんが、この可能性については後にまたふれます。
一方、島の大きさは鬱陵島の1/3未満と書かれていますが、実際の竹島=独島は 1/317であり、たしかに1/3未満にはちがいないのですが、張漢相は竹島=独島をかなり大きく見ていたことになります。この事実は、張漢相は実際に竹島=独島の間近までは行かなかったことを示しているようです。
しかし、島の大きさは違っても東南東方向にそれくらい離れた島は現実にただひとつ、竹島=独島しか存在しないので、その島は竹島=独島であることはまぎれもありません。
さて、調査団は出発前に鬱陵島について記録などである程度調べてから出発したと思われますが、張漢相が于山島に関して知り得た可能性がある予備知識を整理すると下記のとおりです。
1.1454年、『世宗実録』地理志
「于山武陵二島 在縣正東海中 二島相去不遠 風日清明 則可望見」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1067
2.1476年、『成宗実録』三峰島探索記録および竹島=独島の地形図
「二五日 西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流 亦海島之間 有如人形 別立者三〇 因疑惧 不得直到 畫島形而來」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1078
3.1481年、『東国輿地勝覧』
「蔚珍縣 于山島、鬱陵島。 一云武陵 一云羽陵 二島在縣正東海中」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1096
4.1656年、柳馨遠「輿地志」
(つづく)
ちなみに、日本の江戸時代の史料で両島間の距離は40里 160kmとされました。それよりは正確といえますが、張漢相はその距離をどうやって割り出したのか好奇心をそそられます。100kmも離れたところから実際の距離を言い当てるのは当てずっぽうでも困難なので、あるいは途中まで実際に航海したのかも知れません。そうでなければ、記録などであらかじめそうした知識があったのかもしれませんが、この可能性については後にまたふれます。
一方、島の大きさは鬱陵島の1/3未満と書かれていますが、実際の竹島=独島は 1/317であり、たしかに1/3未満にはちがいないのですが、張漢相は竹島=独島をかなり大きく見ていたことになります。この事実は、張漢相は実際に竹島=独島の間近までは行かなかったことを示しているようです。
しかし、島の大きさは違っても東南東方向にそれくらい離れた島は現実にただひとつ、竹島=独島しか存在しないので、その島は竹島=独島であることはまぎれもありません。
さて、調査団は出発前に鬱陵島について記録などである程度調べてから出発したと思われますが、張漢相が于山島に関して知り得た可能性がある予備知識を整理すると下記のとおりです。
1.1454年、『世宗実録』地理志
「于山武陵二島 在縣正東海中 二島相去不遠 風日清明 則可望見」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1067
2.1476年、『成宗実録』三峰島探索記録および竹島=独島の地形図
「二五日 西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流 亦海島之間 有如人形 別立者三〇 因疑惧 不得直到 畫島形而來」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1078
3.1481年、『東国輿地勝覧』
「蔚珍縣 于山島、鬱陵島。 一云武陵 一云羽陵 二島在縣正東海中」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1096
4.1656年、柳馨遠「輿地志」
(つづく)
これは メッセージ 1292 (hangetsujoh さん)への返信です.
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