リアンクール岩
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/01/15 21:43 投稿番号: [12426 / 18519]
半月城です。ハンドルネームを ban_wol_seong に変更します。
ahirutousagi2さんも、太政官指令にある外一島が現在の竹島=独島を示していると考えていたことは了承しました。
#12407,ahirutousagi2さん
>むしろ、私にはどうしても半月城さんが「太政官が松島=リアンクール島と判断して版図外とした」とすることが、理解できないのです。
これは ahirutousagi2さんの早とちりではないでしょうか。私は竹島=独島=リアンクール岩という趣旨で下記のように記しました。
「結論として、島根県や内務省、さらには太政官指令に記述された外一島が竹島=独島であることは、島に関する説明や島同士の古文書における距離などから明らかです。また、それはリアンクール岩であることはいうまでもありません」
#12410,ahirutousagi2さん
>こうした半月城さんの規定にはある種の前提が存在しているようです。つまり、アルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩の三つの認識は内務省・太政官には存在するはずもなかった。
または、太政官判断はあくまで島根県の文書だけを参考にしたもので、そうした三島の認識を考慮すべきでない、といったところでしょうか。
私は「アルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩の三つの認識は内務省・太政官には存在するはずもなかった」とまでは断言していません。そうした認識はなかったであろうとの意見です。元来、こうした命題は、ないことを証明するのは不可能です。
つぎに「太政官判断はあくまで島根県の文書だけを参考にした」とするのは、ahirutousagi2さんの早とちりです。私は#12406で「島根県からの伺書を受けた内務省は、その伺書に加え独自の史料を添付しました」と書いたとおりです。そのリストは後述します。
#12407,ahirutousagi2さん
>大西教保『隠岐古記集』、鳥取藩『竹嶋之書附』「小谷伊兵衛差出候 竹嶋の書附」、『元禄九丙子年 朝鮮舟着岸一巻之覚書』などは太政官は把握していたが、地図に関しては島根県の添付地図のみを参考としたということでよろしいのでしょうか。
これも ahirutousagi2さんの早とちりです。太政官のみならず、内務省や島根県が『隠岐国古記』などを把握していたかどうかは不明です。
可能性としては、それらが伺書にふれられていないので、諸機関は把握していなかったか、あるいは把握していたとしても、付属資料として取りあげる価値がないと判断されたと思われます。
地図も内務省や太政官が「島根県の添付地図」のみを参考にしたかどうか、これも不明です。可能性としては、その地図以外は伺書にふれられていないので、参考にしなかったか、あるいは参考にしたとしても、それは付属資料としてわざわざ記述する価値がないと判断されたといえます。
ここでまとめのために、島根県の伺書および内務省が追加した史料を整理します。
島根県「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」の付属文書一覧
(1).第28号「地理寮の伺い書」
(2).島根県「由来の概略」
(3).幕府「渡海許可書」
(4).島根県「渡海禁制いきさつ」
(5).幕府「渡海禁制令」
(6).島根県「あとがき」
(7).大谷家「図面」
この他に大谷・村川「両家所蔵の古文書などは後日、謄写されるのを待って全備する」とされました。それらも提出されたかもしれません。
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.564
内務省「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」附属文書一覧
(1)島根県「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」本文、附属文書一式
(2)第一号「旧政府評議の主旨」
(3)第二号「訳官への達し書き」
(4)第三号「当該国(朝鮮)からの書簡」
(5)第四号「本邦回答および口上書」
http://www.han.org/a/half-moon/hm083.html#No.574
これらの文書に「アルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩」などは片言隻句もないのにもかかわらず、なぜ ahirutousagi2さんは、わざわざそれらを持ちだすのか理解に苦しむところです。
ましてや、リアンクール岩という用語は、太政官指令当時の公文書にはほとんどなかったようで、わずかに竹島=独島に該当するホウリルロックという語が登場する程度です。
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
ahirutousagi2さんも、太政官指令にある外一島が現在の竹島=独島を示していると考えていたことは了承しました。
#12407,ahirutousagi2さん
>むしろ、私にはどうしても半月城さんが「太政官が松島=リアンクール島と判断して版図外とした」とすることが、理解できないのです。
これは ahirutousagi2さんの早とちりではないでしょうか。私は竹島=独島=リアンクール岩という趣旨で下記のように記しました。
「結論として、島根県や内務省、さらには太政官指令に記述された外一島が竹島=独島であることは、島に関する説明や島同士の古文書における距離などから明らかです。また、それはリアンクール岩であることはいうまでもありません」
#12410,ahirutousagi2さん
>こうした半月城さんの規定にはある種の前提が存在しているようです。つまり、アルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩の三つの認識は内務省・太政官には存在するはずもなかった。
または、太政官判断はあくまで島根県の文書だけを参考にしたもので、そうした三島の認識を考慮すべきでない、といったところでしょうか。
私は「アルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩の三つの認識は内務省・太政官には存在するはずもなかった」とまでは断言していません。そうした認識はなかったであろうとの意見です。元来、こうした命題は、ないことを証明するのは不可能です。
つぎに「太政官判断はあくまで島根県の文書だけを参考にした」とするのは、ahirutousagi2さんの早とちりです。私は#12406で「島根県からの伺書を受けた内務省は、その伺書に加え独自の史料を添付しました」と書いたとおりです。そのリストは後述します。
#12407,ahirutousagi2さん
>大西教保『隠岐古記集』、鳥取藩『竹嶋之書附』「小谷伊兵衛差出候 竹嶋の書附」、『元禄九丙子年 朝鮮舟着岸一巻之覚書』などは太政官は把握していたが、地図に関しては島根県の添付地図のみを参考としたということでよろしいのでしょうか。
これも ahirutousagi2さんの早とちりです。太政官のみならず、内務省や島根県が『隠岐国古記』などを把握していたかどうかは不明です。
可能性としては、それらが伺書にふれられていないので、諸機関は把握していなかったか、あるいは把握していたとしても、付属資料として取りあげる価値がないと判断されたと思われます。
地図も内務省や太政官が「島根県の添付地図」のみを参考にしたかどうか、これも不明です。可能性としては、その地図以外は伺書にふれられていないので、参考にしなかったか、あるいは参考にしたとしても、それは付属資料としてわざわざ記述する価値がないと判断されたといえます。
ここでまとめのために、島根県の伺書および内務省が追加した史料を整理します。
島根県「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」の付属文書一覧
(1).第28号「地理寮の伺い書」
(2).島根県「由来の概略」
(3).幕府「渡海許可書」
(4).島根県「渡海禁制いきさつ」
(5).幕府「渡海禁制令」
(6).島根県「あとがき」
(7).大谷家「図面」
この他に大谷・村川「両家所蔵の古文書などは後日、謄写されるのを待って全備する」とされました。それらも提出されたかもしれません。
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.564
内務省「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」附属文書一覧
(1)島根県「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」本文、附属文書一式
(2)第一号「旧政府評議の主旨」
(3)第二号「訳官への達し書き」
(4)第三号「当該国(朝鮮)からの書簡」
(5)第四号「本邦回答および口上書」
http://www.han.org/a/half-moon/hm083.html#No.574
これらの文書に「アルゴノート・ダジュレー・リアンクール岩」などは片言隻句もないのにもかかわらず、なぜ ahirutousagi2さんは、わざわざそれらを持ちだすのか理解に苦しむところです。
ましてや、リアンクール岩という用語は、太政官指令当時の公文書にはほとんどなかったようで、わずかに竹島=独島に該当するホウリルロックという語が登場する程度です。
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 12407 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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