竹島

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『内務省の通達』(1)「校正畏るべし」

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2006/07/30 11:44 投稿番号: [14824 / 18519]
「後生可畏」
三省堂 故事ことわざ・慣用句辞典

後生可畏,焉知來者不如今也。   論語・子罕篇
[原文] 「子曰(しいわ)く、後生(こうせい)畏(おそ)る可(べ)し。焉(いずく)んぞ
来者(らいしや)の今に如(し)かざるを知らんや

〔孔子が言われた、若い者はおそるべきものであり、将来どんな偉い者にな
るかわからない。彼ら若者の将来が、現在の水準に及ばないなどとどうして
言えようや〕」


「後世可畏」
『故事名言・由来・ことわざ総解説』(一九八三年・自由国民社)
「後生」が後には「後世」と書かれて,今後どこまでのびるかわからないという
意味に使われるようになった。「後から生まれてきた人つまり後進はあなどれ
ない」から「(この子は)ほんとうに後世おそるべしだなあ」の意に転用されるよ
うになった。

「後生可畏」
は、孔子のことばどおりでしょう。
「後世可畏」
は慣用句の変遷ですね。案外「校正畏るべし」が正解では   ♪

蛇足でしょうが、Kunitaka さんは安倍さんに世代交代してほしいようですね。

Re: 『内務省の通達』(1)

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/07/30 07:21 投稿番号: [14823 / 18519]
大修館「新漢和辞典」改訂第二版より
============== =
【畏】
(1) おそれる(おそる)。
(イ)おじ恐れる。こわく思う。「後世可畏」
============== =

つまり、「後生可畏」は知っているけれど「後世可畏」を知らない人が頓珍漢な事を言った訳ですね。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/07/30 06:58 投稿番号: [14822 / 18519]
(前の記事から続きます)
>>>>>>
  先ずは相手の発言を理解すること。次に分からなかったら質問すること。これらを
飛び越えて、相手の発言を変形して言い直しするのは、新たな混迷の種をまくことに
なりかねません。
<<<<<<

「自分で理解したと思っても実際は誤解している」場合があることは、既に述べましたが、もう一つ別の点で弁解しておきます。

私は、相手の発言で分からない点を質問するする方法として、

・それは○○ということですか。
・あなたのご意見を○○と理解しましたが、この理解は正しいですか。
・つまり○○ということですね。

などの書き方をすることがあります。自分が相手の意見をどのように受取ったかを示すことは、相手から適切な回答を返してもらうために役立つと思うからです。

これらは shuku_remusさんのおっしゃる「分からなかったら質問する」ことに相当し、「これら(理解することと質問すること)を飛び越えて、相手の発言を変形して言い直しする」ことではないと思います。

----------------

>>>>>>
  ところで、元の発言を変形して言い直した後の文章の責任は、元の発言をした側と
言い換えた側のどちらにあるとお考えですか。或いは、te2222000さんはその責任を
元の発言をした相手に持たせようとしているのではありませんか。
<<<<<<

そのようなつもりはないので、そのようにはお考えにならないようお願いします。
また私も、そう勘繰られないような表現を工夫したいと思います。


>>>>>>
te2222000さんはこの誤解の責任はどちらにあるとお考えですか。
<<<<<<

ケースバイケースです。お示しいただいた状況に、更に詳細な条件を付け加えることで、以下のどの場合もあり得ると思います。

・主に元の発言者に責任がある
・主に受け手に責任がある
・両者に同じ位責任がある
・どちらにも責任はない
・どちらに責任があるかを論じること自体が不適切である


>>>>>>
  発言を変形して言い直しされた場合、元の発言者は、受け手は何故もとの発言の通り
に受けとめようとしないか。受け手はどのような意図で元の発言を変形して言い直して
いるか。変形して言い直しされた文章を認めた場合、のちに元の発言とは異なる意図を
主張していることにされないか。このようなことを考慮することになります。このような
ことを考慮させることはte2222000さんの本意ですか。
<<<<<<

本意ではないので、そのようにはお考えにならないようお願いします。
また私も、出来る限りそのような考慮をさせないような表現を工夫したいと思います。

Re: よく分かる『隠州視聴合記』

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/07/30 06:56 投稿番号: [14821 / 18519]
shuku_remusさん

遅くなりました。

もっとも、竹島と無関係の話題をあまり続けるのも好ましくないので、特にご要望が無い限り、この件について私が発言するのはこれで最後にしようと思います。

----------------

さて、#14720に書いたように、私の主張の根底には次の認識があります。

☆掲示板という文字だけによるコミュニケーションにおいて、
  相手が文章に込めようとした意図を 100% 理解することは
  そもそも不可能である

☆出来る限り相手の書いた文章に沿ってその意味を理解することは
  当然として、それでも、その理解内容が相手の意図とずれている
  可能性があることを覚悟しておく方が良い


どうも shuku_remusさんは、これら☆の認識自体に同意されていないように思えます。

たとえば、次の文章は「相手の発言を注意深く読み取って理解したつもりだが、実際には相手の考えを誤解している」場合について言及していらっしゃいません。これは、「十分注意深く読み取れば、そのような誤解は殆ど起こらない」とお考えだからだと推察します。

>>>>>>
発言を誤解することを防止するために、先ず相手の元の発言を注意深く、出来る
だけ正確に読み取ることが大切です。次に、相手の元の発言に分かり難い点がある
場合、どこが分かり難かったかを取り上げ、自分にとってより分かり易くなるよう
相手に発言を補足して貰うことです。このプロセスを繰り返すことによって誤解は
ほぼなくなります。これが普通です。
<<<<<<


また、以下のようにも述べていらっしゃいますね。

>>>>>>
「ふたえに曲げてくびに掛ける数珠」とあった場合、注意して読み取れば「ふたえに
曲げ、てくびに掛ける」と、「ふたえに曲げて、くびに掛ける」の二通りあることに
気付きます。
<<<<<<

恐らく shuku_remusさんは掲示板の標準的な参加者として、『注意すれば「ふたえに曲げてくびに掛ける数珠」という文に二つの意味があることに気付くことができる』という程度の知的レベルを持つ人を想定しているのでしょう。

しかし、正直に言って、それは私のレベルをはるかに超えています。これが謙遜でも韜晦でもないことは次の事実が示しています。

shuku_remusさんは#14557で以下のように書かれました。

>>>>>>
斉藤豊仙の狙いは、松島(現竹島)だけについてですが、それから200有余年後に
中井養三郎によって実行され、漸く島根県への編入が実現されたことに繋がるものと
想像しています。
<<<<<<

私はこの文章の解釈に悩み、最終的に以下のように理解しました。

「斉藤豊仙の狙いは、松島(現竹島)だけについてである。しかし、200有余年後に…実行され…実現されたことに繋がる」… (*1)

そしてこのような意味に取ったけれども、納得がいかず、質問したところ、ご説明をいただいて、次の意味に取るべきであることに気付きました。これなら納得がいきます。

「斉藤豊仙の狙いは、200有余年後に…実行され…実現されたことに繋がる。ただし、それは松島(現竹島)だけについてである」… (*2)

私は *1 の解釈では納得いかないと思いながら、*2 の解釈が可能であることに説明されるまで気付きませんでした。このような私ですから、初めに「ふたえに曲げて、くびに掛ける」という解釈で文章を読んでしまい、しかもその解釈に大きな難点の無い状況では、いくら注意深く読み返したところで、「ふたえに曲げ、てくびに掛ける」という解釈もあり得ることには気付かない可能性が非常に高いと思います。

私は私のレベルに合わせて物事を考えますので☆の認識を前提にします。それがshuku_remusさんの認識に合わないのであれば、それは主観の相違と割り切るしかないかと思いますが、私が☆の認識を持つということ自体は、事実として受け入れていただけると信じます。

(長くなったので、記事を二つに分けます)

つまり

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/07/29 23:18 投稿番号: [14820 / 18519]
最近の若者は、やたらと政治に興味を持って右翼的知識をしこんでいるので、将来の世のなかがどうなるか恐ろしいと言う意味ですよね。

Re: 『内務省の通達』(1)

投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2006/07/29 22:55 投稿番号: [14819 / 18519]
あなた方の言ってることが理解できない。
私は文字通りの意味で「後世畏るべし。」と言ったのだが。

四文字熟語だとか、論語だとか勝手に解釈する・・・

Re: 『内務省の通達』(1)

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2006/07/29 22:30 投稿番号: [14818 / 18519]
>>後世畏るべし・・・・
>後生可畏・・・でないのか

子曰、後生可畏、焉知来者之不如今也
「この語源からすれば、どっちも変ですね。」と楽しませてもらってるワ♪

Re: 『内務省の通達』(1)

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2006/07/29 22:14 投稿番号: [14817 / 18519]
>後世畏るべし・・・・

後生可畏・・・でないのか

Re: 『内務省の通達』(1)

投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2006/07/29 19:45 投稿番号: [14816 / 18519]
団塊以前の方は知っていても語ろうとしない。
一番知ったかぶりして嘘吐きが多いのが団塊世代。

意外と実証的で勉強しているのがポスト団塊
世代。小学生、中学生すら馬鹿にならない。

後世畏るべし・・・・

Re: 明治政府の島名混乱の収束3(訂正)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/29 13:48 投稿番号: [14815 / 18519]
訂正します。

誤)正確に言うと、この時期に江戸時代までの松島が正式の形でリアンクール岩へと変遷したことはありません。松島はダジュレー島であり、また、鬱陵島所属の竹嶼を指しています。

正)正確に言うと、この時期に江戸時代までの松島が正式の形でリアンクール岩へと変遷したことはありません。松島はダジュレー島(鬱陵島)であり、また、竹島はアルゴノート島、または鬱陵島所属の竹嶼を指しています。

れRe: 『内務省の通達』(1)

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2006/07/29 04:00 投稿番号: [14814 / 18519]
>歴史学者の秦郁彦

「南京事件」で、やはり他の評論家・歴史家みたいに、戦陣訓について誤解してますね。

『内務省の通達』(1)

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/07/29 03:43 投稿番号: [14813 / 18519]
今日の朝まで生TVは面白いですね。以前、歴史学者の秦郁彦・日大教授は「満州事変は8:2で日本が悪い、日中戦争は7:3で日本が悪い、太平洋戦争は6:4で日本が悪い」と田原総一朗との対論で言っていました。田原氏は「太平洋戦争は5:5じゃないの?」と秦氏に言ったところ、「負けた戦争をしたぶん、五分五分じゃなくて6:4で日本が悪い」と言っていました。

明日も私は仕事ですが、まだ起きてます。

さて、掲題の件ですが、下記に資料を記載します。

明治十年三月廿日

別紙内務省伺 日本海内竹嶋外一嶋地籍編纂之件
右ハ元禄五年 朝鮮人入嶋以来 旧政府該国ト往復之末 遂ニ本邦関係無之相聞候段申立候上ハ 伺之趣御聞置左之通御指令相成可然哉 此段相伺候也
御指令按
伺之趣竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032/002.jpg
(後日HPにリンク予定)

※廿日は二十日のこと

資料が続々入荷しています。今回はよく分かるシリーズの第三弾を一週間程度に渡って書き込んでいく予定です。

Re: 明治政府の島名混乱の収束3

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/29 00:21 投稿番号: [14812 / 18519]
>古来の竹島松島と確定で差し支えないでしょう。

だから、古来の竹島・松島と、この時期(太政官判断前後)の竹島・松島認識とは別物ですってば。名称はたしかに古来から二島があってきた。しかし古来のそれとこの時期の二島は、別の島を指している。

だから、天城の調査を経て鬱陵島たる松島は「古来の竹島」と言われたりしているわけです。

>1875年当時には位置認識の混乱は認められません。むしろ重要なのは、その時期に西洋伝来の考え方が流入したことによる、獨島の法的地位の混乱を考えるべきです。

岩という認識については私も注目していますが、この岩はこの時期(太政官判断前後)、竹島でも松島でもありませんでした。それを混乱として申し上げているのです。

>島の名称が表すように、江戸時代までの松島がリアンコート岩へと変遷したことを見落とすべきではありません。

正確に言うと、この時期に江戸時代までの松島が正式の形でリアンクール岩へと変遷したことはありません。松島はダジュレー島であり、また、鬱陵島所属の竹嶼を指しています。

大日本國沿海略図

投稿者: llluruurulll 投稿日時: 2006/07/28 21:43 投稿番号: [14811 / 18519]
これ、けっこう見やすくないですか。↓
http://www.globetown.net/~yesudian/Image1.jpg

少し待つ(Fileが大きいため)と拡大できて、文字もはっきりと読めます。

Re: 『磯竹島略圖』をアップロード完了

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/07/28 21:16 投稿番号: [14810 / 18519]
現在私は『美しい国へ』を数日前から読んでいる最中でですが、彼の基本政策が端的に分かりやすく書かれております。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4166605240/249-4430261-7455509?v=glance&n=465392&s=books
皆さんも"次期総裁"の著書は既に読まれましたでしょうか?

さて、掲題の件ですが、『磯竹島略圖』サイトの構造を変更しました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032/index.html

『大日本沿海略図』の拡大図も、今夏白黒からカラーに変更します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/great-japan.html

竹島に行こう!!

投稿者: aki_samurai_daah 投稿日時: 2006/07/28 20:15 投稿番号: [14809 / 18519]
竹島は日本の領土なんだから勝手に行っても問題無いでしょう^^
韓国に捕まったら国際問題に発展して停滞気味の話し合いに何か影響を与えれるかもしれないですね^^

Re: 明治政府の島名混乱の収束3

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/07/28 19:01 投稿番号: [14808 / 18519]
>イギリス、アイルランド、デンマーク、アイスランドが争ったロッコール岩
>の例もありますが、領有権を主張できない公海上の岩とする可能性をまった
>く考慮しないのは問題があります。

  領域権原と経済水域or大陸棚の権原の区別もできてないようで。

Re: 明治政府の島名混乱の収束3

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/07/28 13:03 投稿番号: [14807 / 18519]
>重要なのは二島の帰属だけではありません。太政官判断では二島を鬱陵島・リアンクール岩と確定させる条件が満たされていないのです。

  古来の竹島松島と確定で差し支えないでしょう。

>背景として二島の位置認識に混乱がないこと。または太政官が鬱陵島・リアンクール岩を版図外とした何らかの根拠があること。そうでないことには二島の帰属認識は規定できません。

  1875年当時には位置認識の混乱は認められません。むしろ重要なのは、その時期に西洋伝来の考え方が流入したことによる、獨島の法的地位の混乱を考えるべきです。
  現在でもそうですが、島(Island)と岩(Rock)では法的地位が異なります。島の名称が表すように、江戸時代までの松島がリアンコート岩へと変遷したことを見落とすべきではありません。

  イギリス、アイルランド、デンマーク、アイスランドが争ったロッコール岩の例もありますが、領有権を主張できない公海上の岩とする可能性をまったく考慮しないのは問題があります。
  獨島に関しては、事実、20世紀に入ってからも領土の範囲内に含めなかった一方で、「韓国水産誌」には韓国東海岸の付属物として暗礁や浮標の類と併記されたように、その時期の法的地位に関しては、領有の対象たる島嶼として取り扱われなかった点も十分に検討に値します。

Re: 明治政府の島名混乱の収束3

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/28 00:16 投稿番号: [14806 / 18519]
>俗信に影響された民図の殆どは、「大日本国沿海略図」には全く影響された形跡なく、竹島松島を一括して隠岐図に含める例が多いのだから、当時の日本には一般的に島名の混乱はなかったと見るのが妥当でしょうね。

古来からの島名は二つだけですから、その点では混乱はないでしょう。しかし、実際の地理としてそれがどこを指すのかは、この時期、外務省などの書類で伺えるように混乱があったとすべきです。

>太政官判断で重要なのは、島の位置ではなく、島の帰属と見るべきでしょう。この場合、島の位置そのものに、さしたる重要性があるとは思えませんが、アルゴノートに影響された明白な証拠は見いだせていません。

重要なのは二島の帰属だけではありません。太政官判断では二島を鬱陵島・リアンクール岩と確定させる条件が満たされていないのです。

背景として二島の位置認識に混乱がないこと。または太政官が鬱陵島・リアンクール岩を版図外とした何らかの根拠があること。そうでないことには二島の帰属認識は規定できません。

ましてや、その後、すぐに鬱陵島=松島、竹嶼=竹島と正式に認定されているのです。太政大臣も禁止令でそう言及しています。つまり、この時期の二島認識は、結局は鬱陵島・竹嶼に収斂されたという事実があるのです。

アルゴノート島の影響の可能性については内務省地理局の地図だけでも論拠は充分です。ほかに傍証として勝海舟・文部省・陸軍の地図などをご参考ください。

>また、陸軍の地図では、私の記憶が確かならば、竹島は存在を疑う破線で描かれて(専門用語で「疑存」と云います。存在そのものを肯定する場合は「疑位」と云い実線で描くことになるでしょう。)いたと記憶しており、

破線の島については確か勝海舟の地図ではなかったですか。ほかにもあったかな。すでに書いている通り、陸軍地図は私は未見です。分かっているのは鬱陵島あたりに二島が描かれていることだけ。この地図にはリアンクール岩は描かれていません。

もしもこの地図で竹島が「疑存」とされているのであれば、日本海に島が一つしかないことになります。ですから、ここで申し上げている陸軍の地図は別物でしょう。

>政府レベルでも1875年当時にはアルゴノートの存在は否定されていたと見て差し支えないものと思われます。

これに対する私の反論は内務省地理局の地図だけでも充分かと思いますが、傍証としては文部省の地図、陸軍の地図をご参照ください。

Re: 明治政府の島名混乱の収束3

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/07/27 23:36 投稿番号: [14805 / 18519]
>1867年   勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1875年   陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年   文部省「日本全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年   太政官判断。

  ハッキリ云って不十分ですね。
  その当時は、一般的な日本地図として高い信頼を得ていた赤水図の劣化コピー版が出回っていた影響もあって、竹島松島とも一括して隠岐に含めるとする俗信も流布されていた時代です。
  俗信に影響された民図の殆どは、「大日本国沿海略図」には全く影響された形跡なく、竹島松島を一括して隠岐図に含める例が多いのだから、当時の日本には一般的に島名の混乱はなかったと見るのが妥当でしょうね。
  太政官判断で重要なのは、島の位置ではなく、島の帰属と見るべきでしょう。この場合、島の位置そのものに、さしたる重要性があるとは思えませんが、アルゴノートに影響された明白な証拠は見いだせていません。
  また、陸軍の地図では、私の記憶が確かならば、竹島は存在を疑う破線で描かれて(専門用語で「疑存」と云います。存在そのものを肯定する場合は「疑位」と云い実線で描くことになるでしょう。)いたと記憶しており、政府レベルでも1875年当時にはアルゴノートの存在は否定されていたと見て差し支えないものと思われます。

竹島で釣りを楽しもう!

投稿者: joka1631 投稿日時: 2006/07/27 20:35 投稿番号: [14804 / 18519]
っで、竹島周辺では何が釣れるの?

Re: 明治政府の島名…(質問です)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/27 20:23 投稿番号: [14803 / 18519]
私の文才のなさも恐縮ですが、ご質問の意味もちょっと分かりにくい部分がありますので、もしも的外れでしたらお許しください。

>この文章はどういう意味でしょうか。アルゴノート・ダジュレーに竹島・松島と書いてあったと言う事実を単純に指しているのでしょうか。それとも、アルゴノート・ダジュレー=竹島・松島との意味でしょうか。

そう書いてあります。アルゴノート島=竹嶋、ダジュレー島=松嶋、リアンクール岩=リエンクールロック(?文字がよく見えません。)です。

実際には、以下のページをご覧ください。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-japan.html

>ahirutousagi2様は、この点、どのようにお考えでしょうか。

鬱陵島近辺の位置で竹島・松島が理解されたことは、文部省・陸軍・勝海舟の地図でそれぞれ共通しています。また、その後の内務省地理局の地図においても竹島・松島の位置はアルゴノート島・鬱陵島です。

従いまして、私は太政官・内務省は鬱陵島近辺で竹島・松島を把握していたと考えています。それは結局、鬱陵島と竹嶼に収斂することになります。リアンクール岩については、文字通り、「ロック(岩)」としてとらえられたか、または存在そのものにさほど注意を払われなかったものと考えます。

>また、半月城氏の考えらしきを、まとめられた文章では、「1877年、太政官・内務省は鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島と分かっていた」とお書きですが、これは、「太政官・内務省は、リアンクール岩を松島と呼ばれることがあると認識していた」と言う意味でしょうか。それとも、「松島と言ったら付近にはリアンクールしかない」と言う意味でしょうか。

私にはよく分からないのですが、半月城さんのこれまでの主張では大谷家地図や伺書の書類が現在の目から見てどう見ても鬱陵島とリアンクール岩に見えるから、当然に太政官もそう分かっていたとのことでした。

また、それはおかしいのではないかとの指摘については、太政官たるもの慎重に考えて判断を下したのであり、それを否定する見方に対しては「そんなに無能ではありません」との立場のようでした。

私はそれをそのまま踏襲してまとめたわけです。

>もし、前者ならば、鬱陵島=松島、竹嶼=竹島と名称をつけても何も不思議では有りません。

ご指摘の意味がよく分かりませんでした。申し訳ありません。もしもよろしければまたご意見をお聞かせ下さい。

Re: 明治政府の島名…(質問です)

投稿者: lib_1964_1982 投稿日時: 2006/07/27 10:12 投稿番号: [14802 / 18519]
横から失礼します。
ahirutousagi2様の文章の意味が分らないので、教えてください。

>1867年   勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)

  この文章はどういう意味でしょうか。アルゴノート・ダジュレーに竹島・松島と書いてあったと言う事実を単純に指しているのでしょうか。それとも、アルゴノート・ダジュレー=竹島・松島との意味でしょうか。
  当時、島の認識の混乱により3島認識があったとしても、名称は竹島・松島の2つしかないので、異島同名あるいは名称混乱と認識していた可能性が有ります。このため、アルゴノート・ダジュレーに竹島・松島と書いてあり、当時の太政官等が、アルゴノート・ダジュレーを竹島・松島と認識していたとしても、現・竹島を松島で無いと認識していたとの解釈は生まれないと思います。ahirutousagi2様は、この点、どのようにお考えでしょうか。

また、半月城氏の考えらしきを、まとめられた文章では、「1877年、太政官・内務省は鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島と分かっていた」とお書きですが、これは、「太政官・内務省は、リアンクール岩を松島と呼ばれることがあると認識していた」と言う意味でしょうか。それとも、「松島と言ったら付近にはリアンクールしかない」と言う意味でしょうか。もし、前者ならば、鬱陵島=松島、竹嶼=竹島と名称をつけても何も不思議では有りません。後者のような主張を私は聞いたことが無いので、ahirutousagi2様の文章が理解できません。よろしくおねがいします。

Re: 明治政府の島名混乱の収束3

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/26 17:36 投稿番号: [14801 / 18519]
以下、関連年譜。

1867年   勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1875年   陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年   文部省「日本全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年   太政官判断。
1878年   外務省、鬱陵島=松島、竹嶼=竹島認識。
1880年   同上
1881年   内務省地理局「大日本府県分轄図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1881年   内務省が外務省に鬱陵島照会。外一島資料添付。反応なし。
1882年   鬱陵島への日本人渡航について朝鮮政府から抗議。
1883年   鬱陵島渡航禁止
1883年   太政大臣三条実美、同上令において「北緯37度30分、東経130度49分に位置する日本称する松島、一名竹島、朝鮮称する鬱陵島」と記録。

半月城さんが言うのはつまりこういうことでしょうか。

1877年、太政官・内務省は鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島と分かっていた。1878/1880年、外務省は鬱陵島=松島、竹嶼=竹島とする一方、内務省の正しさを認識。照会(1881年)でも納得して異議をとなえなかった。

1881年内務省地理局「大日本府県分轄図」は「竹島外一島地籍編纂方伺」付属の「大谷家地図」に描かれた磯竹島(竹島)・松島の位置とほぼ同じで、やはり内務省の理解は鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島であった。

ところが1883年、外務省の「朝鮮国所属蔚陵島ヘ我国民渡航禁止ノ件」を受けて太政官は内務省へ根回しをする。それにより「日本称松島一名竹島朝鮮称蔚陵島」の認識が太政官、外務省、内務省、水路部間で一致することになった。

そうなのでしょうか。以下、私の理解。

太政官が判断したのは「松島・竹島」を版図外としたということ以上には何も確言できることはない。鬱陵島=松島、リアンクール岩=松島という認識は考えにくい。

一方、外務省では1878年・1880年に鬱陵島が松島(竹嶼=竹島)と実測された(「古来の竹島」についての理解もなされた)。ただし、鬱陵島が松島である以上、内務省からの照会にも異議を唱える必要は無い。

その後、1883年、外務省の「朝鮮国所属蔚陵島ヘ我国民渡航禁止ノ件」の提出に伴い太政官は外務省の理解をそのままに踏襲。内務省も然り。

では、太政官はそもそもどんな地理認識から竹島・松島を版図外と定めたか。それについては陸軍・文部省の地図が参考になり、また1881年の内務省地理局の地図、1883年の三条実美の言及などを整合的に見ればよろしいと。

つまり、アルゴノート・ダジュレー島の位置で理解されたと考えるのが自然。結局「外一島」で版図外とされたのは地理的には鬱陵島までの位置認識であったと。それが結局は鬱陵島と竹嶼に収斂されたと。

半月城さんの理解では以下の部分が不自然です。

1)1877年、太政官・内務省が鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島と分かっていたとの根拠が何も無い。
2)内務省地理局「大日本全國略圖」が大谷家地図と近いとの強弁。普通に見ればこの地図の竹島・松島はアルゴノート・ダジュレー島の位置でしょう。
3)太政官が慎重に二島を規定したにもかかわらず、外務省の認識を受け入れて内務省に根回しし、元来の「鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島」の認識を変化させ「鬱陵島=松島(一名、竹島)」(太政大臣)と認識の変化を見せること。

私の理解では、

1)根拠なしにそれを規定すべきではない。
2)「大日本全國略圖」は内務省地理局が鬱陵島の位置までを「版図外」としていた地理認識の証左。(この地図はアルゴノート・ダジュレー島の認識をうかがわせる)
3)太政官判断の「外一島」で確定しているのは二島を版図外としたことだけ。具体的な地理認識は前後の資料を整合的に考えればよい。太政官はもとより現在の鬱陵島の位置までの二島を版図外と想定したと考えられる。

という感じでしょうか。

Re: 明治政府の島名混乱の収束1

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/07/25 20:35 投稿番号: [14800 / 18519]
PALMASの判例では、近接性は権原にはならないが「先占の場合、いきなり全ての領域を実効支配するのは困難なため、実効支配の範囲として群島(groups of islands)として近接性を考慮しうる」としてますな。実効支配の権原の場合は全ての領域で実行支配しなければならないともしている。また、先占の領有意志についてgroups of islandsの適用は記述されてないから、通常どおりspecificな証拠が必要でしょうな。

まぁミンダナオ島から90km程度離れたPALMAS島は個別の島(ミンダナオ島のgroups of islandsとは見なされない)であり、実効支配が必要とのことですがね。
竹島と鬱綾島の間も90km程度だよね。

Re: 明治政府の島名混乱の収束1

投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2006/07/25 19:17 投稿番号: [14799 / 18519]
横レス失礼。

>単に鬱陵諸島の構成問題であり、島の数に関係なく一括して取り扱われるべき問題と思われます。

「モット砕いていえば、単に鬱陵島の構成問題であり、
于山島付属の島礁として一括して取り扱われるべき
問題と思われます。」という方が論理的だろう。

竹島は距離がありすぎ鬱陵付属の島礁に入れるに無理がある。
地質学的にも、同一群島?と呼ぶべきエヴィでンスはない。
半島大陸棚の延長の上にもない。
証明できるならしてごらん。

Re: 明治政府の島名混乱の収束1

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/07/25 09:04 投稿番号: [14798 / 18519]
>文部省や陸軍の地図で鬱陵島が二つに画かれ、アルゴノートとダジュレー島の面影が見えているらしい(実物未見)ことも、一つの合理的な根拠となりうることでしょう。

  当時の陸軍の地図では、烏有の島として破線で描かれているはずですね。

  何れにしても、それらは重要な話ではなく、単に鬱陵諸島の構成問題であり、島の数に関係なく一括して取り扱われるべき問題と思われます。

Re: 明治政府の島名混乱の収束1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/24 23:20 投稿番号: [14797 / 18519]
>『大日本沿海略図』と『大日本全國略圖』がほとんど同様に記されているか、あるいは大谷家地図が『大日本全國略圖』に近いのかどなたか判定していただけないでしょうか。

アホさんにせよ、半月城さんにせよ、『大日本全國略圖』の竹島・松島の位置が『大日本沿海略図』とは全く異なっており、大谷家地図のほうがそれに近いとする(アホさんはそこまで言っていませんが)のが私には到底理解できません。

隠岐ー(80里)ー松島ー(40里)ー竹島ー(50里)ー朝鮮

これが『大日本全國略圖』に近いと仰る。ちなみに、隠岐から鬱陵島(『大日本全國略圖』の松島の位置)までの実際の距離は230km程度。

私には理解不能です。

Re: 明治政府の島名混乱の収束1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/24 23:09 投稿番号: [14796 / 18519]
>肉眼でパッと見には似ているように思えても、定規を当てると、明らかに違う事が歴然としており、『大日本沿海略図』と『大日本全國略圖』とでは、全く別の位置に描かれていると判定すべきでしょう。

どうやら第三者の方に判定していただくほかはなさそうです。『大日本沿海略図』と『大日本全國略圖』がほとんど同様に記されているか、あるいは大谷家地図が『大日本全國略圖』に近いのかどなたか判定していただけないでしょうか。

>そもそもが『大日本全國略圖』が『大日本沿海略図』を参照したと思われる経緯もなく、また、参照すべき合理的根拠も考えづらい事から、両図を結びつけるべき理由すら不明とするのが、慎重な科学的態度と云うべきと思われます。

文部省や陸軍の地図で鬱陵島が二つに画かれ、アルゴノートとダジュレー島の面影が見えているらしい(実物未見)ことも、一つの合理的な根拠となりうることでしょう。

『大日本全國略圖』が『大日本沿海略図』を参照したということが大事なのではなく、鬱陵島付近で二島が認識されたこと、おそらくはこの時期の明治政府においてアルゴノートとダジュレー島の位置で二島が認識されたことが大事なのです。

Re: 明治政府の島名混乱の収束1

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/07/24 19:40 投稿番号: [14795 / 18519]
>例として、勝海舟の地図を上げましょう。この地図のアルゴノート(竹島)・ダジュレー(松島)に注目してください。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-japan.html

>一方、「大日本全國略圖」を半月城さんのHPからお借りしてみます。
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/map/chirikyoku.pdf

  以前、それらの地図に定規を当ててみる事をお奨めしたのですが、未だ実行されておられないようです。
  『大日本沿海略図』に描かれた松島と『大日本全國略圖』の松島とでは、描かれた位置が全く違います。
  わかりやい例としては、『大日本全國略圖』の松島の経度は、筑前国とほぼ同じですが、『大日本沿海略図』に描かれた松島は、豊前または長門と同経度になります。
  肉眼でパッと見には似ているように思えても、定規を当てると、明らかに違う事が歴然としており、『大日本沿海略図』と『大日本全國略圖』とでは、全く別の位置に描かれていると判定すべきでしょう。
  『大日本沿海略図』と『大日本全國略圖』とでは、地図の描き方が異なることが錯覚の原因だろうと思われます。
  結論として、島嶼の位置に関して『大日本全國略圖』から『大日本沿海略図』の影響を見いだす事は出来ないと云うべきでしょう。

  そもそもが『大日本全國略圖』が『大日本沿海略図』を参照したと思われる経緯もなく、また、参照すべき合理的根拠も考えづらい事から、両図を結びつけるべき理由すら不明とするのが、慎重な科学的態度と云うべきと思われます。また、『大日本全國略圖』が描かれた当時は、アルゴノートは烏有の島として、その存在を否定されており(描かれたとしても疑存の島として破線で描くのが通常)、『大日本全國略圖』の竹島をアルゴノートに比定できる可能性はゼロです。

Re: 明治政府の島名混乱の収束2

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/24 17:58 投稿番号: [14794 / 18519]
>これは曲解が過ぎます。私の考えを正しく理解したいのなら、まず私の語った言葉を正しく引用することから始めてください。私の考えをいうなら、そもそも太政官のありようは「・・・・と分からなかったはずがない」などと云々するような性格の部署ではありません。

これは、何度も半月城さんは仰っていますが、たとえば、

>明治政府は「版図の取捨は重大之事件」との緊張感を持って竹島、松島を版図外にしました。それを ahirutousagi2さんは「その地理的な位置理解は、いわゆるアルゴノートとダジュレーに該当」と決めつけていますが、それでは明治政府の官僚をあまりにも見くびりすぎるのではないでしょうか。かれらはそれほど無能ではないと思います。14664

こういう発言のことを指しているのですよ。

>しかし、73年に内務省が設置されたのに伴い、臨時の太政官地誌課は同省へ移管され、前述の地理寮になりました(注3)。したがって、その時から太政官の「地理(位置)的な理解」はそのままそっくり内務省へ移りました。

内務省の地理的な理解でよろしいのではないでしょうか。その内務省が竹島・松島を鬱陵島・リアンクール岩には比定しておらず、しかも、当時の外務省、文部省、陸軍、海軍までもそうは捉えていないと申し上げているのです。

>結局、1877年、太政官は内務省の伺書を承認したことにより、内務省の松島・竹島に関する認識をそのまま承認して版図外と布告したのでした。

それでよろしいかと。

今、時間が無いので「明治政府の島名混乱の収束3」についてはのちほど返事をいたします。

Re: 明治政府の島名混乱の収束1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/24 17:50 投稿番号: [14793 / 18519]
>同図における松島・竹島の位置は、内務省伺「竹島外一島地籍編纂方伺」付属の「大谷家地図」に描かれた磯竹島(竹島)・松島の位置とほぼ同じです。

計算のやり直しをお勧めします。

>これは当然の流れであり、同省がダジュレー島や存在しないアルゴノートを記した誤った地図を参照した形跡は見られません。

大谷家地図とアルゴノート・ダジュレー島のどちらが「大日本全國略圖」に近いか、判断ができないのでしょうか。

例として、勝海舟の地図を上げましょう。この地図のアルゴノート(竹島)・ダジュレー(松島)に注目してください。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-japan.html

一方、「大日本全國略圖」を半月城さんのHPからお借りしてみます。
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/map/chirikyoku.pdf

ただし、両方を比較するに当たっては、緯線・経線の単位が異なりますので、それぞれの緯線・経線を読み替えて下さい。

>といっても、内務省は両島を日本領と認識したわけではありません。両島は、それまでの同省の地図同様に日本領とは認識されていないので、各府県の詳細図にはどこにも画かれませんでした。

何の不思議もありません。すでに竹島・松島は版図外とされたのですから島根県の地図には含まれません。一方で竹島・松島を大日本国全図に記したことは無主地を意識した暫定的な措置と考えてよいでしょう。

ともあれ「大日本全國略圖」が「大谷家地図」と近く、「同省がダジュレー島や存在しないアルゴノートを記した誤った地図を参照した形跡は見られません」と仰るのは、ほとんどごり押しの域に達しているのではないでしょうか。

明治政府の島名混乱の収束3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/23 22:23 投稿番号: [14792 / 18519]
   ahirutousagi2さん、Re:14799,
>   また、太政大臣三条実美が1883年に鬱陵島を松島(一名竹島)としていることの整合性も無視なさっています。

   これは何を問題にしたいのでしょうか?   同年の太政大臣の布告は欝陵島に関する外務省の伺書をそのまま承認したものなので、太政官は欝陵島に関する外務省の認識をそのまま認めたといえます。
   外務省の認識は、伺書に添付した「竹島版圖所属考」(1881)に示されましたが、そこに両島はこう記されました。
  「竹島 一名は磯竹島 又 松島と称す   韓名は欝陵島 又 芋陵島と称する者 此なり・・・今日の松島は即ち元禄十二年 稱する所の竹島にして 古来 我版圖外の地たるや知るべし(注4)」

   外務省は、朝鮮領である竹島(欝陵島)の名を、海軍水路部の表記にしたがって松島と改めましたが、これは81年に内務省から同省へ送られてきた「竹島外一島地籍編纂方伺」関係の資料と矛盾しません。内務省資料でも江戸時代の竹島は朝鮮領の欝陵島であるとされており、外務省の認識に一致しました。
   このころ、新島名・松島(旧島名・竹島)に日本人が入り込み「禁令を犯し 密商をなす者」「樹木を討伐する者(注5)」などが現われ、1882年、朝鮮政府から抗議を受ける事態になりました。
   これに対処するため、外務省は上に述べた伺書「朝鮮国所属蔚陵島ヘ我国民渡航禁止ノ件」を83年に提出したのですが、注目すべきは、それを受けた太政官の対応です。外務省の伺書を裁可すれば、その渡航禁止令は内務省から出すことになるので、内務省への根回しが必要でした。
   その根回しの過程で内務省は「日本称 松島 一名竹島 朝鮮称 蔚陵島」の位置を「北緯37度30分 東経134度49分」と知らされたのでした。この時、初めて「日本称 松島 一名竹島 朝鮮称 蔚陵島」の位置に関する認識が太政官、外務省、内務省、水路部間で一致したのでした。
   こうした手順を踏んで、1883年、太政官は下記の指令を内務省へ発しました。

  「北緯37度30分 東経134度49分の洋上に位する日本称 松島 一名竹島 朝鮮称 蔚陵島の儀は従前 彼我政府議定の儀も有之 日本人民妄りに渡航上陸不相成候条 心得違の者無之様 各地方長官に於て諭達可致旨 其省より可相達 此旨及内達候也(注6)」

   これを受けた内務大臣は、単に渡航禁止の通達を各地方に出すにとどまらず、松島(欝陵島)に在住する日本人を強制的に連れ戻しました。

   なお、松島の固有名を欝陵島に取られてしまった古来の松島(竹島=独島)ですが、その後の明治政府関係の公文書にはその名が見られなくなってしまったようでした。太政官が同島を版図外と布告したため、その後ほとんど関心を持たれませんでした。わずかに『朝鮮水路誌』(1894)にリアンコールト列岩の名で記されました。当然の成りゆきでした。

(注1)国会図書館「近代デジタルライブラリ」http://kindai.ndl.go.jp/index.html
「大日本全國略圖」http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/map/chirikyoku.pdf
(注2)半月城通信「磯竹島略圖」(大谷家地図)
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/map/koubunroku_map.pdf
(注3)日本地圖選集刊行委員会『大日本管轄分地圖』人文社,1990
(注4)「朝鮮國蔚陵島ヘ邦人渡航禁止ノ件」附屬書二、北澤正誠「竹島版圖所属考」『日本外交文書』第14巻 P390,1951(原文はカタカナ)
   前回の書き込みの一部を「我版圖外の地」と訂正します。
(注5)「朝鮮国所属蔚陵島ヘ我国民渡航禁止ノ件」
(公文録・明治十六年・第十三巻・明治十六年三月〜四月・外務省)
(注6)外務省『日本外交文書』第16巻、原文のカタカナを平仮名に変換

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

明治政府の島名混乱の収束2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/23 22:05 投稿番号: [14791 / 18519]
   ahirutousagi2さん、Re:14778
>   太政官たるもの鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島と分からなかったはずがない。そう仰る半月城さんの理解は、私の理解の限界の幅をいささか超えたものであると言えそうです。

   これは曲解が過ぎます。私の考えを正しく理解したいのなら、まず私の語った言葉を正しく引用することから始めてください。私の考えをいうなら、そもそも太政官のありようは「・・・・と分からなかったはずがない」などと云々するような性格の部署ではありません。
   ahirutousagi2さんの考えを察するに、太政官は明治政府の最高機関であり、海軍や内務省などを統括する立場であるので、各省からの松島・竹島に関する地理情報を総合して独自の「地理(位置)的な理解」をもっていたというのでしょうか。

   そうした理解は、1871(明治4)年から2年間だけはあり得たことでしょう。この期間は、民部省の廃止にともない、同省におかれていた地理司が太政官地誌課へ臨時に移ったので、その地誌課を核に太政官独自の「地理(位置)的な理解」も可能だったことでしょう。
   しかし、73年に内務省が設置されたのに伴い、臨時の太政官地誌課は同省へ移管され、前述の地理寮になりました(注3)。したがって、その時から太政官の「地理(位置)的な理解」はそのままそっくり内務省へ移りました。
   その結果、「抜け殻」の太政官では、ahirutousagi2さんのいうような独自の「地理(位置)的な理解」を持つことはなくなりました。

   ここで一旦、太政官の性格をより理解するために、太政官への伺書について少し書くことにします。
   内務省が太政官に提出した問題の「竹島外一島地籍編纂方伺」には「十六」という番号が付されました。これは内務省が1877年3月中に出した数ある伺い書の中で16番目に相当することを意味します。この月の一カ月間だけでも内務省から太政官へ提出された伺書は、私がざっと確認しただけでも29になります。

   明治政府の代名詞である太政官には内務省のみならず、他の省庁、外務省、大蔵省、司法省、海軍省、工務省など、10省庁から毎月のように相当数の伺書が提出されました。その数は、毎月おそらく数百に達したことでしょう。
   当時、太政大臣、左大臣、右大臣、参議からなる太政官は、そうした多くの伺書を決裁するにあたって、伺書に矛盾点がないかどうか、他部署との調整が必要かどうか、政策的に妥当かどうかなどを検討して裁可しました。内務省の「竹島外一島地籍編纂方伺」もそうした伺書のひとつにすぎません。

   そうした国策・政策の最終決定をおこなう機関である太政官が、松島・竹島について独自の「地理(位置)的な理解」を組織的にもつというのは、地誌課という専門の担当部署を欠いた太政官においては微塵もあり得ないことでしょう。
   結局、1877年、太政官は内務省の伺書を承認したことにより、内務省の松島・竹島に関する認識をそのまま承認して版図外と布告したのでした。つまり、下條正男氏すら自説を覆して認めたように、竹島=独島を版図外として布告したのでした。
(つづく)

明治政府の島名混乱の収束1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/23 22:04 投稿番号: [14790 / 18519]
   半月城です。引きつづき、ahirutousagi2の質問に答えることにします。

   ahirutousagi2さん、Re:14777
>2.竹島・松島がアルゴノート・ダジュレーの位置で示されている内務省地理局「大日本府県分轄図」(1881)をどう考えるか。

   質問に答える前に、簡単に地理局の地図をレビューすることにします。1875(明治9)年、島根県に竹島(欝陵島)の地籍編纂伺いを出した内務省の地理寮は、その二年後に省内で地理局と名を改め、79年に初めて『大日本府縣管轄圖』を、ついで 80年に『大日本國全圖』を出版しました。
   ただ、タイトルは「大日本」とはいえ、北海道は前者の地図では記載がなく、後者の地図では南端のみ画かれました。北海道の調査が遅れていたのでした。
   その両図において、竹島(欝陵島)・松島(竹島=独島)はもちろん記載されませんでした。1877年、両島を版図外とする布告が太政官から内務省に通知されたので当然です。

   1881年、地理局は北海道を含めた日本地図『大日本府縣分割圖』を出版しました。そのデジタル版が国会図書館から公開されましたが、その冒頭に極東全体を描いた地図「大日本全國略圖」が挿入され、そこに「竹島」「松島」の二島が隠岐の沖合に記載されました(注1)。
   といっても、内務省は両島を日本領と認識したわけではありません。両島は、それまでの同省の地図同様に日本領とは認識されていないので、各府県の詳細図にはどこにも画かれませんでした。

   同図における松島・竹島の位置は、内務省伺「竹島外一島地籍編纂方伺」付属の「大谷家地図」に描かれた磯竹島(竹島)・松島の位置とほぼ同じです。これは当然の流れであり、同省がダジュレー島や存在しないアルゴノートを記した誤った地図を参照した形跡は見られません。
   もし誤った地図を参照したとしても、隠岐の沖合には二島しか存在しないということを内務省も大谷家地図などをとおして信頼していたので、三島を画いた誤った地図の信憑性を疑ったことでしょう。
   ちなみに、大谷家地図に記された竹島・松島の位置関係は次のようになります(注2)。

  隠岐ー(80里)ー松島ー(40里)ー竹島ー(50里)ー朝鮮

   このように、大谷家地図では竹島が実際よりかなり朝鮮寄りに描かれました。日本には海路の測量技術や器械が普及していなかった時代の地図なので、正確な距離は望むべくもありません。海路の距離は不正確で当たり前でした。
   それでも大谷家は実際に両島へ渡航して経済活動をした実績を持つので、同家の地図に描かれた竹島、松島が今日の欝陵島と竹島=独島をさすことは、ここの会議室でも誰しも異存はないようです。
(つづく)

『磯竹島略圖』をアップロード完了

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/07/22 21:16 投稿番号: [14789 / 18519]
>話かわって、邦貴さんが得意になって『公文録』内務省之部を公開しているようですが、内容に問題があります。まさか資料隠しではないのでしょうが、その資料では最も重要な付属地図が抜けており、画竜点睛を欠きます。肝心の地図「磯竹島略圖」を下記の半月城通信に公開します。
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/map/koubunroku_map.pdf

私も手元に資料がありますので、早速公開します。こちらの方が大きくはっきりして見えます。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032/zmap.jpg

もっとはっきり見たい方は、こちらをご覧下さい。4分割してあります。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032/xtop-left.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032/xbottom-left.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032/xtop-right.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032/xbottom-right.jpg

この掲示板をご覧の方で、画像加工が得意な方にお願いです。これら上記の4つの写真をくっつけて、一つの巨大な画像にすることは可能でしょうか?もし出来る方がいらっしゃいましたら、どうぞお願いします。

よく分かる『朝鮮水路誌』

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/07/21 23:14 投稿番号: [14788 / 18519]
半月城氏へ

先般、貴国の暴挙に対し、日本は即日で経済制裁を発動しました。たまたまですが、ミサイル発射数日前に、石破元防衛庁長官が著した「国防」を読みました。その彼の著書に「亡国のイージス」という映画の話が出てきたので、昨日レンタルビデオで借りて見ました。同映画に出てきた工作員は、貴国をモデルにしたものであると理解しています。

イージス艦とパトリオット(PAC3)があれば、ノドンもテポドンもかなりの確立で打ち落とせることが分かりました。この掲示板をご覧の方で、この映画もお薦めだよというのがありましたらご紹介下さい。

さて、掲題の件ですが、皆さんからご好評頂いている"よく分かるシリーズ"の第2弾です。ご高覧下さいませ。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/hydrograph1894/chosen.html
(後日上記ページを強化予定)

Re: 半月城さんも、ある意味すごい!

投稿者: yukitanhanatan 投稿日時: 2006/07/21 02:56 投稿番号: [14787 / 18519]
コレクションは豊富なようですが、
理論構成が「〜だと思われます。」ですね。
ようするに、ご自身の希望的推論でなりたっているのです。

半月城さんへ
  事実(推論抜き)資料を年表化するなどして整理すると本質がみえて
  くると思いますよ。
  今のままでは、他界されるまでなんら進展はないでしょう。
皆さまへ
  お暇な人はどうぞ彼の理論にお付き合いください。

彼はかれこれ10年以上は、しこしこやってますからね。♪
やりがいはあると思いますよ。

ついでながら

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/21 00:15 投稿番号: [14786 / 18519]
半月城さんとのやりとりで唯一つ、成果はありました。それは日系韓国人の保坂教授の外一島の理解の仕方(距離を海里とする理解)を半月城さんが完全に否定なさったことです。

私としては海里説を否定してよいものかどうかためらいがありましたが、半月城さんが保坂教授の意見を否定することで、保坂教授の意見が韓国領派でも認められないものだということを知りました。

これはこれで私としては納得できました。

Re: ahirutousagi2さん凄い!

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/21 00:10 投稿番号: [14785 / 18519]
お恥ずかしい限りで、竹島問題に関心を持ってたしかまだ二年半ほどです。読んでいない資料も随分とあります。時間にも限界がありますしプロ野球とかサッカーとかほかに関心が移って竹島のことをすっかり忘却しているような時期もしばしばあるような状態です。

このたびの「外一島」の件ですが、残念ながら半月城さんとは話がまったくかみ合いません。私の書き方がまずいのか、どれだけ丁寧に書いたつもりでも言っていることさえ理解していただけない状況です。

そもそもの出発点が違うせいなのではないかと感じています。

半月城さんは演繹法的(こういう言い方が正しいのかどうか分かりませんが)に外一島を規定しているのではないでしょうか。つまり、島根県から提出された一連の資料はどう見ても現在の鬱陵島・竹島を画いているとしか思えない。したがって、太政官が放棄したのは鬱陵島・竹島にほかならないと。

これが大前提。そして、それ以外の天城の調査や外務省の態度、その他のことはすべてこの大前提から論じられていくのです。

大前提「太政官は鬱陵島・竹島を放棄したのだ」
小前提「外務省・海軍は鬱陵島=松島、竹嶼=竹島としている」
結論「外務省・海軍は間違っている」「内務省から照会があっても外務省は何も言わなかった」「内務省の正しさを外務省も理解していた」

しかし、この話では内務省地理局の地図が矛盾し、また「内務省の正しさを外務省も理解した」にもかかわらず数年後には太政大臣三条実美が鬱陵島を松島に規定していたりおかしな現象が発生します。

演繹法の危なさは先入観による誤った大前提を適用してしまうことにあるといいます。半月城さんも例外ではないのではないでしょうか。

一方、私が考えていたのは「太政官は果たしてどの島を版図外としたか」という問いにほかなりません。そして、その根拠となる資料を、島根県の資料および前後の政府関係の資料・前後の明治政府のさまざまな態度や記述などから整合的に結論を導きました。

こうしたやり方はある意味で帰納法的とも言えるやり方かもしれません(こういう言い方が正しいかどうか知りません)。

事例収集「島根県の資料を含む前後の政府関係の資料」
因果関係「1878年の天城調査までは竹島・松島の位置認識は一定していなかったが、その後、鬱陵島=松島、竹嶼=竹島とされた」
結論「太政官の理解は島根の資料が「現在の目」からどう見えるかではなく、事例の整合性からそれはアルゴノート・ダジュレーであったと考えるのが妥当」

といったところでしょうか。

半月城さんが私の話を理解できないのは、分からないでもありません。「太政官は鬱陵島・竹島を放棄したのだ」が半月城さんの出発点なのですから、そこからはずれることは想像の範疇にもないことなのかと思います。

私は半月城さんはそれでもいいかという気もしています。しかし、どうにも分からないのが堀和生というお方の立場です。彼の論文はどうも学術的な客観性を喪失しているように見えるのです。
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