朝鮮を笑う

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斜め上の雲 67

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/29 09:53 投稿番号: [1667 / 2847]
「閣下、だいじょうぶですか」
  トイレに逃げこもうとしていた車警護室長がうめくようにいった。
  朴は、さわぐこともなく静かにいった。
「おれは、だいじょうぶだ」
  肺に血のはいる音がした。朴は、両隣に座っていた沈守峰と申才順に抱きかかえられるようにささえられていたが、申が朴の背中に手をまわすと赤い血がべったりとついた。金の放った銃弾は朴の胸を貫通していたのである。
「閣下」
  こんどは沈がいった。
「おれは、だいじょうぶ・・・・・・」
  朴の言葉は、そこでとぎれた。
  申は朴の最期をよく覚えており、のちにこうかたっている。
「大統領は逃げもせず、哀願もせず、運命を受け入れたようにおもえました。そして淡々とあの言葉をいったのです。おまえたちは逃げろ、という意味だったようにおもえました」

  消えていた照明がついたとき金戴圭が戻ってきた。手には腹心の朴善浩からもらったS&W三八口径のリボルバーがにぎられている。朴善浩らは指示どおり警護員たちを射殺しおえていた。
  金は部屋の片隅で本棚を倒してそのかげにうずくまっていた車警護室長に近づいた。車は飛びかかろうとしたところを撃たれた。これがとどめとなった。
  毒を食らわば皿まで、という。金はわずか五〇センチの至近距離から大統領の頭部に発砲し、その生死を確認することなくふたたび部屋を出ようとした。

  そこにちょうど金秘書室長がもどってきた。
「なんということを」
  しでかしてくれたのだ、といおうとして金秘書室長は口をつぐんだ。うかつに刺戟すればじぶんも撃たれる。
「兄さん、すべておわりました。あとはたのみます」
「わ、わかった」
  この場を収拾するためにはうなずくしかない。それに金秘書室長ははやく殺人者の視界からのがれたかった。
  かれの返答をきくと、金戴圭は上着も着ず裸足のままで安全家屋を飛び出した。

  金部長が去った宴席には一人の死者と三人の生者、そしてまもなく死者の列に加わろうとする男がひとり、残された。
  生者の一人である金桂元秘書室長は、死亡した車室長のまぶたに手をかけ瞑目させると、朴ににじり寄り抱き起こそうとした。まだ息はある。
  金秘書室長は、朴を首都陸軍病院の大統領専用病室に搬送させた。
(まだ助かる可能性がある)
  かれは事件をふせぐことができなかったという自責の念にかられていた。だが、病院へむかう車中、かれのひざまくらの上で朴の心臓は停止した。享年六十二歳であった。

  奇しくも七十年前のこの日は、明治維新と朝鮮半島に大きくかかわったひとりの日本人がテロリストによって射殺された日でもあった。
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