竹島

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Re: diedielove999さん

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2006/01/16 23:13 投稿番号: [12440 / 18519]
>あなたはアナーキストですか?
そうですし、そうではありません。
それを、肯定できる者が、たまたま私という現象であった、にすぎない。

>>大事なことは、ニッポンの〝竹島〟なぞくだらないってことです。
>それが大事なことなんですか?
そうです。
もっといえば、今の時点で日本人が、ニッポンの〝竹島〟を大事に考えるということが、「くだらない」ということが、大事なことなんです。


>竹島問題のような難しい問題は政府どおしにまかせて、人と人の関係は難しいこと抜きに生活者としてつきあっていきたいということならわからなくもありません。
「わからなくもない」なんて付帯状況の説明じゃなくって、基本をそっちにシフトしちゃったほうが、得るものが多いと言っているんですよ。

ちなみにあなたもご自身が生活者といわれるが、そうはみえませんねえ。
たんなる「一主権者」を確保したうえでの生活享受者でしかないと考えますが。

そういう理屈のむなしさ

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2006/01/16 23:02 投稿番号: [12439 / 18519]
>確定した証拠が大事なのですよ。
>事実の積み重ねであり、期待の積み重ねじゃないんです。
じゃあ10年前の今日あなたは夕ご飯をたべたことを証明してくださいよ。

まずできないでしょ。

>さらに国家の正式な探索使が視認できないどころか同一の島だろうと同時期に述べているのです。その後探索使が出てないと言うことは、それが公式見解だと考えるのが妥当です。

へ〜。だれがきめたのそんなこと。
その探索使がばかな文官だったってこともあるでしょ。


>鬱陵島と于山島が同一だという説が韓国自身にしっかりとある以上は、無意味な話ですよ。
同一という説があったことがある、というだけですね。


きわめつけ
>鬱陵島は空島政策で人が入っていなかったのです。
空島政策で人っ子一人いなくなるというのが、日本人の感覚なのですよ。

じゃじゃ。

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/16 22:47 投稿番号: [12438 / 18519]
te2222000さんは、さきに「1877年の太政官指令からは、少なくとも以下のことが言える」として「当時の太政官にリアンクール岩が日本領であるという明確な認識はなかった可能性が高い」との一項目を示しました。

私はこれについて「可能性が高い根拠は何か」とたずねました(私は「不明」としかいいようがない、という立場です)。それに対するte2222000さんの返答は、もしも太政官が明確にリアンクール岩を日本領と考えた場合のいくつかの見方の可能性をあげました。その中で、

>c. 松島にもリアンクール岩にも帰属を明確に示す歴史的資料は無いが、何らかの理由から松島は朝鮮領、リアンクール岩は日本領とすることが妥当だと太政官が判断した。

をあげつつ、「何らかの理由」に対して「私は両島の隠岐からの距離の差くらいしか思いつかず、その差が帰属認識の違いとなるほどのものだとは思えないのです」としていらっしゃいます。

そこで、私はte2222000さんが「当時の太政官にリアンクール岩が日本領であるという明確な認識はなかった可能性が高い」とした主要な理由として、両島の隠岐からの距離の差くらいしかリアンクール岩を日本領とする根拠が見当たらない、その差が帰属認識の違いとなるほどのものだとは思えない、と考えていらっしゃると判断しました。

前回の私の表現は妥当性を欠いたようですが、そこで私が指摘したかったのは、両島の隠岐からの距離の差は、当時のリアンクール岩の認識において帰属認識の違いとなりうる、ということです。こうした理解は事実、渡辺洪基の見方に通じるものです。

私の考えでは、当時の地図も含めてリアンクール岩に関しては「不明」としか言いようがないというもので、「リアンクール岩が日本領であるという明確な認識はなかった可能性が高い」という規定にどこかしら微妙な違和感を覚えたわけです。

もちろん「不明」とするのも「日本領であるという明確な認識がなかった」というのもよく似たものです。しかし、不明は不明であって、「日本領であるとの明確な認識はなかった(可能性が高い)」と規定までしていいものかどうか戸惑いがあります。あくまで明確な認識があったかもしれないのです。

ともあれ、前回の指摘の文章は、文意としては、

両島の隠岐からの距離の差くらいしかリアンクール岩を日本領とする根拠が見当たらないというのは「当時の太政官にリアンクール岩が日本領であるという明確な認識はなかった可能性が高い」とすることの理由にはならないと思います。「両島の隠岐からの距離の差が帰属認識の違いとなるほどのものだとは思えない」というのは仰るように主観的に過ぎるのではないでしょうか。

というような感じで理解していただければよろしいかと思います。日本語があたまの中でぐちゃぐちゃになりつつあります。どうもややこしい議論は私は苦手なようで。

>私が言っているのは「北の二島については明確に版図外とし、また、リアンクール岩については版図内という明確な認識がない(存在自体を認識していない場合を含む)」ということなので、『三島一括で「版図外」』という表現は、ちょっとニュアンスが異なります。

これは私の理解とほぼ共通します。ただし「二島については明確に版図外とし、また、リアンクール岩については不明(存在自体を認識していない場合を含む)」と言った感じが私の理解です。

要約:
テさん:リアンクール岩については版図内という明確な認識がない(存在自体を認識していない場合を含む)。
・竹島・松島は版図外。
・リアンクールを版図内とする明確な認識の根拠は距離程度しか考えられない。
・太政官はリアンクールについて日本領との明確な認識がなかった可能性が高い。

アヒル:リアンクール岩については不明(存在自体を認識していない場合を含む)。
・竹島・松島は版図外。
・リアンクールは不明。なんとも規定のしようがない。
・太政官はリアンクールについて日本領と考えた可能性もあるし、そうでない可能性もある。無頓着、あるいはのちの調査を待った可能性もある。

こんな感じでしょうか。

diedielove999さん

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2006/01/16 13:32 投稿番号: [12437 / 18519]
>国家を肥大させる悲劇なんてことは、国の大小は問題ではない。
>国と住民との問題なのであって、国家の規模や強弱とはほとんど関係ないんですよ。
>ただしこの点にかんしては、韓国ではもうさんざんに体験ずみ、ノウハウも蓄積ずみです。
>過度の反共主義の時代から、民主化、そして、ちょっと無鉄砲な北朝鮮よりの現政権にいたるまで、
>さんざんふりまわされた紆余曲折のなかで、韓国の大衆というのは、そういう政権と上手に距離をとるすべを心得ている。
>日本人には、この点が無い。
>ひたすら順法精神あるのみです。   カッカッカ。   好かれないよね。
>それだけです。

ずいぶん韓国の大衆の心情にお詳しいですね。
要するに韓国人は政治や法律や国家を信頼していないということですか?
そしてあなたも?

>韓国人とは、こんなものを最初から信頼しないで、生活者同士として、一切を分け合いたい。
>晩のおかずから、人としての存在までね。彼らの生きる力は、何者をも補って余りある。

あなたはアナーキストですか?

>大事なことは、ニッポンの〝竹島〟なぞくだらないってことです。

それが大事なことなんですか?
あなたばかりが生活者ではありません。
わたしも生活者です。
韓国に行ったときには家に泊めてくれる韓国人の友人もいますよ。
竹島問題のような難しい問題は政府どおしにまかせて、人と人の関係は難しいこと抜きに生活者としてつきあっていきたいということならわからなくもありません。
ただし、竹島問題がくだらないとは思いません。

Re: 個人的見解で

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/01/16 11:12 投稿番号: [12436 / 18519]
>今は「知ってるから見える」んじゃないの?

見ようと思わなければ見えませんからねえ。
チャレンジしたけどだめだったという報告はあるけど、野良仕事してたら偶然見えたって報告は聞かない。

太政官の時代は朝鮮側の鬱陵島への渡航者はすくなく、しかも海岸付近での漁が中心なので、可能性は少ないですね。

Re: 個人的見解で

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/01/16 11:08 投稿番号: [12435 / 18519]
民間の伝承のなかに獨島が現れている可能性は確かにあります。
しかし、可能性にすぎません。
鬱陵島と于山島が同一だという説が韓国自身にしっかりとある以上は、無意味な話ですよ。

巫女さんが鬱陵島に住んでいたわけでもないのです。
鬱陵島は空島政策で人が入っていなかったのです。
十分豊かではるかにおおきい鬱陵島をおいてどうして獨島に行くことをすすめるのですか?それこそアホというもの。
期待するのは結構ですが妥当性をのりこえて期待するのはやめて頂きたい。

さらに国家の正式な探索使が視認できないどころか同一の島だろうと同時期に述べているのです。その後探索使が出てないと言うことは、それが公式見解だと考えるのが妥当です。

>鬱陵島から独島は見えるのですから。

それを確実に確認したのは日本軍です。
それ以前にはないし、問題の明治時代には韓国側には記録が皆無です。

東國輿地勝覧前後の于山島は獨島ではあり得ません。
島が見えるだけでなく木や渚までみえると明確に説明してあります。
したがって、獨島でないことは確実です。
世宗実録等はあいまいですが、東國輿地勝覧は同一の編集者によるものでありこれが当時の結論的なものであります。

三峯島だった可能性はありますが、探索使の地図をみても結局確認されてないのですから、公式見解は確認なしです。

確定した証拠が大事なのですよ。
事実の積み重ねであり、期待の積み重ねじゃないんです。

Re: 個人的見解で

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2006/01/16 07:29 投稿番号: [12434 / 18519]
干山島が独島なのね。

>だいいち、鬱陵島から独島は見えるのですから。
今は「知ってるから見える」んじゃないの?

独島記念館に詳しいみたいだけど八道総図のレリーフが飾ってあるよね。
干山島はどの位置に書いてある?

Re: わたしは生活者

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2006/01/16 07:21 投稿番号: [12433 / 18519]
>どうでもいいけど。
>自分の手元に集積している情報は逆ですが。
愚生なる私にあなたの手元に集積している表面ではない真実の情報の一端なりでも、
見せてみただきたく、謹んでお願い申し上げます。

>国家を肥大させる悲劇なんてことは、国の大小は問題ではない。国と住民との問題なので
>あって、国家の規模や強弱とはほとんど関係ないんですよ。
>ただしこの点にかんしては、韓国ではもうさんざんに体験ずみ、ノウハウも蓄積ずみで
>す。過度の反共主義の時代から、民主化、そして、ちょっと無鉄砲な北朝鮮よりの現政
>権にいたるまで、さんざんふりまわされた紆余曲折のなかで、韓国の大衆というのは、
>そういう政権と上手に距離をとるすべを心得ている。

南北統一はしたくないっていう本音が聞こえるよ。
北の民衆の叫びはあなたの手元には集積しませんか?
それも日本のマスコミの表面的なものだろうね?

>日本は、竹島なんかに固執すべきじゃない。
>こんなけちな岩のために、もっとフローな財産づくりを見失ったら、つまりませんよ。
その通りだ
国際裁判所に付託して正当な第3者による判断を仰いで早々にこの問題を解決しよう。
あ〜
誰に好かれないか知らないけど、法を律儀にまもるのはだめか〜

>だいいち、竹島に固執するくらいなら、どうして北方領土でロシアを訴えないの?
>竹島なんかより全然豊富な資源と経済的価値を、みすみすのがしているのでは?
>って、どうせ、できないからなんですよね〜。
訴えてるよ。知らないのか?

>韓国人とは、こんなものを最初から信頼しないで、生活者同士として、一切を
>分け合いたい。晩のおかずから、人としての存在までね。彼らの生きる力は、
>何者をも補って余りある。
キムチ食べながら韓流ドラマを欠かさず見るってことだね。

>大事なことは、ニッポンの竹島なぞくだらないってことです。
個人的な意見という割にコレが一番大事なことなんだよね。

ま、それはそれとして、
あなたが物語といったことの感想文をかいてよ。話題を次から次へとそらさないでさ。

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/01/16 05:41 投稿番号: [12432 / 18519]
ahirutousagi2さん

コメントありがとうございます。

>両島の隠岐からの距離の差は理由にはならないと思います。
>それは仰るように主観的に過ぎるのではないでしょうか。
>というのは、それを考えるには渡辺洪基の理解が
>それほど異端的であったかどうかの再検討も必要であるし、

すみません、「それを考えるには」の「それ」は何を指しているのでしょうか。

何となく「両島の隠岐からの距離の差が、一方を版図内と認識し、他方を版図外と認識する理由になるか」を指しているような気がするのですが、その場合、最初の二文は以下の書き間違いということでしょうか。

×
−−−−−−−
両島の隠岐からの距離の差は理由にはならないと思います。
それは仰るように主観的に過ぎるのではないでしょうか。
−−−−−−−


−−−−−−−
両島の隠岐からの距離の差が理由になるかどうかは分からないと思います。
それが理由にならないとするのは、仰るように主観的に過ぎるのではないでしょうか。
−−−−−−−

ご確認お願いします。

>当時の地図において竹島・松島(つまりアルゴノート・
>ダジュレー)が鬱陵島のところに描かれてリアンクールは
>描かれていない(陸軍・文部省)ような情況を見ると、

私は不勉強で、おっしゃる地図のことはよく知らないのですが、そのような地図があるならば、それは「リアンクール岩の存在自体の認識を欠いており、当然それが日本領であるという明確な認識はない」というものなので、むしろ私の主張を支持するように思います。

>三島一括で「版図外」とすべきかどうかは

私が言っているのは「北の二島については明確に版図外とし、また、リアンクール岩については版図内という明確な認識がない(存在自体を認識していない場合を含む)」ということなので、『三島一括で「版図外」』という表現は、ちょっとニュアンスが異なります。

Re: リアンクール岩

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/16 00:41 投稿番号: [12431 / 18519]
>ahirutousagi2さんも、太政官指令にある外一島が現在の竹島=独島を示していると考えていたことは了承しました。

現在の目から見れば太政官指令にある外一島は伺書の内容を見る限り竹島=独島を指したと考えられます。しかし当時に視点を戻すと地理的認識において外一島は現在の鬱陵島の位置で想定されていたと私は考えています。繰り返しますが、アルゴノート=竹島であり、ダジュレー(鬱陵島)=松島です。

島根県・内務省・太政官の一連の資料で言えることは、そこに記された外一島が「松島」である、というところまでであって、リアンクール岩が意識されたとまでは言えないということです。

私は太政官判断において三島認識あるいは鬱陵島あたりに竹島・松島を考える地理的な誤認の可能性は排除すべきではないと見ています。その理由として、次のようなものを私はこれまであげて来ました。

1.この時期に発行された地図。勝海舟(1867)、橋本玉蘭(1870)、陸軍(1875)、文部省(1877)、どれをとっても松島(独島)=リアンクール岩との認識は見られません。
2.軍艦天城の調査による鬱陵島=松島の規定(1880)。
3.1883年の太政大臣三条実美による鬱陵島=松島の理解。

もちろん伺書と太政官に独自に提出された史料を原則的に対象として竹島・松島を規定すべきである、したがって三島認識や地理的な誤認を考慮すべきでない、とするのであればそれはそれで一つの見識であります。

しかしその原則まではいったんは認めるとしても、それが松島=リアンクール岩との理解にはつながりはしないのです。(例えば、上記陸軍や文部省の地図でリアンクール岩が描かれず鬱陵島の位置に竹島・松島が描かれたように。)

半月城さんが太政官に提出された史料に則って太政官判断の外一島を「松島」と規定することについては私はまったく否定しません。私もそう理解しています。しかし、太政官の理解が松島=リアンクール岩であると規定するには、何ら根拠が伴わない、と申し上げているのです。

>ましてや、リアンクール岩という用語は、太政官指令当時の公文書にはほとんどなかったようで、わずかに竹島=独島に該当するホウリルロックという語が登場する程度です。

私は地理的な認識を申し上げているので、島の名前は便宜的なものです。また、ホウリルロックは江戸末期、明治期の地図では松島=鬱陵島を指す場合もあります。リアンクール岩の方が分かりやすくて使っているに過ぎません。

太政官指令当時の公文書にどのような名があろうと何ら問題はありません。私が問題にしているのは太政官指令の外一島の地理的(位置的)認識そのものです。そして実際に三年後に松島=鬱陵島が確定するに至っているのです。

Re: 個人的見解で

投稿者: mucho_chomu 投稿日時: 2006/01/15 23:54 投稿番号: [12430 / 18519]
>>だれかがまちがってウサンドをカンサンドと教えてしまったようですが。
>
>その証拠の提示をよろしく。

そんな証拠など地球上に存在しないと思いますが、私も証拠を見てみたい。

Re: 個人的見解で

投稿者: jaway 投稿日時: 2006/01/15 23:29 投稿番号: [12429 / 18519]
>だれかがまちがってウサンドをカンサンドと教えてしまったようですが。

その証拠の提示をよろしく。

Re: 個人的見解で

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2006/01/15 22:03 投稿番号: [12428 / 18519]
>しかし、朝鮮が存在を確認することができなかったことは確実です。
そんなことはない。
だいいち、鬱陵島から独島は見えるのですから。

祭事を行う巫女のうたにも、カセカセ、カンサンドロカセ   なんていうのがあったんですよ。

カンサンドはウサンドの読み違い。巫女すなわちムーダンとよばれる無学なおばさんたちが、漢字を読めたはずが無いので、だれかがまちがってウサンドをカンサンドと教えてしまったようですが。ここにいれば飢えるからなにか採りに、『カンサンド』正しい読みは『ウサンド』、つまり独島に行け、というようなことだったらしいです。

やっぱ鬱陵島土着民が独島とともに活きてきた生活史は存在してたと考えます。

わたしは生活者

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2006/01/15 21:50 投稿番号: [12427 / 18519]
>無法韓国漁民が竹島周辺の共有漁場での操業を事実上できなくしてることくらいちょっと調べれば出てくるだろうに。
調べるって?表面だけ取材した日本のマスコミ報道でも調べるのかな?
どうでもいいけど。
自分の手元に集積している情報は逆ですが。

>大丈夫、日本はそれくらいで泣くような弱小国家じゃないから。
国家を肥大させる悲劇なんてことは、国の大小は問題ではない。国と住民との問題なのであって、国家の規模や強弱とはほとんど関係ないんですよ。
ただしこの点にかんしては、韓国ではもうさんざんに体験ずみ、ノウハウも蓄積ずみです。過度の反共主義の時代から、民主化、そして、ちょっと無鉄砲な北朝鮮よりの現政権にいたるまで、さんざんふりまわされた紆余曲折のなかで、韓国の大衆というのは、そういう政権と上手に距離をとるすべを心得ている。
日本人には、この点が無い。
ひたすら順法精神あるのみです。   カッカッカ。   好かれないよね。
それだけです。

日本は、竹島なんかに固執すべきじゃない。
こんなけちな岩のために、もっとフローな財産づくりを見失ったら、つまりませんよ。

だいいち、竹島に固執するくらいなら、どうして北方領土でロシアを訴えないの?竹島なんかより全然豊富な資源と経済的価値を、みすみすのがしているのでは?
って、どうせ、できないからなんですよね〜。
しょせんそんなもんですよ、国家としての枠組みなんてものは。
なんせただの箱がもったいぶってるもんで、かっこつけないと死んじゃいますから。

韓国人とは、こんなものを最初から信頼しないで、生活者同士として、一切を分け合いたい。晩のおかずから、人としての存在までね。彼らの生きる力は、何者をも補って余りある。

ま、それはそれとして、
大事なことは、ニッポンの〝竹島〟なぞくだらないってことです。

リアンクール岩

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/01/15 21:43 投稿番号: [12426 / 18519]
   半月城です。ハンドルネームを ban_wol_seong に変更します。

   ahirutousagi2さんも、太政官指令にある外一島が現在の竹島=独島を示していると考えていたことは了承しました。

   #12407,ahirutousagi2さん
>むしろ、私にはどうしても半月城さんが「太政官が松島=リアンクール島と判断して版図外とした」とすることが、理解できないのです。

   これは ahirutousagi2さんの早とちりではないでしょうか。私は竹島=独島=リアンクール岩という趣旨で下記のように記しました。
  「結論として、島根県や内務省、さらには太政官指令に記述された外一島が竹島=独島であることは、島に関する説明や島同士の古文書における距離などから明らかです。また、それはリアンクール岩であることはいうまでもありません」

   #12410,ahirutousagi2さん
>こうした半月城さんの規定にはある種の前提が存在しているようです。つまり、アルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩の三つの認識は内務省・太政官には存在するはずもなかった。
または、太政官判断はあくまで島根県の文書だけを参考にしたもので、そうした三島の認識を考慮すべきでない、といったところでしょうか。

   私は「アルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩の三つの認識は内務省・太政官には存在するはずもなかった」とまでは断言していません。そうした認識はなかったであろうとの意見です。元来、こうした命題は、ないことを証明するのは不可能です。
   つぎに「太政官判断はあくまで島根県の文書だけを参考にした」とするのは、ahirutousagi2さんの早とちりです。私は#12406で「島根県からの伺書を受けた内務省は、その伺書に加え独自の史料を添付しました」と書いたとおりです。そのリストは後述します。

   #12407,ahirutousagi2さん
>大西教保『隠岐古記集』、鳥取藩『竹嶋之書附』「小谷伊兵衛差出候 竹嶋の書附」、『元禄九丙子年 朝鮮舟着岸一巻之覚書』などは太政官は把握していたが、地図に関しては島根県の添付地図のみを参考としたということでよろしいのでしょうか。

   これも ahirutousagi2さんの早とちりです。太政官のみならず、内務省や島根県が『隠岐国古記』などを把握していたかどうかは不明です。
   可能性としては、それらが伺書にふれられていないので、諸機関は把握していなかったか、あるいは把握していたとしても、付属資料として取りあげる価値がないと判断されたと思われます。
   地図も内務省や太政官が「島根県の添付地図」のみを参考にしたかどうか、これも不明です。可能性としては、その地図以外は伺書にふれられていないので、参考にしなかったか、あるいは参考にしたとしても、それは付属資料としてわざわざ記述する価値がないと判断されたといえます。

   ここでまとめのために、島根県の伺書および内務省が追加した史料を整理します。
  島根県「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」の付属文書一覧
(1).第28号「地理寮の伺い書」
(2).島根県「由来の概略」
(3).幕府「渡海許可書」
(4).島根県「渡海禁制いきさつ」
(5).幕府「渡海禁制令」
(6).島根県「あとがき」
(7).大谷家「図面」
   この他に大谷・村川「両家所蔵の古文書などは後日、謄写されるのを待って全備する」とされました。それらも提出されたかもしれません。
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.564

  内務省「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」附属文書一覧
(1)島根県「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」本文、附属文書一式
(2)第一号「旧政府評議の主旨」
(3)第二号「訳官への達し書き」
(4)第三号「当該国(朝鮮)からの書簡」
(5)第四号「本邦回答および口上書」
http://www.han.org/a/half-moon/hm083.html#No.574

   これらの文書に「アルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩」などは片言隻句もないのにもかかわらず、なぜ ahirutousagi2さんは、わざわざそれらを持ちだすのか理解に苦しむところです。
   ましてや、リアンクール岩という用語は、太政官指令当時の公文書にはほとんどなかったようで、わずかに竹島=独島に該当するホウリルロックという語が登場する程度です。

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

Re: 個人的見解で

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/01/15 21:41 投稿番号: [12425 / 18519]
>疑わしきは相手を立てる。

この時代に日本が領有意識をもっていたかどうかは確かに疑わしいです。

しかし、朝鮮が存在を確認することができなかったことは確実です。
それどころか于山島は鬱陵島のことだろうと探索者は持論を補強しています。
両方比較してみれば結論は疑わしくないです。

Re: どうして連動するの?

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/01/15 21:34 投稿番号: [12424 / 18519]
質問ですが、李ラインができるまえにの、学問的なアプローチはあったのですか?

いままで博学なかたの情報をたくさん目にしましたが、あまり記憶にないのです。
政治を補強するために学説が出来たのだと私は考えています。

この件は韓国においては言論による戦争であって、真実はどうでもいいんだと私は感じています。

戦前は全部日本領にされてしまったから、獨島の所属なんて論じる状況じゃなかったでしょう。
戦後李ラインができるまでに、学問的検証をする余裕はなかったわけで、
どうしても、後付になるのだろうと考えています。

Re: 個人的見解で

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2006/01/15 19:46 投稿番号: [12423 / 18519]
さも自分の持ち物であるかのように無欲で全部を相手に差し出して話を進めていますね。
立派なものです。まぁ個人の考えですからね。

>島根県をはじめとした漁業者の方々は、松葉蟹をブランド化して、漁業の権益を政治決着で
>得たほうがよほどソロバンに良いと考えます。
とっくにそうしているよ。
無法韓国漁民が竹島周辺の共有漁場での操業を事実上できなくしてることくらいちょっと
調べれば出てくるだろうに。

>しかも先の太政官のこともあるし。
あなたの竹島韓国領の根拠は「日本の太政官が竹島を捨てた」ことですか?
韓国側の領有根拠は?
たとえ仮に捨てたとして無主の地なんだからまた拾ったことで無問題ですよ。

>疑わしきは相手を立てる。
>大競争時代のしたたかな競争術です。
そんなんで相手立てまくって、何を競争するというの?
疑わしい相手に差し出すだけがしたたかな競争術とは、人をだましてませんか?

>それがまかりならないという日本人は、けっきょくのところ、日本という国家の面子に
>こだわっているだけなんですよ。一銭にもならないメンツのためにね。
>国家を肥大させれば、明日泣くのはわが身ですよ。

あぁ、だから今韓国は肥大して泣いているのか。

大丈夫、日本はそれくらいで泣くような弱小国家じゃないから。
また経済破綻したり、統一で大変なことになっても日本という国際的に立場のある国家は
一銭にもならなくても、助けてあげるだろうから。

これが、「私の」日常の感覚です。

Re: どうして連動するの?

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2006/01/15 19:18 投稿番号: [12422 / 18519]
>ん〜
>韓国という国を見ないで机の上で資料だけあつめたら、こんな物語が書けるのかなあ。。

ほー
サンフランシスコ講和条約、波浪でググッてごらんよ。「物語」がいっぱい出てくるから。
ちなみに一つ取り出してみると
韓国は51年4月16日に外務部内に対日講和会議準備委員会を発足させ、日本から
除外される地域として、済州島、巨文島、鬱陵島を挙げた第6次草案を修正し、竹島を
加えるよう求める方針を決定した。その後、米国政府に対し、竹島だけでなく、波浪島、
対馬島も韓国領とし、講和条約への追加を要請した。

http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/106129145.html

>慎教授はじめ韓国側で一貫して独島領有権を主張してきた学者が、一貫して対馬領有権は
>否定してきんですけどね。

対馬領有に関してはチャチャだって言ってるじゃない。韓国政府もそう言ってるし、連動も
しない、独立した話よ。
連動しているのはあなたが提示した領有権とは関係ない邪な「対馬は韓国の領土だった」って
言う鬱陵島の独島記念館の碑だけだって。

>それを今やっているのは馬鹿だけ。
だから馬山市は馬鹿なんじゃん。

>韓国では何度も政権が変わり、民主化が勝ち取られ、初めて選挙で政権交代が実現する
>という過程がおこなわれてきたのですが。
激動の50年だけどそれと独島領有がなにか連動してるの?

>日本は棚ぼた式の民主主義をだめにする以外のことをやってませんが。
ん〜
他の国を見ないで机の上の資料だけあつめたら、そんな物語が頭にうがぶのかなあ。。

>たのみますから、言葉で人をだますのは、やめましょうね。
あなたもな

diedielove999さん

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2006/01/15 12:55 投稿番号: [12421 / 18519]
>私は日本人ですが、竹島はいりません。
>経費だけがかかる島ですし。

ここで言う「経費だけがかかる島」という意味がよくわかりません。

アナタの考えに従えばその経費だけかかる島に韓国はメンツだけのために接岸施設や灯台を建設し、警備隊を常駐させるなど、無駄な努力と経費をかけているということになりますが?
もし領有権が日本となれば、韓国にとっては(あなたの言うところの経費だけかかる島に)無駄な設備を作ったり警備隊を常駐させるなどの無駄な経費をかけなくて済むようになりますね。

わはしは竹島問題は単に経済的な価値だけの問題ではなくて、国家間の原則論の問題だと思います。
単に力ずくで無理矢理50年居座ってしまえば居座ってしまったもの勝ち、という前例を認めてしまう訳にはいかないと思うのです。
また、安易に韓国さんがかわいそうだから韓国のものと認めてあげたい、あんなちっぽけな島は韓国さんにあげてもよいというのであれば逆に韓国を馬鹿にした態度だと思うのです。
わたしは日本と韓国は対等なオトナの友人として付き合っていくべきだと思っていますが、竹島問題の解決は日韓がオトナのつきあいをするための試金石だと思っています。

Re: この議論の意味は?

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/15 10:44 投稿番号: [12420 / 18519]
一応、お返事申し上げます。

マクロ的な視角を見誤ればミクロの視点を失うこともあるし、逆にミクロの視点を見失えばマクロの理解に大きな誤解を生じることもありうるもの。いろいろな視角から議論がなされることはいいことであり、ただ軍事的価値としての竹島編入にのみ意義を規定しても歴史の議論においてはもちろん、この掲示板という多くの人の意見をやりとりする場においてもまったく望ましいことではないと思いますよ。

>いまさら領有権は韓国でいい。紆余曲折50年の戦後韓国史を通じて、実効支配してきたのだから、その立場をこちらが認めてあげればよいことじゃないですか。

これはこれで一つのご意見としてよろしいと思います。50年も実効支配している。したがってその立場を認めてあげるべき。不当な占拠であるとの認識は共産党までを含めて日本の政界のほぼ一致した認識ですが(社民党は知りません)、そういう意見もよろしいのではないでしょうか。

ちなみに朝鮮の日本による36年の統治はだめですか?日本の立場も認めてあげるべき?あるいは苦しむ人がいたから、これはだめ?人の住まない領土だったらその根拠は関係無しに押さえた者勝ちということでしょうか?その点がよく分かりませんが、それも一種の帝国主義みたいなものではないですか?

>それがまかりならないという日本人は、けっきょくのところ、日本という国家の面子にこだわっているだけなんですよ。一銭にもならないメンツのためにね。

そう思われるのは勝手ですが、あまり人の考えや努力などを、独りよがりに規定して見下げるようなことはやめたほうがいいと思います。日韓どちらの立場に立つにせよ研究者たちは頑張ってより正確な理解のために努力しているのでしょうし、外務省とていたらないところだらけですが新漁業協定などで一定の政治的決着をはかって時間をかけて努力している。

とりわけ国土の問題は国家という認識の根本となる要素の一つでしょうからそこには徹底した検証なり歴史的認識の主張なりが当然に伴うものではないでしょうか。

世の中には原則というものがあります。「一銭にもならないメンツのためにね」だけでは解決しないものもあるのではないでしょうか。

>国家を肥大させれば、明日泣くのはわが身ですよ。

韓国が実効支配するのは構わないわけですか。それが正当であるか不当であるかの議論もこの掲示板の一つの争点ではあるでしょうが、アプリオリに日本=悪、国家=悪と考えるのはよしたほうがいいと思います。

正直申しまして、以前に「地球市民」を訴えた方もそうでしたが、あなたのような主張をなさるかたが、私は一番苦手です。議論に勝てそうにありません。おそらく、私が負けます。白旗をあげつつ、以上、いくつかのみ申し上げました。

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/15 10:01 投稿番号: [12419 / 18519]
>あとは、cの評価になりますが、「何らかの理由」として私は両島の隠岐からの距離の差くらいしか思いつかず、その差が帰属認識の違いとなるほどのものだとは思えないのです。これは私の主観的評価です。

両島の隠岐からの距離の差は理由にはならないと思います。それは仰るように主観的に過ぎるのではないでしょうか。というのは、それを考えるには渡辺洪基の理解がそれほど異端的であったかどうかの再検討も必要であるし、当時の地図において竹島・松島(つまりアルゴノート・ダジュレー)が鬱陵島のところに描かれてリアンクールは描かれていない(陸軍・文部省)ような情況を見ると、三島一括で「版図外」とすべきかどうかは、現在のところでは「分からない」としか言いようがないように思います。

私としては、チュドさんの

2.当時の太政官にリアンクール岩が日本領であるという明確な認識があったかどうかは定かではない。(不明である)

を支持します。

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/01/15 09:03 投稿番号: [12418 / 18519]
>>2.当時の太政官にリアンクール岩が日本領であるという
>>明確な認識はなかった可能性が高い。

>1には異論がありませんが、2はその「可能性が高い」と
>いうだけの根拠はあるのでしょうか。何かあるようでしたら
>お教えいただければ幸いです。

私がこのように書いた理由は以下の通りです。

−−−−−−−−−−−
太政官が明確にリアンクール岩を日本領と認識していたことがあり得るのは、リアンクール岩の存在を認め、それが松島とは別の島と考えた上で、次の a〜c のどれかが成り立っていた場合に限られると思います。

a. リアンクール岩が日本領であることを示す歴史的資料があるが、松島には無い。
b. 松島が朝鮮領であることを示す歴史的資料があるが、リアンクール岩には無い。
c. 松島にもリアンクール岩にも帰属を明確に示す歴史的資料は無いが、何らかの理由から松島は朝鮮領、リアンクール岩は日本領とすることが妥当だと太政官が判断した。

aとbはそのような資料が現在知られていないことから、可能性は極めて低いと思います。

あとは、cの評価になりますが、「何らかの理由」として私は両島の隠岐からの距離の差くらいしか思いつかず、その差が帰属認識の違いとなるほどのものだとは思えないのです。これは私の主観的評価です。
−−−−−−−−−−−

あらためて考えると、「何らかの理由」の検討はまだ不十分な気もします。多くの方のご意見をいただければ幸いです。

個人的見解で

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2006/01/15 01:42 投稿番号: [12417 / 18519]
人には向き不向きがあり、歴史学に向いていない人もいるのです。残念ながら自分は、そのタイプです。半月城様のように、資料をあつめて理解をむすぶ能力があればよかったのですが、やはり何しろ向いていないのです。

そういう自分は、あえて日常の感覚で考えます。

私は日本人ですが、竹島はいりません。
経費だけがかかる島ですし。
生態系はとても鋭敏ですし。その保護がこれも大変。
島根県をはじめとした漁業者の方々は、松葉蟹をブランド化して、漁業の権益を政治決着で得たほうがよほどソロバンに良いと考えます。
逆に領有権に固執することで、中央から仕事をもってきてもらう体質が抜け切れなくなりそうで。

しかも先の太政官のこともあるし。
疑わしきは相手を立てる。
大競争時代のしたたかな競争術です。


いまさら領有権は韓国でいい。
紆余曲折50年の戦後韓国史を通じて、実効支配してきたのだから、その立場をこちらが認めてあげればよいことじゃないですか。


それがまかりならないという日本人は、けっきょくのところ、日本という国家の面子にこだわっているだけなんですよ。
一銭にもならないメンツのためにね。
国家を肥大させれば、明日泣くのはわが身ですよ。

この議論の意味は?

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2006/01/15 01:23 投稿番号: [12416 / 18519]
島根県から伺い書をだした中井さんたちは、間違いなく現独島(竹島)のことについて、伺い書を出したのですね。
それに対して太政官が返答し、本邦とは関係なしという返信となった。

いったんそれが出てしまった以上、その間の太政官の判断の根拠を詮索する議論というのは、どのくらいのウェイトがあるでしょうか。
歴史を記録するという意味では無意味ではないでしょうが、あまり生産的な議論とは思えませんね。


それよりも、日本が朝鮮を保護国化する過程において、対ロシアの軍事的価値に注目したことが契機になって、独島も編入されていったという流れのほうが大事なのだと思うが。
当時の日本で独島編入に積極的だったのが、外務省と海軍省だったことのほうが、大切なことだと思うが。

どうして連動するの?

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2006/01/15 01:09 投稿番号: [12415 / 18519]
>確かに韓国政府は今年、馬山市の「対馬の日」制定について対馬の領有根拠について
>国際法的根拠はないと明言していますが。
>わずか50年ほど前には連合国に対して、独島、波浪島、対馬島を韓国領にするよう求めていました。

ん〜
韓国という国を見ないで机の上で資料だけあつめたら、こんな物語が書けるのかなあ。。

慎教授はじめ韓国側で一貫して独島領有権を主張してきた学者が、一貫して対馬領有権は否定してきんですけどね。

あなたの
>つまり韓国政府はこのとき、この3つの島が韓国領に含まれないことを「知っていた」。
というのは、なんの根拠も無い勝手なものがたりですよ。
つまり慎教授や李漢基教授の主張の時点で、独島領有権と対馬とは、まったく連動していないんですよ。
それを今やっているのは馬鹿だけ。

>わずか50年
ですか。
それは日本人からみた50年ですね。
韓国では何度も政権が変わり、民主化が勝ち取られ、初めて選挙で政権交代が実現するという過程がおこなわれてきたのですが。
日本は棚ぼた式の民主主義をだめにする以外のことをやってませんが。

たのみますから、言葉で人をだますのは、やめましょうね。

細かいことは色々あるでしょうが、

投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2006/01/14 13:45 投稿番号: [12414 / 18519]
大枠はと言えば、これでしょう。↓


韓国では「独島(竹島)を昔は于山島と呼んでいた」と主張しています。
http://mouse99.hp.infoseek.co.jp/masai/masa.htm

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2006/01/14 11:36 投稿番号: [12413 / 18519]
博識なお二人の議論にわたしのような知識のないものが口を挟む隙もありませんが・・・

2.当時の太政官にリアンクール岩が日本領であるという明確な認識があったかどうかは定かではない。(不明である)

ではいかがでしょうか?

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/14 11:02 投稿番号: [12412 / 18519]
以下のことですが、(●印に勝手に番号を入れました)
−−−−−−−−−−−−−−
1877年の太政官指令からは、少なくとも以下のことが言える。

1.太政官が調べた江戸時代の記録の中に、松島が日本領であることを示す記録は無かった。
2.当時の太政官にリアンクール岩が日本領であるという明確な認識はなかった可能性が高い。
−−−−−−−−−−−−−−
1には異論がありませんが、2はその「可能性が高い」というだけの根拠はあるのでしょうか。何かあるようでしたらお教えいただければ幸いです。

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/01/14 07:54 投稿番号: [12411 / 18519]
ahirutousagi2さん

「竹島考證」の情報をありがとうございます。278ページもあると簡単にはコピーも通読もできなさそうですが、適当な機会がないか、今後は気にしたいと思います。

さて、私は#12408で次のように書きました。

>私としては、1877年の太政官の認識は以下のように断定して良いと思います。
>
>●リアンクール岩は版図に含まれない。

しかし、この表現は少々拙かったようです。
明治政府のリアンクール岩に対する認識としては、以下の5つの可能性があると思います。

a. そもそも存在を認識していない
b. 存在は認識しているが、帰属について明確な認識がない。
c. 朝鮮領であると認識している
d. 日本領でも朝鮮領でもないと認識している
e. 日本領であると認識している

私は「a-dのどれかである」という意味で上記●を書いたのですが、読み返してみると●は「リアンクール岩を版図外と考えている」、つまり「cまたはdのどちらか」という意味にも取れます。

また、ご指摘の以下の可能性も否定できないので「断定して良い」という判断も適切ではありませんでした。

>1.当たり前に日本領であると考えた。(渡辺洪基のように)

(ただし、可能性としては低いと思っています。リアンクール岩をこのように考えて松島をこのように考えない理由は、本州からの距離の差くらいしかなさそうですが、果たして両者の差がそのような微妙なものだと太政官が考えたかどうか疑問です)

なので、私の意見を以下のように修正します。ついでに前に書いたことも並べて示しておきます。

−−−−−−−−−−−−−−
1877年の太政官指令からは、少なくとも以下のことが言える。

●太政官が調べた江戸時代の記録の中に、松島が日本領であることを示す記録は無かった。
●当時の太政官にリアンクール岩が日本領であるという明確な認識はなかった可能性が高い。
−−−−−−−−−−−−−−

あげ、ついでに

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/14 00:11 投稿番号: [12410 / 18519]
それにしても、やはり理解できません。

>結論として、島根県や内務省、さらには太政官指令に記述された外一島が竹島=独島であることは、島に関する説明や島同士の古文書における距離などから明らかです。また、それはリアンクール岩であることはいうまでもありません。

島根県・内務省・太政官指令に記述された外一島が、島の説明からして現在の竹島=独島を描写したと考えられるとして、それが、なぜ地理的にリアンクール島であると考えうるのか、その間には何ら脈絡を認められません。

そもそも「島同士の古文書における距離」については、半月城さんが自ら「隠岐と松島の間は40-80里、松島と竹島(鬱陵島)の間は30-50里というのが江戸時代の認識です」としているものであって、距離だけでリアンクール岩を規定することが困難であることは明白です。

こうした半月城さんの規定にはある種の前提が存在しているようです。つまり、アルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩の三つの認識は内務省・太政官には存在するはずもなかった。

または、太政官判断はあくまで島根県の文書だけを参考にしたもので、そうした三島の認識を考慮すべきでない、といったところでしょうか。

その前提がない限り、半月城さんの理解は成立しないものと思われます。こうした前提はどちらであったにせよ、私の目には「都合の悪い史料は一切無視したうえで、都合のいい結論を導く」流儀にも見えます。

後者の「太政官判断はあくまで島根県の文書だけを参考にしたもので、そうした三島の認識を考慮すべきでない」は一見それらしく見えますが、しかしそれは「リアンクール岩であることはいうまでもありません」という理解にはとうてい直接的にはつながりえません。

私は島根県・内務省・太政官の示した外一島を松島であると理解するものですが、「それはリアンクール岩であること」が、何で「いうまでもありません」なのか、さっぱり分からないのです。

もう2年ほど前から教えをこうているのですが、何でこれについて半月城さんは答えていただけないのでしょうか。

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/09 10:56 投稿番号: [12409 / 18519]
>「第○号 竹島考証」という文書をきちんと読んだことが無いのですが、ネット上、もしくは公共図書館で見ることができるものでしょうか。

ネットでは読めるかどうかは分かりませんが、県立図書館のような比較的大きい図書館やそれなりに資料をそろえているような大学図書館などで見ることができます。

竹島考證 : 上・中・下 : 国立公文書館内閣文庫所蔵「外務省記録」
東京 : エムティ出版, 1996.4
278p ; 26cm
注記: 明治14年8月奉命取調の複製 ; 表紙の版次:保存版
SBN: 4896145194
別タイトル: 竹島問題
著者標目: 外務省<ガイムショウ>

さて、

>リアンクール岩は版図に含まれない。

ですが、私はちょっと違和感があるのです。さしたる違いはないのかもしれないのですが、私は「リアンクール岩は版図内とも版図外とも示していない」という認識です。太政官の判断が松島=ダジュレーであったとすれば、そう考えられるものと思います。ですから、無主地が妥当かと。

仮に現竹島=リアンクール岩と太政官が判断したとすると、例えばすぐに思いつく範囲で、次のようなことはどのように整合的にとらえ得るでしょうか。

1.軍艦天城によって松島=鬱陵島となったこと。
2.明治16年に太政大臣三条実美が「北緯37度30分、東経130度49分に位置する日本称する松島、一名竹島、朝鮮称する鬱陵島の儀は…」としていること(鬱陵島渡航禁止令)。
3.1905年に「他国に於て之を占領したりと認むべき形跡」がないとして日本に編入したこと。

もしも太政官が松島=リアンクール岩と正しく理解したとすると、三年後の天城の踏査で松島=鬱陵島との誤りが決定的になったということで、さらに太政大臣三条実実はそれを踏襲して誤った規定のままで(元来の太政官判断とは反する形で)禁止令を発し、さらに日本は1905年に太政官判断をほごにしてリアンクール岩を「侵略した」ということになりそうですが、ずいぶんとおかしな話です。

単純に太政官判断が鬱陵島までの地理的認識で竹島・松島(つまりアルゴノート・ダジュレー)と考えたとすれば、上記の流れに全く不自然な部分はありません。

>たとえ、松島とリアンクール岩を別の島と認識していたとしても、松島だけを版図外とし、リアンクール岩を版図内とする理由が見当たらないからです。

そうでしょうか。可能性としては、
1.当たり前に日本領であると考えた。(渡辺洪基のように)
2.岩にすぎず、この時は無頓着であった。(だから後に1905年に編入した。)
3.地理的に不明な部分があり、将来の調査を待つこととした。(実際に三年後に調査[鬱陵島]した。)

松島=鬱陵島までを版図外としたとして、リアンクール岩を必ず「版図外」と規定して断言する必然性は、私はないと思います。

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/01/09 08:10 投稿番号: [12408 / 18519]
ahirutousagi2さん

私としては、1877年の太政官の認識は以下のように断定して良いと思います。

●リアンクール岩は版図に含まれない。

たとえ、松島とリアンクール岩を別の島と認識していたとしても、松島だけを版図外とし、リアンクール岩を版図内とする理由が見当たらないからです。しいて可能性を挙げると次の二つですが、どちらもあり得ないことは明白です。

a. リアンクール岩が日本領であることを示す歴史的資料があるが、松島には無い。
b. 松島が朝鮮領であることを示す歴史的資料があるが、リアンクール岩には無い。

(厳密に考えると、bは絶対あり得ないとは言えませんが、その場合、歴史的資料の松島=リアンクール岩であることが分かった時点で、リアンクール岩は版図外となります)

ただ、ご指摘の渡辺洪基のように太政官・内務省とは別に、現竹島=独島に対する領有意識があった可能性はありそうです。それらが具体的にどういうもので、日本の国家としての意思を考える際にどういう位置付けになるかについては、もっと勉強してから考えます。

今はとりあえず、太政官が竹島・松島を地図上のどこに比定したかに関わらず、太政官指令から言えることは何かを考えていますので、その論点についてはノーコメントとします。(実際、勉強が足りなくてコメントできないし)

追伸.

「第○号 竹島考証」という文書をきちんと読んだことが無いのですが、ネット上、もしくは公共図書館で見ることができるものでしょうか。

Re: 松島・竹島までの距離と地図

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/09 00:04 投稿番号: [12407 / 18519]
>都合の悪い史料は一切無視したうえで、都合のいい結論を導くのが ahirutousagi2さんの流儀でしょうか。

正月早々、あまりきついことは仰らないで下さい。私は別に都合の悪いことはなにも避けていませんよ。

>この他に権威の薄い『竹島圖説』などもありますが、いずれも大同小異です。ともかく、隠岐と松島の間は40-80里、松島と竹島(鬱陵島)の間は30-50里というのが江戸時代の認識です。

それで大いに結構かと思います。しかし、太政官がアルゴノート=竹島、ダジュレー=松島と判断したであろうとの私の理解にはとくに変更はありません。

>ともかく ahirutousagi2さんが考えるような陸軍参謀局の朝鮮全図(1875)などは問題外です。また、文部省の日本全図(1877)にいたっては、伺書が出された1876年当時、発刊すらされていませんでした。

書き込みの趣旨をご理解いただけなかったようですが、私は「リアンクール=松島との積極的な理解はこの時期において見ることはできません」と申し上げたのであり、それは当時の政府中枢の人々の理解を推し量るための一つの傍証としてあげたのです。

>こうした島根県からの伺書を受けた内務省は、その伺書に加え独自の史料を添付しましたが、そのリストにはもちろんahirutousagi2さんがあげた地図などは存在しません。島根県が添付した地図で十分だったのでしょう。

大西教保『隠岐古記集』、鳥取藩『竹嶋之書附』「小谷伊兵衛差出候 竹嶋の書附」、『元禄九丙子年 朝鮮舟着岸一巻之覚書』などは太政官は把握していたが、地図に関しては島根県の添付地図のみを参考としたということでよろしいのでしょうか。

私はそうは思いませんが。

>結論として、島根県や内務省、さらには太政官指令に記述された外一島が竹島=独島であることは、島に関する説明や島同士の古文書における距離などから明らかです。また、それはリアンクール岩であることはいうまでもありません。

島根県、内務省、太政官指令にある外一島が現在の竹島を示していることは確かであると思います。しかし、それはリアンクール岩ではなく、地理的には鬱陵島として理解されたということです。その証拠に、三年後の軍艦天城の調査で鬱陵島が松島として確定しています。

>それでも ahirutousagi2さんは、どうしても外一島が松島であると認めたくないのでしょうか?

くり返し申し上げているように、私は外一島が松島であると一貫して申し上げています。ただ、それが鬱陵島の位置で理解されていたのであり、三年後にそれが正式に確定したのだと申し上げているわけです。むしろ、私にはどうしても半月城さんが「太政官が松島=リアンクール島と判断して版図外とした」とすることが、理解できないのです。

私は聞く耳を持っているつもりです。「太政官が松島=リアンクール岩と判断して版図外とした」と確定できる根拠を教えていただけませんか。今までのお話では単に由来の概略に示されている説明がまさに現在の松島にほかならないから、というのみにしか聞こえません。それだけで太政官が松島=リアンクール岩と判断したという根拠にはならないものと思いますよ。

松島・竹島までの距離と地図

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2006/01/08 23:09 投稿番号: [12406 / 18519]
   半月城です。

   Re:12401, ahirutousagi2さん
>太政官が松島をリアンクール岩と考えた可能性はほとんどないものと考えます。その理由は第一に由来の概略に記された距離認識です。「隠岐→80里(320km)→松島→40里(160km)→竹島」はリアンクールの位置からはあまりにかけ離れています。

   都合の悪い史料は一切無視したうえで、都合のいい結論を導くのが ahirutousagi2さんの流儀でしょうか。
   この機会に松島(竹島=独島)、竹島(鬱陵島)までの距離について権威ある史料からまとめてみたいと思います。下記で(   )内は私の注釈です。

1.大西教保『隠岐古記集』
(島後より)亥の方四十余里にして松島あり・・・又酉の方七十里余に竹嶋有り

2.鳥取藩『竹嶋之書附』「小谷伊兵衛差出候 竹嶋の書附」
  一.(島後の)福浦より松嶋まで八拾里程
  一.松嶋より竹嶋へ四拾里程

3.『公文録 内務省之部』「日本海内竹島外一島 編纂方伺」由来の概略、および
  『太政類典第二編』第九十六巻「竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」島根縣伺
  松島・・・隠岐ヲ距ル八十里許リ、・・・竹島・・・隠岐國乾位一百二拾里許リ

4.『元禄九丙子年 朝鮮舟着岸一巻之覚書』
  竹嶋と松嶋之間五十里在之(安龍福の供述)

   この他に権威の薄い『竹島圖説』などもありますが、いずれも大同小異です。ともかく、隠岐と松島の間は40-80里、松島と竹島(鬱陵島)の間は30-50里というのが江戸時代の認識です。
   なお、島根県の「日本海内竹島外一島 編纂方伺」由来の概略に書かれた松島・竹島までの距離は大谷・村川両家所蔵の古文書から採用されたことが伺書の付属文書から推察されます。
   また、伺書付属の地図ですが、これは大谷家に伝わる「製図」が謄写されて添付されたことが伺書の「あとがき」に記されました。その地図は発見されていないようですが、これは鳥取藩『竹嶋之書附』付属の地図に近いものと推測されます。
   ともかく ahirutousagi2さんが考えるような陸軍参謀局の朝鮮全図(1875)などは問題外です。また、文部省の日本全図(1877)にいたっては、伺書が出された1876年当時、発刊すらされていませんでした。
   こうした島根県からの伺書を受けた内務省は、その伺書に加え独自の史料を添付しましたが、そのリストにはもちろんahirutousagi2さんがあげた地図などは存在しません。島根県が添付した地図で十分だったのでしょう。さらに太政官の段階では、内務省の申請日からわずか12日で内務省の伺書を承認しました。新たな地図の検討など論外だったことでしょう。

   結論として、島根県や内務省、さらには太政官指令に記述された外一島が竹島=独島であることは、島に関する説明や島同士の古文書における距離などから明らかです。また、それはリアンクール岩であることはいうまでもありません。
   それでも ahirutousagi2さんは、どうしても外一島が松島であると認めたくないのでしょうか?

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/08 12:55 投稿番号: [12405 / 18519]
>したがって、そういう言外のニュアンスは考えず、文字通りの意味で「竹島・松島を版図外と規定した」とお書きになっているものと思いますが、できれば明治政府のリアンクール岩に関する認識も含めてまとめて下さると、紛らわしさがなくてありがたく思います。

仰る通り、私は由来の概略にある竹島・松島を版図外としたと理解しています。一方、この時期の明治政府のリアンクール岩に関する認識については、なにぶん、混乱期であったため、政府の見解は「不明」としかいいようがありませんが、おそらくは無主地程度で考えるのが無難かと私は考えています。だからこそ、のちに日本に正式に編入するということもあったわけで。

ただ、当時(軍艦派遣前)の考え方を理解する上で、次のようなことは参考にはなると思います。

1.外務省の渡辺洪基の理解。(原文はひらがな→カタカナ)
「諸書に就て案するに竹島洋名アルゴナウト嶋なる者は全く烏有の者にして其松嶋デラセ嶋なる者は本来の竹島即ち鬱陵島にして我松嶋なる者は洋名ホル子ツトロツクスなるか如し然るを洋客竹島を認を松嶋と為し更に竹嶋なる者を想起せし者の如し而を此ホル子ネツトロツクスの我が国に属するは各国の地図皆然り他の二嶋に至りては各国其認むる所を同ふせす」(第11号、竹島考証)

2.外務省の田辺太一の理解。「聞く如きは松嶋は我邦人の命せる名にして其実は朝鮮鬱陵島に属する于山なり鬱陵島の朝鮮に属するは旧政府の時一葛藤を生し文書往復の末永く■て我有とせさるを約し…」(第21号)としていて、松島を鬱陵島所属の于山島としているが、田辺とてその実際を理解しきれていなかったことには違いない。海軍士官と生産物に明らかなものを派遣して「これを書図に徴し古文書に照して初めて松島の鬱陵島の一部なりや果て于山なりや又別に一の無主地なりやをも定得へく…」(同)としている。

いずれにせよ、この時期においてアルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩についての正確な理解はなされておらず、政府におけるリアンクール岩に対する領有認識も不明瞭なものであるとしかいいようがないように思います。

ただ、明確な根拠に基づいた領土意識かどうかは別として、渡辺洪基の記述にも見られるようにリアンクール岩は日本に当然属するものであろうとの意識は当時全くなかったわけではなさそうにも思います。版図内とする根拠となる資料を知りませんので私としては無主地との立場をとりますが。

te2222000さんの意見もまたお聞かせいただければ幸いです。

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/01/08 08:00 投稿番号: [12404 / 18519]
ahirutousagi2さん
コメントありがとうございます。

> >a. 「松島」に関する記録はない。
> >b. 「松島」に関する記録はあるが、どこの国の領土かは明確でない。
> >c. 「松島」が日本領であることを示す記録がある。
> >d. 「松島」が朝鮮領であることを示す記録がある。
> ----------------------------------
> bの可能性が高いものと思います。

私もそう思います。「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」についても、ahirutousagi2さんの分析が妥当なように思います。


>「明治政府は太政官判断によって島根県「日本海内
>竹島外一島地籍編纂方伺」に示された竹島・松島を
>版図外と規定した。ただし、その地理的な理解は
>鬱陵島までを指すにほかならなかった。」

竹島・松島を鬱陵島以北の二島とした上で「竹島・松島を版図外と規定した」と表現することは、人によっては、言外に「規定していないリアンクール岩については版図内と考えていた」というニュアンスを込めている場合があります。

たとえば、田中邦貴氏が、日本の実効支配を示す文脈の中で『「竹島外一島」とは、アルゴノート島とダージュレー島と考えるのが自然である』と述べているのは、そのような例と言えるでしょう。

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/5occupation.html


ahirutousagi2さんは、#3153で、「リアンクール岩はこの時期(1905年以前)において積極的に日本領土と認識された形跡を求めるのはあるいは難しいかもしれません」と述べられています。したがって、そういう言外のニュアンスは考えず、文字通りの意味で「竹島・松島を版図外と規定した」とお書きになっているものと思いますが、できれば明治政府のリアンクール岩に関する認識も含めてまとめて下さると、紛らわしさがなくてありがたく思います。


>太政官指令は「証拠」というよりは重要な「資料」
>あるいは「根拠の一つ」といった程度で考えるのが
>いいのではないでしょうか。
>
>江戸幕府の考えは、それはそれであらためて検討が
>必要であるものと思います。

はい、異存はありません。
私が「証拠になると思います」と書いたのは、「証拠」と「根拠」を特に区別せず、また「決定的証拠」というつもりもなく、「証拠の一つ」という程度の意図でした。
ちょっと表現に問題があったかもしれませんが、考えていた内容はahirutousagi2さんのご意見と同じです。

質問

投稿者: rafma326 投稿日時: 2006/01/08 00:41 投稿番号: [12403 / 18519]
はじめまして。
どなたか教えて欲しいんですけどSCAPIN667によって竹島と同じように日本領土から一時的に除外されていた琉球諸島は、その間のアメリカの統治権がはっきりしていましたが、竹島はどうなんですか?初歩的な話かもしれませんがお願いします

訂正

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/07 12:42 投稿番号: [12402 / 18519]
誤:「明治政府は太政官判断によって江戸幕府時代から理解されてきた竹島・松島を版図外と規定した。ただし、その地理的な理解は鬱陵島までを指すにほかならなかった。」

正:「明治政府は太政官判断によって島根県「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」に示された竹島・松島を版図外と規定した。ただし、その地理的な理解は鬱陵島までを指すにほかならなかった。」

Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/07 12:24 投稿番号: [12401 / 18519]
>a. 「松島」に関する記録はない。
>b. 「松島」に関する記録はあるが、どこの国の領土かは明確でない。
>c. 「松島」が日本領であることを示す記録がある。
>d. 「松島」が朝鮮領であることを示す記録がある。
----------------------------------
bの可能性が高いものと思います。c,dについては積極的に考えうる根拠はなかったものと想像できそうです。あとはaですが、諸地図や隠州視聴合紀など、何もなかったということはないでしょう。

1870年の「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」の検討も必要かと思います。この記述を念頭に置くとすれば、もとより明治政府に松島の情報はほとんどなかったと考えられるのではないかと思います。

ただし「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」という題名をもって明治政府により松島が朝鮮領と認識されたとの理解は早計です。もとよりこれは明治政府の領土意識を表明するものではありませんから。

また佐田白茅らへの調査指令にもともとこの項目は入っていなかったところを見ると、指令を明文化することを避けた、不明の部分に対する情報収集であったということだったのだと私は想像しています。
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>つまり、太政官が松島をダジュレー島と思ったにせよリアンクール岩と思ったにせよ、以下のことは確実に言えるということです。

●明治政府が調べた江戸時代の記録の中に、松島が日本領であることを示す記録は無かった。
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太政官が松島をリアンクール岩と考えた可能性はほとんどないものと考えます。その理由は第一に由来の概略に記された距離認識です。「隠岐→80里(320km)→松島→40里(160km)→竹島」はリアンクールの位置からはあまりにかけ離れています。

第二に、当時の地図があります。以前に以下の地図を紹介しましたが、
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-japan.html
陸軍参謀局の朝鮮全図(1875)と文部省の日本全図(1877)も鬱陵島が竹島と松島に描かれており、現在の独島は描かれておらず、リアンクール=松島との積極的な理解はこの時期において見ることはできません。

第三に、その三年後の軍艦天城の調査による、竹島=竹嶼と松島=鬱陵島の規定です。こうした規定を整合的に考えるには、太政官が松島=リアンクールと考えたとの理解は苦しいものがあります。

私の理解はこうです。「明治政府が調べた江戸時代の記録の中に、松島が日本領であるとも朝鮮領であるとも示す明確な記録は無かった」。また「リアンクール岩が朝鮮領であるとの認識もなかった。」あわせて「明治政府は太政官判断によって江戸幕府時代から理解されてきた竹島・松島を版図外と規定した。ただし、その地理的な理解は鬱陵島までを指すにほかならなかった。」です。
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>竹島一件以降、江戸幕府に松島の領有意識があったかどうかは時々論争になりますが、1877年の太政官指令は領有意識が無かったことの証拠になると思います。

>そして、これは江戸時代が終わった直後に、幕府の文書をほぼそのまま継承した明治政府が、「版図の取捨は重大の事件」という認識を持って調査した結果ですから、信頼性の高い証拠と言えそうです。
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これはどうでしょうか。太政官指令をもって江戸幕府の領有意識の「証拠」とするのはちょっとどうかと思いますが。明治政府が江戸幕府の文書を継承したとしても、太政官指令でもって江戸幕府の考えを規定することは後世のものが歴史を見るにおいてどうなのでしょうか。

太政官指令は一つの手がかりではありますが、一方でさらなる江戸幕府の関係資料の発掘を期待し、また現存の資料を検討し尽くすことが順序ではないでしょうか。太政官指令は「証拠」というよりは重要な「資料」あるいは「根拠の一つ」といった程度で考えるのがいいのではないでしょうか。

江戸幕府の考えは、それはそれであらためて検討が必要であるものと思います。
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