竹島
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/15 22:28 投稿番号: [14865 / 18519]
te2222000さん
>恐らく「経済的な意味がある」というだけの理由で (イ)と(ハ)を同一視している
>のではないですか。
te2222000さんが、割注の「多竹魚海鹿」に「竹島の主な産物を書いたもの」
という "経済的な意味" を認められたのは、より良い理解への第一歩です。ところで
斉藤豊仙は、竹島の主な産物「多竹魚海鹿」に "経済的興味" を感じていたかどうか、
te2222000さんはどうお思いですか。
>それで、shuku_remusさんはご自分の推測にどの程度の自信をお持ちなのでしょうか。
どの程度の自信かとは大変むずかしいご質問です。あくまでもte2222000さん
と対応させて、下記のようにお答えしました。
#14845
|
竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては推測であることに変わり
|ありません。ここにきてte2222000さんから見て、私の書き方に相当な自信を感じると
|すれば、それは議論を通して、te2222000さんの心の中に変化があったのでしょう。
#14863
|
付け加えますと、「竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思い」に関する私の推測
|には、te2222000さんとの議論を通してだけですが、その妥当性が認められるように
|なったと思っています。
>「地元漁民は、朝鮮半島が見える程に近いことから、朝鮮人との遭遇が起こることを
>懸念していた。しかし、斎藤豊仙は、実際に漁が妨害されたのであればともかく、
>40年に渡って漁の実施に問題が生じていないのだから、あえて正式な国境画定をする
>必要があるとは思わなかった」
実際に漁への妨害があったかどうか、漁の実施に問題が生じていなかったかどうか
分かりませんが、斉藤豊仙の国境画定へのスタンスは#14614で述べたように下記推定
しています。どの程度と言うことであれば、今回、te2222000さんの状況設定はこれに
さほど遠くないかも知れません。しかし国境画定については、必要性認識の有無より、
もともと権限が無かったと言うことであったと思います。
#14614
|
地方役人である斉藤豊仙には、もとより日本の国境について云々する
|
権限はなく、豊仙がここではっきり申し立てしても、対外的には何の効力もなく、
|
却って(余計なこととして)幕府から咎められることにもなりかねない。
|
従って、遠まわしにあっさり述べるにとどめた。
#14614
|
斉藤豊仙は隠岐郡代を務めたとのことです
|から、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと思われます。しかし
|当時は幕府の関心は薄く、国境の画定は地元の願望にとどまったのではないでしょうか。
>これまでのshuku_remusさんのお話を伺う限り、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考え
>は区別して扱う必要がないほど一致しているとお考えのように見受けます。
私はそれほど踏み込んだ推定はしていません。
shuku_remus
これは メッセージ 14864 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/15 07:17 投稿番号: [14864 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
>そして、自分の考えとして「竹島の主な産物を書いたもの」という経済的な意味を
>お答えしました。
これは、ご自身で「ちょっと狭過ぎる物の見方」とされていました。今は「多竹魚
海鹿」は経済的な意味であると言われる。
<<<<<<
私の主張を正しく理解されていないようです。私は #14843 で、以下の二者択一で考えるのはちょっと狭過ぎる物の見方だと述べました。
(イ) 斎藤豊仙の内心の、或いは地元漁民による経済的興味を示唆したもの
(ロ) 経済的な意味はなく、ただ風光明媚をたたえたもの
そして前々回、(イ)でも(ロ)でもない以下の意味を提示しました。
(ハ) 竹島の主な産物を書いたもの
>>>>>>
te2222000さん、どうも混乱されているのでしょうか。
<<<<<<
混乱しているのはshuku_remusさんの方のように思います。
恐らく「経済的な意味がある」というだけの理由で (イ)と(ハ)を同一視しているのではないですか。
>>>>>>
斉藤豊仙にとって、隠州視聴合紀の中で国代記の冒頭、日本の国境を述べる箇所に
どの様な、そしてどの程度の思い入れがあったかどうか、これは想像するしかありません。
しかもここは何故かあっさりと、或いは「此州」などと遠まわしに(意図あるように
謎かけのように)記述されています。この箇所についての受け止めには、推測が欠かせない
ように思われます。
<<<<<<
それで、shuku_remusさんはご自分の推測にどの程度の自信をお持ちなのでしょうか。
繰り返しになりますが、私は#14614 における「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズから、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に弱いものであるとご自分でもお考えなのだろうと思いました。
shuku_remusさんが、ご自分の推測に対して持っている自信の度合いと比べて、上の私の受け取り方はずれていますか?
>>>>>>
>私は「地元漁民が安心して漁を営むことに多少は関心があっただろうが、大いに
>関心があったかどうかは不明」と考えます。
「関心があった」と言うことでもう十分です。
<<<<<<
地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えがどこまで一致しているかを考えた場合、どの程度の関心があったかも問題になると思います。
例えば、「多少は関心があった」という程度であれば、以下のような状況もあり得るでしょう。
「地元漁民は、朝鮮半島が見える程に近いことから、朝鮮人との遭遇が起こることを懸念していた。しかし、斎藤豊仙は、実際に漁が妨害されたのであればともかく、40年に渡って漁の実施に問題が生じていないのだから、あえて正式な国境画定をする必要があるとは思わなかった」
これまでのshuku_remusさんのお話を伺う限り、地元漁民の考えと斎藤豊仙の考えは区別して扱う必要がないほど一致しているとお考えのように見受けます。
斎藤豊仙がこの問題についてそれ程高い関心を持っていたと主張するのであれば、単に「郡代だったから」というだけでは不十分だと思います。
(念のために付け加えますが、私は「地元漁民が朝鮮人との遭遇を懸念していた」とは思っていません。ここでは、ひとまず shuku_remusさんの考えに従って書きました)
これは メッセージ 14863 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/14 22:35 投稿番号: [14863 / 18519]
te2222000さん
>そして、自分の考えとして「竹島の主な産物を書いたもの」という経済的な意味を
>お答えしました。
これは、ご自身で「ちょっと狭過ぎる物の見方」とされていました。今は「多竹魚
海鹿」は経済的な意味であると言われる。te2222000さん、どうも混乱されているので
しょうか。
>私は、#14614 で「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズを読んだ時、
>普通なら「これ以上は想像ですが」と書くところ、このように想像であることを
>強調しているということは、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に
>弱いものであるとご自分でもお考えなのだろうと思いました。
>
>この私の受け取り方は shuku_remusさんの意図とずれていたのでしょうか。
斉藤豊仙にとって、隠州視聴合紀の中で国代記の冒頭、日本の国境を述べる箇所に
どの様な、そしてどの程度の思い入れがあったかどうか、これは想像するしかありません。
しかもここは何故かあっさりと、或いは「此州」などと遠まわしに(意図あるように
謎かけのように)記述されています。この箇所についての受け止めには、推測が欠かせない
ように思われます。
>私は「地元漁民が安心して漁を営むことに多少は関心があっただろうが、大いに
>関心があったかどうかは不明」と考えます。
「関心があった」と言うことでもう十分です。斉藤豊仙は隠岐郡代として、地元
漁民が安心して漁を営むことには「大いに関心があった」とするのは、一方で、
幕府の「関心が薄い」ことと比較して用いています。斉藤豊仙の関心だけを取り上げて、
多少だったか、大いにだったか突き詰めようとするのは意味がないと思います。
shuku_remus
これは メッセージ 14862 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/14 06:57 投稿番号: [14862 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
>>>>>>>
>
割注の「多竹魚海鹿」に経済的でなければ、どのような意味があるとお思いですか。
><<<<<<
>
>さあ、思いつきません。
と言いながらも、
>私は、「多竹魚海鹿」は竹島の主な産物を書いたものだと思います。
te2222000さんは「多竹魚海鹿」を経済的な意味に捉えているではありませんか??
<<<<<<
そうですが、何か変ですか?
私は上のご質問について、「『多竹魚海鹿』の経済的でない意味としてどんな意味があるか」を尋ねられたものと理解し、それは思いつかないと答えました。
そして、自分の考えとして「竹島の主な産物を書いたもの」という経済的な意味をお答えしました。
別に矛盾は無いと思いますが。
>>>>>>
>#14614 でお書きになった「これ以上は想像の想像ですが」という認識は、現在も
>変わっていないという意味に理解してよろしいでしょうか。
それでよいです。#14845で既にお答えしました。
<<<<<<
ひょっとしたら「想像の想像ですが」という言葉の受け取り方に違いがあるのかもしれませんね。
私は、#14614 で「これ以上は想像の想像ですが」というフレーズを読んだ時、普通なら「これ以上は想像ですが」と書くところ、このように想像であることを強調しているということは、極めて根拠が不確かで、主張としては非常に弱いものであるとご自分でもお考えなのだろうと思いました。
この私の受け取り方は shuku_remusさんの意図とずれていたのでしょうか。
>>>>>>
(1) 斉藤豊仙は、隠岐郡代を務めたことから、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があった。
(2) 斉藤豊仙は、隠岐郡代を務めたにも拘わらず、地元漁民が安心して漁を営むことには関心がなかった。
(2)より、(1)と考えるのが普通と思います。
<<<<<<
(マル抜き数字は括弧付き数字に変えました)
(1)と(2)の二者択一で考えることが不適切だと思います。私は「地元漁民が安心して漁を営むことに多少は関心があっただろうが、大いに関心があったかどうかは不明」と考えます。
これは メッセージ 14861 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/13 22:52 投稿番号: [14861 / 18519]
te2222000さん
>>>>>>>
>
割注の「多竹魚海鹿」に経済的でなければ、どのような意味があるとお思いですか。
><<<<<<
>
>さあ、思いつきません。
と言いながらも、
>私は、「多竹魚海鹿」は竹島の主な産物を書いたものだと思います。
te2222000さんは「多竹魚海鹿」を経済的な意味に捉えているではありませんか??
>#14614 でお書きになった「これ以上は想像の想像ですが」という認識は、現在も
>変わっていないという意味に理解してよろしいでしょうか。
それでよいです。#14845で既にお答えしました。
#14845
|
竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては推測であることに変わり
|ありません。ここにきてte2222000さんから見て、私の書き方に相当な自信を感じると
|すれば、それは議論を通して、te2222000さんの心の中に変化があったのでしょう。
付け加えますと、「竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思い」に関する私の推測
には、te2222000さんとの議論を通してだけですが、その妥当性が認められるように
なったと思っています。
>あと、「隠岐郡代を務めたこと」から、何の考察も無しに「地元漁民が安心して
>漁を営むことには大いに関心があった」と結論していることについて何かコメント
>はありませんか。
#14842に述べました。隠州視聴合記 国代記の冒頭の記述と、隠岐郡代を務めたとの
斉藤豊仙の経歴、及び若干の時代背景から推測しています。斉藤豊仙について、何か
余程の事情でもなければ、
① 斉藤豊仙は、隠岐郡代を務めたことから、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があった。
② 斉藤豊仙は、隠岐郡代を務めたにも拘わらず、地元漁民が安心して漁を営むことには関心がなかった。
②より、①と考えるのが普通と思います。それとも、斉藤豊仙は地元漁民のことを
考えるような性格ではなかったとか、或いは、当時の郡代には地元漁民に関心を持つ
べき責務はなかったとか、余程の事情があったでしょうか?
そのような事実があれば
ご教示をお願いします。
shuku_remus
これは メッセージ 14852 (te2222000 さん)への返信です.
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『琉球国絵図』に尖閣諸島は書かれていない
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/08/13 17:14 投稿番号: [14860 / 18519]
徳川幕府は全国を統一したあと、正保年間(1644〜1647年)に六寸一里という統一した縮尺による全国の地図の作成を各藩に命じた。薩摩藩の島津家文書として保存されてきた薩摩国絵図と琉球国絵図が東京大学史料編纂所に保存されており、その原寸大模写が東京大学史料編纂所史料集発刊100周年記念事業として2001年12月に東京国立博物館で公開された。琉球国絵図は奄美諸島、沖縄本島、先島諸島の3枚からなっており、それぞれが一辺3メートルから6メートルに及ぶ巨大な手書き図である。先島諸島の宮古島の北にある珊瑚礁まで鮮やかに描かれた大変見事な地図で、当時の測量の精度の高さに感嘆せざるをえない。1609年の島津藩の琉球進攻以来、琉球国は中国と日本のいずれにも従属する両属関係にあり、琉球国と清国との境界を不確かなままにすることなどありえない。この絵図に描かれているのはあくまでも琉球とそれに付属する三十六島である。[9]
琉球に属する島嶼は三十六島で、そこには釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼は含まれないということは琉球、中国、日本の共通した認識であった。これは地理的観点からしても十分に理解できる。釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼はいずれも大陸棚の縁に位置し、その周辺は200メートル以下の浅い海である。そこから久米島をはじめとする琉球の島々との間には1000〜2000メートルに達する海溝が存在し、しかも黒潮の流れがある。小舟では容易に渡れるものではなかった。それにたいして琉球本島と先島諸島の間は島々が点在し、浅海が続き、琉球の人々は小舟で自由に往来できた。だから琉球のネットワークが実現できていたのである。当時、スペインの貿易商は先島諸島伝いに進めば「毎日夜は陸上で寝て行くことができる」と記していた。そのような安全な海路が存在しているにも関わらず、なぜ冊封使は釣魚島→黄尾嶼→赤尾嶼→久米島というルートで那覇に向かったのであろうか。民間貿易ではなく、国家を代表する使節の派遣であるため、公式のルートを使うことが当然要求されていたからに他ならない。領土・領海意識は明確であり、無主地論は成立しない。
http://www.geocities.jp/ktakai22/murata.html上記論文は、下記のサイトでも中国語で読めます。
http://www.japanresearch.org.tw/index.asphttp://jpimg.digital.archives.go.jp/kouseisai/map/okinawa.html
これは メッセージ 14854 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14860.html
Re: 日本は独島を諦めて尖閣を死守しろ.
投稿者: ravinetrue 投稿日時: 2006/08/13 15:17 投稿番号: [14859 / 18519]
おたくの正体はcoward_japan(卑怯者日本)か。
文体そのものは穏やかだが、いちいち島という言葉を加えている時点で説得力はない。
これは メッセージ 14858 (cojp2005 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14859.html
日本は独島を諦めて尖閣を死守しろ.
投稿者: cojp2005 投稿日時: 2006/08/13 14:57 投稿番号: [14858 / 18519]
独島は歴史的,国際法的,実効的で既に韓国の固有領土だ.
だから島日本と日本人はあなた達の祖先国家と祖先民族として韓国,韓国人に向かって独島を諦めて中共と中共人がしつこく目標でして狙っている尖閣を死守しろ.
"東北工程"という歴史歪曲,侵奪の狡猾な中共共産党式工作で韓国と韓国人を刺激している中共と中共人がまた日本と日本人の固有領土の尖閣(中共名 = 釣魚島)も奪取目標で攻撃している.
島日本と日本人はこんな中共の狂乱的挑発に決して屈従してはいけない.
もし共が武力で尖閣を奪い取る場合には圧倒的に優勢な島日本の軍事力で即刻的に中共軍を殲滅しろ.
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14858.html
于山島及びアルゴノート島の検証
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/08/13 11:39 投稿番号: [14857 / 18519]
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14857.html
Re: 外一島ってマノ島(chukdo)っしょ
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/08/13 09:51 投稿番号: [14856 / 18519]
これは メッセージ 14851 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14856.html
Re: よく分かる『朝鮮国交際始末内探書』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/13 08:18 投稿番号: [14855 / 18519]
田中さん
>>>>>>
さて、掲題の件ですが、下記によく分かる『朝鮮国交際始末内探書』を掲載しました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a1betsu103-1868/index.html<<<<<<
> 竹島ノ儀ニ付テハ元禄度後ハ暫クノ間 朝鮮ヨリ居留ノ為差遣シ置候処
くずし字はほとんど全く分かりませんが、以下のような感じで
一行とばしていませんか。
…元禄度
【?往復?移???…? 元禄度後ハ】暫ク
ノ間 朝鮮ヨリ居留ノ為差遣シ置候処…
活字化された公文書(例えば半月城通信に上がっているもの)だと、元々この部分が抜けている関係で、その形の文章が流布しているような気がします。
> また「これまで掲載セシ書き留めも無く」とあるが、
> 松島(現竹島)は『隠州視聴合記』や
> 『竹島松島之図』など様々な歴史資料があるので、
もし、「これまで掲載セシ書き留めも無く」が「厳原と釜山で調べた中には掲載した資料が無かった」という意味であれば、『隠州視聴合記』や『竹島松島之図』は何の証拠にもならないと思いますが、その点は大丈夫なのでしょうか。
これは メッセージ 14850 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14855.html
第三百十五号 沖縄県令から内務省へ
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/08/13 01:53 投稿番号: [14854 / 18519]
今日(日曜)は面白い番組があります。
田原総一朗スペシャル
「アメリカの言いなり!?郵政解散・自衛隊派遣…対日戦略文書が暴く小泉劇場の真実!!」
http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=52655751&area=fukuoka田原総一朗スペシャル◇9月で任期を終える小泉純一郎首相。"政冷経熱"といわれる日中関係の一方で、日米関係は戦後最良とまでいわれている。それは一体何を意味するのか。田原総一朗氏がナビゲーターとなって小泉外交の5年半を、特に日米外交にスポットを当てて検証する。毎年、アメリカ政府から日本政府に送られる「年次改革要望書」。そこには日本への具体的改革要求が書かれている。さまざまな外資規制緩和政策、さらには郵政民営化もそれに沿って小泉首相が決断したのではないか。元米通商代表補代理、グレン・フクシマ氏の証言なども交えて検証。さらに田原氏が、小泉政権の経済政策を取り仕切ってきた竹中平蔵氏にインタビューする。ほかに、石原慎太郎東京都知事が小泉政治の5年半を総括する。
さて、掲題の件ですが、やはり文章だけでなく、資料と共に見ると分かりやすいですね。下記に掲示します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/teikokuhanto/013.jpg(左ページ)
第三百十五号
久米赤島外二島取調の儀に付上申
本県と清国福州間に散在せる無人島取調の儀に付、先般、在京森本本県大書記官へ御内命相成候趣に依り、取調べ致し候処、概略別紙の通りこれ有り候。抑モ久米赤島、久場島及び魚釣島は、古来本県に於て称する所の名にして、しかも本県所轄の久米、宮古、八重山等の群島に接近したる無人の島嶼に付き、沖縄県下に属せらるるも、敢て故障これ有る間敷と存ぜられ候へども、過日御届け及び候大東島(本県と小笠原島の間にあり)とは地勢相違し、中山傳信録に記載せる釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と同一なるものにこれ無きやの疑なき能はず。果して同一なるときは、既に清国も旧中山王
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/teikokuhanto/012.jpg(右ページ)
を冊封する使船の詳悉せるのみならず、それぞれ名称をも付し、琉球航海の目標と為せしこと明らかなり。依て今回の大東島同様、踏査直ちに国標取建て候も如何と懸念仕り候間、来る十月中旬、両先島(宮古・八重山)へ向け出帆の雇ひ汽船出雲丸の帰便を以て、取り敢へず実地踏査、御届けに及ぶべく候条、国標取建等の儀、なほ御指揮を請けたく、此段兼て申上候也
明治十八年九月二十二日
沖縄県令
西村捨三
内務卿伯爵
山県有朋殿
これは メッセージ 14853 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14854.html
沖縄縣久米赤島、魚釣島、國標建設ノ件
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/08/13 00:20 投稿番号: [14853 / 18519]
これは メッセージ 14851 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14853.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/12 21:37 投稿番号: [14852 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
割注の「多竹魚海鹿」に経済的でなければ、どのような意味があるとお思いですか。
<<<<<<
さあ、思いつきません。
私は、「多竹魚海鹿」は竹島の主な産物を書いたものだと思います。
>>>>>>
竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては推測であることに変わり
ありません。
<<<<<<
#14614 でお書きになった「これ以上は想像の想像ですが」という認識は、現在も変わっていないという意味に理解してよろしいでしょうか。
>>>>>>
私は上の三つから、斉藤豊仙の国境画定へのスタンスを推測しています。必要がある
とか、隠州視聴合紀の他の部分から得られる情報を無視して良いとは言ってません。
<<<<<<
これについては私の認識違いでしたので、お詫びして取り消します。
あと、「隠岐郡代を務めたこと」から、何の考察も無しに「地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があった」と結論していることについて何かコメントはありませんか。
これは メッセージ 14845 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14852.html
よく分かる『朝鮮国交際始末内探書』
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/08/12 17:24 投稿番号: [14850 / 18519]
これは メッセージ 14847 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14850.html
外一島ってマノ島(chukdo)っしょ
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/08/12 03:33 投稿番号: [14849 / 18519]
島根県の伺いにある「北海百余里を隔て」に該当するのは、
竹島(鬱陵島)とマノ島だけ。(松島は80里という認識)
しかも島の状況に関する記述なく(地図のみ)、「外一島」
という低い扱いにピッタリ。
本邦関係なしとした一〜三号は全部竹島のことだけ。
竹島はマノ島の極めて近傍であり、少なくとも松島よりは、
竹島と一蓮托生の島と考えられる。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14849.html
マノ島
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/08/12 01:58 投稿番号: [14848 / 18519]
これは メッセージ 14846 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14848.html
日本海内竹島他一島地籍編纂方伺
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/08/11 22:24 投稿番号: [14847 / 18519]
これは メッセージ 14846 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14847.html
資料を整理した結果、URLが変更しました
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/08/10 23:09 投稿番号: [14846 / 18519]
これは メッセージ 14813 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14846.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/09 22:42 投稿番号: [14845 / 18519]
te2222000さん
割注の「多竹魚海鹿」に経済的でなければ、どのような意味があるとお思いですか。
te2222000さんは、まさか "風光明媚をたたえたもの" と受け止めているのではないで
しょうね。意味なんてない、竹島(現鬱陵島)は何となく "多竹魚海鹿" であったに
過ぎないのですか。お考えをお聞きしています。
竹島(現鬱陵島)に対する斉藤豊仙の思いについては推測であることに変わり
ありません。ここにきてte2222000さんから見て、私の書き方に相当な自信を感じると
すれば、それは議論を通して、te2222000さんの心の中に変化があったのでしょう。
>つまり、的確な解釈のためには
>
>- 国代記の冒頭部分を素直に、且つ注意深く読む必要がある。
>- 斉藤豊仙の経歴を考慮する必要がある。
>- 若干の時代背景を考慮する必要がある。
>- 上の三つさえきちんと考慮すれば、隠州視聴合紀の他の部分から得られる情報は
>無視して良い。
>
>というのが shuku_remusさんのお考えでしょうか。
私は上の三つから、斉藤豊仙の国境画定へのスタンスを推測しています。必要がある
とか、隠州視聴合紀の他の部分から得られる情報を無視して良いとは言ってません。
(te2222000さん、今回も相手の発言の変形ですか。)
#14839
|
隠州視聴合記の他の部分や、斎藤豊仙の人となり、経歴について、この議論に役立ち
|そうな情報が何かあれば、ご教示をお願いします。
宜しくお願いします。
shuku_remus
これは メッセージ 14843 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14845.html
18世紀からの于山島の地図
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/08/09 15:58 投稿番号: [14844 / 18519]
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/09 01:09 投稿番号: [14843 / 18519]
shuku_remusさん
>>>>>>
斉藤豊仙は国代記の冒頭、日本の国境を述べる箇所において、割注とした
「多竹魚海鹿」によって、竹島(現鬱陵島)に対する内心の、或いは地元漁民
による経済的興味を示唆したものと、私は受け止めています。またこれは冒頭
から読み進めたときに、自然な解釈であろうと思っています。
te2222000さんは、「多竹魚海鹿」について経済的な意味はなく、ただ竹島の
風光明媚をたたえたものとしているのでしょうか。若しそうであれば読み誤りと
思います。冒頭部分だけでも、素直に、且つ注意深く再読されることをお奨め
します。
<<<<<<
「多竹魚海鹿」について
・斎藤豊仙の内心の、或いは地元漁民による経済的興味を示唆したもの
・経済的な意味はなく、ただ風光明媚をたたえたもの
の二者択一で考えているのでしょうか。だとしたら、ちょっと狭過ぎる物の見方かと思います。
>>>>>>
|
地方役人である斉藤豊仙には、もとより日本の国境について云々する
|
権限はなく、豊仙がここではっきり申し立てしても、対外的には何の効力もなく、
|
却って(余計なこととして)幕府から咎められることにもなりかねない。
|
従って、遠まわしにあっさり述べるにとどめた。
<<<<<<
すみません、#14614では上の見解をお選びになる際、「想像の想像」と断っていらっしゃったので、私は shuku_remusさんが本気でこれを主張しているとは思っていませんでした。
今回は、うって変わって相当に自信のある書き方をされてますね。恐らく前回から今までの間に確信を深める新しい根拠やアイディアがあったものと推測します。
恐れ入りますが、その点も含めて上の主張の根拠を改めてきちんと書いていただけませんか。
>>>>>>
|
斉藤豊仙は隠岐郡代を務めたとのことです
|から、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと思われます。しかし
|当時は幕府の関心は薄く、国境の画定は地元の願望にとどまったのではないでしょうか。
<<<<<<
「隠岐郡代を務めたこと」から「地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があった」と結論付けるためには、多少なりとも斎藤豊仙の人となりに関する考察が必要だと思います。そのような考察を省いたまま、斎藤豊仙の気持ちと地元漁民の気持ちをほとんど区別せずに扱おうとするshuku_remusさんの議論は少々乱暴に感じます。
>>>>>>
隠州視聴合記 国代記の冒頭の記述と、隠岐
郡代を務めたとの斉藤豊仙の経歴、及び若干の時代背景から、上記の推測が
可能です。
te2222000さんは、「通読しなければ冒頭を理解できない」と変なジレンマに
陥ってしまったようです。斉藤豊仙について、全人格的な考察をしている訳では
ありません。国代記の冒頭部分を素直に、且つ注意深く読めば、的確な解釈が
可能と考えます。
<<<<<<
つまり、的確な解釈のためには
- 国代記の冒頭部分を素直に、且つ注意深く読む必要がある。
- 斉藤豊仙の経歴を考慮する必要がある。
- 若干の時代背景を考慮する必要がある。
- 上の三つさえきちんと考慮すれば、隠州視聴合紀の他の部分から得られる情報は無視して良い。
というのが shuku_remusさんのお考えでしょうか。
これは メッセージ 14842 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/06 22:24 投稿番号: [14842 / 18519]
te2222000さん
斉藤豊仙は国代記の冒頭、日本の国境を述べる箇所において、割注とした
「多竹魚海鹿」によって、竹島(現鬱陵島)に対する内心の、或いは地元漁民
による経済的興味を示唆したものと、私は受け止めています。またこれは冒頭
から読み進めたときに、自然な解釈であろうと思っています。
te2222000さんは、「多竹魚海鹿」について経済的な意味はなく、ただ竹島の
風光明媚をたたえたものとしているのでしょうか。若しそうであれば読み誤りと
思います。冒頭部分だけでも、素直に、且つ注意深く再読されることをお奨め
します。
>
つまり斎藤豊仙の国境画定へのこだわりを
>推測したことなども含めて「気持ちよく分かる」という言葉に代表させました。
斎藤豊仙の国境画定へのスタンスについては、#14614
|
地方役人である斉藤豊仙には、もとより日本の国境について云々する
|
権限はなく、豊仙がここではっきり申し立てしても、対外的には何の効力もなく、
|
却って(余計なこととして)幕府から咎められることにもなりかねない。
|
従って、遠まわしにあっさり述べるにとどめた。
|
斉藤豊仙は隠岐郡代を務めたとのことです
|から、地元漁民が安心して漁を営むことには大いに関心があったと思われます。しかし
|当時は幕府の関心は薄く、国境の画定は地元の願望にとどまったのではないでしょうか。
のように、私は推測しています。隠州視聴合記 国代記の冒頭の記述と、隠岐
郡代を務めたとの斉藤豊仙の経歴、及び若干の時代背景から、上記の推測が
可能です。
te2222000さんは、「通読しなければ冒頭を理解できない」と変なジレンマに
陥ってしまったようです。斉藤豊仙について、全人格的な考察をしている訳では
ありません。国代記の冒頭部分を素直に、且つ注意深く読めば、的確な解釈が
可能と考えます。
shuku_remus
これは メッセージ 14840 (te2222000 さん)への返信です.
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先占の場合の通知と官報公告
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/08/06 19:27 投稿番号: [14841 / 18519]
先占の領有の意思表示は、「現地住民との契約」によりなされたのがほとんどであり、palmasで判示されたように現地での活動でもOK。これはベルリン議定書の後も先も同じ。
アフリカ限定で適用された「通知義務」についても事前ではなく事後の通知。(shall accompany the respective act with notification therefor)
占有から通知までの期間は規定されておらず、実際の実行では各国や各ケースで異なった。
<アフリカの先占における占有から通知までの期間>
・イギリスでは占有の6日後、8週間後、10週間後、18ヶ月後と様々
・ドイツでは、9日後、7日後
・フランスでは、12周間後、1年後
ベルリン議定書を適用したとしても、日本は1906年に鬱陵島郡守に通知しており、先占が成立するな。
いったい、事前に対外的な通知が必要とか、官報での公示が必要とか、どこから出てきた国際法なのやら。
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/06 09:10 投稿番号: [14840 / 18519]
>>>>>>
従って、私の議論の進め方について、te2222000さんが「主に斎藤豊仙の気持ちの面から
アプローチする手法を取っている」とするのは間違いです。ご確認ください。
>>>>>>
shuku_remusさんがそうおっしゃるなら、別にそれで構いません。
shuku_remusさんは、「多竹魚海鹿」という記述を元に、斎藤豊仙が竹島を明確に日本領としたい意思を持っていたと推測しているようなので、どの程度の理由があってのことか確認したかっただけです。
>>>>>>
#14654
|
斉藤豊仙(地元漁民)にとって「多竹魚海鹿」こそが重要です。しかし日本の
|国境を論ずるとき、「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である。」では、国境
|を主張する何の "正当な" 論理にもなりません。豊仙は、「竹魚海鹿が多いから
|ここまでは日本である。」とあからさまに読みとられることのないないよう割注
|にしたものと考えました。
|
|
このような豊仙の筋の通し方について、私は「その気持ちよく分かる」とします
|が、te2222000さんは「辻褄があわない」ので分からないとしています。
この文章で使われている「その気持ちよく分かる」と言うために、何故、隠州視聴
合紀の通読が最低限必要なのか、分かりませんでした。ご説明をお願いします。
<<<<<<
表現は #14654 からお借りしましたが、内容は#14654 に限らず、斎藤豊仙の意思を推測している個所全般を指したつもりでした。つまり斎藤豊仙の国境画定へのこだわりを推測したことなども含めて「気持ちよく分かる」という言葉に代表させました。
その上で、上記引用個所について言うならば、『斉藤豊仙(地元漁民)にとって「多竹魚海鹿」こそが重要です』とありますが、斎藤豊仙が本当に「多竹魚海鹿」を重要視していたのか、していたとしてどの程度重要と考えたのか、そしてそのことから国境画定についてどのような考えを持ったのかを推測するに当っては、「斎藤豊仙という人のことをよく理解する」必要があると思います。少なくとも、隠州視聴合紀において、経済活動にどの程度の関心が払われているか位のことは踏まえた方が良いでしょう。
これは メッセージ 14839 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/03 22:25 投稿番号: [14839 / 18519]
te2222000さん
残念ながら隠州視聴合記の他の部分は読んでいません。国代記の冒頭、ほぼ関連
箇所の範囲で議論しています。
#14601
|
当該部分の文脈から判断しますと、直前に「此二島」とありますので、「此州」を
|「竹島および松島」と受けとめることに難点はありません。私のもともとの受けとめは
|ここから来ています。文脈からこう受けとめた上で、#14557は別の切り口(動機的面)から
|の検証を試みたものです。
従って、私の議論の進め方について、te2222000さんが「主に斎藤豊仙の気持ちの面から
アプローチする手法を取っている」とするのは間違いです。ご確認ください。
隠州視聴合記の他の部分や、斎藤豊仙の人となり、経歴について、この議論に役立ち
そうな情報が何かあれば、ご教示をお願いします。te2222000さんとの今までの議論から、
#14557,#14601による私の理解は、既に検証されたものと考えています。
#14654
|
斉藤豊仙(地元漁民)にとって「多竹魚海鹿」こそが重要です。しかし日本の
|国境を論ずるとき、「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である。」では、国境
|を主張する何の "正当な" 論理にもなりません。豊仙は、「竹魚海鹿が多いから
|ここまでは日本である。」とあからさまに読みとられることのないないよう割注
|にしたものと考えました。
|
|
このような豊仙の筋の通し方について、私は「その気持ちよく分かる」とします
|が、te2222000さんは「辻褄があわない」ので分からないとしています。
この文章で使われている「その気持ちよく分かる」と言うために、何故、隠州視聴
合紀の通読が最低限必要なのか、分かりませんでした。ご説明をお願いします。
>私には、斎藤豊仙が、信仰心厚く隠州の歴史と風土に深い愛情を持つ一方で、
>世俗の事柄への関心はやや薄い人のように思えます。
同様に感じています。#14614で指摘しましたが「然則日本之乾地以此州為限矣」は
控えめな表現だと思います。
shuku_remus
これは メッセージ 14838 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14839.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/08/02 06:45 投稿番号: [14838 / 18519]
shuku_remusさん
本論に戻って、一点気になったことを書きます。
shuku_remusさんは、隠州視聴合紀を通読されたことがありますか。
こんなことを聞くのは、shuku_remusさんの論証が、主に斎藤豊仙の気持ちの面からアプローチする手法を取っているからです。
斎藤豊仙の「気持ちよく分かる(#14654)」と言えるためには、斎藤豊仙という人のことをよく理解していることが前提であり、そうでなければ、単に自分の都合に合わせて斎藤豊仙の気持ちを決め付けているに過ぎません。
そして斎藤豊仙という人のことをよく理解するために、隠州視聴合紀を通読するのは最低限必要なことだと思います。
たとえばshuku_remusさんは、隠州視聴合紀において隠州各地の景勝、神社仏閣、伝承が詳しく述べられる一方で、産業その他、隠州の民の経済活動については極めてわずかな記述しかないことはご存知ですか。
私には、斎藤豊仙が、信仰心厚く隠州の歴史と風土に深い愛情を持つ一方で、世俗の事柄への関心はやや薄い人のように思えます。
これは メッセージ 14729 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14838.html
Re: 軍艦・天城による韓国名「竹島」の認識
投稿者: yukitanhanatan 投稿日時: 2006/08/02 04:05 投稿番号: [14837 / 18519]
誤解もなにも、まさに妄想の世界ではないでしょうか。
あなたの妄想が妄想を生み、さらに、また妄想を生んでいるようです。
過去の史実はよく調査されているとは思いますが、
史実に対する見解は想像にすぎません。書いていて思いませんか?
史実はどうであってもいいのです。
韓国の武力による竹島支配に関する言い訳を考えたほうがいいのでないで
しょうか?返す理由はあっても返さない理由はないでしょう。
もし、自主的に日本に返還したらば日本は寛大な措置をとるでしょうけどね。
これは メッセージ 14828 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14837.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/08/01 00:06 投稿番号: [14836 / 18519]
te2222000さん
#14634 →#14593 ですね。
shuku_remus
これは メッセージ 14835 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14836.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/07/31 23:02 投稿番号: [14835 / 18519]
te2222000さん
#14634
>>>>
>斉藤豊仙の狙いは、松島(現竹島)だけについてですが、
><<<
>
>すみません、これ、私の認識と随分異なります。
>よろしかったら、もう少しご説明いただけませんか。
のような質問は、混迷なく、よいプロセスであったと思います。
shuku_remus
これは メッセージ 14821 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14835.html
Re: 竹島の領域権原
投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2006/07/31 02:03 投稿番号: [14834 / 18519]
またまた釣られる脳内妄想か(檄藁
ポイ
これは メッセージ 14833 (quo_vadis256 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14834.html
Re: 竹島の領域権原
投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2006/07/31 01:54 投稿番号: [14833 / 18519]
>よくわかる 隠州視聴合紀「国代記」 2006/ 6/16 0:36 [ No.14639 / 14832 ]
> 投稿者 :
>torezojp
↑TREZOJP氏が、池内敏論文の頃から領土問題に触れたがらないわけはよくわかったよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>国際法自体は、時代と共に変化している。法が変われば、領有の権原(title)も変化
しなければならない。この理論から、過去に先占していたとしても、近代の実効的支配
に置き換えられなければ、法的な根拠を失うのである。(Palmas島の判例)
1.
「Palmas島を巡る常設仲裁裁判所の判決」
・19世紀以来支配的な見解では、未成熟な権原は、合理的な期間内に実効的支配に
よって補完されなければならない。
2.
「Minquiers and Ecrehos小島群を巡る国際司法裁判所の判決」
・中世の諸事情に基づく間接的推定は証拠価値を認めない。
・司法権、地方行政権、立法権の行使に関する直接的証拠を認める。
・直接的証拠とは、刑事裁判の実施、教区税・地方税の徴収、ECREHOS
岩礁を
ジャージーの範囲内に含めて扱った措置等である。
3.
「Ligitan and Sipadan島を巡る国際司法裁判所の判決」
・インドネシア及びオランダの両島周辺域の調査は、同島の実効的支配と認められ
ない。
・両島におけるインドネシア漁師の活動は、個人的なものであり実効的支配と認め
られない。
・1917年の法律に基づいマレーシアの両島における海亀保護活動は、実効的支配
と認める。
・マレーシアが1960年代に両島に灯台を建設し、インドネシアが抗議を表明すること
なく、維持していたことを実効的支配と認める。
http://212.153.43.18/icjwww/idocket/iinma/iinmacontent.htm>竹島はどちらの領土か
2005年 03月 19日
http://kuyou.exblog.jp/1764655/~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Tanaka_Kunitaka 氏の一連のHP整備の動きは、竹島の領域権原(title)の
エヴィデンスの補完だね。
中世の諸事情に基づく間接的推定は証拠価値を認めない以上、「松島伺い」
以後の国家主権の確立、すなわち司法権、地方行政権、立法権の行使に関
する直接的証拠の補完の時系列に基づくHP整理の目的だったのいか。
今回はブログ等含めて
kana_ikeuchi
さんにすっかり教えられたな。降参。。。。。
これは メッセージ 14829 (kana_ikeuchi さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14833.html
Re: 明治政府の島名…(質問です)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/31 00:42 投稿番号: [14832 / 18519]
>西洋人がアルゴノート島と言う島の和名は竹島である。西洋人がダジュレー島と言う島の和名は松島である。そういう意味ですか。
日本では二島認識がありましたから、それが地図において三島になったときに混乱が生じ、それぞれの島に名前が比定されたわけです。
>西洋人がアルゴノート島と言う島の、地図上の和名は竹島であり、西洋人がダジュレー島と言う島の、地図上の和名は松島である。
和名というのはちょっと合わないような気がします。
>1877年の太政官の役人が、現・ウルルン島の当時の正式名称は松島だけれど、旧称あるいは俗称が竹島であることを知っていたとしても、何も不思議は無いと思います。
それを裏付ける根拠があれば、の話です。私は知らないのですが、1877年に太政官が鬱陵島の正式名称は松島であるが旧称・俗称が竹島であることを知っていたとする根拠は何ですか。
むしろ、周辺の資料は1878年まで、それを確定できない状態であったことを示すものばかりです。外務省の甲論乙駁がその象徴とも言えるでしょう。
>ahirutousagi2様説では、太政官判断は名称の一致を最重視して、島根県伺い書の竹島・松島を、地図上の竹島・松島と理解したと解釈し、半月城様説では、島根県伺い書の竹島・松島を、地図上の松島・リエンコヲルトロックと理解したと解釈されているのだと思います。
私が竹島・松島をリアンクール岩と考えないのは、名称の一致というか、当時日本において「竹島・松島」がどの位置で理解されたか。それに中心がおかれています。それによって太政官判断を考えればよろしいのだと。
半月城さんはもとより、勝海舟の地図はあまり考慮対象にはされていないようですよ。
私は個人的には、
1867年
勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1875年
陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年
文部省「日本全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年
太政官判断。
1878年
外務省、鬱陵島=松島。(竹島言及なし)
1880年
同上
1881年
内務省地理局「大日本府県分轄図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1883年
太政大臣三条実美、同上令において「北緯37度30分、東経130度49分に位置する日本称する松島、一名竹島、朝鮮称する鬱陵島」と記録。
という流れから、太政官の理解を整合的に考えているに過ぎません。
>大きさや点線・実線の区別を含めた地図情報等から総合的に読み取りことができる程度の読図技術を持っていたと考えるのか、その違いですね。
内務省地理局「大日本府県分轄図」が発掘されたことで、私は基本的には太政官判断における「外一島」は一件落着したとさえ思えます。
この地図をご参照いただき、太政官判断での二島が鬱陵島とリアンクール岩と理解した結果であるかどうかをご確認いただければと思います。私はその認識ではなされなかったと理解しています。
これは メッセージ 14827 (lib_1964_1982 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14832.html
関連年譜(訂正版)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/31 00:03 投稿番号: [14831 / 18519]
半月城さんからのご指摘を受け、以下、関連年譜を訂正しました。
1867年
勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1875年
陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年
文部省「日本全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年
太政官判断。
1878年
外務省、鬱陵島=松島。(竹島言及なし)
1880年
同上
1881年
内務省地理局「大日本府県分轄図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島…半月城さん「偶然の一致」)
1881年
内務省が外務省に鬱陵島照会。外一島資料添付。反応なし。
1882年
鬱陵島への日本人渡航について朝鮮政府から抗議。
1883年
鬱陵島渡航禁止
1883年
太政大臣三条実美、同上令において「北緯37度30分、東経130度49分に位置する日本称する松島、一名竹島、朝鮮称する鬱陵島」と記録。
これは メッセージ 14826 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14831.html
Re: 軍艦・天城による韓国名「竹島」の認識
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/30 23:52 投稿番号: [14830 / 18519]
>前回も書いたように、太政官や外務省の公文書における欝陵島の名称は「日本称松島一名竹島朝鮮称蔚陵島」で終始一貫しています。(中略)日本ではその島を竹島と呼ばず、竹嶼と呼んでいたことが明瞭です。
ご指摘を有難うございます。私は従来より天城で鬱陵島=松島、竹嶼=竹島と調査された一方で、後にどうして「日本称松島一名竹島朝鮮称蔚陵島」と記されたのか謎だったのですが、氷解しました。
私が竹嶼=竹島と理解したのは「天城艦乗員海軍少尉三浦重郷等廻航の次松島に至り測量し其地即ち古来の鬱陵島にして其北方の小島竹島と号する者あれ共一個の岩石に過ぎさる旨(竹島考証, p.268)」ですが、ご指摘は受け入れたいと思います。
なお、私の論旨には全く変化はありません。
>イギリスの情報を金科玉条にしていた海軍水路部は、その情報から水路雑誌や朝鮮水路誌において一貫してダジュレー島を「欝陵島(一名松嶋)」として一項目を設けて記載しました。かつて、欝陵島が竹島と呼ばれていたことには知見がまったくなかったようです。
それでよろしいかと。
>一方、アルゴノートの存在ですが、イギリス海軍はすでに1850年代にはその存在を否定していました。これはフランスの海軍でも同様です。その影響を受け、水路部は同島についてまったく記載しませんでした。
水路部が二島について正確な認識を持つようになったのは1870年代後半からであると考えられます(堀和生も同様の理解の模様。p.105)。
>外務省でも「松島開拓願」による混乱のころ(1877)、おっしゃるように同島を「烏有の島」すなわち存在しない島と認識していました。
それでよろしいかと。一方で松島は朝鮮の鬱陵島との認識もなされていたようです。
>たとえ、内務省が作成した「大日本全國略圖」の島の位置が勝海舟の地図に似ていたとしても、それは単なる偶然の一致にすぎません。
「偶然の一致」ですか…。
「大日本全國略圖」の二島の位置がアルゴノート・ダジュレー島の位置にほぼ一致することについては「偶然の一致」で、大きな誤差のある大谷家地図が「近い」となさる視角は、ごり押しにしか見えませんよ。
>たとえ、内務省は勝海舟の地図を持っていたとしても、それよりも松島・竹島へ実際に渡航した大谷家地図に信頼を置き、勝海舟の疑存の地図を排除するのではないでしょうか。
何か勘違いなさっておられるようですが、勝海舟の地図も大谷家地図も相反するものではありません。それぞれ矛盾なしに共通の理解で考えうるものです。
内務省が大谷家地図を見て二島を勝海舟の地図の竹嶋・松嶋に比定したとしても何の違和感もありません。事実、それは「大日本全國略圖」にもつながるものです。
疑存にこだわる方もいらっしゃいますが、「大日本全國略圖」を確認する限り、勝海舟の地図の竹嶋を排除する必要はありません。アルゴノート・ダジュレー島の認識と言う点では文部省や陸軍の地図にも見られるように勝海舟の地図だけにこだわる必要もありません。
>文部省の地図や陸軍の地図など、島嶼に関しては門外漢の部署の地図をしきりに強調しますが、それらの内容がどうであれ、それらを内務省地理局が島嶼の地図作成の際に活用することなど、およそ考えられないことでしょう。
それらの地図は、当時の明治政府の理解を考えるための傍証として提示しているもので、だからどうだと言う気はありません。しかし、これらがすべて私の理解では整合的に捉えられるのも事実です。
半月城さんの理解では文部省の地図も、陸軍の地図も、内務省の地図も、勝海舟の地図も、すべて間違いで、太政官だけは「彼らはそれほど無能ではなかった」のか正しく鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島と理解したということのようですね。
半月城さんの話は、どうにも私には物語の域を出るとは思えませんよ。具体的な証拠をあげても「偶然の一致」ですし…。
相変わらず、半月城さんの問題点は解決されないようです。
これは メッセージ 14825 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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竹島の領域権原
投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2006/07/30 22:56 投稿番号: [14829 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: 軍艦・天城による韓国名「竹島」の認識
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/30 21:17 投稿番号: [14828 / 18519]
半月城です。
誤解のないように、文中の「今日の竹島」を<当時でいう「今日の竹島」>に訂正します。
これは メッセージ 14825 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: 明治政府の島名…(質問です)
投稿者: lib_1964_1982 投稿日時: 2006/07/30 21:02 投稿番号: [14827 / 18519]
ahirutousagi2様、ご解答ありがとうございます。文章で理解できなかった点は「=」の意味でした。A=Bと書いた場合は、Aと言う名称の島の集合は、Bと言う名称の島の集合と一致するという意味でお使いですか。それとも、西洋人がAと呼ぶ特定の島の和名がBであるというような意味ですか。どちらでもない、別の意味ですか?
1つの島に、名称が複数あることが有ります。逆に、1つの名称が複数の島に宛てられることも有ります。「=」と書くと、この当たり混乱します。
>そう書いてあります。アルゴノート島=竹嶋、ダジュレー島=松嶋、リアンクール岩=リエンクールロック(?文字がよく見えません。)です。
西洋人がアルゴノート島と言う島の和名は竹島である。西洋人がダジュレー島と言う島の和名は松島である。そういう意味ですか。
>>もし、前者ならば、鬱陵島=松島、竹嶼=竹島と名称をつけても何も不思議では有りません。
>ご指摘の意味がよく分かりませんでした。申し訳ありません。もしもよろしければまたご意見をお聞かせ下さい。
以下の意味です。
西洋人がアルゴノート島と言う島の、地図上の和名は竹島であり、西洋人がダジュレー島と言う島の、地図上の和名は松島である。もし、西洋人がリアンクール岩と呼ぶ島を、隠岐島民等には松島と俗称されていると認識したのであるならば、たとえ外一島がリアンクール岩であったとしても、その後、公式名称として、鬱陵島に松島、竹嶼に竹島と名前を付けても何も不思議はない。地図上の名称と地元民の呼称・俗称・旧称にずれが生じた場合、地元民の俗称に従って公的な地図上の名称を変更することは珍しくない。
なお、山の名前では、近くの別の山が同一の名称であることは、特に珍しいことではないことを付言いたします。さらに、国土地理院の地図上の山名と、山に立っている道票の山名が異なったり、位置が多少異なることは、特に珍しいことではないことを付言いたします。(昭文社の山岳地図は道票とあまり違うことは無いと思います。)
今の人は、現・竹島の旧称は松島だったと知っているけれど、現在は竹島が正式名称であることを知っています。1877年の太政官の役人が、現・ウルルン島の当時の正式名称は松島だけれど、旧称あるいは俗称が竹島であることを知っていたとしても、何も不思議は無いと思います。このような状況下で作成する地図では、当然に、正式名称は松島が付けられます。
さて、大日本國沿海略図と太政官判断の島根県付属文書を比較すると次のようになっています。(伊豆大島程度の大きさとは書いていないけれど、そのように読めると言う意味です。)
大日本國沿海略図
竹島:存在を否定する点線の島
松島:伊豆大島程度の大きさの島
リエンコヲルトロック:小島あるいは岩島
明治10年(1877)の島根県付属文書
竹島:伊豆大島程度の大きさの島
松島:樹竹の無い小島
ahirutousagi2様説では、太政官判断は名称の一致を最重視して、島根県伺い書の竹島・松島を、地図上の竹島・松島と理解したと解釈し、半月城様説では、島根県伺い書の竹島・松島を、地図上の松島・リエンコヲルトロックと理解したと解釈されているのだと思います。
結局、太政官判断は、地図上の名称と地元の呼び名は同一と誤解するようなレベルの低い読図技術しかなかったのか、それとも、大きさや点線・実線の区別を含めた地図情報等から総合的に読み取りことができる程度の読図技術を持っていたと考えるのか、その違いですね。
これは メッセージ 14803 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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軍艦・天城による韓国名「竹島」の認識2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/30 20:58 投稿番号: [14826 / 18519]
しかし、日本が竹嶼と呼んでいたことを示す資料は他にはないようです。大谷家地図は同島を「マノ島」と記しており、竹嶼の名は見当たりません。また、海軍の主要な情報の入手先であるイギリス海軍の海図や水路情報では朝鮮名の竹島は"Boussole"と記されるのみで、竹嶼の名はありません。
イギリス海軍の情報ですが、欝陵島は"Matu sima"、あるいは"Dagelet island"と記されました。イギリスの情報を金科玉条にしていた海軍水路部は、その情報から水路雑誌や朝鮮水路誌において一貫してダジュレー島を「欝陵島(一名松嶋)」として一項目を設けて記載しました。かつて、欝陵島が竹島と呼ばれていたことには知見がまったくなかったようです。
一方、アルゴノートの存在ですが、イギリス海軍はすでに1850年代にはその存在を否定していました。これはフランスの海軍でも同様です。その影響を受け、水路部は同島についてまったく記載しませんでした。
Re:14795、Am_I_AHO_1stさん
>
また、『大日本全國略圖』が描かれた当時は、アルゴノートは烏有の島として、その存在を否定されており(描かれたとしても疑存の島として破線で描くのが通常)、『大日本全國略圖』の竹島をアルゴノートに比定できる可能性はゼロです。
そのとおりです。かのペリー提督の「日本遠征記」(1856)に載せられた「日本近域図」では、わざわざ「アルゴノート
存在せず」と地図中に記入したくらいでした。外務省でも「松島開拓願」による混乱のころ(1877)、おっしゃるように同島を「烏有の島」すなわち存在しない島と認識していました(注4)。
その十年前の1867年、勝海舟の「大日本國沿海略圖」ですら、アルゴノートに相当する「竹島」は島の輪郭の半分が点線で書かれました。これを「疑存」の島というのでしょうか。勝海舟すら島の存在を半分疑問視していたようです。
ahirutousagi2さんは、そんな地図を主張の柱にすえ、内務省の地理局はそうした疑存の島の位置情報を信じたと考えるのでしょうか?
たとえ、内務省が作成した「大日本全國略圖」の島の位置が勝海舟の地図に似ていたとしても、それは単なる偶然の一致にすぎません。
Re:14795、Am_I_AHO_1stさん
>
そもそもが『大日本全國略圖』が『大日本沿海略図』を参照したと思われる経緯もなく、また、参照すべき合理的根拠も考えづらい事から、両図を結びつけるべき理由すら不明とするのが、慎重な科学的態度と云うべきと思われます。
そのとおりです。たとえ、内務省は勝海舟の地図を持っていたとしても、それよりも松島・竹島へ実際に渡航した大谷家地図に信頼を置き、勝海舟の疑存の地図を排除するのではないでしょうか。それとうらはらに、島根県をつうじて提出された大谷家地図を内務省が排除する理由は皆無です。
また、ahirutousagi2さんは文部省の地図や陸軍の地図など、島嶼に関しては門外漢の部署の地図をしきりに強調しますが、それらの内容がどうであれ、それらを内務省地理局が島嶼の地図作成の際に活用することなど、およそ考えられないことでしょう。
(注1)「蔚陵島(欝陵島)渡航禁止の件」『日本外交文書』14-16巻,1881-83
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/tokou_kinshi.pdf(注2)カタカナを平仮名に変換、「サイ爾」の「サイ」は草かんむりに最。デジタル版は(注1)。
(注3)『水路雑誌』第41号,P34、「欝陵島(一名松嶋)」の項
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/suiroshi/suiro_zasshi_41.pdf(注4)北沢正誠『竹島考證』1881、影印版はエムテイ出版(1996)
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 14825 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14826.html
軍艦・天城による韓国名「竹島」の認識1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/30 20:57 投稿番号: [14825 / 18519]
半月城です。
ahirutousagi2さんの曲解はまだつづくようです。今回は、その一部のみ指摘しておきます。
ahirutousagi2さん、No.14806
>
ましてや、その後、すぐに鬱陵島=松島、竹嶼=竹島と正式に認定されているのです。太政大臣も禁止令でそう言及しています。つまり、この時期の二島認識は、結局は鬱陵島・竹嶼に収斂されたという事実があるのです。
前回も書いたように、太政官や外務省の公文書における欝陵島の名称は「日本称 松島 一名竹島 朝鮮称 蔚陵島」で終始一貫しています。ましてや太政官が「竹嶼=竹島と正式に認定」したという記録はありません(注1)。
また、外務省の付属文書においても「竹嶼=竹島」という表現は見られません。添付文書である北沢正誠「竹島版圖所属考」にはこう書かれました。
「明治十三年 天城艦の再び松島に航するに及び 該島東岸に假泊の地を発見し 又 松島は古代韓人称する處の欝陵島にして 他に竹島と称する者あるも サイ爾たる小島に過ぎざるを知り 事情愈(いよいよ)明了なり
由此 觀之は 今日の松島は即ち元禄十二年 称する所の竹島にして古来 我版図外の地たるや知るべし(注2)」
この文章は、一読しただけでは難解です。元禄時代の竹島と「サイ爾たる小島」の竹島との関係が明了ではありません。文脈からすると、「竹島と称する者」は元禄時代の竹島ではなく、一見「今日の竹島」をさし、それが「サイ爾たる小島」であると結論づけているようにみえます。
しかし、それではつじつまが合いません。当時、北沢は「今日の竹島」がしばしば欝陵島をさすことを十分承知済みであり、その例として、戸田敬義の「竹島渡海之儀」資料一切を『竹島考證』でたっぷり紹介していたくらいでした。
もちろん、そこにいう竹島は「サイ爾たる小島」ではなく、朝鮮の欝陵島であり、そのために「竹島渡海之儀」が却下されたことを北沢は承知していたのでした。
そうした背景を考慮すると、「竹島と称する者」はどうやら「今日の竹島」ではないようです。それが何をさすのか、この疑問に対する解答は『水路雑誌』にあるようです。1880年、海軍は天城艦を再び欝陵島へ派遣しましたが、その記録が『水路雑誌』第41号にこう記されました。
「竹嶼 [朝鮮人 之を竹島と云ふ]を除くの外 一岩嶼の岸より二鏈半を出る者なし 竹嶼は此島の近海にして最大・・・(注3)」
さらに『水路雑誌』には丁寧にも欝陵島東岸の地図が挿入されましたが、その地図で今日の韓国名「竹島」は「竹嶼 Boussole Rk」とだけ記され、竹島の名はありませんでした(注3)。
北沢は、その地図を海軍の『水路雑誌』ではなく「水路報告第三十三號」から入手して『竹島考證』にのせましたが、その時に朝鮮人がいうところの「竹島」が「サイ爾たる小島」にすぎないことを知ったのでした。
したがって、上の文章にいう竹島は「今日の竹島」というより「韓人称する處の」竹島とみるのが妥当なようです。さらに、海軍がわざわざ竹嶼に [朝鮮人 之を竹島と云ふ]という割り注を入れたことから判断すると、日本ではその島を竹島と呼ばず、竹嶼と呼んでいたことが明瞭です。
これは メッセージ 14806 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14825.html
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