Re: 明治政府の島名…(質問です)
投稿者: lib_1964_1982 投稿日時: 2006/07/30 21:02 投稿番号: [14827 / 18519]
ahirutousagi2様、ご解答ありがとうございます。文章で理解できなかった点は「=」の意味でした。A=Bと書いた場合は、Aと言う名称の島の集合は、Bと言う名称の島の集合と一致するという意味でお使いですか。それとも、西洋人がAと呼ぶ特定の島の和名がBであるというような意味ですか。どちらでもない、別の意味ですか?
1つの島に、名称が複数あることが有ります。逆に、1つの名称が複数の島に宛てられることも有ります。「=」と書くと、この当たり混乱します。
>そう書いてあります。アルゴノート島=竹嶋、ダジュレー島=松嶋、リアンクール岩=リエンクールロック(?文字がよく見えません。)です。
西洋人がアルゴノート島と言う島の和名は竹島である。西洋人がダジュレー島と言う島の和名は松島である。そういう意味ですか。
>>もし、前者ならば、鬱陵島=松島、竹嶼=竹島と名称をつけても何も不思議では有りません。
>ご指摘の意味がよく分かりませんでした。申し訳ありません。もしもよろしければまたご意見をお聞かせ下さい。
以下の意味です。
西洋人がアルゴノート島と言う島の、地図上の和名は竹島であり、西洋人がダジュレー島と言う島の、地図上の和名は松島である。もし、西洋人がリアンクール岩と呼ぶ島を、隠岐島民等には松島と俗称されていると認識したのであるならば、たとえ外一島がリアンクール岩であったとしても、その後、公式名称として、鬱陵島に松島、竹嶼に竹島と名前を付けても何も不思議はない。地図上の名称と地元民の呼称・俗称・旧称にずれが生じた場合、地元民の俗称に従って公的な地図上の名称を変更することは珍しくない。
なお、山の名前では、近くの別の山が同一の名称であることは、特に珍しいことではないことを付言いたします。さらに、国土地理院の地図上の山名と、山に立っている道票の山名が異なったり、位置が多少異なることは、特に珍しいことではないことを付言いたします。(昭文社の山岳地図は道票とあまり違うことは無いと思います。)
今の人は、現・竹島の旧称は松島だったと知っているけれど、現在は竹島が正式名称であることを知っています。1877年の太政官の役人が、現・ウルルン島の当時の正式名称は松島だけれど、旧称あるいは俗称が竹島であることを知っていたとしても、何も不思議は無いと思います。このような状況下で作成する地図では、当然に、正式名称は松島が付けられます。
さて、大日本國沿海略図と太政官判断の島根県付属文書を比較すると次のようになっています。(伊豆大島程度の大きさとは書いていないけれど、そのように読めると言う意味です。)
大日本國沿海略図
竹島:存在を否定する点線の島
松島:伊豆大島程度の大きさの島
リエンコヲルトロック:小島あるいは岩島
明治10年(1877)の島根県付属文書
竹島:伊豆大島程度の大きさの島
松島:樹竹の無い小島
ahirutousagi2様説では、太政官判断は名称の一致を最重視して、島根県伺い書の竹島・松島を、地図上の竹島・松島と理解したと解釈し、半月城様説では、島根県伺い書の竹島・松島を、地図上の松島・リエンコヲルトロックと理解したと解釈されているのだと思います。
結局、太政官判断は、地図上の名称と地元の呼び名は同一と誤解するようなレベルの低い読図技術しかなかったのか、それとも、大きさや点線・実線の区別を含めた地図情報等から総合的に読み取りことができる程度の読図技術を持っていたと考えるのか、その違いですね。
1つの島に、名称が複数あることが有ります。逆に、1つの名称が複数の島に宛てられることも有ります。「=」と書くと、この当たり混乱します。
>そう書いてあります。アルゴノート島=竹嶋、ダジュレー島=松嶋、リアンクール岩=リエンクールロック(?文字がよく見えません。)です。
西洋人がアルゴノート島と言う島の和名は竹島である。西洋人がダジュレー島と言う島の和名は松島である。そういう意味ですか。
>>もし、前者ならば、鬱陵島=松島、竹嶼=竹島と名称をつけても何も不思議では有りません。
>ご指摘の意味がよく分かりませんでした。申し訳ありません。もしもよろしければまたご意見をお聞かせ下さい。
以下の意味です。
西洋人がアルゴノート島と言う島の、地図上の和名は竹島であり、西洋人がダジュレー島と言う島の、地図上の和名は松島である。もし、西洋人がリアンクール岩と呼ぶ島を、隠岐島民等には松島と俗称されていると認識したのであるならば、たとえ外一島がリアンクール岩であったとしても、その後、公式名称として、鬱陵島に松島、竹嶼に竹島と名前を付けても何も不思議はない。地図上の名称と地元民の呼称・俗称・旧称にずれが生じた場合、地元民の俗称に従って公的な地図上の名称を変更することは珍しくない。
なお、山の名前では、近くの別の山が同一の名称であることは、特に珍しいことではないことを付言いたします。さらに、国土地理院の地図上の山名と、山に立っている道票の山名が異なったり、位置が多少異なることは、特に珍しいことではないことを付言いたします。(昭文社の山岳地図は道票とあまり違うことは無いと思います。)
今の人は、現・竹島の旧称は松島だったと知っているけれど、現在は竹島が正式名称であることを知っています。1877年の太政官の役人が、現・ウルルン島の当時の正式名称は松島だけれど、旧称あるいは俗称が竹島であることを知っていたとしても、何も不思議は無いと思います。このような状況下で作成する地図では、当然に、正式名称は松島が付けられます。
さて、大日本國沿海略図と太政官判断の島根県付属文書を比較すると次のようになっています。(伊豆大島程度の大きさとは書いていないけれど、そのように読めると言う意味です。)
大日本國沿海略図
竹島:存在を否定する点線の島
松島:伊豆大島程度の大きさの島
リエンコヲルトロック:小島あるいは岩島
明治10年(1877)の島根県付属文書
竹島:伊豆大島程度の大きさの島
松島:樹竹の無い小島
ahirutousagi2様説では、太政官判断は名称の一致を最重視して、島根県伺い書の竹島・松島を、地図上の竹島・松島と理解したと解釈し、半月城様説では、島根県伺い書の竹島・松島を、地図上の松島・リエンコヲルトロックと理解したと解釈されているのだと思います。
結局、太政官判断は、地図上の名称と地元の呼び名は同一と誤解するようなレベルの低い読図技術しかなかったのか、それとも、大きさや点線・実線の区別を含めた地図情報等から総合的に読み取りことができる程度の読図技術を持っていたと考えるのか、その違いですね。
これは メッセージ 14803 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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